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かつて…(書籍) 評論 ヴィム・ヴェンダース (e/mブックス1)(書籍) _(書籍) |
2023 | PERFECT DAYS 監督・製作・脚本 | |
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜 監督 | |
2006 | ||
2005 | アメリカ,家族のいる風景 監督・原案▲ | |
2004 | ランド・オブ・プレンティ 監督・原案・脚本▲ | |
ミュージック・クバーナ 製作総指揮 | ||
2003 | ソウル・オブ・マン 監督・脚本 | |
Rain レイン 提供 | ||
2002 | 10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス 共同監督 | |
2001 | ||
2000 | ミリオンダラー・ホテル 監督・製作 | |
1999 | ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 監督 | |
1998 | ||
1997 | エンド・オブ・バイオレンス 監督 | |
1996 | ||
1995 | キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒 監督 | |
ベルリンのリュミエール 監督・出演 | ||
愛のめぐりあい 監督・脚本 | ||
リスボン物語 監督・脚本 | ||
映画を作ることが生きることだ 出演 | ||
1994 | ||
1993 | 小津と語る Talking With OZU 出演 | |
1992 | ||
1991 | 夢の涯てまでも 監督・脚本 | |
1990 | ||
1989 | 都市とモードのビデオノート 監督・脚本・撮影・出演 | |
1988 | ||
1987 | ベルリン・天使の詩 監督・製作・脚本 | |
鉄の大地、銅の空 製作 | ||
1986 | ||
1985 | 東京画 監督・脚本 | |
1984 | パリ、テキサス 監督 | |
1983 | ||
1982 | 666号室 監督・出演 | |
ハメット 監督 | ||
1981 | ことの次第 監督・脚本 | |
1980 | ニックス・ムービー/水上の稲妻 監督 | |
1979 | RADIO ON 製作 | |
1978 | ||
1977 | アメリカの友人 監督・脚本 | |
左利きの女 製作 | ||
1976 | ||
1975 | さすらい 監督・脚本 | |
1974 | まわり道 監督 | |
1973 | 都会のアリス 監督・脚本 | |
1972 | 緋文字 監督・脚本 | |
1971 | ゴールキーパーの不安 監督・脚本 | |
1970 | 都市の夏 監督・脚本 | |
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | 8'14 デュッセルドルフで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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PERFECT DAYS | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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古びたアパートで独り暮らしをする寡黙な清掃作業員平山(役所広司)は、早起きしてワゴン車を運転し、公衆トイレを一つ一つ丁寧に清掃していく。その後は行きつけの浅草駅の飲み屋でちょっと飲んで本を読んで寝るという、判を押したような生活を毎日送っていた。その中でも、古いカセットテープでロックを聴くことと、毎日昼飯に通う神社で木漏れ日の写真を撮ることを楽しみにしていた。日々変わりなく過ぎていくが、少しだけ異なる日常が時折やってくる。今回は平山の姪である女子高生のニコ(中野有紗)がアパートへ押しかけてくる。 ヴィム・ヴェンダース監督が日本で役所広司を主演に映画作ってると聞いたのは昨年の頭。小津作品に並々ならぬ執着を持つ監督のこと。小津映画のオマージュに溢れたものになるだろう。その時点で「監督、夢を叶えたんだな」というのが正直な思いだった。 ただ、その先行した考えは、半分当たり、半分外れた。 本作は概ね「小津らしい」作品には仕上がっていて、変わらぬ日常を生きる一人の男と、変わらないように見えながら、少しずつ変化していく周囲の人々。そして目に見えないような小さな決断を下して、再び変わらぬ日常へと向かう。 そんなフォーマットはしっかり保っている。ただ、小津作品とは異なって役所広司が思いの外生々しい役柄なので、枯れた感じがない。にじみ出る生き生きした生の讃歌みたいなものを感じさせて、ここの部分は雰囲気が異なる。 これは最初から役所広司を使う前提で本作が作られたため、彼に合わせた役作りになっていたからなのだろう。小津らしさは多少削れるが、役所広司の映画としてきちんと作られているので、それで良い。 作品として考えるならば、日常の中で、ちょっとした違いが後を引くという話となる。何かが起こったとしても最初と終わりは変わらず、日常が続いていく。まるで[旅芸人の記録](1975)のような感じで、小津とアントニオーニを合わせたような感じ。 それこそが作品の目的なので、この雰囲気に浸って心地よさを感じるならば本作はとても評価が高くなる。 一方、この投げっぱなしの物語を基地悪いと感じる人もいるだろう。特に三浦友和と石川さゆりの下りは、あまりに変な物語である。わざわざ戸を開けて抱き合っているのを、覗き見る必要性は全くないし、そこで覗いていた人間をわざわざ探し出す必然性もない。突然始まる影踏みにおいては、全く無意味。 このくだりに関してはもう少し作りようがあったとは思うのだが、出来すぎた夢という演出と考えるならば、この部分のリアリティのなさはむしろ狙いなのかもしれない。 水面に石を投げその波紋が去って、湖面がまた静かになるまで。それを繰り返しつつ、読書と写真という目に見える形の分だけ、少し日常が変わっていく。そんな生活を描いたものとして見てみれば良いのだろう。 とにかく役所広司が役所広司である映画とだけは言えるだろう。 |
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アメリカ,家族のいる風景 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2005ヨーロッパ映画撮影賞、作品賞、監督賞(ヴェンダース)、編集賞 |
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ランド・オブ・プレンティ 2004 | |||||||||||||||||||||||
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ソウル・オブ・マン 2003 | |||||||||||||||||||||||||||
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ミリオンダラー・ホテル 2000 | |||||||||||||||||||||||
2000ベルリン国際映画祭審査員賞 | |||||||||||||||||||||||
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ベルリン 天使の詩 1987 | |||||||||||||||||||||||
1987カンヌ国際映画祭監督賞(ヴェンダース)、パルム・ドール(ヴェンダース) 1988英アカデミー外国語映画賞 1988全米批評家協会撮影賞 1988NY批評家協会撮影賞 1988LA批評家協会外国映画賞、撮影賞 1988ヨーロッパ映画監督賞(ヴェンダース)、助演男優賞(ボウワ) 1988インディペンデント・スピリット外国映画賞 1988ブルーリボン外国作品賞 1988キネマ旬報外国映画第3位 |
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『伯林−大都会交響曲』(1927)からの影響があることは監督が語っている。 リアリティに溢れたファンタジー。暗い時代を直視しつつ、その中で人間の優しさを見いだそうとする。 |
東京画 1985 | |||||||||||||||||||||||
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小津安二郎を敬愛するヴェンダース監督が、鎌倉にある小津の墓を訪ねる旅に、インタビューや様々な東京の情景をからめて構成された私的なドキュメンタリー。 ドイツ映画界を代表するヴェンダース監督が小津監督大好きというのはなんかとても納得出来る。この人はロードムービーやドキュメンタリーを得意とするが、一旦作品を描くとなると、本当に静かに静かに物語が展開していくし、監督の持つ作家性を非常に重要視しているのが分かる。小津らしく作ろうとしているのだ。と言われれば、確かにその通り。と言えるだろう。 そしてその敬愛する小津監督の故郷日本を描こうとするのが本作の狙いだが、ドキュメンタリーとしての本作は、小津の生きた20年後の東京を監督はどう見ていたのだろう? 本作はむしろ作家性と言うより、猥雑な街としての東京を克明に描いている感じがする。小津の描く時代の日本は、もっとすっきりして、家族もシンプルで、娯楽もそうは多くなかった。一方、本作に見られる1980年代の日本というのは、まさにポストモダン華やかかりし頃で、激動の時代を迎えていた。アメリカからの思想をどんどん日本流に消化していった時代と言っても良いだろう。その過程は猥雑そのもの。その猥雑さをカメラは克明に捉えていた。 結果的にヴェンダース監督は「小津の描いた日本はもう存在しない」と断じている。この映画は監督の失望そのものを描いたものとも言える。それをちゃんと一本の映画にしてしまうのは流石とは言える。レネ監督の『二十四時間の情事』(1959)にもどこか通じるものがある。 だけど、ヴェンダース監督には一つ言いたい。 これも又、日本の形なんだよ。 しかし、特に映画監督が作った風景というのは興味深い。興味本位でない分、その風景は良い意味でも悪い意味でも大変克明。特に夜の描写は際だって素晴らしかった。日本人の目から見たものとは全く違った日本の風景がそこにはあった。 美しいけど、退屈な作品であることは確かなんだけどね(笑) |
パリ、テキサス 1984 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1984英アカデミー監督賞(ヴェンダース)、作品賞、脚色賞、作曲賞 1984カンヌ国際映画祭パルム・ドール(ヴェンダース)、国際映画批評家連盟賞(ヴェンダース)、全キリスト教審査員賞 1984ゴールデン・グローブ外国映画賞 |
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4年もの間行方不明となっていたトラヴィス(スタントン)がテキサスの原野で行き倒れになっているのが発見され、病院はその弟のウォルト(ストックウェル)に連絡する。実は4年前トラヴィスは妻のジェーン(キンスキー)に家出され、そのまま自分が何をしているのかも分からないまま放浪を続けていたのだ。ウォルトの家で今はもう7歳に成長したハンター(カーソン)が迎える。最初の内ぎこちなかった二人だったが、トラヴィスの記憶が戻ってくるに連れ、徐々にうち解けていく。そしてハンターの母ジェーンの居場所のヒントを得た二人は、早速ヒューストンへと行くのだが… 独特な作風で微妙な人間関係を描き続ける監督ヴェンダースの傑作ロード・ムービー。ヴェンダースはそもそも低迷を続けていたドイツ映画界で頭角を現した監督であり、彼の登場によってドイツ映画は国際的に復興していったという、ドイツ映画界にあっては恩人とも言える人物ではあるが、世界的に有名になったところでハリウッドからもお呼びがかかった。その第一作目はコッポラに招かれて制作した『ハメット』だったが、トラブルによってアメリカ式映画作りに大きな失望を抱き、本作は自らのプロダクション、ロード・ムービーズ・プロと、パリ、イギリス資本で製作した、アメリカでの第2回作品。脚本のシェパードも、演技者としてだけでなく、脚本としても一流であることを内外に示し、二人揃っての本当の出世作となった。 本作は不条理劇と捉えられることもあるが、普遍的な人間関係を、当時の風俗を絡めて描いており、ヴェンダースらしい乾いた色遣いの中で、この当時の人間関係の希薄さと言うのもよく現している。 特に夫婦関係の描写は特筆すべき。触れあっている時は分かっていそうでお互いに全く分かっていない。だけど、遠く離れ、触れあうことが出来なくなった時こそ、むしろ互いに本音が言える。全くこの鏡越しのラブストーリーの演出には脱帽ものだよ。当初一方的に喋るしかできないトラヴィスが、喋っている内に自分自身の気持ちに気づいていき、当初の無表情がどんどん歪んでいく。一方、その告白を聞いている鏡越しのジェーンが、話している内に相手が誰だか分かっていく。だけど、一方的に見られているので、それを悟られないように、逆にどんどん顔が強ばっていく。敢えてそれを見ないように強いて背中を向けるトラヴィス…このシーンは本当にすごい。 それで家族は元に戻るのか…分かり合えたと思うのもやはり幻想。リアルに耐えきれないトラヴィスは一人去っていく。去っていくことが正しかったのだろうか?それとも…その辺を曖昧にしたことは狙いだったのかな? ヴェンダースを特徴とする乾いた色遣いも映えてる。最初の赤茶けた荒野を一人佇むトラヴィスの姿。そして人間関係が深まれば深まるほど濃く、暗くなっていく風景。その辺がまるで心象風景みたい。見事な演出だったよ。 ただ、ハリウッド資本を否定したことが本作の制作にも影響を及ぼし、撮影は順調だったが、ドルの高騰によって予算超過を余儀なくされ、それに伴う脚本変更やキンスキーのスケジュール調整などが上手くいかず、撮影中断を余儀なくされる。無給スタッフもいたという。 |
666号室 1982 | |||||||||||||||||||||||
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1982年に開催されたカンヌ国際映画祭にて、ヴェンダース監督がホテルの一室666号室を開放し、映画関係者に「映画の未来について」という題で自由に語ってもらったドキュメンタリーのTVM。 蒼々たるメンバーが言いたいことを言いっぱなしの作品だが、割とその中で面白い意見も出たり、不意に本音が出てたりもする。映画に対して悲観的な意見もあり、楽天的な意見もあり。ただ今これを観てると、やっぱり過去の話だな。と思うのが大半。 いくつか面白いのを挙げておくと、スピルバーグなんかはハリウッド映画がどんどん金の浪費になっていくことに危惧を覚えていると発言してたのだが、その張本人が何を言ってる?という心のツッコミが入ってみたり、ゴダールはだんだん映画作りそのものに興味を持てなくなってきていることを匂わせていたりする。なんかここに登場するゴダールは世捨て人っぽい感じ。ヘルツォークなんかはかなり楽天的な考え方をしていたけど、むしろ彼の意見が一番正しかったようにも思えたりする。作品そのものは重厚なのを作るけど、映画そのものに対しては楽しんでる人なんだな。 記録映画としてはかなり重要な意味合いを持つ作品なので、映画好きは観て損がない作品とは言っておこう。 |
ハメット 1982 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1982カンヌ国際映画祭パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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1928年サンフランシスコ。ダシール・ハメット(フォレスト)は探偵業から足を洗い、これまでの経験を元に小説家に転身しようとしていた。そして第一回の原稿を上梓したその時、かつてピンカートン探偵社時代の仲間で、主人公のモデルの一人でもあるジミー=ライアン(ピーター・ボイル)が訪ねてきた。探偵社への依頼で中国人娘リスタル=リン(レイ)の人捜しに来たというジミーをダシールはチャイナタウンに案内するが、何者からかの銃撃に合い、ジミーとは引き離され、更に途中で投函しようとしていた原稿はなくしてしまった。否応なしに事件に巻き込まれてしまったダシールの活躍を描く。 コッポラの設立したゾーエトロープ(ハリウッド・ゼネラル・スタジオを買い取った)の第一回作品で、実在の小説家で『マルタの鷹』(1941)を初めとするハードボイルド小説家のダシール=ハメットを題材に、かなり好き放題に作った作品。 ゾーエトロープの第一回作品と言うことでコッポラも気合いを入れ、ヴェンダースを招いての万全の布陣で製作を開始。しかしコッポラとヴェンダースの意見が合わなかったことと、製作費の高騰のため途中で一旦製作中止となるが、第2回作『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982)と同年に公開にこぎつけたという曰く付きの作品である。 それで出来だが… はっきり言ってこれじゃ失敗するよ。というレベル。物語が複雑な上にキャラクタがテレポートしたかのようにあっちこっちへと移動しまくり、更に黒幕の存在がはっきりしないため、どうにも後味の悪い作品に仕上がってしまった。きっと製作のコッポラが我慢出来なくなって色々口を挟んだんだろう…確信はないけど。これも上手くはまっていれば『チャイナタウン』(1974)みたいな傑作にも成り得ていたんだけど。 確かに50年代から60年代にかけてハリウッドで何作か作られたハードボイルド作品に沿った形を取っているので、その辺の作品が好きな人ならにやっと出来る部分も多いのだが、難解さまで真似することはなかったんじゃ無かろうか?少なくとも1980年代という明快さを求める時代に敢えて巨額を投じて本作を作った意図が掴めない。 でも、褒めるべき所も多い作品でもある。特に雰囲気作りは見事で、1920年代のアメリカの暗黒的描写はしっかりしているし、ノワール調のストーリー運びも流石ヴェンダース!アクション部分がとにかくぬるいのも含めて(笑) 結論言えば、大金かけたカルト作と言った感じか。 |
ことの次第 1981 | |||||||||||||||||||||||
1982ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞 | |||||||||||||||||||||||
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アメリカの友人 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1977カンヌ国際映画祭パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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パトリシアハイスミスの未発表原稿を元に映画化。当時不遇だったデニス=ホッパーを迎え、鬼気迫る演技を見せる。実は初めてドイツ以外の俳優を迎えた作品でもある ホッパー演じるアメリカ人の名前はトム=リプリー。『太陽がいっぱい』の主人公と同一人物という設定 アメリカとヨーロッパの文化の摩擦を描く |