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ブライアン・デ・パルマ
Brian De Palma

Brian De Palma
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鑑賞本数 合計点 平均点
 本名ブライアン・ラッセル・デ・パルマ。コロンビア大学時代から映画を作り始め、学生監督としてそれなりに有名で、卒業後プロの監督となる。
 ヒッチコックに私淑するその作風は、独特の美学を持ち、誰が観てもデ・パルマが作った作品と分かる作品を作る技術は流石。
 1976年のキャリーでブレイク後、1987年に傑作アンタッチャブルを作り上げる。その後も作りたい作品をコンスタントに作れている、ある意味とても幸せな映画監督。
書籍
_(書籍)
2019
2018
2017
2016
2015 デ・パルマ 出演
2014
2013
2012 パッション 監督・脚本
2011
2010
2009
2008
2007 リダクテッド 真実の価値 監督・脚本
2006 ブラック・ダリア 監督
2005
2004
2003
2002 ファム・ファタール 監督・脚本
2001
2000 ミッション・トゥ・マーズ 監督
1999 ドキュメント アルフレッド・ヒッチコック〜天才監督の横顔 出演
1998 スネーク・アイズ 監督・製作・原案
1997
1996 ミッション:インポッシブル 監督
1995
1994
1993 カリートの道 監督
1992 レイジング・ケイン 監督・脚本
1991
1990 虚栄のかがり火 監督・製作
1989 カジュアリティーズ 監督
1988
1987 アンタッチャブル 監督
1986
1985
1984 ボディ・ダブル 監督・製作・脚本
1983 スカーフェイス 監督
1982
1981 ミッドナイトクロス 監督・脚本
1980 殺しのドレス 監督・脚本
1979 悪夢のファミリー 監督・脚本
1978 フューリー 監督
1977
1976 キャリー 監督
愛のメモリー 監督
1975
1974 ファントム・オブ・パラダイス 監督・原作・脚本
1973 悪魔のシスター 監督・原案・脚本
1972
1971
1970 ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN I・哀愁の摩天楼 監督・原案・脚本
1969 御婚礼/ザ・ウェディング・パーティー 監督・製作・脚本・撮影
1968 ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN II・黄昏のニューヨーク 監督・脚本
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940 9'11 ニュージャージー州ニューアークで誕生

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ファム・ファタール 2000
<A> <楽>
タラク・ベン・アマール
マリナ・ジェフター
マーク・ロンバルド(製)
ブライアン・デ・パルマ(脚)
レベッカ・ローミン=ステイモス
アントニオ・バンデラス
ピーター・コヨーテ
エリック・エブアニー
エドュアルド・モントート
ティエリー・フレモン
グレッグ・ヘンリー
リエ・ラスムッセン
フィオナ・カーソン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 リアリティを排除し、テンポと謎解きに集中させる。ショットの一つ一つが鮮烈。
ミッション・トゥ・マーズ 2000
2000ゴールデン・ラズベリー ワースト監督賞(デ・パルマ)
<A> <楽>
トム・ジェイコブソン(製)
ジム・トーマス
グレアム・ヨスト
ジョン・C・トーマス(脚)
ゲイリー・シニーズ
ティム・ロビンス
ドン・チードル
コニー・ニールセン
ジェリー・オコンネル
アーミン・ミューラー=スタール
キム・デラニー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 西暦2020年、マーズ1号が火星に到着、人類史上初の有人火星探査を開始する。4人のクルーは探査活動を開始し、次々に未知なる発見をしていくが、5ヶ月後、突然起こった、原因不明の事故(?!)により、3人のクルーが死亡。唯一の生存者であったはずのルークも謎めいたメッセージを最後に交信を絶つのだった。謎の究明と、ルークの救出のため緊急に発射されるマーズ2号。だが火星到着を前に彼らの船にも異変が…
 宇宙を舞台にしたSF映画と言うのは、リアルさと物語性との間にあって、匙加減が難しい。リアルにすれば良いと言うものでもなく、そうすると宇宙服の動きやら慣性の法則やら弾道計算やらが無茶苦茶に入ってきて、まず極めてのろのろした動きしか出来ず、撮影に苦労する割にドラマを作るのは困難(勿論これで上手いこといった作品も結構あるよ。
『2001年宇宙の旅』(1968)とか、『アポロ13』(1995)とか…)。逆にその辺のリアルさを廃したからこそ、『スター・ウォーズ』であれ、『宇宙大作戦』であれ、佳作足り得た。尤もあまりにもその辺何にも考えないで作ると、『アルマゲドン』(1998)になってしまう危険性を持つが。
 で、本作だが…私は明らかに失敗だと思う。NASAの監修の元、宇宙での生活をデ・パルマ調に“リアルに”撮ったつもりだろうが、リアル指向なら、もう少し慣性の法則くらい考えておいて欲しかった。多少考えてる分、妙に中途半端な描写で、無駄な努力してるな〜って感じ。宇宙船の中はどこかの映画で見たような光景が展開してるし(それに、あの程度の回転で宇宙船の中であんな重力が得られる分けなかろうに)、あとデブリ
(宇宙ゴミ)衝突についてももリアリティ無し。あの大きさのデブリだったら、多分、宇宙船そのものを破壊してるよ。
 あの火星降下については、むしろリアリティを排除したからこそ、素直に楽しめたようなもんだ…
変な感心の仕方だな(笑)。正直この作品だったら『アルマゲドン』(1998)とまでは行かなくても、もう少しリアリティ落とした方が良かったと思うよ。
 更にあの凄まじい色彩感覚。場面が変わる度、全く周囲の色を変えるのは良いんだけど、真っ赤、真っ白、真っ黒の繰り返しは目が疲れて仕方ない。これも“リアル”と言うには問題があるし…特に最初に火星のシーンを長めに撮ったのは致命的。あの赤ばっかりの描写のお陰で、最初の30分で目が疲れきってしまう。
 ラストのあのオチは
『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』(1977)から良いとこ取りしてるようにしか見えないんだけど…更に火星人の姿はあまりにステロタイプだし。
 一言デ・パルマに言いたい。イマジネーションが貧困なのは別に恥じゃないぞ。カメラ・ワークや、アクション・シーンの見せ方は上手いんだから、そっちの方で才能を発揮してくれれば良いじゃないか。これからイマジネーションを必要とする作品は断りなさい。
 ところで、この作品を観て、
『2001年宇宙の旅』とか『未知との遭遇』とかを思い出す人は多いと思うんだけど、これを観て真っ先に『ダロス』(日本初のOAV。監督は押井守)を思い出したのって、日本に一体どれくらいいるんだろう?
スネーク・アイズ 1998
<A> <楽>
ブライアン・デ・パルマ(製)
デヴィッド・コープ(脚)
ニコラス・ケイジ
ゲイリー・シニーズ
ジョン・ハード
カーラ・グギーノ
スタン・ショウ
ケヴィン・ダン
マイケル・リスポリ
ジョエル・ファビアーニ
デヴィッド・アンソニー・ヒギンズ
タマラ・チュニー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 アトランティック・シティのしがない汚職刑事リック(ケイジ)は、旧友で国防省に勤めるケヴィン(シニーズ)の招きでボクシング試合へとやってきた。ケヴィンは国防長官の護衛でやってきたのだが、なんとボクシングの試合の最中に国防長官が狙撃されてしまう。たまたま持ち場を離れていたケヴィンをかばうため、リックはその場を取り仕切るのだが…
 デ・パルマ監督+ケイジ主演のアクション大作。監督にとっても久々の大作だが、アクションよりはサスペンス、しかもノワールを得意としていて、本作もそれに沿った作り方をしているのだが、この作品については
力点をちょっと間違えたかな?デ・パルマ監督らしい流麗なカメラワークが今ひとつはまらなかった感じ。色々あるのだろうけど、監督の好きなように作ってくれた方が良かったんじゃないだろうか。前半は結構良かったのに、後半になってサスペンス色が失われると途端に生彩を欠いてしまった。
 それに監督得意のノワールの傾向は、
いかに男を情けなく描くか。だから、ケイジを格好良く描こうとすればするほど上滑りしていく印象もあり。悪徳警官を主人公とするなら、もうちょっと格好良さも変えられたと思うし、ケイジもそれに応えるだけの演技力があるはずなのに、普通のヒーローにしてしまった。話自体も偶然で物事が解決してしまったところも難。
 流石にカメラワークは素晴らしいものがあり、場面場面では大変映えているので、ちょっと勿体なかった感じ。
 ケイジは当時スーパーマンリメイクの主演をしたがっていたそうだが、ユニヴァーサルが許可せず、アクションものの主役という事で本作を了承したのだとか。
ミッション:インポッシブル 1996
1996ゴールデン・ラズベリー100億ドル以上の興行収入を上げた作品での最低脚本賞
1997MTVムービー・アワード アクション・シーン賞(ヘリコプターによる列車追撃シーン)
<A> <楽>
トム・クルーズ
ポーラ・ワグナー
ポール・ヒッチコック(製)

デヴィッド・コープ
ロバート・タウン
スティーヴン・ザイリアン(脚)
トム・クルーズ
ジョン・ヴォイト
エマニュエル・ベアール
ヘンリー・ツェーニー
ジャン・レノ
ヴィング・レイムス
クリスティン・スコット・トーマス
ヴァネッサ・レッドグレーヴ
インゲボルガ・ダクネイト
エミリオ・エステヴェス
アンドレアス・ウィズニュースキー
デイル・ダイ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第1作
 極秘スパイ組織IMFは腕利きエージェントのイーサン・ハント(クルーズ)らのチームに、東欧に潜入しているCIA情報員のリスト“NOC"を盗んだプラハの米大使館員ゴリツィンと情報の買い手を捕らえよとの指令を与えた。綿密な調査の結果、ゴリツィンが大使館のパーティに現れる事を突き止めたチームは大使館に向かうのだが、作戦は敵に筒抜けで、銃撃戦の結果ゴルツィンは死に、チームメンバーにも死者が出てしまった。辛くも逃れたイーサンはIMFに内通者がいる事を知るが、実は今回の作戦はそれを暴くために仕組まれたもので、ゴリツィンは囮だったと言うことも同時に知るのだった…
 往年の人気テレビシリーズ
「スパイ大作戦」を元にクルーズが初の製作も兼ねて作り上げたヒット作。
 芸域が狭いながら、それでもなんとか自分が演技派であることを印象づけようと頑張っているクルーズ。だけど、
彼が認められるのは結局こういったアクション作であることを如実に示した作品で、実際観ている側としても、こういった格好良い役をやってくれるのが一番安定していると思う。本当にクルーズの魅力を見せることに特化した作品とも言え、細かい設定のアラや他のキャラのないがしろなどは全て力業でねじ伏せてしまった感じ。その力業がプラスの方向に上手くはまった作品とも言えるだろう。実際スパイにしては派手すぎるってのは根本的な問題なのだが、観ている間はその辺が全然気にならない。ここがデ・パルマの実力だろう。
 特に単なるアクションとは異なり、緊張感の演出など、やはりスパイ映画の醍醐味も多く、元の設定をかなり上手く使っている。
 ただ、観ている間は浸り込めるけど、後で考えてみると、色々と細かい問題が出てくるので、時間が経てば立つほど評価が下がってしまうのが難点ではある。
 一応かつての同じ“ブラット・パック”出身のエステヴェスが前半のチームの一員として登場しているが(クレジット無し。友情出演だったのだろう)、あっという間に殺されてしまうと言う可哀想な役付けだった。
 ちなみに劇中クルーズをつり下げる装置はフライング・ハーネスと言い、ハリウッドでは普通に売られているもの。ただし、この腰に二つだけというのは宙返り用で使われるもの。あれでバランスを取れるクルーズは大変運動神経とバランス感覚が優れていることの証拠。
カリートの道 1993
1993ゴールデン・グローブ助演男優賞(ペン)、助演女優賞(アン・ミラー)
<A> <楽>
マーティン・ブレグマン
ウィリー・ベアー
マイケル・S・ブレグマン
ルイス・A・ストローラー
オートウィン・フレイヤームス(製)

デヴィッド・コープ(脚)
アル・パチーノ
ショーン・ペン
ペネロープ・アン・ミラー
ジョン・レグイザモ
イングリッド・ロジャース
ルイス・ガスマン
ヴィゴ・モーテンセン
エイドリアン・パスダー
ジョン・アグスティン・オーティス
ジョン・セダ
ジェームズ・レブホーン
ジョセフ・シラヴォ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
カリートの道(書籍) エドウィン・トレス
虚栄のかがり火 1990
<A> <楽>
ブライアン・デ・パルマ
ピーター・グーバー
ジョン・ピーターズ(製)
マイケル・クリストファー(脚)
トム・ハンクス
ブルース・ウィリス
メラニー・グリフィス
キム・キャトラル
ソウル・ルビネック
モーガン・フリーマン
F・マーレイ・エイブラハム
ジョン・ハンコック
アラン・キング
クリフトン・ジェームズ
ドナルド・モファット
キルステン・ダンスト
ケヴィン・ダン
ノーマン・パーカー
ベス・ブロデリック
リタ・ウィルソン
ハンスフォード・ロウ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
虚栄の篝火 <A> <楽>
トム・ウルフ (検索) <A> <楽>
カジュアリティーズ 1989
1989ゴールデン・グローブ音楽賞
<A> <楽>
アート・リンソン(製)
デヴィッド・レーブ(脚)
マイケル・J・フォックス
ショーン・ペン
ドン・ハーヴェイ
ジョン・C・ライリー
ジョン・レグイザモ
テュイ・テュー・リー
エリック・キング
サム・ロバーズ
デイル・ダイ
ヴィング・レイムス
ドナル・ギブソン
ジャック・グワルトニー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
戦争の犠牲者たち―ベトナム192高地虐殺事件(書籍)ダニエル・ラング
 1966年。ヴェトナムへと向かったエリクソン(フォックス)は、そこで信じられないものを見せられることになる。それはアメリカ軍によるヴェトナムの民間人に対する虐殺であり、現地の娘をレイプする仲間達の姿だった。理性あるアメリカ人としてこんな事をしてはいけないと主張するエリクソンの言葉は、頼りがいはあるが高圧的な上司のミザーヴ(ペン)によって完全に抹殺されてしまった。思いあまったエリクソンは軍の実態を軍上層部に直訴するのだが…
 ストーン監督の『プラトーン』(1986)により、それまでタブー視されてきたヴェトナム戦争にメスが入ることとなり、数多くの監督達がヴェトナム戦争を題材にした作品を作る事となった。本作もその中で作られた作品だが、デ・パルマ監督が選んだ素材が面白い。
 デ・パルマと言えば、とにかく演出の上手さに目が行きがちで、本作も観る前まで、どれだけ派手で映える戦闘シーンを見せてくれるか。そしてどれだけ残酷なシーンを作ってくれるか。と言う期待感があった。
 ところが出来たものを観て、実はこれ観た当時はかなり首をひねってしまった。ものすごく失礼な言い方をすれば、
「全然面白くない」である。話自体が陰惨なだけで、『プラトーン』の劣化コピーか?とも思えたし、戦争中にどんな残酷な事があっても、軍隊だったら仕方ないんじゃないか?と言う、とてつもない失礼な考えが私自身の中にもあった。何より『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)のフォックスじゃいくらなんでも軽すぎる。後味の悪さも酷く、違和感受けまくり。

 そんなわけで、本作は長らくレビュー書く気にもなれなかったし、私の頭の中では
駄目作品に入っていたままだった。

 そして、たまには戦争映画のレビューも入れてみようか?と言う思いで本作を頭の中で思い出してみる…
 
あれ?
 あれあれ?

 ひょっとして俺、全く見当違いのこと考えてなかったか?実はこの作品、かなり面白いものだったりして?

 改めて考えてみよう。
 『プラトーン』いや
『ディアハンター』以来、劇中で描かれるヴェトナム戦争とは狂気の戦争であり、周囲の狂気に主人公も感染してしまって、過激に走る傾向があった。本作でもそれは描かれてはいるのだが、主人公エリクソンは周囲の狂気からは一歩離れ、正気を保っている。この視点は逆にこの時代に作られたものとしては珍しいのかも。
 戦争の中で正気を保つ。
昔作られた映画のほとんどはこのタイプだった。アメリカは戦争に勝ち続け、そして新しい秩序を作る側に立っていたのだから、戦争に勝った方が狂気にかぶれてはいけないという考えが強かったからだろう。
 だがこの意識はヴェトナム戦争で変化した。
正義とは一体何であるのか?それが分からなくなってしまったのがこの戦争であるなら、それに参加した兵士はその最先端にいる。当然ながら彼らはアイデンティティを喪失してしまい、更に過去とは比べものにならないストレスにさらされる。それで狂気と言う描写がなされるようになったと考えられる。
 でも、そうは言っても実際には戦場に出かけた兵士の大部分は実はエリクソン同様ほとんど正気を保ったまま戦争を終えているものだ。むしろ
非日常に放り込まれてしまった一般人が、いかに自分自身を保ってきたか。と言うことが本作の一番の見所なのでは無かろうか?そう考えてみると、狂気に身を任せないと言う立場自体がユニークなものだと考えることも出来るし、リアリティという意味ではこちらの方が良く作られているのかもしれない。
 
『ジャーヘッド』という湾岸戦争をモティーフにした作品があったが、これは本当に全く戦闘を経験しない一兵士が観た戦争を描いていた。この作品は別な意味でのリアリティを感じさせる作品だったのだが、この作りは本作で描かれるリアリティに近いし、これを観た後だからこそ私も本作を考え直せるようになったのかもしれない。
 更にそう考えると、フォックスをここで起用したのも説明がつく。
 彼はある意味
“現代の若者”の代表としてここに存在するのだろう。この作品は公開時から20年も前の話ではあるが、もし狂気の支配する場所に、現代の若者が飛び込んでいったら?と言うイフの物語として考えるなら、フォックスはまさしくうってつけの配役となる。彼は戦場の狂気に冒されることなく自我を保っている。それは80年代の個性を伸ばす教育によって、周囲にあるあらゆるものに疑問を呈し、全てを突き放して観る事に慣れている。そういう人間がヴェトナム戦争を体験するならば、このような反応を示すだろうという例として挙げられているのでは無かろうか。60年代の若者とは違った立場かもしれないが、この方が観ている側の共感を得られやすいし、何故彼が狂気に冒されなかったのかも説得力は付けられる。

 如何せん本作を観た当時の私はそこまで考えることが出来なかった。
 何よりデ・パルマらしい過激描写と静かな独白シーンの間のギャップが激しすぎて、バランスが悪いのも問題だろう。土台この監督の作品に求められているのが過激な部分だけなので、突発的に出てくる叙情的なシーンが違和感にしかならない。
 監督が求められる以上のものを作ってしまった結果、それが余計なものにしか見えないと言う、悪いところばかりが目に付く作品になってしまったのが本作の失敗だったのかもしれない。考え直す時間が出来たことは幸い。
アンタッチャブル 1984
1987米アカデミー助演男優賞(コネリー)、作曲賞、美術監督賞、美術装置賞、衣装デザイン賞
1987英アカデミー音楽賞、助演男優賞(コネリー)
1987ゴールデン・グローブ助演男優賞(コネリー)
1987ブルーリボン外国作品賞
1987
キネマ旬報外国映画第3位
<A> <楽>
アート・リンソン(製)
デヴィッド・マメット(脚)
ケヴィン・コスナー
ショーン・コネリー
アンディ・ガルシア
チャールズ・マーティン・スミス
ロバート・デ・ニーロ
ビリー・ドラゴ
リチャード・ブラッドフォード
ジャック・キーホー
ブラッド・サリヴァン
パトリシア・クラークソン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
原作:オスカー・フレイリー
 禁酒法時代のシカゴ。密造酒の販売で君臨するマフィアのボス、アル・カポネ(デ・ニーロ)を摘発すべく財務省の捜査官エリオット=ネス(コスナー)が3人の仲間と共にアル・カポネ摘発に乗り出した。カポネの得意とする買収にも脅しにも乗らない彼らは“アンタッチャブル”と呼ばれるようになった。彼らとカポネとの表裏に渡る戦いを描く。
 パラマウント・ピクチャーズの創立75年を記念して、1960年代のテレビシリーズを劇場リメイク。2時間半の映画にまとめた作品となる。往年のドラマファンのみならずファンの新規開拓も手伝い、
1987年全米興行成績5位
 その監督がデ・パルマと聞いて、楽しみにしていた。彼は好きな監督だけど、
私にとってはむしろホラーとかサスペンス作家としてだったし、凝りすぎた画面がかなり好み。あの監督がいったいどんな映像を魅せてくれるのか、ストーリーそっちのけでそっちばかり考えてしまった
 だけど、実際の作品を観てびびった。なんだ?デ・パルマ監督ってこんな見事な作品を作れるのか?
(大変失礼ながら)それまではデ・パルマって演出は上手いんだけど、画面を美しく見せようとするあまり、物語をないがしろにする監督かと思ってた。
 本当にこれ、好みだ。
 この作品では先ずやはり個性派キャラクターたちが見事に役にはまっていた点が挙げられるだろう。デ・ニーロ・アプローチとまで言われた役作りの執念は本作でも健在。撮影のために体重を一気に増加させ、額の髪の毛さえも本当に抜いてしまったと言われるデ・ニーロが狂気の帝王を見事に演じきっていた。特に会議の席での部下の粛正のシーンは、あのデ・ニーロの目の色と合わせ、ぞっとさせる迫力を持っていた
(ただ実は元々のカポネ役はデ・ニーロではなく、イギリス俳優のボブ=ホスキンスだったのだそうだ。多くのシーンの撮影を終えた時点で、やはり合わないと言うことで交代)
 その悪に対抗する正義の味方達もそれぞれがしっかり役が地に着いた演技を見せてくれる。特にやっぱりコネリーの巧さだろう。007で見せていた軽さと重さの同居した役柄はどこへやら、渋い演技を見せてくれた
(バイプレイヤーに徹することなく、自身もアクションをこなしているのは意地だったか?)。後は勿論その間にあって個性を発揮していたネス役のケヴィン=コスナーも、しっかりそれに渡り合っていた。やはり配役が見事だ(ちなみに、当初の予定ではコネリーはカポネ役だったそうだがそれは止めて正解。アイルランド訛りのイタリア人になってしまう)。意外な話だが、それまでの30年にわたるキャリアでコネリーがアカデミー男優賞に絡んだのはこれが初めて。彼の受賞には、アカデミー賞会場内の映画人は全員立ち上がり、スタンディング・オベイションで迎えた。ただ、実質的に本作が出世作となった主演のコスナーについては、さほど言うところがさほど無いのがなんだが、TVシリーズでは独身だったネスを妻子持ちにすることによって、一種の理想的な父親像に仕上げようとしているようには見える(『アラバマ物語』(1962)のペックを目指したのかな?)。
 こういった個性的俳優に押された感じはあるけど、30年代を演出した舞台や設定、小物もしっかりしてるし、アルマーニに特注したという衣装も見事(設定マニアとしてはこっちも結構重要な要素)、モリコーネによる音楽も又良い。
 それとやはりデ・パルマ監督監督らしい派手な演出方法も良し。銃撃戦に始まり、乱戦の中で出てくるキャラクターごとの個性や想いのようなものまで演出できるのは監督ならでは。乳母車の階段落ちという、古い映画が好きな人に対するサービスもしっかりしてる(笑)。エイゼンシュタイン監督へのオマージュか?と思わせておいて、ストーン役のガルシアの動きが凄い。
ネスに銃を放り投げたストーンが、転がる乳母車を足で押さえ、すぐさま背後の敵に銃を突きつけるまでの連係プレイ。それをスローモーションで演出する辺り、デ・パルマらしい上手さ。背筋がぞくっとしてくるよ(ついでに言えばシカゴのユニオン駅のコンコースがここで見事に表現されてる)。
 こんな難しい作品で、監督の良い部分を出しつつもき、ちんとツボを抑えた演出で、抑えるところは抑えてるし。それが意外って言えば意外かな?…実際この後のデ・パルマ監督作品はやっぱり変わらなかったし…
 劇場で観られて良かった作品の一つで、細かいところまでしっかりしているのでビデオで繰り返し観るに耐える良作。
ボディ・ダブル 1984
1984ゴールデン・グローブ助演女優賞(グリフィス)
1984全米批評家協会助演女優賞(グリフィス)
1984ゴールデン・ラズベリー最低監督賞(デ・パルマ)
1985アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加
<A> <楽>
ロブライアン・デ・パルマ(製)
バート・J・アヴレッチ
ブライアン・デ・パルマ(脚)
クレイグ・ワッソン
メラニー・グリフィス
グレッグ・ヘンリー
デボラ・シェルトン
デニス・フランツ
バーバラ・クランプトン
アネット・ヘヴン
レベッカ・スタンリー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
スカーフェイス 1983
1983ゴールデン・グローブ男優賞(パチーノ)、助演男優賞(バウアー)、音楽賞
1983ゴールデン・ラズベリー最低監督賞(デ・パルマ)
<A> <楽>
マーティン・ブレグマン
ルイス・A・ストローラー(製)

オリヴァー・ストーン(脚)
アル・パチーノ
スティーヴン・バウアー
ミシェル・ファイファー
ポール・シェナー
ロバート・ロジア
メアリー・エリザベス・マストラントニオ
F・マーレイ・エイブラハム
ミリアム・コロン
ラナ・クラークソン
ハリス・ユーリン
リチャード・ベルザー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 80年5月。反カストロ主義者をアメリカに追放したキューバ。その中にはトニー・モンタナ(パチーノ)やマニー・リベラ(バウアー)と言った前科者もいた。そんな中、移民キャンプから逃れた二人は率先してマイアミのマフィア絡みの汚れ役を進んで引き受けるようになった。フランク(ロッジア)の下、めきめき頭角を現していくトニーは、やがてフランクの情婦エルヴィラ(ファイファー)をものにし、フランクを亡き者にする。名実共にマイアミに君臨するようになったトニーは母と妹ジーナ(マストラントニオ)を呼びよせる…
 『暗黒街の顔役』(1932)をデ・パルマ監督が現代風にリメイク。
 80年代に最も注目された監督と言われたら、一般的にはスピルバーグになるだろうが、5人挙げろと言われたらその中には必ずデ・パルマの名前が挙がるはずだ。あまりにも過激な作品作り続けるもので、一般にお薦めは出来ないが、この人に注目していた人は世界中にいたはず。
 そしてそんな監督が作った最大の問題作が本作。それまでの監督作品も過激ではあったが、それらがかわいく見えるほどのむき出しの過激さで、よくぞこんなもん作ってくれたもんだ。と、それだけで感動を覚えるほど。
 最初本作観たのはテレビで、確か『アンタッチャブル』公開記念か何かだったかと思う。本当にたまたま見始めたのだが、オープニングからぐいぐい引き込んでくれる。最初のチェーンソーのシーンでは完全に体動けなかった。観てるだけで気持ち悪いのに止めようとは全く思わなかった。そのままこの過激さにのめり込んだまま最後まで観終わった。
 お陰で『アンタッチャブル』も迷うことなく観たし(これも最高点だ)、本作もかなり早い時期にLDで購入した。私にとってはかなり初期に心に傷を付けられた映画の一つでもある。
 最初観た時はテレビだったので、吹き替えだったが、その後オリジナルの字幕観て、その言葉遣いの過激さにも驚かされたものだ。『フルメタル・ジャケット』同様これは字幕で観た方が面白い。

 多分この作品、もともと『暗黒街の顔役』が持っていた過激さを元に、デ・パルマが自分の好きなように作ったのだろうと思うのだが、これまでのハリウッドの持っていたものを色々壊したとも思える。
 ハリウッドは過去とても上品に作られていた。他のどんな国よりもピューリタン的な姿勢を大切にしていたが、客の側からするともっと過激なものが観たい。それで作り手としては頭を捻ることになる。50年代ころのハリウッド作品が面白いのは、そのようなせめぎ合いの中で生まれてきた映画なので、工夫が見てとれるから。
 しかし、それらも時代を経るに連れ、徐々に緩和されていく。70年代頃になって過激さを売りにしたインディペンデント系のヒット作が多くなっていくと、それにつられるように大作も少しずつ規制緩和へと動いてきた。
 特に『レッズ』の存在は大きい。メジャー、インディペンデント含め、それまで決してハリウッドで作れなかったテーマで作れるようになってきた。
 そういう意味で、思想的な過激さが『レッズ』であるなら、描写的な過激さを突き抜けたのが本作であるといえよう。
 ただ、それはホラー的な意味ではない。単にグロテスクな映像を見せようとか、目を覆いたくなるような過激さを追い求めている訳ではない。むしろ通して観るなら、意外にそういった描写が少ない事に気がつく。ただ、そういった描写は視覚ではなく聴覚の方に頼るところが多く、観てるこちら側の想像力を必要とするパターンが多い。ただ、想像力ある場合、それだけでかなり気持ち悪くなってくる。
 デ・パルマのこれまで培ってきた演出が冴えまくり、それを過激さへと割り振った結果、こんな作品が出来てしまった訳だ。
 そしてそれを受けたパチーノの上手さも特筆べきだろう。『ゴッドファーザー』の時のナーバスな演技とは一転。ギラギラした野獣のような演技と言い、一旦栄光をつかんだ後のせかせかした小心ぶりと言い、ひとりでよくぞここまで出来たもんだ、と心底感心できるレベルだ。
 冴えた過激演出と名優が合致したら、ここまで素晴らしい作品が出来ることの例として挙げても良いくらいだろう。文句なしの最高点である。

 …と、ここで終わっても良いのだが、折角だから『暗黒街の顔役』と本作の違いについても少し話してみたくなった。
 『暗黒街の顔役』は言うまでもなく本作のオリジナル作で、ホークス監督の出世作となる。この作品は、80年代とは比べものにならないほど規制が厳しい時代に、その過激さによって新しい表現法をハリウッドにもたらした。非常によく似た立ち位置にある作品と言えよう。
 そんな作品をリメイクするに際し、デ・パルマ監督はまず物語を支える演出に、自身の敬愛するヒッチコックの演出を用いた。
 先に書いたが、本作の過激さは観ている側の想像力に負っている。それに関して最も素晴らしい演出をしていたのはヒッチコックであり、その弟子を自認するデ・パルマだから、何のてらいもなくその演出を用いた。ホークスと同時代の監督の演出を当たり前に使ってしまうデ・パルマの凄さと言うか、恥知らずというか…それが素晴らしい。ホークスが生きてたら激怒したところだ。
 そして物語としての違いは後半部にある。頂点に上り詰めたトニーがなにをしたのかと言えば、身内と外の世界を分けていく事になる。どちらの作品もここまでは同じなのだが、本作では『暗黒街の顔役』では敢えて取らなかった近親相姦的な領域にまで踏み込んでみせた。これによって、最後の「World is your's 」の意味が『暗黒街の顔役』以上に明確になった。
疑心暗鬼に陥ったトニーにとっての世界はどんどん狭くなる。彼は広い世界を手に入れたかった。でも得たものが多くなればなるほど、実は世界を失っていく。最後に残った家族の愛を失うことで、その死がどれほど孤独になったのかが明確となる。この皮肉を描きたかったことがよく分かるのが、デ・パルマらしさだ。
ミッドナイトクロス 1981
<A> <楽>
ジョージ・リットー
フレッド・カルーソ(製)
ブライアン・デ・パルマ(脚)
ジョン・トラヴォルタ
ナンシー・アレン
ジョン・リスゴー
デニス・フランツ
ピーター・ボイデン
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 B級恐怖映画専門の音響効果マンであるジャック・テリー(トラヴォルタ)は、新作映画の女子学生の叫び声を検討中だった。適当な声が見つからぬまま、たまたま風の音を録音しに出かけた河原で自動車がパンクし川に転落するのを目撃した。素早く川に飛び込んで、サリー(アレン)という若い女性を救出するが、実はこの車には次期大統領の有力候補も乗っていた。そしてジャックが録音したテープには何と銃声が…
 デ・パルマ監督お得意のサスペンス・ミステリーで、特に70年代後半から好んでこの手の作品を作るようになっていった。ただデ・パルマ監督の作るミステリー作品は、既にこの時代から物語や設定云々ではなく、
演出だけで見せる作品になってしまっている(それが今に至るもずーっと続いているのだから、それはそれで凄い事なのだが)。ここでもアクション部分の演出は「この人しかできない!」という見事なものだし、緩急取り混ぜた演出は素晴らしい。アクション映画の教科書にしたいくらいの良き出来だ。特にラストシーンの演出はベストショットだろう。あそこに花火とスローを持ってきて、その後に主人公の複雑な思いを託すなんて、小憎らしいほどにエッジが効いてる。ラストシーンに関しては特筆すべき作品だ。
 それに本作はアイディアに関してはかなり面白い。主人公が音響という特殊な職業にいるために、事件の真相に迫れるとか、当時の映画業界の内幕および映画製作の裏側を見せるとか、色々貴重なものを与えてくれるし、特に現代の目で観ると、映画って本当に色々なところで進歩していると言うことも分かる。
 そう言う意味で本作は褒めたい作品でもあるのだが…残念なことに、
デ・パルマ監督の悪さもモロに出てしまっていて、素直には楽しめない。
 まず物語の整合性が無茶苦茶すぎ。偶然の目撃から始まった物語が、偶然録音され、偶然写真に撮られ、偶然主人公が映画人で察しが異様に良いため、それらをきちんと推理でき、更に偶然警察ともつながりを持つ…ここまでくると、物語そのものをリアリティあるものに仕上げることを最初から放棄してるとしか思えない。しかも演出で光るところをつなぐ物語が中だるみしっぱなし。ラストシーンだけは良いんだけど、そこに至るまでに結構退屈だからなあ。
 後、どんだけ好きなんだ?というほどにヒッチコック的演出とか設定とかを次々持ってきてるのも、流石にちょっと引く。デ・パルマは大抵の作品にヒッチコックの思い入れを出しているけど、本作は特にそれが出過ぎてるよ。
ヒロインは全部悪女になってしまうという悪い癖もモロだったし。
 演出のみで考えたら最高の作品なので、デ・パルマのファンであれば文句なく受け入れられる作品だろう。逆に言えば、本作の評価如何でデ・パルマを好きになれるかどうかが分かる。
殺しのドレス 1980
1980ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(ケイン)、最低主演女優賞(アレン)、最低監督賞(デ・パルマ)
<A> <楽>
ジョージ・リットー
サミュエル・Z・アーコフ(製)
ブライアン・デ・パルマ(脚)
マイケル・ケイン
ナンシー・アレン
アンジー・ディキンソン
キース・ゴードン
デニス・フランツ
デヴィッド・マーグリーズ
ブランドン・マガート
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 マンハッタンのアパートに夫のマイクと共に住むケイト(ディッキンソン)は、時折たくましい男に襲われる夢を見るようになり、精神分析医のエリオット(ケイン)のクリニックにかよっていた。そんな彼女がエリオットを訪れた帰り道、何者かによって惨殺されてしまうのだった。彼女の死体の第一発見者はリズ(アレン)という娼婦。その日からリズは何者かに狙われるようになる…
 ヒッチコックの後任者と自負するデ・パルマ監督が、本当に
そのまんま自分の描きたいものを描いた。と言った風情の作品。正直、誰かこいつの首に縄かけろ!と言いたくなるほどの、ヒッチコックオマージュと、作りたい放題の作風は、完璧にあきれかえってしまうほど。
 でも、これがデ・パルマなんだな。と逆に納得出来てしまうのが監督の人徳ってやつなのか?
誰が観てもこの作品はデ・パルマだと分かるし
 本作はそのまんまヒッチコックの
『サイコ』からの設定流用ばかりで作られてるが、それは構造にまで及んでる。冒頭の情事のシーンから始まり、だんだん精神の均衡を崩していく女性。襲いかかる金髪の女性のシルエット。そしてその女性が殺されてしまってからは主人公が転換。ラストのオチに至るまで見事に『サイコ』してる。これだけ自分が好きなものをストレートに「好き」と言って、そのまま映画に出来る人って、ある意味とても素晴らしいと思える。
 多分タランティーノからだと思うのだが、最近自分のことを「オタク」と呼ぶ監督が結構増えてきて、そう言う人は自分の作品が誰のどんな作品に影響を受けたかを全く隠さずに語るようになってきたが、その大先輩に当たるのがこの人なんだな。
 とはいえ、だからといって本作がパロディにはなっていないのもデ・パルマの面白さだろう。この作品のカメラワークと画面の映え具合は、独特の美学を持ち、なんということもないシーンが一々凄く凝りに凝った作りになってしまう。ディッキンソンが単に外を出歩いているだけのシーンでさえ、カメラはその肢体をなめ回すかのように移動し、行きずりの男と出会うだけで、まるで大ロマンスのごとく画面を盛り上げる…はっきり言って
完全に無駄と言われればそれまでなのだが、それをやってくれるのがデ・パルマという人だ。なによりそこに敬意を払いたい。
 それにやっぱり本作はキャラだろう。ケインは芸達者だけど、こんな役まできちんと演じてるのがすごいし、娼婦役ははまりやくのアレンも見事。そう言う意味ではかなり見所は多い。『サイコ』未見だったらすごく面白かっただろう。

 蛇足ながら、本作は女性の描かれ方が反女性的と批判され、フェミニストにより上映禁止のピケが張られる騒ぎとなったとか。
フューリー 1978
<A> <楽>
フランク・ヤブランス
ロン・プレイスマン(製)
ジョン・ファリス(脚)
カーク・ダグラス
ジョン・カサヴェテス
エイミー・アーヴィング
チャールズ・ダーニング
キャリー・スノッドグレス
アンドリュー・スティーヴンス
フィオナ・ルイス
キャロル・ロッセン
ルターニャ・アルダ
ウィリアム・フィンレイ
デニス・フランツ
ダリル・ハンナ
ローラ・イネス
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ジョン・ファリス (検索) <A> <楽>
 元アメリカ合衆国最高特務機関諜報員ピーター(ランカスター)の17になる息子ロビン(スティーヴンス)は離れた物質を操る念力の持ち主で、それに目を付けた特務機関に抜擢されようとしていた。息子がモルモット扱いされるのを嫌がるピーターだったが、同僚エージェントのチルドレス(カサヴェテス)によってロビンをさらわれてしまう。ロビンがシカゴの超能力研究施設にいることを突き止めたピーターは、そこに侵入する方法を考える。一方この施設には、強い共感能力を持つギリアン(アーヴィング)という17歳の少女がやはり入所していた。互いに惹かれ合うロビンとギリアン。そしてロビンを助けるべく、施設に乗り込むピーター…
 デ・パルマ監督が、出世作『キャリー』に続いて監督した超能力を扱った作品。製作のフランク・ヤブランスは同年大ヒットを飛ばした『ハロウィン』(1978)のプロデューサー、アーウィン=ヤブランスの弟でもある。
 超能力ものと言えば、大概はSFかホラーにカテゴライズされるので、そこで演出されるのは恐怖心をあおるか、あるいは特撮部分に力を入れるかになるものだ。
 出世作『キャリー』がヒットしただけに、デ・パルマが監督するのならば、本作もホラー性を高めてくれることが期待されたのだが、出来たものを見ると、基本は子供を奪われた親の戦いと言った風情で、
ほぼ完全なサスペンス作品になっていた(そういえばデ・パルマはホラーよりもこっちが専門か)。超能力の描写もいくつかあるのだが、あくまでサスペンスの味付け程度に抑えられている。ランカスター、カサヴェテスという、ヴェテラン俳優を配していることもあって、際物にはしたくなかったか?音楽も怖がらせる気全くなし。全般的に怖がらせようと言うサービス心は無いので、いつもどおりのデ・パルマ調を楽しめばいい。
 ただ、そう考えるととても勿体ないのがラストシーンだろう。超能力による全身爆破などと言う、ホラーだったらそれだけで売りになるシーンがちゃんとあるのに、ホラー的に作ってないため全然怖くないところが残念なところ。これを徹底的に前面に出せば、ショッキング描写を売りに出来たのに…実際、この3年後にクローネンバーグが作った『スキャナーズ』(1981)なんて、それだけで売っていたようなもんだから、演出の方向性を別な方向に持っていっていたら、
本作は際物としてだったらヒットしたんじゃないかな?
 全般的なストーリーも大味だが、これはデ・パルマっぽさと言うべきかもしれない。
 カメラ・ワークの冴えは本作でも健在で、ケレン味のある演出を楽しむタイプの人は十分楽しめるだろう。
 ちなみに子役のスティーヴンスは後にハリウッドを支える製作者へと成長してる。
キャリー  1976
1976主演女優賞(スペイセク)、助演女優賞(ローリー)
1976全米批評家協会主演女優賞(スペイセク)
1977アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ
<A> <楽>
ポール・モナシュ
ルイス・A・ストローラー(製)
ローレンス・D・コーエン(脚)
シシー・スペイセク
パイパー・ローリー
ウィリアム・カット
ジョン・トラヴォルタ
エイミー・アーヴィング
ナンシー・アレン
ベティ・バックリー
P・J・ソールズ
シドニー・ラシック
プリシラ・ポインター
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
キャリー <A> <楽>
スティーヴン・キング (検索) <A> <楽>
 狂信的なキリスト教信者の母マーガレット(ローリー)に育てられたキャリー(スペイセク)は、オドオドした物腰で灰色の高校生活を過ごしていた。クリス(アレン)やビリー(トラヴォルタ)達の不良グループは彼女に目を付け何かとちょっかいを出す。一方、キャリーの近所に住むスー(アーヴィング)は自分のボーイフレンドのトミー(カット)にキャリーとの舞踏会出席を頼むのだった。各人の思いを込めた舞踏会の夜がやって来た。
 デ・パルマの出世作となった作品で原作者のスティーヴン・キング自身が太鼓判を押したという見事な出来の作品だった。
 原作はスティーヴン・キングの最初期の小説。わたし自身これですっかり惚れ込み、次々と彼の小説を買い込むことになった思い出の作品でもある。それを当時新鋭のデ・パルマが監督。数あるキング原作のホラー作品の中でも出色の出来となっている。事実、キング原作のホラーでまともに映像化出来たのは数少ないし、名前にキングの名前を冠するだけで、小説の内容とは全く別物となった作品も多々ある中、原作をストレートに、しかも見事なホラーとして作られたのは珍しい。主役のシシー・スペイセク、監督のデ・パルマという二人と出会えたことが本作の成功点と言っていい。
 それで本作品だが、原作の良い部分をかなり割愛してはいるものの(原作はキャリーの女としての自立という部分に力点を置いていたが、本作では可哀想さばかりが強調されてるとか)、雰囲気に関しては実に良し。純粋なホラー映画として観る分には最高の作品だと言って良いだろう。特に家でのキャリーの抑圧され方が堂に入ってた。あの蝋燭の山がマジで怖かった。デ・パルマ監督の映像センスがこれでもか!と言うほどに出ていて、本当に怖かった。
 抑圧され続け、
最後の最後でどろどろの血まみれ姿で爆発するキャリー役のスペイセクは凄惨で、たまらなく美しい。
 最後のあれはちょっと暴走だったかな?けど、
本当にどきっとしたな〜
 ちなみに本作は後々のハリウッドにも多くの功績を残した。特に後に『歌え!ロレッタ愛のために』(1980)でオスカー女優として成長するスペイセク
(尚、本作でもノミネートされてる。17歳を演じているが、実際にはこの当時26歳)、後のデ・パルマ夫人となるナンシー・アレン、スピルバーグ夫人となるエイミー・アーヴィング、そしてジョン・トラヴォルタ。有能な新人が次々に登場し、今から考えると豪華すぎる内容になってるし、母親役のパイパー・ローリーはなんと15年ぶりの役者復帰作でアカデミーノミネート。それと、本作で美術を担当していたジャック・フィスクはこれが契機でシシー・スペイセクと結婚。
ファントム・オブ・パラダイス 1974
1974アカデミー音楽賞
1975アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ
<A> <楽>
ブライアン・デ・パルマ(脚)
ポール・ウィリアムズ
ウィリアム・フィンレイ
ジェシカ・ハーパー
ジョージ・メモリー
ゲリット・グレアム
ロビン・マトソン
シェリル・スミス
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
オペラ座の怪人 <A> <楽>
ガストン・ルルー (検索) <A> <楽>
 「オペラ座の怪人」をベースに、ゲーテの「ファウスト」を絡めたストーリー展開となる。
悪魔のシスター 1973
1976アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加
<A> <楽>
エドワード・R・プレスマン (製)
ブライアン・デ・パルマ
ルイザ・ローズ(脚)
マーゴット・キダー
ジェニファー・ソルト
チャールズ・ダーニング
バーナード・ヒューズ
ウィリアム・フィンレイ
メアリー・ダヴェンポート
ドルフ・スウィート
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ

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