告発の行方 1988 |
1988米アカデミー主演女優賞(フォスター)
1988ゴールデン・グローブ女優賞(フォスター)
1989英アカデミー主演女優賞(フォスター) |
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トム・トポル(脚)
ジョディ・フォスター
ケリー・マクギリス
バーニー・コールソン
レオ・ロッシ クリフ
アン・ハーン サリー
カーメン・アルジェンツィアノ
スティーヴ・アンティン
トム・オブライエン
ピーター・ヴァン・ノーデン
キム・コンドラソフ |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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田舎町で起こった三人の男達によるレイプ事件。被害者の名はサラ=トバイアス(フォスター)というまだ少女だった。サラから事情を聞いた地方検事補キャサリン=マーフィ(マクギリス)は、彼女の弁護士として法廷に立つ。だが被害者に有利なことはなく、渋々3人の容疑は過失傷害との裁定の取引きに応じた。信用していたキャサリンに裏切られてしまったと思いこんだサラ。その姿を見たキャサリンは断固として戦うことを決意する…
過去に度々社会問題化され、ようやく現在は女性側の証言で犯人を逮捕できるようになったレイプ犯罪だが(とはいえ、『それでもボクはやってない』を観て分かるとおり、冤罪事件の問題が今度は起こってくるのだが)、それがまだ起こってなかった頃の時代を舞台に取った、社会派作品。流石に設定がストレートにレイプ事件を扱っているだけに非常に重い内容だが、きちんと法廷劇としてエンターテインメントもしているので、その辺がかなり受けたのだろう。
ここで問題とされるのは、人間の意識における犯罪の範囲であるかもしれない。
ピューリタン国家であるアメリカは、自己責任というのを非常に重要視する傾向にあって、犯罪に巻き込まれてしまったとしても、本人にそれを煽る隙があったりすると、「それでは当然だ」とされ、あたかも被害者を犯罪者の一員のように見る傾向がある(日本でもそう言う傾向があるか)。その観点で見てしまうと、実はここでの被害者であるサラも又、「男を煽った」という理由で犯罪に巻き込まれるのは仕方ない。とされてしまう。
しかし、これは本当に法治国家のあり方なのか?という告発がここには込められており、それ故に本作は社会派作品と呼ばれるわけだ。本作の存在は良い意味でその風潮に風穴を開けたとも言えるだろう。
ただ、質は高いにせよ、観ていてかなりキツイ作品なのは確か。そりゃ「あのフォスターがレイプ!」みたいな煽り文句はあったにせよ、主題はそこにはないのだし、むしろそれを通して、男性の立場からの理由とか、社会の構造とかが見えてくると、話はどんどん重くなっていくし、それに反して妙に浮ついた音楽とかがちぐはぐだし、バランスも決して良いとは言えない。それほど長い映画ではないけど、観ている時間が異様に長く感じさせるのはまずかったのでは?
フォスターの演技は文句なし。『タクシードライバー』(1976)から10年。本作もやっぱり男に性的な意味で傷つけられる役ではあったが、質的には随分表現が上がっていたし、最初の一種ぶっ飛んだ頭の軽い(失礼)だけの女性に見せていたのが、どんどん知性的に変わっていく過程もなかなかの見所(ただし、ここで役と同化しすぎて引退まで考えたという)。
観るのはきついけど、観ておいた方が良い作品という立ち位置だろうか。 |