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2017 | キングコング:髑髏島の巨神 監督 | |
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2013 | キングス・オブ・サマー 監督・製作総指揮 | |
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1988 | ||
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1986 | ||
1985 | ||
1984 | 9'22 誕生 |
キングコング:髑髏島の巨神 2017 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2017米アカデミー視覚効果賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1973年1月29日。ニクソン大統領がヴェトナムからの撤退を宣言したその日。ランドサットの映像から太平洋上に謎の島が存在することを知ったアメリカ特務研究機関モナークのランダ(グッドマン)は、政府に掛け合って予算を出してもらい、その島野調査を行う事になった。元SASのコンラッド(ヒドルストン)とヴェトナムから帰還する予定のパッカード(ジャクソン)率いる空挺部隊の面々を雇い、嵐の中を付いてどの髑髏島へと上陸を果たすのだが、そこに巨大な猿が現れ、ヘリ部隊を全滅させてしまった。生き残った面々は、生き残るために帰還目的地へと向かうのだが… ある意味映画の歴史を変えてしまった衝撃作『キング・コング』(1933)は、その遺伝子を映画に数多く残してくれた。この作品があったからこそ後のモンスターパニック映画はそのフォーマットに則って作られるようになったし、それは当然『ゴジラ』(1954)を始めとする日本の特撮作品にも多大な影響を与えている。 数多くの亜流(と言っては失礼だろうが)が存在する作品だが、正式なリブート作として、ギラーミン監督による『キングコング』(1976)、そしてピーター・ジャクソン監督による『キング・コング』(2005)が存在する。だから本作は3回目のリブート作品と言う位置づけにある。 だが、基本これまでの2本のリブート作はオリジナル版をできるだけ忠実に再現していたのに対し、本作は全くその辺は顧慮して織らず、「楽しきゃいいだろ」という割り切りで作られてるのが大きな特徴か。オリジナル版では前半の舞台だった髑髏島に話を限定して、そこでコングと怪物立ちと人間たちの三つ巴の戦いをど派手な演出でやってくれる。これはこれでありっつーか、むしろ「これだよ!」と思わせてくれるところが素晴らしい。オリジナルに敬意を払ってきっちりリブートしたピーター・ジャクソン監督のやり方も正しいけど、これはこれで充分ありだろう。 なんというか、本当に「こう言うのが観たかった!」というのをちゃんとやってくれたのが嬉しい。流石レジェンダリー。そう言う意味では外さないでくれる。 ドラマ性がほとんどないため、とにかく頭空っぽにして、観たまんまを楽しむのが一番楽しい。 だけど、ちょっと深く考えることも可能。 本作は勿論『キング・コング』(1933)をベースにしてるのは確かなんだが、他の映画の引用がとても多い。モンスターの登場シーンとか戦闘シーンとかは『ジュラシック・パーク』(1993)と 『ジョーズ』(1975)の影響も大きいが、もっと盛り上げる為にか、触手による攻撃や意外性のあるモンスターの登場には『ザ・グリード』(1998)とか『ディープ・ブルー』(1999)とかの引用もかなり目立つ。演出的に言うなら怪物同士の戦いになると、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)や『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966)と言った日本の特撮からの強い影響が見られる。 この監督、相当な怪獣マニアだ。しかもそれらの引用が決して嫌らしくない。知ってる人ににやりとさせつつ、引用を感じなくても観られるようになってるのが心憎い。あと後述するが、他のレジェンダリー作品との関連も多々。 しかし本作で最も多く引用されていたのは間違いなく『地獄の黙示録』(1979)だろう。これに関しては演出的な引用(ヘリコプターでヴァルキリーの騎行流すとか、ナパーム落とすシーンとか川下りの筏とかがある。ヒドルストンの髪形と役回りはマーティン・シーン演じるウィラードそのまんま)どころか相当に内容まで似せている。映画よりも原作の「闇の奥」(書評)からのものも含めて、あまりにその引用部分が大きく(そもそも主人公の名前が「コンラッド」ってところで関連がない方がおかしい)、むしろ『キング・コング』(1933)の世界で『地獄の黙示録』をやってみたといった風情になってる。 色々と語りたいところは多いけど、殊『地獄の黙示録』との関連を少し掘り下げてみたい。 『地獄の黙示録』および原作の「闇の奥」は、主人公の目的こそ異なるが、主人公が探しているのはカーツ(原作ではクルツ)という、大きな川の上流に自分自身の王国を作った狂気の天才で、彼を見つけ出すことが目的となる。どちらも見つけ出した後でどうするのか具体的なことを考えずに、とりあえず会ってから決めるというアバウトなもの。得体の知れない偉大なる存在に近づく努力という意味では本作の骨子に近く、原作では象牙と王国を守る為に共に戦い、映画版では殺害すると言った二つの方向性がちゃんと使われているのが面白い。 ここにおいてコング=カーツという構図が成り立つ訳だが、一方ではカーツの狂気性は動物であるコングにはない。その狂気性はサミュエル演じるパッカードが担うこととなった。パッカードに関してはまさに軍人の鏡だが、帰るべき場所を持たず、戦友と部下だけが家族と思い込んでいるところがあって、話が進むにつれ、それが狂気性を帯びてくる。自分の部下=家族を殺した存在は問答無用で自分の敵であり、駆逐すべき存在となる。理性とかなんとかでは無く、ひたすら駆逐する敵を求め続ける狂気性がカーツに近づいていく(『ジョーズ』の鮫ハンターのクイントにも通じる狂気性がある)。それになにより、サミュエル、こういう役が特に似合う。サミュエルの魅力というのはいくつもあるけど、個人的にはやっぱりかっと目を見開いて、相手を見据えて説教をするシーンが特に似合う。サイズが全く違うのだが、それをコング相手にやってるシーンは名シーンだと思うし、説教の中に必ず挿入される「mother fucker」がちゃんと聞けるのもなんとも嬉しい。 そしてそれらの暴力衝動や狂気に陥らぬよう自らを必死につなぎ止めようとするヒドルストン演じるコンラッドの立ち位置もウィラードのものに似通っており、 川下りの描写も、のどかな中に危険が潜み、一人一人が丁寧に殺されていくのもそれっぽい。 元よりベスト・オブ・ベストに『地獄の黙示録』を選ぶ私にとっては、とにかく嬉しいことばかりの作品だった。 あと、本作は他のレジェンダリー作品との関連も忘れてはいかんだろう。結局次回作に持ち越しとなってしまったが、地下空洞説の設定は『パシフィック・リム』(2013)で用いられたものと大変近いこと。ラストシーンで明らかに某怪獣の鳴き声が聞こえたこと、壁画に三つ首の龍らしきものと、巨大蛾、翼竜が描かれていたことなど。明らかにこれらは世界観がつながってる。そのうちに確実に共演することとなるのだろう。 丁度今、マーベルでマーベル・シネマティック・ユニバースが、DCでDCエクステンデッド・ユニバースが展開中だが、レジェンダリーもそれを見据えて映画製作に入ったと言うことになるのだろう。 |