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_(書籍) _(書籍) |
2020 | ワンダーウーマン 1984 監督・製作・原案・脚本 | ||||||||||
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2018 | |||||||||||
2017 | ワンダーウーマン 監督 | ||||||||||
2016 | |||||||||||
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2012 | |||||||||||
2011 | ファイブ ある勇敢な女性たちの物語 監督 | ||||||||||
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2003 | モンスター 監督・脚本 | ||||||||||
2002 | |||||||||||
2001 | |||||||||||
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1974 | |||||||||||
1973 | |||||||||||
1972 | |||||||||||
1971 | 7'24 カリフォルニアで誕生 |
ワンダーウーマン 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1984年。裏ではワンダーウーマンとして、表ではスミソニアン博物館でキュレーターとして働くダイアナ・プリンス(ガドット)は、新しく博物館に入ったバーバラ・ミネルヴァ(ウィグ)と知り合う。不器用で心優しいバーバラと友人関係を築いていくが、ワンダーウーマンがある時壊滅させた裏の故買所から出てきた不思議な石をダイアナが鑑定していたところ、事業家のマックス・ロード(パスカル)が現れ、スミソニアン博物館に多額の寄付をする代わりにその石のことを教えて欲しいと言ってくる。実はこの石は石に手を触れて願ったことが何でも叶うというものだったのだ。半ば冗談でかつて愛したスティーヴ・トレバー(パイン)と会いたいと願ったダイアナの前に、本当にスティーヴが現れてしまう。思わぬ再会に喜ぶダイアナだが、一方でその石が世界の破滅を呼び込む可能性を感じ取る。その頃、まんまとその石を手に入れたマックスは自分自身をその石と同じ力を持つようにと願っていた。 『ワンダーウーマン』(2017)のスマッシュヒットを受け、同じ監督主演で送る続編。本来ならばもっと早く公開されるはずの作品だったが、新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって公開が引き延ばされ、当初予定されていた公開時期が大幅にずれ込んで2020年の年末公開になってしまった。 女だけの島セミッシラからやってきたワンダーウーマンが悪人をなぎ倒すという基本路線は前作を踏襲しているが、前作とは質的には随分違う。 前作の時代は第一次世界大戦下だった。この時代の男女の性の格差は激しく、その中で女性として前戦で戦う女性という明確なテーマがあった。これは過去こう言う時代があったということだけでない。今もやはり格差があるということをほのめかすことで現代の陸続きを感じさせ、作品に奥行きを持たせた。 対して本作の時代はどうかと言うと、1984年。先進国の消費文化の頂点の時代である。戦争の恐ろしさは過去に。ものがあふれかえる時代を(金を持つ人は)謳歌していた。日本でもバブルが始まった時代で、リッチな生活への憧れと、それに手が届く幻想をもたらしていた時代となる。一作目とは何もかも違う。 演出においても一作目の画像は全般的にかなりくすんで色調を押さえたものだった。まるでモノクロ映像のようだ。一方本作は色調がかなり鮮明で、まるで80年代のテクニカラー時代を思わせる色調になり、色彩に合わせるように物語も明るく仕上がってる。 これが現代とどう結びつくのかというと、行き過ぎた全能感と欲望を肯定する時代を舞台にすることによって、現代アメリカの置かれている状況と言うものを端的に示したものとなっているのだ。 全能感と欲望肯定とは、2017年に大統領に就任したトランプの存在なしに語る事は出来ない。これまで豊かな国に生まれた自分たちだからこそ節度が重要だとして、率先してポリティカル・コレクトネスを推進していたアメリカが、自らを縛る常識に窮屈さに反発したことが一つの原因だろうと思うのだが、そういう人の代表となったのがトランプ大統領という存在だった。 彼の主張するアメリカ・ファーストは耳障りが良い言葉で、アメリカ国民は、もはや節制を誇らず、持っているものを存分に味わうべきだとした。欲望を肯定することによって国民の信頼を勝ち得たのがトランプという存在なのだ。 アメリカ人として生まれたからには欲望を解放せよ。その負債は他の国が負ってくれるとした主張は国民にはよく聞こえるのだが、実際に欲望を解放したらどうなるか?その部分を強調して描いたのが本作である。 ラストの狂乱部分は決して誇張ではない。人が節制を捨てて欲望を解放したら、地球はその思いを受け止めきれずに崩壊する。当然の話である。トランプ大統領が言っていることは、まさしくアメリカ人の欲望を肯定することだった。本作は見事な現政権に対するアンチテーゼとなっているのだ。 前作同様本作も、過去を描くことによって今の世相を斬るような内容になっている。 その部分は大変面白いし評価したい。それに欲望肯定によって、前作で死んだはずのスティーヴが復活したこともちゃんと物語に織り込んで展開もする。 それを踏まえて言うなら、ストーリーの弱さが際立つ。ひねりがなさ過ぎるため、物語全般が平板になってしまい、プログラムピクチャー的になってしまった。こうなるしかない結論に向かって粛々と物語が進んでいるような感じで、あっさりしすぎの感あり。なんか『スーパーマン II 冒険篇』(1981)を今の時代の演出で作った感じか? それこそ80年代の作品じゃないのだから、もう少し脚本を詰めても良かったんじゃないかな? 充分に面白い作品ではあるが、もう一踏ん張り欲しかった。 |
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ワンダーウーマン Wonder Woman |
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ゼウスが作り上げたとされる女だけの島セミッシラで育った王女ダイアナ(ガドット)は、母ヒッポリタ女王が望んだ王女としての振る舞いではなく、戦士として成長していった。最強の戦士として成長したある日、外の世界から偶然この島に不時着した飛行機に乗っていた男スティーヴ・トレバー(パイン)から、外の世界で世界大戦が起こっている事を聞かされる。ダイアナはこれがゼウスの予言にある軍神アレスの反逆と思い、アレスを倒すために外の世界に出る事を望むのだが… 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)のラストで登場し、強烈な存在感を見せたワンダーウーマンの、第一次大戦時の戦いを描いた話となる。 アメリカ国内では本作はメガヒットを飛ばし、数少ない女性ヒーロー映画として、そして女性監督作品として最高の評価を受けた。わたし自身にしても、当初は観る気にもならなかったのだが、アメリカであんまりにもヒットしたと言う事で俄然興味が湧いて観に行ってきたのだが、実際期待度を超えた見事な作品になっていた。 確かに大成功と言って良いが、それは決して過大評価ではない。本作はこれまでのヒーロー作品と較べても突出した個性を持っているのだから。 わたし自身があらかじめ考えてたのは、本作はこの後に来る『ジャスティス・リーグ』(2017)への布石に過ぎず、無難に作って本命を引き立たせようというものだった。想像するに、企画時点では実際にその通りだったんじゃないかと思う。ジェンキンス監督の起用にしても、女性主人公の作品だし、どうせつなぎだからと言う事で女性の監督を使ってみようというのに過ぎなかったような気がする。 ところが蓋を開けてみたら、とんでもない化学変化を起こしてしまった。『ジャスティス・リーグ』を待つ必要なく、本作単独でこれまでの数あるヒーロー作品に比肩できるだけの硬度を持った作品ができあがったのだ。 まず女性ヒーローを添え物や際物として描かなかった事。ストレートなヒーロー作品として仕上げているのがとても好感度が高い。 これまでにも数多くの女性を主人公にしたヒーロー映画はあったが、殊更セクシャルな意味での女性を意識させるものが多かった。 女性らしさを強調するのは売りの一つに過ぎないのだが、殊更そればかりを強調させる作りはあざとすぎてあまり楽しいものではない。そう言う作品は名目上はヒーロー映画であっても実質的にはヒロイン映画である。近年になってそういう意味でのセクシャルさが少なくなったのは喜ばしい事なのだが、女性である事を強調しすぎてやっぱりどこかヒロイン映画という意識を持たせてしまう。 本作はそこからの脱却を考えていたのだろう、男視点から見てのセクシャルさはほとんど無く、ひたすら強いヒーローを描く事にした。 ダイアナは揺れる事がなく、基本的に最初から最後まで性格が一貫している。暴走と思えるところも多々あるものの、神から選ばれて世界を救うのは自分であると言う立場に立ち、そこからぶれないし、そこに色恋沙汰は介在しない。彼女にとって初めて見た男スティーブは(肉体関係があろうと無かろうと)、同志であり、世界に自分を合わせる先生である。 最終的に全てを選択するのは自分自身という揺るぎない価値観があるからこそ、ダイアナはヒロインにはならない。あくまでヒーローである。 これは主人公にガル・ガドットというあまり知られてない女優を起用した事も大きい。モデル出身とは言え、大柄で均整の取れた筋肉質な彼女はこれまでの基準から観て、セクシーさはあまり感じられない。 だがあの肉体の躍動美はこれまでの「美しさ」の概念を変えている。ヒーローとして美しさを感じる存在である。彼女の動きは重厚で肉体の重みを感じるのだが、一度動くとしなやかに彼女の躍動美あってこそ、本作は本当に美しさを持ったものとなった。特に後半の塹壕戦は、まさに女神降臨である。素晴らしい。 ヒーロー映画でありながら、美しい女性を描いた。それが本作の大きな特徴であった。似たような作品はこれまでにもあったとしても、ここまで徹底してこの二点に集中した作品は初めてだ。 そしてもう一点が、現実の女性の立場というのをちゃんと認識しているということ。 ジェンダーとしての女性の立場というのは、どうしても弱くなる。現在は大分女性の社会進出も増えているが、本作の舞台は第一次大戦である。基本的に女性は戦争には出さないか、出したとしても後方任務に押し込められる存在であったものを、敢えて最前線で戦う戦士として描いた。そのために生じる軋轢も含め、女性が働く事の困難さ、女性の弱い立場まで含めて最大限描こうとしている。この点をあまり強調しすぎると物語のバランスが崩れかねないため、かなり端折ってはいるにせよ、その意識もちゃんと残されており、ちゃんと女性であると意味合いが出ている。 なんでもこれは原作に準拠したものらしく、原作コミックはフェミニズム運動を応援するために作られたものだったとかで、その辺がちゃんと意識されているのが良しである。 映画史上、重要な位置づけとなった本作ではあるが、物語自体は些か単純。 正義感溢れる主人公が悪を滅ぼすために戦い、本物の悪を倒す。実際ストーリーフローはこれだけである。脇役の人物は色々ダイアナに助言もするのだが、ダイアナ自身がそれを聞かずに突っ走るため、物語はとても単純。 それで観終わった直後は「なんでこんな単純なものにした?」と呆れたのだが、少し時間が経過してその考えは改めた。 本作は本作単体として考えてはいけない作品なのだ。本作のフローは単純で良い。しかし、彼女の取り巻く状況は彼女が思ってるほど単純ではないのだから。 一見本作では悪の本体アレスを倒して地球の危機は終わった。めでたしめでたし。に見えるのだが、物語は終わってない。もっと違う悪が形を変えて地球を覆おうとしている。 実はそこが重要だったのだ。この作品では単純に善悪について描いた。だが、悪の首領を倒せばそれで全てが終わるのかというと、全くそうではなかった。それまで突っ走っていったダイアナもそれに気づいてしまったのだ。 自分がなすべき役割はまだこの地上で残っている。それは究極の悪を探す事かも知れないし、この世界をよりよくする事なのかも知れない。 だがそれは明確には分からない。 だからこそダイアナは今も現実世界に留まっているのだ。自分がこの世界に来た使命を全て終え、故郷に帰るその時まで彼女は戦い続けているのだ。 彼女なりに本当の悪を倒すまで任務を終える事はないと思っているのだろう。だからこそ『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』や、これから展開していく『ジャスティスリーグ』への参戦がある。 彼女と悪との戦いはまだまだ続く。だからこそ単体では単純な物語が大きく膨らんでいくのだろう。 その展開が期待できるかどうかは未知数ではあるが、少なくとも本作単体での続編はかなり期待できそうである。 |
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モンスター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003米アカデミー主演女優賞(セロン) 2003シカゴ映画批評家協会主演女優賞(セロン) 2003サンフランシスコ映画批評家協会主演女優賞(セロン) 2003シアトル映画批評家協会主演女優賞(セロン) 2003全米批評家協会主演女優賞(セロン) 2003ゴールデン・グローブ女優賞(セロン) 2003インディペンデント。スピリット主演女優賞(セロン)、新人作品賞、新人脚本賞 2003放送映画批評家協会主演女優賞(セロン) 2003ナショナル・ボード・オブ・レビューブレイクスルー演技賞(女優)(セロン) 2003AFIベスト 2003NY映画批評家オンライン主演女優賞(セロン) 2003アメリカ映画俳優組合主演女優賞(セロン) 2003ゴールデン・サテライト主演女優賞(セロン) 2004英アカデミー主演女優賞(セロン) 2004ベルリン国際映画祭銀熊賞(セロン) 2004MTVムービー・アワード女優賞(セロン)、キス・シーン賞(セロン&リッチ) 2004英インディペンデント映画主演女優賞(ヨハンソン) |
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