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ケヴィン・コストナー―ハリウッドの新しき帝王(書籍) |
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1999 | ||
1998 | ポストマン | |
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ダンス・ウィズ・ウルブズ 監督・製作・脚本▲ | |
リベンジ 製作総指揮・出演 | ||
1989 | フィールド・オブ・ドリームス 出演 | |
1988 | さよならゲーム 出演 | |
1987 | 追いつめられて 出演 | |
アンタッチャブル 出演 | ||
1986 | マリブ・ビーチ物語 出演 | |
世にも不思議なアメージング・ストーリー 出演 | ||
1985 | アメリカン・フライヤーズ 出演 | |
ファンダンゴ 出演 | ||
シルバラード 出演 | ||
1984 | ケビン・コスナーの ガンランナー 出演 | |
1983 | ギャンブラーズ/最後の賭け 出演 | |
テスタメント 出演 | ||
1982 | ドリーム・リーグ 出演 | |
女優フランシス 出演 | ||
ラブ IN ニューヨーク 出演 | ||
5人のテーブル 出演 | ||
1981 | 黒の殺人リスト 出演 | |
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
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1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
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1965 | ||
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1963 | ||
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1960 | ||
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1955 | 1'18 カリフォルニア州リンウッドで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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ポストマン 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
1998ゴールデン・ラズベリー ワースト作品賞、ワースト主演男優賞(コスナー)、ワースト監督賞(コスナー)、ワースト脚本賞(エリック=ロス、ブライアン=ヘルゲランド)、ワースト音楽賞(全挿入歌) 2000ゴールデン・ラズベリー この10年ワースト作品賞 |
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荒廃した近未来。白人至上主義のグループが我が物顔でのしまわるアメリカ。一人の放浪者が行き倒れた郵便配達人の代わりに手紙を届けようとする。最初は好奇心と食事を求めてだったが、その行為はやがて人々に勇気と希望を与えていく。 呆れるほどに凄い作品。ゴールデン・ラズベリー賞総なめだったのも充分頷ける。殆どケビン=コスナーの自己満足のために撮っただけの映画(エンドタイトルで歌まで歌ってる)。 大体、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990)で全然感動できなかったのに、それをますます増長させたもんだから、もはや観ていられない程の出来に仕上がってしまった。誰かこいつに手綱付けてやれよ。きっとこれはアメリカという国のナショナリズムに期待して作った作品なんだろう。その結果、見事にそっぽを向かれた。と言うことか。 冒頭の話が長すぎるのと、あまりに意味がないので退屈してたが、中盤になり、星条旗焼かれることに涙流す辺りになり、最早どうしようもない出来であることを実感する。アメリカ人はそれで感動するのだろうか?そうは思えないけど。 それにしても凄いのはわざわざ自分の息子を意味もなく挿入する辺り。しかも、自分自身のみならず、自分の子供まで登場させた銅像まで建てさせるのだから、親ばかもここまで来るとたいしたものだ。 後、あれだけ荒廃した世界だって言うのに、ラストシーンでは何故か見事に文明が復興している。高々20年弱でそこまで変わるもんなの? そもそも本作はコスナーのブレイクした『アンタッチャブル』(1987)で確立した“アメリカ人の理想”という姿が『ウォーターワールド』(1995)で崩れてしまったため(作品の出来いかんではなく、この時にコスナーの浮気が発覚してしまったため)、そのイメージアップを図って作ろうとしたのだと言われている。だからこそ端々に“強い男”や“家庭的”イメージが散りばめられている。だが、物語の出来が冗談のような話になってしまったため、それらのイメージは全てぶちこわしになってしまい、コスナーの姿に“胡散臭さ”を加えてしまっただけの結果になってしまった。 |
ダンス・ウィズ・ウルブズ 1990 | |||||||||||||||||||||||
1990米アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞(マイケル=ブレイク)、撮影賞、作曲賞、録音賞、主演男優賞(コスナー)、助演男優賞(グリーン)、助演女優賞(マクドネル) 1990シカゴ映画批評家協会撮影賞 1990ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(コスナー)、脚本賞(ブレイク) 1991英アカデミー作品賞、主演男優賞(コスナー)、監督賞、脚色賞、作曲賞、撮影賞 1991日本アカデミー外国作品賞 1991ベルリン国際映画祭特別個人貢献賞(コスナー) 1991 |
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かつての勇猛な北軍兵士ダンパー(コスナー)は自らその任地にアメリカ西部・ダコタにあるセッジウィック砦を定める。そこで始まったネイティヴ・アメリカン達との交流。しかし、南北戦争に勝利した合衆国が次に狙っていたのはネイティヴ・アメリカンの掃討だったのだ。白人による文明社会よりも彼らの方に親和性を覚えるダンパーだが… 「シマロン」以来初の西部劇のオスカー受賞作で、アンタッチャブル(1987)で有名になったコスナーの、本当の出世作。この作品により監督としてオスカーを手にすることが出来、監督しても俳優としても一級品であることを内外に知らしめた。民族を描くことで成功した作品と言えよう。これによりインディアンはネイティヴ・アメリカンと言う名前を得ることが出来たし、多くのアメリカ国民が先祖の行った政策を恥じるようになった、と言う意味では非常に意味があっただろう。本作はアメリカにとって、彼ら自身が受け入れられる新しい西部劇の神話だったのではないだろうか?これまでネイティヴは対立する存在であったが、彼らの中に入って、彼らと共に生きることが出来る。それを示したことは、大いにノスタルジーを満足させた上で、ある意味アメリカという国がこれからなすべき方向性として捉えられたと見ることも出来よう。 だけど、私にはどうしても入り込めなかった。実はその昔、「大草原の小さな家」で似たような物語があって、子供心に無茶苦茶感動した記憶があって、その記憶がフィルターをかけてしまったのだと思う。でも、正直見終わった後で美しい記憶を汚されてしまったような気分にさせられたのは事実。 それに、何より長い。長すぎる。しかもその大半がストーリーをほぼ無視した冗長さで成り立っているため、退屈そのもの。さすがに映画館で寝たことはないが、これはこれまでで最も危険な体験だった。 ラストは賛否両論あるだろうが、ちょっと尻切れトンボで終わった感じ。本当なら13年後が大切になる筈なんだが、それを無視して逃げてしまうと言うのも何かな〜。 ちなみに本作は監督のケヴィン=コスナーによるアナザー・ヴァージョンもあるそうだ。一度観てみたいけど、4時間を超すとか… |