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ロバート・ベントン
Robert Benton

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鑑賞本数 合計点 平均点
書籍
_(書籍)
2008
2007
2006
2005
2004
2003 白いカラス
2002
2001
2000
1999
1998 トワイライト 葬られた過去 監督・脚本
1997
1996
1995
1994 ノーバディーズ・フール 監督
1993
1992
1991 ビリー・バスゲイト 監督
1990
1989
1988 事件を追え 製作総指揮
1987 消えたセクシー・ショット 監督・脚本
1986
1985
1984 プレイス・イン・ザ・ハート 監督・脚本
1983 殺意の香り 監督・原案・脚本
1982
1981
1980
1979 クレイマー、クレイマー 監督・脚本
1978 スーパーマン 脚本
1977 レイト・ショー 監督・脚本
1976
1975
1974
1973
1972 夕陽の群盗 監督・脚本
1971
1970 大脱獄 脚本
1969
1968
1967 俺たちに明日はない 脚本
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932 9'29 テキサス州ワクサーチで誕生

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タイトル
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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

白いカラス 2003
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★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

プレイス・イン・ザ・ハート 1984
1984米アカデミー主演女優賞(フィールド)、脚本賞、作品賞、助演男優賞(マルコヴィッチ)、助演女優賞(クローズ)、監督賞(ベントン)
1984
全米批評家協会助演男優賞(マルコヴィッチ)
1984NY批評家協会脚本賞
1984ゴールデン・グローブ女優賞(フィールド)
1985ベルリン国際映画祭監督賞(ベントン)

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ロバート・ベントン(脚)
サリー・フィールド
リンゼイ・クローズ
エド・ハリス
ダニー・グローヴァー
ジョン・マルコヴィッチ
エイミー・マディガン
テリー・オクィン
バート・レムゼン
レイン・スミス
ジェイ・パターソン
トニー・ハドソン
ルー・ハンコック
ビル・サーマン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1935年のテキサス州ワクサハチ。保安官の夫を失い、借財まみれになってしまったエドナ・スポルディング(フィールド)は、借金を返すため、そして夫との思い出の染みついた家を売らずに二人の子供を育てるために、長らく放置していた綿花の栽培を再開することになった。彼女の家に入った泥棒で回心して働き手となった流れ者のモーゼス(グローヴァー)、銀行家の弟で借金の延長の担保として無理矢理下宿させられた目の不自由なウイル(マルコヴィッチ)らを加え、新しい家族と共に、綿花の収穫を急ぐ女性の姿を描く。
 1980年代は進歩的な時代であり、且つ若者にターゲットを当てた作品が連発して作られた時代だった。具体的に言えば、派手な演出と意外性のあるストーリーが好まれた時代と言えよう。事実この時代に生まれたスターの大半はアクションスターだったし、SFXの進歩によって多くの映像改革も行われた。
 ただ一方では、その時代の流れに否定的な、古い時代を振り返る懐古趣味の作品も意外に結構な数作られている。どんどん離れていく家族関係の危機感がそれを呼んだのかも知れない。派手な作品に押されてしまい、今ひとつ目立っていないにせよ、実は良作は結構多い。
 特にこの1984年はその方向性が顕著な年で、この年はアメリカの田舎。しかも天災に遭って困窮する家族を描いた作品が連発して作られた。
『カントリー』『ザ・リバー』(1984)、そして本作と3作もあり、ヒロイン三人が全員アカデミー女優賞にノミネートしている。逆境に耐え、子供達を育てたくましく生き抜く母親像はアメリカ映画の伝統的スタイルで、映画の初期から現在まで脈々と作られ続けているパターンではあるが、それが年に3本というのはかなり興味深い。それだけ危機感が強まった年だったのかも知れない
 そしてその3作の中で見事オスカーを射止めたのが本作の主役サリー=フィールド。接戦を制した形になるが、それだけ本作の出来が良かったことをよく表しているだろう。
 現時点では私はこの3作中本作と『ザ・リバー』を観てるが、明らかにこちらの方が面白い。フィールドのキャラクタ性がよく出ているのみならず、脇を固める俳優達が抑えた演技でフィールドをしっかり支えてくれたのが最大の原因だろう。グローヴァー、マルコヴィッチ、ハリスと、今となったら蒼々たるメンバーだが、彼らはみんな本作で一躍有名になったのだ。決して出しゃばらずに、しかもしっかり個性出してるし、彼らがいたからこそ、話に厚みが出ている。
 演出も綺麗で、季節と気候によって次々に変わる綿畑の表情とか、人の移ろいと気候の関連とか、様々な所で凝った演出がなされているのが特徴だろう。KKKが出てくる所の怖さなども充分に良かった。特にラストの教会のシーンは名場面の一つ。

 本作は
1983年に設立されたトライ・スターの作品。本作と同年に投入された『ナチュラル』(1984)で、ハリウッドの良心的製作会社というイメージを確立した。今でもペガサスの絵を見ると、当時のトライ・スターの諸作品を思い出す。それぞれの年代にそれぞれ特色を持った準メジャー会社があるものだが、今から考えると、80年代を代表する準メジャー会社ではやはりこれが抜きんでてた会社だったな。
殺意の香り 1983

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ロバート・ベントン(脚)
ロイ・シャイダー
メリル・ストリープ
ジェシカ・タンディ
ジョセフ・ソマー
ジョー・グリファシ
サラ・ボッツフォード
アーヴィング・メッツマン
ラリー・ジョシュア
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
クレイマー、クレイマー 1979
1979米アカデミー作品賞、主演男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ストリープ、アレクサンダー)、監督賞、脚色賞、助演男優賞(ヘンリー)、撮影賞、編集賞
1979NY批評家協会作品賞、男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ストリープ)
1979LA批評家協会作品賞、男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ストリープ)、監督賞(ベントン)、脚本賞
1979ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ストリープ)、脚本賞
1980英アカデミー作品賞、主演男優賞(ホフマン)、主演女優賞(ストリープ)、監督賞、脚本賞
1980ブルーリボン外国映画賞
1980キネマ旬報外国映画1位
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ロバート・ベントン(脚)
ダスティン・ホフマン
メリル・ストリープ
ジャスティン・ヘンリー
ジョージ・コー
ジェーン・アレクサンダー
ハワード・ダフ
ジョベス・ウィリアムズ
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 仕事第一主義で結婚八年目になる妻ジョアンナ(ストリープ)と息子のビリー(ヘンリー)を全く顧みもしないテッド(ダスティン・ホフマン)は、ある朝衝撃的な事実を突きつけられる。こんな夫と共にいることに耐えられなくなったジョアンナが家を出てしまったのだ。ビリーと二人、家に取り残されたテッドは、これまで全くやったことのない家事と、息子ビリーの相手をしなければならなくなったのだ。当時の都会の問題と、家族の関わりを描く。
 脚本家ベントンがメガフォンを取った作品で
1980年全米興行成績2位。人気とオスカーが見事に一致した作品でもあった。特にホフマンにとっては、これが4度目のオスカーノミネート。ついに最初のオスカーを得た。
 1960年代終わりから70年代前半に流行ったニューシネマ・ブームが一段落し、70年代後半から80年代初頭にかけてハリウッドは新しい映画を模索し続けた
(正確に言えば、この時代のみならず、常に模索していくのが映画産業という奴だが)。様々な試みがなされたが、本作もその一環と言えるだろう。そして、この流れは今もなお脈々とハリウッドの良心的映画を作り続けている。
 現代の普通の家庭を例に取り、時流を取り入れつつ、外から見たらちょっとした、しかしその家庭にとっては大変重要な事件を取り上げたというリアリティ溢れるファミリードラマに仕上げられている。
 不思議なことにこれまで映画ではこの手の作品を取り上げることはほとんど無かった。盛り上がりもオチも弱いし、映画館という魔法の空間に呼ばれているのに、なんで現実感を見せる必要があるのだ。と言うのが理由なのか?とも思うのだが、現代映画はこういう作品を無しにしては語ることが出来ない。実はニューシネマを通すことによってようやく本作が作られるようになったとも言えよう。そもそもニューシネマはそれまでの映画界を支配してきた
“見立て”(約束事)を取っ払うことによって成立した。その中には過激なものも多数存在したものの、見立てを取り払うことによって、リアリティというものも同時に手に入れることに成功したのだ『真夜中のカーボーイ』(1969)なんかはその辺の描写が見事に際だっていたのだが)。ニューシネマ流行の時はそれに気付く人は少なかったと思うのだが、ニューシネマが廃れてきた辺りから、その有効利用に気付き始めた。最もそれに敏感だったのがウディ=アレン監督で、そのリアリティを持ち出して現代を描いた『アニー・ホール』(1977)は大成功を収めることが出来た。そう言う意味では本作はそのまま『アニー・ホール』を受け継いだ翌年の『普通の人々』(1980)にバトンを渡すことによって、このジャンルの地位を確立した作品とも言えるだろう(言うまでもないが、この三作は全部作品賞オスカー受賞作)。それにこのタイプの作品は、年代が代わろうとも普遍的な良さを持っているものだ。何年経って観ても、心地良い感触を味わえる。今更ながら難を言えば、劇場で観たかった作品だった。
 本作の狙いは「今」を映し出すこと。ここでは70年代のアメリカの離婚社会がその題材に上げられているが、離婚そのものを決して単なるマイナスに捉えることなく、それによって得られる新しい価値観を出すことにも成功している。それはテッドとビリーの食事シーンにもよく現れているだろう。家事をやったことがないテッドは自分が料理できないという事実をそれによって突きつけられることになるが、同時に、いくら癇癪を起こしても、子供を叱っても、食事が出来るわけではない。自分自身が変わらねばならない。という厳然たる事実もそこには突きつけられる。そして、あれだけ大切に思っていた仕事よりももっと大切なものがあることに気付く。その自分探しの過程と、その中で今まで全然見えてなかった人間関係を見いだしていくあんばいが大変心地良い。
 ただし、それは本人の心の変化であって、基本路線では離婚という事実は変えられず、息子のビリーはどちらか一方にしか面倒みることが許されないという厳然たる事実がそこには横たわっている。離婚とは単に離れるだけでなく、その後のきつい裁判騒ぎが待っており、妥協が許されない。本作の場合、ラストに救いが持ってこられるが、仮に持ってこなくても物語としては成立する。ラストがどういう形を取ることもあり得、そしてそれぞれに納得がいく物語が作れるというのも、リアリティの高い作品の強みだ。
 個人的には本作は食事シーンの良さに尽きると思ってる。最初のフレンチトーストの失敗が、ラストの見事な連携につながるのは印象的だが、途中端々に出てくる何かを食べてるシーンが生活臭を上手く演出出来ていた。
 それになんだかんだ言ってもここでの配役は見事だ。かつて『卒業』(1967)『真夜中のカーボーイ』と、ニューシネマの代表作に出演して話題をさらったホフマンだが、決してそれだけにとどまる存在ではないことを本作で証明して見せた。本作で普通の父親の役も出来ることを証明し、更に進んでオスカーを受け取ることで、新しいタイプの作品にも意欲的に出演しようと言う心構えを見せてくれていた(本人のオスカー受賞スピーチは
「仲間との競争が嫌でオスカー嫌いだったが、今は皆の代表としてこの賞を受け取りたい」だった。大人になったって事だ)。あまり画面には出てこなかったが、ストリープの存在感も際だっていた(最後にマスカラを気にするシーンはアドリブから生まれたのだとか)。ビリー役のジャスティン=ヘンリーも最年少のアカデミー助演男優賞ノミネートというおまけも付いている。
 ちなみにここで使われた音楽は
ヘンリー=パーセルが17世紀に作ったものだが、見事に画面にはまっている。

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