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ウルトラQ dark fantasy

ウルトラQ dark fantasy 事典

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 2004'04'06〜9'28

 ファンの熱き想いに支えられ、実に38年ぶりに再びテレビに戻ってきたウルトラQ。シリーズとしては「ウルトラQ」の完全な続編で、過去のシリーズに登場した怪獣は「かつて見たもの」として扱われている。一応主人公はいるものの、あくまで傍観者であると言う形式は変わらず。主人公は四人から三人になったが、博士の渡来がかなりぶっとんだ性格をしているため、減った感じでは無い。

主な登場人物
楠木涼 (役)遠藤久美子
 フリーカメラマン。剛一と組み、怪事件の取材を積極的に行っている。下町出身で、交友範囲は極めて広い。本作の主人公になるのかな?
坂本剛一 (役)袴田吉彦。
 総合大衆紙MINDの記者。能力は高く、ジャーナリスト魂も強いが、何事にもルーズなため、編集部の面々からはマド(窓際)と呼ばれている。怪事件に遭遇する確率が非常に高い。
渡来角之進 (役)草刈正雄
 大学教授。専門は応用物理学だが、特に超常現象について造詣が深く、剛一や涼が度々頼りにしている。お菓子作りが趣味だが、味は壊滅的だとか。
話数 タイトル コメント DVD
第1話 踊るガラゴン

  監督:八木 毅
  脚本:上原正三
 ネットを通して販売され、大人気となった知能ロボット「ガラQ」。便利さと愛くるしさのお陰で爆発的に売られるようになった。それを取材することになった坂本剛一と楠木涼の目の前に、空から巨大な隕石が降ってきた。その中から現れたのはかつて日本を襲ったガラモンとそっくりの怪獣であった…
 怪獣は隕石怪獣ガラゴン。ガラゴンは「ウルトラQ」13話および16話に登場したガラモンそっくり。ガラQの爆発的人気の中、突如現れた怪獣。無数のガラQを操っていたが、電磁遮蔽パウダーを振りかけることで電磁波を出せなくなり、自己崩壊する。
 実に38年ぶりに再登場と相成った新生「ウルトラQ」で、「ウルトラQ」の後の話として、前作を踏襲した話となっている。
 復活!の第1話。ファンにはあまり評価が高くないようだが、見事に現代風に変わっていながら、やはりウルトラQであると言う点については、一応評価して良いだろう。ウルトラQとはそもそも超自然現象に対する人間の反応が主題なんだから、怪獣は出てきても、大切なのは人間の反応の方。
 確かにちょっと物語の展開が妙に早すぎるとか、物語そのものに難がない訳じゃないけど、雰囲気だけはちゃんと保ってるし、ちゃんとメリハリもついてる。
 それに草刈正雄の渡来博士が雰囲気充分ってのが、結構嬉しいところで、ナレーションの佐野史郎、絶対こいつウルトラQの大ファンに違いない。言葉遣いとかモロ旧作を意識してる。
 現代社会でコンピュータが使えなくなったら…これは結構大変。私自身もどれほどPCに依存しているのかってのは確かにあるからなあ。便利な道具に囲まれていると、それを失うことに恐怖心を覚える人間の悲喜劇と言ったところか。
 ラスト、ガラゴンとガラQは本当に侵略者だったのだろうか?という疑問で締められるのも雰囲気良し。

VOL.1
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第2話 らくがき

  監督:服部光則
  脚本::武井 彩
 宇宙人を見たという女性が剛一の新聞社にやってきた。興味を持った剛一はその女性藤野加代子の話を聞くことにしたが、それは新興住宅地の中に書かれている落書きが宇宙人によって書かれているという内容だった…
 落書き宇宙人ジラフ星人登場。ミステリーサークルのような落書きを新興住宅地に書き込んでいた宇宙人。
 日常生活の中に徐々に浸透していく異分子。そして自分自身の体にも…という、どっちかというとホラー向きの素材。これも「ウルトラQ」っぽく仕上げられた話と言えよう。ラストもすっきりさせず、徐々に地球は侵略されているのかも?と言う含みを入れている。
 今回のゲストは宝生舞。若奥様っぽさがよく出ていた。神経症の女性がだんだん怖い思いをしていく。
<やや本作はアダルトな雰囲気を持っているが、新婚夫婦についてのきわどいジョークもでていた。>
第3話 あなた誰ですか?

  監督:金子修介
  脚本:林 民夫
 ちょっとしたことに違和感を感じ始めた理容店主山崎純は、日に日にその違和感が増していくことを客に愚痴を言い始めた。その客が死んだはずの小学校の友達ヨウイチロウだと気づいてしまった…
 金子修介監督作。日常に少しずつ潜む違和感にスポットを当てた話で、これもいかにも「ウルトラQ」っぽい感じで仕上げられている。怪獣とか出てくるのも良いけど、日常に潜む違和感とかこういう話の方がむしろそれっぽい。実は死んでいるのは自分自身だったというオチも不気味で雰囲気良い。ちゃんと科学的な話にもっていってるので、どっちかというと「怪奇大作戦」っぽい感じ。
 日常と言うなら、徐々に景気が悪くなっていき、閑散とした商店街もリアルな描写だ。
 こどもの頃にオリエンテーリングやって迷うとか、そういえば私も記憶があるな。まあ私の場合は死人が出た訳じゃないけど。
 人の記憶は脳が作り出す。それが幻想であっても、勘違いさせ続けていれば、それはそれで幸せなのかもしれない。そんな印象もあり。

VOL.2
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第4話 パズルの女

  監督:北浦嗣巳
  脚本:広田光毅
 剛一の幼なじみの望月春彦の手紙受けに入っていた手紙の内容はジグソーパズルだった。そのパズルを完成させたところ、女性の左足だけができた。そしてその翌日不意に女性の左足だけを町中で見かける。その翌日にもやはり手紙が入っており、徐々に女性の姿が完成されていく。その頃謎の自殺事件について調査を始めた剛一と涼は、被害者が全員死の直前までパズルを作っていた事を知る。
 これもどっちかというと怪奇描写が強い話で、パズルを完成に近づければ命が危ないという、「恐怖新聞」みたいな話に仕上がってる。否応なく送りつけられるパズルにノイローゼになっても、それを作りやめる事ができない恐怖を上手く演出出来ていた。
 ただ、途中から不思議な感じの恋物語に変化していくところが本作の面白いところで、なんだか着地点はリリカルな雰囲気になっていく。感情を爆発させる演出があんまりよくないけど。
<望月の部屋に鍵も開けずに入っていく剛一。恐怖におびえてる割には不用心だな。>
第5話 ヒエロニムスの下僕

  監督:八木 毅
  脚本:高橋 洋
 「ニュースキャスター、桑原真奈美を番組開始と同時に消す」という奇妙な予告がネットに掲載された。そして、それを見守るプロデューサーである夫の米田の目の前で、本当に桑原は消えてしまった…
 怪奇編というか、やはり「怪奇大作戦」っぽい話。最初から最後まで「ヒエロニムス」という人物が主題。確か古代にそう言う人物がいたと記憶していたが、そうではなく、20世紀になって疑似科学装置を作った人物らしい。知らなかったが調べて分かった。
 ただ、一応科学的な説明はされているにしても、説明がちょっといい加減だし、剛一がなんでもかんでも分かっているように喋っているので、その辺ちょっと醒める。
 久々に渡来博士が登場してるが、本当に登場してるだけで終わった。
 ドラマ性を追い求めた結果、話がちょっと暗すぎる感じがあって、本来の「ウルトラQ」とは少々異なってる感じだな。ラストもすっきりしない。

VOL.3
<A> <楽>
第6話 楽園行き

  監督:服部光則
  脚本:村井さだゆき
 真面目一筋の巽というサラリーマンが突然失踪したことを娘から告げられる剛一。巽の残した書簡から行方をたぐる剛一は、世捨て人達が集う「楽園」と呼ばれる地下の空間にたどり着く。
 ストレス社会で、逃げたいと思っている人間はいくらでもいる。そんなストレス社会にメスを入れた作品ではある。まあ、私も時々そんな事を考えることはあるが。
 でも、基本的にはこれって単なるホームレスの話でもある。駆除係をプータロー狩りに置き換えたら、ほんとうにそのまま。普通のドラマになってしまう。そう言う意味ではわざわざ本作で作る意味はほとんどない。最後に現れるネズミ取りとの抗争が唯一のSFらしさだが、そこでオチを付けないために話も展開せずに終わった。その正体とは…と言うところできちんとオチ付けて欲しかったな。
 これまでナレーションに徹していた佐野史郎が登場。
第7話 綺亞羅

  監督:金子修介
  脚本:小中千昭
 売れないジャズ・ベーシストの坂口は町で拾った謎めいた少女綺亞羅と暮らし始める。その夜から坂口は、憧れているジャズプレイヤー、バスター・カクランドの夢を見るようになっていく。そして何故かバスターの傍らには常に綺亞羅の姿があった。
 本作では二本目となる金子修介監督作品。気が弱いジャズプレイヤーを主人公にした、全編ジャズの音楽に溢れたアダルトな雰囲気を持つ話に仕上げられていて、ちょっと不思議なドラマとして観ることも出来るが、一応番組が番組だけに、一応怪獣の格好はしていないものの、怪獣との関わりというところに着地している。
 ラスト部分は夢と現実の境目が曖昧になると言ういかにも小中脚本っぽい仕上がりなのだが、そのために根本的な物語そのものまで曖昧になってしまった感じで不完全燃焼な話になってしまった。
 中心となる坂口役には野村宏伸。久々に観たな。かつて『キャバレー』でサックスやってたが、今回はベーシストをしてるのもなんか感慨深い。
<拾った女性と同棲するのはドラマの定番だけど、相手がちょっと幼すぎるため、ほぼ犯罪に思えてしまうのが問題。>

VOL.4
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第8話 ウニトローダの恩返し

  監督:北浦嗣巳
  脚本:上原正三
 涼の故郷の下町にある工作機械に原因不明の錆が繁殖する事態が発生した。調査に向かった渡来教授は、その錆が生きている事を発見する。そんなある日、鈴木徳助という男が酔っぱらって宇宙人を家に連れ帰ってしまう。
 スシ大好き遊星人ウニトローダ登場。お寿司大好きの宇宙人で、サビコングが作った錆を消し去る能力を持つ。そして宇宙怪獣サビコング。錆ともカビともつかない宇宙生物が合体して誕生した怪獣。ウニトローダの特攻により消し去られる。
 久々に怪獣が出てきているが、内容は人間と異星人の交流を描くハートウォーミングなお話。宇宙人が悪い奴という印象を一気に払拭した話で、こういう方向性もありだろう。下町の人情とか、いい加減さとかもちゃんと描かれてる。オチはつげ義春か?
 今回出てきたウニトローダーは脚本の上原正三がかつてメインライターやってた「宇宙刑事シャイダー」に出てきた珍獣みたいな感じで、デザイン的には微妙だが、妙な味がある。
 渡来教授役の草刈正雄が太鼓の音をバックに踊り回るシーンあり。妙にはまって見えるのは草刈正雄の人格か?今回はぶち切れた演技を見せてくれてとても面白い。
 今回のゲストはなぎら健壱。下町のおじさん役がはまってはいるが、なんかテンプレートな感じはあり。
<ツッコミという訳ではないけど、ウニトローダは普通の食事も出来るが、ウニやトロと言った高級寿司を好むという設定には多少無理がある。ネーミングのためだけ?
 根本的な部分になるが、下町の住民だけでサビコングを退治しなくてはいけないと言う所に説得力がない。仮にウニトローダを警察なり防衛省なりから隠す必要があるとするなら、その部分をきちんと言葉にしないといかん。>
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第9話 午前2時の誘惑

  監督:原田昌樹
  脚本:篠原高志
 剛一の勤める出版社で経理部の主任をしている大島浩子。口うるさく、社内でも煙たがられている彼女の趣味は、夜中にテレビショッピングを見ることだけだった。そんな彼女がある日、見違えるような美しい姿で出社してきた…
 コスモネット星人ヤマダ登場。宇宙でテレビショッピングやってる異星人。単なる金儲けのためにやってるため、悪意はない。
  どっちかというと、「世にも奇妙な物語」に近い話でもあり。趣味も少なく、寂しい女性に忍び寄る悪の罠…なんか2000年代になってこういう話が出来るようになってきた。そう言えば「ウルトラマンマックス」2話でも同様の話があった。でも、これ男性が脚本を書くと、ちょっと嫌味に見えなくもないな。
 ただ、このワカワカリンって、考えてみると凄い薬で、1本飲むと10歳若返る薬が5本で9800円。ある意味不老不死が50年に一回1万円程度払うだけで手に入ってしまうと言うこと。こんなお手軽だったら、命の価値が低くなってしまうと言う事も考えさせられてしまう。
<なんかセクハラ発言が多い話でもある。重度のロリコンまで出てくるし、内容としてどうだろう?>
VOL.5
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第10話 送り火

  監督:原田昌樹
  脚本:太田 愛
 深夜の病院で入院患者が変死する事件が相次いだ。事件現場で黒頭巾の男が目撃されたことから、涼は剛一を伴って取材を開始する。そんな中、涼は空腹に倒れた少年ヒタキを保護するのだが…
 テーマとして、これも現代の問題に切り込んだ話となる。医療現場の話もあるが、人が幸せに死ぬとは一体何?というところを掘り下げている。最も幸せな死とは、太田愛脚本らしい少々不気味さが残るファンタジックな物語となっている。ウルトラシリーズでは、多少異質な印象も受けるが、この幅も本作品の良さだろう。
 最も幸せな死。それは幼児期の最も幸せな記憶を与え、その幸せの中で死を迎えさせるという、一種の安楽死となっているが、ヒタキの語るところによれば、誰しも最後に行くべき場所だそうである。そうなると、それを人工的に与えると言うことは、やっぱり殺人になるのでは?と言う気もしてしまう。そしてこれを人工的に与えた場合、本来帰るべきマザーランドを失ってしまうのではないかという問いは非常に重い。ひょっとしたらこれは最悪の犯罪になるのかも知れないのだから。
<今回登場するヒタキは、本当に現代風のしゃべり方をしていて、変なリアリティがある。でも異能の一族が普通のしゃべり方してるのも不思議と言えば不思議。>
第11話 トーテムの眼

  監督:北浦嗣巳
  脚本:清水信宜
      右田昌万
 短距離走に打ち込む女子高生橘麻衣は、あこがれの先輩熊谷に振り向いて欲しいため、怪しげな店で売っていたトーテムポールを手に入れる。その頃、渡来教授の元に、知人の考古学者より「三つ眼のトーテムポールを処分してほしい」とメールが届いていた…
 軽い気持ちで占いグッズを買ってしまったために起こる悲劇を描く作品で、いわゆる“猿の手”を描く、ややホラーに偏った話。
 欲望を叶えるためには必ず代償が生じる。少女が憧れの先輩とつきあうきっかけは自分が事故に遭ってしまったことだし、お金が欲しいと願えば、母親が死んでその保険金が下りるといった具合。まさしく“猿の手”そのもの。
 ただ、夢を叶えるという禁断の果実の味を知ってしまったら、もう後戻りは出来ない。代償がどれだけ大きかろうが、突き進んでしまうという人の弱さがモロに表れた話でもある。
 そして物語としては死者を呼び出すのが二番目だった“猿の手”だったのに対し、それが三つ目だったらどうなる?というのが大きなオチになってはいる。
 最後のシーンは解釈が分かれるところだろう。これが全部夢落ちであるとすることも出来るし、あるいはこれが本物なのか。とは思わせる作りになってる。それが良かったかどうかはともかくとして。
VOL.6
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第12話 夢見る石

  監督:鶴田法男
  脚本:太田 愛
 山野洋平とマツボンが住む月崎町の近くに隕石が落下した。その日から徐々に町の様子が変わってきたことに気づく二人。夜な夜な大人達が隕石の周りに集まり、密談しているようなのだが…
 こどもから見た“大人の夢”に関する物語。こどもの眼からすると、大人には夢がないのだが、決してそんな事はない。ただ、現実の方が気持ちが集中するからに過ぎない…なんか自分自身言い訳してるみたいだけど。でも、こどもから見る大人の夢って、どこか不気味な部分があるのかも知れないとも思わせてくれる。
 大人の夢というのは、自分自身の欲望と言うより、共同体としてのものであるとした設定は面白い。この場合は強制的に夢を見せられてる訳だが、皆がこどもになりたいという欲求は結構不気味なものあり。
 隕石を破壊したら元通りという終わり方は単純かもしれないけど、30分番組だとこれで良いのかな?
<人間の欲望を叶える代わりに寄生して従わせるエイリアンだが、最も大切な隕石をああも簡単に壊されてしまった。折角寄生してるんだから、もっとやりようがあったような?>
第13話 影の侵略者

  監督:原田昌樹
  脚本:太田 愛
 家族や恋人がいつの間にか別人になってしまうと言う連絡を複数受けた剛一は調査を開始する。そんな折、剛一は劇団研究生の少女亜乃留と知り合いになり、彼女を通じて、剛一は衝撃の事実を知らされることに…
 鏡の住民の入れ替わりという、古典的ホラーSFの現代版リメイク。鏡に長く体を映していると、徐々に鏡の中の自分が実体化してしまうと言う事で、これは「ミラーマン」あたりで使っていれば良かったネタだったかも。ファンタジックで不幸なファーストコンタクトものとしてとらえることも出来る。
 鏡から生まれたコピー人間は、生まれたてのままであるため、社会的善悪の区別が付かないこどものような存在だが、それ故に人間の本性そのものを示しているのではないかと思われる。
 エゴを剥き出しにした時、人が求めるのは一体何か?という問いに、「愛されること」という答えが出されているという点は興味深く、このオチでかなりリリカルな方向性を持った話と言える。
 哲学的に面白い物語ではあるものの、少々盛り上がりに欠け、中途半端なままいつの間にか終わってしまったと言う印象なのが残念だ。
VOL.7
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第14話 李里依とリリー

  監督:鶴田法男
  脚本:高木 登
 ある街で些細なものが連続で盗まれる事件が起こった。その中である目撃証言から、「白い少女の幽霊」が現場にいたと聞いた剛一は、涼と共に事件現場に向かうのだが、そこで出会ったのは、李里依と言う名の少女だった。
 「ウルトラQ」25話の「悪魔っ子」にオマージュを捧げたと言う話。少女の名前がリリーと言い、二人に分離するというのはまさしく同じ設定。あの作品は夜の暗闇の中、線路の上を連れだって歩く二人の少女が印象的だったが、全く同じシーンが使われている。
 オリジナルとの違いは、優待分離によって誕生したリリーは李里依に戻ることはなく、やがて消滅するのを待つしかないと言う事。ちょっとやるせない話でもある。
 この話の場合、オリジナルが奇術師によるオカルティックなものだったのを科学的な考察で作られているため、オリジナル以上に「怪奇大作戦」っぽく仕上げられてもいる(劇中優待分離のために使われるアイソレーションタンクは実在するもの。その製作者はジョン・リリイという。そのためタイトルのダブルミーニングにもなっている)。作品に合ってるような、合ってないような?
第15話 光る舟

  監督:原田昌樹
  脚本:太田 愛
 仕事を失い、生きる気力を失いかけている岡田はある日茶髪の青年と出会った。老人からもらった光る舟を海に流すことが出来れば自分が生まれ変われると本気で信じるその青年に共感した岡田は、共に舟を川に流そうとするが…
 現代の世相を反映し、生きる事に不器用な二人が、一見つまらない夢に向かって努力する姿を描く。
 結局二人して生まれ変わることには失敗してしまうのだが、二人ともポジティブに生きることを選択していく。ファンタジー色は低いものの、やはり太田愛脚本は面白い。これがドッペルゲンガーなのか、青年の言うように臨死体験なのか。あるいは二人ともひょっとしたら死のうとしていたのか…結構深読みも出来る。実際あの舟が無事海に着いていたらどうなっていたか?あるいは青年の方は彼岸の彼方へと旅立っていたのかもしれない。
 今回登場するのが寺島進。こういう役って実によく似合う。山崎裕太との掛け合いも良し。
 ところで今回ほんとにちらっとしか登場しないが、涼が言ってる謎々。「空を飛べる癖に飛べないと言い張るもの」は、私もよく分からなかった。劇中では「何かやろうと口では言いながら、全く何もしようとしない人間」として、劇中の二人を暗示してるようでもある。ただ、最後にちゃんと答えが出ていたりする。答えは飛行船(ひこう・せん)(反転)だった。
VOL.8
<A> <楽>
第16話 ガラQの大逆襲

  監督:服部光則
  脚本:上原正三
 ある夏の夜。蝉の抜け殻から女性のような姿をした存在が現れた。そんな折、涼は渡来教授の研究室へと赴き、壊れたままになっているガラQの修理を頼んでいた。一部回復が直って喜んでいた矢先マンションで起きた連続盗難事件犯人の濡れ衣を着せられてしまう。更にハッキングの疑いで渡来教授までもが捕まってしまい…
 遊星人セミ女登場。1話目に出てきたガラQおよびガラゴンを操っていた異星人。
 第1話「踊るガラゴン」の続編。機能停止したガラQが再び動き出す時、何が起こるのかを描いている。久々に怪人も出てくるし、そこそこアクションも力が入っているので、いかにも特撮って感じの作品でもある。観念的ではない行動的な作品作りは結構嬉しい。タイトルも「ウルトラQ」16話「ガラモン逆襲」に対応している。
 ただ、前半の雰囲気はともかく、後半のセミ女は単なるヒステリックな底の浅い復讐者だし、ガラQにあっという間に退治されてしまうガラゴン二号とか、ちょっと拍子抜け。そもそも今回ガラゴンを繰り出したのは地球侵略とかでなく、個人的な復讐というのがなんともせせこましい。社会的に抹殺させるとか拉致して反省させるとかじゃなくてこっそり渡来教授を物理的に抹殺してしまえばなんの問題もなかったような…
 ガラゴンを直接倒したのは渡来教授だったため、セミ女は直接渡来を狙ってきた。ただ、直接と言ってもこそ泥をしてその罪をなすりつけるとか、結構せせこましい辺り微笑ましくもある。
<セミ女の指令で動いていたと思われていたガラQが、実は涼のために行動していたことが発覚するシーンがあるが、そうすると泥棒行為はなんでやったのかという疑問が残る。>
第17話 小町

  監督:八木 毅
  脚本:上原正三
 恋人もいないしがないサラリーマン若林が、ある休日なじみのラーメン屋でラーメンを啜っていると、美しいアルバイトの少女と出会う。小町というその少女に、ラーメン屋の店主は深入りするなと釘を刺されるのだが…
 大人向きのファンタジーと言う事で、いかにも素材にあった物語だが、本作にはブレイク前の堺雅人、長澤奈央(「忍風戦隊ハリケンジャー」の野乃七海役)と言った目を惹くキャラを配置しているのが本作の面白さか。堺雅人が演じるダメサラリーマンは真実に迫っているので、やっぱり演技の巧さが光ってる。
 オチは少女がロボットだったと言う事になるが、それにしては表情がありすぎるのが気になるところか。キスシーンまであるよ。
 科学に話が言及されてるのも本作の味と言えるが、「あんな良い子、今時いない」という台詞と、「こんなアンドロイドがどんどん出来るだろう」という台詞で、ちょっとした現代批判にもなってる。
<長澤奈央はアクション女優だけに、ちゃんと活劇シーンもある。わざと太股を見せる辺り、分かってらっしゃると言うか、狙いすぎというか…>
VOL.9
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第18話 後ろの正面

  監督:服部光則
  脚本:武井 彩
 ネット上にある「かごめかごめ」というサイトにアクセスした人間が次々に変死を遂げているという都市伝説があった。所轄内で相次ぐ変死事件を調査している半田刑事は、ついにそのサイトを突き止めるのだが…
 物語としては「怪奇大作戦」寄りな話で、ネット社会における怪異譚を描く。
 ネット初期の頃からこの手の作品はよく作られてきており、本話もそれに準ずる作品かと思ったのだが、ちょっと話がずれてしまった感じ。
 殺人サイト、かごめかごめ、多重人格と言ったキーワードをちりばめて話を複雑化した結果、全部中途半端にしてしまった感じだ。いかにも本作向きの素材だったかごめかごめの隠された意味とかに特化させ、それを深く追求するとかすれば良かったのに、それを活かせなかったのが問題か。
 こんな単純な仕掛けで簡単に人を殺せるという事自体にリアリティを持たせられなかったこととか、これらの一連の犯罪がこれまで全くばれてなかったって事実も、その説明がされてなかったりと、どうにも消化不良。
<かごめかごめの歌を聴くと多重人格者を呼び出すトリガーになるというのだが、だったらそんな曲聞かなければ良いだけでは?その辺の説明が説明になってない。
 二重人格が出ると、姿形が変わるとはよくあることだが、髪の色まで変わるのはやりすぎだろう。>
第19話 レンズ越しの恋

  監督:服部光則
  脚本:小林雄次
 涼の後輩で写真屋の跡継ぎの矢島忠は、カメラマンになりたくて家にあった祖父の形見のカメラを持ち出して撮影してみたが、レンズの向こう側には時代錯誤な格好をした少女の姿があった。するとカメラの中から彼女は、まるで忠を祖父であるかのように話しかけてくる。
 骨董品のカメラにまつわる話で、古い恋愛話を現代に蘇らせたハートウォーミングな話。古いものには魂が宿るとは言うが、それで人間までも再生するというのは、確かに本作っぽい感じがあり。
 戦争の時代の日本と現代の日本がタイムトンネルを通じて交流するのはSFの定番。ただ、かなり話は薄味。結局は歴史は変わらないものというオチにもっていくが、これは見え見え。もう少し捻らねば。
 本作の主人公忠役は「恐竜戦隊ジュウレンジャー」のカイ役高橋一生。
<少女に感情移入した忠は、その少女を東京大空襲から逃がすことにしたが、それってすげえ無責任な話でもある。>
VOL.10
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第20話 密やかな終焉

  監督:高橋 巌
  脚本:岡野ゆうき
 誠羽薬科大ではヒトゲノムの研究が行われていたが、突然6人もの研究員が失踪するという事件が起こった。その事を知った涼は調査を開始する。事故時の記憶がなく、ただ一人生き残っていた山瀬由美子は、その研究を再開しようとするのだが…
 科学をテーマとして、行きすぎた研究の脅威を描いた話。特にバイオテクノロジーは人間の存在そのものを研究対象とするため、こういう話を作りやすい素材でもある。
 演出もホラーっぽい感じで、新しい生物が生まれてくるシーンなんかはモロだな。
 ここで生みだそうとしている究極生物の概念は戦隊ものでの敵組織の怪人開発に通じるものがある。単体生殖ってのもそれっぽいな。
 終わり方は人類の終幕を暗示。なかなか人を食った終わり方でもある。実際こういう終わり方をする映画もいくつかあり。
 今回登場した川野役は桐島優介。「ウルトラマンネクサス」の姫矢役。
<山瀬が分裂するシーンでは服まで分裂してるんだが?ついでに言うと服ごと消え去ってしまった。ひょっとして服自体が体の一部だったのかな?>
第21話 夜霧よ、今夜も…

  監督:八木 毅
  脚本:藤川桂介
 行方不明者が続発しているという山辺の村に取材に来た剛一と涼。深い霧に囲まれて迷ってしまった涼は一軒の洋館にたどり着く。そこで涼が見たものは…
 久々の藤川脚本で送るゴシックホラー調の話。自然破壊を顧みない人間に対して鉄槌を食らわすというのは昔からの「ウルトラマン」からのテーマだが、作り方によってはこういったホラーっぽい作品にも仕上げることが出来る。ただ主題そのものが古くて、古いまま作ってしまった感はあるな。
 雰囲気そのものはかなり怖いながら、テレビであることを意識してか、わざと怖くしてないような感じもある。
 タイトルはお遊びだろうけど、「ウルトラQ」の「クモ男爵」っぽくしてるのもお遊びの一つかな?
<洋館の住民は宇宙人という設定だが、全員日本語をしゃべってるのは何故だろう?>
VOL.11
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第22話 カネゴンヌの光る径(みち)

  監督:清水 厚
  脚本:山田正弘
 小学生ハナエは、中古市でかつて父が大切にしていた壺を見つけた。硬貨一枚で無限にお金を増やすと伝えられたその壺を買ったハナエは、その夜壺に取り込まれ、カネゴンヌになってしまう。生きるためにはお金を食べなければならなくなってしまったハナエに、占い師は「汝を心底、愛する人物に会えば人間に戻れる」と言うのだが…
 かつて「ウルトラQ」で「カネゴンの繭」の脚本を書いた山田正弘自らがリメイクした、平成のカネゴン話。今回のカネゴンヌは女の子が変化したと言う事で、ピンクのラインであしらわれている。オリジナルと同じく、怪獣に変化してしまったこどもが、なんだかとても明るいのが面白いところ。それを取り巻くこども達も怖がらずに一生懸命協力してるとかの姿も良い。オチもシニカルながらちゃんとあるべき所に着地してるのも良いところ。ラストでみんながカネゴンヌになってるのも、本当になったというより、少女の目から見るならば、金の亡者となった大人はみんなカネゴンヌと同じなのだから。
 舞台は21世紀なのに、とても昭和チックな話になってる。それに合わせて今回の涼も昔風のショートカットに、トンボメガネという出で立ち。
 ハナエのお父さん役は我修院達也だった。味のある役だな。
<ハナエの家には初代ファミコンまで置いてあるのだが、同時に白黒テレビまであった。年代がバラバラ。
 カネゴンヌになってしまうと言われてしまうハナエだが、誰も見たことがないんじゃないのか?まだカネゴンの名前の方がリアリティある。>
第23話 右365度の世界
〜ALICE in the 365 degree world〜

  監督:八木 毅
  脚本:村井さだゆき
 都内に大きな虹が架かったその日、渡来教授の教え子で吉安光雄という青年が姿を消した。彼の知り合い乙村そらは彼の開発した装置を見た時から、不思議な世界へと入り込んでしまう。
 量子力学の話。人間の主体が世界を規定するという話で、いわゆるシュレディンガーの猫を解説したような話に仕上がっている。ちなみに劇中登場する猫の名前は当然のごとくシュレディンガーで、吉安光雄が作りだした機械はOZマシーンとなっている。
 人が認識する世界とは、集団が持つ共通の幻想と言うことになる。もしその幻想から外れてしまった場合、その人はこの世界に生きているとは言えなくなるとするので、かなり哲学的な話というか、ユングの概念に近い設定の感じでもあり。
 タイトルの右365度とは、観測者の脳内のイメージそのものだという。360度を超えた時、そこに新しい世界が展開するという。
 “この世界からちょっとだけずれた世界”とはまさしく「ウルトラQ」の根本的なもの。いわゆるアンバランスゾーン的世界が展開していく。まあ、訳の分からない話でもあるんだが。
 乙村そら役は前田亜季の姉前田愛(『『ガメラ3 邪神覚醒』では比良坂綾奈を演じた)。吉安青年役は「GARO」冴島鋼牙役の小西遼生(ここでは小西大樹)。
VOL.12
<A> <楽>
第24話 ヒトガタ

  監督:実相寺昭雄
  脚本:小中千昭
 かつて帝都大の真柄教授は人間の想念を物理的力場へと変換出来るという自らの理論を照明するため、作りあげた球体関節人形に思いを込めることによって、それを人としての存在を与える事に成功した。そして真柄の死後、その人形は哲学者門野によって引き取られるのだが…
 前回が物理学だったが、今回は哲学をテーマにしている。ピグマリオンの伝説をベースに、デカルトの「我思う故に我有り」が物語の骨子。最終的に、人がその命を失えば、考えることも無くなる。その時点でヒトとしての存在も失うという物語。
 実相寺昭雄久々の監督作で、とても“らしい”作風に仕上げられている作品。基本舞台劇っぽいが、隙間から覗くカメラアングルとか、いかにもって演出が冴える。科学による怪談という意味では「怪奇大作戦」っぽさもあるかな。
 ただ、物語そのものが一人言だけで展開するため、なんだか気の滅入るような話になってる。
 今回渡来教授が真柄教授の説明のために登場しているが、どっちもどっちのマッドサイエンティスト。
 門野役は「ウルトラマンネクサス」で松永要一郎を演じた堀内正美。そして真柄教授役は名優寺田農。特撮では「仮面ライダーW」の園崎琉兵衛役。
第25話

  監督:実相寺昭雄
  脚本:小中千昭
 かつて惨劇があったという噂のアトリエで撮影を行うテレビクルー。やがて彼らの周囲で次々と怪奇現象が起こっていく。
 前話「ヒトガタ」に続いて実相寺昭雄がメガフォンを取った話。受けるためには何でもやるというテレビ撮影で、本当の怪異が起こってしまうという内容。ホラー映画などでは定番の話となるが、光と闇の使い分けや鏡演出の多用がやはり実相寺らしい。
 でも物語的には迷走してる感じ。思わせぶりな台詞や演出があるが、それが活かされてるとは言えず。どんなことをしても視聴率に結びつけるテレビ局の執念を描こうとするのか、それともテレビという媒体を通じて人々に集団催眠を施そうとしているのか、さもなくば単なるホラー話なのか。それがはっきりとはしてない。それも実相寺らしいとは言えるけど。物語全体を観る限りでは『リング』っぽさはある。
 今回はレギュラーメンバーは誰も出演してない。ちなみに劇中度々登場する熊のぬいぐるみは実相寺監督の私物で、本人曰く“長男”だそうである。
VOL.13
<A> <楽>
第26話 虚無の扉

  監督:高橋巖
  脚本:小林雄次
 デジタル時代に対応すべく666メートルの高さの第二東京タワーが建設された。だがその試験放送が始まると共に人間の想像力が失われてしまうと言う事件が起こる。調査を開始した渡来教授らは、その背後に異星人の存在を嗅ぎ取る。
 電波怪人レキューム人登場。第二東京タワーの試験電波から人間の想像力を奪っていく。電波攻撃を逆手に取られた渡来教授の作戦で373メートルにまで巨大化する。
 最終回。第1話の「踊るガラゴン」に対応したような話で、これも異星人の侵略が描かれていく。「ウルトラマン」シリーズとは異なり、それらは人間の普通の生活の中に忍び込む異星人の危機というもの。宇宙人が人類を狙うのは想像力であるというのも本作らしさ。時代が進めば進むほど人間の想像力は失われていくという事を警鐘したものと考える事もできる。
 今回登場するレキューム人はオリジナルの「ウルトラQ」に登場するケムール人そのもの。渡来によればレキュームとは人間の頭の中に流れるイオンのこと。人間の想像力を司るものだそうだ。
 レキュームによって人間は想像力を得るのではなく、たとえそうでなくても人間は未来を見つめる好奇心によって想像力は作られる。好奇心を失ったレキューム人に対して人間が優位に立てるのはそこしかない。という展開に持って行くのは、いかにも本作っぽい。
 ラストで「レキューム人に想像力を奪われたらどうしよう。いいえ、そんな心配はいりません。今の人類に狙われるほどの想像力などありませんから」と言うナレーションが入るが、これは「ウルトラセブン」8話を意識してのことだろう。しかし、なんか釈然としないものがあるな。
<この放送があってからしばらく経って、まさに同じ目的で東京スカイツリーが作られたのは歴史上の皮肉とも言えるか。>