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2012 | 6'26 死去 | |
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ジュリー&ジュリア 監督 | |
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | 奥さまは魔女 監督・製作・脚本 | |
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ラッキー・ナンバー 監督・製作 | |
電話で抱きしめて 製作・脚色 | ||
1999 | ||
1998 | ユー・ガット・メール 監督・製作・脚本 | |
1997 | ||
1996 | マイケル 監督・製作・脚本 | |
1995 | ||
1994 | ミックス・ナッツ/イブに逢えたら 監督・脚本 | |
1993 | めぐり逢えたら 監督・脚本 | |
1992 | ディス・イズ・マイ・ライフ 監督・脚本 | |
1991 | ||
1990 | マイ・ブルー・ヘブン 製作総指揮・脚本 | |
1989 | 私のパパはマフィアの首領 製作総指揮・脚本 | |
恋人たちの予感 脚本 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | 心みだれて 原作・脚本 | |
1985 | ||
1984 | ||
1983 | シルクウッド 脚本 | |
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | 5'19 ニューヨークで誕生 |
ジュリー&ジュリア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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奥さまは魔女 Bewitched |
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2005ゴールデン・ラズベリー最低スクリーン・カップル賞(キッドマン&フェレル)、最低主演男優賞(フェレル)、最低監督賞(エフロン)、最低脚本賞、最低リメイク・続編賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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落ち目の俳優、ジャック=ワイヤット(フェレル)は再起を賭けテレビドラマ『奥さまは魔女』に臨む。その際、自分を目立たせるために奥さまのサマンサ役に無名の新人を捜していたのだが、そんな彼の前にひょんと、まさしく彼の望み通りの女性が現れた。イザベル=ビグロー(キッドマン)という金髪女性だ。早速彼女をサマンサ役に抜擢するのだが、ところがこのイザベルは実は本物の魔女だったのだ。魔法を使わずに恋を見つけるために人間界に降りてきた彼女は、父ナイジェ
ル(ケイン)の心配や母アイリス(マクレーン)の反対にもめげず、この世界に飛び込んでいくのだが… 往年の大ヒットTVシリーズ「奥さまは魔女」のリメイクで当代一流のキャストを揃えた力の入った作品。 ただ、リメイクと言っても、オリジナルはテレビの中の話。と限定しているのが本作の特徴。それでそのリメイクを作っている風景を映画にするということになり、話自体はシンプルなのに設定がややこしい作品。 このちぐはぐさが見事に滑ったのか、本作は見事にコケてしまった。全世界公開というのに、一般客も入らず、批評家からもそっぽ向かれてしまう羽目に。このことを知っていたので劇場では観る気がせずにTVで鑑賞。 実際観てみると、このちぐはぐぶりがよく分かる。魔法を使えるという設定なのに、肝心な事にはてんで魔法の威力を使おうとしないため、ほんとまどろっこしい。往年のTVシリーズではサマンサは魔法を使う事自体に罪悪感を持ってなかったので、抑え役のダーリンとの掛け合いが面白かったのだが、それを封印してしまった事により、終始イライラさせられっぱなし。物語そのものもやっつけ半分にしか見えなかったし。登場人物の感情の動きが掴めないんだよな。 キャストは豪華で、確かに観るべきものがあるのだが、なまじキャラが良いだけに、抑えすぎた演技がはまりすぎ。これだけの人たちに演技を強いてはならなかったんじゃないだろうか?エンドラ役はマクレーン以外にあり得ないだろう。とは最初から思ってたけど、ぶっ飛び方も中途半端だったし。もうちょっと弾けて欲しかったなあ。主人公のウィル=フェレルは、アメリカでは大変人気のあるコメディアンなのだそうだが、アダム=サンドラーと言い、この人と言い、今ひとつ笑えないような… 結局本作はフェレルに感情移入が一切出来なかった時点で失敗だったと言えるのではないかな?元のTVシリーズそのものの面白さが、サマンサの魅力を引き出すダーリンの存在あってこそだったから。 テレビのインタビュアーをしているのはジェイムズ・リプトン。「アクターズ・スタジオ・インタビュー」の司会者。 |
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ユー・ガット・メール You've Got Mail |
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1998ゴールデン・グローブ女優賞(ライアン) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マンハッタンに住むキャスリン(ライアン)は母から受け継いだ小さな絵本の店を経営していた。彼女には同棲中の恋人フランク(グレッグ・キニア)がいたが、HNしか知らないメールの相手にほのかな恋心を抱いていた。実はその相手は大手の書店チェーンの社長の息子でやり手のジョー(ハンクス)であり、マンハッタンに巨大な書店をつくろうとしていたのだった。実生活で反目し合う二人は、互いにメールの相手が誰だか知らないままでいたが、やがて真実を知る時が… ようやくインターネットという言葉がメジャーになりつつあった時代に作られた作品で、当時の状況を考えてみると、大変初々しい設定である。物語もまことにハリウッドらしい展開で、毒にも薬にもならぬ内容ではあるが、しかしここにハンクスとライアンというヴェテランの二人を配することによって、定番ながら良質の恋愛作品に仕上がっている。 ハリウッドらしさとは何か?と言うと、結局それは現実から離れて、見ている人を心地よくさせ、暖かな余韻を残すと言うことになるのだろうが、そもそもハンクスはそういう作品でメジャーになった役者だし、ビッグになって様々な大作映画に出ていても、これが本領発揮と言った感じ。対するライアンは、相手役にはまさにうってつけという感じか。大人同士のしっとりした恋愛劇を、当時新しかったメールという機材を用いることで、初々しさをも同時に演出出来ているのが面白いところ。昔だったらこれはペンフレンドって事になったのだろうが、メールはより早く感情を伝えることが出来るので、その特性を巧く活かせた事が良かったようだ。味気なくなりがちな作品を巧く設定でカバーしていた。古き良きハリウッドの資産と、新しい設定を巧く融合させたのが良かった。 これと言って文句がある訳じゃなし…と言うか、文句を付ける筋合いもなさそうだ(何か考えようとしたのだが、考えつかなかった)。この手の恋愛劇が苦手な私が結構楽しく観ることができたって事は、やっぱり良い作品なんじゃなかろうか? |
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めぐり逢えたら | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1993米アカデミー脚本賞、主題歌賞 1993英アカデミー脚本賞、作曲賞 1993ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ハンクス)、女優賞(ライアン) 1994MTVムービー・アワード歌曲賞、女優賞(ライアン)、ブレイクスルー演技賞(マリンジャー)、コンビ賞(ライアン&ハンクス) |
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ボルチモアの新聞記者アニー・リード(ライアン)はある日カーラジオのトーク生番組に興味を覚える。そこでは妻に先立たれて落ち込んでいる父親のサム(ハンクス)に「新しい奥さんを」と訴えるシアトルの8歳の少年ジョナー(マリンジャー)の訴えていた。その切々とした訴えに心打たれるアニー。一方、半ば息子に騙されるようにラジオに出てしまったサムだが、やはり妻の事が忘れられず、色々な人に女性を紹介されても、鬱々とした日々を過ごしていた… 『めぐり逢い』(1957)をベースに、当時旬のハンクスとライアンの競演で有名になった作品。 コメディエンヌとしては実力者となったライアンに、コンビのハンクスを加えて送るロマンティック・コメディ。監督のエフロンは『恋人たちの予感』(1989)の脚本家で、その時に知り合ったライアンを主演に起用したとのこと。 本作の面白いのはラストシーンまで主演二人が顔を合わせないというユニークな作りになっており、設定的には大変優れているし、芸達者な二人のお陰で優れた作品になっているのだが、改めて本作で私はロマコメは見事に合わないことを痛感させられてしまった。 あり得ない話だけに、それに酔うことが出来れば優れた作品と認められるのだが、逆に突き放して観てしまうと、設定的なアラや、猪突猛進なアニーの性格に引いてしまう。大体ラジオで声聞いただけで、恋人を振って見も知らぬ男の元に飛んでいくなど、ほとんどストーカーとしか思えず。これじゃ恋人は浮かばれないよ。それに子役のマリンジャーが、聞き分け良すぎる上に、自分よりも父親の幸せを考えるなど、ちょっとあり得なさすぎ。 これらのことは全て物語にのめり込んでしまいさえすれば無問題なのだが、それが出来ない人間にとってはどうにも受け入れられない。私自身の個性の問題か。 |
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