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帰ってきた時効警察オフィシャル本 著作 時効警察 _(書籍) |
2021 | 大怪獣のあとしまつ 監督・脚本 | ||||||||
2012 | 俺俺 監督・脚本 | ||||||||
2010 |
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2009 | インスタント沼 監督・原作・脚本 | ||||||||
2008 | トンスラ<TV> 監督・脚本 | ||||||||
2007 | 転々 監督・脚本 | ||||||||
図鑑に載ってない虫 監督・脚本 | |||||||||
たみおのしあわせ 出演 | |||||||||
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2006 | ダメジン 監督・企画・脚本 | ||||||||
時効警察<TV> 演出・脚本 | |||||||||
2005 | 亀は意外と速く泳ぐ | ||||||||
イン・ザ・プール 監督・脚本 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | 優香座シネマ 監督・脚本 | ||||||||
2002 | |||||||||
2001 | TV's HIGH<TV> 構成 | ||||||||
2000 | |||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | |||||||||
1965 | |||||||||
1964 | |||||||||
1963 | |||||||||
1962 | |||||||||
1961 | 8'9 横浜で誕生 |
大怪獣のあとしまつ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある時、突然日本に現れた巨大怪獣は、あらゆる人類の攻撃を受け付けないまま東京に向けて歩み続けていた。ところがある時、天から光が降ってきたと思うと、大怪獣は突然死んでしまう。国民が歓喜に沸く一方で、残された死体は徐々に腐敗・膨張が進んでいく。首相の西大立目完(西田敏行)は閣僚が集まって事後処理についての会議が続く。そんな中、死体処理の責任者として抜擢されたのは特務隊員の帯刀アラタ(山田涼介)だった。 今やゴジラまでハリウッドに取られ、なんか日本の伝統的特撮が風前の灯火と言った感じになっている昨今。それでも別なアプローチでいくつかの特撮作品が生まれている。今の日本で作られる特撮がちゃんとあることには素直に喜んでもいる。 そんな時、三木聡監督が特撮作品を作るという噂が流れてきた。どんなの作るのだろう?と割と楽しみにしていたが、公開が近づくにつれ、どんどん話が大きくなっていった。東映と松竹の共同で、出演者の顔ぶれも豪華。こりゃ期待せずにはいられない。 だが公開当日。ツィッターを観ていたら、当日に観に行った人たちがことごとく文句言いまくっていたし、その後ツィッターではまるで文句の言い合い合戦。ここまで悪評の映画ってなんか本当に久しぶりだった。 最初から観るつもりではあるが、ここまで言われるならば、逆に絶対に観ねばならぬと心に決めて観に行ってきた。 うん。ひどい。目も当てられないほどの屑な出来だ。 悪くないコンセプトを徹底的に改悪し、一流の演者を使い潰し、どうしようもない恋愛劇を取り入れて枝葉末節ばかり描いて肝心なストーリーが進まない。 だけど、腹は立たない。そりゃ特撮ファンの一員としては怒るべきなんだろうけど、怒る気力が起きない。正確に言えば、腹を立てるほどに思い入れが持てない。どうしようもない作品だから、乾いた笑いが出るだけだ。 それでも一応ツッコミ気質なので、一応悪い部分を挙げてみよう。 まず特撮と恋愛ものは相性が悪いということ。特撮は災害下の人間模様を描く側面があるため、一致して災害に当たるという点が重要になる。人間関係の溝を描くこともあるが、基本は心を一致させて災害に対抗するものだし、人と人の関係は信頼関係で成り立つ。恋愛関係もその延長線で描かれるもの。基本的な路線は人間同士を信頼するから、恋愛劇はストレートなものが一番相性が良くなる。それに対して不倫や三角関係などの複雑な恋愛模様は心一つに災害に当たるという側面とは相容れない。これをやってしまって失敗した作品は山ほどあるが、その反省はなかったらしい。作品をコメディにするために入れたのだろうが、信頼関係を損なう描写ばかりが出てくるので、コメディ以前に観る気になれない猿芝居を延々見せられることになった。 これがほとんど全部と言っても良いのだが、『シン・ゴジラ』(2016)の補完としてもお粗末に過ぎる。 次に総理大臣をはじめとする行政の不手際だが、これも『シン・ゴジラ』の逆張りしたものとなっている。最高決議機関が実はいい加減なものだというコメディはれっきとしたジャンルなので、設定自体が悪いとは言わない。しかし、あれだけ有名俳優出して全くキャラに魅力がないのはどうしたことか。理由は分かってる。ここに出てくる政治家は全員一切のビジョンを持ってないのだ。政治家となった理由は普通「日本をこう変えたい」という思いからなるはずだが、それが一切見られない。単に人気取りのパフォーマンスと事なかれ主義しか出てこない。ここで必要なのは、この事態を前にして、自分の本当にやりたいことをなんとか出来ないかと模索するしたたかな人物像だったり、何とかしようとする思いが先行して勇み足になってしまう姿だった。ところが、出てくる人たちが本当に単なる無能なだけ。しかもモデルがはっきり分かる人物を出して一切の敬意を表さないのは見ていて気分が悪い。 唯一この作品での救いがダム放流で、ここだけはきちんと手順に則っていたし、キャラの使い方も悪くない。ここだけは悪く言わないが、そこに挿入される物語の大半は無駄。オダギリジョーが家族という設定は意味がないし無駄。無理矢理人間関係を挿入してドラマにしようとした結果、単に尺が長くなっただけ。 そしてラストのヒーロー登場のシーンだが、「デウス・エクス・マキナ」のメモから、最初から伏線を張っていたのは分かるが、無理矢理感が酷すぎる上に「何が何だか分からないうちになんか上手くいきました」を最初から狙っていただけで、これもいただけない。やることをやり尽くし、あとどうしようもなくなった上で出すならともかく、唐突に出して終わりでは、脚本として何も考えてなかったとしか思えない。 作品に必然性も緻密さもない。単に大雑把で「こんなもんでよかろう」と作った作品なんだろう。三木監督作品としてはこれはこれでありなんだろうけど、万人受けしないものを巨費をかけて作る意味があったのだろうか? 特撮ファンとして怒るべきなんだろうけど、怒る気力も起きない作品ってあるもんだ。 |
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俺俺 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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カメラマンになる夢を諦め、郊外の家電量販店で働く永野均(亀梨和也)。上司のタジマ(加瀬亮)から毎日嫌みを言われ続け、少しずつ生き甲斐を消失していた。そんなある日、偶然手にした他人の携帯電話でオレオレ詐欺を働いてしまったところ、おかしな出来事が起こり始める。いつの間にか自分が携帯電話の持ち主、大樹にされており、大樹の家族からも普通に受け入れられていること。更に実家に帰ると、今度はもう一人の“俺”がそこにいる事を知らされる。更に茶髪で大学生だという“俺”も現れ、いつの間にか“俺たち”3人での共同生活が始まっていく。そんな中、この世界に“俺”が更にどんどん増殖していっているということに気づくのだが… いつも不条理で不思議な作品を作ってくれる三木監督の作品は、不条理とか悪夢とかを主題にした映画大好きな私にとっては大好物(とはいえ『転々』とかの割合普通の作品だって好きだけど)。『インスタント沼』からしばらくあまりその名前を聞くことはなかったが、久々の映画。これに行かなきゃ損ってなことで、わくわくしながら拝見。 …まあ、作品そのものとしては手放しで楽しめるタイプではなかった。面白くなりそうなところでするっとかわされてしまった感じもあるし、得意の不条理劇も、もうちょっと踏み込みがほしかったところ。やたらと増殖して画面出ずっぱりの亀梨和也も、頑張ってるけど雰囲気を作り出すまでには至っておらず。 多分、この作品一般には“失敗作”の烙印を押されてしまうんだろうとは思う。その程度の作品ではあった。 だが、それで面白くなかったか?と言われるとさにあらず。少なくとも私にとってはとても心地の良い作品だった。 三木監督作品の楽しさは独特の“間”にこそあるのではないかと思っている。普段通り何事もない日常の中で、その日常のパーツの一部が突然変な動きを始め、それで混乱を起こしつつ、それでもそれを受け入れていって、新しい日常が現れていく。事象だけでなく、人もそうで、同じ顔をしていても昨日とは別人では?と思わせるような突拍子もない行動を取ることがあるが、それも日常の中に取り込まれていく、そんな感じ。リアルすぎる夢を見ているような、そんな感じの物語と言うべきだろうか? そして日常生活の中、ちょっとだけイラっとする突飛な行動を劇中キャラが時折行うのも面白い。静から動へ移行するタイミングが変な具合ではまってる。 少なくともその点においては、本作は三木監督しか作れないような作品で、まさしく濃厚な三木ワールドが展開しているし、それにこういう空気感を味わいたくて劇場に向かったので、その意味では大満足を与えてくれた作品でもあった。 それでも物語の据わりが悪いのは、結局の話主人公役の亀梨和也に問題があったか?と言うところだろうか? 亀梨が悪い役者とは思わない。この役を演じるに当たり、体当たりでいくつもの人格を演じているところは好感を持てるし、「俺がこの作品を支えねば」という思いで頑張っているのも分かる。実際褒めるべきところはたくさんある。 でも、一つ足りなかったのは、主人公が“まともすぎる”というところだろうかな?三木監督作品では、主人公が普通の行動を取るというか、予測可能な動きを見せると、作品の魅力は減退する。輪をかけておかしなキャラが主人公を引っ張っていければ良いのだが、この作品には、その引っ張っていく人物自体も亀梨和也となってしまったため、その重責を負うほどの存在感を出せなかったのが問題だろう。 折角加瀬亮が三木作品らしいおかしなキャラとして出ているのだから、それをもうちょっと活かせていれば、本当に申し分ない作品に出来ていただろうに(折角途中で枯れも又“俺”の一人となったのだから、そこから怒濤のような巻き込まれ展開に持って行けば良かったんだが)…しかし改めて考えてみると加瀬亮って良いキャラになったな。『アウトレイジ』(2010)を経ることで、妙に場にそぐわない浮いたキャラを自然体で出せるようになってきた。これが出来る人は結構貴重だし、それこそ松尾スズキと共に、三木ワールドの(イカれた)常連として充分やっていける実力を手に入れたようだ。 |
インスタント沼 2009 | |||||||||||||||||||||||
2009日本シアタースタッフ主演女優賞(麻生久美子) | |||||||||||||||||||||||
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沈丁花ハナメ(麻生久美子)はまさに現在人生の下り坂を驀進中だった。担当していた雑誌の廃刊で退職することになり、長距離恋愛中の彼氏にはふられ、さらに河童釣りに(!)出掛けた母が意識不明の重体。何もかも上手く行かない矢先、母が昔出した手紙というのが見つかり、そこには何と自分の全く知らない実の父親が存在している事が書かれていた。その男のもとを訪ねたハナメだったが、そこにいたのは“電球”と名乗るあまりにも残念な風貌の骨董屋のオヤジ(風間杜夫)だった… 三木聡監督最新作。三木監督作品は映画であれテレビドラマであれ、新世紀になり突如人気を博することになったのだが、その魅力を語るのはちょっと難しい。強いて言えば、三木監督作品の面白さは強烈な日常描写にある。何気ない日常の中に強烈な違和感を持った人物やアイテムあるいは言動が登場するのだが、それをさらっと流してしまう。それら違和感の登場するタイミングが見事で、思わず噴き出してしまうことになる。“空気”の読み方が絶妙だと言うことになろうか。 だから日常描写がとにかく見事。数分の時間の中で笑いのツボにはまる描写がつるべうちに出てくるため、次々に笑いが引き出されていく。特に本作はそれが顕著で、オープニングからの約30分間はとにかく笑いっぱなしだった。ここだけ観るなら本作は最高だと思える。 しかし一方、この描写のうまさは諸刃の剣でもある。瞬間的な描写が冴えれば冴えるほど、肝心な物語性がどんどん後退していく。ありていに言ってしまえば、映画としての物語が全然面白くなくなってしまうのだ。『亀は意外に速く泳ぐ』のあたりから感じており、『図鑑に載ってない虫』で顕著になったのが物語性の低さだったが、本作ではそれが特に顕著に現れており、開始後30分をすぎて物語に話がシフトした辺りから急に退屈に襲われる。多少なり真面目な話にさしかかると、これまであんなに笑えていたのが、全然笑えなくなるし、かと言って物語が良い話と言った感じでもない。タイトルにもなってるインスタント沼の下りは実はかなり退屈なもの。物語の方は結構滑ってたよな。 三木監督の前作『転々』は、その辺の反省からか、物語性とギャグの兼ねあいがうまくできていたので、それが出来ないはずじゃないんだが、敢えて物語性を低くしたのは何の狙いがあったのだろう?ずいぶんバランスの悪いものを作ったもんだな。 キャラは結構うまくはまってた感じはあり。長く三木作品に出てるだけあって麻生久美子のナチュラルなボケツッコミ体質はここでもはまってたし、妙に常識的なパンカー(ヘアスタイルはモヒカンの癖に髪の毛が全部そろってる中途半端ぶりも良い)ガス役の加瀬亮もツッコミ役としては充分か。風間杜夫は…竹中直人こそはまり役っぽかったかな?でも悪くはなし。 そう言えば、この作品を紹介する際三木監督は、「今までとは大きく違った作品です」と言っていた気がするのだが、出来たものを観る限り、本作こそ“まさにこれこそ三木監督作品!”って感じだと思うんだけどね。監督流のジョークだったんだろうか? 本作はほぼ単館上映なので、三木監督が作りたいように作ったと言うのは分かるのだが、しかしこんなもんばっかり作ってたら、せっかくメジャー級監督として認められているにもかかわらず、ジャンル監督に認定されそうだ…まあ、それが好きな奴だっているんだけどね。例えばここに。 |
転々 2007 | |||||||||||||||||||||||
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70点 | 劇場 | ||||||||||||||||||||
三木聡(監) 伊勢谷友介、松尾スズキ、菊地凛子、岩松了、ふせえり、水野美紀 | |||||||||||||||||||||
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図鑑に載ってない虫 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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売れないルポライター“俺”(伊勢谷友介)はある日、「黒い本」の編集長(水野美紀)に呼び出され、「いっぺん死んで来い」と命令される。戸惑う“俺”だが、なんでも飲むと臨死体験ができる“死にモドキ”という薬があるので、それを探し出して飲んでみろというのだ。雲をつかむような話だったが大金をちらつかされて、アル中の相棒のエンドー(松尾スズキ)と共に渋々出かけることにしたが、その過程で様々な人物と知り合うことになる。手首で大根が擦れるリストカッターのサヨコ(菊地凛子)、同じく死にモドキを探しているやくざものの“目玉のおっちゃん”、そしてそもそも「黒い本」にこの話を持ち込んできたカメラマンの真島…一癖も二癖もある連中と共に“俺”の“死にモドキ”捜しの旅が始まる… ぬる〜いギャグを展開させる三木監督による最新作。そもそもまったく期待もせずに観た『イン・ザ・プール』が予想を超えて面白く、その後『亀は意外と速く泳ぐ』(2005)、テレビドラマの『時効警察』と続けて観て三木監督のファンとなってしまった。本作もとても楽しみにしていた。 実際、本作のギャグに関しては三木監督らしさが良く出ていて、笑えるんだかどうなんだか微妙なラインの低高度のギャグが延々と続いていく。ただ笑えない人も多いようで、映画館の中で笑っていたのはその時は私だけだったのがちょっと寂しかったけど。 『イン・ザ・プール』に続き松尾スズキがとぼけた味わいを見せるし、出てくる人間も一々個性が強く、その個性の強さが変な脱力に変わっていくところとか、店の看板の数々も笑えるところが多々。物語もいろいろ滑ってるように見えつつ、きちんとあるべき場所に落ち着いてくれるので安心して観ることが出来るのには好感が持てる。 キャラに関しては濃い人間が多数登場。松尾スズキは色々才能ある人だけど、やっぱり三木監督と組むと個性が引き立つし、菊地凛子も『バベル』(2006)のエキセントリックさを無くしたことで、余計個性的になってるし、のびのびしてる。他にも出てくる人がみんな胡散臭いのばかりでなかなか味わい深い。 ただ全般を通してあまり大きな流れというか、山場を盛り上げられないのがちょっと気になったところか。ものとしては『亀は意外と速く泳ぐ』と同じようなものだけど、話はそこまで盛り上がらず、結果的に小ネタの連続で最後まで終わってしまった感じ。すっきりまとまってはいるのだが、前半部分の胡散臭さが後半でこそげてしまった感じだし、あまりにすっきり収まるところに収まってしまった分、胡散臭いキャラも後で考えてみると、表面的すぎたかな? まあこれはこれで充分面白いけどね。 |
亀は意外と速く泳ぐ 2005 | |||||||||||||||||||||||
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イン・ザ・プール 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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伊良部総合病院の地下にある神経科にいる精神科医・伊良部一郎(松尾スズキ)とお色気ナースのマユミ(MAIKO)。そんな伊良部が関わった3人の男女−−大型アウトレットモールの開発担当で、ストレス解消のために始めたスイミングにはまり、ついにはプール依存症となってしまった大森和雄(田辺誠一)。妻と別れたストレスを抱える内、事故で勃起が止まらなくなってしまった営業マン・田口哲也(オダギリジョー)。自分の部屋が火事になっていないかと強迫神経症にかかってしまったルポライター岩村涼美(市川実和子)との交流を描く。 奥田英朗の短編小説集“伊良部シリーズ”デビュー作の「イン・ザ・プール」の映画化作。原作の3編を取り出してm三木聡監督が独自解釈によってオムニバス形式で作り上げた作品。 21世紀になり、邦画の質は明らかに上がっていると思うけど、それはおそらく旧来の徒弟制度から離れ、“映画とはかくあるべし”という図式からようやく離れてきたからだと思われる。これらの映像作家に共通するのは微妙な間合いの取り方の巧さ。台詞の言い回しもそうだが、実は黙っている時も画面の中で雄弁に語りかけてくる演出の匙加減が絶妙である。三木聡監督はその代表とも言える人で、それらの微妙な間がことごとくツボにはまる笑いになるのがこの人の演出の特徴。 本作は精神病患者の奇行よりもその癒しの方に重点が当てられているので、会話が主体となるが、なにせ本来癒し手であるはずの伊良部の方が無茶苦茶なため、その会話が絶妙。一体次の瞬間何を語るのか全く分からないし、通常の会話では到底出ることのない汚い言葉がポンポン飛び出すため、爆笑しながらぐいぐいと引きつけてくれる。それでこれからどういう言葉が出る?と思わせてくれるので、沈黙の部分が映える。そう言う意味では沈黙の持つ雄弁さを本当によく分かった作り方であると言えるんじゃ無かろうか。 元より邦画は沈黙の演出を大切にしていたが、とても微妙な演出が必要とされるからこそ、やはり時代によってその沈黙の演出も変えていく必要があるのではないだろうか? 勿論それでこの演技に耐えるだけのキャラが必要となるのだが、この作品はキャスティングも見事。主要キャラのみならず、ナレーションからタクシーの運ちゃんまで、ぴったりした配役がなされてる。特に松尾スズキの怪演ぶりははまり役すぎて、この人が画面の中にいるだけで笑えてしまう。後で原作の方を読んだら伊良部は巨漢で子供のような顔と行動ぶりが特徴なのだが、あまりにもこの役が強烈すぎたので、原作読んでも、どうしても松尾スズキの顔がちらついてしまうほどだった。 作品そのものは原作に沿っているとは言え、随分改編されているし、特に市川実和子の物語は原作から離れてほとんどオリジナルだけど(だから多少ラストシーンは浮いて見える部分もある)、その改編が絶妙の間合いを生んだとも言えるだろう。 物語は癒しを主題にしているが、これを観ている内にだんだん正常と異常の境界の差が曖昧になっていき、だんだん自分自身の異常性なんてものまで考えさせられるようになるのが特徴だろうか?はてさて、私は正常なんだろうか? 特に新しい邦画の可能性を語るためには是非とも観ていただきたい作品である。 |