キングコング |
1933年 メリアン・C・クーパー(監) |
独自の画風で知られ、極地での撮影を得意とする映画監督のデナムは、危険を顧みずに伝説の生物を撮影するため、地図にも載っていない南海の孤島髑髏島に向かう。だが、彼の見つけだした映画のヒロイン役のアン(レイ)は島の先住民に誘拐されてしまう。彼女を救出するため、船員達と彼女の恋人ドリスコルは島の奥地へと向かうが、そこは恐竜と怪物コングが生息する前史の世界だった。その中でドリスコルはなんとかアンを取り戻し、更に追ってきたコングはデナムのガス弾で仕留められる。やがてニューヨークに連れてこられ、見世物にされるコング。彼の怒りが爆発するとき… 特撮、殊に怪獣映画が好きだというなら避けて通ることの出来ない、怪獣映画最初にして最高傑作(円谷英二がこの作品にリスペクトした形で『ゴジラ』(1954)を創り上げたのは有名な話)。コマ撮りアニメーションの合成により、見事にコングの巨大さ、緊張感、そしてコングと人間の哀しみを描ききった所にこの映画の凄さがある。通常B級とされる題材を名作にまで引き上げた重要な映画の転換点でもある。 監督及びプロデューサーであるクーパーの元々の構想は本物のトカゲを使っての恐竜映画を考えていたそうだが、『ロストワールド』(1925)のストップモーション技術を見て、急遽予定を変更したそうな。お陰で物語中盤にいたり、多量の恐竜を出すことが可能となった。いわば二つの映画が合体して作られた映画と言える。お陰で中だるみなしに見事なアクションを展開させることが可能となった。 怪獣ものの映画を観るに際し、私は怪獣は単なる暴れ者ではなく、何かしらそれ以外に引きずっているものが欲しいと思っている。むしろ私が怪獣映画を観る際は、その引きずっているものを中心に見ようとしている。 しかるに、この作品は当初単なる暴れ者にしか見えなかったコングが髑髏島では人間の女性のために戦うし、ニューヨークでのあの暴れっぷりは、あれ程の破壊をしつつももの哀しささえ覚える、と言った付加価値を非常に強く引きずっている。ラスト、飛行機の機銃掃射で瀕死となったコングが、アンを離し、愛おしむよう手をかざすところは本物の名場面だ。 結局彼は人間のエゴによる被害者でもあった。その中で唯一縋れるものとして、髑髏島での花嫁、アンを求め、彼女の身を気遣いつつエンパイア・ステートビルから落下していく。このコングの姿の描写は、実に素晴らしい。彼は彼の常識でしか生きることが出来ず、それを矯正しようとした人間のエゴによって死んでいったのだ。凶暴さと哀しさとの両立。だからこそ、コングは輝きを失わないのだろう(実生活でもこんな人間って結構いるよね?)。どう考えてもサイズの合わない女性を守ろうとするなんて、泣かせる演出じゃないか。 この映画のもう一人の主人公であるアン役のレイは、映画史初のSQ(スクリーミング・クイーン)として有名であるが、ラストに呟かれる「美女が野獣を殺した」という台詞によって、実は彼女はヒロインではなく、本当に物語の中心であったのだ。と思わせる演出は見事と言うしかない。 尚、この作品であまりにも有名になってしまったためキング・コング(King-Kong)のコングとは「猿」若しくは「ゴリラ」を表す英語だと思っていたのだが(私だけ?)、実は造語。意外なことに語源は“金剛(Kinkong)”なのだそうだ。 又、重要な点として本作の音楽の素晴らしさも挙げておくべきだろう。本作のスコアはマックス=スタイナーによるもので、100分の上映時価の内、なんと75分のオリジナル曲を用意したとか。映画館の臨場感のなかで観たら、どれほど感動できたか…痛切にそれ、やってみたいと思う。 この映画に関しては、公開当時は“残酷だ”との理由でいくつかのシーンがカットされていた。コングが花嫁となったアンの服をあのぶっとい指で剥ぎ取るシーンと、コングが人間を襲うシーンの一部(現地人を踏みつぶし、噛みつぶすシーン)は1971年になって残っていたフィルムを補完して復元された。ただし、唯一、丸太から振り落とされた男たちがクモガニ(クモとカニを足した姿の生物)に襲われるシーンだけはフィルムが残っておらず、カットされたままらしい。半ば伝説となったそのシーン、観てみたいものだ。 オブライエンは生涯にわたり、この作品を愛し続け、生涯最後の企画として『キング・コング対フランケンシュタイン』を企画するのだが、その実現を見ることなく、彼は他界する…その企画は紆余曲折を経、東宝の手に入り、本多猪四郎監督による『フランケンシュタイン対地底怪獣』が出来上がった。 |
アン | → | エンパイア・ステート・ビル、キング・コング、美女が野獣を殺した | ||
【あん】 | ||||
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エンパイア・ステート・ビル | → | アン、キング・コング | ||
【えんぱいあ-すてーと-びる】 | ||||
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キング・コング | → | アン、エンパイア・ステート・ビル、髑髏島、美女が野獣を殺した
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【きんぐ-こんぐ】 | ||||||
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クモガニ | → | キング・コング | ||
【くも-がに】 | ||||
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デナム | → | アン、キング・コング、髑髏島 | ||
【でなむ】 | ||||
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髑髏島 | → | キング・コング、クモガニ | ||
【どくろ-じま】 | ||||
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美女が野獣を殺した | → | アン、キング・コング、 | ||
【びじょ-が-やじゅう-を-ころした】 | ||||
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2005年 ピーター・ジャクソン(監) |
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1933年。映画監督のカール=デナム(ブラック)は手にした地図を手がかりに、世界最後の秘境髑髏島で映画を撮影しようと思い立つ。半ば騙して連れてきた脚本家のジャック=ドリスコル(ブロディ)と主演女優のアン=ダロウ(ワッツ)と共に船に乗り込む。しかし、到着した髑髏島は、彼らの予想を超えた所だった。そしてその王者たるキング・コングが現れる… 特撮好きな人間というのは、自然と業が深くなる。どんなものでも道を突き詰めていこうとするなら、自然詳しくなるし、様々なものを知っていくことになるが、何せ特撮というと、マイナーなイメージがつきまとうし、ものがそうそう手に入らないため、目を皿のようにして映像を観るようになり、本当に細かい部分を観てしまうようになる。 そんな特撮ファンの中で、これだけは絶対高評価を得られる。と言う作品を挙げるなら、多分突き詰めると二作だけになってしまうだろう。日本における『ゴジラ』(1954)と、海外物なら『キング・コング』(1933)の二作。 そのどちらも特撮を超えて一般名詞になっているほどの知名度を誇るが、どれだけそれらが愛されているかとも言える。 私自身だってキング・コング好きか?と言われれば、ためらうことなく「大好き」と言い切ってしまえるが、やはり世の中にはとんでもない人間がいるもんだ。 今回のリメイクに当たって、この監督だったらやってくれる。という思いと、1976年版『キング・コング』の酷さを経験しているだけに、ちょっと引いている自分もいたのだが… なんとも、こいつは凄い。 ここまでコングを愛してる人間がいたとは。 コングへの愛情ってやつを判定してやるつもりで観に行ったら、私の想像を遙かに超えていて圧倒されてしまうほどだった。 確かに『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』で、明らかにこれは『キング・コング』だ。と言うシーンが何カ所かあったのはあったんだが、本当に作ってみたら、もうその愛情がひしひしと… 特にコングが出てきた辺りから、「俺はコングが好きなんだ〜〜〜〜」と叫ぶ監督の主張がビンビンに伝わってくる。コングの動きや表情の付け方から立ち居振る舞いまで、きちんとコントロールして、凶暴ながら親しみの持てるキャラクタに仕上げてる。 中盤のアクションシーンもこなれてる。CGが用いられるのは当たり前とはいえ、このところの映画でのCGの使われ方は極めて画一的で食傷気味。しかし、そんなことを考えさせないほどの怒濤の展開に圧倒されっぱなしだった。そうだよ。観客に考えさせるようなCGの使い方をさせてはいけない。ここでは観客を飲み込んでしまうほどの大風呂敷を広げることが重要なんだ。それとさりげないパクリ方も堂に入ってる。実際本作はオリジナルの『キング・コング』だけじゃなく、実に様々な映画を上手い具合に取り入れてる。髑髏島の設定なんかはむしろ『ロストワールド』(1925)だし、勿論恐竜が襲ってくるシーンでは『ジュラシック・パーク』(1993)らしい撮り方をしてる。それにどうもこの髑髏島での原住民の態度なんかは『大怪獣バラン』そのものなんだよな。監督、これ観てたんじゃないの?NYでの市電を覗くシーンなんかは『ゴジラ』のようにも思えるし。その辺センス良くまとめられてるので、パクリとは思わないけど。そうそう、勿論オリジナルではカットされてしまったクモガニも元気に登場(笑)。 キャラも良いチョイスの仕方してる。アン役のワッツは『ザ・リング』での絶叫が記憶に新しいが、本作でも叫ぶ叫ぶ。お陰で私の中では現代のスクリーミング・クイーンは彼女に決まってしまった。脇にブロディなど、さりげなく有名役者ばかりを配しているのも良いんだが、やはり一番はブラック演じるデナムだろう。オリジナルのデナムも強烈なキャラだったのだが、ここでは破滅型のキャラをうまく作り上げていた。劇中説明されていたように、彼は愛するものを破壊せずにはいられない。彼にとって愛すべき対象は、自分の目に触れることなく無くなっていくことに耐えられないのだ。ある意味繊細すぎるほど繊細な性格を怒鳴り声でカバーしているという人間だ。彼にとって、自分の作るべき映画は、全て自分自身で管理しなくては気が済まない。髑髏島でのフィルムが感光してしまった事を知った時に見せる表情にはぞくっとするものを感じさせる。自分のものが自分のものでなくなった瞬間、彼は絶望するが、次の瞬間にはもう新しい“自分のもの”を作り出す。それは神秘のままにいさせるべき存在のコングであり、神秘を人間世界に引きずり下ろしてしまうことが彼の目的となった。彼の中にあったのは決して功名心や金だけではなかっただろう。そうして彼は自分の大切なものを自らの手で引きずり下ろす。それが彼の生き方だったのだ。結局彼はそうして絶望と共に生きる生き方しか選択できないのだ。ここまでのキャラを創造できた時点で、本作の魅力は一挙に増した。 対して設定なのだが…これに関しては実はあまり褒められないものを含んでいる。 ジャクソン監督の「俺はコングが好きなんだ!」という主張は、結局彼だけのコングを作ってしまった。本作のタイトルは『King Kong』では駄目。『Peter Jackson's King Kong』でなければならない。 彼のコングに対する思いは、コング自身の存在意義を変えてしまった。 オリジナル版のコングとは、あくまで神秘にとどまる。言ってしまえばオリジナル版コングはゴジラ同様破壊神のような存在だったのだ。人間的思いなど全く通用せず、コングは自分の意志だけで行動する。コングにとってアンは単なる牝であったわけだし、アン自身もコングと心を交流させようとはしてない。圧倒的な力を前にして、彼女自身がコングを忌むべき存在と見ているばかり。それをジャクソン監督は人間的存在へと引きずり下ろしてしまった。最後にニューヨークでアンと心を交流させるような真似はさせて欲しくなかった。これこそ、ジャクソン監督が夢見る“コングのあるべき姿”だったのかも知れないが、はっきり言ってそこは観てる方は引いてしまった(とは言え自然愛護の観点からコングを“可哀想な存在”として貶めてしまった1976年版『キング・コング』と較べれば遥かに良いんだけど)。 それと、コングは銃弾などで倒れてはならない!そう。コングはエンパイア・ステートビルのてっぺんに立ち、アンを握りしめながら雄叫びを上げて、アンを足下に下ろした後、ゆっくりと自分から落ちていく存在であって欲しかった。人間の作り出したもので彼は殺されるのではない。これ以上生きることは出来ないことを自らの手で決定して欲しかったのだ。そして最後に助かったアンが、コングの気持ちってものを自分なりに気づくような演出にすれば… 私にとってのコングとは、圧倒的な存在であり、人間に斟酌するような存在であって欲しくなかった。人間の心など全く無視。自分のやりたいことだけするような、そんなコングを求めていたのが、全く別物を見せられてしまったという思いが強い。 …とは言え、映画そのものは本当に素晴らしいものであり、たとえこれを除いたとしても、最高点以外をくれる気は全くない。 とにかく、満足できる良いものを観させてもらった。 |
アロサウルス | → | |||
【あろさうるす】 | ||||
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アン | → | |||
【あん】 | ||||
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イングルホーン | → | 冒険号 | ||
【いんぐるほーん】 | ||||
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カール | → | |||
【かーる】 | ||||
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キング・コング | → |
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【きんぐ-こんぐ】 | ||||||
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クモガニ | → | |||
【くも-がに】 | ||||
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ジミー | → | 冒険号 | ||
【じみー】 | ||||
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ジャック | → | |||
【じゃっく】 | ||||
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髑髏島 | → | |||
【どくろ-じま】 | ||||
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プレストン | → | カール | ||
【ぷれすとん】 | ||||
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ヘイズ | → | ジミー、冒険号 | ||
【へいず】 | ||||
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冒険号 | → | イングルホーン | ||
【ぼうけん-ごう】 | ||||
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ランピー | → | |||
【らんぴー】 | ||||
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2017年 ジョーダン・ヴォート=ロバーツ |
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イーウィス族 | → | |||
【いーうぃす-ぞく】 | ||||
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ウィリアム | → | |||
【うぃりあむ】 | ||||
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キングコング | → |
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【きんぐ-こんぐ】 | ||||||
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グレイ・フォックス | → | |||
【ぐれい-ふぉっくす】 | ||||
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グンペイ | → | |||
【ぐんぺい】 | ||||
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サン・リン | → | |||
【さん-りん】 | ||||
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ジェームズ | → | |||
【じぇーむず】 | ||||
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ジャック | → | |||
【じゃっく】 | ||||
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スカル・クローラー | → |
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【すかる-くろーらー】 | ||||||
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Die, motherfucker | → | |||
【だい-まざーふぁっかー】 | ||||
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髑髏島 | → | |||
【どくろ-じま】 | ||||
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ハンク | → | |||
【はんく】 | ||||
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ヒューストン | → | |||
【ひゅーすとん】 | ||||
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プレストン | → | |||
【ぷれすとん】 | ||||
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メイソン | → | |||
【めいそん】 | ||||
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モナーク | → | |||
【もなーく】 | ||||
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ランドサット | → | |||
【らんどさっと】 | ||||
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名称 | → | |||
【】 | ||||
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