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新藤兼人・原爆を撮る _(書籍) |
2012 | 5'29 死去 | ||||||||
2010 | 一枚のハガキ 監督・原作・脚本 | ||||||||
2009 | |||||||||
2008 | 石内尋常高等小学校 花は散れども 監督・原作・脚本 | ||||||||
2007 | 陸に上った軍艦 原作・脚本 | ||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | ふくろう 監督・脚本・美術 | ||||||||
2002 | |||||||||
2001 | 大河の一滴 脚本 | ||||||||
2000 | 三文役者 監督・原作・脚本・出演 | ||||||||
1999 | 生きたい 原案・脚本 | ||||||||
完全なる飼育 脚本 | |||||||||
おもちゃ 原作・脚本 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | ユキエ 脚色 | ||||||||
1996 | 宮澤賢治-その愛- 脚色 | ||||||||
1995 | 午後の遺言状 監督・原作・脚色 | ||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | 墨東綺譚 監督・脚本 | ||||||||
遠き落日 原作・脚本 | |||||||||
1991 | 東京交差点 脚本 | ||||||||
1990 | ドンマイ 原作・脚本 | ||||||||
1989 | |||||||||
1988 | さくら隊散る 監督・脚本 | ||||||||
1987 | ハチ公物語 原作・脚本 | ||||||||
映画女優 原作・脚本 | |||||||||
1986 | 落葉樹 監督・原作・脚本 | ||||||||
ブラックボード 監督・脚本 | |||||||||
1985 | 白い町ヒロシマ 脚本 | ||||||||
1984 | 地平線 監督・原作・脚本 | ||||||||
1983 | 素浪人罷り通る 去るも地獄残るも地獄 脚本 | ||||||||
積木くずし 脚本 | |||||||||
生きてはみたけれど 小津安二郎伝 出演 | |||||||||
1982 |
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1981 | 北斎漫画 監督・脚本 | ||||||||
蓮如とその母 脚本 | |||||||||
1980 | 遙かなる走路 脚本 | ||||||||
地震列島 脚本 | |||||||||
1979 | 絞殺 監督・製作・脚本 | ||||||||
配達されない三通の手紙 脚本 | |||||||||
あめゆきさん<TV> 脚本 | |||||||||
1978 | 事件 脚本 | ||||||||
危険な関係 脚本 | |||||||||
1977 | 竹山ひとり旅 監督・脚本 | ||||||||
1976 |
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1975 | ある映画監督の生涯 溝口健二の記録 監督・製作・構成 | ||||||||
昭和枯れすすき 脚本 | |||||||||
1974 | わが道 監督・脚本 | ||||||||
1973 | 心 監督・製作・脚本 | ||||||||
混血児リカ ハマぐれ子守唄 脚本 | |||||||||
混血児リカ ひとりゆくさすらい旅 脚本 | |||||||||
1972 | 讃歌 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
鉄輪 監督・製作・脚本 | |||||||||
混血児リカ 脚本 | |||||||||
軍旗はためく下に 脚本 | |||||||||
1971 | 甘い秘密 脚本 | ||||||||
激動の昭和史 沖縄決戦 脚本 | |||||||||
闇の中の魑魅魍魎 脚本 | |||||||||
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1970 | 裸の十九才 監督・脚本 | ||||||||
触角 監督・脚本 | |||||||||
1969 | かげろう 監督・脚本 | ||||||||
鬼の棲む館 脚本 | |||||||||
千羽鶴 脚本 | |||||||||
1968 | 強虫女と弱虫男 監督・脚本 | ||||||||
薮の中の黒猫 監督・脚本 | |||||||||
眠れる美女 脚本 | |||||||||
1967 | 性の起原 監督・脚本 | ||||||||
華岡青洲の妻 脚本 | |||||||||
堕落する女 脚本 | |||||||||
妻二人 脚本 | |||||||||
限りある日を愛に生きて 脚本 | |||||||||
1966 | 本能 監督・製作・脚本 | ||||||||
こころの山脈 製作 | |||||||||
酔いどれ波止場 脚本 | |||||||||
けんかえれじい 脚本 | |||||||||
続・酔いどれ博士 原作・脚本 | |||||||||
本能 脚本 | |||||||||
座頭市海を渡る 脚本 | |||||||||
酔いどれ博士 脚本 | |||||||||
1965 | 悪党 監督・脚本 | ||||||||
清作の妻 脚本 | |||||||||
鼠小僧次郎吉 脚本 | |||||||||
1964 | 鬼婆 監督・脚本・美術 | ||||||||
肉体の盛装 脚本 | |||||||||
沙羅の門 脚本 | |||||||||
卍(まんじ) 脚本 | |||||||||
駿河遊侠伝 賭場荒し 脚本 | |||||||||
傷だらけの山河 脚本 | |||||||||
1963 | 母 監督・原作・脚本・編集 | ||||||||
海軍 脚本 | |||||||||
舞妓と暗殺者 脚本 | |||||||||
嘘 脚本 | |||||||||
1962 | 人間 監督・脚本・美術 | ||||||||
しとやかな獣 原作・脚本 | |||||||||
地獄の刺客 脚本 | |||||||||
当りや大将 脚本 | |||||||||
鯨神 脚本 | |||||||||
斬る 脚本 | |||||||||
青べか物語 脚本 | |||||||||
裁かれる越前守 脚本 | |||||||||
黒蜥蜴 脚本 | |||||||||
爛 脚本 | |||||||||
家庭の事情 脚本 | |||||||||
1961 | 献身 脚本 | ||||||||
熱愛者 脚本 | |||||||||
背徳のメス 脚本 | |||||||||
雲がちぎれる時 脚本 | |||||||||
女の勲章 脚本 | |||||||||
「挑戦」より 愛と炎と 脚本 | |||||||||
松川事件 脚本 | |||||||||
1960 | 裸の島 監督・製作・脚本・美術 | ||||||||
大いなる驀進 脚本 | |||||||||
がんばれ!盤嶽 脚本 | |||||||||
女の坂 脚本 | |||||||||
路傍の石 脚本 | |||||||||
国定忠治 脚本 | |||||||||
大いなる旅路 脚本 | |||||||||
1959 | 花嫁さんは世界一 監督・脚本 | ||||||||
第五福竜丸 監督・脚本 | |||||||||
貴族の階段 脚本 | |||||||||
電話は夕方に鳴る 脚本 | |||||||||
その壁を砕け 脚本 | |||||||||
才女気質 脚本 | |||||||||
からたち日記 脚本 | |||||||||
1958 | 悲しみは女だけに 監督・原作・脚本 | ||||||||
夜の素顔 脚本 | |||||||||
裸の太陽 脚本 | |||||||||
一粒の麦 脚本 | |||||||||
不敵な男 脚本 | |||||||||
夜の鼓 脚本 | |||||||||
氷壁 脚本 | |||||||||
禁じられた唇 脚本 | |||||||||
1957 | 海の野郎ども 監督・脚本 | ||||||||
白鳥物語 脚本 | |||||||||
地上 脚本 | |||||||||
美徳のよろめき 脚本 | |||||||||
うなぎとり 脚本 | |||||||||
殺したのは誰だ 脚本 | |||||||||
ひかげの娘 脚本 | |||||||||
倖せは俺等のねがい 脚本 | |||||||||
多情仏心 脚本 | |||||||||
1956 | 女優 監督・脚本 | ||||||||
流離の岸 監督・脚本 | |||||||||
銀心中 監督・脚本 | |||||||||
四十八歳の抵抗 脚本 | |||||||||
狙われた男 脚本 | |||||||||
あやに愛しき 脚本 | |||||||||
赤穂浪士 天の巻・地の巻 脚色 | |||||||||
1955 | 狼 監督・脚本 | ||||||||
歌舞伎十八番鳴神・美女と怪龍 脚本 | |||||||||
姉妹 脚本 | |||||||||
銀座の女 脚本 | |||||||||
愛すればこそ 脚本 | |||||||||
1954 | どぶ 監督・脚本 | ||||||||
足摺岬 製作・脚本 | |||||||||
泥だらけの青春 脚本 | |||||||||
1953 | 女の一生 監督・脚本 | ||||||||
縮図 監督・脚本 | |||||||||
地の果てまで 脚本 | |||||||||
夜明け前 脚本 | |||||||||
君に捧げし命なりせば 脚本 | |||||||||
慾望 脚本 | |||||||||
村八分 脚本 | |||||||||
女ひとり大地を行く 脚本 | |||||||||
千羽鶴 脚本 | |||||||||
1952 | 原爆の子 監督・脚本 | ||||||||
雪崩 監督・脚本 | |||||||||
西陣の姉妹 脚本 | |||||||||
1951 | 愛妻物語 監督・脚本 | ||||||||
十六夜街道 脚本 | |||||||||
源氏物語 脚本 | |||||||||
舞姫 脚本 | |||||||||
上州鴉 脚本 | |||||||||
誰が私を裁くのか 脚本 | |||||||||
自由学校 脚本 | |||||||||
熱砂の白蘭 脚本 | |||||||||
阿修羅判官 脚本 | |||||||||
偽れる盛装 脚本 | |||||||||
1950 | 処女峰 脚本 | ||||||||
暁の追跡 脚本 | |||||||||
長崎の鐘 脚本 | |||||||||
戦火の果て 脚本 | |||||||||
春の潮 後篇 脚本 | |||||||||
春の潮 前篇 脚本 | |||||||||
春雪 脚本 | |||||||||
1949 | 嫉妬 脚本 | ||||||||
わが恋は燃えぬ 脚本 | |||||||||
お嬢さん乾杯! 脚本 | |||||||||
朱唇(べに)いまだ消えず 脚本 | |||||||||
森の石松 脚本 | |||||||||
真昼の円舞曲 脚本 | |||||||||
1948 | 誘惑 脚本 | ||||||||
噂の男 脚本 | |||||||||
わが生涯のかゞやける日 脚本 | |||||||||
幸福の限界 脚本 | |||||||||
四人目の淑女 脚本 | |||||||||
1947 | 仮面の街 原作・脚本 | ||||||||
結婚 脚色 | |||||||||
安城家の舞踏會 脚本 | |||||||||
1946 | 女性の勝利 脚本 | ||||||||
待ちぼうけの女 脚本 | |||||||||
1945 | |||||||||
1944 | |||||||||
1943 | |||||||||
1942 | 元禄忠臣蔵 後篇 建築監督 | ||||||||
1941 | 元禄忠臣蔵 前篇 建築監督 | ||||||||
北極光 潤色 | |||||||||
1940 | |||||||||
1939 | |||||||||
1938 | |||||||||
1937 | |||||||||
1936 | |||||||||
1935 | |||||||||
1934 | |||||||||
1933 | |||||||||
1932 | |||||||||
1931 | |||||||||
1930 | |||||||||
1929 | |||||||||
1928 | |||||||||
1927 | |||||||||
1926 | |||||||||
1925 | |||||||||
1924 | |||||||||
1923 | |||||||||
1922 | |||||||||
1921 | |||||||||
1920 | |||||||||
1919 | |||||||||
1918 | |||||||||
1917 | |||||||||
1916 | |||||||||
1915 | |||||||||
1914 | |||||||||
1913 | |||||||||
1912 | 4'22 広島で誕生 |
一枚のハガキ 2010 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010東京国際映画祭審査員特別賞 2011日本アカデミー監督賞 2011ブルーリボン監督賞 2011日本映画批評家大賞主演女優賞(大竹しのぶ) 2011キネマ旬報日本映画第1位 2011毎日映画コンクール日本映画大賞、脚本賞、撮影賞、音楽賞、録音賞 2011報知映画特別賞 2011ヨコハマ映画祭第5位 2011映画芸術ベスト第5位 |
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農民を夢見ながらこれまで一度も農村の風景を描けなかった監督が最後に至った境地は、農家の嫁をもらうという話だった。 |
ふくろう 2002 | |||||||||||||||||||||||||||
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国策によって作られ、失敗した東北の開拓村で残った一軒だけの家に住むユミエ(大竹しのぶ)とエミコ(伊藤歩)の母娘。何とか生き抜くために二人が選択した方法は、なんと家で売春宿を開き、訪れた男達を特製の毒焼酎でもてなし、殺害して金品を奪うというものだった。次々に訪れる男達(山向こうで始まったダム建設の関係者、電気屋、水道屋、県の役人に麓の警察の巡査)… 日本においては現役最長老の新藤兼人監督(この時点で91歳)により作られた、現代版“安達ヶ原鬼女伝説”。 とにかく男の浅ましさと欲望。そしてそれを逆手にとってしたたかに生きる二人の女性が徹底して描かれるので、観ていて痛々しい(私も男だから)。なまじコメディタッチなだけに、痛々しさは更に増してる。 大竹しのぶの怪演と開けっぴろげな伊藤歩の演技はどこか突き抜けて、狂気さえ感じさせられ、演技の巧さは充分すぎるほどだし、出てくる男達もみんな芸達者な者ばかりで、舞台劇風の演出は楽しめた。 ただ一方、ここまでやるだけの“貧しさ”と“切実度”の演出があまりにもお粗末だし、同じ事が延々と繰り返されるだけというのは、映画にしてはメリハリが無さ過ぎ。ラストも強引。50年前にやってれば結構面白い作品として現代にも残ったかも知れないけどね。 |
三文役者 2000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000日本アカデミー主演男優賞(竹中直人) 2000日本映画プロフェッショナル大賞第7位 2000キネマ旬報日本映画第6位 |
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戦後日本映画界で貴重なバイプレイヤーとして活躍した殿山泰司。自らを“三文役者”と称し、女と酒とミステリ小説を愛しつづけた彼のことを、みなは親しみを込めて“タイちゃん”と呼んだ。彼と1998年4月30日にその生涯を閉じた殿山泰司の俳優人生を長年の同志、新藤兼人監督が竹中直人主演で映画化した。 ちょっと悔しいのが殿山泰司と言う役者について私は殆ど知らないと言うこと。映画好きを自称している私だが、この映画を観て、本当にまだまだ甘過ぎることを痛感させられた。これからは邦画鑑賞にも力を入れていきたいな。 それにしても竹中直人は本当にこの役を怪演。この人だから出来る演技を堪能させてくれた。それと忘れてならないのがキミエ役の荻野目慶子。あそこまでするか。と言うレベル。隠せよ、おい! この映画は彼女を主人公として見ることも出来る。そうするとまさにこれは勝手な夫を内助の功で支える浪花節の世界。こう言うのに関西弁はよく似合う(ちょっと彼女の京都弁は下手だったようだけど)。 とにかく芸達者な竹中直人の怪演は一見の価値あり。パンツ一丁で街に出て嫁さんにすがりつくなんて…少なくともやりたくねえぞ。俺は。 あと、絶対に顔を見せようとしない「カントク」とか、乙羽信子との対話形式で進む物語展開とか、映画としても面白い作りをしている。 |
生きたい 1999 | |||||||||||||||||||||||||||
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妻に先立たれ、70歳になった安吉(三國連太郎)は、40歳になる嫁き遅れの長女・徳子と暮らしている。長男、次女は家を捨てたも同然で別居しており、躁鬱病の徳子だけが父の世話をしていたのだった。躁鬱症の徳子は、自分が婚期を逃したのも病気になったのも父のせいと言ってはばからなかった。 時折姨捨山の話の映像を挿入しつつ、老人の生活を淡々と描く作品。三國連太郎が老人の役を好演している。まるで地のような演技だが、その部分だけ妙にリアルなので、観ていてちょっとつらい者を感じないでもない。大竹しのぶはもはや日本を代表する女優と言っても良いな。特にこういったおばさんが入ったきつめの役が板に付いてきた。こんな不快な汚れ役を体当たり演技してくれた。ただ本当に上手いだけに観ていて本気に不快感を感じてしまったけど… 挿入される姨捨山の話は、当時の山部の民の生活風習が良く出ている。ああ言った貧しい食べ物をガツガツ食べるシーンってかなり好き(笑) 今は高齢者社会で高齢者となってもちゃんと生きてはいけるけど、それで“どう生きていくか”という点においてはあまりにも注意が払われていない。そりゃ、個人個人が好きなように生きていけばいい。と言う意見もあるだろうけど、好きに生きることが出来ない人も多い。せめて家族に囲まれて生きて生ければ良いんだけど、その肉親の情ってのも無視するのが現代だからなあ。好き勝手生きることが出来るようになったのは良いけど、その結果負担がかかるのがこういった高齢者って事になるのかもな。 …まあ、映画で言われるまでもなく、そんなことは自明なんだが。 |
午後の遺言状 1995 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995日本アカデミー作品賞、助演女優賞(乙羽信子)、監督賞(新藤兼人)、脚本賞(新藤兼人)、特別賞(新藤兼人)、編集賞(渡辺行夫) 1995ブルーリボン作品賞 1995日本映画批評家大賞作品賞 1995キネマ旬報日本映画第1位 1995毎日映画コンクール優秀賞、監督賞 1995報知映画作品賞 |
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夏、農家の主婦豊子(乙羽信子)の待つ蓼科の別荘に避暑にやってきた老女優、蓉子(杉村春子)。そこへ、昔の舞台仲間だった登美江(朝霧鏡子)が夫(観世栄夫)と一緒にやってくる。
平均年齢がとんでもなく高いキャストを用い、新藤監督が描く日常の光景。こう言った作品はかなり好き。淡々とした日常と、そこに加わる非日常性。それをヴェテランが演じる事で、味わい深い作品となっている。 ただ、これを観ていたら、変な気持ちになってきた。昔のことを思い出した。 こんな所で書くのは少々気も引けるが、大学時代、私の同級生には変なのが多かった。ゼミの教授と後で会った時、しみじみと「お前らの年代の奴らは本当に妙なのが揃っていた」と言われてしまったほど。 一晩中学校の校庭で穴を掘っていた奴。丸一日以上金も持たずにひたすら歩き回り、後で隣の県から「迎えに来て」と言ってきた奴。土砂降りの雨の中、自転車で走り回り、奇声を上げる奴。そして学校の木の枝を用い、「死」を選んだ奴(シャレにならない実話だ)。私もその一人だったりするが… 自分とは何か?と言う問いつめ方は人それぞれだが、皆、それに悩んでいたのだろう。 その中で最もシャレにならない奴がいた。私の知り合いというわけではないけど、同じ授業も受けていたはず。彼はバットを持ち、片手には包丁を括り付けて下宿の前でゲートボールをしていた人たちを襲った…全国版のニュースにもなった凄惨な事件だった。 …まさかあの事件を題材にしたんじゃなかろうな。 ここではかなりコミカルに描かれているとは言え、フラッシュバックが起こった。同時に一番嫌だった自分自身の事まで思いだしてしまった。 人とは全く違うところだろうけど、私にとってはとてつもなく“痛い”映画になってしまい、それ以降のストーリーが乗り切れなかった。いや、乗りすぎたため、酔ったのかも知れない。 こんなコメント書いて良かったんだろうか? 本作で主演の乙羽信子は既にガンに冒されており、本作の撮影終了後に死去。監督は愛妻のため、最後の花道を用意したと言われている。 |
墨東綺譚 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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絞殺 1979 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979ヴェネツィア国際映画祭イタリア映画ジャーナリスト選出女優(乙羽信子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある映画監督の生涯 溝口健二の記録 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
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日本を代表する映画監督の一人溝口健二と一緒に仕事をした39人の俳優・スタッフ・友人に、新藤兼人監督自らがインタビューして、溝口の人生を描く長編ドキュメンタリー。 数々の傑作を作り上げ、日本映画に大きな足跡を残した溝口監督だが、その姿を赤裸々に描こうとする新藤監督の姿勢がよく分かる作品で、通り一遍のインタビュー作品とは一風変わった作品に仕上げられている。これが出来るのもATG作品だからだろう。一応師匠に当たるはずなのだが、新藤監督も本当に作りたいものを作ったと言うことがよく分かる。 ただ、その気合いの入り方は時として暴走もあり。何せ聞き手であるはずの新藤監督の方が時として雄弁に語ってしまい、語り手の方を萎縮させてしまったり、時には怒らせてしまったりしてる。殊に溝口監督に反感を持つ増村保造や、公私にわたる溝口監督のベストパートナー田中絹代に対してのインタビューは、観ていて「新藤監督って無礼すぎないか?」と思わされるほど。特に田中絹代に対しては、最初から「お前ら男と女の仲だっただろう?」という前提で話しているため、田中が否定しようがやんわりとかわそうとしようがお構いなくずけずけとたたみ込んでいく姿勢は凄まじいほど(監督曰く、それで田中絹代のガードを崩せたとのこと)。 本音を引き出すという意味では凄いけど、溝口監督そのものではなく、新藤監督から見た溝口健二という一個人を突きつけられた感じである。 新藤監督の姿勢には頭が下がるとはいえ、映画監督は映画監督で良いんじゃないか?という思いも確かにあり。それを一個人として剥ぎ取るってのはどうだろ?多少の気持ち悪さも覚えてしまった。 |
心 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鬼婆 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1964ブルーリボン助演女優賞(吉村実子)、撮影賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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怪談話に被爆者の描写を加えることで社会風刺的な意味合いをも持たせている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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裸の島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960キネマ旬報日本映画第6位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内海にある孤島に一組の夫婦と二人の子どもが住んでいた。電気・ガス・水道もないこの島で農業を営むが、毎日毎日朝から晩まで黙々と働かねばならなかった。日々変化の少ないこの島にも、いくつかのドラマがあった。夫婦の息子が大きな鯛を釣り上げ、それを売って広島まで出かけて外食や買い物をしたり。そんな日々の中、息子が突然高熱を出してしまう。 脚本家として既に有名になっていた新藤兼人だが、これまでに監督としても既に何本かの作品を撮っていた。それらの作品に共通するのは、非常に挑戦的な作風で、特に反権力および時事問題に対しての強い問題意識が見られるものだった。社会派と呼ばれる映画監督は多かったが、その中でも相当過激な作風である。ただ、過激すぎたこともあってか、なかなか映画館にもかからず、興行的には失敗続きだった。監督が作った近代映画協会も倒産ギリギリの状態。 そんな新藤監督が世界的に認められた最初の作品が本作だった。これまでのような社会派バリバリの話ではなく、一つの貧困家庭に焦点を当てた落ち着いた話を作り上げた。更に本作は1961年のモスクワ国際映画祭でグランプリを取ったことから、新藤は監督を続けられることになった。仮に本作がここまでヒットしなかったら新藤監督は監督として作品を作り続けることが出来なかったかもしれないのだから、それだけでも本作は重要な作品と言える。 本作は日本映画界にいくつもの功績を残した作品でもある。 まずこの作品はこれまでの常識を越えた最低予算で作り上げられたということ。これによって以降の自主製作映画に道行きを開いた。これまでのように映画館ではなく、様々な場所で上映され、ホール上映のスタイルの始まりとなったことも大きい。 次に自主製作だからこそ、実験的な作品が作ることが出来るし、それが国際的にも評価されることが分かったことで、映画そのものの可能性も広がった。本作の特徴として、台詞を一切排した無言劇でも映画が作れる事を示したのもある。以降多くの監督達によっていくつもの失敗作はあったものの、実験的作品が多数作られることで日本映画は発展してきた。 そして何より新藤兼人が監督を続けられたということが一番の功績となるだろう。彼の作品なしに今の日本映画はあり得ないのだから。 実際作品として考えるならば、台詞やナレーションを排したために本作は決して親切な作品ではない。観ている側が意味を読み取らないといけないし、時としては何が起こっているのかも分からないくらいだ。しかしその「考える」作業がとても楽しい作品でもある。集中して画面を観て、自分なりに解釈する楽しみがあって、映画を観ている面白さを存分に味わえる。逆に言えば、本作は片手間で観て良い作品ではない。相当な集中が必要である。そして集中するからこそ、主人公の感情に気持ちが寄り添い、本当に悲しみを覚えたりもした。観てるだけで結構疲れるが、それに見合うだけの感動も覚える。映画でこんなにリアルな感情共有が出来るのは珍しい。 本作の主役は新藤監督の盟友で数多くの映画に出演している殿山泰司だが、実は主役がほとんど無く、本作は間違いなく殿山にとっての代表作となった。ほぼ会話がないため、表情だけで全てを語る演技も見事…と言っても基本的に感情をそぎ落としたような無表情ばかりだが、その無表情をじっくり観ることが本作の醍醐味なのだ。 調べてみたところ、監督は、ラストシーンに「しかし彼らは生きて行く」とタイトルを入れようと提案したが、それを止めたのは試写を観た岡本太郎だったそうだ。そうすると詩情が単なるリアリズムになってしまうからというのが理由だったらしい。 |
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第五福竜丸 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1959キネマ旬報日本映画第8位 1959毎日映画コンクール音楽賞 |
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1954年3月1日に起きた第五福竜丸事件を元にする | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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どぶ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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原爆の子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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新藤兼人と吉村吉三郎による近代映画協会の第一回作品。企画をどのメジャー会社も受け入れなかったため、完全自主製作 この年、日本が独立を回復したことで初めて製作が可能となる 大映スターとして育成中だった乙羽信子がその立場をなげうって参加した。 世界で初めて原爆の恐怖と放射能の害を訴えた作品となる。 |
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