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| 年代 | |||||||||
| 2024 | ツイスターズ 監督 | ||||||||
| 2023 |
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| 2022 | |||||||||
| 2021 | |||||||||
| 2020 | ミナリ 監督・脚本 | ||||||||
| 2019 | |||||||||
| 2018 | |||||||||
| 2017 | |||||||||
| 2016 | |||||||||
| 2015 | |||||||||
| 2014 | |||||||||
| 2013 | |||||||||
| 2012 | アビゲイル・ハーム 監督・脚本 | ||||||||
| 2011 | |||||||||
| 2010 | ラッキー・ライフ 監督・製作・脚本 | ||||||||
| 2009 | |||||||||
| 2008 | |||||||||
| 2007 | ムニュランガボ 監督・製作・脚本 | ||||||||
| 2006 | |||||||||
| 2005 | |||||||||
| 2004 | |||||||||
| 2003 | |||||||||
| 2002 | |||||||||
| 2001 | |||||||||
| 2000 | |||||||||
| 1999 | |||||||||
| 1998 | |||||||||
| 1997 | |||||||||
| 1996 | |||||||||
| 1995 | |||||||||
| 1994 | |||||||||
| 1993 | |||||||||
| 1992 | |||||||||
| 1991 | |||||||||
| 1990 | |||||||||
| 1989 | |||||||||
| 1988 | |||||||||
| 1987 | |||||||||
| 1986 | |||||||||
| 1985 | |||||||||
| 1984 | |||||||||
| 1983 | |||||||||
| 1982 | |||||||||
| 1981 | |||||||||
| 1980 | |||||||||
| 1979 | |||||||||
| 1978 | 10'19 コロラド州デンバーで誕生 | ||||||||
| ツイスターズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| かつて故郷のオクラホマで仲間達とともに竜巻の威力を弱める実験をしていたケイト・カーター(エドガー=ジョーンズ)は、思いもしない巨大竜巻に遭遇してほとんどの仲間を竜巻に吸い込まれてしまった。その後気象予報士となり、ニューヨークで自然災害の発生を予測する仕事をしてたのだが、かつての仲間の生き残りハビ(ラモス)からの頼みでオクラホマで竜巻対策にあたる彼のチームに躊躇いつつも合流することになった。現地に行くと、竜巻チェイサーとして人気の映像発信者タイラー・オーウェンズ(パウエル)と競争するように竜巻を追いかける羽目に陥る。当初単なる命知らずで有名になりたがりとばかり思っていたタイラーのチームが真剣に竜巻に向かい合ってることを知っていく。 かつてヤン・デ・ボン監督によって作られた『ツイスター』(1996)の約30年ぶりの続編。ストーリーとしては概ねオリジナルを踏襲している上に前作とキャラの関わりもないので、むしろリブート作品と言った方が良かろう。 監督は『ミナリ』で強烈な印象を与えた韓国にルーツを持つチョン監督で、最初それを知った時は、全く違った毛色の作品をどう作るのかと思ったのだが、それは杞憂だった。本当に巧く作られている。 リブートなのでメインの物語は『ツイスター』を踏襲してる部分もあって流れも似ている。だが格段に面白い。 その理由を考えてみると、キャラクター造形の巧さが際立っている点だろう。確かに『ミナリ』の良さはキャラの良さだったが、本作で監督がちゃんと人の個性を把握していることが分かった。この作品のキャラは皆とても上手く複雑な人格を表している。 主人公のケイトの若き頃は天才そのものでとても熱い心を持った人物で、身勝手ながら自分自身を肯定しまくっていた。 だが自分の勝手な思い込み故に仲間の命を奪ってしまったために鼻っ柱を折られて深く責任を感じた。それ故にそれ以降の人生は自らを律し、自分を表に出さずに、組織の中でこぢんまりと自分の才能を使って行ければ良いと思うようになった。 そんな彼女がタイラーと出会った時、そこに本当に自分がやりたかったことをやってる人間がいることが分かってしまう。しかも自分が同じ立場ならば、タイラーを越える能力を発揮できることが分かってしまう。そこで彼女の心は葛藤を起こすようになる。そこで精神を落ち着かせるためにタイラーとは距離を置こうとするのだが、タイラーの方がそれを許さずにぐいぐいと迫ってくる。更に竜巻災害を共に潜ることで、ついに彼女の心は覚醒していく。 そして覚醒したケイトは誰にも止められず、自ら竜巻に立ち向かっていく。 一人の人間が長い停滞とトラウマを越えて本来の自分自身を取り戻すというストーリー展開は月並みなのだが、それだけに正しいやり方だ。本作はそれだけでなく、はっきり敵に立ち向かうという明確な目的を設定するので、極めて興奮するし、心が燃える。構成としては『ハスラー』(1961)だが、これをヒーローものと考えるなら『スーパーマン II 冒険篇』(1981)と同じ。 作り方がヒーローの誕生そのものなんだよ。しかも全て理詰めでそこまで持っていきかたが。とにかく上手い。 彼女を引き立たせるために脇の人間の造形もしっかり作られてる。ケイトが複雑な分、キャラ造形は多少単純になるが、それぞれが腹に隠した本音を少しずつ明かしていき、最後はケイトをちゃんと支える存在になっていくというのも、仲間と友に成長する燃える展開だ。 とにかく観ていて心地よかったし、『ツイスター』で感じていた不満点は見事に解消されていたので本作は推せる。 それよりこれだけ完璧にヒーローもののフォーマットが出来てるのだから、これを手本にして欲しいもんだ。 ところで本作にはもう一つ思い入れがある。 『ツイスター』が公開された1996年。この時東京で仕事をしていたが、仕事の研修で二週間ほどたまたま地方都市にいて、一日休みをもらったとき、街を観光してから映画館に入った。そこで観たのが『ツイスター』だった。 それから約30年が経過し、何と転勤でその同じ都市へと赴任した。まさしく今年転勤した場所で(映画館は違っているが)、同じ『ツイスター』を観ている。不思議な感覚だった。それだけに本作は絶対に観なければならないと思っていたし、それがこんなに面白くなったことが何より嬉しい。 |
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| ミナリ Minari |
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| 2020米アカデミー作品賞、主演男優賞(ユァン)、監督賞、脚本賞作曲賞 2020英アカデミー助演女優賞(ユン・ヨジュン)、助演男優賞(アラン・キム)、監督賞、作曲賞、キャスティング賞 |
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| アメリカでの成功を夢見て移民してきたジェイコブ(ユァン)とモニカ(イェリ)。サンフランシスコの養鶏場で働いてまとまった金を得たジェイコブはアーカンソー州の田舎に土地を買い、そこで農業で一旗揚げようとする。夫婦で働くため、アンとデビッドという二人の子どもの面倒を看てもらうため、モニカの母スンジャ(ヨジュン)を韓国から呼んで一家五人での生活が始まった。 今年のアメリカアカデミーでは本命として『ノマドランド』(2020)があり、その対抗馬として本作があったが、この二作品はどちらも東洋系の監督によるもの。『ノマドランド』が中国出身の女性監督であり、本作は在米韓国人である。ただし形は全く違う。『ノマドランド』が今のアメリカについて描いていたのに対して、本作はまさに監督のルーツそのものである。1978年生まれの監督はこの映画の舞台ではまだ10代にも至らない子ども。実はこの作品に登場するジェイコブとモニカの息子デビッドこそ監督本人の幼い頃の姿である。 そう考えると、この作品の類似が見えてくる。これは往年のテレビドラマ「大草原の小さな家」とほぼ同じ形のものであり、更に言うとキュアロン監督の『ROMA ローマ』(2018)とも共通してる部分がある。監督が体験しているからこそフィクションでもリアリティを感じさせるし、80年代のアメリカがどんな国だったのかも少し見えてくる。 実際、本作は80年代の韓国系移民が当時味わっている状況を見させるので、資料としても参考にもなる。 80年代は日本ではバブルが始まって、折しもタイミング悪く不況となっていたアメリカの物件が次々日系企業に買われていき、アメリカとしてはアイデンティティの問題に曝されていた。いわゆるアメリカンドリームも古くからのものからだいぶ変質しており、移民の成功者というのは単に金儲けだけが目的ではなく、自らのアイデンティティを実現することが求められるようになった(こう言っちゃ何だが、当時エコノミックアニマルと言われた日本は反面教師だった訳だ)。 本作の主人公ジェイコブの言動にそれが色濃く表れている。彼は皆から一目置かれるヒヨコ選定のプロである。ヒヨコ選定なんて大して金にはならないものの、家族を食べさせるくらいの稼ぎは持っているし、共働きしていればそれなりに蓄えも出来るだろう。しかしそれでは真の成功者にはなれないことを自覚している。彼が農業で成功者になるためには、アメリカにいる同胞達韓国人のために故郷の食べ物の提供者となることで初めて成功したと言える。 生きるのに必死なのに、そこまでやるのは相当きついが、きついからこそそれを行おうとする、ある意味意識が高い人物こそがジェイコブだった。生きている限り足跡を残さねばならないという使命感を持つ人物と言っても良い。彼は儲けと両立する形でアメリカに住む韓国人達のために働こうとしたのだ。 いわゆるアメリカンドリームとは、そう言う人間にこそ門戸を開くのだが、一方では大部分はドリームを掴む前に力尽きてしまう訳で、残念ながらその大部分の中に入ってしまうことを映画を通して描かれていく。 そんな意識高い父親に振り回されるのはやはり家族で、上ばかり向いてる父親は下にいる子どもを見ることがない。割を食うのが母親で、とても一人でそれを受け止めることが出来ないために韓国から母親を呼び、彼女に孫を看てもらうことにした。 これによって三世代の同居生活が始まるのだが、これが不思議な魅力を醸す。このおばあちゃんは孫を愛しているものの、かなり身勝手で、更に自分の常識を孫に押しつける人物だった。彼女は韓国で生まれ育った人なので、韓国で持っている常識のまま孫に接する。一方の孫の方はアメリカ生まれということもあって、常識そのものが全く違うため、おばあちゃんの言うことが聞けずに反発するばかりとなる。この辺りは古くからある世代間のギャップで、反発と歩み寄りを繰り返すことで互いを認め合っていく定番の物語展開となっていく。ここで韓国社会の常識とアメリカの常識が家庭の中でコミカルさとペーソスさを合わせてすりあわされているのが面白い。子ども達はアメリカ人として生きながら、自分のアイデンティティの一部は確かに韓国にある事を確認していくことになる。おばあちゃんが韓国から持ってきて植えたセリ(ミナリ)が世代だけでなく文化をつなぐキーアイテムになっている。 ここにおいて、本作は単なる一家の物語ではなく、在米韓国人のアイデンティティというものが大変強調されたものとして本作は考えられる。 このような物語はもっと作られて然るべきだ。今こそ日本人監督にこういう作品を作って欲しいと切実に思う。この視点で描いてくれたチョン監督には素直に拍手を送りたい。 |
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