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キング・コング(書籍) |
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2014 | ホビット 決戦のゆくえ 監督・製作・脚本 | |
2013 | ホビット 竜に奪われた王国 監督・製作・脚本・出演 | |
2012 | ホビット 思いがけない冒険 監督・製作・脚本 | |
2011 | タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 製作 | |
2010 | ||
2009 | ラブリーボーン 監督・製作・脚本 | |
第9地区 製作 | ||
2008 | ||
2007 | ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! 出演 | |
アントラージュ★オレたちのハリウッド(4th)<TV> 出演 | ||
2006 | ||
2005 | キング・コング 監督・製作・脚本 | |
リンガーズ 〜ロード・オブ・ザ・ファンズ〜 出演 | ||
2004 | ||
2003 | ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 監督・製作・脚本 | |
2002 | ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 監督・製作・脚本 | |
2001 | ロード・オブ・ザ・リング 監督・製作・脚本 | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | 光と闇の伝説 コリン・マッケンジー 監督・製作総指揮・出演 | |
さまよう魂たち 監督・製作・脚本 | ||
1995 | ||
1994 | 乙女の祈り 監督・脚本 | |
1993 | ||
1992 | ブレインデッド 監督・脚本 | |
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス 監督・製作・脚本 | |
1988 | ||
1987 | バッド・テイスト 監督・脚本・出演 | |
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | 10'31 プーケルアで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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ホビット 決戦のゆくえ 2014 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014米アカデミー音響賞 2014英アカデミー視覚効果賞 |
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トーリン(アーミテイジ)率いるドワーフ達冒険者は、ついに悪竜スマウグから故郷を奪還する。だがその過程でドワーフたちを援助した湖の町はスマウグの火炎によって焼き尽くされ、更に城に眠る巨万の財宝を狙い、森のエルフ達やドワーフの宿敵オークのアゾグらが続々とはなれ山へと集結する。だが財宝に目が眩んだトーリンは、頑なにここは自分のものと言うばかりで自分から何も動こうとはしなかった。そんな中、争いを静めたいホビットのビルボ(フリーマン)が取った行動とは… ホビット三部作の最終章。前作『竜に奪われた王国』は侵入者に怒ったスマウグが、その腹いせに町を焼き払うべく飛び立つところで終わったが、その直後からの話となる。 意外なことにスマウグはあっけなく殺されてしまったため、気が付くと城の奪還が出来てしまっていたという状態から話が始まるのだが、これまでの旅の目的は全てこの時点で果たされてしまう。これで「めでたしめでたし」であれば、開始後20分で作品は終わってしまうのだが、本作の主題はここから始まる。 首尾よく城を奪還し、先祖の莫大な財宝を手にしたトーリンがどう変わっていくのか。本作では“祖父の呪い”と言われているが、王の証であるアーケン石を手に入れ、すべての財宝を自分のものにしようと考えてしまう。本作はその呪いからトーリンが脱しての総力戦の描写が本作の全て。 映画としてこの物語展開に納得はいく。1作目から度々登場したオークやエルフ達が過去にどのような因縁を持っていたのかを丁寧に描き、最後の決戦でその伏線を活かしているし、実質的にその後日譚となる『ロード・オブ・ザ・リング』へのつなげ方もしっかりしている。3部作の長丁場をきっちり使って丁寧な作り方をしてるとは思う。三本の映画を通して一本の物語を作ったという意味では成功したとも言える。 …とは、思う。の、だが、こういう「ホビットの冒険」をこう作る?という疑問は拭われないまま残った。 原作においては「指輪物語」の前史という位置づけの「ホビットの冒険」は、日本では岩波ジュニア文庫から刊行されている。それはつまり、「指輪物語」よりもぐっと低年齢層を対象とした、ちょっと長めの童話だった(そもそも「指輪物語」自体が童話にカテゴライズされるとも言えるのだが)。それで物語もちょっとハードながら童話の中に収まっているけど、映画版はそこから踏み出してしまったか?というところが引っかかってしまう。本来の童話としての話を作って欲しかったという気持ちもあり。 それに三部作の最終章となるこの話では本来の主人公であるビルボの見どころが少なすぎるのもちょっと気になる。基本ホビットはアクションをしないキャラ付けなので、戦いは他のキャラに任せ、ビルボ本人はもっと精神的な部分で他のキャラに関わることになるんだろうが、それが少々希薄。ビルボに魅力が薄いので、他のキャラを目立たせて群像劇にしようとしたのだろうが、これこそが本作の弱味になってる。たとえばこれが『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』であれば、紆余曲折あっても最後はきっちりフロドに話を持っていったのだが、この作品の場合、最後まで戦ったのはトーリンであり、レゴラスであり、ビルボはただそれを見てるだけ。その辺の脚本をしっかりさせる必要があったのでは? そのように思うと、どうしても高得点を与える気になれなくなってしまう。 こう作るしかなかったかもしれないが、こういう作りだけになあ。 |
ホビット 竜に奪われた王国 2013 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013米アカデミー視覚効果賞、音響賞 2013英アカデミーメイクアップ&ヘアー賞、特殊視覚効果賞 2013放送映画批評家協会美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、アクション映画女優賞(リリー) |
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凶悪な竜スマウグから自らの王国を取り戻すべく立ち上がったドワーフの王子トーリン(アーミティッジ)らの一行に加わったホビット族のビルボ(フリーマン)。彼らは危機を乗り越え、かつてのドワーフの王国“はなれ山”へと向かった。その途上ではトーリンに恨みを持つオーク軍が執拗に攻撃を仕掛け、更に森で巨大蜘蛛に襲われた一行を助けたエルフ族のレゴラス(ブルーム)によって、森のエルフの囚われ人にされてしまう… 『ロード・オブ・ザ・リング』前日譚である「ホビットの冒険」映画化第2作。既に昨年1作目である1作目『思いがけない冒険』が公開されている。これも決して悪い作品では無かったと思うのだが、そもそも「指輪物語」の実質1/4もない物語で三部作を作るのは無理があるようで、ちょっと間延びした印象を与える作品でもあった。 演出においては申し分ない作品だとは思うのだが、ちょっと退屈に思えてしまうところが大きかったのが問題。改めてあの作品の問題点を考えてみると、『ロード・オブ・ザ・リング』1作目の焼き直しって感じで、新鮮味が無かったというのが一番の理由じゃないかと思える。 物語の基調は、魔法使いのガンダルフが主人公の家にやってきて、半ば無理矢理冒険に誘って、仲間と一緒に危機を乗り越えていく、になるのだが、物語は本当にそれだけになってしまった。そのためメリハリが足りなすぎた。これは脚本家も気づいていたか、その足りなさを補うため、本来もう少し後のはずのビルボが指輪を手にするところを一作目に持ってきたりして工夫をしているようではあるが、物語のほとんどは全員一緒に行動しているため、単純になり過ぎ。 そして二作目となった本作だが、そこら辺に注意して、わざとパーティで別行動を取らせるシーンを多用しているのが特徴的。 例えばそれはエルフのタウリエルと仲良くなったキーリが戦線脱落して、そこで物語を紡ぐとか、敢えてビルボに別行動を取らせるとか、スマウグに蹂躙された町の過去を描写してみせるとか色々あるが、なんと言ってもガンダルフがパーティから離脱して、そこでこの世界に関わる冒険をさせるシーンが白眉だろう。 “死人使い”ネクロマンサーを探り、城に入るシーンは特に力が入っている。ここでネクロマンサーの正体が明らかにされるのだが、そこでその姿がアップになる。“彼”がアップになり、その姿が見えるのは、実は先の『ロード・オブ・ザ・リング』ではやってなかったこと。一説によれば、ジャクソン監督本人はそれをやりたがっていたが、原作ファンに配慮して敢えてそのシーンを削ったそうだ。それをここで使ったのは、まさしく『ロード・オブ・ザ・リング』の意趣返しであり、「俺はこれがやりたいんだ!」と言う主張に溢れてる気がした。観ているこちらは、あの一瞬だけで心の中で歓声を上げた。 そう。これがメリハリというやつだ。物語上、エンカウントと、それを乗り越えることしか出来ないならば、その範囲内で出来る限りの意外性を持たせること。それがしっかりと作られてるって部分が本作の最大の良さ。 後半スマウグとの戦いは、描写的には素晴らしいのだが、一作目の後半と同じく、長すぎたのは問題かな?もうちょっと短くしてくれれば、ぴたっと収まったとは思うんだけど。このタメが三作目に活かされることを期待したい。 |
ホビット 思いがけない冒険 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー美術賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、視覚効果賞 2012英アカデミーメイクアップ&ヘアー賞、音響賞、特殊視覚効果賞 2012放送映画批評家協会美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、視覚効果賞 2013MTVムービー・アワード恐怖演技賞(フリーマン) |
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ホビット庄で穏やかに暮らしていたビルボ・バギンズ(フリーマン)の元に魔法使い“灰色のガンダルフ”(マッケラン)が訪れた。ガンダルフはビルボに対し、トーリン(アーミテイジ)率いる13人のドワーフたちの旅に参加してほしいと言う。邪竜スマウグに奪われたドワーフ王国を取り戻すというのだ。そんな危険な旅に同行は出来ないと拒絶するビルボだったが、冒険心をくすぐられて旅の仲間に加わってしまう… かつて『ロード・オブ・ザ・リング』によって映画賞を総なめにしたトールキンの“中つ国”物語。当然ながらその前史である「ホビット」も次回作としては候補に挙がっていたが、『ロード・オブ・ザ・リング』の製作会社ニューラインシネマの倒産や、監督の選考に二転三転してたこともあって(途中まではデル・トロが監督するはずだった)、ファンをやきもきさせていたが、ニューラインシネマを吸収したワーナー・ブラザーズと、監督もピーター・ジャクソンが継続となり、ようやく完成にこぎ着けることができた。 トールキンのファンタジー作品は私も大好きなので、これがいつくるかいつくるかと心待ちにはしていたものだ。待ちに待った作品であるだけに期待も大きかったが、とりあえずは本作は及第点と言ったところか。 そもそも『ロード・オブ・ザ・リング』は原作があまりに長すぎ、それを三部作にまとめるのは相当な苦労だったろうが、その前史である「ホビット」はより児童向けに、そして短い作品だった(大体「指輪物語」の1/5程度かと思われる)。それを『ロード・オブ・ザ・リング』と同じ三部作にするということで、おそらくは内容は薄いものになるだろうと思われたが、思ったよりは内容は詰まった感じになっていた。これは『ロード・オブ・ザ・リング』から少し間が空いたことで、そのノスタルジーを詰められたことが大きいだろう。前作のキャラが大挙して、しかも若い姿で登場するのは、それだけで大変ノスタルジーを刺激されるため、ついつい頬が緩むし、その登場も適切な場所で行われるので、高揚感が半端ない。CGの使い方もこなれており、再び“中つ国”に放り込まれた感じがあって、これも大変楽しい。 なにより『ロード・オブ・ザ・リング』では断片的にしか描かれてなかった異種族の描写にちゃんと時間をとっているところは気に入った。『ロード・オブ・ザ・リング』でもオークやゴブリン、ドワーフなどの種族は多々登場していたものの、物語の圧倒的質量に飲み込まれ、それらをこと細かに描写はできていなかった。そもそもこれらファンタジーには必須の彼ら異種族は、数多くの民話をベースにトールキン自身が創作したものなのだから、その生活や習性と言ったものをたっぷり時間をとって描写してくれたら、という願いもあり、それがちゃんとなされていることが嬉しい。 そういうわけで点数も甘くなりがちだが、多少の苦言。 まず本作の問題として、『ロード・オブ・ザ・リング』一作目と同じ構成になってしまったことがある。そこでも書いたのだが、エンカウントと、ほっとする部分が交互にやってくるだけで、物語の進展があまり感じられなかった。アクション作品としては優れているかもしれないが、どうにも観ていて心が疲れる。ここまで派手にしなくてするっと流しても良いところもたくさんあるのに、それを敢えて長々と描写するので、そこが間延びしてしまった感があり。 そして原作では後半にあった指輪のシークエンスをずいぶん前に持ってきたのは良いけど、原作ではさほど重きが置かれてなかった部分が随分と拡大されてしまったこと。これは『ロード・オブ・ザ・リング』がそもそもその指輪を巡っての冒険だったこともあって、それを先に観ている以上仕方ないところもあるのだろうが、構成的にはここをもう少し原作に敬意を表してさらっと流してほしかったところではある(そう考えること自体がおかしいのかもしれないけど)。 結果、物語が単調になってしまった感は否めず。2時間でまとめることができてたら、かなりテンポも良くなってただろうとは思うのだが。 とはいえ、作品自体には概ね満足だし、これから物語も深まっていくことだろうから、そちらの方に期待することにしようか。 |
ラブリーボーン 2009 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009英アカデミー主演女優賞(ローナン)、助演男優賞(トゥイッチ) 2009ゴールデン・グローブ助演男優賞(トゥイッチ) 2009放送映画批評家協会若手俳優賞(ローナン)、主演女優賞(ローナン)、助演男優賞(トゥイッチ)、撮影賞、美術賞、視覚効果賞 2009米俳優組合助演男優賞(トゥイッチ) 2010HIHOはくさい映画賞第9位 |
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家族と共に楽しく幸せな毎日を送っていた14歳の少女、スージー・サーモン(トゥイッチ)は、冬のある日、憧れていた先輩から、デートの誘いを受ける。そんな喜びの中、近所に住む男によって、殺されてしまった。天国の入り口まで行ったスージーだが、残された家族が気がかりで、しばらく現世に留まることに。だが、彼女の死をきっかけとしてバラバラになっていく家族をただ見守るしかない… ピーター・ジャクソン監督(以下PJ)によるファンタジックな作品。『ロード・オブ・ザ・リング』という映画史においても重要な作品を監督したPJで、当然次作に世界的な期待が込められていたが、その後、本人が本当に作りたかったという『キング・コング』以降全然音沙汰がなかった(時折訴訟をしてるというニュースは見たけど)。 そんなPJが久々に銀幕に帰ってくる!と言うので、かなり期待度上げて観にいってきた。 それで出来だが、「期待外れ」とまでは言うつもりはない。色々健闘はしてると思うし、少なくとも私にとっては最低作品である『ゴースト ニューヨークの幻』(1990)のようにしなかっただけでも充分と言って良い。 一応本作は「ファンタジー」にカテゴライズされると思うが、むしろ霊界と現実界との接点をできるだけリアルに描こうとしているように見える。 仮に霊界なるものがあるとすれば、それが現実界に与える影響とは微々たるものだろう。せいぜい「ここにいるよ」と言う事を親しい人に微妙に分からせるのが限界で、自分を殺した犯人が誰かを分からせたり、ましてや復讐したりをする力は持たない。そんな無力な霊が、現実界で親しい人たちを見つめるだけ。現実界では、自分が亡くなったことから世界はどんどん変わっていくが、自分は変わらないまま、それを見つめることしかできない。それを一抹の寂しさをもって描こうという姿勢はとても良い。 だけど、一方では、これは大変物語を作り難くもさせている。なんせ主人公が無力なので、事件そのものは全部主人公とは関わりを持たない人が解決していくしかない。それでは、少々盛り上がりに欠けてしまう。実際にこの作品で動いてるのは、主人公の家族だったり犯人だったりしているため、共感できにくい作りになってしまったのは事実。元となった小説は未読だが、明らかにこれは小説向きの素材で、敢えて映像化する必然性も低いだろう。 その中で結構本作はキャラクタに助けられた所も大きい。これがおそらく出世作となるであろう主人公役のトゥイッチは確かに上手い。綺麗という訳じゃないけど、こういう役を上手くできるキャラはこれから良い役が付くだろう。でもやっぱりお母さん役のワイズだな。年齢重ねるにつれ、ますます綺麗になっていく。良い役者だ。何かとお騒がせなおばあちゃん役がサランドンってのも人を食ってて良い。この三人観てると、“世代交代”と言う言葉が頭に浮かんでは消える。 ところで、そんな難しい素材をPJが敢えて選んだ理由は何だろうか? PJはこれまで幽霊を題材にした作品を数本作っていることがまず挙げられるだろう(出世作となった『ブレインデッド』は幽霊じゃないけど)、例えば『乙女の祈り』であれば、霊界との通信ができる。と言う勘違いが物語の発端だったし、『さまよう魂たち』は、文字通り幽霊が現実界に絡み、その霊を見ることができる主人公を扱ったコメディとして仕上げられていた。ついでに言えば、「二つの塔」ではやたら存在感のある幽霊の姿もあった…PJは幽霊の出てくる作品を作りたがってるんじゃなかろうか?単なる監督の趣味と言えばそれまで。 そしてそれに関わることだが、『乙女の祈り』にせよ『さまよう魂たち』にせよ、霊と人間との関わりの描写がまるで異なっている。同じ幽霊が出る作品でも、色々な描き方をしてみたい。と言う監督のチャレンジ精神の現れとも見られるだろう。作品そのものよりも、監督の考えを推測する方が楽しかったりする(逆を言えばそれだけ内容的には疑問って事だが)。 |
キング・コング 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005米アカデミー視覚効果賞、音響効果賞、音響賞、美術賞 2005英アカデミー特殊視覚効果賞、プロダクションデザイン賞、音響賞 2005サンディエゴ批評家協会作品賞 2005ゴールデン・グローブ監督賞(ジャクソン)、音楽賞 2005放送映画批評家協会作品賞、監督賞(ジャクソン) 2005キネマ旬報外国映画9位 2005ナショナル・ボード・オブ・レビュースペシャルエフェクト 2005ロジャー・エバートベスト第8位 2005ピーター・トラヴァースベスト第9位 2005全米BoxOfficeトップ18位 2006MTVムービー・アワード作品賞、格闘シーン賞 2006全米BoxOffice第5位 |
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1933年。映画監督のカール=デナム(ブラック)は手にした地図を手がかりに、世界最後の秘境髑髏島で映画を撮影しようと思い立つ。半ば騙して連れてきた脚本家のジャック=ドリスコル(ブロディ)と主演女優のアン=ダロウ(ワッツ)と共に船に乗り込む。しかし、到着した髑髏島は、彼らの予想を超えた所だった。そしてその王者たるキング・コングが現れる… 特撮好きな人間というのは、自然と業が深くなる。どんなものでも道を突き詰めていこうとするなら、自然詳しくなるし、様々なものを知っていくことになるが、何せ特撮というと、マイナーなイメージがつきまとうし、ものがそうそう手に入らないため、目を皿のようにして映像を観るようになり、本当に細かい部分を観てしまうようになる。 そんな特撮ファンの中で、これだけは絶対高評価を得られる。と言う作品を挙げるなら、多分突き詰めると二作だけになってしまうだろう。日本における『ゴジラ』(1954)と、海外物なら『キング・コング』(1933)の二作。 そのどちらも特撮を超えて一般名詞になっているほどの知名度を誇るが、どれだけそれらが愛されているかとも言える。 私自身だってキング・コング好きか?と言われれば、ためらうことなく「大好き」と言い切ってしまえるが、やはり世の中にはとんでもない人間がいるもんだ。 今回のリメイクに当たって、この監督だったらやってくれる。という思いと、『キングコング』(1976)の酷さを経験しているだけに、ちょっと引いている自分もいたのだが… なんとも、こいつは凄い。 ここまでコングを愛してる人間がいたとは。 コングへの愛情ってやつを判定してやるつもりで観に行ったら、私の想像を遙かに超えていて圧倒されてしまうほどだった。 確かに『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』で、明らかにこれは『キング・コング』だ。と言うシーンが何カ所かあったのはあったんだが、本当に『キング・コング』作ってみたら、もうその愛情がひしひしと… 特にコングが出てきた辺りから、「俺はコングが好きなんだ〜〜〜〜」と叫ぶ監督の主張がビンビンに伝わってくる。コングの動きや表情の付け方から立ち居振る舞いまで、きちんとコントロールして、凶暴ながら親しみの持てるキャラクタに仕上げられているし、最後の哀しみの演技までもきっちりさせている。 中盤のアクションシーンもこなれてる。CGが用いられるのは当たり前とはいえ、このところの映画でのCGの使われ方は極めて画一的で食傷気味。しかし、そんなことを考えさせないほどの怒濤の展開に圧倒されっぱなしだった。そうだよ。観客に考えさせるようなCGの使い方をさせてはいけない。ここでは観客を飲み込んでしまうほどの大風呂敷を広げることが重要なんだ。それとさりげないパクリ方も堂に入ってる。実際本作はオリジナルの『キング・コング』だけじゃなく、実に様々な映画を上手い具合に取り入れてる。髑髏島の設定なんかはむしろ『ロスト・ワールド』(1925)だし、勿論恐竜が襲ってくるシーンでは『ジュラシック・パーク』(1993)らしい撮り方をしてる。それにどうもこの髑髏島での原住民の態度なんかは『大怪獣バラン』(1958)そのものなんだよな。監督、これ観てたんじゃないの?NYでの市電を覗くシーンなんかは『ゴジラ』のようにも思えるし。その辺センス良くまとめられてるので、パクリとは思わないけど。そうそう、勿論オリジナルではカットされてしまったクモガニも元気に登場(笑)。 キャラも良いチョイスの仕方してる。アン役のワッツは『ザ・リング』(2002)での絶叫が記憶に新しいが、本作でも叫ぶ叫ぶ。お陰で私の中では現代のスクリーミング・クイーンは彼女に決まってしまった。脇にブロディなど、さりげなく有名役者ばかりを配しているのも良いんだが、やはり一番はブラック演じるデナムだろう。オリジナルのデナムも強烈なキャラだったのだが、ここでは破滅型のキャラをうまく作り上げていた。劇中説明されていたように、彼は愛するものを破壊せずにはいられない。彼にとって愛すべき対象は、自分の目に触れることなく無くなっていくことに耐えられないのだ。ある意味繊細すぎるほど繊細な性格を怒鳴り声でカバーしているという人間だ。彼にとって、自分の作るべき映画は、全て自分自身で管理しなくては気が済まない。髑髏島でのフィルムが感光してしまった事を知った時に見せる表情にはぞくっとするものを感じさせる。自分のものが自分のものでなくなった瞬間、彼は絶望するが、次の瞬間にはもう新しい“自分のもの”を作り出す。それは神秘のままにいさせるべき存在のコングであり、神秘を人間世界に引きずり下ろしてしまうことが彼の目的となった。彼の中にあったのは決して功名心や金だけではなかっただろう。そうして彼は自分の大切なものを自らの手で引きずり下ろす。それが彼の生き方だったのだ。結局彼はそうして絶望と共に生きる生き方しか選択できないのだ。ここまでのキャラを創造できた時点で、本作の魅力は一挙に増した。 対して設定なのだが…これに関しては実はあまり褒められないものを含んでいる。 ジャクソン監督の「俺はコングが好きなんだ!」という主張は、結局彼だけのコングを作ってしまった。本作のタイトルは『King Kong』では駄目。『Peter Jackson's King Kong』でなければならない。 彼のコングに対する思いは、コング自身の存在意義を変えてしまった。 オリジナル版のコングとは、あくまで神秘にとどまる。言ってしまえばオリジナル版コングはゴジラ同様破壊神のような存在だったのだ。人間的思いなど全く通用せず、コングは自分の意志だけで行動する。コングにとってアンは単なる牝であったわけだし、アン自身もコングと心を交流させようとはしてない。圧倒的な力を前にして、彼女自身がコングを忌むべき存在と見ているばかり。それをジャクソン監督は人間的存在へと引きずり下ろしてしまった。最後にニューヨークでアンと心を交流させるような真似はさせて欲しくなかった。これこそ、ジャクソン監督が夢見る“コングのあるべき姿”だったのかも知れないが、はっきり言ってそこは観てる方は引いてしまった(とは言え自然愛護の観点からコングを“可哀想な存在”として貶めてしまった1976年版『キング・コング』と較べれば遥かに良いんだけど)。 それと、コングは銃弾などで倒れてはならない!そう。コングはエンパイア・ステートビルのてっぺんに立ち、アンを握りしめながら雄叫びを上げて、アンを足下に下ろした後、ゆっくりと自分から落ちていく存在であって欲しかった。人間の作り出したもので彼は殺されるのではない。これ以上生きることは出来ないことを自らの手で決定して欲しかったのだ。そして最後に助かったアンが、コングの気持ちってものを自分なりに気づくような演出にすれば… 私にとってのコングとは、圧倒的な存在であり、人間に斟酌するような存在であって欲しくなかった。人間の心など全く無視。自分のやりたいことだけするような、そんなコングを求めていたのが、全く別物を見せられてしまったという思いが強い。 …とは言え、映画そのものは本当に素晴らしいものであり、たとえこれを除いたとしても、最高点以外をくれる気は全くない。 とにかく、満足できる良いものを観させてもらった。 |
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キング・コング入門(書籍)神武団四郎 |
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003米アカデミー作品賞、監督賞(ジャクソン)、脚色賞、作曲賞、歌曲賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、特殊効果賞、音響賞、編集賞 2003英アカデミー作品賞、脚色賞、撮影賞、特殊視覚効果賞、オレンジ作品賞、助演男優賞(マッケラン)、監督賞(ジャクソン)、作曲賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、音響賞 2003NY批評家協会作品賞 2003LA批評家協会監督賞(ジャクソン)、美術賞 2003シアトル映画批評家協会助演男優賞(アスティン)、撮影賞、作品賞、監督賞、脚色賞 2003シカゴ映画批評家協会作品賞、監督賞、音楽賞、脚本賞、撮影賞 2003ボストン映画批評家協会監督賞 2003サンフランシスコ映画批評家協会監督賞 2003サウスイースタン映画批評家協会作品賞、監督賞 2003ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(ジャクソン)、音楽賞、歌曲賞 2003ナショナル・ボード・オブ・レビューアンサンブル演技賞 2003ローリング・ストーンベスト第2位 2003ニューズウィークベスト第2位 2003AFIベスト 2003サンディエゴ映画批評家協会監督賞、プロダクション・デザイン賞 2003オンライン映画批評家協会作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞 2003アメリカ製作者組合賞 2003アメリカ監督組合賞 2003エンパイア映画作品賞、英国男優賞(サーキス)、シーン・オブ・ザ・イヤー(ロヒリアムの運転) 2003アメリカ撮影監督協会賞 2003アメリカ映画俳優組合アンサンブル演技賞 2003全米年間興行収入第5位 2003全世界興行収入第2位 2004日本アカデミー外国作品賞 2004MTVムービー・アワード作品賞、アクション・シーン賞 2004キネマ旬報外国映画第5位 2004サターンファンタジー作品賞、主演男優賞(ウッド)、助演男優賞(アスティン)、監督賞、脚本賞、特殊効果賞、音楽賞、メイクアップ賞、DVDスペシャルエディション・リリース賞、主演男優賞(モーテンセン)、助演男優賞(マッケラン、サーキス)、助演女優賞(オットー) 2004全米BOXOffice第2位 2004外国映画興行収入4位 |
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必死の攻防の末、サルマンを倒しローハンを解放したアラゴルン(モーテンセン)たちだったが、その勝利の喜びも短いものだった。冥王サウロンは中つ国最後の砦ゴンドールに20万を超える軍を送り込んだのだ。しかもゴンドール王は失った息子を嘆くばかりで何の手だても打とうとしていない。先の戦いでぼろぼろになった人間の連合軍を必死にまとめようとするアラゴルンだったが、そのためになすべき事とは、自ら王位に就くしか無いことを思い知らせられる…一方、指輪を封印する使命を持ち、敵地深く潜入したフロド(ウッド)だったが、指輪の魔力はますます彼を捉えていき、更にゴラム(サーキス)の囁きに耳を貸し、お供のサム(アスティン)をも疑うようになっていった… 長いアカデミーの中にあって史上三作目の11部門制覇作品(『ベン・ハー』(1959)および『タイタニック』(1997)に続く)にして、『ラストエンペラー』(1987)以来のノミネート全部門授賞。そして唯一の続編第3作での作品賞受賞作。更に興収10億ドル突破をこれまでの最速であった『タイタニック』を抜き、9週間と4日で果たした。様々な記録を塗り替えた作品。 3年にわたって続いてきた『ロード・オブ・ザ・リング』もいよいよ最後を迎える。特に前作『二つの塔』では、「1作目は名作、2作目は普通」と呼ばれるジンクスを見事に打ち破ってくれただけあり、しかも前評判では「本作こそが最高の作品だ」という評判もあって、期待度は無茶苦茶に高まっていた。 …期待といえば、上映に先立ち、いくつかの希望があった。まず一つは原作ファンなら大抵思うことだろうけど、戦いの後をしっかり描いてくれているかと言うこと(原作では戦いの後で中編一編分くらいの長さがあって、重要なパートをなしているから)。二つ目はゴラムがどういった魅力ある演技を見せてくれるか。そして三つ目は、“渇き”というものをどれだけ表現できるか。原作での見所の一つに食事をするシーン(又かよ)があるんだが、食べるシーンだけじゃない。食べないシーンも重要なんだ。最後の戦いではフロドとサムは何も口にすることがなく、飢えと渇きで身体を引きずるようにして移動するのだが、それがどれだけ表現できるか。 この辺を念頭に劇場へ。 一言で言えば、やっぱり素晴らしい作品だった。少なくともこれだけ詰まっていて、3時間半に及ぶ上映で殆ど飽きさせなかったその手腕は褒め過ぎって事は無かろう。 …素晴らしいのは素晴らしいのだが、しかし、前作を超えたかどうか…そこが問題。私にとっては明らかに前作の方が面白かった。本作はどうにも小骨が引っかかったような部分が多すぎる。 良い部分はいくらでも言えるが、概ね私が最初に思っていた部分はほとんどクリアしているし、そこに今回は友情の演出や親子の確執など、人間ドラマがとてもストレートに出しているのも好感度大。前作と較べ明らかに出番の減ったとは言え、ギムリとレゴラスのやりとりはやっぱり面白いし、これまで単にフロドにくっついてるだけだったサムが無茶苦茶個性出してくれているのも良し(サムの描き方に関しては原作よりも格好良かったくらい)。更に戦いのシーンの派手さって言うか、容赦ない描写も良かった。特に今回“けもの”が個性を出していて、牙で人間引っかけて放り投げるわ、容赦なく踏みつぶすとか、ホラー好きにはにやりとできる描写が満載(この辺はさすがにピーター=ジャクソン監督だ。原作通りゴラムがフロドの指を食いちぎるシーンもあって、それをペッと吐き捨てるのも、「おお!」ってな感じだった。幽霊戦士がわらわらと“けもの”に群がって行く様は昆虫パニックものを思わせるしね…ここで踏みつけられた人間を映さなかったのはせめてもの良心的部分?絶対やると思ったけどな(笑))。そして重要なラスト部分の描写もたっぷり時間を取ってくれている。 この辺は水準を超えていて、重要な部分に関しては殆ど文句の付けようのない出来なんだが、設定マニアを自称する私の中にはとても天邪鬼な部分があって、それがちくちくと自分自身の思いを刺してくる。 以降は、相変わらず細かすぎるが、気になった部分を。 最初の方から言うと、何故サルマンを出さなかったのか。クリストファー=リーの元気な姿を見るだけでも嬉しいんだから、ほんの一瞬でも出してくれれば良かったんだが。これは勿体なかったよ。 殆ど文句なしの圧倒的な戦闘シーンも、必ず最後に助けに来ると言うのがちょっとご都合主義っぽすぎて。それに前作の戦闘シーンではあれだけの集団作戦であるにかかわらず、個人個人にスポットが当てられているのが見事だったんだが、本作では蹴散らされる一方だったし…戦いってのは難しいなあ。 一番納得いかなかったのはゴラムの描写。前作ほど個性だってなかったのもちょっと残念だったかな(某サークルでは「ゴクリ」なるあだ名まで頂戴しただけに、彼への期待度は無茶苦茶高かったんだが)。何より、ゴラムの最後は、あれじゃ駄目なんだ!踊ってる内に足を踏み外して溶岩に落ち込んでこそゴラムだろ?それに落ちながら「いとしいしとおお」と叫んでくれなきゃ(私にそんなあだ名が付けられたのはこのシーンをあんまりにも思い入れたっぷりに話したからだった)。なんでだよ!(いや、細かすぎるのは重々承知だが)。 突然大鷲が登場するのは時間の都合上仕方ないんだけど、一言ガンダルフに「おお、あれはグワイヒアじゃ」と名前を言わせる部分を入れて欲しかった。 相変わらず慎重の低いホビットと人間の対比には注意が払われてるのは好感度高いのだが、今回ラスト部分で失敗。後ろ姿とか歩く姿は、あれは子供だと丸分かり。子供っぽい仕草が残ってしまっている(そこまで演技付けられなかったのは残念だ)。それと、メリーとピピンの二人は前作でエントと共に生活している内に、身長が伸びてるはずなんだよね。並んだらフロドとサムと同じ身長だったよ。 そういやリヴ・タイラーが最後に登場した時、いきなり顔が縦長になってしまい、「誰これ?」になってしまったのもちょっと(レンズのためだろうけど)。 概ね不満のないラストシーンも、フロドが書いてる文字が英語だってことで、やっぱり「え?」と思う。 …うぅ。又やっちまったよ。 |
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 2002 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002米アカデミー作品賞、美術賞、特殊効果賞、音響効果賞、音響賞、編集賞 2002英アカデミー衣装デザイン賞、特殊視覚効果賞、作品賞、監督賞、撮影賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、音響賞 2002ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(ジャクソン) 2002放送映画批評家協会作品賞、音楽賞 2002TIMEベスト第9位 2002オンライン批評家協会作品賞、監督賞、アンサンブル賞 2002AFIベスト 2003日本アカデミー外国作品賞 2003MTVムービー・アワード作品賞、アクション・シーン賞、チーム賞(ウッド&アスティン&サーキス)、ヴァーチャル演技賞(ゴラム)、男優賞(モーテンセン) |
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アイゼンガルドのオルサンクの塔を拠点とする白の魔導師サルマン(リー)と、モルドールのバラド=ドゥアの塔にいる冥王サウロンが手を結んだことで、この二つの塔からの闇の勢力が増大していた。3方に離ればなれとなってしまった旅の仲間たちはそれぞれの旅を続ける。指輪を持つフロド(ウッド)とサム(アスティン)は指輪を狙うゴラム(=スメアゴル)を捕らえ、バラド=ドゥアへの案内をさせようとする。サルマン配下のオークに捕らえられてしまったもう二人のホビットであるメリー(モナハン)とピピン(ボイド)は幻想的なファルゴンの森に逃げ込み、そこでエント族の長老“木の髭”と出会う。一方、アラゴルン(モーテンセン)、レゴラス(ブルーム)、ギムリ(リス・デイヴィス)の3人は、メリーとピピンを追う途中で、国王がサルマンの呪いに苦しめられているローハンの騎士の一団と遭遇し、結果的にローハンのために戦うことになる… 『指輪物語』の映画化第2作目。待ち望んでいた作品だったが、実は前作を私は今ひとつ評価していない(素晴らしい作品であることは確かなんだが)。原作に本当に忠実だったけど、とにかく物語を詰め込みすぎ、しかもアクションの連続だったから、観ていて疲れ切ってしまった。 今回ももし前作と同じように極端に密度が高かったら…かなりの気合いが必要だ。 案の定。最初の一時間は辛かった。頭の中にある「指輪物語」の物語と検証しつつ、「こんなシーンも入れてるのか」と感心しつつも、やはりきつい詰め込みで、頭がかなり疲れた(そんな苦労する観方をするからと言う、元も子もないつっこみは甘んじて受けよう)。 だけど、それを超えた辺りから、画面そのものに引き込まれてしまう。 前作と較べ、CGはかなり控えめに(そうでも無いという意見もあるけど)、しかも出すところはしっかり出しているところとか、舞台がちゃんと現実世界のロケーションに寄っているところとか、非常に好感を持てた。ロケーションが(確か監督の出身地の)ニュージーランドなので、見慣れぬ風景の自然がとても美しい。何より前作で全然出来てなかった緩急の演出が本作ではちゃんと出来ていた。見せ場に至る前段階の描写が今度はしっかり描かれていたため、映画としての完成度も高くなっている。個々人の冒険だけでなく、国を挙げての戦争状態の演出もしっかり出来ていた。しかも原作に忠実に。これだけよくバランスを取って作り上げることが出来たと言うことがすばらしい(いくつか「あれ?こんなシーン原作にあったか?」というのもあったけど、未だ確認はしてない。整合性を取るためのオリジナルなのかな?)。 後半部分はかなりのめり込んだため、最初の一時間であれだけ疲れを感じた割には残り二時間ほとんど疲れることなく、ずっと画面に集中できた。是非DVDが出た暁にはちゃんと原作を読み返し、細かくチェックを入れてみたい(笑) ストーリー面については、今度は旅の仲間が3つに分かれ、それぞれのストーリーがかなり詰まっているので、それを把握するのは結構たいへんだけど、それだけしっかり原作を描写しているという事。よくぞここまで詰め込んだと感心。 他にもキャラクターの関係とか、今回登場したエントとか、画面を埋め尽くすオークとの戦いとか、色々魅力はあるけど、本作は細かいところの描写が実に良い。これは一作目での評価にもつながるのだが、本作の巧さの一つとして、人物の対比というものがあると思っている。ホビットは常に小さい種族として描かれるため、彼らと対峙するキャラクターの目線は常に下に向いているし、なるだけ同一画面に入らないように気を付けているのもなかなか泣かせる。CGなら問題なくその描写は出来るけど、無意味に同一画面に出す必要はない。それと、これだけ土とか汗まみれになる描写が入るのに、旅の仲間の一人、エルフのレゴラスはどんな時にもさっぱりとした顔をしている。それと勿論ホビットよりも更に視線が下になるゴラム(原作ではゴグリとなっているけど、これは唾を飲み込む音をそのまま表記している。本作でもゴラムというのはそのような擬音を用いている)も、皮膚の質感とか、目の動きとかが巧いし、彼と対峙するキャラクターの目線もしっかり作られていた。 確かに前作と較べアカデミーへのノミネートは減ってるけど(前作13賞ノミネートで受賞が3賞。今回6賞ノミネート)、私にとっては、むしろこっちの方が遙かに評価できる。 ところで本作は原作ファンにとって冒頭から喜ばれたはず。だって字幕に評論社の監修が付いてる。前作の字幕があまりにも酷く、もの凄い苦情の嵐が吹きまくったお陰。ファンの力って凄い。 |
ロード・オブ・ザ・リング 2001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー撮影賞、作曲賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、作品賞、助演男優賞(マッケラン)、監督賞(ジャクソン)、脚色賞、歌曲賞、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞 2001英アカデミー作品賞、監督賞(ジャクソン)、メイクアップ&ヘアー賞、音響賞、特殊視覚効果賞、観客賞、主演男優賞(マッケラン)、脚色賞、作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、編集賞 2001LA批評家協会音楽賞 2001ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(ジャクソン)、音楽賞、歌曲賞 2001放送映画批評家協会歌曲賞、音楽賞、作品賞、監督賞(ジャクソン) 2002日本アカデミー外国作品賞 2002MTVムービー・アワード作品賞、ブレイクスルー演技賞(ブルーム)、男優賞(ウッド)、アクションシーン賞(洞窟でのバトル・シーン)、格闘シーン賞(リー対マッケラン)、悪役賞(リー) 2002オンライン・ムービー・アワード第1位 2002日本のヒット作第5位 |
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ホビットの村に住むビルボ・バギンズは古の時代から伝わる究極の指輪を所有していた。それは冥王サウロンが作った全てを支配する力を持つ指輪だった。心優しく、野心のないホビット族だけがその力に支配されることが無かったのだ。ところが数千年の時を経て復活したサウロンは自らの力を再び手に入れようと、指輪の探索を始めた。この世を再び暗黒の世に戻そうとするサウロンを阻止するためには指輪を破壊しなければならない。その方法はただひとつ、”ほろびの亀裂”の火口に指輪を投げ込むことだった。年老いたビルボから指輪を受け取った甥のフロドは、魔法使いのガンダルフに誘われ、ホビット、エルフ、ドワーフ、魔法使いら9人の旅の仲間とともに、指輪を破壊すべく旅にでるのだった。 この映画については、思い入れが強い分色々言いたいことが詰まっている。 これは言うまでもなく有名なファンタジー小説「指輪物語」の映画化作品。ファンタジーの源流とも言われる原作は私も大好きで、今でも時にパラパラとめくってみる事がある。その内の第一部である「旅の仲間」を全て映像化しようという壮大な試みだ。正直映画化は無理だろうと思っていただけに、少なくともこんな事をやろうと思うこと自体に感動を覚える。 ただし、言っておくが、あれだけ長い物語を本当に映画化してしまったのだ。無理が生じないわけがない。 大体、前に映画化された『ハリー・ポッター』(2001)だって一巻分を映画化するのはかなり難しく、映画は詰め込みすぎた感じがあった。ところが、大体3時間もあれば一冊読める『ハリー・ポッター』と違い、この『指輪物語』は、一部「旅の仲間」だけでも、私の読書能力総動員しても丸一日はかかる。単純計算でも『ハリー・ポッター』の数倍に及ぶ内容量がここには詰まっているわけだ。そんなものを全て映画化しようって言うなら、数時間じゃとても足りない。 結局3時間にまとめられたこの映画、本当に原作を上手くまとめ、ちゃんと映画になってはいた。これなら原作ファンも頷ける内容だ。勿論いくつかの物語は外され、整合性を持たせるためにショートストーリーが挿入されたりしていたが、物語の重要な部分は殆ど入っていた。よくこれだけのものを映画にできたものだ。偏見だが監督が監督だけに(この人は元々スプラッター映画ばかり作っていた人)結構心配していたんだ。 その点については見事。と言っておこう。 だが敢えてこれを一本の「映画」として見ると、この作品はちょっといただけない。簡単に言ってしまえば詰めすぎなんだ。 私にとって本当に良い映画の基準というのは、計算された緩急にこそある。アクションシーンならいくらでも格好良く作ることはできても、淡々と流れるシーンをいかに上手く見せるか、と言う点は極めて難しい。流して観るようなそう言うシーンこそ映画の重要性がある。むしろアクション映画であれば、その点をこそ踏まえて欲しいと思っている。然るに、この作品は見せ場だらけで、淡々と流れるシーンが殆ど無い。せいぜい前半15分のつかみのシーンくらいだろう。後は緊張感とその解放であるカタルシスのシーンが続く。原作の見栄えのするシーンをつなぐと、結局こうなってしまうのだから、仕方ないと言えばその通りなんだけど… 原作は緩急の取り混ぜは実に上手いのだが、それはあくまで小説での話。そんなもの全部入れていたら上映時間は数倍になってしまう(その方が私は嬉しいが、さすがに商業的にそんなことは出来るはずがないし)。 とにかく観ていて疲れる。いや、観ている間は良いんだけど、観終わった後の脱力感が凄まじい。最後に癒し系歌手エンヤの歌を入れたのは心憎い配慮なのかもしれない。 ところで内容だが、物語の方は元が良く、それを忠実に映像化してくれたので全く文句はない。ただ、出来れば『指輪物語』の前史である『ホビットの冒険』を先に映像化して欲しかった。ビルボがどうやってその指輪を手に入れたのか、これではあまりに分かりづらすぎ(『指輪物語』三部作が終わったらやるかもしれないと先読みしてるけど)。後、ラストシーンは何故か一気に次回作である『二つの塔』を飛ばして『王の帰還』に入ってるんだが… 字幕については、怒りまくってる人間の事は、良ーっく理解できる。原作ファンは瀬田貞二氏の訳に慣れ親しんでいる分、あの訳し方じゃ腹を立てるよ(ストライダーの瀬田訳は「馳夫」。それに対し、映画で「韋駄天」と訳していたのを見て、本気で怒りを覚えた)。まあ、英語読解出来る人だったら字幕を無視すれば良いんだけど(台詞そのものはかなり楽な英語の部類にはいるから、挑戦してみたくもある)。 雑学だが、エルフを高潔なキャラクターとして創造したのは原作者のトールキンが最初。元々はエルフィンという悪戯好きの妖精を、トールキンが自分なりにああ言った種族に設定してしまっただけの話。現在のファンタジーは『指輪物語』から派生したものだから、その設定が今の常識になってるけど。それに元々エルフは耳が尖っていたわけではない(映画では別に尖ってなかったし)。多分人間との差異化を図るために誰かが勝手に創造したのだろう。 ところで、観終わって思うこと。 米アカデミー会員って、原作の『指輪物語』がとても好きな人が多いのだろう。あの原作をよくぞ映像化してくれた!と言うのでドカドカ投票したんじゃなかろうか?それは分かるけど、むしろ私はこれは「原作の映像化作品」と呼びたい。無理を承知で言わせてもらうなら、一年くらいのテレビシリーズで作ってくれればなあ。 本作の製作は準メジャーと呼ばれるNewLineCinemaだが、本作がそれまでの最高の投資だったそうで、これがコケたら会社が潰れるという賭けだったとのこと。 |
さまよう魂たち 1996 | |||||||||||||||||||||||||||
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製作はロバート・ゼメキス |
乙女の祈り 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー脚本賞 1994ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(ジャクソン) 1995ジュラルメール・ファンタスティック映画祭グランプリ |
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1952年クライストチャーチの女子校に通うポーリーン(リンスキー)とジュリエット(ウィンスレット)は大の仲良しだったが、病弱なジュリエットのためにポーリーンが話した想像の世界がやがて二人の真実の世界へと変わっていく。そんな二人を心配したジュリエットの母は二人が逢うことを禁止するのだが… ニュージーランドで実際に起こった、最も有名な事件を元にしている。これを題材にしたのとしては、先にフランスで『小さな悪の華』が公開されている。 『ロード・オブ・ザ・リング』を監督する以前。この時点ですでに一種のカルト監督として一部では有名だったPJだが、「俺はこんなのも作れるんだぞ」ということを内外に知らせた、文字通りの出世作。 内容は実際にあった殺人事件をモティーフとしているのだが、PJは本作に巧妙に罠を仕組んでいるように感じる。 本作は多感な少女期に起こり得ることを丁寧なタッチで描いた作品という側面もあるが、一方では夢見がちな人が起こす、妄想全開のこの世ならざる世界を描いているという側面もある。普通の人間でも妄想に凝り固まってしまうと、簡単に現実から一歩足を踏み外してしまう。これは精神的な意味でのホラーに他ならないし、同時に少女に託し、彼は自分自身を描いているかのようにも見える。夢見がちで、自分の独自の世界を作り出し、その空想(妄想?)にふけっている自分自身を。そして自分自身の想像の世界を実際にクリエイターとして作り出せるようになった今こそ、自分自身を描ける!と感じてこの作品を作ったようにも思える。だからこそ本作は不思議な魅力を持つのかもしれない。 ただ、PJが作り出す世界、そして子供の頃に傾倒した世界はおそらくかなりホラー気味だったために、本作はどこか不気味で背徳的な雰囲気も持つ。それができるのも才能というものなのだろう。 |
ブレインデッド 1992 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1993アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ、批評家賞、SFX賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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