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大林宣彦の映画談議大全『転校生』読本(書籍) _(書籍) |
2020 | 4'10 死去 | |||||||
2019 | 海辺の映画館―キネマの玉手箱 監督・脚本 | |||||||
エキストロ 出演 | ||||||||
大林宣彦&恭子の成城物語 [完全版] 〜夫婦で歩んだ60年の映画作り〜 出演 | ||||||||
2018 | ||||||||
2017 | 花筐/HANAGATAMI 監督・脚本・編集 | |||||||
亜人 出演 | ||||||||
2016 | ||||||||
2015 | ||||||||
2014 | ||||||||
2013 | 野のなななのか 監督・脚本 | |||||||
2012 | この空の花 長岡花火物語 監督・脚本・編集 | |||||||
2011 | カリーナの林檎 〜チェルノブイリの森〜 ナレーション | |||||||
2010 | ||||||||
2009 | ||||||||
2008 | 転校生 -さよなら あなた- 監督・脚本・編集 | |||||||
2007 | ||||||||
2006 | 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 監督・脚本・編集 | |||||||
2005 | ||||||||
2004 | 理由 監督・脚本 | |||||||
2003 | ||||||||
2002 | なごり雪 監督・脚本・編集 | |||||||
2001 | 告別 監督・脚本 | |||||||
2000 | 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ 監督 | |||||||
1999 | あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜 監督・脚本 | |||||||
1998 | 三毛猫ホームズの黄昏ホテル 監督・脚本 | |||||||
マヌケ先生 監督・脚本 | ||||||||
麗猫伝説 劇場版 監督・編集・作曲 | ||||||||
風の歌が聴きたい 監督・脚本・編集 | ||||||||
SADA 戯作・阿部定の生涯 監督 | ||||||||
三毛猫ホームズの推理 監督・編集 | ||||||||
1997 | タイム・リープ 監修 | |||||||
1996 | ||||||||
1995 | あした 監督・編集 | |||||||
1994 | 女ざかり 監督・脚本・編集 | |||||||
金なら返せん! 出演 | ||||||||
1993 | 水の旅人 -侍KIDS- 監督・編集 | |||||||
1992 | はるか、ノスタルジィ 監督・脚本・編集 | |||||||
青春デンデケデケデケ 監督・編集 | ||||||||
彼女が結婚しない理由 監督・編集 | ||||||||
1991 | ふたり 監督・編集 | |||||||
1990 | 乙女物語 お嬢様危機イッパツ! 出演 | |||||||
1989 | 北京的西瓜 監督 | |||||||
1988 | 私の心はパパのもの 監督・編集 | |||||||
異人たちとの夏 監督 | ||||||||
日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群 監督・脚本・編集 | ||||||||
1987 | 漂流教室 監督・潤色 | |||||||
1986 | 野ゆき山ゆき海べゆき 監督・編集・音楽 | |||||||
四月の魚 監督・企画・脚本・編集 | ||||||||
彼のオートバイ、彼女の島 監督・編集 | ||||||||
1985 | 姉妹坂 監督 | |||||||
さびしんぼう 監督・脚本・編集 | ||||||||
1984 | 天国にいちばん近い島 監督・潤色・編集 | |||||||
少年ケニヤ 監督・編集 | ||||||||
廃市 監督・製作・企画・作曲・編集 | ||||||||
1983 | 麗猫伝説 監督 | |||||||
時をかける少女 監督・脚本・編集 | ||||||||
アイコ十六歳 製作総指揮 | ||||||||
1982 | 可愛い悪魔 監督 | |||||||
転校生 監督 | ||||||||
俗物図鑑 出演 | ||||||||
1981 | ねらわれた学園 監督 | |||||||
MOMENT 出演 | ||||||||
1980 | ||||||||
1979 | 金田一耕助の冒険 監督 | |||||||
天使を誘惑 製作 | ||||||||
ホワイト・ラブ 出演 | ||||||||
1978 | ふりむけば愛 監督 | |||||||
親子ねずみの不思議な旅 歌詞 | ||||||||
人はそれをスキャンダルという<TV> 監督
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1977 | 瞳の中の訪問者 監督・出演 | |||||||
HOUSE ハウス 監督・製作 | ||||||||
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1976 | ||||||||
1975 | 本陣殺人事件 音楽 | |||||||
最後の蒸気機関車 音楽 | ||||||||
1974 | ||||||||
1973 | ||||||||
1972 | ||||||||
1971 | ||||||||
1970 | すばらしい蒸気機関車 音楽 | |||||||
1969 | ||||||||
1968 | ||||||||
1967 | EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ 監督 | |||||||
1966 | ||||||||
1965 | ||||||||
1964 | ||||||||
1963 | ||||||||
1962 | ||||||||
1961 | ||||||||
1960 | ||||||||
1959 | ||||||||
1958 | ||||||||
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1956 | ||||||||
1955 | ||||||||
1954 | ||||||||
1953 | ||||||||
1952 | ||||||||
1951 | ||||||||
1950 | ||||||||
1949 | ||||||||
1948 | ||||||||
1947 | ||||||||
1946 | ||||||||
1945 | ||||||||
1944 | ||||||||
1943 | ||||||||
1942 | ||||||||
1941 | ||||||||
1940 | ||||||||
1939 | ||||||||
1938 | 1'9 広島で誕生 |
海辺の映画館―キネマの玉手箱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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尾道に古くからある映画館瀬戸内シネマが今晩で閉鎖される。最終日はオールナイトで「日本の戦争映画大特集」が上映される。その映画のために集まった人々の中で三人の若者、映画館の看板娘希子(吉田玲)に惚れ込んでいる馬場鞠男(厚木拓郎)、鳥鳳介(細山田隆人)、団茂(細田善彦)にが映画の中から発せられた閃光を目にした途端、画面の中に吸い込まれ、 様々な時代に放り込まれる。そこには希子もいたのだが、彼女は何度でも全く違う人物として彼らの前に現れてくるのだった。 華々しいデビューと共に、低迷にあえぐ80年代の映画を牽引してきた、日本を代表する映画作家大林宣彦。2016年に肺がんが発覚して以降、闘病生活を送りながら『花筐』を監督。生きている間に完成は不可能と言われながら見事に映画を完成させた。その後は再び闘病生活に戻っていたと聞いていたが、2020年4月にお亡くなりになったと聞いた。 その際、意外なことを聞いた。まだもう一本の映画を作っていたというのだ。まさに真の意味での遺作の作品がこれから世に出る。 これだけで劇場で観るには充分な理由となるだろう。 だが公開直前に新型コロナウイルスの蔓延によって映画館も閉鎖され、いったいいつになった観られることやらとやきもきしていたが、なんとか映画館も再開できたので、ほぼ真っ先に観に行った。 本作は一見脈絡がない夢のような作品である。一種のファンタジー作品と言って、間違いはない。映画の中に入り込んで以降、時代も場所も関係なく、主体すらコロコロと変わりながらどんどん話が展開していく。悪く言ってしまえば、本当に脈絡がなく、単に目の前に流れる映像についていくだけになる。はっきり言うが、本作は映画の体裁を取ってない。どっちかというと前衛の舞台劇みたいな作品だ。 しかし、それを“味”と見るなら面白さが出てくる。 三点ほど面白い部分が見える。 第一点としては、日本の映画監督がみんな辿る道であるという事。概ね映画監督というのは最晩年の作品と言うのはどこか似た傾向を持つようになる。それは現実世界と死後の世界がどんどん近づいてきて、その境が曖昧なものになっていく。特に最晩年まで映画を作り続けてきた監督にそれは顕著で、例えば黒澤明の『まあだだよ』(1993)とか新藤兼人の『一枚のハガキ』(2010)なんかがまさしくそんな感じだろう。まだ生きていて、新しい映画作りに燃えている宮崎駿の『風立ちぬ』(2013)なんかも傾向としてはまさしくそんな立場にある。「幽明境を異にする」という言葉が作品にも現れてくる。 そんな立場に立ってみると、本作はまさしく監督にとっての遺作に相応しい作品と見ることが出来るだろう。巨匠と呼ばれる日本映画の重鎮の遺作。それだけで本作は意味がある。 第二点として、死者と生者の交流というのは大林監督にとってのテーマの一つだったという…。それこそデビュー作の『HOUSE ハウス』の時から死者と生者の交流の話を描いていたとが、『さびしんぼう』や『異人たちとの夏』、そして『あした』と、どれも死と生の境目が曖昧で、死者と生者の交流がなされている。最後の作品はそのテーマに沿ったものと考えれば、これもやはり監督の遺作としてはふさわしさを感じるものだ。 そして三点目になるが、これは監督の愛情を感じられると言うことだろう。映画監督の大部分はそうだろうが、映画そのものに対して深い愛情を込めている。主人公の名前が馬場鞠男というのもなんとも面白いが、なんでもこの名前は監督が元々変名として考えていたものだったとか。マリオ・バーヴァがそんなに好きだったのが不思議と言えば不思議で、一方でなんかストンと納得できる気もする。そして、広島に対する愛の深さも。尾道三部作を作っているだけに監督は尾道が大好きだが、故郷の広島にたいして大きな愛情を持っていたことが本作からも伝わってくる。広島を描くなら原爆とは切り離せないが、その原爆を直接描写したのは監督では初となるだろう。それは最後の最後の締めくくりとして、広島愛を語るために必要なパーツだったのかも知れない。 総じて言うなら、本作は純粋な映画愛と、これまで監督が培ってきた様々な要素をまとめずに一本の映画に押し込めたような作品と言えるだろう。 それだけにこれはまさしく遺作と呼ぶに相応しい作品だと言える。 |
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花筐/HANAGATAMI | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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野のなななのか 2013 | |||||||||||||||||||||||||||
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理由 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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なごり雪 2002 | |||||||||||||||||||||||||||
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故郷の臼杵から東京に出て28年。梶村祐作(三浦友和)は突然とし子から離婚状を突きつけられた。呆然とする祐作はかつて親友だった水田から妻の雪子(須藤温子)が意識不明の重体であることを聞かされ、心の傷を癒すためにも帰郷することにした。実は幼なじみの雪子は、青春時代に祐介を慕っていたのだ。その心を知っていながら、祐介はそれに答えることが出来なかった。故郷に向かう電車の中、そんな日々を思い起こす… 老境に入った主人公が現在の苦しみから青春時代の過ちを思い出し、やがてそれを消化して新しく立ち上がる。物語の骨子としては決して悪くない。と言うか、あまりにも定番過ぎて、むしろテレビ向きの話になってしまった。それをわざわざ映画でやる必要はどこにある? これは大林監督の意地というもんなんだろう。映画青年がこの年齢になっても未だ映画青年でありつづける事は驚異的と言えるのだが、観てるこっちは「なんだかなあ」ってな感じ。特にこの監督の作品ははまるかはまらないかで極端に評価が変わってしまうものなのだが、本作の場合は全くはまることが出来ず、結局鬱陶しいだけになってしまった。もうちょっと年齢を加えれば少しは分かってくるのかな? かつてイルカが歌い、未だに歌い続けられているスタンダードナンバー「なごり雪」をクライマックスに持ってくるのも、本来歌の内容は逆だろ?そんなことを思ってたら、ますます気持ちが離れていく。致命的だったのは、「懐かしい」と思えなかったと言う一点だろう。あの田舎の描写は、私の心情からは遠いものだったから。 悪い作品ではないと思うんだが、はまれないと言うのが問題。 |
風の歌が聴きたい 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
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あした 1995 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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女ざかり 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994日本アカデミー主演女優賞(吉永小百合) 1994毎日映画コンクール女優主演賞(吉永小百合)、優秀宣伝賞 |
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青春デンデケデケデケ 1992 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1992日本アカデミー音楽賞、新人俳優賞(林秦文、大森嘉文)、作品賞、脚本賞 1992日本映画批評家大賞作品賞 1992キネマ旬報日本映画第2位 1992毎日映画コンクール日本映画優秀賞、音楽賞、スポニチグランプリ新人賞(大森嘉之) 1992報知映画新人賞(大森嘉之) 1992毎日映画コンクール最優秀新人賞(大森嘉之)、第3位 |
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全編を通してベンチャーズの音楽が流れる。 |
ふたり 1991 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991ブルーリボン新人賞(石田ひかり) 1991キネマ旬報日本映画第5位 1991毎日映画コンクール音楽賞、スポニチグランプリ新人賞(石田ひかり) 1991報知映画新人俳優賞(石田ひかり) 1991ヨコハマ映画祭音楽賞、最優秀新人賞(石田ひかり)、第5位 |
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北京的西瓜 1989 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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異人たちとの夏 1988 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988日本アカデミー助演男優賞(片岡鶴太郎)、脚本賞 1988ブルーリボン助演男優賞(片岡鶴太郎)、助演女優賞(秋吉久美子) 1988キネマ旬報第3位 1988毎日映画コンクール日本映画優秀賞、監督賞、助演女優賞(秋吉久美子)、スポニチグランプリ新人賞(片岡鶴太郎) 1988報知映画助演男優賞(片岡鶴太郎) 1988ヨコハマ映画祭助演男優賞(片岡鶴太郎)、第4位 |
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妻子と別れてマンションに一人暮らしをしているシナリオ・ライター原田英雄(風間杜夫)はある日、幼い頃に住んでいた浅草に出かけ、そこで何故か原田が12歳の時に死んだはずの両親、英吉(片岡鶴太郎)と房子(秋吉久美子)に会ってしまう。二人はその時の年齢のまま、原田を快く迎え、原田は懐かしさのあまり、浅草の両親の家へたびたび通うようになっていく。一方で原田は同じマンションに住む桂(名取裕子)という女性と、愛し合うようになっていたが、彼女は原田が異人(幽霊)に取り憑かれていると不気味なことを語るのだった。その通り、原田は徐々に衰弱していくのだが… 1980年代を代表する大林宣彦監督はジャンルを問わず様々な映画を作っている。文芸作品もあれば、最も得意とするアイドル作品もある。だが、デビュー作が『HOUSE ハウス』と言うだけあって、SFや特撮にも特別な思い入れがあるようでもあり。 ただ、監督の作る特撮作品やSF作品はことごとくファンの神経を逆撫でするようなものばかりで、ジャンル映画好きにはすこぶる評判が悪い…ネタ化されたという意味では貴重な作品をいくつも作ってるけど。 だから本作も実は全く期待せずに見始めて、あれよあれよという間に画面にのめり込んで、凄く良い印象を受けた。 確かに私は親と子の関係回復を題材にした物語がとても好きで、それが作用したのは認めるし、言うまでもなくホラーや特撮と言ったジャンル映画も好きだから、その組み合わせで気に入ったと言うのも認める。 しかし、そのつなぎは決して良いとは言えないし、場面場面で私が最も嫌っている80年代邦画的特色が鮮明に出てくる。だから何故こんなに気に入ったのか、長いこと分からないまま(意地で「これは面白くない」と言っていた時期もあった)。 ただ、気に入っている理由が自分でも分からないと言うのがとても気持ちが悪い。 それで、レビューするに当たり、作品データを改めて調べ始めた途端、疑問が氷解。 なるほど。脚本が市川森一だったのか。 実に単純。それだけのことだった。 この人の脚本、ある意味では私が子供の頃から慣れ親しんでおり、更にこの人の脚本作品はとても好きなものが多い…何が?と言うと、実は市川は帰ってきたウルトラマンとウルトラマンAでの脚本家で、しかも子供心に印象に強く残っている話は改めて調べてみると、多くは市川脚本の作品だったという事実。 そして改めて今思い出してみると、本作にも市川流のケレン味が多数出てきていることが分かる。人を思いやり、自己犠牲に踏み切る描写なんかはヒーロー作品そのまんまと言っても良い訳だから。 改めて分かってみると、とても気持ちが良くなった。面白いと思ったのには、ちゃんと理由があるものなのだ。うん。 これまでお笑いコメンテーターであった片岡鶴太郎が意外にもしっかり演技が出来ることが分かったことも大きい。実際本作を契機に役者業へと移っていくことになる。 |
漂流教室 1987 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある朝、何の前触れもなく突然小学校が姿を消した。驚き慌てる町の人々。一方、当の学校は時空の波に飲み込まれてしまい、砂漠と化した未来の地球へたどり着いていた。そこで何とかして生きようと立ち上がる少年達。だが、その努力をあざ笑うかのように不思議な事故が起こり続け、その度毎に子供たちは減っていくのだった。生きるための戦いの先にある世界を求め、子供たちが戦い続ける。 楳津かずお原作の、当時は映像不可能とまで言われた同名漫画を、大林宣彦監督が映像化する! それを知ったとき、結構ゾクゾクした記憶がある。そうか、大林監督なら何かやってくれるかも知れない。そう思ったのである。 確かにやってくれた。さすが大林監督。 期待をこれほどまでに見事に裏切ってくれた映画は滅多にない。そう言う意味では、この作品は数多い私の映画遍歴の中でも裏切りの最上位に位置する。 原作者は元々ホラー漫画を得意としているだけあり、原作の漫画は画面からおどろおどろしさがあふれている。困難に打ち勝つたび、憔悴していく主人公達の姿を見るだけで痛々しかった。しかも、ラスト近くにあった「豚」を食べるシーンは倫理ギリギリ(若しくは超えていた)ほど。最初にあれを読んだのが小学校の時で、恐すぎて夜眠られなかった記憶さえある。 それがどうだ。 このチープさ。このいい加減さ。 何でこの原作を、青春もののストーリーに持っていくわけ? 何で肝心なストーリーではなく、枝葉末節で怖がらせようとするわけ? 背景の書き割りの絵はなに?これを演劇と勘違いしてない? 「大和小学校」を国際学校にした理由は? CGがしょぼいのは時代的に許せるとして、使い方が無茶苦茶。 とどめは友人達や先生を襲い、殺しまくったモンスター(これがゴキブリみたいで全然恐くない)と和解するシーンで終わっている… ハリウッドSF作品を何の衒いもなくパクり、しかもまるで敬意が感じられない こんなので良いのか?後悔はないのか?スポンサーにどう顔見せした?大林宣彦? 結論。この作品はやはり映像不可能作品だった。 でも、現代でこそ、CG駆使して出来ないかな? |
姉妹坂 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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旧家北沢の四姉妹、彩(紺野美佐子)、茜(浅野温子)、杏(沢口靖子)、藍(富田靖子)は仲の良い姉妹だったが、実は全員血が繋がっていなかった。その事実が発覚した時、彼女たちは別々の生き方を歩んでいく。それぞれの道の行く先は… わははは。なんだこれ?冗談で撮ったんだろ?いや、ほんと、これ映画館に行かなくて良かったよ。やっぱり『漂流教室』を撮ってくれた大林監督だけはある。これ程の作品を仕上げてくれるなんて、ただ者じゃないぞ。 最初からアイドル映画と思って観てみれば良かったのだが、オープニングの凝り方で、なかなか骨のありそうな作品と思ったのがそもそもの間違いだった。骨なんか無い。いや、強いて言うなら音楽だけは良い。だけどその音楽が被さる映像がギャグじゃなあ。気恥ずかしさが止まらない。 映画と音楽は密接な関係を持っている。かつてサイレントの時代から映像にかぶせる音楽は重要だったが、音声、なかんづく音楽を劇中に挿入するようになってからその重要度はますます増した。それが今や映画音楽というれっきとしたジャンルとなっているが、そもそも映画音楽は映像が合ってこそ本当に映えるもの。聴くだけで情景を瞬時に思い浮かべる事の出来る映画音楽には数多く存在する。映像無くして映画音楽は半分以下の楽しみ方しかできないとも思っている。 そのバランスが悪い作品も散見出来る。勿体ない話だ。それでも映像は凄いけど音楽がややしょぼいと言うならまだ我慢できる。だがその逆だったら?最早悲惨としか言えない…特に感動させるべくムード最高の音楽がかかっていて、映像が駄目だと気が萎えるどころか、作曲者が気の毒で気の毒で。いたたまれない気分になる。 内容は言わずもがな。みんなテレビと映画を勘違いしてる。そもそも演技じゃなくて地のまま演じる事が自分の魅力と勘違いしている奴が映画に出ると、どれ程悲惨な作品になるかという良いサンプルにはなったんじゃないか? |
さびしんぼう 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985ブルーリボン助演女優賞(藤田弓子) 1985キネマ旬報日本映画第5位 1985ヨコハマ映画祭第4位 |
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劇中使用されている「別れの曲」は大林監督自身の演奏 |
天国にいちばん近い島 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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少年ケニヤ 1984 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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廃市 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある日、運河の古都が火事で街の大部分が焼けてしまったとことをニュースで知る江口(山下)。彼は十数年前に大学の卒論執筆のためにこの町で一夏を過ごしていたのだ。旧家である木造家屋の柏原家に泊り込んだのだが、最初の夜、江口は運河の水音にまぎれ女のすすり泣く声を聞く… 大林宣彦作品は非常に微妙な描写がなされるため、観たときの精神的な状況によって評価が変わってしまうのだが、本作品に関しては常に高評価を与えたくなる。大林作品の売りとも言える美しい描写もそうだけど、雰囲気がとても心地良い。抑えた人物描写もえもいえぬ雰囲気を醸している。 物語は最初の内抑えに抑えた描写がなされているのだが、ここが一番重要。後半の怒濤の展開に備えてタメを練り上げ、伏線を作り上げている。正直この描写が出来るって事だけでもたいしたものだ。 後大林監督の最大特徴として、少女の描き方がとにかく巧い。監督の趣味かも知れないけど(笑)、一人の少女をいかに映えさせるか、そのためにヴェテラン俳優を配する。他の邦画と大きく違っているのはその点だろうし、そのために発掘する少女役が又映える。普通の邦画はヴェテラン俳優を映えさせるために少女を使うのだから。 本作はそう言う意味では最も大林監督らしさが出た作品と言って良いんじゃないかな?だからこそ評価を上げたい。 |
麗猫伝説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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時をかける少女 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1983日本アカデミー新人俳優賞(原田知世) 1983毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞(原田知世) 1983報知映画新人俳優賞(原田知世) 1983ヨコハマ映画祭新人俳優賞(原田知世)、第2位 |
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和子(原田知世)はある日放課後の理科室で不審な物音を耳にする。準備室を覗いてみると,フラスコの割れる音,辺り一面にラベンダーの香りが漂い,和子はその香りをかいで気を失ってしまう。それ以来,彼女の周りで不思議な出来事が続けざまに起こり、ついに時を超えてしまう。幼なじみと共にその謎を解こうとする和子だったが… これが放映されたのが中学生の時。それは観られなかったが、後に放映されたテレビで観た。その時は原田知世がかわいい。以外の感想はなしで映画そのものは今ひとつだと思っていた。そして先日、放映されたテレビをもう一度観た。 今度こそ参った。はっきり言おう。本当に参った(笑) 前に観た時と較べ随分年数も経ち、そこそこ映画も観て、それなりに映画については一言居士になったと自負(?)してる。 その私が、である。完全に当時の原田知世の魅力に参ってしまった。わははは。 はぁ〜。 何と情けない人間だろう。この作品を、「映画」として観るのではなく、「原田知代」として見てしまった。今もこれを観直すと、つい… だって可愛いんだもん。本当に。あの素人臭いしゃべり方やラストの下手っぽい歌まで可愛く見えてしまう俺… 映画として見る限りは、この作品、出来はさほど良いわけではない。当時の技術では仕方なかったのだろうけど、合成がモロ分かり。ストーリーそのものは決して悪くないが、いかんせん登場人物の大半が素人臭いし… それで参るんだから、相当私もおかしいぞ。間違いなく。自分の恥を敢えて書いてしまおう。これは私にとってはまさに自虐作品となった。 |
転校生 1982 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1982日本アカデミー新人俳優賞(尾美としのり、小林聡美) 1982キネマ旬報日本映画第3位 1982報知映画新人賞(小林聡美) 1982ヨコハマ映画祭第1位、作品賞、脚本賞、最優秀新人賞(小林聡美) |
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広島県尾道市。中学三年の斉藤一夫(尾美としのり)のクラスに斉藤一美(小林聡美)という転校生がやってきた。可愛い一美に色めき立つクラスだったが、実は一美と一夫は幼馴染みであり、一美の方はその事をよく覚えていた。しかし子供の頃の恥ずかしいことを一美に何もかも知られている一夫は彼女を避けようとする。神社の境内でまとわりつく一美を振り払おうとした一夫だったが、その拍子に二人は石段を転げ落ち、なんと人格が入れ替わっていることに気付いてしまう… 山中恒の小説「おれがあいつであいつがおれで」の映画化作品。この作品を読んだのは私が小学生の時だったと記憶しているが、未だにストーリーをはっきりと思い出せるのは、やっぱり繰り返し繰り返し読んだお陰であろう。思春期の少年少女が肉体を取り替えるというのは、小学生にとっては結構ドキドキのストーリーだったし、実際の交渉はなくとも、健全なエロ小説っぽかった訳だし…それに、あの作品、もの凄く痛そうな描写もあったりして(言ってしまえば、主人公が不良青年に襲われそうになった時、相手の股間を踏みにじるという…痛たた)…思い出すだけで股間を押さえたくなるほど(笑)。そう言う意味で割と思い入れのある作品だった。 ところで80年代を代表する邦画監督を一人挙げろ。と言われると、やっぱり大林監督の名前が真っ先に思い浮かぶ。この人は大変器用な人で、ポストモダンの世相にあって、それに合わせたガジェット的な作品も作れれば、アイドルをフィーチャーする作品も作る。その中でコツコツと文芸作品も作っていたし、はたまたホラーやSFも作る(まあ、このジャンルに関してはとても褒められたものではないけど)。もの凄く器用な監督なのだが、この80年代を通じて最もバランスの良い作品群がやはり尾道三部作と呼ばれる一連の作品だった。SF的要素を取り入れつつも、しっかりキャラクタを演出し、更に尾道という舞台をしっかりと映し撮っていた。実際このシリーズ観たお陰で尾道に旅行に行った時は実り多い旅行となった(個人的な意味でも色々と)。そう言う意味では大林監督には感謝すべきだったと今になって思える。 で、この作品だが、原作と較べると、性的な意味では多少抑え気味に、そして主人公の年齢を多少上げることで、爽やかな青春ものに仕上げる事に成功し、完成度は高い(抑え気味とはいえ、男の心を持ったという設定の小林聡美が溌剌としたヌードを披露してるのが印象深い)。尾帯としのりであれ、小林聡美であれ、新人とは思えないはまりっぷりを見せるし、身もだえしそうな恥ずかしい所まで直球で演出してる所も好感度が高い(とは言え、初見でいくつかのシーンは流石に恥ずかしすぎて思わず目をそらしてしまったんだけど)。それに尾道の風景の美しさ…きっとこれは監督自身の思い入れそのものなんだろうな。映画としての完成度も高いが、何よりその直球の思いを受け取ることが出来る。 それに、やはり尾道の情緒豊かな描写はやっぱり良い。わざと8mmカメラを用いたため、演出が荒くなってしまっている部分があるが、それこそが狙いで、そこが良い。 |
ねらわれた学園 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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有名進学校の第一高校に通う三田村由香(薬師丸ひろ子)と関耕児(高柳良一)は無事2年生に進級した。剣道の試合をする関を応援する由香が願うと、何故か対戦相手は金縛りにあってしまい、関は順調に勝ち進む。しかし、彼女の不思議な力を目の当たりにした組織に彼女は狙われるようになる… ジュブナイルの第一人者眉村卓原作を完全映画化作。 大林宣彦監督作品。この監督のこの時代の作品は特にチャレンジ精神旺盛で、本作などは「単なる青春ムービーにしてたまるか!」というこだわりの元、妙に哲学的な言葉の多用と、全く無意味なストーリーに価値を見出したように思える。 出てくる人間も凄いのばっか。当時売り出し中の薬師丸ひろ子はもの凄い太りっぷりだったし、「金星人」を名乗る峰岸徹に至っては金ぴかの服装のシャツに目を書き込み、いきなり「私は、宇宙だ!」とのたまうし(で、薬師丸ひろ子の方はそれを受けて平然と「私は人間です」などと答えてる。問答になってねえ)。更に一応のヒーロー役高柳良一は剣道着姿で馬鹿な格好を曝し続けるわ、無意味に濃い同級生が多数存在する教室等々…今から考えても凄まじい作品だったと思う。というか、演じてる本人達はどれだけ恥ずかしかったんだろう? しかし勿論本作をまともに観るならば、当然ながらこれは見事な大失敗。 それでも随分ヒットしたんだよな。当時の映画がいかに質が低いか。アイドルに負っているかをまざまざと見せつけた作品でもある。 主題歌は松任谷由実で、この歌もヒットした。これに関しては私も好きな曲だったんだけど(笑) しかし、本作が邦画に果たした役割というのは確かにある。こんな作品が出来てしまったことで、1980年代のアイドル映画はまさに“なんでもあり”の風潮が蔓延。お陰でクズのような映画が多数作られてくることになるのだが、そのクズこそが邦画のステップアップには必要だったのだから。それに、映画を変な目で楽しむという事も、多分この作品から垢抜けてきたんじゃないかな?かくいう私も、こういう愛すべき馬鹿映画というのは結構好きである。最近ではよほどの馬鹿映画でない限り、★1を入れようとは思わなくなったし、むしろ★1映画は敬意を表してるくらいだ。 今なら本作を「偉大なる失敗作」と言おう。 でも今になって考えてみると、この作品日本の最たる馬鹿作品であり、逆にここまで突き抜けた物語は賞賛に値するような気にもなってる。多分なんだかんだ言って、常に話題が出る作品なんだろう。『HOUSE ハウス』と共に、大林監督の初期を彩る見事な作品でもある。 |
金田一耕助の冒険 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ふりむけば愛 1978 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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毎日毎日仕事で単調なピアノ調律に飽き飽きした石黒杏子(山口百恵)は、自由な新しい女に生まれ変わろうとサンフランシスコにやってきた。そこで出会った田丸哲夫(三浦友和)に惹かれ、ついには結婚の約束までしてしまう。そして日本での再会を約束するのだが… まさに今が旬という山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビの8作目で1978年邦画興行成績9位。 それまで山口百恵&三浦友和コンビは西川克己が監督していることが多かったが、この辺りから他の監督もコンビ作を撮影することも多くなり、この作品はメジャーデビューしたての大林宣彦がメガフォンを取っている。ただ、この二人の使い方をよく分かっている西河監督とはやはり大分面持ちが異なり、撮影も随分明るくなっているのが特徴。 だけど、それが成功したか?と言えば、全くの逆で、完全に使い方を間違えてしまい、見事にキャラの特性を活かしていないものに仕上がった。大体表情に陰りのあるのが魅力だった山口百恵に可憐な役を、爽やか青年役が似合う三浦友和に不良役を割り振ったと言う時点で、もはや破綻は明らか。観ているのが辛い物語になってしまった。物語もまたまたかなりないい加減さで、これがヒットしたってのは、よほど偶然に時代に乗ったことと山口百恵のネームバリューがあったって事なんだろう。 ところで、初期の大林監督は事ある毎に自分の特撮好きを表明しているのだが、この人が作る特撮作品は見事にクズばかり(いや、後年でもそうか?)。本作ではかつての「ウルトラセブン」のモロボシ・ダン役の森次晃嗣をわざわざ起用しておいて、マザコン男を演じさせる…本当にこいつ、特撮好きなのか?逆じゃねえの? |
HOUSE ハウス 1977 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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実は戦争批判なども内包されている。 |
タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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