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2000 | 11'7 死去 | |
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1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | 貴族の階段 監督 | |
電話は夕方に鳴る 監督 | ||
1958 | 夜の素顔 監督 | |
一粒の麦 監督 | ||
1957 | 地上 監督 | |
夜の蝶 監督 | ||
大阪物語 監督 | ||
1956 | 四十八歳の抵抗 監督 | |
夜の河 監督 | ||
1955 | 銀座の女 監督 | |
愛すればこそ 監督 | ||
歌舞伎十八番鳴神・美女と怪龍 監督 | ||
1954 | 足摺岬 監督 | |
どぶ 製作総指揮 | ||
燃える上海 脚本 | ||
1953 | 夜明け前 監督 | |
慾望 監督 | ||
千羽鶴 監督 | ||
女の一生 製作 | ||
縮図 製作 | ||
もぐら横丁 脚本 | ||
1952 | 暴力 監督 | |
西陣の姉妹 監督 | ||
原爆の子 製作 | ||
満月三十石船 脚本 | ||
1951 | 自由学校 監督 | |
偽れる盛装 監督 | ||
源氏物語 監督 | ||
1950 | 戦火の果て 監督 | |
春雪 監督 | ||
1949 | 森の石松 監督 | |
嫉妬 監督 | ||
別れのタンゴ 企画 | ||
1948 | わが生涯のかゞやける日 監督 | |
誘惑 監督 | ||
1947 | 安城家の舞踏會 監督・原作 | |
象を喰った連中 監督 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | 敵機空襲 監督 | |
開戦の前夜 監督 | ||
1942 | 続南の風 監督 | |
南の風 瑞枝の巻 監督 | ||
間諜未だ死せず 監督 | ||
男の意気 脚本 | ||
1941 | 花 監督 | |
1940 | 西住戦車長伝 監督 | |
1939 | 暖流 後篇 ぎんの巻 監督 | |
暖流 前篇 啓子の巻 監督 | ||
五人の兄妹 監督 | ||
1938 | 愛より愛へ 編集 | |
1937 | 浅草の灯 編集 | |
1936 | ||
1935 | 春琴抄 お琴と佐助 助監督 | |
1934 | 隣りの八重ちゃん 助監督 | |
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
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1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | 9'9 滋賀県で誕生 |
一粒の麦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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福島の中学教師の井上(菅原謙二)は、集団就職へ向かう卒業生を連れて東京へとやってきた。上野駅でそれぞれの就職先のお迎えを確認し、とんぼ返りで福島へと帰る井上。井上は同僚の中学教師イチ子と結婚のための準備に入ったが、常に卒業生達のことを心に留めていた。結婚式当日に、電話で東京にいる生徒が逃げ出したと連絡が入る… 当時、右肩上がりの経済成長を果たしていた日本の原動力となったのは、技術革新が起こり続けた側面もあるだろうが、若い男女が必死で働いたという事実も重要だろう。当時の人不足を補うためには多くの人手を必要とし、その人手のためには中学を卒業したばかりの日本全国の若者が与えられるようになる。 それを集団就職というのだが、記録によれば戦後すぐ1947年にはもう始まっていたそうだ。それが本当に本格的になったのは1950年に始まった朝鮮戦争で、そこで物資不足に陥ったアメリカ軍のために多量の機材の生産受注が始まったからとされている。70年代に至るまで20年間ほどはずっとこの制度が使われていた。これが東京の一極集中、地方格差につながっていくのだが、この映画はそのどちらも描いている。 集団就職の若者を描いた作品としては、近年でも『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)のロクさんがいたりするが、あの作品はかなり理想的なものを描いたもので、そう言う就職先もあっただろうが、全くそうでない就職先も多かったらしい。特に一極集中した東京では、労働力は足りないながら、どこからでも人手を引っ張ってくることが出来るという状況になっており、そのため集団就職してきた若者を使い潰すような就職先がいくつも出来てきた。 今で言うならブラック企業と言うのだろうが、そんな就職先にぶつかってしまった場合はどうなるのか。本作はそこからドラマを始めている。 集団就職の若者など使い潰せば良いと企業側は考えるが、それは夢を抱いてきた一人の人間である。潰されてしまうと一つの人生が消える。その責任はどこにあるのか。その部分をないがしろにしないのが本作の特徴だろう。 潰された人を一人の人間として見る人がいるかどうか。そこでその若者の人生は変わる。本作の場合、中学校の先生がそれを担ってくれる。そのために福島の田舎からわざわざ汽車に乗ってやってきてくれる先生がいてくれたことで、人生を取り戻すことが出来た。 簡単に捨てられてしまいがちな一人の人間の人生を、困難を厭わずに救ってくれる人がいる。それこそがドラマなのだ。こう言うドラマがいくつも起こっていたのがこの時代であるとも言える。ほんの小さなドラマかもしれないが、一人一人特別なドラマである。そんな一つの物語を描いたことで、文字通り「一粒の麦」の物語を作り上げたのが本作である。 |
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夜の蝶 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大阪物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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溝口健二監督だったが、撮影中に死亡してしまい、吉村が代わりとなる | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夜の河 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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山本富士子が初めて女優として認められた作品で、意志の強い女性でありながら、エロティックさも兼ねそろえた姿は、最も美しく撮られていると評判となる。吉村監督の初カラー作品 |
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安城家の舞踏會 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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チェーホフの「桜の園」を底本とする 戦後の混乱期の人間性を映し出す。没落した華族の一家の苦悩と、その中で希望を見いだそうとする努力が描かれる。ここでの原節子は名演と言われる。監督吉村公三郎、脚本新藤兼人のコンビ第一作 吉村監督が戦争中外地でワイラー作品を観て学んだパン・フォーカス技法を光量不足で不完全なまま試みる |
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