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シックス・センス―シナリオ対訳本 _(書籍) |
2022 | |||||||||
2021 | オールド 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
2020 | |||||||||
2019 |
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2018 | ミスター・ガラス 監督・製作・脚本 | ||||||||
2017 | スプリット 監督・製作・脚本 | ||||||||
2016 | |||||||||
2015 | ヴィジット 監督・製作・脚本 | ||||||||
2014 | |||||||||
2013 | アフター・アース 監督・製作・脚本 | ||||||||
2012 | |||||||||
2011 | デビル 製作・原案 | ||||||||
2010 | エアベンダー 監督・脚本 | ||||||||
2009 | |||||||||
2008 | ハプニング 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
2007 |
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2006 | レディ・イン・ザ・ウォーター 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
2005 | |||||||||
2004 | ヴィレッジ 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
2003 | |||||||||
2002 | サイン 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
2001 | |||||||||
2000 | アンブレイカブル 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
1999 | シックス・センス 監督・脚本・出演 | ||||||||
スチュワート・リトル 脚本 | |||||||||
1998 | 翼のない天使 監督・脚本 | ||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | 8'6 ポンディチェリーで誕生 |
オールド Old |
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ガイとプリスカの夫婦は息子のトレントと娘のマドックスを連れて家族旅行で南国のリゾート地を訪れる。親切なホテルのマネージャーは彼らに何かと良きアドバイスをしてくれて、ホテルの近くにある素晴らしいビーチを案内してくれるという。そして選ばれてた四組の家族達はそのビーチへと招かれる。そして休暇を満喫する彼らだったが、浜辺で女性の死体が発見され、更に何故かビーチの通路となる洞窟から外に出られなくなってしまった。しかも彼らは自分たちが急速に老化していることに気づいてしまう… ハリウッドの不思議の一つとして、シャマラン監督が継続的に映画を作り続けられていると言うことがある。なんというか、シャマラン監督の作る作品はどれもハリウッドらしくないし、ヒットもそこそこ。普通の監督だったら干されるような状況なのに、それでもコンスタントに作られ続けている。制作側に熱烈なファンでもいるのか、それとも思った以上にコンスタントに黒字を出せるからなのか? 私は途中までは劇場で観ていたけど、だんだん劇場まで行く気力が無くなって今はビデオ待ちばかり。これもビデオ待ちしてから。 少なくとも、これ観て、コンスタントに作れる理由の一つは分かる。このような作品を作れる人というか、作ろうとする人はハリウッドの中でもこの人しかいないので、とてもユニークではある。 ほぼネタ一つだけで最後まで持って行くこの姿勢は、簡単なようで難しい。売れるかどうか分からない映画にあって、最後までネタ一つのソリッドな姿勢を貫ける人は多くない。どうしても何らかのサービスをしようと考えてしまうと思うのだが、敢えてそれを取らない姿勢はとてもストイックさを感じる。 本作のプロットは実にストレートで、単純に老化が早まるビーチに放り込まれた何組かの家族の物語である。途中でその事に気づいてからがパニック映画っぽくなるが、外部の人間が入り込まないため、パニックを起こしても死んだり傷ついたりするのは同じ家族の面々だし、同じ面々で協力したり殺し合ったりがずっと続く。そしてほとんどのメンバーが運命を受け入れて死を迎える。 最後にちょっとしたサプライズはあるものの、登場人物全員が不幸になるのをただ見守ってるだけで、救いも低い。スカッとしないので満足度も低い。 でもやっぱり唯一無二の作りというのだけははっきりしていて、又作ったら観るだろうという気にさせる。 本当にシャマランというのは不思議な監督だ。 |
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ミスター・ガラス | |||||||||||||||||||||||||||
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かつてイライジャ(ジャクソン)に見いだされ、息子のジョセフ(クラーク)と共に密かにヒーロー活動を続けていたデヴィッド・ダン(ウィリス)は、ある日ジョセフから、連続拉致事件が起こっていることを聞かされて現場に向かうが、そこにいた男(マカヴォイ)に襲われてしまう。人の能力を超えた力を持つその男と激しい戦闘になるのだが、派手に暴れすぎたため、二人とも警察に捕まってしまう。実はその刑務所にはイライジャも収監されていた。三人の担当女医エリー・ステイプル(ポールソン)は、三人の主張する特殊能力は妄想の産物だと教え込む。 『シックス・センス』でブレイクしたシャマラン監督だが、真の手腕が問われる次回作はヒーローを題材に取った『アンブレイカブル』だった。この作品もオチがなかなか見事で、この二作品によって監督は一流と観られるようになった。本当の出世作と言えよう。 ただ、以降の作品は定期的に作られてはいるものの、この最初の二作ほどのヒットはなく、概ね「ちょっと個性的な作品を作る監督」というあたりの認識になってしまった気がする。 そんな中、久しぶりに個性が光る作品として『スプリット』が出たが、このラストシーンでブルース・ウィリスが登場してびっくりさせられた。しかもそれは単なる客演ではなく、明確に『アンブレイカブル』とつながる物語として。 『スプリット』と『アンブレイカブル』が合体したことで、この二つの物語をつなげる作品が作られることになった。 それが本作となるのだが、この二作品を総括するに当たり、明確なテーマを掲げた。 それはタイトルにも表れているが、ミスター・ガラスことイライジャを主人公とすることだった。 イライジャはかつて自らがヴィランとなることによってデヴィッドというヒーローを見いだした。『アンブレイカブル』の終わり時点では、イライジャの目的はヒーローを作り出すことだったが、実はそれが本当の目的ではなかった。実はイライジャにはもっと大きな目的があったことが発覚した。そしてそのイライジャの本当の目的というのを探ることでほぼ全編展開することになる。 その目的というのは、この世界には人間の形をしているものの、人間を超えた数々の能力を持つ人間が古来から存在しており、彼らは「ヒーロー」と呼ばれるのだが、それをある組織が隠蔽し続けてきた。その事実を白日の下にさらすことだった。 イライジャがヒーローコミックを愛読してきたのは、フィクションとしてのヒーローを見て楽しむためではなく、それが真実を語ろうとしていたということを突き止めるためだったのだ。 だから自らが敢えて捕らえられることで真実に近づき、組織を出し抜こうと考えた。 このオチは結構面白い。実はイライジャ自身は身体を動かせないなりに目的のために戦っていたことが分かるし、自らの命を犠牲にして世界の真理をあばくことに成功している。 数世紀に渡って隠蔽してきた真実を暴くことでこの世界を混乱にたたき込む所業だったかもしれない。その意味ではイライジャは明らかにヴィランとなるが、そうであったとしても、作品としては間違いなく主人公であり、ヒーローとしての活躍だった。 この辺りはとても面白いのだが、イライジャ自身は車椅子からほとんど動けないために他の人を使うのだが、それが回りくどくなってしまって、演出がかなり間延びしてしまった印象がある。 デヴィッドというヒーローとビーストというヴィランとの戦いを期待して観ると、展開にだいぶ不満が出るし、この結論でこんな長い時間使う必要はないとかいろいろあって、点数はそこそこに。 これだったら最初の30分でこの結論出して、そこからヒーロー作品という燃え展開になっていたら大評価だったんだが。 |
スプリット 2017 | |||||||||||||||||||||||||||
2017MTVムービー・アワード俳優賞(マカヴォイ) | |||||||||||||||||||||||||||
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叔父からの虐待を受け、高校でも他の同級生から距離を置くケイシー・クック(テイラー=ジョイ)は、ある日同級生のクレアとマルシアと共に何者かに誘拐されてしまった。目を覚ました三人は同じ部屋に閉じ込められていることに気づくが、そこに近づいてきた男(マカヴォイ)の言動が一定しないことに気がつく。時に理性的に、時に幼児のようであったり、又女性のようであったり… 多重人格を扱ったサイコスリラー作品。 多重人格と言えば、一時期えらく流行った時期があった。おそらくダニエル・キイスの作品群のヒットによるものだと思うのだが、小説にとどまらず、マンガとか映像にも一時期大変多くの設定が出たものだ。特に日本でそれが顕著だったかと思う。 今でも時折そういう設定はSFとかで見かけることもあるが、多重人格障害そのものが医療的には認められてないし、大部分は嘘の証言と言うこともあって、流行りが過ぎてからはだいぶ廃れてしまったようでもある。 それを今になって復活させたのが本作の肝。設定自体が少々古くさくなってしまった感があるものの、一時期の流行りにも関わらず映画では開拓があまりされてない分野ということもあってか、今になってみるとなかなか新鮮にも思えてくる。 物語自体は割と一本調子で、シャマランらしくオチも弱い。しかしながら多重人格よりも主人公を少女の方にとって、拉致監禁された少女のタフさを描こうとした脚本は良い。人間関係の緊張感と、なによりキャラが良かったために見応えはあり。 特に本作は複数の過去の暴力描写が今を作り出しているという、暴力の入れ子構造のような作りになっているのが面白いところ。 マカヴォイ演じるケビンは幼少時の虐待によって多重人格者となった設定があり、現在その治療中となる。一方ケイシーは幼い頃から叔父による暴力を経常的に受けており、そのお陰でケビンの虐待に近い行為にも耐えることが出来た。この二人の過去の暴力被害がすれ違いながらもお互いの告白になっていく構造はなかなか面白かった。 決して暴力は肯定的に受け取ってはならないが、その悲しい現実を力に変えたことで本作は観るべき価値のある作品となった。 本作のオチは二重構造で、ケイシーがケビンの拘束から逃げ出すことが一つ目のオチで、もう一つのオチは実はこの作品が『アンブレイカブル』とつながっているという事実なるほど新作が作られるのは納得した。 |
ヴィジット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アフター・アース 2013 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(スミス)、最低助演男優賞(スミス)、最低スクリーン・コンボ賞(スミス&スミス)、最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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エアベンダー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低監督賞、最低助演男優賞(ラスボーン)、最低脚本賞、最低3D作品賞、最低助演女優賞(ペルツ)、最低スクリーン・カップル/スクリーン・アンサンブル賞(キャスト全員)、最低前編・リメイク・スピンオフ・続編賞 2010ツイッタートレンド第6位 2010HIHOはくさい映画第5位 |
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ハプニング 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低主演男優賞(ウォルバーグ)、最低監督賞、最低脚本賞 2009サターン作品賞/ホラー |
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全米から突如ミツバチが消えた。ほどなくしてニューヨークのセントラルパークで人々が突然時が止まったかのように立ちつくし、中には唐突に自らの命を絶つという事態が発生。それは瞬く間に周囲に広がり、ニューヨークは死の町になってしまった。この事件の報道を受けたフィラデルフィアの高校教師エリオット(ウォルバーグ)は安全なところに逃げるべく妻のアルマ(デシャネル)、同僚で親友のジュリアン(レグイザモ)とその娘ジェス(サンチェス)と共に列車に乗る。道中アルマのよそよそしい態度に不審を覚えるエリオットだが、その事件はニューヨークに留まらず、彼らの行く先々でも同様の事件が起こり始めていた… かつて『シックス・センス』で一世を風靡し、いきなりハリウッドのトップ監督にのし上がったシャマラン監督。ただ、それがあまりに衝撃的な作品だったため、観客は常にそう言ったどんでん返しを求めるようになるようになってしまった。次作の『アンブレイカブル』は確かにそう言う雰囲気の中で作られたのは分かるが、その後の『サイン』以降は徐々に彼自身の作家性を高めていく形で作られるようになっていった。ある意味常に視聴者を裏切り続けつつ、独自の作品を作るようになっていく。前作『レディ・イン・ザ・ウォーター』なんかはその最たるもので、オチとかなんとか全く関係なく、お茶の間ファンタジーをシャマラン以外には作れないような作風で作り上げてしまう。 このあたりを変化と取るか、それとも本来のシャマランの独自性が出てきたと取るかは人それぞれだろうが、私はこの変化を好意的に受け入れている。だって現在のハリウッドでは、こういった終末的作品の場合、誰が撮ったとしても同じようなものになってしまう。しかし、本作の場合、他の誰でもない。間違いなくシャマランでなければ作れないものを作ってくれているのだから。現ハリウッドの中ではトップクラスの個性ある監督に育ってくれたのは確か。それを本当にはっきりと打ち出してくれただけでも本作を観る価値があるってもんだ。ハリウッドにはシャマランがいる。それだけでハリウッドはまだ崩壊してないことを示しているようなものだから。 シャマラン監督作品全てに共通するのは、“恐ろしいほどの単純さ”であろう。設定自体がもの凄く単純というか、実に簡単なことしか描いていない。それこそ『シックス・センス』や『アンブレイカブル』では主人公は誰?というところだけ描いて後は終わりだし、『サイン』なんか、「宇宙人が来た。終わり」で物語は全て説明付いてしまう。本来ハリウッド的には“そこから物語が始まる”部分でぴたっと止めてしまうのがシャマランの特徴であり、本作もそれに近い。終末を描く物語であるならもっと盛り上げて良いし、当然盛り上げるのが普通だろう。ところが物語は、何も分からない主人公がとりあえず逃げてるうちに全てが終わっていた。という身も蓋もない展開を見せる。似たパターンであれば、スピルバーグの『宇宙戦争』(2005)や、ダラボンの『ミスト』(2007)でも、少なくとも主人公は無抵抗で終わることなく、人間として出来る抵抗して戦ってるし、少なくとも“単に逃げてる”だけではありません。という主張があるが、本作にはそれさえもない。本当にただ逃げて、いつの間にか終わってるだけ。だから、終わりまで観ると「え?ここからが本編じゃないの?」と思ってしまい、もの凄く物足りない気分にさせられるのだ。だが実はこれこそがシャマランの作家性をよく表した部分なのだろう。理性的にきっちり割り切るのではなく、もやもやした部分を敢えてそのままにすることで観ている人を終始不安にさせ続ける。この構造は日本での黒沢清監督によく似てる気もするな。 勿論物語の構造が単純だからと言って、内容まで単純な訳じゃない。人数を限定している分、パニックに陥りそうなぎりぎりのところで理性を保ち、なんとかお互いに助け合って生きていこう。という意志を持つ家族の物語は充分に描けていたし、それで飽きたりすることは決してなかったのだから。これだけ単純でありながら間延びしない作品と言うだけでも充分なんじゃないか。ラストは説明しすぎって気もするけどね。あそこはただ公園を散歩してるだけで充分だと思うぞ(あるいはかすかに悲鳴を聞いたところで止めるとか)。 ただ、この作品終始どこかに違和感が多い作品であったりもする。例えばお互いの浮気を気にする夫婦で、不信の原因になってるのが他の男と飯を食っただけとか、薬局で可愛い子を見つけたから薬を買った。というレベルであるとか、少なくともこれから長旅をしようというジュリアンがジャージ姿だったとか(しかも明らかに高校の体操着)、そのジュリアンの娘が明らかにアーリア系だとか、「地図にも載ってない小さな村」に近代的なモデルハウスがどーんと建ってるとか(モデルハウスの意味ねーじゃん)、世捨て人のような婆さんが意外に近代的な生活をしてるとか…この辺あまりにも微妙なので、設定のアラなのか、演出なのか判断が付かない。 少なくとも、観た直後ではなく、観終えてしばらくしてから「あ、結構楽しかったな」と思わせる作品ではある。それだけでも充分と言えば充分。 |
レディ・イン・ザ・ウォーター 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006ゴールデン・ラズベリー最低監督賞(シャマラン)、最低助演男優賞(シャマラン)、最低作品賞、最低脚本賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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"コーブ・アパート"の管理人クリーブランド・ヒープ(ジアマッティ)は、廊下の掃除や電球の交換をするだけのひっそりした単調な毎日を送っていた。ところがある晩、中庭にあるプールでストーリーと名乗る女性と出会う。実は彼女は水の精"ナーフ"という存在で、"青い世界"からある目的のために人間界にやって来たという。アパートの住民の持つ絵本から、彼女のことを知ったヒープはアパートの住民の協力を得て謎解きを始める。 自慢ではないが、『シックス・センス』の衝撃以来、これまで一策も欠かすことなく劇場でシャマラン監督作品を観続けてきた。それが止まってしまったのは本作のお陰。観たくないわけではなかったのだが、たまたま丁度仕事が忙しい時期と公開が重なってしまった上に、他に観たいものもあったので、優先順位が下がってしまい、いつの間にか公開が終わってしまったというのが真相。 シャマラン監督作品の魅力と言えば、勿論「あっ」というどんでん返しがあるだろう。だけど、実際に本当に意外な終わり方をしたと言えるのは『シックス・センス』くらいで、他の作品は帯に短したすきに長し。実際そんな力を込めて「良い作品だ」と言えるほどのものはない。だけど、それはそれとして、シャマラン監督の諸作品には、彼にしか出せない独特の雰囲気が存在し、それが妙に心地よいのだ。 本作は色々叩かれはしてるけど、実はその雰囲気が最も良く現れた作品なのではないかと思う。物語は、ファンタジックなものではあるにせよ、勘が良すぎるキャラクタたちのお陰であれよあれよと物語が進行し、いつの間にか終わってしまったという感じ。どんでん返しなど全く存在せず、逆にそれが煙に巻かれてしまった感じもあり。 決してそれが悪いとは言わない。いやむしろ、それらの演出のおかしさ加減が、他の監督には出せないシャマラン特有の不思議な雰囲気を醸してくれているのだ。言ってしまえば、シャマラン監督作品を観るというのは、シャマランの世界に入り込んで、どっぷりとその雰囲気に浸かっていればいいのだ。それが心地良いか悪いかはともかく。ちなみに私は結構心地よく浸かっていられるタイプ。50年代から60年代の古き懐かしいハリウッド映画をぼんやり眺めている気にもなる。過激さばかりが流行る現在の映画界にあって、こう言うのは貴重だよ。 それに現代とファンタジーをくっつけ合わせる場合、下手に説明をすると膨大な設定を語らせねばならないので、御伽噺にしてしまって単純化させたのは少なくとも間違いじゃないしね。 それに私の場合、昔大好きだったアニメがあって、それを思い起こさせてくれるもので、なんか悪く言いたくない。そのアニメは「ポールのミラクル大作戦」というやつ。この作品はポールという少年がさらわれたガールフレンドのミーナを救うためにファンタジックな世界に入って冒険するという作品だが、中盤以降になると、初期設定では決して大人は入れないはずのこの世界に、子供っぽい夢を持つ大人も特殊な条件を満たすと入れるようになる。中年男達がファンタジーっぽい世界を旅するって、まさにそれを思い出させてくれたから。 |
ヴィレッジ 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004米アカデミー作曲賞 2004文春きいちご賞第5位 2004ロジャー・エバートワースト第10位 2004全米BOXOffice第20位 2005MTVムービー・アワードブレイクスルー演技賞(ハワード) |
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1897年ペンシルヴェニア州。深い森に囲まれ、他の町々と隔絶して自給自足していた村があった。全家庭が一つの家族のように暮らすユートピアのようなその村だが、それは森に住むとされるモンスターとの共存によって成り立っていた。村人は決して森にはいることが許されず、彼らは忠実にそれを守ってきたのだが、村に絶対的に不足していた薬を得るため町に行きたいと一人の青年ルシアス(フェニックス)が主張する。だが、その当のルシアスがアイヴィー(ハワード)と恋仲になったことで、恋敵のノア(ブロディ)に刺されてしまう… シャマラン監督作品はかなり私は好きな方で、なんだかんだ言って、本作を含めるとこれまで監督を務めた4作(『シックス・センス』(1999)、『アンブレイカブル』(2000)、『サイン』(2002))は全部劇場で観ている。ただ、新作毎にパワーダウンしてるような気もしていたし、事前情報でオチが分かってしまっていたので、正直全然期待感はなし。 でも、良い意味で裏切られたかも。純粋な好みの問題で言わせてもらうと、かなり好きな作品だ。 確かに悪い部分もかなり多く見受けられるが、純粋な良さも多い。 ちょっと分けて考えてみたい。 先ず良い部分だが、これまでの監督作品の中で最もすっきりした作品だったと言うこと。彼はオチの付け方が秀逸とはよく言われるが、そればかり言われるようになってしまい、結局この人の作品を観に行く場合、オチがどうだ?と言うことばかりが目的になりがち。 本作もオチの付け方なんかは結構「へ?」と思うところなのだが、意外なことに落ちを付ける部分が結構早めにある。最後の衝撃にわざわざ持ってこなかったのはストーリー性を高めるためだったのだろう。それに今回に関してはオチそのものがかなり弱かったので、かえってこれを「衝撃の結末」なんて形に持ってこなかったのは正解だろう。 物語上では、主人公が途中ですり替わってしまったことの方が興味深い。主人公は当初フェニックス演じるルシアスで、目の不自由なアイヴィーを守ることが最初のフローだった。しかし、彼は物語が架橋にさしかかったところで突然退場。えええ?と思う間もなく、それまで守られる側だったアイヴィーの方が、守る側へと回っていたところが興味深い。『サイコ』(1960)と同じ形式と言えるが、かなり効果的な演出方法だった。 それと本作の良いところは音を上手く使った演出方法。木々が揺れ動き、きしむ音や、一歩一歩枯葉を踏みしめる時の乾いた音。そして人間と人間とは思えない生物の立てる息づかい。音楽をなるだけ使わず、効果音だけで緊張感をしっかり盛り上げていた。極力赤を用いない色遣いも良し。後半のベリーの赤がとても印象的だった。下手にCGを使わず、生にこだわった作りも好感度高し。 後はやはりキャラクタだね。豪華なキャラクタ陣は見事なはまり具合で、特にヴェテランの俳優の抑えた演技は巧いこと。ブロディの狂気に迫った表情なんかは観ていてぞっとするし、ウィーヴァーなんかは老人役でも充分素晴らしい役者になれそう。まあ、出たがり監督は余計だとしても(笑)。 良い部分はかなりあるのだが、しかし一方、やはり悪い部分もかなり目立つ。と言うか、悪い部分しかないと言われても仕方ないレベルで。 一つには宣伝の悪さが挙げられようか?あの予告は日本用に作られたものだと思うが、完全にホラー映画として作られているので、そちらを期待させてしまう。事実は、多少ホラー的な手法は使っているものの、全く違ってる。 致命的なのは設定。この設定からすると十数年前に年長者達は村を作ったことになるのだが、それにしてはあんまり村の調度が整いすぎてる。家には全部綺麗なガラスがあったし、ビニールハウスまである(ビニールは高分子科学が発達して出来たもの。これで19世紀と思わせようとすることは無理だよ)。仮にあれがビニールでなくガラスだったとしても、あれだけ綺麗なガラスを長年維持していくことは無理だし、土台あのガラス、機械で作られた工業製品としか見えない。結局この村を維持するためには年長者達の誰かが定期的に町に出て、調度を買ってきてないとおかしいのに、劇中の発言では彼らは町を捨てたことになってる…この部分で納得のいく説明は、年長者の誰かが大金持ちで、定期的に誰かが物資を差し入れしてるってことになるんだろうが、そうすると薬がないと騒ぐ理由がない。 それにもう一つ致命的な事なのだが、アメリカだと、空には必ず飛行機が飛んでるはず。それを見られないってのも問題。 更に言うと、純粋に子供を使ってりゃいいのに、全員成人を随分過ぎた人たちが子供っぽい騒ぎ方をしてるのも不自然極まりないし。 最後の薬調達も、なんかもう一ひねり欲しかったのに、薬屋が善人だったのでそのまま素直に村に帰って行ってしまった。彼が事情を知っていて…というのだったら、ほとんど時間を使わずに良い演出が出来たかも。 あと、物語が全般的に中途半端で終わってしまい、達成感が無かったのも問題か。 …結局良い部分と悪い部分が混在した映画と言うことになるか?点数付けるのは結構難しい作品だって事は確かだ。 |
サイン 2002 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002日本のヒット作第10位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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半年前、最愛の妻を突然の事故で失ってしまった牧師のグラハム=ヘス(ギブソン)は、信仰を捨て農夫となって弟のメリル(フェニックス)と2人の子供たちモーガン(カルキン)ボー(ブレスリン)と共に平穏な日々を送っていた。だが、ある日、農場のトウモロコシ畑に巨大なミステリー・サークルが出現して以来、奇怪な出来事が続発する。それは世界各地に同時に起こる“サイン”の一つだった…彼と彼の家族に降りかかる謎を前にして、グラハムの取った行動は… シャマラン監督と言えば、その名前を出しただけで、映画の話をしてはいけない名前になってしまった。物語について書くと、どんな風に書いてもそれが全部ネタバレになってしまいそうで…この作品も同様。実際、シャマラン監督はこの作品を作る際、徹底した秘密主義で作っており、本国アメリカにおいては試写会さえ許さなかったと言うのだから、その意気込みはたいしたものだ。 それで観た結果を言うと、先ずこの映画は文字通り“サイン”に関する映画だと言うこと。一度観た程度ではまず全貌は分からず、そこにある隠喩も分かりづらい。言葉の端々、家に置いてある様々なアイテムが後になって理由があったことに気付かされると言うパターンが多く、相当の気合いを以て画面全体を観続けていなければならないし、それが出来ないと何がなんだか分からぬ内に終わってしまう。アメリカでこれだけヒットしたと言うのは、その大部分がリピーターだからに違いあるまい。 ただ、問題はこれは確かに“サイン”に関する映画なのだが、結果として“サイン”しかなかった映画だったと言うこと。 物語の流れや画面効果なんかは巧かったし、2時間の長丁場を全く飽きさせること無しに終わらせることが出来たので、上手くできた映画だとは思う(所々笑いも取ってたし)。集中が継続できたと言うだけで評価は出来る。ただ、やっぱり少し疲れた。何が起きるか何が起きるか。と、これだけ集中していたのだから当然。 ただ、ちょっとサインの解釈が強引すぎるとか、意味のないカットを無理矢理意味づけようとしているようだし、そんなに騒ぐほどの作品かな? 昨年の9・11事件で大ダメージを受けたアメリカ国民が、破壊の後の再生を願って、その心情にぴったり一致したからこそ、大ブームとなった。と考えるのは穿ちすぎかな? それに後半部分、どこかで見たような画面構成…そうか、『ナイト・オブ・リビングデッド』(1968)によく似てるんだ。 う〜ん。解説になってないな。でも、雰囲気に浸れる人だったらお勧めしたい。その人の評価はどうなるか分からないけど、飽きさせることだけは無いと思う。 |
アンブレイカブル 2000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フィラデルフィア郊外で乗客、乗員131名が死亡するという列車追突事故が発生した。その中でただ一人生き残ったデヴィッド=ダン(ウィリス)は奇跡的にも傷一つ負うことなくいつもの生活に戻っていった。だがやがて「何故自分だけ?」という思いは募っていく。そんな彼の元に一通の奇妙なメッセージが届くのだった。指定された場所でデヴィッドは先天的な骨粗鬆症で自らを“ミスター・ガラス”と名乗るイライジャ(ジャクソン)という男から「君はヒーローなのだ」といわれてしまう… 『シックス・センス』(1999)で驚かされた私としては、シャマラン監督&ウィリスのコンビで作られるって言うのだから、期待せずにはおられず、勇んで劇場へと向かった。 監督らしい暗い映像を基調としつつ、不意に驚かされる演出、そして意外性のあるラストと、やっぱりシャマラン監督らしいケレン味が全体に流れているし、何より変にマニアックなところが気に入った。漫画文化は元々アメリカにもあったのは分かるが、最近は日本の漫画も多量に入り込んでいっていることが分かったし、ここまで丁寧にヒーロー誕生までを描いた作品は無かろう(本当に“まで”で終わってしまうんだが)。 こんな所にも文化侵略が… そもそもアメリカのパルプによる漫画は日本と異なり、複数の作家によって描かれているし、設定やストーリーなども固定されているのは大まかな部分のみで、結構好き勝手に改変されていたりする。それを整合性持たせようと、アメリカのおたくたちはどんどんマニアの間で設定を補完していくわけだ。長く続いたスーパーマンとかバットマン、X-MENなんかは凄い数の枝葉があり、それをどれだけフォローしているかでオタク度が決まるらしい(ニコラス=ケイジなんかは結構なマニアらしいとも聞いた)。これは漫画のみならず、長く続いたシリーズのテレビ・シリーズ、例えば『スター・トレック』なんかも凄い枝葉があったりする(トレッキーと呼ばれる人間、日本にも結構いるけど、向こうのマニアはシャレにならないほど詳しい…この辺は『ギャラクシー・クエスト』(1999)でやってたな)。 えっと…あれ?何の話だった?(笑) まあ、シャマラン監督は、実はもの凄えオタクだったと言うことで…違うか? どうでも良いけど、ヒーロー一人作るためにあれだけ無関係の人間をぶっ殺しておいて、結果的に二人ほど助けただけ…これって人間ができる究極の趣味かなあ?このイライジャの性格って、好きだなあ(笑) …とにかく続編を切望したい。 |
シックス・センス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1999米アカデミー作品賞、助演男優賞(オスメント)、助演女優賞(コレット)、監督賞(シャマラン)、脚本賞(シャマラン)、編集賞 1999英アカデミー作品賞、監督賞(シャマラン)、オリジナル脚本賞、編集賞 1999日本アカデミー賞外国作品賞 1999ゴールデン・グローブ助演男優賞(オスメント)、脚本賞 1999放送映画批評家協会子役賞(オスメント)、作品賞 1999キネマ旬報外国映画10位 1999毎日映画コンクール優秀宣伝賞 2000MTVムービー・アワード ブレイクスルー演技賞(オスメント)、作品賞、主演男優賞(ウィリス)、コンビ賞(ウィリス&オスメント) |
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高名な精神科医のマルコム(ウィリス)は、かつて担当していた患者から腹を撃たれてしまう。その一年後、彼は複雑な症状を抱えた少年コール(オスメント)の治療に取り掛かる事になる。コールは常人には無い特殊な“第6感”、死者を見る事ができる能力を持っていた。コールを治療しながら、彼によって自らの心も癒されていくマルコム。だが彼には予想も付かない真実が待ち受けていた… いわゆるスリーパー映画(前宣伝もせず、批評家の受けも悪かったが、公開してみると、驚くほどのヒット作となった作品)として有名になった作品。例のオチで有名になった作品だが、決してそれだけではなく、実際抑えめの照明と言い、微妙なカメラ・ワークと言い、映画の質はとても高い。まさしく“例のオチ”を感じさせないように全てが仕組まれている。わざとホラーのような手法を用い、“怖さ”を隠れ蓑としていること。落ち着いた色彩の中に、特殊な色(具体的には赤色)を用いることにより、目をそちらの方に向けることによって。実際赤という色は精神的な危機を表すためには非常に有効な手段。そしてマルコムであれ、コールであれ、精神的な成長を見せることで、そちらの方に鑑賞者の意識を持っていくことによって。人物描写が実に細やかに作られている。そして勿論効果的な音楽によって。 最初ホラーと思わせておいて、実は心理もの、いや、本当は心の成長を…そう思わせておいてあのオチに持っていった。 これだけの計算された効果は勿論最後のオチに気付かぬよう作られたものだろうが、一歩引いてみると、映画そのものの質の高さが分かってくる。 私がこの映画を観たのは劇場でだが、様々なメディアで「この作品には謎が隠されている」と書かれていて、それでまあ、たいしたことはあるまい。そう思って観に行った。更に映画の冒頭部分で「この映画のラスト5分には…」というのがあって、えらく念の入った、それでも理性的に観ていればそうたいしたことはあるまい。そんな風に思っていたのだが… 完全に騙された。あのオチは凄く悔しかった。だけど、騙されたからこそ、幸せだったと今では思う。 後に『恐怖の足跡』(1961)を観て、よく似てると思ったもんだが… |
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