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本名林重行。「鉄腕アトム」からのたたき上げの演出家。 | ||||||||||
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PLUS MADHOUSE 4 りんたろう(書籍) _(書籍) |
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2002 | ||||||||||
2001 | メトロポリス | |||||||||
2000 | ||||||||||
1999 | ||||||||||
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1997 | ||||||||||
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1994 | ||||||||||
1993 | ||||||||||
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1991 | ||||||||||
1990 | ||||||||||
1989 | 手塚治虫物語 ぼくは孫悟空 監督・脚本 | |||||||||
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1988 | 悪魔(デイモス)の花嫁 「蘭の組曲」 監督 | |||||||||
宮沢賢治 名作アニメシリーズ 風の又三郎 監督・脚本 | ||||||||||
1987 | 迷宮物語 監督・製作・脚本 | |||||||||
1986 | 火の鳥 鳳凰編 監督・プロデューサー | |||||||||
時空の旅人 プロデューサー | ||||||||||
1985 | カムイの剣 監督・製作 | |||||||||
1984 | ||||||||||
1983 | 幻魔大戦 監督 | |||||||||
1982 | 吾輩は猫である 監督 | |||||||||
1981 | さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅- 監督 | |||||||||
1980 | がんばれ元気<TV> 総監督 | |||||||||
1979 | 銀河鉄道999 監督 | |||||||||
1978 | 宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎 演出 | |||||||||
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1977 |
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1967 | ||||||||||
1966 | ジャングル大帝 演出 | |||||||||
1965 |
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1964 | 鉄腕アトム 宇宙の勇者 演出・脚本 | |||||||||
1963 |
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1962 | ある街角の物語 動画 | |||||||||
1961 | ||||||||||
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1941 | 1'22 東京で誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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メトロポリス 2001 | |||||||||||||||||||||||||||
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レッド公という人物により建造された巨大都市国家メトロポリスでは、いましも超高層ビル「ジグラット」が完成しようとしていた。指名手配犯ロートン博士を追って日本からやって来た私立探偵のヒゲオヤジとその甥ケンイチは非協力な警察の監視下で捜査を始めるが、はぐれたケンイチはティマという少女を助ける事になる。だが、そのティマこそがレッド公がこの都市の支配者とすべく、ロートン博士に作らせた人造人間だったのだ…
「メトロポリス」とは言うまでもない事だが、手塚治虫原作のアニメーションである。 いや、これは凄い。デジタル技術の進歩は目を見張るほど。アニメーションに関してはまさしく日進月歩で進化してる。画面だけで言えば、ディズニーをさえ超えたと言って良いほど。これから作られるアニメーションはますます進歩していく事だろう。そのような感じ。 一方の内容だが、悪くはない。決して悪くはないんだけど… 手塚治虫という人物は社会に対して強烈なアンチテーゼを作品中常に問いかけた作家だった。それが故に「マンガの神様」とまで言われた人物なのだが、アンチテーゼと言うくらいだから、どうしても対象が必要となる訳である。特に氏の初期作品に当たるこの「メトロポリス」の時代の日本は高度成長期にあり、更に学生運動華やかかりし頃であった。つまり、この作品は、高度成長に浮かれる日本と、信条のために戦っている若き革命家達、それぞれに対する強烈なアンチテーゼとなっていた訳である。 一言で言ってしまえば、テーマが古すぎる。現代に於いて、それらは二つとも、人の心の中においては既に過ぎ去った問題に過ぎない。高度成長は公害や過酷な労働条件を生み出し、更に自国のエゴイズムを増長させる一方であったことは皆気が付いているし、共産主義国家の内実を知るに従い、又、「自由」の名によって行われているテロリズムの虚しさについても既に分かっている。 脚本が大友克洋であったと言う時点で気が付くべきだったか? これがその時代に作られていれば強烈なイメージを持った作品となったのだが… 時代的に言うなれば「もののけ姫」の前の話となる。せめて数年前に作られていれば… 手塚作品には存在することが多い博愛主義的な路線も、さらりと流してしまった感じ。 ところで、この作品には「人狼JIN-ROH」監督の沖浦啓之が参加している事が分かっており、彼がどこに関わってるのかな?と思っていたのだが、原画マンの一人にクレジットされていた。なるほど。この人は根っからのアニメーターなんだな。と妙に納得してしまった。 |
火の鳥 鳳凰編 1986 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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生まれた直後片目片腕を失った我王は、人々の悪意に苦しめられ、成長してからは人殺しを何とも思わない盗賊へとなり果てた。そんな彼が逃亡中に、鳳凰を探し求めて全国を旅する彫物師の茜丸と出会った。金子を奪うため、彫物師の命とも言える右腕を使い物にならないように斬りつけた我王…やがて二人は様々な運命の変転に出会いつつ、まるで運命が結びつけたかのように、お互いに彫物師として再び出会う。 漫画の神様とまで言われる手塚治虫の諸作品の中で何が一番好きか?と聞かれると、間違いなく私は本作を挙げる。「火の鳥」のシリーズはそのほとんどが何かしら考えさせる内容を含んでいるが、最初に本作に出会った時は本当にショックを受けたものだ。たまたま親類の家に置いてあった古いコミック版を借りて何度も読み返し、自分でも買って強引に友人に貸し付け、その感想を聞きまくったのも今では良い想い出となっている。思い入れが無茶苦茶深い作品だ。 それだけ思い入れが深いだけに、本作がアニメ化と言うことを知った時、絶対観たくなかった。当時アニメに相当はまっていたとはいえ、質はどんどん低下していく状況において、想い出を汚されることは避けたかった。 それでも随分と時が経ち、冷静に作品を観られるようになった時に、テレビで放映されたのを拝見。 …やっぱり何というか、観るべきではなかった。と言うのが当時の感想。少なくとも私にとって最も大切な部分、つまり精神的なドロドロを経過して行く課程をことごとく外し、綺麗な部分だけを取り上げて作られてしまった。確かに画面そのものは綺麗で、見た目も悪くはない。だけど、これは抜け殻に過ぎない。 内容的に映画一本で終わらせるのは難しく、更に集客のことを考えて、敢えてそれらをこそぎ落としての事なんだろうとは思うのだが、もうちょっと冒険して欲しかった。こんな全く印象に残らないようなのを作られても仕方ない。 結局本作は漫画にこそ神髄がある。と言うこと。 |
カムイの剣 1985 | |||||||||||||||||||||||
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幻魔大戦 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宇宙を揺るがす大戦争。しかし、それは圧倒的な力を持つ幻魔による支配をもたらすだけであった。人の精神に干渉し、暗黒の波動を送り込む幻魔に対し、銀河の人々が対抗する術はなかったのだから。そして地球。未だ平和な時代だが、その平和の裏に忍び寄る幻魔の影があった。強い霊能力を持つプリンセス・ルナは幻魔の陰謀により一旦命を失うが、宇宙意思フロイにより、地球を救う戦士として再生される。彼女はアンドロイド戦士ベガを伴い、世界各地の超能力者を探し求める内、日本にいる東丈と言う少年に目を留めた。 この年がアニメ映画の躍進の年と銘打って角川が賭けに打った作品で(確かにこの年アニメ映画は多かった)、大々的に宣伝攻勢をかけたお陰で1983年邦画興行成績8位と健闘した作品。 平井和正のベスト・セラー「幻魔大戦」を大友克洋の絵を用いて映画化したもの。元々原作は最初の頃はアクション作品としてまとまっていたのに(この辺りは石ノ森章太郎が漫画でも描いている)、中盤から新興宗教団体の話になり、作者自身が変な電波を受け取るようになるに至り、物語そのものが破綻してしまっている。最後はほとんど向こうの世界に行って帰ってこなくなり、物語は中断したまま。そんな作品を全部読んでしまった自分がひたすら悲しい。 この映画を観るとますます悲しくなる。大友克弘の描くキャラクターが悲しいほど似合っていない。更に途中から強引に辻褄合わせのために作られたストーリーが設定を完全に無視しているため、もはや見ていられない。丈のシスコンぶりとか、あれだけやって倒せなかった幻魔が実にあっさりと殺されるとか、どう考えても異常だろ。とか画面に向かって突っ込んでいた。特に最後の敵(大体こんなもん出す方がどうかしてる)カフーに至っては…いくら何でも本当に永井荷風そっくりに描くこともあるまいに。 ただ、この作品たった一つだけ素晴らしいのがある。それが歌。ローズマリー・バトラーの歌は本当に沁み入る。放映中無茶苦茶に怒っていても、何となく歌で癒された気がしてくる。 この年は確か「アニメ映画元年」とかでこれ以外にも『クラッシャー・ジョウ』とか『うる星やつら オンリー・ユー』(1983)とかも出ていて、これが一番金かけたのだが、評価は最低。角川はムキになってキャンペーン張ってたけど。愚作を金の力で持ち上げようとする角川商法にしか思えず。だから当時の角川は嫌いだった。 |
吾輩は猫である 1982 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 1981 | |||||||||||||||||||||||||||
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惑星メーテルは消え去った。しかし人類に対する機械人間の支配は終わったわけではなかったのだ。人間の世界を取り戻すため、地球に戻った星野鉄郎は機械人間に対する反乱に加わり、日夜戦いを続けていた。次々と仲間が死んでいく中、鉄郎の元に懐かしいメーテルから「999に乗りなさい」というメッセージが届く。もう地球には来ないはずの999が待つホームへ駆け込んだ鉄郎が見たものは、あまりにも素っ気ないメーテルの態度だった。更に立ち寄ったラーメタルという星の反乱の一員ミャウダーから、プロメシュームなき機械化帝国を今支配しているのは、娘のメーテルであると告げられる… 大好評を博した松本零士原作の『銀河鉄道999』の正式な続編。本作もヒットを飛ばし、1981年邦画興行成績8位。 「今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る…」で自分自身の中では既に終わった物語。だから続編作るのは否定的な思いが強かった。これじゃ『宇宙戦艦ヤマト』になっちゃうよ。 それでもやっぱり自分の中では『銀河鉄道999』の思い出が強く、実はこれを観る時は未だにその余韻を引きずっていたのだが、予想に反する冒頭の怒濤の展開に余韻などあっという間に消え去った。 あの終わり方をさせておいて、よくここまで物語を暗くさせることができたもんだ。はっきり言って、前半はショックの連続。ヒーローとして凱旋したと思った鉄郎が何故死ぬかもしれない一兵士として戦ってないといけないの?とか、もう来ないと言ってた999がなんで地球に来てる?メーテルは本当の体を手に入れたんじゃ?それにメーテルの態度があんまりにも… 様々な思いが怒濤のようにやってくる…いや、むしろ、私がこんなに『銀河鉄道999』を好きだったのか?と逆に新鮮な思いになった訳なんだが。 しかし、そのショックが収まってしまうと、後半に至るまで、“いかにも”な展開が続く。どう考えたって無理のある設定や、新キャラに押されて旧来のキャラの魅力を引き出すことが出来なかった上に、新キャラの魅力も今ひとつ。何よりストーリーが暗すぎるなど、はっきり言って本作を単体で観るならば、さほど出来の良い作品とは言えない(と、今になって思う)。 だがしかし、本作は続編として観るならば、ぴったりと収まった作品には違いない。 一作目にはまった人間に対して冒頭でショックを与え、メーテルの憂い顔を見せ、意外な人物の登場まで演出してみせる。一作目あってこそ出来る芸当をきちんと踏まえていたのは事実。 それに、どんなに暗くても、きちんと魅せるべき場所を外してなかったのが良かった。冒頭、封印したコスモドラグーンとマントを掘り出した鉄郎の姿。来ないはずの999がホームに待っていた時の高揚感。線路がボロボロに崩れ、もう地球には戻ってこれない。という寂しさ。そして何より前回よりも遥かに愁いが増したメーテルの姿。この辺は本当によく分かっていらっしゃる!という感じ。それにやっぱり、最後のナレーションは、それがたとえ焼き直しと分かっていても、やっぱりジンっと来てしまう。「今一度、万感の想いを込めて汽笛が鳴る。今一度、万感の想いを込めて汽車が行く」。これほどツボを押さえたナレーションはないだろう。実はこのナレーションは、一作目よりもかえって感動できたくらいだ。 …冷静になろうと思っていても、思い出すとやっぱり駄目。私には本作を悪く言うことは出来ない。と言うのが結論。 |
銀河鉄道999 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宇宙も狭くなった未来世界。そこでは機会の体を手に入れ、無限とも言える時間を手にした一部の金持ちが豊かな生活を謳歌する一方、機械の体になれない貧乏な人間が追いやられていた。そんな中、地球に住む星野鉄郎は、そこに行けば無料で機械の体を手に入れる事が出来るというアンドロメダに行く機会をうかがっていた。折しも地球に来ていたアンドロメダ行きの銀河鉄道999の乗車券を盗み出すが、機会警察に追われる羽目に陥る。そんな鉄郎を救ったのは、かつて機械伯爵に鉄郎の目の前で殺された母の面影を持つメーテルという女性だった。謎めいたメーテルは鉄郎に彼用のパスポートを手渡し、私と一緒にアンドロメダまで行ってほしいというのだが… 松本零士の代表作の劇場用アニメーションで、後年のアニメブームの先駆けとなった作品。今も尚松本零士はこの作品を書き続けていると言うから、足かけ40年にわたって続いている息の長い作品だ。本作も待ちに待ったと言う感じで、1979年邦画興行成績も堂々の1位。 本作に先行し、TVシリーズが開始されたが、大人気を博し、TV放映の途中で同じ物語を完全新作として本作は作られることになった。そのため、TV版では未だ観られないいくつものエピソードがここでは観ることが出来る。 放送局が少なかった私の田舎ではTV版は日曜の早朝に放映されており、日曜に遊ぶ友達との話題あわせのためにはなんとしても早起きして観なければならなかったという記憶を残している。是非映画版も観たかったのだが、私の家は子供を映画館に連れて行く習慣のなかったため、結局TV版放映後にTVサイズのを観ることになった。 それで驚かされたのは、なんと言ってもキャラデザインがTV版とはまるで違うと言うこと。TV版の鉄郎がそのまま松本零士作品の顔しているのに対し、ここでの鉄郎は凛々しすぎた。精神年齢もTV版よりは多少高く、TV版が子供だったのに対して、映画版ではむしろ少年というべき存在へと変えられている。鉄郎の精神年齢が引き上げられたお陰で、大人が観ても充分鑑賞に堪える作品に仕上げられているし、最後のメーテルとの別れのシーンも、こちらの方が映えるように出来ていた。たまたまちょっと前にテレビでオリジナル版が放映されたこともあって、観直してみたが、あの頃の思い出がぶわっと蘇ってきた。TV版はTV版で良いのだが、やはりラストの迫力が違う。 それに今観て分かることも多い。 何せTVシリーズは長かったため、話の中心がやや分かりづらいところがいくつかあったものだが、劇場作品になってその辺がすっきりまとめられていたこと。原作を読んだのはそれからずーっと後になってからで、その時、これだけの話をここまで凝縮してまとめられた事は驚きだった。登場するキャラクタも多いし、その分鉄郎の活躍機会も少なくはなってるため、鉄郎の心境に入り込んでの話が端折られてるのは少々残念だが(TV版エピソードで好きなのは、機械伯爵に憎しみを覚える鉄郎が、自分も機械伯爵のようになるのではないか?という恐れをメーテルに告白するシーンだった)、過不足無くそれぞれのキャラクタを映えさせてもいた。バランスが絶妙。 それと今観ても「これは凄い!」と言う演出が多い。止め絵で済ませられそうなシーンの中で、ちゃんとキャラクタが動いている。動かない絵柄ばかりアニメで見せられると、ここまで動くアニメがあったのか!と感じ入ることが出来るだろう。勿論最後のゴダイゴの歌も最高だ。 それともう一つ。本作は一つ私には特別な思い入れがある。 萌えと言う言葉がよく分からない。と私は公言しているし、事実よく分かっていないと思うのだが、昔のアニメでいくつか、女性絡みの無茶苦茶印象深いシーンがいくつかある。キャラ自身ではなく、シーンが思い浮かぶというのは、多分私にとって「萌え」という言葉はキャラではなくシチュエーションにあるんだろう。 そう言う意味では、本作は多分私にとって最初に「萌え」た作品だと思う。 ちなみに、それはメーテルにではない。 無茶苦茶印象深く思い出すのは、ラスト近く、鉄郎を殺すため999に乗り込んできた女王プロメシュームを必死になって止めようとするクレアの姿だった。 クレア。意に沿わず親によってクリスタルの体を与えられ、その体を見られることを嫌がって、生身の体を取り戻すまでと狭い999の中で客室乗務員をしている女性。そんな彼女が本当に好きになったのが鉄郎だったが、鉄郎の恋愛対象はメーテルの方であり、クレアに対してはただ優しいだけ。それが分かっていて、控えめに二人の姿を見ているだけの女性だったが、最後の最後、自分の命を捨てて鉄郎を救う。美しいクリスタルの体がボロボロになりつつ、プロメシュームにすがりついて、最後は共に爆発してしまうと言うシチュエーション。これなんだよなあ。実際観直して、やっぱりこのシーンはぞくっと来た…私が「特攻好き」というのは、このシーンが多分に影響しているのでは無かろうか? 結局私にとっての「萌え」の大半はここで終わっていたんじゃ無かろうか?とさえ思わせられた。 …かなりギリギリの書き方になってしまった気がするが、ご容赦願いたい。 |
宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎 1978 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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