幻影師アイゼンハイム 2006 |
2006米アカデミー撮影賞
2006NYオンライン映画批評家協会撮影賞、音楽賞
2006ナショナル・ボード・オブ・レビュー優秀インディペンデント作品賞
2006アメリカ撮影監督協会賞 |
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ニール・バーガー(脚) |
エドワード・ノートン |
ポール・ジアマッティ |
ジェシカ・ビール |
ルーファス・シーウェル |
エドワード・マーサン |
ジェイク・ウッド |
トム・フィッシャー |
アーロン・ジョンソン |
エレノア・トムリンソン |
カール・ジョンソン |
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★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
3 |
4 |
2 |
3 |
バーナム博物館(書籍)スティーヴン・ミルハウザー |
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家具職人の息子エドワルドは、幼き頃公爵令嬢のソフィと出会う。仲良くなった二人は恋に落ちるのだが、大人達によって引き離されてしまった。そして時が過ぎ、エドワルドは幻影師アイゼンハイム(ノートン)と名を変え、奇術師としてヨーロッパ中の賞賛を浴びるようになっていた。そんな彼がウィーンでソフィ(ビール)と再会するのだが、ソフィは皇太子レオポルド(シーウェル)との婚約間近だった。再び惹かれ合う二人は駆け落ちを試みるが…
特に娯楽映画の場合、主人公がどんな職業をしているかで大体物語の構造が決まってしまうものだ。例えば主人公が弁護士であれば、法廷ものとなって、更に最後は逆転裁判となるのが定番。同じように詐欺師か手品師を主人公にした場合、終わり方は大抵どんでん返しになる。
つまり、本作の場合、タイトルそのもので既に終わり方が分かってしまっているというハンディを持たされてしまった訳だ。つまりこの作品の終わりは絶対にどんでん返しになる。それは分かりきっている。しかも『シックス・センス』(1999)以来観客の目も肥えてしまい、最初からそれを予測してくることも多くなったし、ちょっとしたどんでん返しではまるで反応が返ってこなくなった。
だから娯楽作として本作に求められているのは、どんでん返しがあることを前提にして、そこからどのような物語を作れるか。と言う点にあった。というか、この時代にこのテーマで作るんだったら、二重三重のどんでん返しを設定しなければならないはずだ。これは奇しくも同年にノーランが作った『プレステージ』(2006)で使っていた手法である。
ところが出来た作品は、本当に単なるストレートな(?)どんでん返しものであり、この終わり方だったら、前半で予測が付いてしまっていた。後は基本その通りになることを確認するだけの作業が延々続くばかり。全く面白さを感じなかった。
救いは演出がしっかり近世していて、陰鬱な空気がしっかり演出できていたことと、ノートンが魔術師役にぴったりはまっていたことくらいだろうか?それがあるから、出来は失敗でもあんまり悪い点数を付けたくはない。 |