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別名にサム・O・ブラウン。1969年に女優のジュリー・アンドリュースと結婚。娘ジェニファーも女優。 | |||||||||||||||||||||||
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2010 | 12'17 死去 | |||||||
2009 | ピンクパンサー2 原案 | |||||||
2008 | ||||||||
2007 | ||||||||
2006 | ピンクパンサー 原案 | |||||||
2005 | ||||||||
2004 | ||||||||
2003 | ||||||||
2002 | ||||||||
2001 | ||||||||
2000 | ||||||||
1999 | ||||||||
1998 | ||||||||
1997 | ||||||||
1996 | ||||||||
1995 | ||||||||
1994 | ||||||||
1993 | ピンク・パンサーの息子 監督・原案・脚本 | |||||||
1992 | ||||||||
1991 | スウィッチ/素敵な彼女? 監督・脚本 | |||||||
1990 | ||||||||
1989 | ピーター・ガン 監督・製作総指揮・脚本 | |||||||
スキン・ディープ 監督・脚本 | ||||||||
1988 | ゴースト・パートナー 監督 | |||||||
キャデラック・カウボーイ 監督・脚本 | ||||||||
1987 | ブラインド・デート 監督 | |||||||
1986 | ||||||||
1985 | ||||||||
1984 | 結婚ダブルス/ミッキー&モード 監督 | |||||||
ブレイク・エドワーズの ファイン・メス!! 監督・脚本 | ||||||||
シティヒート 原作・脚本 | ||||||||
1983 | ピンク・パンサー5 クルーゾーは二度死ぬ 監督・製作・脚本 | |||||||
グッバイ、デイビッド 監督・製作・脚本 | ||||||||
1982 | トレイル・オブ・ザ・ピンクパンサー 監督・製作・脚本 | |||||||
ビクター/ビクトリア 監督・製作・脚本 | ||||||||
1981 | S.O.B. 監督・製作・脚本 | |||||||
1980 | ||||||||
1979 | テン 監督・製作・脚本 | |||||||
1978 | ピンク・パンサー4 監督・製作・原案・脚本 | |||||||
1977 | ||||||||
1976 | ピンク・パンサー3 監督・製作・脚本 | |||||||
1975 | ピンク・パンサー2 監督・製作・脚本 | |||||||
1974 | 夕映え 監督・脚本 | |||||||
1973 | ||||||||
1972 | 殺しのカルテ 監督 | |||||||
1971 | 夕陽の挽歌 監督・製作・脚本 | |||||||
1970 | 暁の出撃 監督・製作・脚本 | |||||||
1969 | サンフランシスコ用心棒 原案 | |||||||
1968 | パーティ 監督・製作・原作・脚本 | |||||||
クルーゾー警部 原案 | ||||||||
1967 | 銃口 監督・原作・脚本 | |||||||
ピンク・パンサー(4Y)<TV> 脚本 | ||||||||
1966 | 地上最大の脱出作戦 監督・製作・原作 | |||||||
ピンク・パンサー(3Y)<TV> 脚本 | ||||||||
1965 | グレートレース 監督・原案 | |||||||
ピンク・パンサー(2Y)<TV> 脚本 | ||||||||
1964 | 暗闇でドッキリ 監督・製作・脚本 | |||||||
ピンク・パンサー(1Y)<TV> 脚本 | ||||||||
1963 | ピンクの豹 監督・脚本 | |||||||
雨の中の兵隊 脚本 | ||||||||
1962 | 追跡 監督・製作 | |||||||
酒とバラの日々 監督 | ||||||||
1961 | ティファニーで朝食を 監督 | |||||||
1960 | ||||||||
1959 | ペティコート作戦 監督 | |||||||
1958 | 年頃ですモノ! 監督・脚本 | |||||||
休暇はパリで 監督・脚本 | ||||||||
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1956 | 野望に燃える男 監督・脚本 | |||||||
1955 | マイ・シスター・アイリーン 脚本 | |||||||
1949 | 荒くれ男 製作・脚本 | |||||||
1948 | 膝射ちサム 製作・原作・脚本・出演 | |||||||
1922 | 7'26 オクラホマ州で誕生 |
ピンク・パンサーの息子 1993 | |||||||||||||||||||||||
1993ゴールデン・ラズベリー最低新人賞(ベニーニ) | |||||||||||||||||||||||
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フランス遊説中のアラブの国王の娘が誘拐され、その捜査のため、フランス警察のドレフュス署長(ロム)が南仏へとやってきた。しかしドレフュスがそこで見たのは、まるでクルーゾーそっくりのドジぶりの警官ガンビーニ(ベニーニ)だった。誘拐犯に接触し、王女の顔まで見ていながら平気でそれを逃がしてしまうほどのドジだったが、ドレフュスはその母マリア(カルディナーレ)に向かってどうしてもある疑問を投げかけざるを得なかった。「あの子はひょっとして」…。 ピンク・パンサー・シリーズ誕生30周年を記念して製作された番外編。現時点ではシリーズ最終作となる本作は、あまり評価は高くない。やはりセラーズのいない作品はどうしてもパワーダウンと思われがちだが、私は本作が決して嫌いではない。たとえセラーズ無くとも、エドワーズ監督のピンクパンサーはしっかり雰囲気が残っているし、かなりエキセントリックな演技であっても、ベニーニはベニーニらしさをよく出していた。さすがにシリーズも30年も経過してしまった以上、その他のオリジナルメンバーの年齢にはちょっと寂しさも感じてしまうが。そう言えば一作目『ピンクの豹』の王女役で登場したカルディナーレがセラーズの妻となっていたと言うのが笑える。ドレフュスはさすがに歳食って大分丸くなり、最後はなんとカルディナーレ演じるマリアと結婚…これが最後と思えば、それも良しか? 冒頭のアニメーションは相変わらずだが、実は本作がマンシーニの最後のアルバム。映画の中から出てきたピンクパンサーが指揮者からタクトを託されるシーンがあったが、それを知るにつれ、なんかしみじみしてしまう。 |
キャデラック・カウボーイ 1988 | |||||||||||||||||||||||
1988米アカデミー衣装デザイン賞 1988ゴールデン・ラズベリー最低監督賞(エドワーズ)、最低助演女優賞(ヘミングウェイ) |
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ブラインド・デート 1987 | |||||||||||||||||||||||
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ピンクパンサー5 クルーゾーは二度死ぬ 1983 | |||||||||||||||||||||||
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ルガシュに収められていた宝石“ピンクの豹"が盗まれた。その調査のため、大統領から行方不明となったクルーゾー警部を探すように指令を受けたドレフュス(ハーバート)はインターポールのコンピュータから最適な人選を行うのだが、クルーゾーが発見されない方が良いと考えていたドレフュスはその際、コンピュータに細工し、世界一間抜けな警官を選ばせる。そして選ばれたのは、ニューヨーク市警のクリフトン=スレイ刑事(ワス)だった。行動様式から妙な幸運さまでクルーゾーそっくりのスレイは相変わらずドレフュスを巻き込みながらクルーゾーの捜査を始めるのだが…。 セラーズ死後に作られた作品で、クルーゾー役のセラーズの代わりにワスを用い、同じようなことをやらかすのだが、やはりセラーズの抜けた穴は大きかった。並のキャラクターにあれが出来るわけがない。 オープニング・アニメからコンピュータが登場しているにもかかわらず、使われているのがほんの僅かだってのも勿体ない使い方だ。 ところでクルーゾーは一応ここでも出てはくる。その役はなんとロジャー・ムーアで、ムーア本人と称して実は…というややこしい役柄で登場してる(そう言えばムーアは『キャノンボール』(1981)でも本人役で登場してたっけ)。なんでも『007』で疲れた身体を癒すために南仏にヴァカンスに来ていたそうだが、やることなすことドジなことばかり。ボンドとのギャップが凄い。 結果的にワスとムーアのドジ合戦となってしまっていたが、結局単にセラーズの真似に終わってしまっていた。自分ではなく脇をしっかり目立たせていたセラーズの巧さを改めて思い起こさせる結果となっただけのはなし。 |
トレイル・オビ・ザ・ピンクパンサー 1982 | |||||||||||||||||||||||
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事件を追っていたクルーゾー警部(セラーズ)が失踪した。ドレフュス署長(ロム)ら残されたもの達はいなくなったセラーズを探すため、様々な聞き込みを始める。 本作はセラーズの死後作られた作品で、これまでのシリーズでの没カットを用いて、クルーゾー警部の捜査を追う前半と、いなくなってしまったクルーゾーを探しに行く後半の二つの場面に分かれる。前半は没になったカットとはいえ、相変わらずの幸運だけが頼りのクルーゾーのドジな捜査ぶりが楽しめる。ただインタビュー集みたいになった後半はさすがに失速。何となく故人を偲ぶ企画を映画の中でやってしまった感じ。これはこれで貴重な作品とも言えるけど。 ラストは「クルーゾーは死なず」という含みを持たせて終わるので(事実、この後に続編も何作か作られている)、寂しいような、それでいてこれからどうなるんだろう?と思わせる味わいはあった。 セラーズ版クルーゾーの最後の作品となるので、ファンだったら是非観て欲しい作品だ。 |
ビクター/ビクトリア 1982 | |||||||||||||||||||||||
1982米アカデミー音楽賞、主演女優賞(アンドリュース)、助演男優賞(プレストン)、助演女優賞(アン・ウォーレン)、脚色賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 1982ゴールデン・グローブ女優賞(アンドリュース) 1982セザール外国映画賞(エドワーズ) |
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1934年パリ。ゲイの芸人トディ(プレストン)は、ある日ビクトリア(アンドリュース)というソプラノ歌手がオーディションを受けに来たのを見かける。彼女の声はワイン・グラスを砕くほどだったが、逆にそれが災いし、オーディションに落ちまくっていた。その後、ビクトリアを見かけ、家に誘ったトディは、戯れに彼女に男装させてみたら、とてもその姿が似合うことを発見する。そしてトディはビクトリアをポーランドの伯爵ビクター・グラジンスキーということにし、ゲイの歌手として有力興行者カッセルに売り込んだ。トディの狙いは見事に的中。ビクトリアは一躍スタートなるのだが… かつてドイツで製作された『男装(Viktor/Viktoria)』(1933)のリメイク作。エドワーズ監督が実生活での妻ジュリー・アンドリュースを主役に、蒼々たるキャスティングと、長年のコンビ、ヘンリー・マンシーニの音楽と共に作り上げたミュージカル・コメディ。 1970年代の前半はハリウッドではニューシネマが大流行。自然映画も低予算で暴力的なものが多く、伝統的手法の作品は全然振り向かれなくなっていた。殊に大打撃を受けたのがミュージカル。リアル志向の時代にあって、いかにも作りものじみたミュージカルは敬遠されるのは分かるような気がするが、その凋落ぶりは激しく、時折大金をかけて「夢よもう一度」とミュージカルが作られる度、惨々たる結果になっていた。それで本作も、残念ながらその大作ミュージカルの一本に入ってしまう。実際雰囲気としても80年代に作るにしては古めかしすぎたし、登場するキャストもヴェテランばかりとあっては、やはり受ける要素が無かったのは事実だった。 …とは言え、本作が駄作か?と問われれば、とんでもない。物語性、キャスティング、演出全てが見事に噛み合った佳作だ。 上背があり、がっしりした体格、ショートカットを好む髪形と、アンドリュースは元々が中性的な魅力を持っているので、男を演じるのははまり役で、さらにコメディとの相性が良い。そう言うことで本作はアンドリュースの魅力を見事に捉えていたし、脇を固めるヴェテラン勢も、強烈な個性を発揮しつつ、引くべきところはきっちりと引いてアンドリュースを立てる。この辺さすがエドワーズ監督だな。監督に特有の野暮ったさが全然ないのも完成度の高さにつながっている。 コミカルな性的ネタも結構多く、暗喩を解すとかなり無茶な作品だとも思える。 それと、先に「古い古い」と連呼したが、ゲイとか性的なネタを殊更嫌っていたハリウッドがようやくこの設定で映画作れるようになったという意味では、実は本作は最先端を行く“新しい”作品であったのも事実。 時代性にあわず、受けはしなかったかもしれないが、ハリウッドの映画史においては、歴史の転換点を体現した作品だったのも確かな話。 |
ピンクパンサー4 1978 | |||||||||||||||||||||||
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フランス経済界の大立物でフレンチ・コネクションの黒幕という裏の顔を持つドービエ(ウェバー)は、自らの実力誇示のため、クルーゾー警部(セラーズ)の暗殺を計画する。幾多の困難の末、ついにクルーゾーの車を爆破し、暗殺に成功したと思いこんだが、それは実はたまたまクルーゾーを身ぐるみ剥いだ強盗だった。そうとは知らぬ世間は彼の死を悼み、警察は精神病院に収容されていたドレフュス(ロム)を捜査に復帰させる。一方のクルーゾーは世間の誤解を利用し、秘密に調査を始めるが… イギリス製作ながら1978年全米興行成績も9位と健闘した作品。冒頭から前作『ピンク・パンサー3』で消失してしまったはずのドレフュスが登場?あれれ?ひょっとして3はないものと割り切ったか?いや、これも全て精神病院に入院したドレフュスの妄想だったのか?とすると、妄想の中でもクルーゾーに負けてたのか。可哀想に。 しかし、ドレフュスの復帰は成功だろう。クルーゾーが死んだと思いこみ、浮かれまくってるその行く先々でクルーゾーの影が。その度にパニックに陥る姿は爆笑もの。ロッカー空けたらクルーゾーが「Peekaboo」(ばあ)と言って出てきて気絶するは、階段から転落するは、挙げ句にラスト、クルーゾーが生きていることがはっきりと分かって、「I am」(クルーゾーです)と叫ぶクルーゾーに「I know」(知ってる!)と叫びながら銃ぶっ放すとか、見事なことやってくれてる。ドレフュスの個性ってのがよく分かってらっしゃる。 それと今回はいつもクルーゾーのアパートにしかいないケイトー(クォーク)が初めて外に出たのも大きいな。ケイトーの行動が又笑える。あの女装姿は凄まじかったぞ。 演出もこれまでのシリーズ中最も派手なものだったし、ここまでシリーズが進んでいながら、これだけ面白いものが出せるのがやっぱり凄いなあ。 これを観てると、クルーゾーよりドレフュスやケイトーが目立って見えるのだが、次作『ピンク・パンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』(1983)を観て、クルーゾー抜きのシリーズがどれだけ味気ないかを感じるに付け、相方を目立たせるセラーズの存在感が何より重要だと言うことを思わされる。 |
ピンクパンサー3 1976 | |||||||||||||||||||||||||||
1976米アカデミー歌曲賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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これまでの数々のクルーゾー警部(セラーズ)の奇行で精神衰弱に陥ったドレフュス署長(ロム)は精神病院に収容されてしまった。しかし、ドレフュスは病院を脱走し、科学者を誘拐して物質消滅光線を作らせ、都市の破壊と引き換えにクルーゾー警部の命を要求する。破滅の危機に瀕した各国は、ドレフュスの要求に応じて、クルーゾー抹殺のための殺し屋たちを差し向けるが… 前作でクルーゾー抹殺に失敗し、結局収監されてしまったドレフュス署長。そこまでは「気の毒」で済むのだが(オープニングなんかはそれで良いんだが)、今度は逆にドレフュスが犯罪王になってしまった。 ちょっと中だるみはあるものの、相変わらずのケイトーとクルーゾーのやりとりとか、変装グッズを取りそろえるシーンとか(しかし、あのカジモドの変装はやりすぎだろ?)、並み居る各国の派遣した殺し屋をすんでの所で全部かわしてしまうクルーゾーの偶然の天才ぶりとか色々と笑える要素は満載だし、古城のセットもなかなか渋い選択だ。 それにしても流石パリ警察の署長と言うだけあって、ドレフュスの人脈は凄い。科学者おり、殺し屋おり、各国の要人おり…まあ、その辺のご都合主義ぶりが味ではあるんだけどね。 ところで本作は小技がとても凝ってる。 先ずオープニングのいつものアニメーションシーン。今回は様々な映画にピンク・パンサーが入り込んでしまうのだが、そこで『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)が出たところで大爆笑できる(念のため、ジュリー・アンドリュースはエドワーズ監督の奥さん)。更にエジプトからの殺し屋としていきなりオマー・シャリフが登場。これは目を疑う(スタッフロールにも出てなかったので、本当かどうか自信がなかったのだが、こういう時にネットは便利)。更に各国要人は現実の人物のそっくりさんが出てきており、悪ノリが激しすぎる。そう言う部分で思い切り笑える作品となっていた。 |
ピンクパンサー2 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
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中近東のルガシュ国立博物館に収められていた世界一大きいダイヤモンド「ピンク・パンサー」が盗み出された。そこに残された名刺に「P」の文字があったことで、怪盗ファントムの仕業と思われ、ファントムのライバルであるクルーゾー警部(セラーズ)に調査の依頼が舞い込む。その正体を知るクルーゾーは早速かつてのファントムことチャールズ=リットン卿(プラマー)の屋敷に乗り込むが… 前作の『暗闇でドッキリ』(1964)から10年の歳月を経てエドワーズ&セラーズのコンビで製作された通算シリーズ3作目(この辺が結構ややこしく、これを2作目と見る場合、3作目と見る場合もあるし、アラン=アーキン主演の『クルーゾー警部』(1968)を入れると4作目となる)。 ピンクパンサーとクルーゾー警部によるアニメーションから始まり、クルーゾー警部の奇行に頭を悩ますドレフュス所長、ケイトーとのやりとりなど、実は本作が一番『ピンク・パンサー』のフォーマットと言える作品だ。実際ケイトーを合わせてクルーゾーの無茶苦茶ぶりが今回も炸裂するし、ドレフュス署長がどんどんおかしくなっていく課程も楽しめる。そりゃクルーゾーみたいなのを部下に持ったら、おかしくもなるって。署長も根がまじめな人間だったのが災いしたね。クルーゾーを殺そうとするも、ケイトーとの争いに巻き込まれるわ、全部から回りし続けるわ、なんだかすっげー可哀想。最後は収監され、アニメのピンク・パンサーにまでバカにされる…それが思い切り笑えるのがこの作品の面白いところだ。 クルーゾーは相変わらずの無茶苦茶ぶりで、捜査は直線。ただし奇行のお陰で事件を複雑にしっぱなし…あれ?そう言えば3作目にして初めてまともな捜査になってたんじゃないか? エドワーズ監督、これを作るまでに10年という時間が必要だったが、その10年というのは監督の試行錯誤の期間だったのだろう。監督本人もおそらく『ピンクの豹』(1963)での成功に、不満を覚えていたんだろうが、結果的にギャグに帰ったことで成功してしまうのだから、うまくいかないって言うのか、天分を見いだしたって事になるってのか… |
夕陽の挽歌 1971 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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グレートレース The Great Race |
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1965米アカデミー音響効果賞、歌曲賞、編集賞、録音賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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20世紀初頭。アメリカのNYから大西洋を越えてパリへと向かう自動車大レースが開催された。我ぞと思う男達はそれぞれ自慢のマシンを駆り、意気揚々NYを出発する。科学者のレスレー(カーティス)は自分の知恵と力を試すためにこのレースに参加したが、同じく科学者だが、異様にレスレーに対抗意識を持つフェイト(レモン)も助手のマクシミニアン(フォーク)と共にレースに参加していた。フェイトの策略によってレースは最初から大荒れ。次々に脱落していく中、レスレーの車だけはギリギリの所で罠を回避し、やがてフェイトとの一騎打ちの様相を呈してきた。一方、取材と称してやはりレースに参加していた女性新聞記者のマギ(ウッド)は、自分の車が壊れたのを良いことに、ちゃっかりレスレーの車に乗り込んでしまうのだった…時にいがみ合い、時に協力しつつも、二台の車はヨーロッパに向けて疾走する。 子供の頃に好きだったアニメの一つに『チキチキマシン猛レース』があった。これはブラック魔王という科学者(マッド・サイエンティストに近い)と相棒のケンケンと言う犬が主人公のアニメだったが、あの手この手でライバルを邪魔しようとして、結果的に悪巧みが全部自分に跳ね返ってくると言う勧善懲悪の作品だったが、この手の作品は正義の主人公を作るよりも、こうやって頭は良いけどドジな悪人を使うことでキャラを立たせていた。 そのオリジナルと言うことで観る機会を探していたが、このほどようやくその機会に巡り会えた。 なるほどなあ。ブラック魔王がレモンでケンケンがフォークかあ。そう言えば『コロンボ』ではフォーク、犬飼ってたし。とか、結構楽しく観ることが出来た。 実際に本作は主人公であるはずのレスレーを観てるよりフェイトを観てる方が楽しいのは確か。いくらカーティスが歯を光らせて見せても、ウッドがキュートさを見せても、やはり悪の科学者の存在感の前には霞む。やっぱりマッド・サイエンティストこそが私の夢だ!(笑) キャラクターに関しては申し分なし。これ以上はいらないと言う位に魅力的な人間ばかりだった。ただ一方、折角あれだけたくさんレースに参加してるんだから、冒頭で全滅させずにもっとレースを引っ張ってもらいたかった気はするし、後半の突然の王宮話はとってつけたようなものがあり、そこが物語のバランスをちょっと崩してしまった気がする。確かにいきなりパイ投げになるとか、エピソード単体としては面白かったんだけど、レースという作品の構成上、ちょっと浮いていた気がした。その辺の脱線がエドワーズ監督らしさとも言えるけど、むしろこれは2時間でまとめためにもあれは敢えて切るべきだったのでは? とはいえ、概ねは大満足。 |
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暗闇でドッキリ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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富豪バロン(ジョージ・サンダース)の邸で起こった殺人事件。容疑者としてメイドのマリア(ソマー)が逮捕されるが、自分の勘に絶大な自信を持つパリ警視庁のクルーゾー警部(セラーズ)は、彼女が犯人ではないと主張。マリアを釈放してしまう。しかし、釈放されるたびに彼女の周りで殺人事件が起こり、その度毎クルーゾーは彼女を釈放するのだった…果たして真犯人は? 『ピンクの豹』(1963)が思わぬ大ヒット。中でもクルーゾー刑事役のセラーズの快演が記憶に新しい時期にエドワーズ監督が投入した続編。続編であるに関わらず『ピンク・パンサー』の名が付いてないのは、宝石ピンク・パンサーとは関わりを持たない物語だからだろうが、わざわざ離れさせておきながら、10年後に結局『ピンクパンサー2』(1975)としてシリーズとして復帰したため、順番が非常に分かりづらくなってしまったが、本作が純粋な続編である。 前作は主人公はファントム役のニーヴンと分け合い、むしろセラーズは副主人公っぽかったけど、やはりあの作品でキャラが立っていたのはどう見てもセラーズ。結局それで本作の単独主役となったわけだが、前回単なるドジな警部役なだけだったが、今回は魅力大爆発と言った感じ。おおよそ警部とは思えないような独断と偏見ぶりを発揮。自身もドジばかり踏む。その上で偶然に偶然が重なり、事態は収束していき、周りの評価は上がっていく。現代の日本のアニメにはこういうキャラ(大概女の子)が多く出てる気がするが、その大元がこのクルーゾー警部だった事を考えると、本作は今の日本でこそ見直されて然るべき作品だと私は思う。 ストーリーも相当に人を食っていて、クルーゾーが無茶苦茶な捜査をやってるだけじゃなく、謎が謎を呼び、どんどん訳が分からなくなっていく。その過程で上司ドレフュスはクルーゾーのお陰でにどんどんおかしくなっていくし、ストーカー女性の行動が無茶苦茶だし(これは後年『ブルース・ブラザーズ』(1980)で上手く使用された)、犯人が特定できないまま、最後のつめに入った途端容疑者全員が死亡…って、無茶苦茶不条理じゃないか!好きだなあ、こう言うの。 演出的には古き良き時代って感じで、セット感溢れる舞台にリアリティは無いし、物語もぬるめであるとはしても(全作そうか?)、一体どんなオチが待ってるのだろう?とドキドキしながら、あれを見せられた瞬間は、大爆笑。前作のオチもかなり強烈だったけど、それを上回ってるよ。大体事件は解決したものの、謎はなんにも明かされないって…寺山修司か?(笑) これで良いのか?いや、これで良いのだ。だって過程と謎を無視すれば、間違いなく事件は解決できてるんだから。それにこれが結局本シリーズの味ってやつだ。 強烈などんでん返しもあり、シリーズの中では本作が一番好きだな。 |
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ピンクの豹 The Pink Panther |
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1964米アカデミー作曲賞 1964英アカデミー男優賞(セラーズ) |
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某国の王女が所有する巨大な宝石“ピンクの豹”。謎に包まれた怪盗ファントム(ニーヴン)がその秘宝を狙っているとの報を受け、ファントムを追い続けていたクルーゾー警部(セラーズ)が王女の身辺警護を買って出たのだが… イギリス産のギャグ映画って、諧謔趣味が強いためか、趣味に合うのと合わないのとに大きく分かれるが、いつしかその大部分は凄く好きになってきた。それでも子供の頃に本作は笑い転げた記憶があるから、昔からその素質は私にもあったんだな。 それまで様々な作品を作ってきたエドワーズ監督であるが、本作および続編の『暗闇でドッキリ』(1964)の成功後、喜劇監督としてイメージが固まってしまった(以降、『ピンク・パンサー2』まで10年もかかったのは、あがき続けた結果だろう)。 本作の場合、主役がファントム役のニーヴンとクルーゾー役のセラーズの二人。どちらもイギリス紳士って感じのナイス・ミドルで、それがドジ踏みまくるのが面白く、特にラストのオチは強烈(なんか『ファントマ対ファントマ』(1914)を思わせるオチだったな)。ただ、主役を二人出してしまったため(他にも主役級が何人も出てくるし)、話がややまとまりのないと言う印象を受けてしまった。更に所々で話が飛んでしまってしまうので、把握しにくい部分があったりして。 それと、セラーズのファンとしては、やっぱりクルーゾーを中心に持ってきてもらいたかったのは確か。結果としてすぐに『暗闇でドッキリ』が出たのは、そう思った人間が多かったって事だろう。 ところで本作に登場するクルーゾーの妻役(以降のシリーズでは離婚したのかな?)のキャプシーヌの悪女ぶりがなかなか楽しいが…こう言うのを嫁さんしては絶対にいけないと、心に誓った(笑) |
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酒とバラの日々 Days of Wine and Roses |
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1962米アカデミー歌曲賞、主演男優賞(レモン)、主演女優賞(レミック)、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 1963英アカデミー作品賞、国外男優賞(レモン)、国外女優賞(レミック) |
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サンフランシスコの宣伝会社に勤務するジョー・クレイ(レモン)はあるパーティで大会社の秘書カーステン・アーセン(レミック)と出会った。酒好きで酔っぱらってしまっていたジョーとの出会いは最悪だったが、素面に戻ったジョーはその事を恥じ、積極的にカーステンに謝り、何度も食事に誘う。やがて陽気で会話の上手いジョーをカーステンは憎からず思うようになり、やがて二人は結婚に至るのだった。甘党で酒の飲めないカーステンだったが、ジョーの勧めで少しずつ酒を口にするようになっていく。だが忙しく働くジョーの毎日の酒量は上がっていき、酒の上での失敗も多くなっていく。更にジョーの不機嫌さがカーステンにも伝染。彼女の酒量も上がっていく… ハリウッドには定期的に酒やドラッグ依存を描いた作品が登場する。一流とされる監督が挑戦のために、そしてそれに選ばれた役者が超一流となる試金石のようなもので、おそらくはこれからも作られていくのだろう。いくつもの作品があるが、最も古く、かつ凄まじいのがワイルダー監督が「失われた週末」だろう。陽性の作品を量産するワイルダーが全く救いのない話を、渾身の力を叩きつけたかのような作品だが、次に挙げられるならばおそらくは本作になるだろう。 既にエドワーズは前作「ティファニーで朝食を」でその実力を見せているが、そこから分かる彼の特徴は内容的に重い話をしっかりコミカルに描けるというところにある。何より一般からちょっと外れた人間の描き方がとても優れている点にある。 ワイルダーの「失われた週末」の場合アル中に落ち込むのは主人公一人。周囲の人間はなんとかそれをなんとか更生させようと奮闘する側に立つのだが、本作の場合はもっと深刻で、一人の酒飲みが周囲に及ぼす負の連鎖に主眼が置かれる。これまたリアリティに溢れ、観ていて正直きつすぎる内容になってしまった。 ただ、そのきつさをしっかりエンターテインメントとして見せることが監督の実力だろう。単に痛々しくて目を背けるよりも、むしろしっかりと観ようと思わせるところが本作にはあり。無関係な人間であれば、はたで見ている限り、酔っぱらっている人を眺めているのは楽しい所もあるのだし、それでどこか後ろめたい笑いがそこに生じる…これってイギリス流の笑いなんだが、アメリカ人であるエドワーズ監督がこれを出来るのが凄いと思う(だからこそ「ピンクパンサー」シリーズなんかが作れるんだろうけど)。 その徐々に進行していくアル中役をレモンが真っ正面から受け止め、直球そのもので演技していた。冒頭の陽気さが徐々に陰ってきて、中盤以降はまじめくさったか、あるいは怒りの表情へとどんどん変化していく過程は、痛々しさを倍加。最後は苦悩を背負った穏やかな顔へと変化するのだが、この表情には彼の背負っているものを感じられる。 自分さえいなければこんな事には…結局人の運命を変えてしまうからこそ、人生は重い。ここまでの重いものを持ちつつ、しかし最後は人生を歩き通そうと決意する。彼は確かに駄目人間かも知れないけど、人生からは決して逃げてない。これまでの負債を背負って生き続けていく。それを感じられただけでも、本作はそのままの悲劇ではない。 レモンは元々器用な役者なのだが、デビュー作の「ミスタア・ロバーツ」でのコミカルな演技と、「お熱いのがお好き」で完全にコメディ役者として知られてしまった(レモンの評価を決定づけたワイルダー監督が「失われた週末」を監督しているのが皮肉なもの)。しかし、本人の望みはシリアスドラマを演じることで、本作でようやくその本懐を果たしたと言える。コメディで培った演技力は素晴らしく。まさに技巧派の面目躍如。 サポート役であるレミックは、上品な役は今ひとつ似合わないが、酒乱になってからの演技はやはり鬼気迫るものあり。むしろこの人は限界の精神を演じるのに適してるのだろう。 ヘンリー=マンシーニによる主題歌がスタンダード・ナンバーとなる。 |
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「勇気と知恵を与えてください」 |
追跡 Experiment in Terror |
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ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's |
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1961米アカデミー劇・喜劇映画音楽賞、歌曲賞、主演女優賞(ヘップバーン)、脚色賞、美術監督・装置賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニューヨークのアパートに一人住まいしているホリー(ヘップバーン)はいつも階上に住む日本人の写真家ユニオシ(ルーニー)によく迷惑をかけるが、本人は至ってあっけらかんと生活していた。ある日アパートに新しい住人ポール(ペパード)が越してきた。すぐに仲良くなるホリーとポール。ポールには室内装飾と称する中年女がいつも一緒にいて、夜半に帰って行く。そんな二人は、徐々に互いを意識していくようになるが… あの「冷血」を書いたトルーマン・カポーティ原作の映画化。まさにあらゆるものを詰め込んだ感じの都会劇に仕上げられる(カポーティ自身は既に30歳という年齢のヘプバーンが主演を務めることに最後まで納得しなかったらしい)。 アメリカ人の意識において、ニューヨークというのは特別な町という意識が強いニューヨークを舞台とした映画は特に人間の欲望やシニカルさを全て放り込んで、それでも出来るのが洒落たセンスを持つ作品に仕上がることが多い(その代表はやはりウディ・アレンだろうけど)。 本作も、舞台がニューヨークだからこそこういった小洒落た作品に仕上がったんじゃないだろうか。なにせ情夫と高級コールガールの話。ドロドロにさせようとすれば、いくらでも出来る。それをここまでからっとした描写に出来たのがニューヨークという舞台なのであり、なかんずくヘップバーンという名優を迎えたことなんだろう。 それまで純粋な娘役を演じることが多かったヘップバーンにとっては転機となった作品であるが、このような主題であっけらかんとした役を飄々と演じているのがなかなかに興味深いところ(一般的に観るなら、彼女は“汚れ役”なのだが、あっけらかんとした彼女の姿は、やっぱり妖精に思えるよ)。役者として新境地に入った感がある(後の『マイ・フェア・レディ』はこの作品あってこそ)。劇中、具体的にはヘップバーン演じるホリーの職業については言及されていないのだが、不特定多数の男達とつきあって、そこから収入を得ている様子を描写されているので、高級コールガールっぽい。この役をヘップバーンが演じたからこそ、いかがわしさが消え、都会的ラブ・ストーリーとして成立させられた。 なんでも原作者のカポーティは、モンローを念頭に小説を書いたと言うが、エドワーズ監督は、原作を読んで、最初からヘップバーン以外の役は考えられなかったそうだ。 これまであまりアメリカを舞台としたものは無かったヘップバーンも、ニューヨークという街とは意外に良く合っていたと思う。 後、本作でスタンダード・ナンバーとなったマンシーニ作曲の「ムーン・リバー」。決してうまくはないが、ヘップバーンが自分の声で歌ってくれたのも嬉しいところだ。 ところで、ニューヨークには様々な人間が住んでいるというのが設定なんだろうが、あの日本人ユニオシの造形はちょっとねえ。えらが張って黒縁の四角い眼鏡をかけて出っ歯。昔のアメリカの漫画にある日本人顔そのまんま。日本人がどういうイメージで映っていたのかがよっく分かる。 尚、本作でヘップバーンが着ていたドレスは2006年に競売にかけられ、467,200ポンドで落札されたとか。 |
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