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タイトル サミュエル・フラー自伝 ~わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか~ 脳髄震撼(書籍) _(書籍) |
1997 | 10'30 死去 | |
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | 最前線物語 監督・脚本 | |
1979 | 1941 出演 | |
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | クランスマン 脚本 | |
1973 | 死の追跡 原案 | |
1972 | ||
1971 | ラストムービー 出演 | |
1970 | ||
1969 | ザ・シャーク 監督・脚本 | |
1968 | ||
1967 | 謀略都市 脚本 | |
1966 | ||
1965 | 気狂いピエロ 出演 | |
1964 | 裸のキッス 監督・製作・脚本 | |
1963 | ショック集団 監督・製作・脚本 | |
1962 | 陽動作戦 監督・脚本 | |
1961 | ||
1960 | ||
1959 | クリムゾン・キモノ 監督・製作・脚本 | |
戦火の傷跡 監督・製作・脚本 | ||
1958 | ||
1957 | 四十挺の拳銃 監督・製作・脚本 | |
赤い矢 監督・製作・脚本 | ||
1956 | ||
1955 | 東京暗黒街・竹の家 監督・脚本 | |
1954 | 地獄と高潮 監督・脚本 | |
コマンド 脚本 | ||
1953 | 拾った女 監督・脚本 | |
1952 | ||
1951 | 折れた銃剣 監督・脚本 | |
肉弾戦車隊 原作 | ||
1950 | 鬼軍曹ザック 監督・製作・脚本 | |
1949 | 地獄への挑戦 監督・原案・脚本 | |
ショックプルーフ 脚本 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | 8'12 マサチューセッツ州で誕生 |
最前線物語 1980 | |||||||||||||||||||||||
1980カンヌ国際映画祭パルム・ドール(フラー) | |||||||||||||||||||||||
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第一次大戦の終了時、終戦になったことを知らずドイツ兵を無益に殺してしまった過去を持つ軍曹(マービン)が、第二次大戦で、今度は4人の若者を連れて再びヨーロッパを目指していた。軍曹の「殺人ではない、ただ殺すだけだ」という戦争哲学に裏打ちされた言葉と訓練によって、転戦に次ぐ転戦でも彼らは抜群のチームワークを見せて戦い続ける。北アフリカ、シチリア、そして最大の激戦地ノルマンディーへと…彼らの戦いを描く。 異色西部劇や暴力映画で知られたフラー監督が作り上げた戦争映画。かなり一般的に薄められてはいるものの、容赦なく人を殺すシーンや暴力描写など、極めて乾いた描写で監督らしさを見せつつ、バランスの良い作品に仕上げられている。どうやらこれは第二時世界大戦に従軍したフラー監督の自伝的要素が入っているためらしいが、それを完全に消化し、今まで自分がしてきたことを普遍化したお陰だろう。戦争における善悪と言うことを客観的に捉えている。 どこかで読んだのだが、フラー監督は「戦争とは狂気、完全な狂気であって、ただ違うのはその狂気が組織化されていることだ」と語っていた。だが、本作において、それは極めて冷静ながら、戦場の出来事にはただ残酷なだけでない一面も伝えているのではないだろうか。確かに戦争は、闘っている当事者にとっては、自らの命を的にしつつ目の前の敵を倒す作業であり、そこに感情はなるだけ加えようにしなければならないはずだ。それこそマーヴィン演じる軍曹が「生き残るためには敵を殺すこと。殺人ではない、ただ殺すだけだ」と言ってるとおり。だが前戦から離れるに従い、機械的な面は薄れていく、戦時中は戦場を離れても兵士は兵士たらんとするか、あるいは人たらんとするか。どちらをとっても悲劇は起こりえる。本作の本当の見所はその狭間を描いたところにあるのかもしれない。その狭間で悩むことこそドラマになる。 そう考えるのならば、最後に軍曹が自分が刺した兵を介抱するシーンは単なる感動的な描写なのではなく、実はあれこそが冷徹な現実というものだったのかもしれない。 フラー監督の他の作品はその辺のさじ加減が暴走気味になりがちなのだが、本作は本当に上手くバランスが取れていたと思われる。 勿論この乾いた演出は戦場でこそ本当に映える。ばたばたと何の意味もなく倒れていく人の群れを描かせたら、やっぱり一級品だよ(その後の『プライベート・ライアン』(1998)ではそれ超えてたけど)。徹底して人間目線のみで撮影されるカメラワークも凄い。 |
裸のキッス The Naked Kiss |
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ショック集団 Shock Corridor |
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1996アメリカ国立フィルム登録簿登録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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新聞記者ジョニー(ブレック)は精神病院で起った殺人事件の犯人を突き止める、念願のピューリッツァー賞を得る為に病院内に潜入して真実を探ろうとする。 特に戦争映画に定評のあるサミュエル・フラー監督だが、意外なところで面白い才能を発揮したのが本作である。 物語構造は低予算の上に結構単純で、スクープを狙った記者が狂気を装って精神病棟に潜り込んだところ、自分自身の精神が冒されていくという、ただそれだけの作品である。近年に至るまでこの手の話は数多く作られている。 だけど単純なだけに、何かしらの大きな強みを入れる必要がある。本作の場合、それが狂気の演技ということになるだろう。 比較的分かりやすいおかしさではあるのだが(夜中に突然アリアを歌い出すとか、アフリカ系でありながら自分はKKKの創始者を称するとか)、それが徐々に主人公の精神を冒していくようになると、だんだん観てる方が落ち着かなくなっていく。最初は馬鹿馬鹿しいと思いつつも、徐々に正気と狂気の境目ってなんだ?というレベルまでいってしまう。 この領域にまで達した作品と言えば、『カッコーの巣の上で』(1975)とか『まぼろしの市街戦』(1967)あたりになるだろうが、それに先行して本作が存在するという所が凄い。 それを可能としたのは、演技力よりむしろカット割りなどのカメラアングルの取り方だろう。基本画面はモノクロームで展開するが(数カ所カラーのパートが合って、何故か鎌倉らしいカットまである。多分『東京暗黒街・竹の家』で使われなかったプライベートフィルムだろう)、光と影の使い方が実に上手く、見てるだけで不安にさせられるような影の動き方をさせてみたり、カメラアングルを変えて人の縮尺をわざと狂わせてみたり(実相寺昭雄か)と、なかなか凝った作りになってる。何より効果的なのは、長い廊下をいろんな角度から撮って平衡感覚を狂わせようとしていること。モノトーンだからこそ出来る演出をしっかり分かっていることだった。 |
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陽動作戦 Merrill's Marauders |
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戦火の傷跡 Verboten! |
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赤い矢 Run of the Arrow |
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東京暗黒街 竹の家 House of Bamboo |
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アメリカ国内で軍需列車が襲われ、多量の武器弾薬が盗まれた。調査の結果、日本にあるギャング組織が浮かび上がったため、軍警察は潜入捜査のためドーソン(スタック)と言う捜査官を東京に派遣する。ギャング団の一員を装い首尾良くサンディ(ライアン)を親分とするアメリカ系組織に潜入することが出来たドーソンはそこで知り合ったマリコ(山口淑子)と親しくなるが… 『情無用の街』の舞台を戦後の東京に置き換えてのリメイク作品。確かにこれ日本の描写はいかにも「ニッポン」ってな感じで無茶苦茶なのだが、流石に元のストーリーがしっかりしていたためか、アクション映画としては結構悪くない。特にラストの銃撃戦は様々な障害物を上手く使っており、緊張感も高い。 ここで登場する日本人はほとんど日系かアメリカでの評価が高い(要するに英語が喋れる)日本人ばかりで、他の映画にも結構良く出てくる人が多いので、それを探すのも一興。 当時、アメリカで日本がどのように見られていたかを知るためには重要な作品かも知れない。ただし唖然とする覚悟が必要だが。 |
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鬼軍曹ザック The Steel Helmet |
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朝鮮戦争の最前線でザック軍曹(エヴァンス)は、分隊全滅で1人負傷して生き残り、朝鮮人戦災孤児ショート・ラウンド(チャン)に助けられる。同じく部隊とはぐれたトムソン伍長
(エドワーズ)の3人で後退していった。斥候部隊と接触した彼らはある古寺に宿を取るが… 1950年6月25日に朝鮮戦争が始まったが、まだ戦闘が開始されたばかりのこの戦争を題材とした映画が投入されることになった。驚くべき早さだが、本作はなかなか面白い作品に仕上がっている。フラー監督にとっても初の戦争映画となる。 特に第二次世界大戦の際、アメリカやイギリス、ドイツや日本では数多くの戦争映画が作られていた。蓋もなく言えば、その目的は単なるプロパガンダのためだった。敵国がどれだけ非道な行いをしているか。そしてそれに対して立ち上がることを求めるために作られた国策映画である。 本作も形の上では確かにその通り。反共産主義を前面に掲げた好戦的な作品に仕上がっているように見える。確かに一見した所、主人公のザックはまるで楽しんでるかのように自らを戦いに投入し、敵には容赦がない。一方敵の方も非情に味方を殺しまくるという描写になっている。その中に、朝鮮人蔑視的な視線も感じられる。あたかも「俺たちが救いに来てやってるんだ」という視点は確かに感じられるのだ。 ただ、本作の場合、多分にフラー監督の特徴を備えていて、それらの描写も一筋縄ではいかない。主人公のザックが決して正義の使者って訳じゃなく、ヒロイズムもなく、まるで冷徹な戦闘マシーンのような描写がなされているため、それが決して「正義」には見えないのだ。例えば彼がもっと人間的な暖かさがあって、ショート・ラウンドに助けられたことを感謝し、彼を最初から抱き上げるような存在であれば、確かにプロパガンダになるのだが、彼は最後までそう言う人間臭さとは無縁。これこそが戦場のリアリティだと言わんばかりに、眼前の敵を殺しまくる。後年の『最前線物語』(1980)にも見られる、戦場では非情に徹する事こそが正しい。としているかのよう。 一方、その描写は、決して彼が行っているのが自分でも「正義のため」とは全く思っていない事にもつながっている。プロパガンダ的な見た目はどうあれ、現在やってる戦争は、実は単なる殺し合いに過ぎない。彼はその事をよく認識した上でただ戦い続ける。この設定は凄い。 ただ、これが中途半端さとも取られがちで、このことが元でフラー監督はリベラリストには好戦的と見られ、一方の保守派からはコミュニスト呼ばわれもしたとのこと。なかなか複雑な作品だ。 描写的には限られた寺院の描写がちょっと安っぽすぎる上、資料映像とのかみ合いがあまり良くないので、今ひとつ緊張感が足りない所。 |
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