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本名木頭 | |||||||||||||||||||
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2020 | ||
2019 | 羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来 監督・原作・脚本 | |
2018 | ||
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羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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森に住む猫の姿をした妖精の小黒(シャオヘイ)は人間の森林開発により住処を奪われてしまう。人の住む町で人間から逃げ回りながら生きてきたが、ある時、人間に襲われて危機に陥ったところを年経た妖精の風息(フーシー)に助けられる。その風息の案内で妖精の住む島に来た小黒は、そこで他の妖精達と交流し、ここに住むことを考え始めた。ところがすぐさま「妖精館」と呼ばれる妖精と人間の組織の中で最強の執行人と呼ばれる無限(ムゲン)の急襲を受けてしまう。風息達は逃げ延びたが、小黒は無限に捕まってしまい、妖精館に連れて行かれることになってしまった。そして二人の長旅が始まる。何度も無限の目を盗んで逃げようとする小黒と、一々捕まえる無限。そんなやりとりの中、小黒は自分の力の使い方を学んでいく。 2019年に中国で製作され、世界的にヒットしたアニメーション作品。日本でも小規模な公開がされており、その際に観に行くつもりもあったのだが、見逃してしまっていた。それが気がつくとかなり多くの映画館にかかるようになって、全国公開へとこぎつけた。こういうこともあるんだとちょっと感心し、良い機会なので拝見。 やっぱり大きな画面で音響もしっかりしてるところで観ると迫力がある。演出が良い作品だけに、大画面向きだ。 日本のアニメの大部分のように目や口を大きくさせずに比較的リアリティのある東洋人の顔を色調を抑えたキャラの造形は凄い。見慣れたものではないのだが、これがこれからのスタンダードになる可能性まである。 演出に関しても80年代〜90年代にあたる日本の劇場アニメ、宮崎駿、大友克洋、押井守あたりの演出を丁寧に解釈してい発展させてる。よく動くし、とても綺麗。色調を敢えてくすませたために派手なアクションでも目がチカチカしない。 演出に関しては素晴らしいの一言。 それに本作は設定がかなり面白い。 妖精である小黒はこの作品を通していくつもの試練に出会うことで成長していく。 小黒が生まれたのは昔かもしれないが、以降は森の中でなんの衝突もなくただ生きていた。この場合は自然と一体化しているために成長はない。 小黒が成長を始めたのは最初の試練に遭ってから。それは自分の住み慣れた土地を人間に奪われてからだった。 最初は自分が何者かも分からず、自分を傷つけるものに対して見境なく牙を剥くしか出来なかった。それまでは自然の一部だった小黒がこの瞬間に初めて自我が生まれ、精霊に変わった瞬間とも言える。 その後、幼い自我を育てていたのが街の中で生きていた時。この時は食べ物を得るために逃げるだけの日々。この時自我が育つが、食欲を満たすために誰かと接触しなければならないが、そこでの選択肢は逃げるか立ち向かうかの二択のみである。それは正常な成長とは言えない。巨大な猫になることも出来るが、そのパワーをまともに使いこなすことも出来てない。 小黒にとって本当に成長と言えたのは風息との出会いによるものとなる。触れあったのはたった一日程度のものかもしれないが、ここで初めて暴力以外のふれあいが出来たことで、話が通じる存在がいることを発見したことが大きい。この瞬間に精霊としては数百年単位で成長していたことだろう。 しかし無限の襲来によって、精霊同士の温かいふれあいはたった半日程度で終わりを告げる。それ以降小黒は無限と旅を続ける事になるのだが、反発しか覚えない人間の無限と長く旅をすることは、小黒にどうしても敵わない存在があることを示すと共に、我慢を覚えることで精神の成長を促した。 この旅を通して、小黒の心は最初に触れあった風息を信じ続けるのだが、価値観は一つだけでないことを繰り返し教え込まれる。無限も無理強いして小黒の考えを変えようとはせず、いろんな場所を巡りながら価値観を広げさせていた。ここで無限が小黒に説明したのは、小黒の「場」を作る能力がとても特殊なものなので、それをどう使うか判断しろというものだった。 旅の間中ずっと無限には反発し続ける小黒だが、これまで文明と断絶していた小黒は、ここで多くの情報を取り入れ、人との付き合い方も学んでいくし、その中で文明もまんざらではないと思えるようになる。いくつかの価値観と、その中で自分が選択権を持っていることを知らされる。強いられた選択ではなく、自分で選べると言うことを繰り返し教え込まれていく。 そして小黒は二つの価値観の狭間に置かれることになる。 一つは風息らの精霊達に合流して、人間とは全く別の精霊の世界を作る事。そしてもう一つは無限たちが属する人間と精霊が融合した世界に合流すること。 本作で重要となるのがその選択は小黒に任されているというところ。無限は敢えて二つの世界を小黒に見せながら、そこでどちらを選ぶかは小黒に任せてる。 小黒自身は単に「場」を提供してれば良いだけの存在で他に何か力を持つ訳ではないし、「場」の提供も自分意思で無くても奪われてしまえば提供できる。だから小黒の意思はあまり意味が無いのだが、それでも敢えて決断を付けさせてるというのが本作の面白いところだ。 小黒の自由意志を描くことは、本作における最も重要な点だろう。 本作が作られたのは中国である。国際的な映画史上を持つ国家の中で恐らく最も映画制作に国家が絡むことになる。国の監視下にあって国に対する不満や現状批判を描くことは映画では極めて難しい状況にある。 実際現状的に言っても、この物語はチベット問題やウイグル問題にもかなり関わってしまう。ここで描かれる精霊を少数民族と考えるなら、経済発展をしている中国に同化を迫っている現代の事情が透けて見えてしまう。 だから本作の結末は最初から決まってもいたのだ。小黒は精霊と人との調和を選ぶし、マイノリティであっても同化できるというオチに持って行かざるを得ない。 この結論はいくつもの可能性の内の一つだが(例えば似たテーマを持った『もののけ姫』(1997)や『ウルフウォーカー』(2020)と言った作品は全く違う結論になってる)、結論が決まってるというのが大きな制約になってしまう。 これを「だから中国の映画は」と思考停止させずに考える事が重要だ。これまでの映画史を振り返ると、制約が強いからこそ生まれる傑作というのもあるのだ。 この作品で、小黒に最後に選ばせること、自由意志を持ってきたことが重要なのだから。 本作のテーマは二項対立だが、そのどちらにも価値観がある事をちゃんと見せた上で決断を委ねている。仮に結論は一つであっても、切り捨てたものも決して悪そのものではなく、そちらを選ぶことも出来たのだという含みを持たせたのが本作の大きな特徴だろう。 そして本作は確かにその傑作と呼ばれる力を持ってる。映画単体として大変優れた作品であろう。 |
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