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我が妻バルドー、ドヌーブ、J・フォンダ _(書籍) |
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2000 | 2'11 死去 | |
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ドンファン 監督・脚本 | |
1972 | イーディ:チャオ!マンハッタン 出演 | |
1971 | 花のようなエレ 監督 | |
課外教授 監督 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | 世にも怪奇な物語 共同監督 | |
バーバレラ 監督・脚本 | ||
想い出のサンジェルマン 出演 | ||
1966 | 獲物の分け前 監督・脚本 | |
1965 | ||
1964 | 輪舞 監督 | |
1963 | ||
1962 | 新7つの大罪 監督・脚本 | |
戦士の休息 監督・脚本 | ||
悪徳の栄え 監督・脚本 | ||
スエーデンの城 監督・脚本 | ||
1961 | 何がなんでも首ったけ 監督・脚本 | |
血とバラ 監督・脚本 | ||
パリジェンヌ 脚本 | ||
1960 | ||
1959 | 危険な関係 監督・脚本 | |
黙って抱いて 脚本 | ||
1958 | 月夜の宝石 監督・脚本 | |
1957 | ||
1956 | 大運河(グランカナル) 監督・脚本・原作 | |
素直な悪女 監督・脚本 | ||
裸で御免なさい 脚本 | ||
この神聖なお転婆娘 脚本 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | 1'26 パリで誕生 |
ドンファン 1973 | |||||||||||||||||||||||||||
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課外授業 Pretty Maids All in a Row |
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世にも怪奇な物語 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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黒馬の哭く館(ヴァディム):若干22歳の若さでメッチェンゲルシュタイン伯爵家を継いだフレデリック(ジェーン・フォンダ)。毎日毎日の放埒な饗宴にふける彼女だったが、彼女の美貌にも財産にも目もくれない馬好きの青年ウィルヘルム(ピーター=フォンダ)に恋をするが、彼の拒絶に合ってしまう。誇りを傷つけられたフレデリックは彼の馬小屋に放火し、愛馬ごとウィルヘルムを焼き殺してしまった。しかし、その夜から彼女の元にやってくる悪夢… 影を殺した男(ルイ・マル):少年時代から頭が切れ、狡猾でサディスティックなな性格をしていたウィリアム・ウィルソン(ドロン)。彼が人生において人を虐げ、悦に入る時に決まって現れ、彼の人生を狂わせる、同姓同名のウィリアム=ウィルソンと言う人物に悩まされていた。ある夜、賭博場で出会った美しい女性(バルドー)をいかさまカードで負かしたウィルソンは彼女を激情のまま鞭で打ち据えるが、ここでもウィルソンは現れ、そのイカサマを皆の前にばらしてしまう… 悪魔の首飾り(フェデリコ・フェリーニ):かつて名優の誉れが高かったイギリス俳優のトビー=ダミット(スタンプ)は、今や落ち目でアルコール中毒にかかっていた。そんな彼にイタリアからフェラーリーの新車を報酬に映画出演の話が来た。早速イタリアに飛んだダミットは、祝賀パーティの後、べろんべろんに酔っぱらったまま、フェラーリーにとびのり、街を走らせる… ポオ原作の短編小説をオムニバス形式で映画化した作品。「黒馬の哭く館」をロジェ=ヴァディム、「影を殺した男」をルイ=マル、「悪魔の首飾り」をフェデリコ=フェリーニがそれぞれ監督。 幻想文学で知られるポオはアメリカの作家で、実際これまでにも何本かがハリウッドやインディペンデントで作られている(その筆頭はロジャー・コーマン)。しかしそれを敢えてフランスで、しかもイタリアからフェリーニまで招いて作り上げたと言う珍しい作品。 しかし、敢えて言いたい。よくぞフランスで作ってくれた!と。 ポオの作品をアメリカで作ると、文学的よりホラー的部分ばかりが強調された作風となってしまい、肝心な文学性が消えてしまうもんだが、フランスとイタリアの、しかも一流監督が競作したお陰で、私好みの幻想文学が見事に映像化されていた。 特に私は悪夢を題材とした映画が大好き。多分これこそが私にとっての最大の映画鑑賞ポイントとなるだろう。恐がりのくせにホラー映画が好きなのも、多分それが理由だろうと自分では思ってる(ギリアムの大ファンというのも同じベクトルだと思う)。 私にとって映画を観ると言うことは、一種、悪夢を題材とした、質の高い映画を探し求めていると言うことになるわけだが、そう言うのってそう多くはない。しかしこれはまさに私の好みと見事に合致。三つが三つとも、まるで悪夢そのもののような題材を用い、しかも全てキャスト、スタッフとも一流どころを用いて質が高い。 そう言うことで、悪夢というキー・ワードを用いてこの映画を考えてみよう。 最初の「黒馬の哭く館」は、主題通り。ジェーン=フォンダが犯した過ちより、徐々に黒馬の呪いに引きずり込まれ、やがては現実感を失っていく。その課程が本当に巧い。とくにジェーン=フォンダの表情が、徐々に変化していく様子は見事としか。弟のピーターが出演し、旦那のヴァディムが監督という(同年製作の『バーバレラ』も、ヴァディム&ジェーンの作品だったが)、家族で作ったような作品だが、炎を伴う悪夢世界に引きずり込まれそうになった。じっくり観たくなる作品。 2作目の「影を殺した男」はアラン=ドロンを主役に据えたお陰で、なんか“悪夢”って言うよりはフィルム・ノワールの雰囲気をぷんぷん匂わせているが、そのドロンの不安な顔と、突如観るヴィジョン。そして自分自身のドッペンゲルガーとの対峙という、本当にそのまま悪夢と言える作品となっていた。 それでこれはもう言うまでもないが本作において最も質が高いのが3作目の「悪魔の首飾り」。この不気味な世界観と演出の巧さ!これだけ見事な作品が出来たのはやっぱりフェリーニという監督の実力あってこそ。 フェリーニは代表作の『道』(1954)であれ、『8 1/2』(1963)であれ、白黒時代の作品が主に評価される傾向にあるが、私はこの監督の魅力とは、決してそれだけではなく、カラー作品の色彩感覚の素晴らしさにもあると思ってる。実際『フェリーニのアマルコルド』(1974)で見せた雪の白さの中で孔雀が羽根を広げるシーンと言い、『魂のジュリエッタ』(1964)で見せた、真っ白い部屋に登場する原色のサーカス団と言い、その色彩感覚の非凡さには驚かされるばかり。そして本作では黒の中に浮かび上がる光の演出がとにかく凄い。暗闇の中に車のライトを当てることによって、なんと通常のカメラがそのまま俯瞰のカメラに変わる。見えるのはほとんど画面の下半分だけ。しかも疾走する車の中からの視点なので、見えるのは瞬間瞬間だけ。まるで風景が逃げていくかのような錯覚を与えてくれる。これが何とも凄い不安感を演出し、居心地の悪いことこの上なし。こんな演出方法があったとはなあ。驚くばかりだよ(と、言いつつも実はこれは後年押井守によって『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)で用いられてたりする)。 無茶苦茶なスピード感に溢れていたからこそ、最後に現れたボールを持った少女の静けさが映える。あの不気味さよ。まさに夢に見そうなシーンだった(これ又「ウルトラQ」の「悪魔っ子」で似たようなシーンが使われてるんだが)。緩急の使い分けが無茶苦茶巧い。で、いきなりその少女に向けてジャンプするシーンで、次に来るべき“ガッシャーン”という音を期待していると、なんと次に来る音は“キィ…キィ”というもの静かな音だけ…それでカメラが寄ると…うわああ。なんだこりゃ。凄え!!!マジそのまま悪夢だよ。これは ところで悪夢というキーワードで見るなら、悪夢というのは二つに分かれると思える。片方は何者か知らぬ恐ろしいものに追いかけられる夢と、逆にどうしても欲しいものを追いかけていて、決して手が届かないと言う夢があると思う。1作目と2作目は前者であり、3作目は後者として捉えることが出来よう。オムニバスで、主題を変えたからこそ出来た芸当だ。 私にとって大切な「悪夢映画」の大切な一本である。 |
バーバレラ 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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フォンダが夫であるヴァディム監督と組んでの作品となったが、見事に色気が開花した作品。 |
獲物の分け前 1966 | |||||||||||||||||||||||||||
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戦士の休息 1962 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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父の遺産が転がり込み、婚約者も出来たジュヌヴィエーヴ(バルドー)は、贅沢な暮らしを続けつつ、どこか心満たされない。だが、相続の書類を作りに寄ったリヨンのホテルで、毒を呷って死のうとしていたルノー(オッセン)を発見し、彼を助ける。その後パリの自室で同棲を始めた二人。二人の愛は深まっていくのだが、その愛に苦痛を覚えたルノーはとうとう彼女の前から姿を消してしまう… メロドラマは嫌い。邦画には特にこういった作品ばかり目に付き、それが一時期の邦画嫌いとなっていたのだが(そう言う作品ばかりしかないと思っていたのだが、今では随分と反省してる。面白い作品はいくらでもあったのに、嫌いな作品しか目が行かなかっただけだし、パターンであっても見処さえ心得ていれば、良質作品も多い)、まさに一番嫌いなストーリーが私の目の前にあった。 自分は愛するに値しないと思いこみ、自分を嫌ってくれることを願って自堕落な生活を送る男、それをひたすら待つ情の強い女。やがて逃げ出した男はボロボロになって女の元へ向かう。女はそれを暖かく迎える… もー、何とかして。一番嫌いなパターンそのものを見せ付けられるのは苦痛だぞ。邦題だって変だし。それに、フランスのセックス・シンボルって言ってもバルドーに魅力を感じない私としては、感情移入も全く出来ず。 私にとって唯一この作品の救いは、食事シーンが多かったこと。不味そうであれ、美味しそうであれ、真剣に食事をしている風景って言うのは、それだけで何か救われた気分になる…私が変なのは重々承知済み。 |
悪徳の栄え 1962 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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血とバラ Et mourir de plaisir |
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危険な関係 Les liaisons dangereuses |
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月夜の宝石 Les bijoutiers du clair de lune The Night Heaven Fell |
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タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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素直な悪女 Et Dieu... crea la femme And God Created Woman |
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南仏の町サン・トロペーズの孤児ジュリエット(バルドー)は、子供のないモラン夫婦に引取られ成長したが、性的魅力に溢れるジュリエットには言い寄ってくる男が引きも切らさず。次第にジュリエットが疎ましくなったモラン夫人は彼女を孤児院に帰そうとするが、町にいたいジュリエットは好きでもない内気な青年ミシェル(トランティニャン)と結婚してしまう。だが野性的な魅力を持つミシェルの兄アントワーヌが町に帰ってくると、ジュリエットの気持ちはアントワーヌへと傾いていく… 妻のバルドーを主演としたヴァディムの第一回監督作。デビュー作の本作からヴァディム監督は本当に女性を魅力的に撮ることにかけては第一人者であることを知らしめた。 一人の女性が“本当の幸せ”を見つけるまでの過程を描いた作品で、はっきり言って物語は実に単純。ただ、本作には最高の強味がある。要はただ一人“BB”バルドーの存在感である。 今の目で観る限りはお色気シーンは可愛いものだが、それでもバルドーの魅力ってのはよく分かる。フランス映画らしい明るすぎる画面の中、溌剌としたバルドーの裸身が踊る。これだけでもう充分!考えてみると、本当に魅力的な女性であれば、直接的な行為は必要がないのだ。ただそこに映っているだけで、観てる側の妄想を逞しくさせる。その魅力が確かにあるのだ。 事実、ここでのバルドーは若さいっぱいって感じで、窮屈な社会的な枷の中、そこにぶつかっていき、様々な圧迫を若さだけで跳ね返していく。一方、“落ち着いた幸せ”ってものをもやっぱり欲しがっており、結局オチはちゃんとそちらの方に落ち着いていく。 その魅力はあるけど、バルドーはちょっと私の好みからは外れてるし、話そのものが当たり前すぎるため、評価はそう高くならないんだけど、ヴァディム監督の目の確かさと演出方法の巧さは認めよう。 尚、本作撮影直後にヴァディム監督とバルドーは離婚してしまい、バルドーはトランティニャンと同棲生活にはいってしまったとのこと。 |
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