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_(書籍) _(書籍) |
2018 | GODZILLA 星を喰う者 監督 | ||||||||||
GODZILLA 決戦機動増殖都市 監督 | |||||||||||
2017 | GODZILLA 怪獣惑星 監督 | ||||||||||
2016 | |||||||||||
2015 | シドニアの騎士 監督 | ||||||||||
2014 | |||||||||||
2013 | |||||||||||
2012 | |||||||||||
2011 | |||||||||||
2010 | |||||||||||
2009 | |||||||||||
2008 | |||||||||||
2007 | |||||||||||
2006 | |||||||||||
2005 | |||||||||||
2004 |
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2003 | サブマリン707R 演出 | ||||||||||
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2002 |
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2001 | |||||||||||
2000 | |||||||||||
1999 | |||||||||||
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1995 | |||||||||||
1994 | |||||||||||
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1992 | |||||||||||
1991 | |||||||||||
1990 | |||||||||||
1989 | |||||||||||
1988 | |||||||||||
1987 | |||||||||||
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1985 | |||||||||||
1984 | |||||||||||
1983 | |||||||||||
1982 | |||||||||||
1981 | |||||||||||
1980 | |||||||||||
1979 | |||||||||||
1978 | |||||||||||
1977 | |||||||||||
1976 | |||||||||||
1975 | |||||||||||
1974 | |||||||||||
1973 | |||||||||||
1972 | 9'2 東京で誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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GODZILLA 星を喰う者 | |||||||||||||||||||||||||||
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「メカゴラシティ」の総力を挙げてゴジラ・アースに挑んだ人型連合だったが、最後の最後で機会の体になることを拒否したハルオ(宮野真守)によってとどめを刺すことが出来ずに終わり、シティは崩壊。更にビサイルドたちと人間たちとの間に亀裂が生じてしまう。機械に侵食されて人間として意識を失ってしまったユウコの亡骸と共に地球に残されたハルオはただ絶望をかみしめていたのだが、その一方で、エクシフの大司教メトフィエス(櫻井孝宏)は、神にすべてを捧げることを生き残りの人類に説いて回り、その信者を増やしていった… アニメ版ゴジラの第三部にして完結編。 第一部では地球人とゴジラの戦いが、第二部では機械文明人ビサイルドの繰り出すメカゴジラシティでの戦いが描かれた。 そして第三部となる本作は、もう一つの人類精神文明を持つエクシフによるゴジラとの戦いが描かれる事になった。 その中にあって、終始一貫リーダーとして戦い続けてきた主人公ハルオがいかなる決断を下すのかというのが本作の最大の見所となる。 前作『GODZILLA 決戦機動増殖都市』のラストシーンでは、これまで2作を通してゴジラの圧倒的な力を見せつけた上で、最後は人類ではなく、もう一体の(あるいは複数の)怪獣により決着がつくとイメージする終わり方だった。最後のメトフェレスが「ギドラ」と呟いたことで、最後の敵が何であるのかは分かった状態で拝見。 …本作が賛否両論というのはよく分かった。 わたしの中にも、本作を評価したい部分と、否定したい部分の二つがある。 まず評価すべき部分というのは、これまでの特撮怪獣映画の定式を正面から否定してみせたこと。 ゴジラという存在を概念化して考えたことは面白い。 ゴジラの名前を英語にすると、その文字の中に「God」を内包する。 そこから出発。ゴジラは単なる生物ではなく、生物を超え神の如き存在として君臨するというところから始まる。 ゴジラは人類の敵には違いないが、地球にとっては実は人類とはゴジラを生み出すための存在であり、実は地球そのものの存在理由もゴジラを生み出すためにあったとする。いわば地球は怪獣の卵で、その卵から孵ったゴジラこそが地球を継ぐ存在である。 この壮大な設定は大昔のSFを彷彿とさせ、オールドSF小説ファンにとっては、頬が緩むこと請け合い。ほぼまんまクラークの「幼年期の終わり」や筒井康隆の「幻想の未来」につながるものだし、その運命にあらがう人類の代表となるという悲壮感も良い。人間が地球を支配していた気になっていたが、実はそれが幻想だったという考えも、「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」っぽさがあって良いぞ。 その上で宇宙怪獣との戦いというのがあるのも更にスケールが大きくなる。地球にとっての目的は、最強生物としてのGodを作り出すことにあったが、宇宙規模になると、それさえも捕食対象という虚しさがある。 怪獣映画でこんなにペシミスティックなものを見せられるとは思ってなかったし、わたしはこういうのが大好きだ。 その意味で「脱怪獣映画」という意味において、本作は大変ユニークな立ち位置にあって、SF映画として考えるならば、かなり力の入った作品と言える。 ただ、一方で怪獣映画として本作を考えるならば、残念な出来となったとしか言いようがない。 怪獣映画、特に怪獣同士の戦いがメインとなるならば、期待するのは二大怪獣の正面からのぶつかり合いであり、ひたすらの格闘の末、どちらが勝者になるのか?という期待だった。ただ、それは完全に肩すかしを食ってしまったために観ていてストレスが溜まるだけ。 当初の期待は、ゴジラ対キングギドラで、そこにモスラがどのように絡んでいくのか?というものだったのに、ギドラはギドラのまま、モスラは幻影のシルエットだけで、戦いは終始一方的に終わる。 なにより、なんでギドラで終わらせるんだ。俺が観たかったのはギドラではなくキングギドラなんだよ。 もっとカタルシスをよこせ。せっかく金出して3作も劇場で観たんだから、快感をよこしやがれ!という気分もあり。 SFファンと怪獣ファンの双方の目から見ると、そういう意味ではとてもアンバランスというか、褒めるべきところとけなすべきところがはっきりしたものと言える。 それになによりわたし自身がそのどちらでもあるために、落ち着かない気分にさせられっぱなしだった。 |
GODZILLA 決戦機動増殖都市 | |||||||||||||||||||||||||||
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苦心の末、ゴジラを倒す事に成功した人型種族連合軍だったが、実はそれはゴジラに擬態した怪獣に過ぎなかった。10万年を経て巨大化した本物のゴジラになすすべなくはじき飛ばされてしまったハルオ・サカキ(宮野真守)。だがこの地上に人類の末裔が細々と生き残っていた。彼らによって命が助けられたハルオらだが、彼らの使っている道具から、かつて対ゴジラ兵器として建造されていたメカゴジラが今も地上で活動をしていることを知る。メカゴジラの産みの親ビルサルド人ガルクはこれを決戦兵器として使用できないかと考えるのだが… 初のアニメ版ゴジラとして公開された『GODZILLA 怪獣惑星』。出来そのものはそんなに良いとは言えないが、少なくともゴジラらしいゴジラ映画ではあった。 勿論いろんな不満はあって、そこら辺もレビューの中で書いてあるのだが、最大の驚きは、これが一本で終わらないという事実だった。それでも「これでもう良いよ」とは思えず、一応全部劇場で観ようと腹をくくれた。 そして公開に合わせて拝見となった本作。 正直な感想を言えば、一作目よりずっと良い。 確かにこれは特撮ファンの目から見る限りは、アニメに寄りすぎた脚本ではあるが、その辺割り切って最初からこう言う感じであれば良かったとさえ思えるほど。 まずは一作目で持っていた不満点が、ちゃんと説明されているということ。 敢えて蛇足ながら書かせてもらうと、人類種が何故地球を捨てねばならなかったのか、は、ゴジラは地球の生態系そのものを狂わせ、人類が棲息できない大気に作り替えてしまうと言う事と、地球軌道上でゴジラを監視できないのかという疑問に関しては、たとえ軌道上に監視衛星があったとしても、ゴジラの放射熱線は成層圏まで届くため、全て破壊されてしまうと言う事など。要するに、どんな方法であってもゴジラの近くにいる限りは殺されてしまうと言う絶望感がより強く出ていたから。 一作目での設定の不備は、物語を詰め込んだために語る事が出来なかっただけと分かった。最初からこの説明があったら、あんなに不満に思う事もなかったと、今更ながら思ったりもする。 そして展開としても、「今更メカゴジラなんて敵うはずがない」という思い込みを裏切る形で、ちゃんとゴジラと戦える形でメカゴジラを使えたという脚本は上手く出来ていた。 そのお陰でストーリー運びがぐっと良くなり、物語が楽しくなった分、演出の良さも見えるようになってきた。 三部作を前提にしているから、本作で決着がつかないのは分かっていたが、それを前提にしながらも上手いこと盛り上がりを持っていった演出もなかなか良い。 1作目で「ゴジラは絶対に許さない」という迫力を持っていたハルオが今回ややテンション低めなのも繋ぎとしては良い感じ。彼にとってはゴジラを倒すことは人生を賭けるほどのものだったはずだが、一体目のゴジラを倒しきってしまったことで、どこかに「もう死んでも良い」という諦めに似た感情が生まれてしまっていた。だから本物のゴジラを前にしても、一体目に対するほどの強い感情を持つことができず、その消極的な思いがゴジラを倒すに至らせなかったと考えるならば、この戦いにも意味があるし、些か単純ながら、この話で心を通わせたユウコが死ぬ事によって、やっとゴジラに対する憎しみのテンションが上がったことになる。 そして本作の一番の成果は、ちゃんと三部目につなぐ伏線をばらまいたと言う事だろう。 ハルオを助けたフツアの民は昆虫の遺伝子を持つことで汚れた大気の中でも何とか活動出来るようになり、その先祖が崇めていた巨大な卵を守っているとか、物語ラストで黄金に輝く三本の螺旋が描かれるとか… ああなるほど。三作目はこうなるのか。と思い、それはそれでなかなかの期待ができると思わせてくれる。 過不足なく、アニメならではの脚本をしっかりこなしていたこともあって、繋ぎの一本としては、充分な出来といえるだろう。 |
GODZILLA 怪獣惑星 2017 | |||||||||||||||||||||||||||
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突如世界各地に現れるようになった怪獣達。多くの犠牲を払いながら怪獣達と戦い続けてきた人類だが、最後に現れた巨大怪獣ゴジラの力は絶大で、オーバーテクノロジーを含めた人類のあらゆる攻撃は全く通用しなかった。戦いは人類の完敗に終わり、人類の存続を願い、多くの宇宙船が外宇宙目指して地球を飛び立つ。それから約20年が経過。恒星間移民船のアラトラム号は移民に失敗してしまい、欠乏する物資を補給するためだけに再び地球へと進路を向ける。その中にはゴジラ殲滅は可能だと主張するハルオ・サカキがいた。 昨年公開されるや否や絶賛の嵐を受けた『シン・ゴジラ』(2016)。その興奮冷めやらぬ時に突然「今度のゴジラはアニメーションだ」という報が飛んできた。 最初、これは便乗企画で「鉄は熱いうちに打て」か?と思ったが、なんでも最初からアニメの方は東宝内で企画が上がっていて、特撮とアニメを並行して企画が進められていたのだとのこと。特撮の方がコケなくて本当に良かった。 特撮とアニメーション、これは一般的には表現の差に過ぎない。むしろアニメの方が派手なものが作られるため、こちらの方が歓迎される向きもあろう。 ただ、この流れは古い特撮ファンからすると、ちょっと奥歯に物が挟まったような言葉になってしまう。ゴジラと言えば「特撮」とだけ言いたいのが特撮ファンの性だから。 とは言え、そんな特撮ファンも今年に関してはそれを言わずに済むだろう。理由は簡単で、昨年の『シン・ゴジラ』の出来が素晴らしかったので、気持ちが鷹揚になっているから。 あそこまでやってくれたんだから、後数本アニメで保たせて、それから又実力者に特撮版ゴジラ撮らせてくれればそれで満足。それが大方の特撮ファンの本音であろう。 …私だけかもしれんけど、多分みんな同じ気分だと思っている。 さて、そして肝心なアニメ版の出来だが、色々と意外なことがあった。大きなものとしては、本作一本では終わらないと言う事。どうやら三部作として作るらしい。 そしてこれまで現代日本を舞台にしてきたゴジラを完全SFの未来世界のものにしたこと。 最後に、少なくとも第一作目の本作はゴジラ対人間の純粋な戦いに絞ったこと。 これらは全部ゴジラファンも受け入れるだろう。「アニメはアニメで楽しめれば良い」という感覚にあらかじめなっているので、特撮版ゴジラとは別物としてこれ単独で楽しめれば構わないわけだから。 と、いういくつかの伏線が張られてピュアな(?)気持ちで観てみたわけだが… 悪くはないと思う。ただ、それ以上のものではない。 良い部分を言うなら、月並みだが演出はちゃんとしているということ。だから一応全編楽しんで観ることは出来る。 だけどそれはアニメで作る以上、最低条件とも言える。 ゴジラ対人間の戦いの演出を抜いた場合、本作に何が残るだろうか? 一つの問題点として、SFにした時点で膨大な設定を入れなければならないのだが、それが全部消化不良を起こしてるという点がある。 この話を観る限り、人類はゴジラに現用の人類の兵器で立ち向かえるほどのポテンシャルがあるにも関わらず逃げたと言う事になるし、地球を捨てずに生き延びる方法も考えずに逃げるためだけに外宇宙に逃げてる。 この場合、移動型の都市を建造してゴジラから逃げ回りつつ地上で人類が生き残るパターンが一番有効な方法になるはず。どれだけ強力と言ってもゴジラは単体。逃げつついろんなアプローチをかけながらゴジラの弱点を探り、膨大なデータを検証しつつゴジラを撃破するというのがストーリー的には最もリアリティある設定なのでは無いだろうか? さもなければ地球を資源惑星として、衛星軌道上若しくは月に基地を確保して捲土重来を期すというのもあり。なんで自然がこれだけ残ってる地球を見捨てて当ても無い外宇宙に向かって航海に出なければならないのだ? 少なくともこの時点で説得力のある説明を付けるのは最低条件ではないだろうか。そこに説得力が全然ないのが致命的。 それを放棄して辛い航海内容ばかり出されても、冒頭時点で気持ちが冷めてしまい、それが再び熱くなることは無かった。 そしてストーリーとしても、とても安定した物語構成をしているため、大体次の展開が読めてしまう。驚かせてくれる部分がほとんどなしというのがちょっと退屈。演出は良くても最初に冷めた気持ちを燃え上がらせてくれない。 ただラストの地上を闊歩していたゴジラが実は…という展開と、ハルオが最後に見つけたものという、次回に続ける展開があったため、そこだけ個性が見せられたかな?ラスト5分だけのためにこの点数を上げよう。 総じて言うなら、「悪くは無いけど消化不良」と言ったところだろうか。 |
シドニアの騎士 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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