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2021 | ||
2020 | ||
2019 | マリッジ・ストーリー 監督・製作・脚本 | |
2018 | ||
2017 | マイヤーウィッツ家の人々(改訂版) 監督・製作・脚本 | |
2016 | ||
2015 | デ・パルマ 監督・製作 | |
2014 | ヤング・アダルト・ニューヨーク 監督・製作・脚本 | |
2013 | ||
2012 | フランシス・ハ 監督・製作・脚本 | |
2011 | ||
2010 | ベン・スティラー 人生は最悪だ! 監督・脚本 | |
2009 | ファンタスティック Mr.FOX 脚本 | |
2008 | ||
2007 | マーゴット・ウェディング 監督・脚本 | |
2006 | ||
2005 | イカとクジラ 監督・脚本 | |
ライフ・アクアティック 脚本 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | 彼女と僕のいた場所 監督・脚本 | |
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | 9'3 ニューヨーク市ブルックリンで誕生 |
マリッジ・ストーリー Marriage Story |
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2019放送映画批評家協会作品賞、主演女優賞(ヨハンソン)、アンサンブル演技賞、監督賞、脚本賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニューヨーク在住の売れっ子舞台演出家チャーリー・バーバー(ドライヴァー)は、元劇団員のニコール(ヨハンソン)との間に愛息子のヘンリーをもうけ、幸せな家庭生活を送っていたはずだった。しかし売れっ子故の忙しさにかまけ、家族をないがしろにしてきたチャーリーと、俳優としてのキャリアを再開したいニコールとの間には亀裂が入り始めていた。そんな時、カリフォルニアで撮影されるテレビドラマの主役をもちかけられたニコールは、意を決して離婚を切り出す。当初は落ち着いて話し合いを始めたはずが、ヘンリーのことや、お互いの不満、そして弁護士のアドバイスなどによってどんどん話し合いは泥沼状態になっていく。 日本でも数多く起こる事案だが、アメリカでは特に良く起こる離婚問題に焦点を当て、リアルな離婚劇を描く作品。 これは大変勉強になる作品だった。本作におけるリアリティとは、感情の問題ではなく、法的な意味で離婚はどう行うかを的確に描いている点にあるから。確かに映画的にするためにドラマ性は取り入れているが、それもきっちりしたリアリティの上で行っているので、共感出来る描写になってる。 リアリティという意味で言うならば、離婚において有利なのは、先に優秀な弁護士を雇うこと。まずスタートでこれが出来ていれば半ば勝訴は確定される。この作品の場合、最初にそれが出来たのが妻のニコールの方。それからきっちり証拠固めをした上で(チャーリーは一度浮気をしていたという弱みもあった)、確実に勝てる状態にした上で離婚を切り出す。この時点でもはやチャーリーには勝ち目がない。なんとか実力ある弁護士を雇うことは出来たものの、精々多少の譲歩(ヘンリーと会うことは自由になるとか)を引き出す程度。映画的に盛り上がるどんでん返しもない。 ただ、裁判はオチではなく、そこから新しい人間関係の形成が始まっていく。自暴自棄に陥らなかったチャーリーはこれまでの自分勝手な生き方を改めざるを得なくなり、なんとか友好な疑似家族関係を作らねばならなくなる。涙ぐましい努力となるのだが、それを淡々と描いているところもリアリティだ。 そんな物語なので、映画的な意味で盛り上がるところがとても少ない作品なのだが、主演のアダム・ドライヴァーとスカーレット・ヨハンソンが抑えた演技巧いため、しっかり観ていられるし、痛々しさも感じない。淡々としてはいるが、とても素晴らしい物語になったのはこの二人の演技力によるものだろう。 最後までカイロ=レン対少佐の戦いがいつ始まるかと頭の片隅で期待していたのも多少の事実ではあるが… |
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イカとクジラ 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005米アカデミー脚本賞 2005全米批評家協会脚本賞 2005NY批評家協会脚本賞 2005LA批評家協会脚本賞 2005トロント映画批評家協会主演女優賞(リニー)、脚本賞 2005ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ダニエルズ)、女優賞(リニー) 2005インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演男優賞(ダニエルズ)、主演女優賞(リニー)、助演男優賞(アイゼンバーグ)、脚本賞 2005放送映画批評家協会脚本賞、若手男優賞(アイゼンバーグ、クライン) 2005ナショナル・ボード・オブ・レビュー脚本賞 2005ピーター・トラヴァースベスト第6位 2005全米オンライン映画批評家協会ブレイクスルー俳優賞(クライン) 2005脚本家協会オリジナル脚本賞 2005AFIベスト |
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ブルックリンに住む4人家族のバークマン一家。作家の父ベルナルド(ダニエルズ)と映画評論家の母ジョーン(リニー)。高校生の長男ジェシー(アイゼンバーグ)と中学生の次男フランク(クライン)。彼らは平穏な生活を送っていた家族だったが、ジョーンの映画批評が売れ始めると共に、家族の関係がぎくしゃくし始める。そしてある日、ジェシーとフランクは両親から離婚する事を告げられるのだった。 脚本家のバームバックが自らの体験を脚本化し、自ら監督して仕上げた作品。ここに書かれているのは、監督が高校時代に味わった体験そのものだそうである。 しかしこの作品には驚かされた。新世紀に入って作られた作品なのに演出がむちゃくちゃ古臭い。あらかじめいくつも賞を得てる作品だって事は知ってたし、監督も素人のはずはないんだけど、最初は監督が慣れてないのか?とか思ってたのだが、しばらく観ていくうちに分かってきた。 この古い演出は明らかに狙って作ったものだ。しかも敢えてヌーヴェル・ヴァーグ風に。 なるほどこの作り、トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』とそっくりだし、父につれられて映画に行った時に流れていた作品はゴダールの『勝手にしやがれ』だった。明らかに狙った作りだったな。 改めて思うにヌーヴェル・ヴァーグ的な演出は本当に青春ものには似合う。思春期は人間の体が作り直す時であると言われるが、その際のホルモンバランスの偏りは様々な距離感を狂わせる。それは親子関係や友人関係と言った人下関係のみならず、時間的感覚さえ狂わされてしまうことがある。苛つき不安に陥り、時間を飛ばしたり凝縮したりすることは、まさしくヌーヴェル・ヴァーグの時代に培われたカメラ・ワークでフォローできるのだ。現代にそれを復活させて、しかもしっかりした映画にしてくれたことが嬉しい。懐かしいと言うよりはむしろこの時代になってこれを作ってくれたことに拍手を送りたい。 しかし本作は構成上かなり『大人は判ってくれない』に似ている(というか、かなりそれを戯画化してる)。決して貧しい家ではなくても、親は自分のことで手いっぱいで子供に愛情を振り分けることが出来ない家庭。「僕をみて」というシグナルが一切通じない場合、子供は親に対してではなく、自分や他者を傷つける行為にふけり、“ここでない何処か”に行こうとし、挫折を繰り返すことになる。それでどこにも行けなくなってしまったとき、子供はどこにいくか… 『大人は判ってくれない』で主人公アントワーヌは海に行き、そこで戻ってくる。行くべきところまで行ったところで、死と生きることの両天秤にかけたとき、生きることを選択したという描写がそこではなされていたよう。 一方ここでのジェシーはどうだったか。彼が一度も行ってない(というか、避け続けていた)ところが一つだけあった。彼は今まで怖くて見られなかったニューヨーク博物館にあるイカとクジラの展示物を観に行くのである。彼がこれを何故怖がったのかは劇中には描かれていないが、深層心理の中では、互いに食い合おうとして争っているイカとクジラは両親を示していたのかもしれない(エロチックな意味でも)。最後のシーンなんか完全に『大人は判ってくれない』をパロディ化したものだろうね。 ある意味ヌーヴェル・ヴァークをこの時代でやったというのは、非常に面白いことであると共に、今でも尚充分に鑑賞に堪えうる作品であることをしっかり示していたことは、本作の大きな功績だろう。 ちなみに中学生の弟フランク役を演じているオーウェン=クラインはケヴィン=クラインとフィーヴィー=ケイツの間の子。いわばエリート役者だし、堂々たる演技者であるのは分かるのだが、それで演らせてるのが自慰中毒の中学生ってのがなあ…親父から叱られなかったか? |