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ブライトバーン 恐怖の拡散者 Brightburn |
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2006年。米国のカンザス州ブライトバーン。なかなか子どもが出来ず妊活中のトリ(バンクス)とカイル(デンマン)のブライア夫婦の農場に隕石のようなものが落ちた。それは小さな宇宙船のような乗り物で、その中には一人の赤ん坊がいた。この子を自分たちの子として育てることにした二人。ブランドン(ダン)と名付けられたその子はすくすく成長し、12歳の誕生日を迎えるのだが、誕生日前後からブランドンは少しずつ奇行に走るようになる。特に宇宙船を隠していた納屋に対して激しい興味を抱き、怒りを抑えられなくなっていく。更に超人的な力も持つようになる。トリとカイルは、そんなブランドンをどう育てるべきかと悩む。 本作はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの監督を務めたジェームズ・ガンがディズニーとの次回作交渉に失敗して下ろされてしまった(交渉が続いて無事次回作の監督が決まったそうだ)時に企画として立ち上げたのが、もう一つのスーパーヒーロー作品だった。 本作をヒーローモノして考えるならば、同じくスーパーパワーを持った存在が、ヒーローになったりヴィランになったりするなら、その違いがどこにあるのかということを考察したものになる。 答えを言ってしまうと、スーパーパワーを持った人物の心の問題となる。悪い心を持ったらヴィランになるし、良い心を持ったらヒーローになる。その程度の単純なものだ。 それで本作は人間を遥かに超える力を持った存在が邪悪な心に目覚めてしまったら?という話となっているのが特徴となる。 それでヴィランつまり悪側のヒーローの誕生話となった訳で、その設定は面白かったのだが… 私には全く面白いと思えなかった。 こう言う設定の作品は好きだと思ってたのだが、全く駄目。糞面白くない。 観た後でなんかもやもやしていたが、理由を考えてみた。 最大の理由は、スーパーパワーを持つ子ブランドンが全く葛藤してなかったことになる。多分彼は何者から地上を混乱させることを目的に送り込まれた存在で、12歳の誕生日を迎えた時にそれが発動したということなので、葛藤する必要は無かったのだろう。だから最初からこうなることは決まっていた。しかし、それではプログラム通りに動くロボットと同じだ。折角の思春期という設定ならば、正義と悪の間で心が揺れ、その結果として悪の道へと進みなら良かった。しかし全くそれがないのが興ざめである。 しかもその前提として、12歳に至るまで両親から愛情いっぱいに育てられていたというのがあって、両親としてはたまったものじゃない。それまで愛情を注ぎ込んで成長を楽しみにしていたのに、完全にそれが裏切られてしまい、そのフォローが全くないまま終わる。両親の方は愛する息子を殺さねばならないと葛藤するのだが、その心境が伝わってきて辛い。この作品は親の目から見ているため、最後に絶望だけで終わるのを見せられて胸糞悪い。 結局私が本作を受け入れられないのはそれが全てなのかも知れない。親の目から本作を観ると辛すぎる。心が痛くなっただけで快感がなかった。それだけだ。 同じような設定を言うならば「スティッチ」や「ドラゴンボール」もあるが、話はそっちの方に持って行った方が盛り上がる。オチもひねりもない本作は完成度としてどうにも低く感じる。 あと、もう一つ難点を言わせてもらおう。本作の物語そのものは二つの映画から来ている。一つはスーパーマン(1978)でもう一つがオーメン(1976)となる。奇しくも両方監督はリチャード・ドナー。この二つの作品をミックスしたのが本作なのだが、ミックスと言うより、単に無理矢理くっつけただけと言った感じで、元ネタが分かりすぎるのでパクりにしか見えない。もうちょっと上品な料理の仕方があったんじゃなかろうか?この監督、ドナー監督になんか恨みでもあるのか? |
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