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夏のかけら―藤田敏八との七年間 |
1997 | 8'29 死去 | ||||||||
1996 | |||||||||
1995 | 風を聴く日 出演 | ||||||||
いつか見た青い空 出演 | |||||||||
1994 | いとこ同志 出演 | ||||||||
熱帯楽園倶楽部 出演 | |||||||||
罪と罰 ドタマかちわったろかの巻 出演 | |||||||||
1993 | 日本一の悪女? 雅美のパワーオブラブ 出演 | ||||||||
1992 | 腕におぼえあり2<TV> 出演 | ||||||||
彼女が結婚しない理由 出演 | |||||||||
ザ・中学教師 出演 | |||||||||
悪友 出演 | |||||||||
8マン すべての寂しい夜のために 出演 | |||||||||
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1991 | パチンコグラフィティ 出演 | ||||||||
1990 | 鉄拳 出演 | ||||||||
スパイゲーム 出演 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー 企画 | ||||||||
リボルバー 出演 | |||||||||
1987 | 永遠の1/2 出演 | ||||||||
1986 | 波光きらめく果て 監督 | ||||||||
1985 | 大江戸神仙伝 演出 | ||||||||
タンポポ 出演 | |||||||||
1984 | 海燕ジョーの奇跡 監督 | ||||||||
1983 | ダブルベッド 監督 | ||||||||
1982 | ダイアモンドは傷つかない 監督 | ||||||||
1981 | スローなブギにしてくれ 監督 | ||||||||
1980 | 四季・奈津子 出演 | ||||||||
ツィゴイネルワイゼン 出演 | |||||||||
1979 | 天使を誘惑 監督 | ||||||||
十八歳、海へ 監督 | |||||||||
もっとしなやかに もっとしたたかに 監督 | |||||||||
ホワイト・ラブ 脚本 | |||||||||
1978 | 帰らざる日々 監督 | ||||||||
危険な関係 監督 | |||||||||
1977 | 実録不良少女 姦 監督 | ||||||||
横須賀男狩り 少女・悦楽 監督 | |||||||||
瞳の中の訪問者 監督 | |||||||||
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1975 | 裸足のブルージン 監督 | ||||||||
1974 | 炎の肖像 監督 | ||||||||
バージンブルース 監督 | |||||||||
妹 監督 | |||||||||
修羅雪姫 怨み恋歌 監督 | |||||||||
赤ちょうちん 監督 | |||||||||
1973 | 修羅雪姫 監督 | ||||||||
戦争を知らない子供たち 監督 | |||||||||
エロスは甘き香り 監督 | |||||||||
赤い鳥逃げた? 監督 | |||||||||
1972 | エロスの誘惑 監督 | ||||||||
八月はエロスの匂い 監督 | |||||||||
1971 | 八月の濡れた砂 監督 | ||||||||
野良猫ロック 暴走集団’71 監督 | |||||||||
1970 | 野良猫ロック ワイルド・ジャンボ 監督 | ||||||||
1968 | にっぽん零年 演出・構成 | ||||||||
1967 | 非行少年 陽の出の叫び 監督デビュー | ||||||||
愛の渇き 脚本 | |||||||||
1966 | 白鳥 助監督 | ||||||||
1962 | 憎いあンちくしょう 助監督 | ||||||||
1955 | 自分の穴の中で 助監督 | ||||||||
1932 | 1'16 誕生 |
スローなブギにしてくれ 1981 | |||||||||||||||||||||||
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天使を誘惑 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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製作に大林宣彦。 |
十八歳、海へ 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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帰らざる日々 1978 | |||||||||||||||||||||||
1978キネマ旬報日本映画第5位 1978毎日映画コンクール日本映画優秀賞 1978報知映画新人賞(永島敏行) |
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赤ちょうちん 1974 | |||||||||||||||||||||||||||
1974キネマ旬報日本映画第9位 | |||||||||||||||||||||||||||
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助監督に長谷川和彦。 |
修羅雪姫 怨み恋歌 1974 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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修羅雪姫 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1873年、日本初の徴兵令が布告された時の島根県の寒村。これを金儲けにしようとした村の4人組は、赴任してきた小学校教師鹿島剛を政府の徴兵係に仕立て上げ、殺害した後、金を持って遁走する。鹿島の妻小夜は四人組の一人徳市を刺し殺し、刑務所に入れられた後、一人の女の子を産み落とす。雪(梶芽衣子)と名付けられた女の子は、父と母、そして幼くして死んだ兄の敵を取るべく育てられ、暗殺者として成長した。そしてついに残された仇3人の居所を掴む。 最近釈由美子主演作としてリメイクされた作品のオリジナルの方。本作の存在は知っていたのだが、どこのレンタルショップを探しても見つからず、半ばあきらめていたところで偶然中古ビデオ屋の店頭で発見。しかも安く…問答無用で購入を決定する。 元々釈版『修羅雪姫』(2001)を観ていて、あの寡黙で、まるで殺人マシーンのような役柄、そして時折見せる女っぽさ(釈由美子じゃ艶っぽさにまでは至らないけど)。これを観てるうちにどうしても一人の女優の名前を思い出してしまった。 この釈版『修羅雪姫』、ハリウッドで再リメイクの話が噂されるほどだから、結構面白い作品なのだが、どうしてもちょっと足りない部分を感じてしまった。それは先にも言ったように、艶っぽさであり、業の深さの掘り下げの部分。特に最近の邦画はその辺をなるだけ回避しようとしてる傾向があるけど、かつての邦画はむしろそっちの方が主軸ではないか?と思えるほどにどろどろとした、救いようのない陰湿さに溢れていた(確かに私もあんまりそう言うのは好きじゃないとは言え、人を殺す動機として考えるならば、このくらいしないとやっぱり印象が深くならない)。言ってしまえば、釈版の雪はあまりに軽すぎるのだ。 それでオリジナルの本作だが、まさしく、その足りない部分を徹底的にまで掘り下げてくれていた。それだけで拍手!である。 そして主演は、日本ではこの役できる人はこの人しかいません!の梶芽衣子。『女囚701号 さそり』(1972)のイメージが強くて、最初の内は日本髪にやや違和感を感じたのだが、それ以上に妖艶な演技を魅せてくれている。やっぱ雪のイメージは釈由美子なんかよりはるかに彼女の方がよく合ってるよ。っていうか、多分釈をこのイメージに合わせようとしたんだろうけどね。 話自体はややできすぎの感があるものの、話にメリハリがあるし、二代に渡る恨みの物語をこの時間よくここまで詰め込んだ。ちょっとやり過ぎとも思えるどぎつい演出も許せる。 ここで一番好きなのはやっぱりラストだな。親の恨みを晴らすため、次々と敵を血祭りにあげていく雪は、今度は恨みの連鎖で逆にその恨みを受けていく。そして最後の敵を手にかけ、傷を負いながら放心状態で雪を渡り歩く。そんな彼女に突きつけられる敵の娘による短刀…自分の人生の全てを敵討ちにかけた雪の壮烈な最期は、やはりこうでなくてはならない。あの死に方は、多分最高の満足をもって受け入れたことだろう。 …ところで、観る機会があるかどうか分からないけど、本作には続編がある。この余韻をぶちこわしにせんでくれよ! 娯楽邦画の典型的な作品だが、梶芽衣子という存在をひときわ輝かしているので、観ておいて良かった作品だ。 |
八月の濡れた砂 1971 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1971キネマ旬報日本映画第10位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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海辺の町に住む西本清(広瀬昌助)は夏休みをあてもなくオートバイを転がして過ごしていた。そんな朝の海辺で暴行され車から放り出される少女早苗(テレサ野田)を見かけた清は彼女を介抱するのだが、彼女の家族からは清が暴行犯と思われてしまった… 1971年。丁度藤田監督自身も作っていた野良猫ロックシリーズと前後して製作された作品。野良猫ロックよりはやや若い世代を主人公とした作品で、当時学生運動の痛みを引きずる若者達に多くの影響を与えた作品。 ここに登場するのは高校生。はっきり「不良」と言うほどではないが、世界の何もかもが嫌になり、目的もなくなってしまい、どこか自暴自棄となってしまった青年達がここには描かれていく。こう言うのを描かせたら藤田監督は最高の仕事をするが、本作はその始まりとなった作品といえるだろう。事実、公開時こそほとんど話題にならなかったが、後に青春映画の傑作として絶賛されるに至った作品である。 ただ、本作を観てストーリー云々を言うのは野暮というものだろう。物語はあるようで無いような。突発的に喧嘩して、後はグダグダしているだけの物語と言ってしまえばそれで終わりである。 だが、ここには間違いなく“生”が込められている。ここで描かれる青春群像はあまりにも生々しくリアルだ。 いわゆる現代では“中二病”などと言われることもあるのだが、思春期を迎え、大人達の小狡さや、人生の行き先を考えるに至ると、何もかも無意味に思えてしまい、強烈な破壊衝動と無気力が同時に入り込んでくる。妙な焦燥感はあるのだが、何もすることを思いつかない。何かをしなければならない。何かを見つけねばならない。だけど見つからない。その反復に揺れる時期があるもの。 この作品はそんな心を切り取って出されたようなもの。勿論こんな暴力的ではないし、浮いた話ももっとこそこそやっていたものだが、確かにここに描かれる心情は私も確かに持っていたのだ。それを突きつけられたようで、今観るとちょっとした心の痛みと苦笑いが出てしまう…あの当時もっと弾けていれば良かったという後悔もちらほら。 ここに登場する役者達も全員素人臭いため、それが逆にリアリティを増していた感じもする。 思えばこの当時1970年代の初期というのは、日本そのものが思春期を迎えた時だったのかも知れない。だからこそこのような映画が作られる事が出来た。ある意味時代と作家性が見事に組み合わさって生み出された奇跡のような作品だったのかも知れない。 好きか嫌いかが極端に別れる作品だとは思うが、これも邦画の一つの爪痕。邦画を語る上では外せない一本だろう。 助監督に長谷川和彦。 |
野良猫ロック 暴走集団’71 1971 | |||||||||||||||||||||||||||
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新宿の公園で寝泊まりするピラニア(原田芳雄)を頭目とする若いフーテン集団があった。そのメンバーの一人で、地方の街のボスの息子隆明は、父の差し向けた追っ手を刺し殺してしまう。連れ戻されてしまった隆明の元へとメンバーは向かうのだが… 短いスパンで一気に作られた野良猫ロックシリーズ最終作。 本シリーズはどれも70年代の若者を描くという一点で共通しているのだが、最終作である本作が一番過激に学生運動を描いてみせた。物語そのものはつまらないものだったが、何せ若さの象徴として、原田芳雄、梶芽衣子、藤竜也と言った面々がやりたい放題やってるのだから、今観たらそれだけで感涙ものだ。 そして一応本作は学生運動をテーマにしてはいるものの、最も重要なのは、その本質を最も良く突いているという点であろう。学生運動とは主義主張ではない。この世界そのものに対する反逆であり、大人になることを拒否することなのだから。だから本作は学生運動を肯定はしてない。ただ、若さの暴走としてだけ描いている。 それを下らないとは一切言わず、さりとて肯定もせずエンターテインメントして仕上げようとしたところは、さすがは藤田監督と言ったところか。 面白いと言うつもりはないけど、特に今になってだと、観る価値は充分にある作品と言えよう。 本作の助監督には長谷川和彦の名前がある。 |
野良猫ロック ワイルド・ジャンボ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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地方都市の工場街で行き場もなく毎日を遊び暮らしている小さな非行集団があった。互いをガニ新、デボ、C子、ジロー、タキと呼び合う「ペリカン・クラブ」。彼らはライバルの非行集団である「西部会」と僅かながらの覇権を主張して喧嘩をしたり、屑場を掘り返してみたりと、なす事もなく過ごしていた。だがそんな彼らの前に大きな計画が持ち上がる。日本各地に数十万の信者をもつという正教学会の祭りがこの都市近郊で開かれ、祭りに集まる信者の寄付金三千万円を強奪しようというのであった。学生運動の闘志だったタキは早速自分自身の計算に則って現金強奪プランを練るが… 『女番長 野良猫ロック』(1970)により、時代の波に乗ったシリーズの第二弾。短い期間に稼いでしまえ。とばかりにほとんど一年ほどで5本ものの作品が作られることになる。一応シリーズものとされ、登場人物もほとんど同じだが、物語そのものは全て別個のものとされる。続き物でないと言うことは一種の強みで、本作は一作目の『女番長』とは全く設定も異なり、話は学生運動っぽいノリで展開。70年という時代の異様なノリとは、その根底に学生運動があったことを考えるならば、本作も又避けては通れぬ作品だったのかもしれない。 ただ、設定はともかく物語はあまりにもふざけすぎてる感じ。特にオチなんかは途中までなんにも考えて無くて、最後は景気づけに全員殺してしまえ!ってなノリに近い。そもそも話自体が完璧に破綻してるもんなあ。 だけど、それが本シリーズの最大の強みであるし、ガキの遊びがいつの間にか大義名分を付けて日本を揺るがそうという話にまでなってしまう。ある種のセカイ系の走りだとも言えよう。これまで完全に分離していた個人と世界がこの辺りから不思議な関わりを持つようになり、映画においてもメタフィクション作品が作られていくようになる。本作はそこまでは行かなかったにせよ、その萌芽が感じられる。狭い意味での邦画の可能性の一つを提示した作品と言えるかもしれない。 |
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