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1955年 本田猪四郎(監) |
日本アルプスの冬山登山に挑んだK大山岳部だが、遭難者を出してしまう。その捜索のために再び日本アルプスを訪れた飯島高志(宝田明)や武野道子(河内桃子)らだが、その山には雪男がいると言う伝説があり、その捜索のため動物ブローカーの大場という男が彼らの前に立ちふさがる… 香山滋の原作を元に、東宝が『ゴジラ』の後継として満を持して発表した作品。ただ、本作は色々と横やりが入ってしまった作品としても知られている。端的に言えば、部落差別問題を前面に出した作りによって、人権問題に発展してしまったからと言われている。それで今に至るもソフト化は実現されていない。 実はあるルートでビデオが流れているという話は聞いたことがあるのだが、残念ながらそれを観ることは出来ず、残念な思いをしていたが、たまたま名画座で応永さている事を知り、何はともあれ行かねば!と言うことで拝見。 なるほどこれがビデオ発売が無理ってのはよく分かった。実際この山奥の部落に住む人達は身体障害者が多く、骨格に異常がある住人がかなり画面に出てくるのは確か。わざわざここまで描く必要があったのか?と疑問を持つような描写だった(原作にも多少その描写はあったものの、ここまで描く必要性には疑問)。 しかし、物語はそれが決してメインではなく、人間によって化け物とされている存在が、実は人間以上に親子の情愛を持っているという話で、後年『大巨獣ガッパ』(1967)で使われた設定を先取りしたような内容となっている。更に『大怪獣バラン』もここから発展したんだろうと思わせてくれる。 ただ、設定がこなれているとは決して言えず、更に特撮以外の演出が、当時の映画水準に較べても明らかに落ちているのがなんとも。あの本田猪四郎が『ゴジラ』の後にこれを撮ったというのが残念だな。 滅多に観ることが出来ない作品。というフィルターがあってようやく水準という感じだろうかな?色々な意味で食い足り無さを感じてしまう。 |
飯島高志 | ||||
【いいじま-たかし】 | ||||
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大場 | ||||
【おおば】 | ||||
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武野信介 | ||||
【たけの-しんすけ】 | ||||
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武野道子 | ||||
【たけの-みちこ】 | ||||
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チカ | ||||
【ちか】 | ||||
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雪男 | ||||
【ゆきおとこ】 | ||||
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名称 | ||||
【】 | ||||
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空の大怪獣ラドン | 1956年 本田猪四郎(監) 佐原健二、白川由美、平田昭彦、田島義文、松尾文人 |
阿蘇山の炭坑で、殺人事件が発生する。事件を調査する会社の調査課河村(佐原健二)は、それが人間によるものではない事を知り、坑道の奥に巨大ヤゴ、メガヌロンを発見する。だが、落盤が起こり、彼はその怪物を餌としてついばむ巨大な怪鳥の姿を目撃する。それはプテラノドンが水爆を受けて巨大化した怪鳥だった。ラドンと名付けられたこの怪獣の音速を超える飛翔速度はソニックブームを起こし、街はまたたくまに壊滅していく… 長い事観るつもりはあったのだが、今頃になってようやくレンタルで観ることが出来た。 先ず言っておく。これは良い作品だ。 どうしても怪獣映画だと『ゴジラ』(1954)が一番最初に出るが、この当時の東宝怪獣作品は、次々に投入する怪獣映画に明確な方向性を持たせている事が本当によく分かる。 ゴジラがまさしく圧倒的な天災というテーマを前面に出していたように、本作もやはりきちんとしたテーマが感じられる。 本作の魅力をつれづれなるままに書いていこう。 1.サスペンス仕立てである事:最初に坑員の喧嘩があった後、喧嘩した当人が殺されるシーンが出てくる。死体を見せるというのは東宝怪獣映画では珍しい事なのだが、それが特殊な感じを受けさせる。そして犯人は誰だ。と言う具合に持っていき、調査隊が水に引き込まれたりして、恐怖を演出する。そして出てくる怪獣!ホラー映画では定番の演出だが、この時代はまだ明確にホラー映画というジャンルは確立されていなかった事もあり、卓越した演出方法だった。 2.順を追って事態を大きくしていく事:殺人事件→メガヌロンの登場。これにより、個人的怨嗟から事態は炭坑そのものへと拡大する。→落盤。人間に対し圧倒的な力を持つメガヌロンを封じ込めたのは人間の手によるものではなく、自然現象だった。だが、これで事態は更に大きく、阿蘇山そのものを巻き込んでいく。→謎の飛行物体登場。ここで舞台は日本の空へ。→外電を登場させる事により、世界的規模に拡大させる。更に河村の証言により、人間に退治する事が出来なかったメガヌロンは実はラドンの餌に過ぎないという事が分かり、ラドンの強さの演出も忘れてない。 3.ラドンは飛べるという事:あまりに高速で飛行するため、最初は確認出来ないほどだが、これによってゴジラには無かったスピード感を演出する事が出来た。ラドンを負う戦闘機が橋の下をくぐると言う、特撮技術としては最高の演出も為されている事にも注目。博多に現れ破壊の限りを尽くす描写は東宝特撮陣の名人芸。吹き飛ぶ看板や屋根瓦(個人的に古いカルピスのマークが好きなので、それが出たのは嬉しい)の描写には感嘆の声を上げてしまった。 4.ラドンは科学的に解明され、人間の手で退治された事:これにはやや残念なところもあるけど、圧倒的な火器力の前に、苦悶のまま息絶えていこうとするラドンの哀れさの演出は見事だった(最後に落ちるラドンの演出は過熱したピアノ線が切れた事による偶然の演出と言われている) 私が思いつくだけでこれだけあるけど、何より私が評価したいのは、この映画は「見えない」という点を非常に強調しているという事。最初にまず殺人者が消えてしまう。一体どのような方法で喧嘩相手を殺し、どこに消えたか。と言うのが最初の物語の意味となる。その後、水に引き込まれてしまう調査隊は、水の中にいるメガヌロンが見えないからこそ、あの演出ができる。そして何より、ラドンは登場していて、画面上に存在しているというのに、見えない。あまりに飛翔速度が速すぎるのだ。 メガヌロンであれ、ラドンであれ、登場人物達の目の前にいるのだ。それなのに全く別な方法で「見えない」事を演出している。恐怖映画の演出で一番大切なのはそこだ!そして怪獣を恐ろしく見せる方法としても有効な方法であった事をこの映画はしっかり示してくれた。 ゴジラは、人にその姿を見せ付ける事で圧倒的存在感を演出していたが、ラドンは全くベクトルが逆。ラドンは人に姿を見せないからこそ、存在感を演出出来たのだ。 前半から中盤にかけての演出は本当に素晴らしかった。 ここまで褒めまくっているけど、一つだけ残念な点があった。 惜しむらくは、ラドンは二体いた!と言う事をもう少し強くアピール出来ていれば。二体目がいたという意外性とか、その存在意義をもう少し強く演出する方法はいくつもあっただろうに。それが出来ていれば、本当に最高の作品と言えたのだが。 |
柏木久一郎 | ||||
【かしわぎ-きゅういちろう】 | ||||
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川村繁 | ||||
【かわむら-しげる】 | ||||
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メガヌロン | ||||
【めがぬろん】 | ||||
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ラドン | → | 東宝大怪獣シリーズ ラドン 1964版 | ||
【らどん】 | ||||
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大怪獣バラン |
1958年 本田猪四郎(監) 野村浩三、園田あゆみ、松尾文人、千田是也 |
東北の山奥に婆羅陀魏山神という神をまつる村があった。植生調査に訪れた調査隊はそこで生ける神・バラダキに遭遇し、消息を絶つ。調査員新庄の妹で新聞記者の由利子(園田あゆみ)は生物学者の魚崎(野村浩三)と共に村を訪れ、そこでバラダキ、実は中生代の恐竜・バランと遭遇する。急遽出動した自衛隊の攻撃を逃れ、バランは空へと舞い上がる。やがて姿を現したバランは、浦賀水道から東京上陸を狙う。機関砲さえ跳ね返すバランに対し、自衛隊はダイナマイトの20倍もの威力を誇る特殊火薬をもって対抗するが… 東宝が造り出したゴジラ、アンギラス、ラドンに続いての4体目の(実はその間に『獣人雪男』があるが)怪獣、バランを主題に取った作品。元々は本作はアメリカのTV映画として作られた作品だけに、原タイトルは『東洋の怪物・大怪獣バラン』 となっていた(ちなみにその企画はボツとなり純国産の劇場用作品として公開された経緯がある)。 怪獣ものとしての本作は地味な存在として見られることが多いが、このバランという怪獣はいくつかエポック・メイキングな部分も持つ。一つはここで初めて怪獣を“神”となし、祈る姿が描かれたこと。後々東宝特撮で多用される暗黒舞踏のルーツはここだろう。 そしてもう一つ。怪獣を完全に闇の存在として描いたこと。 今まではゴジラであれ、ラドンであれ、その存在は“災厄”を表していたのに対し、ここでは東北のまだ文明が行き届いていない小さな村で祀られていた荒ぶる神だった。これは劇中で「迷信だ」と一言で断定され、現れると、今度はあっという間に恐竜にされてしまう。闇は科学の光によって照らされねばならない。それによって謎は明らかにされねばならない。と言う意思がそこにはあるように思える。だが、実はそれこそが以降の怪獣映画を呪縛し続ける結果となる。 怪獣はあくまでネガティブな存在であり、ポジティブな存在(つまり人間側の勝手な理屈)により、消されねばならない存在となってしまった。 実際、本作では湖の中に封じ込め続けていればさほどの問題が無かったのを、科学の力で消し去らねばならないと考えた人間側の理屈でバランは勝手に目を覚まさせられ、自分の身を守ろうとして逃げると、執拗に追いかけてその存在を抹消しようとする。考えてみればこれ程勝手な事もあるまいに。以降、その考えは完全に浸透したようで、闇から生まれ出る怪獣は悪であり、それは殺さねばならない。と言う感じで話は固定化されてしまったような気がする。 それが時代の流れだったんだ。 重要なキー・ポイントとなった作品なのだが、やっぱり地味なんだよな。まあ、実際こういう思いを持たせたのは前半部分だけで、後半はひたすらバランに向けて爆発が起こるだけの単調な展開になってたし。存在感もゴジラと較べるとあまりにも薄い。今だったらエコロジーの観点から全く違った存在として描かれることも可能だろうが、やっぱり地味すぎて本作そのもののリメイクは望めそうもない(『大巨獣ガッパ』(1967)でやったと言えなくもないか)。 ちなみにこのバラン、金子修介によってアンギラス、バラゴンと共に復活させられる予定だった。その為の造形まで作られていたのに、東宝サイドでボツを出し、結果バランとアンギラスはモスラとキングギドラとなり、『大怪獣総攻撃』(2001)が作られることになった。ちょっと勿体なかったな。日の目の当たらないこのバランも目立てたものを… |
魚崎健二 | ||||
【うおざき-けんじ】 | ||||
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新庄由利子 | ||||
【しんじょう-ゆりこ】 | ||||
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杉本 | ||||
【すぎもと】 | ||||
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特殊火薬 | ||||
【とくしゅ-かやく】 | ||||
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婆羅陀魏山神 | ||||
【ばらだき-やまがみ】 | ||||
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バラン | 東宝大怪獣シリーズ バラン (1958版) | |||
【ばらん】 | ||||
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妖星ゴラス |
1962年 本田猪四郎(監) 池部良、上原謙、志村喬、坂下文夫、白川由美、水野久美、 |
1980年。初の土星探検宇宙船隼号が火星軌道を通過した時、地球から新しい星を調査するように指令が下った。ゴラスと名付けられたこの星は地球の6000倍という超質量を持ち、隼号は重力以上により遭難してしまう。ゴラスの軌道をどうしても変えることが出来ないことが分かった国連は、日本の科学者田沢(池部良)の提案で、地球そのものに推進装置を付け移動させるという「南極計画」を実行に移すのだった。 隕石が地球にやってきて、それをどう回避するか。これは近年になって『アルマゲドン』(1998)やら『ディープ・インパクト』(1998)と言うハリウッド作品になって登場したのだが、なんとその30年以上も前に日本が更に荒唐無稽(良い意味で)かつ素敵な作品として作っていた! 何せ地球そのものを動かしてしまおうという逆転の発想が凄い。まともだったら到底考え付きそうもない内容だ。まずその豪毅さを買いたい。 更に考えさせられるのは、日本の特撮と海外の特撮の姿勢の違いだった。日本のモンスター特撮映画の場合、表題の怪物が主人公となり、ハリウッド作品だと、それに対抗する人間が主人公となるから。事実『アルマゲドン』であれ、『ディープ・インパクト』であれ、隕石は人間の手で排除されるためだけに存在する。そう、これは脅威の排除であって、そこに敬意というものは存在しなかった。一方、本作においては、ゴラスは圧倒的な力を持ち、脅威であるが、その一方、ゴラスは単なる天災ではなく、そのものにまるで人格を持たせるかのように敬意を持って遇せられている。なんだかんだ言っても、しっかり本作は怪獣映画の定式に則ってる。 ただ、他の怪獣映画とゴラスは大きな違いがある。 ゴラスは地球にやってこなかったのだ。言うなれば、ゴジラ(1954)の目撃情報はあって、その脅威は知られていても、実際東京にはやってこなかった。と言うパターンと言っても良い。 これがどういう事かと言えば、本来主人公であるはずの怪獣がいなくなってしまったため、主人公は人間の側に持っていくことになる。極端な脅威に対し、人が出来ること。それはヒーローの存在ではなかった。ここに登場する人間全てが力を合わせることで、力を見せるのだ。ここに登場する人間全てが主人公となっている。無茶苦茶な設定を言う前に、怪獣の定式に則っていながら完全に人間側に主人公を持ってきたという点こそが本作の醍醐味なのでは無かろうか? 全員が主人公なのだから、南極計画で働く一人一人であれ、ゴラスを肴にくだを巻く酒飲みだって、やっぱりれっきとした主人公なんだよ(あれ?この客、天本英世じゃないか)。それがなんと言っても嬉しいところだ。 それに何より、この作品の面白さとは、通常のSFパニック映画に見られるような、逃げまどう人間とか、人間の無力さとかとは無縁だと言うこと。ここの登場人物は皆、無茶苦茶やる気を出してるし、それがどれだけ無茶苦茶であっても、一つの目標に向かってみんな一生懸命頑張ってる姿が泣かせるじゃないか。 …まあ、確かにストーリー的にはいくつも難があるし、特に後半のマグマは意味があるのやら無かったのやら分からない部分があったし、設定的に言っても無理はあるので、やや点数は落とさせてもらうけど、それでもこの圧倒的なドラマには素直に拍手を送りたい。 勿論これも忘れてはいけない。主題歌「おいら宇宙のパイロット」はつい口ずさみたくなる名曲。 正直、『アルマゲドン』のスペースシャトルのクルーになるのは願い下げだが、南極計画で働く人間にはなりたいと思う。本当にやりがいがありそうだ(そりゃ、あんな頭まで筋肉で出来てそうなくせに計画性無しの行き当たりばったりより、ちゃんと計画が明示されていて、自分がなにをやろうとしているのか、自分の使命がはっきりしているほうがはるかにやりがいがある)。 |
鳳号 | → | ゴラス | ||
【おおとり-ごう】 | ||||
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ゴラス | → | 南極計画 | ||
【ごらす】 | ||||
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田沢博士 | → | ゴラス、南極計画 | ||
【たざわ-はかせ】 | ||||
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南極計画 | → | ゴラス、田沢博士 | ||
【なんきょく-けいかく】 | ||||
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野村滝子 | → | |||
【のむら-たきこ】 | ||||
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隼号 | → | ゴラス | ||
【はやぶさ-ごう】 | ||||
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マグマ | → | ゴラス、南極計画 | ||
【まぐま】 | ||||
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1万2千年前太平洋にに没したとされるムウ大陸。だがムウ人達は地熱を用いた文明を海底に築き上げていた。守護竜マンダを擁し、優れた科学力を持つムウ帝国人は地上を支配すべく宣戦布告をすると同時に、海底軍艦の解体を迫るのだった。地上の誰一人知ることのないその秘密海底軍艦は実は日本海軍が秘密裏に、戦局打開の為に神宮寺大佐(田崎潤)の指揮の下で建造させていた天や海を駆ける超兵器だったのだ。その存在を知る元海軍少将・楠見(上原謙)は世界のために海底軍艦「轟天」を起動すべく神宮寺のもとへ向かうのだが… 監督本多猪四郎、特技監督円谷英二の黄金コンビが放つ海洋冒険大作。 元々東宝は優れた特撮技術を用い、映画界においては特撮映画の雄となっていたが、東宝の目指す傾向は二系統に分かれていた。一つが『ゴジラ』(1954)を初めとする怪獣もので、もう一つは太平洋戦争を題材にした戦記物である。戦前から国策映画として戦争映画を作っていただけに、東宝の作り上げた戦記映画はかなりの数に上り、特に円谷が特技監督をした『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)の出来映えはフィルムを接収した連合国から「本物ではないか?」と言われるほどの逸話を持つ。戦争が終わり、円谷は精力的に怪獣作品と戦記作品を並行して作っていった。 そしてその二系統の特撮技術が一つに結びついたのがこの『海底軍艦』だと言って良いだろう。20年前の敗戦の痛手からようやく立ち直り、奇跡の復興を見せた日本と、それに目を瞑り、あくまで国のためを想い、20年という時間を用い轟天号を作り上げる旧日本海軍の軍人達。既に国際社会の一員として自らを位置づけているかつての上官楠見に対し、あくまで日本のためだけに轟天号を使うことを願う神宮寺。劇中盤の緊張感はここからもたらされていて、見事な描写となっている。戦後20年という時間の流れがここには感じられるのが実に良い。 楠見はそんな神宮寺を見て、うらやましさを感じていたのではないだろうか。価値観の多様さを顧慮せず、一つの目的に対し、ひたすら全精力を使い続ける生き方に。だが、一方では神宮寺の娘マコトはそんな事は知らぬ。20年ぶりに再会した父親を単なる分からず屋としてしか見ていない。そして結果的に、正しいのはマコトの立場にある。時は確実に流れていったというわけだ。色々考えさせられるタームではある。 本作品の主題でもあり、何と言っても最大の主役は「轟天号」だろう。先端にドリル。流線型のこの万能潜水艦の姿は当時の模型班には至って不評だったらしい。しかし、画面でのこの勇姿を見よ!あの出撃シーンは他のどんな描写にもまして格好良すぎ。絶妙のカメラ・ワークで巨大さを、そして水が割れて一気に姿を現す轟天号の姿は文句なし。(私の目から見て、「お、ヤマトだ」と思ったくらいだから、宇宙戦艦ヤマト自体が、この映画からずいぶんと影響を受けているのは間違いなかろう)。そして何と言ってもあのドリルよ。ドリル。これをダサいなどと言わないで欲しい。ドリルこそ全ての障害をはねのけ、突き進む象徴なのであり、これをつけた轟天号の姿こそが真なる勇者の姿よ!(一部不穏当な発言と取られるかも知れないが、容赦願いたい) ただ、それだけ轟天号及びそこでの人間が格好良かったのに、対するムウ帝国が残念。東宝お得意の半裸、暗黒舞踊、祭政一致体制と、見事にステロタイプな悪役になってしまった(と言うより、これから始まったという話もあるな)。守護竜マンダは存在感こそあれだけ大きいのに、轟天号の前にひとたまりもなかったし、地上の兵器に対してはあれだけ圧倒的な力を誇ったムウ帝国の誇る最新鋭艦でさえ、轟天号の前には敢え無く撃沈。総じて言えば、ムウ帝国は轟天号に対抗できるほどの存在感がなかった…唯一買えるのは天本英世のイッちゃった演技だけ。 劇後半部分で一番盛り上がるはずの場所において、結局轟天号の強さしか見ることが出来ず、しかも海の底だけに動きが遅い。前半及び中盤であれほど期待させた割にはクライマックスがあっさりしすぎていたのが残念だった(ウルトラセブンにおける傑作「ノンマルトの使者」はこのシークエンスの流用か?)。 ところで轟天号、ムウ帝国がいたからこそ、その存在価値があったのだが、あっさりとムウ帝国が滅んでしまった後はどうなっていくのか…国連にとってはお荷物以外の何者でもないはずのこの海底軍艦は、実はこの約15年後、再び姿を変え、その勇姿を現すことになる…それが『惑星大戦争』(1977)なのだが… |
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天野三郎 | → | |||
【あまの-さぶろう】 | ||||
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伊号四〇三潜 | → | |||
【い-ごう-よん-まる-さん-せん】 | ||||
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海野魚人 | → | |||
【うんの-うおと】 | ||||
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温泉人間 | → | |||
【おんせん-にんげん】 | ||||
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楠見 | → | |||
【くすみ】 | ||||
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光國海運 | → | |||
【こうこく-かいうん】 | ||||
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工作員23号 | → | |||
【こうさく-いん-にじゅうさん-ごう】 | ||||
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轟天建武隊 | → | |||
【ごうてん-けんぶ-たい】 | ||||
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轟天号 | → |
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【ごうてん-ごう】 | ||||||
蒸気人間 | → | |||
【じょうき-にんげん】 | ||||
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神宮寺 | → | 轟天号 | ||
【じんぐうじ】 | ||||
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神宮寺真琴 | → | |||
【じんぐうじ-まこと】 | ||||
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石棺潜行艇 | → | |||
【せき-かん-せんこう-てい】 | ||||
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総合防衛司令部 | → | |||
【そうごう-ぼうえい-しれい-ぶ】 | ||||
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西部善人 | → | |||
【にしべ-よしと】 | ||||
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旗中進 | → | |||
【はたなか-すすむ】 | ||||
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マンダ | → |
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【まんだ】 | ||||||
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ムウ帝国 | → | |||
【むう-ていこく】 | ||||
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レッドサタン号 | → | |||
【れっど-さたん-ごう】 | ||||
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名称 | → | |||
【】 | ||||
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新型TV衛星が宇宙蛍に襲われて破壊された事件が起こった。丁度その時地上では宝石店に五人組の強盗が押しいっていた。まんまと金庫を盗み出すことに成功したが、直後謎のピンク色の固まりが金庫にへばりついて凄い勢いで白熱化し爆発。宝石は空高く舞い上がって見えなくなってしまった。この不可解な事件の捜査に当たる警視庁外事課の駒井刑事(夏木陽介)は、貯炭場を襲った大怪物が、竜巻のような勢いで石炭を吸いあげる光景を目撃した。結晶構造学の権威宗方博士(中村伸郎)と協力して、この怪物が炭素の固まりを必要としている事実を発見した。その頃世界中にこの怪獣は現れ、炭坑を中心に次々に被害は広まっていた… なんと言っても怪獣ものを大得意とする本多猪四郎監督が監督した、不思議な雰囲気を持つ作品。一応本作も怪獣ものではあるけど、豪華な俳優陣を配した無国籍ギャング作品として観た方がぴったりする。全般的にコメディ調ではあるが、人間同士のアクションも結構きちんとまとめられ、怪獣が世界中をパニックに陥れてる下でのドラマが展開している。 ただ、本作は公開当時はあまり評判が良くなかったらしい。確かにおどろおどろしいスチールを見て、ハードな怪獣ものを期待して観に行ったつもりだったら、あまりに怪獣自体がとらえどころが無く、しかもあまり登場しないから消化不良を起こしてしまったかも知れない。後、こう言っては悪いが、ギャング団との攻防もコメディ要素が強すぎて今ひとつ緊迫感のないものになってしまったのも残念なところ。 だが、実はそれこそが本作の目的だったのではないだろうか?これはおそらく東映の“脱ゴジラ”の一環として作られたものと思われる。『ゴジラ』の呪縛は大きく、東宝特撮は怪獣を出すものという先入観にとらわれてしまっていた。しかもネタそのものはパターン化していき、更にどんどん子供向けに変わっていった。しかし円谷が考えていたのはそこで終わるものではなく、エンターテインメントとしてSF的要素を付け加えた大人向きのドラマを模索していたはず。それで変身人間シリーズを作り上げ、ハードな路線をこれまで続けてきたが、ここで一旦それをリセット。SFコメディを作ってみよう!という姿勢で作り上げたのが本作なのだろう。 ここでの主役は怪獣ではないと考えてみると、本作はかなり手堅くまとまっている。007を思わせる、アクションと笑いをふんだんに詰め込んだ作品だし、事実これは前年公開され大ヒットした『007 ロシアより愛をこめて』(1963)からかなりのインスパイアを受けていると思われる節があちこちに見受けられる。 それに本作の存在こそが後に円谷プロがウルトラQ作る上で重要な要素となっていたのは事実だし、SFXやCG技術が進んで、SF的要素が小物として使用出来るようになった現代になってようやくハリウッドもこの水準に達してきたと言うことも出来るだろう。 実に円谷は数十年後の作品をここで作ってしまったとも言えるのだ。 ここでもうちょっとアクション面をハードに作ることが出来れば傑作になり得たんだけどねえ。その水準に達してなかった日本映画の拙さを悔やむしかない。 尚、ここでのドゴラは人間による繰演ではなく、水槽にドゴラの模型を浮かべて水圧で動かしていたとのこと。ついでに言うなら最後の鉢の大群も砕いたコーヒー豆を水槽に入れ、吸引口から水を吸い込ませて群がっていく様子を撮影したのだとか。特撮はやっぱりアイディアだな。 |
宇宙蛍 | ||||
【うちゅう-ぼたる】 | ||||
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駒井 | ||||
【こまい】 | ||||
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ドゴラ |
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【どごら】 | ||||||
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土蜂 | ||||
【ど-ばち】 | ||||
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マーク | ||||
【まーく】 | ||||
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宗方 | ||||
【むなかた】 | ||||
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フランケンシュタイン対地底怪獣 |
1965年 本多猪四郎(監) 水野久美、ニック=アダムス、高島忠夫 |
ドイツの化学者リーゼントロフ博士の手によって保存されていたフランケンシュタインの(怪物の)心臓が潜水艦により日本に運び込まれた。ところが、その研究所は広島の原爆で破壊されてしまう。15年後、原爆研究所で働く女性戸上李子(水野久美)は、不思議な少年を見かける。不審に思い助け出すが、彼は充分な栄養の元、どんどんと成長していく。実は彼はフランケンシュタインの心臓から生まれた怪物であったのである。巨大化を続ける怪物に、人は恐れをなしていく。心ない人間の刺激で怪物は病院を脱走。日本中を逃げ回る。その時、富士山麓に突如現れた地底怪獣。人間を食料とするその地底怪獣にフランケンシュタインの怪物は立ち向かっていく。 冒頭、流石怪獣もの!と言う具合にマッド・サイエンティストが登場。これが結構凄まじい性格をしているのが実に良い。 そして、流石円谷!特撮技術は最高。この年代にここまでの特撮技術があったことに驚かされる。撮影もよく練り込まれているし、今の何でもCGでやってしまおうと言う風潮の映画家に見せてやりたいくらい質が高い。更に伊福部昭の音楽がよくマッチしている。 ストーリーの方も、人間に追われ、やむなく逃げ回る怪人が、人間のために戦うシーンが涙を誘う。敵役として登場した地底怪獣バラゴンの残忍さもよく表されていた(マイナーな怪獣ではあるが、ゴジラに次ぐインパクトがある)。 ちなみにこの作品、日本公開版とインターナショナル版の二種類がある。インターナショナル版は残酷描写を避け、ラストも変化しているのだが、このラストはどうしても首を捻る。バラゴンをやっとの思いで倒したフランケンシュタインの怪物の前に突如、なんの脈絡もなく巨大タコが現れ、湖に引きずり込んでお終い… 次回作の『サンダ対ガイラ』(1966)の伏線なのだろうが、ちょっとこれはないんじゃない? |
大ダコ | → | |||
【おお-だこ】 | ||||
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河井 | → | |||
【かわい】 | ||||
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川地堅一郎 | → | |||
【かわち-けんいちろう】 | ||||
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戸上李子 | → | |||
【とがみ-りこ】 | ||||
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バラゴン | → | フランケンシュタイン、パゴス、ネロンガ、ガボラ、マグラ ゴジラシリーズ バラゴン ソフビ |
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【ばらごん】 | |||||
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フランケンシュタイン | → | |||
【ふらんけんしゅたいん】 | ||||
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フランケンシュタイン対ゴジラ | ||||
【ふらんけんしゅたいん-たい-ごじら】 | ||||
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ボーエン | → | |||
【ぼーえん】 | ||||
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リーゼントロフ | → | |||
【りーぜんとろふ】 | ||||
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66式メーサー殺獣光線車 | |||||
【ろくろく-しき-めーさー-さつ-じゅう-こうせん-しゃ】 | |||||
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バストアップスタチューシリーズ ガイラ |
バストアップスタチューシリーズ サンダ |
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1967年 本多猪四郎(監) |
海底油田の調査を行なっていた国連調査船の原子力潜水艦が南海ので故障を起こし、ネルソン司令官(リーガン)、野村次郎(宝田明)、スーザン(ミラー)の三人は付近のモンド島に上陸した。そこはまさに南海の楽園だったが、彼らの前に突如恐竜ゴロザウルスが現れ、それを追うように巨大な猿が登場。ここはキングコングの生息地だったのだ。驚く三人だったが、ゴロザウルスを倒したコングは意外にも人なつこく、特に身振り手振りを交えたスーザンとは意思の疎通まで出来た。しかし一方、このコングを生け捕りにしようと狙っている一味がいた。ドクター・フー(天本英世)とマダム・ピラニヤ(浜美枝)である。彼らは北極地中に眠るエレメントXを掘るために、コングを使おうと考えていたのだった。首尾良くコングを生け捕りにしたドクター・フーは、コングに命令を下せるスーザンを狙うのだが… 『キングコング対ゴジラ』(1962)に続いてのキングコングを前面に押し出した作品となるが、ここに出てくる『逆襲』とはいったい何を示しているんだろう?コングの大きさが違うので、『キングコング対ゴジラ』の続編というわけではないし、単にタイトルだけか?と思ったのだが、ここに出てくる設定やキャストを見ていると、本作は最初から海外向けを念頭に置いて作られた作品だと分かる。この『逆襲』とは、おそらく『キング・コング』(1933)の正統な続編だというスタッフの気概にあふれて作られたのではないか?とも思える。 実際キャストを見ても、数多い外国人俳優が用いられているし、同年に『007は二度死ぬ』(1967)でボンド・ガールを演じた浜美枝までもが登場する(悪役だけど)。更にラストのメカニがスーザンひっつかんで東京タワーに上るあたり、ほんとに狙ったって感じだ(事実アメリカでのTV放映では本作は好んで使用されたらしく、知名度も高いらしい)。サイズを敢えてゴジラサイズからスケールダウンさせたのも、その辺が狙いなんじゃなかろうか? 本作は特撮を見ても充分見応えのある作品だが(コングであれメカニであれ、尻尾を持たない人間に近い体型だから、二つがぶつかるシーンはプロレス的な面白さもあるし、冒頭のゴロザウルスとキングコングのとっくみあいは、後のウルトラシリーズに継承された気持ちの良さを見せてる)、本作の見所はむしろ人間側の方にあったように思える。 日本映画において数々の作品で印象深いバイ・プレイヤーぶりを見せてくれた天本英世だが、もの凄い数の映画に出ている割に、主役まで演じたのは数少ない。本作はその貴重な一本だろう。やっぱりというか、彼の演じるのは正義の側ではなく、悪の側だが、そこでマッドサイエンティストであるドクター・フーを際だたせていたのも、やっぱり天本英世の怪演あってのこと。あくまで自分のペースを崩さず、訥々と喋る姿が映えてしたし、その言い方に苛つく浜美枝演じるマダム・ピラニヤとのやりとりも楽しい。かなり戯画化されているとはいえ、明確な悪の側に中心を持って行った本作のストーリーは誇ってしかるべきだろう。 日米の特撮作品にあって、かなり重要な位置づけにあると思うのだが、どうだろうか? |
エクスプロアー号 | ||||
【えくすぷろあー-ごう】 | ||||
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エレメントX | → | |||
【えれめんと-えっくす】 | ||||
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大海ヘビ | → | |||
【おお-うみ-へび】 | ||||
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キングコング | |||||||
【きんぐ-こんぐ】 | |||||||
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ゴロザウルス | |||||||
【ごろざうるす】 | |||||||
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スーザン | ||||
【すーざん】 | ||||
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ドクター・フー |
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【どくたー-ふー】 | ||||||
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ネルソン | ||||
【ねるそん】 | ||||
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野村次郎 | ||||
【のむら-じろう】 | ||||
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ボー・コング | → | |||
【ぼー-こんぐ】 | ||||
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マダム・ピラニヤ | ||||
【まだむ-ぴらにや】 | ||||
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メカニコング |
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【めかに-こんぐ】 | |||||
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モンド島 | ||||
【もんど-とう】 | ||||
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ゲゾラ ガニメ カメーバ 南海の大怪獣 |
1970年 本多猪四郎(監) |
アジア開発が計画している南海の孤島セルジオ島の取材のため、週刊誌のカメラマン工藤太郎(久保明)を初めとする調査隊がセルジオ島に上陸した。早速調査を開始するが、彼らはそこで信じられないものを見るのだった。ゲゾラ、ガニメ、ガメーバという怪獣達が次々に現れる。怪獣達の襲撃をかわしつつ、その原因を探る工藤達だったが… 東宝が作り上げた“非ゴジラ”の最後の作品。一番最初に最も素晴らしい作品を作り上げてしまった東宝の苦悩が現れているような気がする。ゴジラを作ればそこそこの作品を作ることが出来るが、既にこの時までにゴジラのパターンは出揃ってしまい、怪獣プロレス路線で固定されてしまった。新しい路線を作り上げることで怪獣映画を新しく作り続けたいという思いがあったものと推測される。事実、名前はともかく、ここでの人間型から離れた怪獣達の生き生きした動きは一見の価値があるし(1/1のゲゾラの脚やゲゾラのハサミなども作られている)、路線も人間を主軸に置いた明るい作風になっている。 ただ、奇をてらわずに作ったお陰で、結局特色のない作品だという事にもなってしまった。それだけに怪獣ブームの低下を押さえる切り札には成り得なかったと言う、悲しい宿命を背負った作品でもあった。画期的要素も感じられず、どこか前に観た作品から色々引っ張ってきて、地味目なまま終わってしまった。既にテレビで『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』が作られていたのだから、映画はもっとぶっ飛んで欲しかったというのが本音。 東宝オールキャストで作られているため、お馴染みのキャラクタが次々登場するのは嬉しいところ。特に今回は土屋嘉男がパワフルな博士役で登場。こいつ絶対学会の異端児なんだろうな。とか思わせるのはさすがに上手い(もしここで宇宙生物に乗っ取られるのが佐原健二の方じゃなくて土屋の方だったら、「宇宙人に乗り移られやすい体質」と大笑いできたのに(笑))。 |
アジア開拓 | → | |||
【あじあ-かいたく】 | ||||
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宇宙生物 | → | |||
【うちゅう-せいぶつ】 | ||||
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小畑誠 | → | |||
【おばた-まこと】 | ||||
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オンボ | → | |||
【おんぼ】 | ||||
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ガニメ | → | ||||||
【がにめ】 | |||||||
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カメーバ | → | ||||||
【かめーば】 | |||||||
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工藤太郎 | → | |||
【くどう-たろう】 | ||||
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ゲゾラ | → |
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【げぞら】 | |||||
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サキ | → | |||
【さき】 | ||||
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セルジオ島 | → | |||
【せるじお-とう】 | ||||
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ヘリオス7号 | → | |||
【へりおす-なな-ごう】 | ||||
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星野アヤ子 | → | |||
【ほしの-あやこ】 | ||||
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宮恭一 | → | |||
【みや-きょういち】 | ||||
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ヨグ | → | |||
【よぐ】 | ||||
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リコ | → | |||
【りこ】 | ||||
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名称 | → | |||
【】 | ||||
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かつて海底から現れ大暴れして、退治された怪獣が地上で生んだ怪獣。ダイゴロウと名付けられたその怪獣は国で飼育することになったが、ダイゴロウは大変な大食で、莫大な食料費を抑えるため、アンチグロウという成長が止まる薬を注射されようとしていた。ダイゴロウが大好きなこども達や発明おじさん(犬塚弘)、熊五郎(三波伸助)、八五郎(三角八郎)と言った面々がなんとか餌代を稼ごうとする。そんな時日本に落ちてきた隕石から怪獣ゴリアスが現れる…円谷プロ設立10周年記念作品。 劇場用にも急速に子供用作品に力を入れるようになった円谷プロが投入した、まさにそのまんまな作品。子供、コミカルなキャラクター、ほのぼのしたストーリーと、盛りだくさんなのだが…残念ながら、子供達の望む映画とはとても言えず。結局大塚弘や南伸助の演技が空回りしっぱなしの作品だった。 オープニングなどは結構力が入っているのだが、それ以外の造型やストーリーもぬるすぎた。監督の飯島敏宏は「ウルトラマン」で数多くのエピソードを手がけているのだが(代表としてはバルタン星人初登場の第2話「侵略者を撃て」がある)、この方向性じゃ駄目だって事、悟ってくれなかったのかな?キャラクターは頑張ってるんだけどね。 とにかくダイゴロウの描写がすさまじく、こども達の努力の甲斐あって何とか食料にはありつくが、自分で食べ物を稼がせようと芸の練習させられるわ、凶悪怪獣のゴリアスと戦わせられるために特訓を受けたりと、なかなか可哀想な存在。「可哀想な象」を地でやってる。とにかく一目見たら忘れられないほどデザインセンスが情けなく、それだけが存在意義かもしれない。 日本の特撮史上における鬼子的作品として、資料として観る価値はある…と、思う。 |
アンチグロウ | → | ダイゴロウ | ||
【あんち-ぐろう】 | ||||
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熊五郎 | → | ダイゴロウ、八五郎 | ||
【くまごろう】 | ||||
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ゴリアス | → |
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【ごりあす】 | ||||||
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ダイゴロウ | → |
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【だいごろう】 | ||||||
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ダイゴロウの母 | → |
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【だいごろう-の-はは】 | ||||||
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八五郎 | → | 熊五郎、ダイゴロウ | ||
【はちごろう】 | ||||
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発明オジサン | → | ダイゴロウ | ||
【はつめい-おじさん】 | ||||
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