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わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録(書籍) _(書籍) |
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1980 | ニックス・ムービー/水上の稲妻 監督 | |
1979 | 6'16 死去 | |
1978 | ||
1977 | アメリカの友人 出演 | |
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | サーカスの世界 原作 | |
1963 | 北京の55日 監督 | |
1962 | ||
1961 | キング・オブ・キングス 監督 | |
1960 | バレン 監督・脚本 | |
1959 | ||
1958 | エヴァグレイズを渡る風 監督 | |
暗黒街の女 監督 | ||
1957 | 無法の王者ジェシイ・ジェイムス 監督 | |
1956 | 黒の報酬 監督 | |
1955 | 理由なき反抗 監督・原案 | |
1954 | 大砂塵 監督 | |
追われる男 監督 | ||
1953 | ||
1952 | マカオ 監督 | |
1951 | 太平洋航空作戦 監督 | |
脅迫者 監督 | ||
危険な場所で 監督・脚本 | ||
1950 | 孤独な場所で 監督 | |
1949 | 女の秘密 監督 | |
夜の人々 監督 | ||
暗黒への転落 監督 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ブルックリン横丁 助監督 | |
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | 8'7 ウィスコンシン州で誕生 |
理由なき反抗 Rebel Without a Cause |
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1955米アカデミー助演男優賞(ミネオ)、助演女優賞(ウッド)、原案賞(レイ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある夜、街に引っ越して早々酔った17歳の少年ジム(ディーン)が警官に捕まった。たまたまその晩に起こった集団暴行事件の容疑者として警察に連行された彼は、そこで夜中の街を徘徊し、保護された少女ジュディ(ウッド)と、いじめられっこで、その日銃で子犬を撃ってしまった少年プラトー(ミネオ)と知り合う。翌日新しい学校に登校したジムはジュディ、プラトーの二人に再会する。同時に不良グループのバズ(アレン)に目を付けられたジムは、チキンレースを挑まれるのだが… レイ監督による傑作と名高い作品で、ジェームズ・ディーンを一気にスターダムに押し上げた作品。前年公開された『乱暴者(あばれもの)』(1953)と共に青春映画の金字塔とされる作品。 元々モノクロで撮影されるはずのものを絶対カラーで。と主張したのも彼である。事実、この落ち着かないテクニカラーが思春期の不安定さをよく示していたとも言われている。 私にとって相性の悪さで言えばトップクラスのジェームズ・ディーン。この人の役というと、不良ぶっているが、実際は家族の愛を求める繊細な青年の役が多い。それはまさにはまり役には違いないのだが、どうにもそれを見てるといたたまれない気持ちにさせる。 実際、ここでのディーンの役回りは、「不良」と呼ばれつつ、自己に悩み抜き、それが無軌道な行動と、愛されたいという思いに引き裂かれていく、そんな難しい役回りを自然に演じきっていたのは確かなこと。それは認めねばなるまい。それに当時のトップスター、ウッドは綺麗。やっぱ輝いてるよ。 ただ、やはり現代の私の目からすると、表現的にはぬるいし、その姿は苛々させられてしまうので、どうしても高い点数を付けたくはない。 しかし、考えてみると、この時代だからこその作品だったのかも知れない。ようやくそのことが思い至るようになった。 この時代のハリウッドって、“健全であること”に大変注意を払っていた。実際過激な表現が出始めたのが60年代になってから。そして実際にハリウッドが表現に自由を持ち始めたのはニュー・シネマが出始めた70年代になってからだった。 当時であっても、多分この表現は現実世界に照らしてみる限り、相当にぬるい内容だったのだろうが、それでもかなりの冒険だったのだろう。だからこそ評価されているのかも知れない(事実ここで親子の和解が最後になるのは当時のハリウッドの規制によるものらしい)。今から考えるとこれだけぬるくても、相当な挑戦だったのだから(お陰でレイ監督は「ハリウッドの反逆児」なる名称をいただいてしまった)。 本作がどうにも好きになれなかったお陰で、実は私が「家族を作る」という物語がツボであることに気付くのがとても遅くなってしまった。私にとっては、色々な意味で相性の悪い作品だったと言うことになる。 改めて考えてみると、今では割合当たり前の「不良」と言われることが、身の破滅を意味した時代。そんな雰囲気を感じることが出来る作品だったのかも。 当時の若者を中心に大ヒットした作品ではあるのだが、本作はもう一つありがたくない異名が付いた。すなわち、「呪われた映画」という。ディーンは公開前の9月に自動車事故で死亡、サル=ミネオは1976'2にアパートの駐車場で刺殺。ウッドは1981'11に映画の撮影中に溺死…見事に主役3人が事故死という結果を生んでいる。 |
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大砂塵 Johnny Guitar |
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アリゾナの小さな町にギター弾きの男ジョニー・ギター(ヘイドン)がやってきた。その町で賭博上を経営している女主人ヴィエンナ(クロフォード)と、駅馬車を襲撃して逃げてきたというキッドと意気投合するジョニー。しかしキッドに親を殺されたエマ(マッケンブリッジ)は収まりがつかず、近隣で起こった事件を全てヴィエンナとジョニーにかぶせてしまい、自警団を組織してヴィエンナの家を焼き、更に執念で二人を追いかけてきた。 旧来の西部劇とは一線を画した珍しいタイプとして有名な作品。主人公は一応スターリング=ヘイドンだが、話の中心となって、更に撃ち合いまでするのは女性であるクロフォードとマッケンブリッジであり、男連中はみんな彼女たちの個性に引きずられるだけという。こういう画期的な要素があったお陰で大きな話題となった。今から考えると可愛いものだが、当時は“フェミニズム映画”とまで言われ、主題歌「ジョニー・ギター」はスタンダードナンバーとなった。 とにかく本作の売りは「強い女性」これに尽きる。西部の荒くれ男に囲まれ、自分自身の居場所をしっかり持とうとしているクロフォードの姿は、演技と言うよりも素の魅力が溢れている。いくら机上に振る舞っても、やはり時折訪れる寂しさ。その辺も巧く演出できていた。そして彼女に対抗するのはマッケンブリッジ。彼女の場合、外側は清楚な感じでありながら、心の中は燃えさかる炎のようなもんで、当然二人の折り合いは悪い。敵役にこういう魅力的な女性を配することが出来たのが強みだろう。それでこの二人の迫力に押されて男連中がすっかり弱まっているものの、ヘイドンが飄々と演じていたのは物語的には正しかったのだろう。巧い具合に男連中の抑えが利いてるのが本作の成功点だ。 尤も話そのものは結構ぬるめなので、結局人物と設定で観るべき作品と言うことになるだろうか? 本作に脚本家としてクレジットされているのはフィリップ・ヨーダンだが、実際の脚本はレッドパージにあったベン・マドゥだったと言われている。 |
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孤独な場所で In a Lonely Place |
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ハリウッドの内幕もので、ここでボガートは乱暴者を演じているが、これは深い内面を追求している。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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暗黒への転落 Knock on Any Door |
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