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アニメ絵本 ももへの手紙(書籍) _(書籍) |
2016 | |||||||||
2015 | |||||||||
2014 | |||||||||
2013 | |||||||||
2012 | ももへの手紙 監督・原案・脚本・キャラクターデザイン・絵コンテ | ||||||||
2011 | |||||||||
2010 | |||||||||
2009 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | イノセンス キャラクターデザイン | ||||||||
2003 | |||||||||
2002 | |||||||||
2001 | |||||||||
2000 | |||||||||
1999 | 人狼 JIN-ROH 監督・キャラクターデザイン | ||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 作画監督 | ||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | 走れメロス 作画監督 | ||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 |
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1988 | |||||||||
1987 | ブラックマジック M(マリオ)-66 作画監督 | ||||||||
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1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | 10'13 大阪で誕生 |
ももへの手紙 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012日本アカデミーアニメーション作品賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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交通事故で父を亡くした小学生宮浦もも(美山加恋)は母のいく子の故郷瀬戸内の港町汐島に引っ越してきた。だがももは生前の父と最後に喧嘩してしまったことを今も悔やみ、父から自分に宛てた「ももへ」とだけ書かれた手紙をずっと眺めているばかり。そんな彼女の前に彼女にしか見る事の出来ないイワ・カワ・マメという3匹の妖怪がやってきて、強引に家に居着いてしまった。他の人の目には見えないが、旺盛な食欲で村のあちらこちらで食べ物を盗み食いする三匹に呆れながら、それでも気がまぎれていくももだったが… 『人狼 JIN-ROH』以来、13年ぶりに作られた沖浦監督のオリジナルアニメーション作品。ただ、本作の企画そのものは随分前で、コツコツと作り続け、ようやく出来たと言う感じの作品。これは本作のアニメーターがI.G.で引っ張りだこの人ばかりを選んだせいだと思われるが、よくこれだけのスタッフを集めたものだと感心できるし、流石に一流どころだけに画面の美しさは見事というほかない。 製作会社のProduction I.G.は、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)で注目を浴びた会社で、特に近未来の硬質なSF作品を得意とする会社と思われがちだが、実は妖怪や怪異と言った素材を使った、全く逆のやわらかいタッチの作品も数多く制作している。沖浦監督はそのどちらにも関わっているので、『人狼 JIN-ROH』のような硬質な作品から、本作のような作品も作れる事を示したのは良かっただろう。 ただ、本作で褒められるのは、実はそこくらいしかないのが問題。なんせ物語があまりにありきたりすぎる上に、上映時間が長くて間延びしまくってる。 妖怪が出てくるのに、おどろおどろしさは一切なく、もももあっという間に妖怪達と馴染んでしまってる。これでは別段妖怪を使う必要性はない。物語上、精霊がたまたま御伽草子に入ってしまってその姿を取っただけだから、怖くないのは仕方ないのかも知れないが、妖怪の存在感というものをほぼ一切無視してるため必然性がまるでない。 それに物語自体が父親を失って後悔を抱えた少女が、そのトラウマを克服するというテーマに沿っているものの、取り返しの付かないものを納得していくのではなく、結局空の彼方にいってしまった父親からの手紙が届いて一件落着では、トラウマの克服になってもいない。付け足しのアクションも画面は良いにせよ、なんでももがそこまでしなければならないのか?と言う疑問が出てくるし(なんで郵便局員がももを連れて行く必要がある?こどもを置いて一人で行くべきだろ?)、観終わってもすっきりした気分になれない。 私の小さい頃は小学校で「文部省推薦映画」ってのを年に一回くらい(もっと少ないかな?)上映したもんだが、そこで上映されるのがよく似合うような作品で、しかも多分これ、子ども達が飽きて上映そっちのけで遊んでるようなものになってしまった。 結果として言うなら、良作になり損ねた物語かな? |
人狼 JIN-ROH 1999 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000日本映画プロフェッショナル大賞特別賞、ベスト第9位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドイツ占領治下の戦後を生きる架空の日本。そこでは打倒ワイマール体制を叫ぶ反政府ゲリラによるテロが多発していた。政府は首都圏のテロを武力で制圧するために、首都圏治安警察機構を組織。その中核をなすのは、強化服と重火器で武装した特機隊だった。恐れを込めて<ケルベロス>と呼ばれた彼らだが、逆に彼らのために武装闘争は激化していた。ある日、<赤ずきん>とよばれるゲリラの武器を運ぶ未成年の少女を、地下水道で追いつめた特機隊の伏一貴。その時、この二人の間に起きた事件をきっかけに、治安の安定と共に必要性の薄れた首都圏治安警察機構と公安との生き残りを賭けた争いが始まる。 『紅い眼鏡』(1987) 『ケルベロス』(1991)、そして漫画で藤原カムイと組んで作り上げた「犬狼伝説」。押井守は何度となくこの物語を世に出してきた。それぞれ設定が微妙に違っているが(プロテクト・ギアの形状もそれぞれ違う)、その内の漫画版をベースに作られたのが本作(漫画版でも「人狼」なる組織には言及あり)で、漫画版を補完する一エピソードとして作り上げられている。 本作の舞台は昭和30年代をベースとしており、明らかに現実にあった安保闘争をその背景としている。高校時代に学生運動に参加したという押井氏らしいエピソードと言えよう。そのため監督の沖浦啓之氏も随分勉強されたらしい。緻密な設定と細かい描写が心地よい。端的に現れるのは市電の描写やホイルスピンするRR車の走り方などを見てもらえば分かるし、家電や銃器に至るまで全ての機械類も描写が凄い。設定に関してはひたすらマニアック。 ストーリーに関してだが、押井氏はかねてからこれは「赤ずきんちゃん」と「狼」のラブ・ストーリーなんだ。と言っていた。「狩る者」と「狩られる者」。その位置関係は不変であっても、その中に心の交流が生まれる。その位置関係が興味深い。 最初「騙す」少女の圭と「騙される」狼の伏。それが「助けられる」圭と「助ける」伏とに変化。そして切ないラブ・シーンを経た後、真実を明かす伏。その時、二人の位置関係は本来の「少女と狼」の物語へと変化する。絶望的に叫ぶ圭に対し、一瞥さえしないプロテクト・ギア姿の伏。あったはずの心の交流は一旦ここで途切れる。そしてラスト・シーン。ここで途切れたはずの心の交流が一瞬だけ、しかも切なく再現される。 間違いなくこれはラブ・ストーリーだ。 この作品は押井氏がメガホンを取ることなく、沖浦啓之氏の初監督作品となっている。それは成功。押井氏であればこんなリリカルな作品を撮ることは出来なかっただろうから。非常に質の高い作品。私としてはクライマックス・シーンでの圭の叫びは虚しく響いたけど、それ以外は予想以上の出来だった。 |