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ソフィア・コッポラ
Sofia Coppola

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鑑賞本数 2 合計点 6 平均点 3.00
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書籍
評論
ソフィア・ファイル SOFIA・FILE

著作
ソフィア・コッポラ写真集 SC
THE VIRGIN SUICIDES
ロスト・イン・トランスレーション
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010 SOMEWHERE 監督・製作・脚本
2009
2008
2007
2006 マリー・アントワネット 監督
2003 ロスト・イン・トランスレーション 監督
2001 CQ 出演
1999 ヴァージン・スーサイズ 初監督・脚本
スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス 出演
1991 ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録 出演
1990 ゴッドファーザーPART III 出演
1989 ニューヨーク・ストーリー 脚本
1986 ペギー・スーの結婚 出演
1985 フェアリー・テール・シアター リップ・ヴァン・ウィンクル 出演
1983 ランブル・フィッシュ 出演
アウトサイダー 出演
1971 5'14 ニューヨークで誕生

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SOMEWHERE 2010
2010ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞
2010
放送映画批評家協会若手俳優賞(ファニング)
<A> <楽>
G・マック・ブラウン
ロマン・コッポラ
ソフィア・コッポラ
フランシス・フォード・コッポラ
ポール・ラッサム
フレッド・ルース(製)
ソフィア・コッポラ(脚)
スティーヴン・ドーフ
エル・ファニング
クリス・ポンティアス
ララ・スロートマン
クリスティーナ・シャノン
カリサ・シャノン
アマンダ・アンカ
エリー・ケンパー
ミシェル・モナハン
ベニチオ・デル・トロ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
マリー・アントワネット 2006
2006米アカデミー衣装デザイン賞
2006英アカデミープロダクション・デザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞
2006カンヌ国際映画祭パルム・ドール
2006放送映画批評家協会サウンドトラック賞

2006ワシントンDC映画批評家協会美術賞

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ソフィア・コッポラ
ロス・カッツ
カラム・グリーン
フランシス・フォード・コッポラ
ポール・ラッサム
フレッド・ルース
マシュー・トルマック(製)
ソフィア・コッポラ(脚)
キルステン・ダンスト
ジェイソン・シュワルツマン
リップ・トーン
ジュディ・デイヴィス
アーシア・アルジェント
マリアンヌ・フェイスフル
ローズ・バーン
モリー・シャノン
シャーリー・ヘンダーソン
ダニー・ヒューストン
スティーヴ・クーガン
ジェイミー・ドーナン
クレメンティーヌ・ポワダッツ
オーロール・クレマン
メアリー・ナイ
アル・ウィーヴァー
ギョーム・ガリエンヌ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 14歳でフランス皇太子(シュワルツマン)の元へと嫁ぐことになったオーストリア皇女アントワネット(ダンスト)。結婚の期待に胸膨らませてフランスへとやってきたマリーだが、その実体は予想を裏切るものだった。朝から晩まで大勢の取り巻きに囲まれて監視され、陰口をたたかれ、夫はマリーをかばおうともしない。次第にストレスの解消に贅沢を覚えていくマリーだったが…
 歴史的な意味で世界の女性の中で最も有名な人物の一人マリー・アントワネット。まるで悪女のように描かれることが多い彼女だが、実際の所、そこから一度共和制に移行したフランス政府が殊更王制の悪い部分を喧伝したこともあって、歴史の転換期が生んだ被害者という側面もある。だからと言うこともあってか、不思議とマリー・アントワネットを擁護するような作品にも事欠かない。日本では有名な
「ベルサイユのばら」があるし、アニメでは「ラ・セーヌの星」という作品もあった。遠藤周作を始めとする文学者たちもアントワネットを主題にして、悲劇のヒロインのような作品を何作も描いている。良くも悪くも創造意欲をかき立てられる人なんだろう。
 そんなマリー・アントワネットを女流監督であるソフィア・コッポラが映画化したのが本作。
 本作を作るにあたり、監督は面白い試みを一つ行っている。
 小説であっても映画であったとしても、主人公を明確にした上で歴史を描く場合、作られた時代の影響を色濃く受けてしまう。それをどう扱うかはクリエイターによる。できる限り中立を保つ方法もあれば、クリエイター自身が思う人物像を投影する方法もある。
 それでコッポラ監督は、歴史的な事実やその当時の人間の考えというものを敢えて外し、現代人そのものを歴史の中に投入してみた。本作で描かれる人たち、殊にマリー自身はまさしく現代人の感覚そのもので動いている。
 マリーが何故あんなに贅沢な暮らしをしたのか。それは現代人ならこうやってストレスを解消すると言う観点から見ている。もし手元に溢れるばかりの金があるならば、孤独さを癒やすためにそれをふんだんに使うだろう。それは時に自分自身を美しく飾るため、時に過度に贅沢な食事であったり。そして自分を褒めてくれる人を作るために金を遣う。全部今の人間がやりそうなことだ。中世の価値観では無く現代の価値観を導入して、それに悪びれない。これが本作の最大の魅力だ。
 それを「歴史が分かってない」と怒ることは簡単なのだが、監督の狙いがそこにこそあったのだから、それを敢えて悪口を言う筋合いはないし、逆にそれでよく突っ切ったものだとむしろ感心出来る。なんとなくずっとコッポラ監督には苦手意識持ってたけど、やっとこれで一人の監督として評価できるようになった。
ロスト・イン・トランスレーション 2003
2003米アカデミー脚本賞、作品賞、主演男優賞(マーレイ)、監督賞(コッポラ)
2003英アカデミー主演男優賞(マーレイ)、主演女優賞(ヨハンソン)、編集賞、作品賞、監督賞(コッポラ)、オリジナル脚本賞、作曲賞、撮影賞
2003全米批評家協会主演男優賞(マーレイ)
2003NY批評家協会男優賞(マーレイ)、監督賞(コッポラ)
2003LA批評家協会男優賞(マーレイ)
2003シカゴ映画批評家協会主演男優賞(マーレイ)、脚本賞、
2003ボストン映画批評家協会監督賞、主演男優賞(マーレイ)、主演女優賞(ヨハンソン)、
作品賞
2003サンフランシスコ映画批評家協会作品賞、主演男優賞(マーレイ)
2003シアトル映画批評家協会監督賞、主演男優賞(マーレイ)、オリジナル脚本賞、
作品賞、音楽賞
2003サウスイースタン映画批評家協会主演男優賞(マーレイ)、オリジナル脚本賞、トップ3
2003ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(マーレイ)、脚本賞、女優賞(ヨハンソン)、監督賞(コッポラ)
2003ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(コッポラ)
2003インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞(コッポラ)、主演男優賞(マーレイ)、脚本賞
2003放送映画批評家協会作品賞、主演男優賞(マーレイ)、助演女優賞(ヨハンソン)、監督賞(コッポラ)、脚本賞
2003ナショナル・ボード・オブ・レビュー映画製作特別賞(コッポラ)、トップ10
2003ローリング・ストーンベスト第3位
2003ニューズウィークベスト第3位
2003AFIベスト
2003NY映画批評家オンライン作品賞、監督賞、主演男優賞(マーレイ)、助演女優賞(ヨハンソン)、トップ第1位
2003オンライン映画批評家協会主演男優賞(マーレイ)、オリジナル脚本賞
2003
アメリカ製作者組合賞
2003アメリカ監督組合賞

2003
アメリカ映画俳優組合主演男優賞(マーレイ)
2003ゴールデン・サテライト作品賞(コメディ)、主演男優賞(マーレイ)、オリジナル脚本賞
2004MTVムービー・アワード男優賞(マーレイ)、ブレイクスルー演技賞(ヨハンソン)
2004セザール外国映画賞(コッポラ)

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ビル・マーレイ
スカーレット・ヨハンソン
ジョヴァンニ・リビシ
アンナ・ファリス
マシュー南
田所豊
林文浩
竹下明子
HIROMIX
藤原ヒロシ
桃生亜希子
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ロスト・イン・トランスレーション(著作)ソフィア・コッポラ
 70年代にブレイクした男優で、今は専らコマーシャルで活躍するハリウッド・スターのボブ(マーレイ)がウィスキーのコマーシャル撮影のため来日した。一方、同じホテルには写真家の夫ジョンの仕事に同行してきたシャーロット(ヨハンソン)が滞在中で、ホテルで何度か顔を合わせた二人はやがて言葉を交わすようになり、お互いの孤独について話し合うようになっていった。
 ソフィア・コッポラ制作・脚本・監督という何でもかんでも関わったという作品。
 失礼ながら私はソフィア=コッポラが関わった映画は、大概が面白くない。と言う思いを持っている。どうにも相性が悪いらしいと言うことを感じているのだが、なにせこれだけ賞を取ってる作品だけに、興味はあり。それで劇場へ。
 はっきり言って退屈そのもの。大分ハリウッドも日本のことが分かってきたようで、昔ほど日本が酷い扱いを受けてる訳ではないが、やっぱり異国情緒というのを主眼としてるので、日本に住んでいる人間が観ると、失笑ものの描写が結構あるし、物語自体も単に出会って、別れる。それだけで淡々と流れるだけ。このパターンだと、間が重要になるんだが、邦画とは又違った間の取り方をしてるため、その部分も退屈なだけ。
はっきり言わしてもらうと眠くなった
 だけど、
余韻は決して悪くない。観終わってしばらくすると、じわじわと暖かい感じがしてくる。
 その理由というのを考えてみると、単純に考える限り、異国の中で、孤独を慰め合うのが良いのか?とも思うが、事はそう単純ではないような気がする。
 これは
観てる側の肉体というものを感じさせるから。なのではなかろうか?と言う風に思える。マーレイ演じるボブの役回りは、実家に妻と子供がいて、年収も良い。悪い生活ではない。対するヨハンソン演じるシャーロットも新婚で、互いに愛し合っていることを確認できる夫もおり、やはり不幸せではない。ただ、二人とも孤独なだけだ。どんな幸せな時でも、時が流れると孤独がやってきて、それから逃れることは出来ない。人は孤独と共にある。その今の孤独を分かってくれる人には、世代を超えた友情が生じる。誰しも持つ、ほんの些細な孤独という感情が巧く表現されていたと言うのが大きな点なんだろう。最後まで違和感を拭うことが出来ない異国の地で、自らの肉体をもてあました大人のドラマなのだ。
 それと、もう一つ感じたのは、孤独というのにはもう一つ重要な要素があるのだと言うこと。
 私のことを書くことをちょっと許していただけると、私は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)によって、映画そのものの興味を強くしたものだが、この映画をリアルタイムで観たのは中学生の時。何も言葉を持っていなかった私には、この映画について語る当時のオトナの人たちに強いあこがれを持ったものだ。しばしの時を経て、そう言う人たちとも知り合いが出来、今も何人かと親交が続いているが、このところメールで彼らが次々に身体の不調を訴える文面を見ることが多くなった。思えばもう全員いい年なんだよな。肉体が円熟していくと、そう言う寂しさというものも出てくるんだな。と、最近そう思えるようになってきた。私自身数年後には(多分ほどなくして)、同じような悩みを持つようになるんだろう。と思っている折だったのが、丁度噛み合ったんだろうと思う。
 
肉体に関する孤独感は否応なくやってくるのだ。その時こそ、この作品が分かってくるんだろう。数年後、もう一度観てみたい作品である。
 余談ながら、演出上の難点について一つ。
 これは日本という国の異国情緒を演出すべき作品なんだから、日本語で喋ってる時の字幕は残してほしかった。日本で観るからこそ、違和感を感じさせる配慮が欲しいな。

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