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1990 | 12'8 死去 | |
1989 | アイリスへの手紙 監督 | |
1988 | ||
1987 | ナッツ 監督 | |
1986 | ||
1985 | マーフィのロマンス 監督 | |
スラッガーズ・ワイフ 出演 | ||
1984 | ||
1983 | クロスクリーク 監督 | |
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ノーマ・レイ 監督 | |
1978 | ||
1977 | すばらしき仲間たち 監督 | |
1976 | ウディ・アレンの ザ・フロント 監督・製作 | |
1975 | ||
1974 | コンラック先生 監督・製作 | |
1973 | ||
1972 | サウンダー 監督 | |
おかしな結婚 監督 | ||
1971 | ||
1970 | ボクサー 監督 | |
1969 | 男の闘い 監督・製作 | |
1968 | 暗殺 監督 | |
1967 | ||
1966 | ||
1965 | 太陽の中の対決 監督・製作 | |
寒い国から帰ったスパイ 監督・製作 | ||
1964 | ||
1963 | 暴行 監督 | |
ハッド 監督・製作 | ||
1962 | 青年 監督 | |
1961 | パリの旅愁 監督 | |
1960 | 五人の札付き娘 監督 | |
1959 | 悶え 監督 | |
1958 | 長く熱い夜 監督 | |
黒い蘭 監督 | ||
1957 | 暴力波止場 監督 | |
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | 3'2 ニューヨーク市で誕生 |
ノーマ・レイ 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー主演女優賞(フィールド)、歌曲賞、作品賞、脚色賞 1979カンヌ国際映画祭女優賞(フィールド)、フランス映画高等技術委員会賞(リット)、パルム・ドール 1979全米批評家協会主演女優賞(フィールド) 1979NY批評家協会女優賞(フィールド) 1979LA批評家協会女優賞(フィールド) 1979ゴールデン・グローブ女優賞(フィールド) |
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アメリカ南部の町にある紡績工場で働くノーマ・レイ(フィールド)は、二人の子供のために一人で一生懸命働いていたが、複数の男性と逢瀬を重ねてもいた。そんな時ニューヨークからルーベン(リーブマン)という男がやって来た。彼はアメリカ紡績工員労働組合に所属しており、この町の工場に組合を組織するために派遣されて来たのであった。ルーベンは活動的にビラ配布や啓蒙活動を行うが、組合の重要性を知らない住民達はことごとく彼を無視していた。そんな彼の優しさに触れ、半分は同情でルーベンの話を聞いてやったノーマだったが、やがて彼女自身がこの問題と真っ正面からぶつかっていくことになる。 社会派問題を真っ正面から捉え、重いながら軽快に、バランスの良いドラマに仕上げた作品で、以降多数出てくる“社会と闘う女性”の姿を力強く印象づけている。社会に向かって声を上げる主人公の姿は70年代の特徴でもあるが、それをきちんとドラマとして作り上げたのは、時代の変化を感じさせてくれる。 ただ、本作の場合、物語そのものよりも主人公のサリー・フィールドのキャラの立ちっぷりだろう。 フィールドは小さくて気の強そうな風貌が受け、これまでにも多くの映画に出演していたが、それは主にコメディエンヌとしてであり、彼女の役どころは主にじゃじゃ馬な跳ねっ返り娘としてであった。このまま終わってしまう可能性はかなり高かったし、事実そうなっても不思議じゃなかった。仮にちょっと時期がずれれば、それだけで終わってしまった可能性もあったのだ。 勿論本人の演技力が一番だが、それを活かせる時代的に丁度良かったのだろう。ここで見事な転身ぶりを見せてくれた。ここではコメディエンヌっぽさは全くなく、自分の行動に後悔しながら、それでも前向きに生きてる力強い女性を好演。特に最初の内、後悔ばかりの生き方だったのが、目的を知ってから顔つきまで変わっていく所が凄い。後半の叫びはたとえベタでも感動的。この演技力を引き出せたと言うことだけでもこの映画は成功だろう。見事に演技派に転向できた成功例とも言える。 こう言うのは保守的なアメリカ南部の町が舞台となることが多いけど、本作もその描写は映えている。寒々しい工場の描写と言い、その中で働いている頑固そうな親父どもの頑なさもよろしい。最後は完全なるハッピーエンドじゃないけど、それがニュー・シネマの尻尾って感じでかなり好感持てる。 バランスの取れた社会派ドラマとしてお勧めできる。 |
寒い国から帰ったスパイ The Spy Who Came In from the Cold |
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1965米アカデミー主演男優賞(バートン)、美術装置・監督賞 1965ゴールデン・グローブ助演男優賞(ウェルナー) 1966英アカデミー国内作品賞、国内男優賞(バートン)、撮影賞、美術賞、総合作品賞、国外男優賞(ウェルナー) |
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東西に分かれたベルリン。イギリス情報部員リーマス(バートン)は東ベルリンの元ナチ党員で残忍さで知られるムント(ヴァン・アイク)を西側のスパイだと裁判で証言し、東側の攪乱を命じられた。首尾良く東ベルリンへと潜入したリーマスはムントの部下で彼を快く思わないフィドラーにその事を告げ、共にムントを権力の座から引き下ろす工作を開始するが… ル・カレによるエスピオナージュの同名小説の映画化作品。原作は先に読んでいたが、たいへん優れたリアリティに溢れる作品だった。たいへん面白い作品なのだが、リアリティに溢れすぎていて、読み終わったらどんよりと落ち込んでしまうほどだった。その中でラストにひねりを利かせたのは上手かったけど、そこに至るまでの課程がとにかく先行して読んでただけに物語が分かってきつかった。ここまでやらせるのかよ。と言った感じ。 これを映像化するって事は、かなり陰鬱な雰囲気な作品になるだろうとは思っていたが、予想に違わず。本当に陰鬱な作品になってしまった。画面もモノクロ映画という効果もあって、たいへん暗い感じに仕上がっていた。しかし、それが007とは違い、一種異様なリアリティを持って迫る。劇中でアクションシーンに爽快感はなく、ひたすら任務に忠実な主人公は、あくまで数々の機関の手駒でしかない。 スパイというのは銃を片手に活劇を行う存在よりは情報収集が主な存在であり、時としてこのような謀略も行う。結論を言えば実際のスパイの活動というのは映画向きではないと言うことだ。しかも本作は原作に忠実に映画化してくれたので、救いようのない物語になってた。 本作も実際は活劇らしい活劇が無く、会話中心(しかもその大部分は相手を苛つかせようとする)で、観ていてどっと疲れる感じがする。原作通りだから、それは正解なんだろうけど、観終えた後の爽快感にはほど遠く、なんか落ち込んでしまいそう。 ただ、この映画の素晴らしいところは、冷戦下のベルリンという町をしっかり撮り切ったと言うことだろう。東西に分けられ、まるで島流しにあったような西ベルリン。しかし孤立しているはずの西ベルリンに自由が溢れ、大多数地域であるはずの東ベルリンが窒息するかのような息苦しさに溢れている。勿論これは西側の目で描いた作品には違いないが、壁一つ隔てて異質な別世界となるベルリンという特殊な町をよく表していたと思う。 良い作品だとは思うよ。思うんだけど、良くすればするほどきつくなる物語だからなあ。 |
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暴行 The Outrage |
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あるアメリカの鉄道駅で3人の男が偶然顔を合わせた。雨に降られ、更に運行遅れでなかなか到着しない列車を待つ間、3人は昨日起こった事件のことを話し始める。その事件とは、メキシコ人の強盗カラスコ(ニューマン)が旅行中の紳士(ハーベン)を刺し殺し、紳士の妻(ブルーム)を犯した罪で縛り首を言い渡されたという事件だった。だがその証言者として現れた人達の証言はそれぞれ違っていた… 黒澤明の傑作『羅生門』(1950)を翻案した舞台劇の脚本家のケニン自らが映画用に書き下ろした作品を、スターを取りそろえて作り上げたお祭り的作品。羅生門を西部の鉱山町の鉄道駅に、検非違使を裁判所に置き換え、ニューマンのみならず、ロビンソンや、若い頃のシャトナーまで出ているので、少なくとも豪華さに関しては申し分なし。 ただ、豪華だからどうか。と言われるとそれはちょっと否定的か?先に『羅生門』という傑作があり、それを忠実にトレースしてしまうと、やはり日本的なものがかなり残ってしまい、それらを役者がそのまま演じてしまうと、激しい違和感を感じてしまう。観ているのがアメリカ人だったらそれも無いだろうが、オリジナルを知っている日本人には、結果的に違和感しか残らない作品なんじゃないだろうか。特にニューマンはいかにも三船敏郎っぽく演じようと頑張っているのが分かるが、ニューマンらしさを削ぎ、結局ニューマンの顔をした何者でもない役者になってしまった感じ。上手いのは認めるけど、ニューマンである必要性があんまりなし。むしろオリジナルをあまり意識せず、アメリカ人らしくのびのびと演じたロビンソンの方がむしろ作品にははまっていた。ちょっといただけないのはブルームかな?京マチ子には到底敵わない。元より女性の描き方がさほど上手くないリット監督だけに、これは無理だろうね。 演出については結構上手くいっていて、オリジナルで強調された太陽や風と言った自然を切り取る方法は、本作では別な形で表現されていて、そちらの工夫は買おう。 リメイク作品としては決して駄作ではない。でもやっぱりオリジナル一本で充分。リメイクの必然性はなし。 |
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ハッド Hud |
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1963米アカデミー主演女優賞(ニール)、助演男優賞(ダグラス)、撮影賞、主演男優賞(ニューマン)、監督賞、脚色賞、美術監督・装置賞 1963英アカデミー女優賞(ニール)、作品賞、男優賞(ニューマン) 1963ヴェネツィア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞 1963NY批評家協会女優賞(ニール)、脚本賞 |
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牧場主のホーマー(ダグラス)と、彼の息子の遺児ロン(デ・ワイルド)は生活は質素に、それでも着実に牧場を拡大していった。そんなところにロンの父であり、ハッドの兄が死んで、父と折り合いが悪く、これまで飛び出ていた遊び人のハッド(ニューマン)が帰ってきた。自分の知らない世界を見せてくれるハッドにロンは夢中になるが、徐々にその遊び人的な性格が牧場を苦しくしていった。更に父を引退させ、牧場を自分のものとしようとするハッドだが… ラリー=マクマーティの小説の映画化作品。本来脇役に過ぎないはずのハッドを中心に持ってきて、崩壊する家族の虚しさを演出している。 映画を数観ていると、「これは私のツボだ」と思える作品の傾向が見えてくる。 私の場合、家族を描いたものがどうやらツボらしいのだが、私が好きなのは、ベタながら、“家族の再生”あるいは“家族を作る”事をテーマにしたもの。物語が分かっていながら泣いてしまう作品には何作もある。ところが逆に“家族の崩壊”をテーマにすると、途端に苦手になる(私がハルストレム監督が大好きなのと、ジェームズ=ディーン主演作品がどうにも苦手なのは、その点にあるのではないかと思える)。家族の崩壊が描かれるのはどうしても点数が低くなってしまう。 しかるに、本作はその私が苦手とする作品の筆頭に挙げられる作品。私にはとことん合わない。正直、観てる途中で逃げ出したくなったほど。いくら名作でも、苦手なんだから仕方がない。 どうやらしかし、リット監督の狙いは実はそこにあったらしい。徹底した不幸をもたらすことによって、観客に現実の家族を大切にさせようと言う感じで。だからこれまでの映画の定式のようには救いは与えられない。ラストのニューマン演じるハッドの虚しいショットを大写しにしたのは、まさにその狙いのためだった。原作の持つ抒情的部分を全てカットし、硬質な物語に仕上げた。 しかし、これだけだったら、社会的作品として多少は認められたとしても、ここまでの名作にはなり得なかっただろう。何故この映画がこれだけ受け入れられたのかというと、監督の狙いとは全く逆に、アンチヒーローとしてのハッドが若者層に爆発的に受け入れられてしまったのである。60年代のシニカルな雰囲気に、ハッドという人物がぴったりとはまりすぎたのだ。観客は家族に受け入れられず、焦れるハッドに共感を覚え、最後まで更生することなくどんどん嫌われていき、弱さを演出したハッドの姿をこそ、格好良いと感じるようになっていた。最後までハッドは更正しない。自分の家族を次々と失い。うなだれた姿で劇が終わる。それを自分の姿に重ね合わせてしまったのだ。 そう言う意味では“ハリウッドの反逆児”などと言われたニューマンはまさにはまり役。いくら弱さを演じても、彼の持つカリスマ性は、むしろそこでこそ輝いていた訳だ。 リット監督(ニューマンとはアクターズ・スタジオでの師弟関係にある)は元々この作品を、古き良きアメリカと、それを破壊する若年層との断絶を描くはずだった。だから、ハッドは破壊者であり、けなされるべき人物となるはず。それが彼のキャラクター性が大いに受けてしまい、本作の大ヒットにつながったのは、製作側としては完全な誤算だった。しかし、これが60年代のハリウッドの映画を作り出していく契機となる…映画史において、重要な役割を果たした作品である…私に合わないのは残念ながら。 |
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パリの旅愁 Paris Blues |
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1961米アカデミーミュージカル映画音楽賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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長く熱い夜 The Long, Hot Summer |
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1958カンヌ国際映画祭男優賞(ニューマン) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニューマンとウッドワードは後に結婚。おしどり夫婦として有名となる ウィリアム=フォークナーの小説2編に基づく。20世紀フォックスの作品だが、主役はWBからニューマンを借りて起用。これが元でニューマンはウッドワードと結婚する |
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