JM 1995 |
1995ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(リーヴス) |
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ドン・カーモディ(製)
ウィリアム・ギブソン(脚)
キアヌ・リーヴス
北野武
ディナ・メイヤー
アイス・T
ドルフ・ラングレン
ヘンリー・ロリンズ
ウド・キア
バルバラ・スコヴァ
シェリー・ミラー
デニス・アキヤマ |
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物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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記憶屋ジョニイ(短編)クローム襲撃(書籍) |
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近未来。特定の情報を脳に埋めこまれたチップに記憶させる“運び屋”ジョニー=ネモニック(リーヴス)は依頼により北京である情報を記憶するが、それは全人類の命運を賭けるものだった…
不思議とキアヌ=リーヴスという御仁はCGを用いたSFアクションの主演作が多いのだが(言うまでもなく『マトリックス』(1999)とか、『チェーン・リアクション』(1996)とか)、SFと彼との相性の良さってのは、多分彼の持つ“得体の知れなさ”の故だろう。状況に流されるばかりであがき続ける、自分を持たない男JMを演らせるにはうってつけの存在だ。だけど、元々大根なのが、この作品ではそれに輪をかけて凄いってのが何とも。そういやデータを取り出すのにパントマイムをするのは『マイノリティ・リポート』(2002)でも使われてたなあ。端から見たら相当馬鹿だけど(笑)
ただ、本作の評価は全般的に低いし、私もそう思う。どうせなら最初っからB級作品として作ってればカルト作として記憶されることもあっただろうけど、原作者のウィリアム=ギブソンの脚本とシド=ミードのデザイン、主役をリーヴスにして脇に北野武とドルフ=ラングレン…もうここまで揃えてしまった以上、何とかして大作にしなきゃならないって意気込みがひしひしと伝わってきてしまって…それでもう後に戻れないって言う意識ばかりが空回りしてしまった感じ。ある意味失敗を約束された作品と言って良い。
日本人である北野武を出すことで、サイバー・パンクっぽさを演出したんだろうけど、結局それは『ブレードランナー』(1982)のパクリのようにしか見えなくなってしまったのも悲しい。SFはイメージなんだから、その中でパクリと思わせる描写があっちゃいかんよ。
ところで人間の脳を生体コンピュータ、あるいは記憶素子として用いるってのはサイバー・パンク時代には既に考えつかれていた内容(奇しくもギブソンの「ニューロマンサー」がその走りだった)だが、人間の脳内記憶容量ってのはギガで測れるような生易しいものじゃないだろうに。ジョニーの脳内容量は80G…今で言えば1万円台で買える程度か…当時はこれでも「大容量」だったんだよな。
映画におけるSFの通過点的な位置づけにある作品だ。通過点なんだから失敗もあるさ。
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