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怪奇大作戦

 1968'9'15〜1069'3'9

怪奇大作戦事典
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 本作は1968年に放映された。当時は円谷もウルトラマンシリーズが展開していたが、「ウルトラセブン」の後番組として製作されたのは「帰ってきたウルトラマン」ではなく、本作。円谷英次自身が製作を務める力の入れようで、特に人間の心理面に焦点を当てた作りは卓越しており、単なるテレビシリーズよりも、かつて映画で展開していた変身人間シリーズの後継番組とも言える。質も非常に高く、現代でも充分通用する内容。
 しかし、力が入りすぎたせいか、時として空回りの回も見受けられるし、純粋にこの後番組が無くなってしまったのが残念(強いて言うなら『世にも不思議な物語』が近いか?)。唯一の傑作テレビシリーズとして、記憶に残すべき作品…DVDもあり。

主な登場人物
的矢忠 (役)原保美。この時点で既にベテラン俳優として地位を築いていたが、実相寺監督は大変気に入ったらしく、本作の抜擢は実相寺監督によるもの。何故か実相寺監督が演出すると、コミカルになってしまうのが特徴か?
 SRI所長。元警視庁鑑識課に在籍していたが、牧の父親の事件に携わり、これは事故ではなく事件であると主張する牧に協力するため警察を辞職、SRIを設立するに至る。性格は温厚ながら、頑固なところもある。科学捜査に関しては、元鑑識官だけにヴェテランの見地から適切なアドバイスを行っている。
牧史郎 (役)岸田森。円谷作品では常連で、「帰ってきたウルトラマン」では脚本を担当することも。1982'12'28食道ガンで逝去。享年43歳。
 SRIの中心的人物。冷徹な判断力と頭脳の明晰さによって様々な怪奇現象を科学的に立証する。実はSRIは彼自身の特許によって資金面をカバーしているという設定もあり。所長である的矢の信頼も厚い。
三沢京介 (役)勝呂誉。代表作は本作。元々東宝の役者だが、本シリーズ公開時には松竹に移籍していた。
 愛称「スケさん」。SRI職員で牧と共に主公的存在だが、性格は牧とは正反対で、猪突猛進型で、思いこみも激しい。捜査は脚で行うことを旨とする古いタイプだが、その行動が事件解決の糸口になることが多い。この人がいなかったら、番組が地味になりすぎたことだろう。スポーツ万能で車好き。実質的には本作の主人公格。
野村洋 (役)松山省二。TV時代劇などで現在も活躍中。
 SRI職員だが、むしろ見習いと言った風情で牧と三沢の助手として活躍する。結構なドジっぷりも見せるが、そのコミカルな存在がシリーズの息抜きのような良い役をやっていた。牧の真似をしてか、色々と推測はするが、大概は大はずれで提案は一周されることばかり。尤も本人は全く気にしてないらしい。三沢たちからは「ノム」と言う愛称で呼ばれているが、さおりからは軽く「ノンちゃん」と呼ばれる。
小川さおり (役)小橋玲子。主にテレビのバイ・プレイヤーとして活躍。本作の出演当時はなんと高校生だったそうな。
 SRIの紅一点。的矢所長の秘書だが、実地捜査のお手伝いもするし、自身が事件に出くわすこともある。女性ならではの推理で事件解決の糸口を見いだしたこともある。みんなからは「さおりちゃん」と呼ばれるが、的矢所長だけは「さー坊」と呼んでいた。
町田大蔵 (役)小林昭二。言うまでもなく『ウルトラマン』『仮面ライダー』に二大シリーズで登場した有名人。
 警視庁の警部で、警察からSRIへの橋渡し役のような役柄を果たす。的矢所長とは「町やん・的やん」と呼び合う旧知の仲。彼の存在のお陰でSRIは警察と友好関係を保てたのだろう…しかし、あれだけ危険な武器を持つSRIの発明品をどうやってごまかしていたのだろうか?
次郎 (役)中島洋
 姓は不詳。SRIに顔パスで出入りする少年。劇中何の説明もないのだが、誰かの身内というわけでもないらしい。前半で助手のような役割を受け持っていたが、途中から姿を見せなくなる。子供が一人いると視聴者に感情移入させ安いからの起用だったと思われるが、より番組が大人向けになるにつれ、登場の必然性が無くなったのだろうか?

 

話数 タイトル コメント DVD
第1話 壁ぬけ男

  監督:飯島敏宏
  脚本:上原正三
「怪盗キングアラジン」と名乗る謎の男が犯行を次々と予告し、その通りに金品を盗むという連続強盗事件が発生。しかも現場にいた警察官の話では、アラジンは壁にめり込むようにして消えていった、というのだ。調査依頼を受けたSRIだったが、跡形も無く消えてしまうアラジンの手掛かりを掴むのに難航する。怪奇現象か、はたまたトリックか? だがSRI所長・的矢は、アラジンの人相から一人の人物を暴き出す。

 『ウルトラセブン』の後番組、そして当時の妖怪・怪奇ブームと連動して放送された『怪奇大作戦』は、当然のことながら放映枠は同じく日曜午後7時という、当然子供も観ているであろう時間帯であった。そんな状況下で、「怪獣」で勝負することなく視聴者を引き付けなければならないのだから、製作者の苦労たるや察するに余りある。第1話はその苦労が幾多の場所で伺える。
 キングアラジンという実に分かりやすい悪役を出し、さらにほんの僅かではあるが子供も登場している。一応伏線にはなっているが、話とは関係なく手品師が次々とマジックを見せるシーンも挿入されている。しかしまだSF+犯罪ドラマという構成がまだ完全に確立されておらず、全体的に硬い印象があるのだ。とはいうものの、劇中の盗みのシチュエーションに「能」を入れたり、オープニングから夜のシーンを出したりと、対象としている年齢層はかなり高い。
 そして、クライマックス……人を驚かせることに魅せられた奇術師が名声を失い、失敗したマジックがトラウマとなって、「喝采が聴こえる……」と言って箱に入ったまま水中に沈むなんて、どう考えても普通ではない。過去の名誉に囚われ、ついには世間を驚かさんとするまで心が歪む。何を盗もうが関係無いのだ。ただ、世間が自分のやったことに対し大騒ぎしてくれるのが楽しくてしょうがないのである。そんな人間が犯人なのだ。彼の妻が、現役奇術師時代からのパートナーということもあり、傍から見れば実に奇怪な行動に対し、一番の理解を示しているのもいい設定だ。「もうよろしいじゃありませんか……。」という台詞は、彼女の心情を集約しているものといえる。もっとも、その夫が過去に失敗したのと同じく、キングアラジンはトリックを暴かれた時が最後になるわけだが……。
 まだまだ完璧でない部分がありつつも、本作品のコンセプト――「現代の怪奇は心の闇」――を貫き通した製作サイドの意地を買おう。
 文責荒馬大介

 この時代に光学迷彩のことをちゃんと出した先見の明については立派の一言。
VOL.1
<A> <楽>
第2話 人喰い蛾

  監督:円谷 一
  脚本:金城哲夫
 蛾に襲われた人間が溶けて白骨化する、という事件が発生。SRIの調査により、残っていた蛾の燐粉から殺傷力の強いチラス菌という細菌が発見された。「新種の蛾の誕生」と推理する牧だが、三沢は意図的なものを感じ独自に調査を開始する。被害者の中に同じ自動車会社の研究者がいたことに疑問を抱き始めた三沢だが、その矢先、彼に何者かの魔の手が迫ってきた!
 本来、放送第1話となるべき話だったが、円谷英二から直々に特撮場面の撮り直しが命ぜられ、放送順が後になった。人間が白骨化するシーンがそれに該当するのだが、これが気色悪いこと気色悪いこと。泡まみれになった骸骨に、よく見ると皮膚の残骸が……ああ、嫌だ。第2回とはいえ、これを日曜夜7時に流すとは……。しかしこれこそ特撮の醍醐味というヤツで、おそらく何の予備知識も無く観た人は度肝を抜かれること必至。だがそれでこそ「特撮」なのだと自分は思う。なお特撮だけではなく、本編もリテイク・再編集されていることを付記しておく。
 ではあるが、完璧でないにしろコンセプトをちゃんと掴んでいた上原正三脚本による第1話と違い、ベテラン金城哲夫が手掛けた2話は「SF+犯罪ドラマ」という図式を作り上げただけで終わっている。後に金城は第3話を上原と共同執筆し、6話を単独で書き上げたが、いずれも「現代の怪奇」というものを掴みあぐねている節がある。これに関しては6話でも書こうと思うが、「怪奇」が目指したものと、金城のそれとにかなりのギャップがあったのではなかろうか。それだけは記しておこう。
 とはいうものの、犯人が日本進出を企む外国資本の手の者だった、というオチに、どこか沖縄出身の金城の心情が伺えなくもない。
 文責荒馬大介

 問題点として、蛾が標的を確実に仕留めるという確証なしに殺人が行われている事だろうか。
第3話 白い顔

  監督:飯島敏宏
  脚本:上原正三
      金城哲夫
 ライターの爆発による焼死、レーサーの事故死。一見何の繋がりのない事件だが、両者の凶器は何とレーザー光線だった。さらに、被害者は同じ女性に交際、そして求婚を申し出ていたという共通項も浮かび上がる。その渦中の女性・水上順子は、かつて大火傷を負いずっと顔を隠したままの父親・順一郎と、仲良く暮らしているという。彼女は現場で「白い顔の不気味な男を見た」というのだが、その正体は……。

 初っ端からライター暴発シーンを合成で処理するという大胆な芸当を見せ、自動車の転落、モーターボートの爆発、屋敷の焼失、父親の顔の特殊メイクと、多彩な技術をここぞとばかりに披露している。この辺は円谷プロの面目躍如といったところか。第2話と違い、円谷一の演出もようやくノッてきた感がある。
 過去に妻が自分の元から去っていったように、娘を手放したくないと願う父親。同時に、娘の幸せを願っているのだから、そこに凄まじい葛藤があったのは言うまでもない。順一郎は、妻をどれほど愛していたのだろうか? それこそ、娘の順子にかけ続けた愛情と同じ、いやそれ以上のものがあったのかもしれない。幸一郎の妻もまた、娘の順子が彼を慕うように愛していたに違いない。そして妻は、夫の素顔を自ら望んで見たが、彼女は姿を消した。それから10年たって、娘が父親の素顔を見てみたいと望むようになった。そう、あの時の妻と同じように! 彼が一番望まない別れが、愛する娘との間にも起こりかねない……。そしてついに娘に近付く男達を消していくことで、心の闇が「歪み」となって現われてしまったのだ。
 『怪奇』の中でしばしば登場する、「愛する者への思い」が屈折してそれが「歪んだ犯罪」に結びつく、という形式を堂々と描いたエピソードといえよう。ラストもなかなかシャレが利いてて良い。
 文責荒馬大介
第4話 恐怖の電話

  監督:実相寺昭雄
  脚本:佐々木守
 深夜の電話を取った滝口令子はその電話を父親に渡すが、突然甲高い音が聞こえたかと思うと、父親が炎に包まれて崩れ落ちる。その後令子と一緒に歩いていた保険外交員の水野も又突然の電話を取った途端燃え上がってしまう。甲高い音を聴いたという令子の証言から、事件を追及する牧。しかしその強引な捜査に三沢は反発する…
 岸田森演じる牧の魅力が爆発したような作品で、真理の追究のためには周囲を見ようともしない。それは時として被害者を大変苦しめる結果になったとしても。特にここでやってる事はほとんど拷問に近く、牧に心酔している三沢も流石に大反発してる。この冷徹なキャラこそ牧の魅力だ。それでも事件解決後のラストでちょっとドジ見せてるところがお茶目。
 本作は「ウルトラマン」で名コンビぶりを見せた実相寺&佐々木コンビによるもので、実相寺監督の実験的手法が遺憾なく発揮されている。可聴領域を超えた音の描写。人物アップの多用、電話局内部の細かな描写など、テレビ用にしては凄い手の込んだ物語となっている。今観てもこの描写は斬新。カー・チェイスのシーンもあったりして、見事な作品に仕上げられている。
 ところで本作のヒロインを演じている滝口令子は「ウルトラマン」のフジ隊員役の桜井浩子。髪を長くして、伏し目がちにするとまるで雰囲気が変わる。流石女優は凄いね(これでようやく監督を許すことができたとは桜井本人の言)。
 余談だが、この話のロケはとても難しかったとのこと。街頭で公衆電話を取った水野が燃え上がるシーンでは、最初に頼んだ店では、説明を聞いて「縁起でもない」と突っぱねられたし、特別タイアップという事で撮影が許可された時計店では、店内をグニャグニャにするソラリゼーション効果を多用したため、何が何だか分からなくなり、それを観た店主にカンカンに怒られたのだとか。それでも撮影を敢行する辺り、実相寺監督は自分を牧に投影したのではないか?と思えるほど。
第5話 死神の子守唄

  監督:実相寺昭雄
  脚本:佐々木守
 若い女性が路上で突然凍結死するという事件が連続して発生する。人体をこれほどまでに凍結させるためには超低温以上の冷却機能を持った装置が必要だと分析する牧。だがそこまでの極低温を生み出す機械は未だ発明されていない。3人目の犠牲者が出た所で、その現場から立ち去る女性を見た三沢は彼女を追いかけ、彼女が「死神の子守唄」というヒットソングを歌う歌手高木京子であることを突き止める。彼女が事件と何らかの関係を持つと睨んだ三沢だが…
 本作品を代表する作品を挙げろと言われると、本作を挙げる人が多いだろう。それだけのインパクトがある作品で、科学的考察、時事、哀しい結末と、見事に全てが揃ってる。実相寺アングルが遺憾なく発揮されており、ホラー的手法が見事に描写されている。
 愛する者のために殺人を犯すという本作品共通のテーマがここでも描かれる。
 話は非常に陰鬱な雰囲気で展開し、最後は妹を愛する兄が妹の命を救うために連続殺人犯になってしまい、絶望した妹が自殺するという救いようのない物語になるが、そこで歌われる「死神の子守唄」が実に暗い曲で、「十人の娘が旅に出た。滝に打たれて一人目が死んだ」…という気の滅入るような歌詞の上にアコースティックギター一本で歌われる。
 ドラマの背景にあるのは敗戦後の被爆者問題であり、こういう社会問題にコミットした作風は佐々木守脚本の実力を遺憾なく発揮した作品と言えよう。
 科学的な問題で言えば、進んだ科学力は、人を癒すのではなく、まずは人を壊してしまうという科学の限界をも示しているのだろう。結局その未完成の機械を使って、救うはずだった妹をも死んでしまう。救いようのない話になってしまった。
 ただ、本作の物語は実はそのままクリスティの「そして誰もいなくなった」が元ネタになってるわけだし、歌の通りに殺す必要性は全然無いという問題はあるのだが。
第6話 吸血地獄

  監督:円谷 一
  脚本:金城哲夫
 山本周作と浅倉ニーナの乗った車が事故を起こし、周作は生き残ったものの、ニーナは死んでしまった。だが葬儀の夜、雷のショックを受け、ニーナが吸血鬼となって蘇ってしまった。二日に一人の割で血を吸われて死んだ人間が出ると言うことで、SRIが出動したが…
 これまできちんと科学的根拠によって作られていた本作だが、ここにおいて純粋なるホラーとなった。タイトル通りではあるが。吸血鬼の娘に血を与えるため一般人が旅をするというのは、後に『僕のエリ』で使われた物語そのもの。これ又先見の明を感じさせられる話だ。
 今回はSRIの的矢が前線に出張ってきたり、ノムが吸血鬼に襲われたりもしてるが、やっぱり牧だろう。この人はどんなことがあっても科学を信じ、何らかのからくりがあるだろうと睨んで捜査してる。一方一旦吸血鬼の存在が証明された途端に適切に捜査の指示してるあたりも良い。
 この時代にはいわゆる血液銀行というものがあり、血液を得るために犯罪まがいの事件も起こっていることが物語の下敷きとなっている。時代を感じさせる描写だ。一方でヒッピー文化から、どんどん無責任になっている若者への皮肉もちらりと感じさせる。
 吸血鬼となったニーナが首筋から血を飲む描写は、「ごくごく」と喉を鳴らしている。リアルというか、これが本来の“吸血”だろう。

 この物語もラストはもの悲しいが、本来的な意味でのハッピー・エンドとも言える。異形の存在のラストはこうでなければ。
VOL.2
<A> <楽>
第7話 青い血の女

  監督:鈴木俊継
  脚本:若槻文三
 旧友の鬼島明の家を訪ねた三沢は、明の父竹彦の姿を見かける。だがその話をすると明は口を濁すのだった。その夜、明の家に泊まった三沢はナイフを持った何者かに襲われてしまう。
 数多くの名エピソードがある本作品だが、中でも最も怪奇色が強く、筆者にとってはお気に入りの作品。人形は人間を模しているくせに無機質故に怖い。アングルによって不気味な表情を見せる人形の使い方が本当に上手い。
 具体的には三沢が犯人に間違えられ、その釈明のために活動しているが、これもホラーでは定番の物語。それに科学をきちんと搦め手作るところが本作の上手いところだ。
 それに本作は妄執に取り憑かれた科学者が話の主体となるので、こういうのが大好きな私にとって、たまらない作品になっている。更に無機物が自我を持つってテーマもSFしていて実に良し。
 ほとんどが暗闇の中で物語が展開しており、カメラ主観の描写とかもホラーっぽさを強調して良し。
 この後で『パペット・マスター』と言う映画が出てきたが、この人形そっくりな武器を持った人形が出てきた。
第8話 光る通り魔

  監督:円谷 一
  脚本:上原正三
      市川森一
 夜半。光るアメーバー状の物体が人を襲い、それに触れた者が死んでしまう。それを目撃した林洋子の聞き込みにより、牧はそれを燐光人間だと推測する。
 会社の汚職事件と愛情のもつれから殺人に発展するという、刑事物では定番の話。これにホラー性を加え、『美女と液体人間』っぽく仕上げた。オリジナル部分としては犯人が死んだ人間ってのが特徴か。かなりクォリティは高く、実際この物語だったら一時間番組か劇場用にしても不思議ではない。
 阿蘇山で自殺を試みた人間が復活するのは、原初の生物にまで退化したと牧は推測している。科学者にしては随分飛躍した推測だが、こういう突飛な考えが許されるのが特撮の良いところだ。
 しかし真面目一徹で、秘められた想いも告げられない男が会社の汚職を背負わされ、死んでも死にきれずに人間外の存在にされ、最後に火で焼かれて存在を抹消されるという話は、燐光人間側からすれば救いようのない暗い話になってる。燐光人間を退治して満足そうなSRIの面々の対比が虚しい思いにさせられる。これも脚本上原正三の意地があったのかもしれない。
 今回は阿蘇でのロケも敢行しているが、火口近くまで行っている。かなり危険な撮影だったようだ。
第9話 散歩する首

  監督:小林恒夫
  脚本:若槻文三
 夜中になると事故が多発する道があった。事故を起こした人間は一様に飛んでいる生首を見かけたと証言しており、SRIでも話題になっていた。そんな時、世田谷で事故死した人の検死により、血液中にジキタリス反応があることが分かった。その二つの事件につながりがあることを発見した牧は…
 多発する交通事故死をテーマに、死んだ人間を生き返らせようというフランケンシュタインの怪物のような話に絡めた、ホラーと科学を融合させたような話になっている。最後に本当に死体が起き上がる所なんかは、夜中に見たら本気で怖いぞ。
 ここで登場する科学者峰村は新鮮な死体を手に入れるためだけに事故をわざと起こさせているが、これくらい狂った科学者が出てくれるととても嬉しい。やっぱり科学と言えばマッドに尽きる。
 この科学者の凄さは、自分の実験の成功を見届けた時、殺人容疑で引っ張られている時もけたたましく笑っているところ。マッドサイエンティストの鏡だな。
 音楽や暗闇の描写など、ホラー性たっぷりの演出も特出すべきだが、でも今回は単純に出てきただけのはずの老婆の方が怖かったりする。
<バイクのカップルがジュースを買い求めるシーンではプラッシーが登場。何かと特撮には縁のある飲み物だ。>
第10話 死を呼ぶ電波

  監督:長野 卓
  脚本:福田 純
 全国運輸の経理課長である村木秋彦が自宅で突然の変死を遂げた。死因は心臓の火傷で、調査を開始したSRIは、これを小型レーザーによるものと推測する。だが凶器はどこにも見あたらず、更にそんな小型レーザーはまだ開発されていなかった。牧は村木が死んだ時、付けっぱなしになっていたというテレビに目を付け、徹底的に分析することに。だが、犯人の魔の手は秋彦の父で全国運輸社長の剛三へと伸びていた…
 科学の力を使い、無念の内に死んだ父親の復讐を行おうとする息子の話。パターンとしては4話の「恐怖の電話」に似ているが、目に見えない電波を殺人の道具にする辺りは大変面白い設定で、現代とは比べものにならないとはいえ、この時代に既にこれだけの多量の電波が流れているという事実を踏まえ、これはむしろ現代的な出来事して捉えるべきなのかもしれない(事実「怪奇大作戦セカンド・ファイル」「ゼウスの銃爪」ではこれをもっと時代的に突っ込んだ内容に仕上げている)
 ここに出てくる復讐鬼小山内健二との対比とするためか、牧の父も実は正義感の強さのために殺されたという事実が発覚。牧の熱心さの理由の一端が垣間見えるが、では小山内と牧の違いは何だろう?と思わせてくれる深みを感じさせる部分はある。
 オープニング部分でテレビが映され、その画面に「死を呼ぶ電波」というタイトルが出て、それが画面一杯に移る。なかなか良い演出だ。
 ただ物語そのものは典型的な復讐劇になってしまい、その肝心な復讐が完遂されることなく犯人の方が自殺してしまうので、今ひとつ後味が良くない。
 それに最初のテレビから出てくる腕とレーザー銃の説明が全くなしなのもちょっと疑問。本来それが物語の肝だろうに…それやると3話の「白い顔」になってしまうから?
 これらの詰めの甘さは元々脚本家ではない福田純が脚本を書いていたためだろうか?
VOL.3
<A> <楽>
第11話 ジャガーの眼は赤い

  監督:小林恒夫
  脚本:高橋辰雄
 内藤太郎と健二兄弟がサンドイッチマンから受け取ったサングラス。そのサングラスをかけた二人の目の前にはグランドキャニオンが見えていた。その中にある洞窟に入っていった二人だが、サングラスを外した健二の前から太郎は忽然と姿を消していた。更に太郎を誘拐したという電話が家に入る。
 こどもをメインとして、幻想世界のような話が展開する、ややリリカルな雰囲気を持つ話。どっちかというと本作よりも「ウルトラQ」の方に雰囲気は近いか?どことなく江戸川乱歩調。一応科学者も出ては来ているものの、動機が即物的で作った技術で誘拐騒ぎを起こしただけなので、スケールが小さい。
 全作を通して珍しい野村が話の中心となる話でもある。野村は精神年齢が低く設定されているので、こども中心の話だと、まるでお兄さんのような感覚でつきあっているようだ。その意味では正解か?でも今回牧がほとんど出てこなかったな。
<ここでサンドイッチマンとして登場するのがウルトラセブン。円谷ならではの演出だが、なんか妙にしょぼくれている感じ。ひょっとして「ウルトラファイト」に出ているものか?>
第12話 霧の童話

  監督:飯島敏宏
  脚本:上原正三
 鬼野村という山村は落武者の亡霊騒ぎに揺れていた。「お化けは管轄外」と気にも留めなかったSRIの一同だが、三沢が現地入りしてみると、村に自動車工場の建設計画があることが判明する。そして亡霊を目撃した人間は、工場誘致賛成派の人達ばかりであることを知る。ヤギを飼う少年・ケンイチと仲良くなった三沢は、彼に事の真意を聞きだそうとするが、ケンイチは硬く口を閉ざす。そしてその日の晩、三沢も亡霊に遭遇するのだった。
 劇中に登場する蒸気機関車は当時の国鉄小海線だそうで、ロケ地もおそらくはその沿線。過去に「ウルトラセブン」でも同路線の野辺山駅を北海道に見立てており、その繋がりでの選定だろう。のどかな村の光景や雰囲気は実にいい味を出しており、小学校の子供達も本当に現地の子供を使っているのかな?
 だが、亡霊騒ぎに村の開発の賛否を絡め、きちっとした文明批判をしているのはさすが上原脚本。村に進出しようとする企業が「デトロイトモータース」という、見るからにアメリカ資本の会社を出してくるあたりもポイントだ。国内の同種企業に気を使ったのかもしれないが、戦時中大久野島にいた男が犯人という設定にしたのは、上原正三自身の戦争に対する想いが込められているのだろう。そしてまさかの結末……一応、この自然現象が起こることについて伏線は張られているが、まさかそれで終わるとは思わなかった。ラストの虚無感は全26話中でも屈指に入る。
 文責荒馬大介
第13話 氷の処刑台

  監督:安藤達己
  脚本:若槻文三
 絞殺体とショック死という変死事件の調査を開始したSRIは、首を絞められた男の首が凍傷にかかっていることを突き止める。調査を進めるSRIは、これが人間の冷凍睡眠を研究している加瀬という男の実験によるものだと推測する。だがその冷凍人間は実は7年も前に死んだ男だった…
 完全にマッド入った研究と、その研究材料にされてしまった人間の復讐劇。9話の「散歩する首」に似た話ではあるが、こちらの方が遥かに狂った雰囲気が出ていて実によろしい。こう言うのって大好きだぞ。研究に没頭する余り、人間を実験台としてそれを悪い事とも思っておらず、最後に自分の研究成果を笑いながら火にくべる…見事なほどのマッドサイエンティストだ。
 一日だけ会社をサボろうという誘いを受けたがため、冷凍人間にされた上、最後に殺されてしまうと言う被害者がひたすら憐れでもある。身に置き換えるととんでもないホラーになるな。
 科学的に言えば、宇宙旅行時代を前に冷凍睡眠の重要性が出てくる訳だが、その説得力持たせるためには、とってつけたような理由を出すのではなく、もう少し伏線に気を遣って欲しかったところでもある。
 特撮面においてだが、冷凍人間が全身から白い煙出して歩いてるシーンはかなり力入っている。これも夜というシチュエーションだから映える演出だ。
第14話 オヤスミナサイ

  監督:飯島敏宏
  脚本:藤川佳介
 牧がとある山小屋で一晩を明かそうとしたその日、彼は悪夢にうなされる。謎の男と格闘となり相手を絞殺した挙句、風呂場に沈めてしまうという夢であった。だが目が覚めると、全て夢の通りになっていた! そして風呂場には死体も……。ところが宿の主である女性・ユキは、この死体は自分がダーツの矢で誤って殺してしまった恋人・竜夫だと主張する。しかし、死体はどう見ても絞殺されたもの。果たして、真犯人は誰なのだろうか?
 用いられている科学というのが決して非現実でない、というより実際にありそうなものなモノだというのがミソである。話の展開も『怪奇』全話を通しで見た場合、かなり犯罪ミステリーのような印象を受けた。
 開始早々から竜夫とユキの仲むつまじい様子が淡々と描かれており、観ているこちらが恥ずかしくなってくる。が、このシーンは決して浮いてはいない。問題なのは、それだけ二人が愛し合っていた、ということなのだ。その恋人同士の愛を利用して、竜夫は人殺しという罪を犯した。彼の計算通り事が進めば、間違い無く他の誰かが犯人になっていただろう。ところがこの策略は、皮肉にもユキが竜夫を純粋に愛していたことによって砕かれるのだ。良いことといえば良いことだが、余りにも悲し過ぎる話ではないか。
 ラストシーン。一人、山小屋から去っていくユキ。そんな彼女の横に車が止まる。おそらく野村か三沢が運転していたのを、牧が「止めてくれ」と言ったのかもしれない。乗るユキ。走り去る車。オープニングの二人のシーンとは全く対を成しているこの寂しさ。何とも、無常である……。
 文責荒馬大介
VOL.4
<A> <楽>
第15話 24年目の復讐

  監督:鈴木俊継
  脚本:上原正三
 横須賀港で米兵が次々と海に引き込まれて死亡するという事件が起こる。その内の一人の恋人吉村千恵子は“黒い人間”が彼を海に引きずり込んだと言うのだが、警察は千恵子を犯人と睨んでいた。
 脚本家上原正三の思いが詰まったような作品。沖縄出身の上原は、事ある毎にアメリカナイズされた日本という国を描く事で、今の日本の問題点を突きつけていたが、今回はそのものである米兵の殺人事件を追う話になっている。
 連続米兵殺人事件は、なんと旧日本軍の残党によるもの。23年もかけて復讐をしてる男とは、なんとも恐ろしい執念ではある。話自体はかなり荒唐無稽なものなのだが、それ以上に牧の執念の凄まじさが表れてもいる。
 牧の捜査のためには自分を含めて何者も犠牲にして構わないという一種狂気じみた行動が伴うが、それがこの話の面白さになっている。水棲人間の存在を調べたり、危険なのが分かっていながら三沢を海に潜らせたり、殴られ続け、鼻血だらけになりつつ捜査を続ける姿とか、とにかく格好悪くて格好良い牧という存在を見事に表していた。牧には千恵子という名の姉がいたそうだ。戦争でアメリカ機の機銃掃射によって殺されたという。終戦直前の出来事。
 夕焼け小焼けのメロディの流れる中、少年時代の牧が姉の殺されるのを見つめているシーンは見事なモンタージュ技法になっている。
 ラストはいつも通りノムのボケでみんなが大笑いして終わるが、物語が物語だけになんかとても後味が悪い。それも脚本の狙いなのかも知れない。
 ちなみに猿島は本当に旧海軍の施設のあった島。「仮面ライダー」でもゲルショッカー基地として出てきた。
第16話 かまいたち

  監督:長野卓
  脚本:上原正三
 街中にある小さな橋の上で、女性のバラバラ殺人事件が発生。その状況や手口やから、鋭利な刃物で切断しここにばら撒いた、とする町田警部だったが、牧にはそれが解せないでいた。数日後、全く同じ手口の事件が同じ場所で発生してしまう。SRI所長の的矢は、意図的に作り出した「かまいたち」によるものと推測するが、ではなぜこんなことを? 牧は、2つの事件の捜査中に、フト気になった一人の青年の調査を始めるのだが……。
 このエピソードを始めて観た時の感想は「これ、今だよ!」。昨今のニュースで“通り魔殺人事件”という文字が浮かぶたびに、ついこのエピソードを思い浮かべてしまう。この手の事件が発生し犯人が逮捕されると、ワイドショーはこぞってその犯人像を追いかける。そして度々、こんな証言が飛び出す。「真面目な奴でした」「おとなしかったですね」……。いや、本人の生い立ちや状況に関係無く、無差別殺人というものは絶対に許されるものではない。だがいつも疑問に思うのは、なぜそんな突発的に、個人的にむしゃくしゃしている等という理由で、簡単に人を殺せるのか。怨恨とかそんな理由もなしに、人間というのは他人の命を落とすことが可能だという事実。これを「心の闇」と呼ばずして何を闇だというのか。本作の犯人もまた、餌に喰らいつくアロワナに反応するという態度こそ見せたものの(そこに狂気を感じたのは彼を追っていた牧だけだ)、普通に工場で働き、友達と遊び、そば屋で飯を済ませるという、どこにでもいる普通の青年だ。社会や他人に対して、恨みを持っていた様子も無く、そんな痕跡も無いどこにでもいる男なのだ。だからこそ牧は問う。「どうして……?」。
 「かまいたち」のような事件が現実に起こるのは稀だろうが、それでも見て御覧なさい。赤の他人や血縁に関係なく、余りにも突発的な理由で殺人を犯すパターンが増えてるような気がしませんか? “かまいたち”は、決して他人事ではないのだ。
 文責荒馬大介
第17話 幻の死神

  監督:仲木繁夫
  脚本:田辺虎男
 瀬戸内を航行中の遊覧船にいた人々が、海面が突然光り出したかと思うと、無数の手が現れ、更にドクロの顔をした亡霊を目撃する。その頃、来日中の女優バーバラが着用していたネックレスが突然消失してしまうと言う事件をSRIが調査していた。バーバラを写した写真には、ネックレスを外す白い手が映し出されていたのだ。この二つの事件には関わりがあると睨んだ三沢と的矢は瀬戸内へと向かう。
 ホラー要素を科学的に解明していくという本作の特徴的な話。国際的な窃盗団による大がかりな設備によってなされたというオチがついた。
 しかし何より本話の肝はそう言う科学的な調査ではなく、海から現れる女官姿のドクロの演出だろう。この部分は幼少時に観たらトラウマを起こしそうな怖さがある。
 ただ、風呂敷広げすぎたか、国際窃盗団が敵という設定が上手くいかされてないのが残念なところ。大がかりな怪談話を作ったのは良いけど、それがあんまり説得力持たない。
 今回ノムの髪型が変わり、ぴっちりした七三分けになってる。はっきり言って全然似合ってない(パーフェクトライト持ってきた時はいつもの髪型だった)。又、スケさんが「浜辺の歌」を熱唱するシーンもあるが、勝呂誉は歌手でもあり、実に良い喉をしている。
第18話 死者がささやく

  監督:仲木繁夫
  脚本:若槻文三
 田原という男は伊豆での新婚旅行の最中に、下沢警部補と名乗る亡霊に悩まされていた。だがまもなく、彼は本当に殺人容疑で逮捕されてしまう。現場から検出された指紋が、彼のそれと一致したというのだ。しかし田原には全く身に覚えが無い。それでもその亡霊は彼の行く先々で付きまとってくる。田原の訴えを聞いたS.R.Iは、彼のいる伊豆へと向かう。どうやら下沢警部補というのは、ある地下組織を追っていたらしいのだが……。
 今回は「自分の指紋が他人と同じであることは絶対に無い」という概念を利用した、巧妙な犯罪といえる。科学捜査も一歩間違うと、無関係の人間を冤罪にさせてしまう危険性が十分にあるのだ。指紋はともかく、DNA鑑定などもそうだ。果たして、これらは100%絶対の信頼性があると言い切れるだろうか?
 結局田原は冤罪と分かり、愛する妻の元へ戻ることが出来た。ところが、もう聞こえることの無い亡霊の声を彼はまたも耳にした。その音源は、新妻のコンパクトの中だった! 真相を知り、唖然とする田原。夫を振り切り、車で逃げ出す妻。だが走り出した直後、銃声が響く。息絶えた愛する妻を、田原はやさしく抱きかかえた……。
 「愛する人が犯罪者」というパターンは第十四話「オヤスミナサイ」と同じだが、この差は何か? 男と女の、愛情の現われ方の差、とでも言うべきか。
 文責荒馬大介
VOL.5
<A> <楽>
第19話 こうもり男

  監督:安藤達己
  脚本:上原正三
 的矢所長の長男の誕生日のプレゼントを用意していたSRIの面々が帰ろうとした時に突如コウモリの群れが襲いかかってきた。そしてコウモリが去った後、「119」と書かれた謎のメモが残されていた。そして翌日「こうもり男」を名乗る人物から脅迫状がSRIに送られてくる。
 SRI所長でありながら、部下に見せ場を取られてばかりの的矢が中心となった話。所長は昔警視庁の鑑識課にいた事がここではっきりと語られる。又家族構成も描かれ、子煩悩なところがあったりと、意外な一面も知られる。
 科学的な話とはやや離れ、普通の刑事ドラマっぽくなってしまったために地味な印象を与える話ではあるが、人物を深めるためには大切な話でもある。犯人が意外な知能犯なので、頭脳戦が展開していく。
 その中で的矢が死んでしまう?というショッキングな内容もあり。何度となく命を奪える機会をわざと逃して精神的に追いつめようとする犯人の姿もなかなか面白かったりする。
 尺が短すぎたため終わり方が唐突すぎたのがちょっと寂しいか。珍しく最後の歌の部分で結末が描かれることになるが、結果として的矢が岩井を殺してしまったことを暗示してる。この終わり方で良かったんだろうか?
 的矢所長の息子は戦闘機や戦車のプラモデルが好きだとか。それを組み立てつつ、「近頃のこどもは戦争の恐ろしさを知らん」と言っている的矢所長の姿がある。この辺の皮肉が上原脚本らしさだな。
第20話 殺人回路

  監督:福田 純
  脚本:市川森一
 初代社長が亡くなり、二代目社長清一郎が就任した神谷商事。初代社長の死に不審な点があることからSRIは調査を開始する。社員の話では社長室に女の幽霊が出たと言うのだが…
 コンピュータ犯罪を予見したような話で、人間の命令を聞くはずのコンピュータに逆に支配されてしまう人間模様を描く。殺人よりも、コンピュータ導入によってどんどん非人間性を高めていく会社の姿を浮き彫りにしたような話になってる。
 一応前回に続き的矢が話の中心になってるが、むしろ今回は全員が活躍した話になってる。全く見たことのないプログラムをいとも簡単にこなしてしまうSRIの面々の技術力が高すぎるのが難点だが。
 なんでもこの話は元々市川森一の書いたものを監督の福田純が大幅に改訂したものらしい。あまり話が深まらなかったのはそのせいかな?
 今回は配役が豪華。神谷清五郎役に「ミラーマン」の御手洗博士役の宇佐美淳也。その息子の清一郎役に平田昭彦。マッドサイエンティスト役がやたらと似合う人だ。
 絵から抜け出るダイアナはホログラフィとのことだが、投射機材が全く無いところを歩いているのは変と言えば変。
第21話 美女と花粉

  監督:長野 卓
  脚本:石堂淑朗
 平和な日々が続いており、SRIの面々も暇をもてあましていた。そんな時、喫茶店に入った牧とさおりは、店の中で若い女性が突然皮膚を黒く変色させて死亡するのを目撃してしまう。おしぼりに原因があると見た牧は早速それを分析したところ、そこからは正体不明の有機物の粉を検出する。更に同様の事件が次々と起こっていく。牧は事件現場の喫茶店でおしぼりを使わなかった3人の人物をリストアップするのだが…
 本作は脚本家石堂淑朗が円谷プロにて最初に手がけた作品。女性の情念が主題の話となる。ラストで牧が「美しい観念は必ずその裏に残酷な何かを持っている」というのが主題であろう。美しい女性が、自分の身を傷つけられた事を恨みに思い、無差別殺人をしていくというのは、今の時代にも通じる問題を含んでいるだろう。
 様々な時事的な問題も内包してるのも特徴。「現代は男でもマニキュアくらい当たり前」というのは、この時代でも珍しい事じゃなかったのかな?
 ところでなんで体が傷つけられたからと言って、無差別殺人に走るのかの動機が今ひとつ不充分じゃないのかな?それだったら自分を傷つけた人間を狙うべきだろうに。それとマニキュアに反応し、生物の皮膚を真っ黒にしてしまうと言う花粉だが、科学的な根拠は何も言ってなかった。多分皮膚呼吸を止めてしまったと言う事になるのだと思う。
 牧が意外にも甘党であることが分かった。さおりと一緒に行った喫茶店でお汁粉3杯を頼み、「私のため?」と聞いたさおりに対し、「僕が2杯食べるんだ」と言い切ってた。
第22話 果てしなき暴走

  監督:鈴木俊継
  脚本:市川森一
 深夜の高速道路で多発する謎の事故。それを調査するSRIだが、三沢の乗っていたSRI専用車のトータスが盗まれてしまった。更に車を盗んだフーテン二人組が人身事故を起こしてしまい…
 既に来てしまっていた車社会の中で、次々に起こる事故をモティーフにした話。都内だけでこれだけある車が一斉に暴走を始めたらどうなるか?これは確実に文明の崩壊となってしまう。折しも70年代のヒッピー時代にあって、暴走が格好良いような風潮もあり、それを皮肉った感じがある。ただ物語はややまとまりに欠くところがあり、更に真犯人も分からずじまいで後味も悪い。解決できない事自体が車社会への皮肉とも言えるんだが。
 神経をやられると視界が真っ赤になり、黒目部分まで赤くなるという描写は狂気を演出してるようでなかなか上手い演出。
 事故をモティーフにした話では「ウルトラマン」20話の「恐怖のルート87」や「ウルトラマンA」の「東京大混乱!狂った信号」などで使われている(全部脚本家は違う)。かなり円谷としても深刻に考えていることが分かる。
 自分の車を盗まれ、挙げ句の果てに人身事故を起こされたとあって、三沢が本気で怒っている姿が見られる。
 給油中に車を盗まれるというのは確かにキーを付けっぱなしにした三沢が悪いが、GS側にも大きな問題がある。
VOL.6
<A> <楽>
第23話 呪いの壺

  監督:実相寺昭雄
  脚本:石堂淑朗
 視神経が破壊されて死んでしまうと言う謎の連続死亡事件が発生し、SRIは調査に乗り出す。そんな彼らの前に日野を名乗る男が現れ、死んだ人間がみんな自分の店のお得意様だと語る。主人の市井と日野の間に険悪な空気を感じた牧と三沢は野村に店の調査を命じる。
 後の「京都買います」同様京都を舞台とした話。時折鳴らされる寺の鐘の音がいかにも古都っぽさを強調している。話も古物商にまつわるしきたりや人間関係を強調したもので、どろどろした人間関係が展開される。実相寺監督が楽しんで作ってる雰囲気が出ていて、大変雰囲気がいい。珍しく牧が激昂して壺を叩き割るシーンなんかも見所で、古都の町並みを利用した追跡シーンや、静と動の対比が素晴らしい。
 オープニングから目を焼かれて死亡すると言う怪奇風味たっぷりなショッキングなシーンから始まるが、ちゃんと科学に落としてるところが本作らしい。ある意味この作品を代表する一本でもある。
 本作で特筆すべきはラストの寺の炎上シーン。炎にまかれ、瓦の一枚一枚が崩れ落ちるところまで描写されていた。あまりのリアルさに、本作を観たモデルの寺の檀家の人が寺に電話をかけたとも言う。
第24話 狂鬼人間

  監督:満田かずほ
  脚本:山浦弘靖
 かつての恋人を刺殺しながらも心神喪失者と診断され無罪となった女性が、ほんの数ヶ月で回復し娑婆へと戻っていた。その後も似たような事件が立て続けに発生、精神異常なら全て許されるという現実に町田警部は怒りを隠せない。そんな中先の女性がまたも殺人を犯すが、今度は精神状態に何の異常も無し。取調べの結果“狂わせ屋”とでも呼ぶべき人物がいると判明する。その実態を探るべく、牧は身柄を偽って“狂わせ屋”への接近を試みる。実は“狂わせ屋”もまた、心神喪失者が無罪となる現実に怒りを覚えていたのだった……。
 もはや説明不要の作品。現在では放送禁止かつ欠番とされているが、20年前にバンダイビジュアルからリリースされたビデオには「地上波では放送不可能」という説明がありながらもきちんと収録されていた。某12話のようにどこかで問題になった作品ではないのだが、円谷のイメージを悪くさせないために自主規制したかのような気があり、どうにも腹立たしく感じるのも確か。封印したくなる気持ちも分からなくは無いが、作品本来の持つ「現代の怪奇」というコンセプトからすれば、21世紀の現在において間違いなく一番現実に近い問題が描かれている。
 心神喪失者は罪に問われない、という理論は日本に限った話ではなく世界でも同様で、今後も変わることは無いだろうが、逆を言えば“心神喪失状態にあった”としてしまえば誰でも無罪になってしまう。果たしてこの理屈は、遵守すべきものなのか。狂人によって命を落とした被害者側の想いはどうなるのか? そんな疑問をストレートに吐き出しており、他作品と比べて衝撃度が高すぎるゆえに無きものとされているのが実に残念でならない。
 最後に、牧さんがキ○ガイにされて拳銃持って大暴れすることでも有名な回だが、個人的には日本刀持って高利貸しを襲った大村千吉を推薦したい。何たって、この回に登場した狂人の中でも一番狂ってると思えるくらいだから。
 文責荒馬大介

 刑法39条「心神喪失者は罪を着せることが出来ない」と言うテーマを掘り下げた話で、後に森田芳光監督により『刑法39』という題で映画にもなっている。このテーマはあまりに重いため、テレビでやるのは少々荷が勝ちすぎた感じがある。牧が狂気に陥るシーンもあるが、これも放映は不可。岸田森は映画ではこういう役を得意としてただけに、見事なはまり具合なんだが。
第25話 京都買います

  監督:実相寺昭雄
  脚本:佐々木守
 京都の寺院から仏像が次々に消失していく。牧は仏像の研究家で考古学の権威である藤森に話を聞きに京都にやってきた。藤森の研究室で助手の須藤美弥子を見かけた牧は、彼女に惹かれるものを感じるが、その夜、その美弥子が「京都売ってください」と言っているのを聞く…
 本作の最高傑作と言われている話で、「怪奇」というよりは濃密な人間ドラマが見所。なにより牧役の岸田森が鬼気迫る演技を見せてくれている。いつも冷静沈着な牧がやや激昂したような叫び声を上げたり、逃げる女性に追いすがり、その手を取るとかの描写があるが、全部感情を抑えて演じている。言葉を越えたところの演技が見事(一度さおりに「恋をしてる」と言われて「うるさい」と怒鳴ってるシーンもあるが)。
 23話「呪いの壺」に続き、京都を舞台にした話で、現代的に変質してしまった町の様子を嘆きながら、古き良き京都のたたずまいを美しく撮ろうという意識に溢れている…まあ、実相寺演出だけに、接写とか妙なアングルがやたら出てくるのだが。
 京都の町を売ってくれ。と言う訴えに対し、簡単に「売るぜ」と答えてしまう若者達。この辺の対比がとても面白い。
 一応ちゃんと本作の趣旨に添って、電送装置がオチに付けられるが、それよりもやっぱり風景と人間を観る作品と言えるだろう。
 ラストシーン、牧の前に尼僧姿の美弥子が現れ、その直後美弥子が仏像になってしまうと言うシーンは哲学的でもあり。
 実質的な最終回と言っても良いだろう。
VOL.6
<A> <楽>
第26話 ゆきおんな

  監督:飯島敏宏
  脚本:藤川佳介
 さおりの親友の井上秋子の元に差出人不明の那須温泉の招待状が届く。これがひょっとしたら行方不明の父からのものではないかと思い、さおりと共に指定されたホテルへと向かった。SRIのメンバーも湯治を兼ね、変装してホテルへと潜入。だが二人の泊まっている部屋にはいくつもの怪奇事件が起こる。
 最終回。だが、残念ながら有終の美を飾ったとは言い難い。なんせこれまでの話の中で一番科学とは無縁の話になってしまったから。この話はそのまんま怪談。一応説明は付けられるとは言え、最後まで雪女の正体が分からないままってのも不完全燃焼。
 その中でトピックは雪女の出現シーンの合成で、かなり良く出来ている。それに作品のテーマの一つである人間の業の深さをしっかり演出もしてるので、ドラマとしては楽しめる話にはなっている。こんな事件にSRIと町やんが全員出動って、大げさだと思ったら、本物の事件だったという展開も面白い。
 雪女がお母さんだったかもしれないという展開は、「ウルトラマン」の「まぼろしの雪山」にも通じる設定だ。