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1976 | 4'25 死去 | |
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | フォロー・ミー 監督 | |
1971 | ||
1970 | ||
1969 | 最後のインディアン 監督 | |
1968 | オリバー! 監督 | |
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | 華麗なる激情 監督・製作 | |
1963 | 逃げる男 監督 | |
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ハバナの男 監督 | |
1959 | ||
1958 | 鍵 監督 | |
1957 | ||
1956 | 空中ぶらんこ 監督 | |
1955 | 文なし横丁の人々 監督 | |
1954 | ||
1953 | 二つの世界の男 監督・製作 | |
1952 | ||
1951 | 文化果つるところ 監督 | |
1950 | ||
1949 | 第三の男 監督・脚本 | |
1948 | 落ちた偶像 監督・脚本 | |
1947 | 邪魔者は殺せ 監督 | |
1946 | ||
1945 | ||
1944 | 最後の突撃 監督 | |
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ミュンヘンへの夜行列車 監督 | |
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | 12'30 ロンドンで誕生 |
フォロー・ミー 1972 | |||||||||||||||||||||||||||
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社会的地位においては全く問題のない一流会計士チャールズ(ジェイスント)には深刻な悩みが一つあった。新妻ベリンダ(ファロー)が浮気しているのではないか、という疑いにつきまとわれていたのだ。歳は離れていたが、彼からの熱烈なアプローチで強引にウェイトレスの彼女と結婚したのは良いのだが、若く奔放な彼女はイギリスの一流の生活に馴染めず、その思いあまって…と考えるとおちおち仕事もしていられないのだ。それで私立探偵を雇い、妻の調査を依頼する事となった。しかしやってきたクリストフォルー(トポル)というのは、見た目からの変人でいかにも頼りなくおもう。しかし他に宛のないチャールズは敢えて彼に調査を依頼するのだが… イギリスの誇る名監督リードの最終作品。一種のストーカーを扱った軽いコメディだが、キャラのはまり具合が見事。物語そのものはどって事無く、登場人物もほとんど三人だけで終わってしまうが、それぞれのキャラの巧さだけで充分魅せてくれる。 この時代のファローは単に若いってだけでなく、見事にヒッピー風の立ち居振る舞いがよく似合う。当時のヒッピーの最大関心は、奇しくもレノンがいうところの「LOVE & PEACE」。金とか忙しさよりも、二人で一緒にいて愛を語り合い、世界について考えを巡らす。ある意味社会生活を念頭に置いてない生活を理想とするのだが、ファローがやると、それが嫌味無くするっと入ってくる。大分前に『パリの恋人』でヘップバーンが似たような役を演じていたが、これは結構わざとらしかった。それに対してファローはそのまんま自然に役作りが出来ている。ここまで役者が自然になるというのも、歴史の流れを感じさせるものだ。 対するジェイストンは見事に旧来の成功者といった姿を彷彿とさせ、生活とは義務と役割分担にあると信じるタイプ。この役をやらせたらイギリス人俳優にまさるものは無いが、見事すぎるほどに典型的な古き英国人!というお堅い役を好演。 そんな二人が結婚して上手く行くとは思えないのだが、それをつなぐ役として登場したトポルがあまりにも強烈なキャラだったため、いつの間にかうやむやのうちに二人はくっつき合ってしまう。ここでのトポルの演技は拍手もの、キャラの立ち居振る舞いや行動など、『ピンク・パンサー』のクルーゾーに似てるような気がするが、到底探偵とは思えないようなドジな事ばかりやっていて、全くそんなキャラに見えないのに、きちんと頭の良いキャラが出来てる。チャールズとベリンダの本当の問題というものをよく分かっていて、重要なところでちゃんと二人に助言しているというところが面白い。そんな自然な演技が見事にはまっていた。この人も実力ある役者だな。 それとやっぱ音楽が素晴らしい。どこか気の抜けたようでもあるが、それが特にトポルとファローの登場によく合ってる。 一方で、この作品では二つの価値観のぶつかり合いということも内包している。1970年代の面白さは、旧来の価値観と新しい価値観のぶつかり合いが非常に明確であること。それを端的に示しつつ、小粋なコメディに仕上げてくれた本作は、観ていて本当に心地が良い。リード監督の最終作品として、充分お薦めできる作品。 |
オリバー! 1968 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1968米アカデミー作品賞、監督賞(リード)、ミュージカル映画音楽賞、名誉賞、美術監督・装置賞、音響賞、主演男優賞(ムーディ)、助演男優賞(ワイルド)、脚色賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞 1968英アカデミー作品賞、主演男優賞(ムーディ)、監督賞(リード)、新人賞(ワイルド) 1968ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ムーディ) |
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19世紀。救貧院にたどり着いた一人の女性が男の子を産み死んだ。生まれた子供はオリバー(レスター)はそこで成長し、葬儀屋に売られてしまう。そこでの仕事と横暴な主人に耐えかね、オリバーはロンドンに逃げ出し、そこでフェイギン(ムーディ)という男に拾われ、子供ばかりの窃盗団に入ることになった。そこで様々な人間関係に巻き込まれることになるが… ディケンズ原作の「オリバー・ツイスト」の映画化。1969年全米興行成績8位。 原作はアメリカやイギリスでは大人気の作品で、これまで数多くの作品が作られているが(2005年にもポランスキー監督によって『オリバー・ツイスト』(2005)が作られているが、本作の時点で既に8回目の映画化という)、本作は一旦ミュージカルになり、それを映画化したもの。全編ミュージカル調で展開しているのが特徴。 1968年というのは映画史では大変面白い年で、ニューシネマがはっきりとその特徴を表し始め、『猿の惑星』や『2001年宇宙の旅』によってハード路線の本格的なSF映画が作られ始め、はたまた『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ローズマリーの赤ちゃん』によって本格ホラーも作られ始めた年。色々な意味で映画システムに変革が起こった年だが、一方、この年は本作を始めとして『スター!』、『チキ・チキ・バン・バン』、『プロデューサーズ』、『ファニー・ガール』と言ったミュージカルがやたら多く作られた年でもある。これを考えるに、映画システムは確かに変革の時を迎えていたが、その前の最後の旧システムによる抵抗もあった年であったと言えるだろう。古さと伝統をこそ至上とする伝統的システム。それに則った作品も数多く作られているのがこの年だったのだ。 それで結果的にこの年の批評家達はどちらに軍配を上げたかというと、旧来のシステムの方だった。本作がイギリスのみならずアメリカでもアカデミー作品賞を得たことからもそれは分かろう。 ただ、私が観る限り、本作は確かに出来が悪いとは思わないものの(特にカメラの使い方は絶品で、狭いセットを縦横無尽に駆け回らせることで奥行きを感じさせる上手い作りになってる)、取り立てて「面白い」と言えるほどの作品ではなし。大体物語そのものが結構暗めの作品なので、なまじ明るいミュージカル調にすると、思いっきり浮いてしまう。物語そのものも1950年代か。と思えるほどの古さ。フェイギンを多少善人化させるなど新機軸も投入はしてるが、なまじ古典劇と割り切ることが出来なかったお陰で痛々しさしか感じることが出来ず。結局だらだらと続くだけの作品にしか思えず。これがアカデミー作品賞ってのは、やっぱり懐古主義ではなかったのだろうか? 1968年の映画と言うことを考えるには良い素材だが、それ以外には魅力はない。 オリバーを演じたマーク・レスターは本作により天才子役と子役スターとして伸び悩み、父の経営していたレストランで8年間働いた後、整骨術を学び、後に整骨士として生活。「映画に未練はない」とのこと。 オリバーの相棒役ドジャーズを演じたジャック=ワイルドも子役スターとなるが、大人になると伸び悩み、10年間のアルコール耽溺生活の後、『ロビン・フッド』でカムバックする。 |
華麗なる激情 The Agony and the Ecstasy |
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鍵 The Key |
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1958英アカデミー男優賞(ハワード) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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空中ぶらんこ Trapeze |
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1956ベルリン国際映画祭男優賞(ランカスター)、観客賞(リード) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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パリの大人気サーカス一座シルク・デヴィルには毎日のように一座に加えてもらおうとする人達が訊ねてきた。そこで座長の目に留まったのはアクロバット・スターを目指すローラ(ロロブリジーダ)と、空中ブランコ乗りを希望するティノ(カーティス)の二人。実はティノはサーカスの花形空中ブランコ乗りマイク(ランカスター)に弟子入りしようと希望していたのだが、実はマイクは数年前に落下事故で大怪我を負ってしまい、以来道具係として働いていた… 男女の三角関係を主軸にサーカスを舞台にした作品。1956年全米興行成績3位。 一応これも恋愛作品となるのだろうが、サーカスという特殊空間に身を置いているため、この設定ならではの恋愛模様になってる。 サーカスの軽業師というのは技術は元より、パートナーの信頼関係がとても重要となる。そう言った信頼関係は時に愛情にまで発展するのだろうが、いわゆるこれって吊り橋理論にも関わるんだろうが、その走りのような関係を描いているところが結構興味深い。 サーカスという舞台は、突き抜けた体育会系社会だが、男女双方に出演者が居るため、ホモソーシャル的なものはなく、特に恋愛に関しては割とオープンなところが強調されている。50年代の作品だから、三角関係はあくまで男女間の関係のみで描かれるため、男同士の関係は嫉妬や光明神と行ったところにすっきり落とし込んでいて、物語がかなり明確ですっきりしてるのが特徴だろうか。 もうちょっと時代が進めば、描写も変わっただろうに。とか思いつつ観てしまうのは、大分嫌な観客には違いない。 ランカスターは映画界に入る前サーカスの曲芸師として名を挙げており、リング・リング・ブラザースに在籍していた。 |
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第三の男 The Third Man |
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1949英アカデミー作品賞 1949カンヌ国際映画祭グランプリ(リード) 1950アカデミー撮影賞、監督賞、編集賞 |
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第二次大戦後のウィーン。親友であるハリー・ライム(ウェルズ)の招きでこの街を訪れたアメリカ人作家のマーティン(コットン)だったが、到着早々、ハリーが死亡したことを知らされ、ショックを受ける。ハリーの死には三人の男が立ち会っていたと言うのだが、その三番目の男の正体が分からず、マーティンはハリーの恋人と言うアンナ(ヴァリ)と共に調査を始めたのだが、調べて行くに連れ、ハリーの裏の顔が浮かび上がってくる… 映画は時代の風潮を映すものだとはよく言われることだが、その中でも特に「この時代でしか作ることが出来なかった」あるいは「この時代に、この場所で作ったからこそ意味がある」という作品がある。本作はまさしく第二次世界大戦の爪痕の残るウィーンと言う場所で撮られたと言う点にこそ意味があるだろう。 ウィーン。かつてヨーロッパ随一の巨大な力を誇ったオーストリア帝国の首都。しかし、20世紀に入り、プロイセンにより強引に併合され、ドイツ連邦の一地方とされてしまい、第二次世界大戦後は連合国による介入を受け荒れた町並みとなっていた。 そんな時代にこの映画が製作された。ウィーンは未だ戦後の混乱期にあり、復興のパワーがそこらかしこに溢れていつつ、所々では廃墟がそのまま残されているような時代だ。このような状況は日本にもあったが(まさに日本では同年に黒澤明監督による『野良犬』が製作されており、その違いを対比してみるのも面白い)、ただ、主にアメリカ一国によって統制された日本と違うのは、連合国の様々な国が分割して統制していたのがウィーンという町。こんな複雑な状況で映画を作ろうと考えたのが凄いと思う。撮影許可取るだけでも色々な国をまわることになってしまう。 こんな混乱状況だからこそ、目端の利く人間はどんどん金儲けをし、力のないものは容赦なく切り捨てられていく。人間の命の値段が安くなった時代とも言えよう。昨夜大盤振る舞いしてた成金が今日はドブに骸(むくろ)をさらしてるなんて事が当たり前の時代。本作のハリーとは、まさにそのような目端の利く人間で、非合法なことも厭わずに商売して、成金となった人間だが、同時にそのやり方は色々なところで敵を作ることになる。非常に緊張感のある生き方をしていた人間だった。 人間として非常に優れた存在であるハリー。しかし、本作の主人公はハリーではなかった。緊張感も、知性もあまり感じさせられないマーティンと言う大衆作家だと言うのが面白い。彼は確かに行動力もあるし、知性は無くとも勘が鋭く、潜伏中のハリーを見つけだしたのは、そんな彼だからこそだった。そんな対称的な二人が出会った時の緊張感のある観覧車のシーンは、圧倒的な演出と相まって、思い出すだけでもしばらくぼーっと出来るほどに美しい(プラター公園の大観覧車は映画を記念して今でも残されているそうだ)。 キャラクターの描写も素晴らしい。と言うか、これだけでいくらでも書けそうなくらい凄い。お調子者で実は文学のこともよく分かってないマーティンの間抜けな会話ぶりとか(インタビューで「一番好きな作家は?」と聞かれて、「ゼーン=グレイ」(西部小説の作家らしい)と答えるシーンは上手いつかみだった)、謎めいた雰囲気をまとわせ、現れた時に迫力を見せるハリーの描写も良かった。それにウェルズの存在感!ただ存在するだけでのけぞるくらいのキャラクタが出来てしまった(観覧車で鳩時計のことを話すのはアドリブだったそうだが、とてもそうは思えない) しかし、その中でも最高は何と言ってもアンナを演じるヴァリだろう。彼女は劇中、二人の男の間で揺れ動く。平凡で毒のないマーティンと、自分を破滅に導いてしまうかも知れない危険な男ハリー。自分が心底愛しているのはハリーのはずなのに、一緒に行動してるマーティンの情にほだされそうになる。その感情の移り変わりは見事と言うしかない。そしてあのラストシーン。悲しみを毅然とした表情に隠し、ただまっすぐ前だけ見て歩くアンナ。横にマーティンがいて、彼女が振り向くのを待ってるのを知っていながら(絶妙のタイミングでタバコに火を付けるのが良いんだ)、絶対に振り向かない。もしここで振り向いたら崩れ落ちてしまう。その方がどれほど楽だか、そしてそんな自分をマーティンは必ず受け止めてくれる。それを全て振り切って、必死に前だけを睨み付け、画面のこちら側に毅然としてやってくる態度。あの格好良さは私の中で「映画の中での最も格好良いシーン」の筆頭だよ。 演出も冴えてる。ウィーンの石畳の上を滑るように移動する足音と影。照らし出されるライトによって長く伸びたり短くなったり陰影。ハリーがマーティンの前に現れる時、靴だけが映り、ネコが鳴いたと思ったら、ハリーの顔が月明かりに照らされるその姿。観覧車をバックにした陰影の付け方…この撮影は本当に見事だった。撮影に関しては細かいところまで配慮が行き届いてる感じで、大満足の出来映えだった(撮影のロバート=クラスカーがオスカーを得たのは当然過ぎるほど当然だ)。それにシーン毎に被さる、アントン=カラスによる切ないチータの調べ。今でも聴くだけで情景が脳内にばーっと情景が甦ってくる。最も好きな映画映画音楽の一つだ。 問題は本作のイメージがあまりにも強すぎたため、私のアリダ=ヴァリ評はどうしても下がらなくなってしまったと言うこと。たとえ『サスペリア』(1977)でのとんでもない役を演じていても、なんだか許せると思ってしまう自分が嫌だ(笑) 本作はアメリカからコットン、ウェルズ、イタリアからヴァリ、イギリスからトレバー=ハワード、オーストリアからエルンスト=ドイッチュ、パウル=ヘルビガーが主演し、国際色豊に仕上がっている。コットンが異邦人としての寂しさを好演。アメリカが主演を出し、イギリスが金を出すというのは今日とは逆のパターンだ。この脚本に当たったのは小説家のグレアム=グリーンだが、それをそのまま本にしているので、今手にはいるのは原作ではなくノベライゼーションとなる。 尚、本作で10万ドルか20万ドルの歩合給を取るかを問われたウェルズは10万ドルの方を取って『オーソン・ウェルズのオセロ』の製作費と税金返済にあてたそうだが、映画そのものが大ヒットしたため、後で大いに後悔したとか。 |
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「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイスの何百年の平和は鳩時計を生んだだけだ」 |
邪魔者は殺せ Odd Man Out |
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1947米アカデミー編集賞 1947英アカデミー作品賞 |
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北アイルランド。IRAの一組織の長ジョニー(メイソン)は仲間と共に工場襲撃を行い、現金強奪には成功したものの、自身は重傷を負い、仲間とはぐれてしまった。自分の首には懸賞金がかけられていることを知り、潜伏先を探す。一方、彼に愛情を捧げているキャサリン(ライアン)は、必死に彼を追い求め続ける…8時間の間に起こった出来事を描く。 『第三の男』(1949)以前のリード監督の代表作と言われた作品。たった一夜の出来事が描かれる話だが、確かにたった一夜。だけど大変濃密な時間が描かれる。人間の存在価値とは一体何であるのか。その事を問いかけた作品と言っても良いだろう。 主人公のメイソン演じるジョニーは、カリスマ的指導者であり、自分を愛する女性のことよりも党の事を優先し、指導者としては立派な存在だが、その肩書きが剥ぎ取られ、ただの怪我をした一個の人間になった時、本当に大切なものは政治ではない。ということに気付いていくという形式。しかもこれを8時間という時間に凝縮することによって濃密な時間を作り出している。 設定がとても良い作品なのだが、実はむしろ本作は設定よりも演出の良さで語るべき作品だろう。リード監督作品だと『第三の男』の夜の描写は際だっていたが、それに先行する本作も同じくよく夜が描けている。影の使い方と、そこに現れる人のシルエットの使い方が実に上手いのだ。それを徐々に力が弱っていく男の目から見ているため、最初で見せる夜の演出と、中盤の演出が全く変わって見える。 具体的には最初は夜というのはジョニーの味方で、暗闇に乗じたアクションが、そして力が弱った時、闇は孤独を象徴させるものとなる。その中で様々な人間と出会い、闇は徐々に深く、その分人の情が増していく。そして最後にキャサリンは、光をバックに、まさに希望として描かれる。影の使い方が際だった巧さとなってる。ラストの皮肉さ加減も又良し。果たしてこの終わり方は悲劇か?喜劇か?それともハッピーエンドなのか…不思議な余韻を残す作品である。 ただ、ちょっと気になるのは一応IRAの闘士が描かれてはいるが、政治的要素が全然感じられないと言う所か。最後がメロドラマになってしまうのもなあ。 |
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ミュンヘンへの夜行列車 Night Train to Munich |
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1941米アカデミー原案賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1939年。チェコでドイツのための新兵器開発を強いられていた科学者ボーマシュ教授がイギリスへと亡命した。残された娘のアンナ(ロックウッド)は収容所に入れられてしまうのだが、そこで出会ったカール(ヘンリード)という青年の協力でアンナは脱獄に成功。イギリスへと向かうが、実はカールはドイツのスパイだった。その情報を掴んだイギリス情報局はドイツに潜入中の工作員ガス(ハリソン)にボーマシュ父娘の救出を指令するのだった。徒手空拳で二人を救わねばならなくなったガスは思い切った行動に出る… 後に『邪魔者は殺せ』、『第三の男』と言ったサスペンス作の傑作を作り出し、イギリスを代表する監督の一人リード監督の名前を一気に上げることとなった出世作。 時代性から言えば、丁度第二次世界大戦が始まった直後に作られた作品なので、イギリスとドイツを完全に善悪に対比させるなど国威高揚の部分も確かに感じられるのだが、根本的にはエンターテインメントに徹していて、時代的知識なしに観ても全く遜色ない。 物語は基本的にはストレートな作品だが、前半部分で教授父娘がドイツの罠によって拘束されるまで、そして後半はハリソンが二人を救出するまでが描かれるという、見事に分割された物語となっている。見所は後半で、表題通り夜行列車の中のみで展開していく。 列車のみを舞台とする作品にもいくつか傑作と呼べる作品があり、その中でもヒッチコックの『バルカン超特急』(1938)はアクション性を上手く取り入れ、紛れもなく傑作と言える。その2年後に作られたのが本作。同じイギリスという土地柄なのか、あるいは多少参考にしたところがあるのか、『バルカン超特急』と結構似た部分も散見出来るが(クリケット好きな会話なんかはモロだけどね)、本作もかなり良い線いってる。特に狭い車内を上手く使った後半のストーリー展開はサスペンスとしても充分面白い。アクションは抑えめだとしても、緊迫した演出は後のリード監督作品にしっかり受け継がれている。所々見られるコミカルな演出も良い息継ぎ(ちょっと滑りがちとはいえ)。 ところで本作は基本は国威高揚のはずなのだが、ドイツ人を決して完全な悪人だとか、無能だとかに描いてないのも特徴的だろう。冷静なヘンリードもかなり格好良し。 物語のテンポを重要視したために設定的には多少難があるものの、サスペンス好きには是非観ていただきたい作品。 |
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