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角川

角川映画
大映
アスミック・エース
新興キネマ
第一映画社

 

角川映画

 書籍販売の角川書店によって製作された映画グループ。映画は本を売るための販売促進用と位置づけた。自社で撮影所も持たず、他者に依頼して製作する新しいスタイルを作りだし、テレビを積極的に用いてCMを使うことで多くの利益を得た。

1976角川春樹によって設立。
1980それまでの大作路線を止め、アイドル路線へと変更する。
1983マッドハウスと共同でアニメ映画にも進出する。
1992ハリウッド進出第1弾と称した『ルビー・カイロ』を製作するが失敗
1993角川春樹が社長辞任し、弟の角川歴彦が社長となる。
1995ヘラルド・エースと提携し、エースピクチャーズを設立。
2002'7'22徳間書店から大映の全事業を引き継ぐ
2002'11角川大映映画設立
2004商号を角川映画株式会社とする。
2005角川書店が買収した日本ヘラルド映画と合併し、角川ヘラルド・ピクチャーズに改組。
2006角川ヘラルド映画株式会社と改称
2007社名を再び角川映画株式会社に変更する
2011'1'1角川書店に合併する
2013'10'1社名をKADOKAWAに変更する

 

 

大映

 正式名称は大日本映画製作株式会社。


1941'1'27第二次世界大戦の戦時統制の一環として、内閣情報局の指示で新興キネマ・大都映画・日活製作部門を軸とした合併により設立。
1943年初代社長として菊池寛が就任。
1945社名を大映株式会社に改める
1947日活から独立する。
1948プロ野球団金星スターズを買収して「大映スターズ」が発足
1957大映スターズが高橋ユニオンズを合併して大映ユニオンズが発足
1958大映スコープ導入
1958大映ユニオンズと毎日オリオンズと合併して大毎オリオンズ発足
1959東宝、松竹、文化放送、ニッポン放送と共にフジテレビジョンを開局する。
1970'6日活と配給網を統合してダイニチ映配を設立する。
1970'10'7オリオンズをロッテに売却
1971大規模なリストラを敢行し、本社ビルを売却する。
1972破産宣告を受ける
1974徳間書店による経営再建を受け、大映映画株式会社に改組する
1977大映映画撮影所、大映映画京都撮影所、大映配給、大映映像に分割される
1982日中合作映画『未完の対局』が公開。徳間による大作路線へと舵取り。
   大作路線によってヒット作はできるが、赤字が膨らむ。
1986京都・太秦の大映映画撮影所を完全閉鎖し、跡地を売却する
1988「史上最大の45億円」を投じた日中合作の超大作映画『敦煌』を公開する。
2002'11徳間書店から全事業が角川書店に委譲され、角川大映設立。
歌ふ狸御殿(1942)鞍馬天狗(1942)

無法松の一生(1943)

初祝二刀流(1944)狼火は上海に揚る 春江遺恨(1944)

狐の呉れた赤ん坊(1945)

七つの顔(1946)

蝶々失踪事件(1947)

王将(1948)

静かなる決闘(1949)透明人間現わる(1949)

蜘蛛の街(1950)ペン偽らず 暴力の街(1950)羅生門(1950)われ幻の魚を見たり(1950)

銭形平次捕物控 恋文道中(1951)

大あばれ孫悟空(1952)稲妻(1952)腰抜け巌流島(1952)新やじきた道中(1952)西遊記(1952)修羅城秘聞 双龍の巻(1952)續 修羅城秘聞 飛雲の巻(1952)すっ飛び駕(1952)毒蛇島奇談 女王蜂(1952)大佛開眼(1952)

あに・いもうと(1953)雨月物語(1953)怪談佐賀屋敷(1953)怪猫有馬御殿(1953)祇園囃子(1953)地獄門(1953)

赤穂義士(1954)噂の女(1954)怪猫逢魔が辻(1954)怪猫岡崎騒動(1954)山椒大夫(1954)銭形平次捕物控 幽霊大名(1954)近松物語(1954)殴り込み孫悟空(1954)番町皿屋敷 お菊と播磨(1954)

踊り子行状記(1955)新・平家物語(1955)

赤線地帯(1956)宇宙人東京に現わる(1956)怪猫五十三次(1956)喧嘩鴛鴦(1956)姿なき一〇八部隊(1956)花の渡り鳥(1956)まらそん侍(1956)夜の河(1956)

青空娘(1957)赤胴鈴之助(1957)赤胴鈴之助 鬼面党退治(1957)赤胴鈴之助 月夜の怪人(1957)赤胴鈴之助 飛鳥流真空斬り(1957)赤胴鈴之助 新月塔の妖鬼(1957)赤胴鈴之助 一本足の魔人(1957)穴(1957)大阪物語(1957)怪談累が渕(1957)朱雀門(1957)銭形平次捕物控 まだら蛇(1957)透明人間と蠅男(1957)永すぎた春(1957)南蛮寺の佝僂男(1957)満員電車(1957)桃太郎侍(1957)森の石松(1957)夜の蝶(1957)

赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人(1958)赤胴鈴之助 どくろ団退治(1958)赤胴鈴之助 三つ目の鳥人(1958)炎上(1958)巨人と玩具(1958)銭形平次捕物控 雪女の足跡(1958)忠臣蔵(1958)一粒の麦(1958)氷壁(1958)弁天小僧(1958)不敵な男(1958)

浮草(1959)最高殊勲夫人(1959)細雪(1959)ジャン・有馬の襲撃(1959)次郎長富士(1959)二十四時間の情事(1959)野火(1959)薄桜記(1959)初春狸御殿(1959)氾濫(1959)蛇姫様(1959)若き日の信長(1959)

おとうと(1960)からっ風野郎(1960)切られ与三郎(1960)女妖(1960)千姫御殿(1960)続次郎長富士(1960)銭形平次捕物控 美人蜘蛛(1960)大菩薩峠(1960)大菩薩峠 竜神の巻'1960)忠直卿行状記(1960)二人の武蔵(1960)ぼんち(1960)流転の王妃(1960)

悪名(1961)お嬢さん(1961)怪談火喰鳥(1961)風と雲と砦(1961)沓掛時次郎(1961)黒い十人の女(1961)喧嘩富士(1961)献身(1961)釈迦(1961)続悪名(1961)大菩薩峠 完結篇(1961)

江戸へ百七十里(1962)婦系図(1962)女と三悪人(1962)斬る(1962)鯨神(くじらがみ)(1962)黒の試走車(1962)座頭市物語(1962)サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ(1962)地獄の刺客(1962)しとやかな獣(1962)忍びの者(1962)新悪名(1962)秦・始皇帝(1962)スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ(1962)続・座頭市物語(1962)続・新悪名(1962)爛(1962)鉄砲安の生涯(1962)中山七里(1962)破戒(1962)陽気な殿様(1962)私は二歳(1962)

悪名市場(1963)悪名一番(1963)悪名波止場(1963)黒の報告書(1963)座頭市兇状旅(1963)座頭市喧嘩旅(1963)新・座頭市物語(1963)新忍びの者(1963)新選組始末記(1963)雑兵物語(1963)続・忍びの者(1963)対決(1963)第三の悪名(1963)手討(1963)ど根性一代(1963)女系家族(1963)眠狂四郎 殺法帖(1963)雪之丞変化(1963)

悪名太鼓(1964)黒の切り札(1964)黒の超特急(1964)黒の盗賊(1964)獣の戯れ(1964)剣(1964)乞食大将(1964)座頭市あばれ凧(1964)座頭市関所破り(1964)座頭市千両首(1964)座頭市血笑旅(1964)忍びの者 霧隠才蔵(1964)忍びの者 続・霧隠才蔵(1964)ど根性物語 銭の踊り(1964)眠狂四郎 円月斬り(1964)眠狂四郎 勝負(1964)眠狂四郎 女妖剣(1964)宿無し犬(1964)

あヽ零戦(1965)赤い手裏剣(1965)悪名幟(1965)悪名無敵(1965)剣鬼(1965)座頭市逆手斬り(1965)座頭市地獄旅(1965)座頭市二段斬り(1965)忍びの者 伊賀屋敷(1965)清作の妻(1965)続兵隊やくざ(1965)大怪獣ガメラ(1965)眠狂四郎 炎情剣(1965)眠狂四郎 魔性剣(1965)兵隊やくざ(1965)ほんだら剣法(1965)

悪名桜(1966)大殺陣 雄呂血(1966)座頭市海を渡る(1966)座頭市の歌が聞える(1966)忍びの者 続・霧隠才蔵(1966)白い巨塔(1966)新・兵隊やくざ(1966)

 

アスミック・エース

日本の映画製作・配給会社。JCOM株式会社の完全子会社。海外映画の買い付けや版権の管理、ビデオ(DVD)ソフトの販売などを行っている。かつてはゲームソフト開発・販売も行っていた。略称は「アスミック」、「AA」、「AAI」、「アスエー」。

1981原正人により株式会社ヘラルド・エース設立。
1985アスク(As)・住友商事(smi)・講談社(k)が共同で株式会社アスミック(Asmik)設立。
1995角川書店と提携し、エースピクチャーズに改組。
1998アスミック・エース エンタテインメント株式会社に名称変更。
2007管理が角川書店から角川映画に変わる
2010角川がスポンサーを降りて独立
2012ジュピターテレコムの100%子会社となり、社名をアスミック・エース株式会社と改める

 

新興キネマ

第二次世界大戦前に存在した日本の映画会社

1931'8'28 帝国キネマ演芸を組織変更する形で設立
1934'9'21 室戸台風で撮影所倒壊。翌月東京(大泉)撮影所開所 
1936 永田雅一が入社、京都撮影所長に就任
1939'3'29 演芸部発足
1942'1'10 大映に吸収合併

 

第一映画社

 永田雅一により日活から独立して設立。
1934'9 永田雅一により開設。
1937 振興キネマに吸収される。
浪華悲歌(1936)祇園の姉妹(1936)

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