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2023 | |||||||||||
2022 | クライムズ・オブ・ザ・フューチャー 監督・脚本 | ||||||||||
2021 | |||||||||||
2020 | フォーリング 50年間の想い出 出演 | ||||||||||
2019 | |||||||||||
2018 | |||||||||||
2017 | |||||||||||
2016 | |||||||||||
2015 | |||||||||||
2014 | マップ・トゥ・ザ・スターズ 監督 | ||||||||||
2013 | スカイゲート 出演 | ||||||||||
2012 | コズモポリス 監督・脚本▲ | ||||||||||
2011 | 危険なメソッド 監督 | ||||||||||
2010 | DCコミック・ヒストリー 〜ヒーロー誕生〜 出演 | ||||||||||
バーニーズ・バージョン ローマと共に 出演 | |||||||||||
ハッピー・タウン/世界一幸せな狂気<TV> 出演 | |||||||||||
2009 | |||||||||||
2008 | |||||||||||
2007 | イースタン・プロミス 監督▲ | ||||||||||
それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜 監督 | |||||||||||
2005 | ヒストリー・オブ・バイオレンス 監督 | ||||||||||
2003 |
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2002 | スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする 監督・製作・脚本 | ||||||||||
2001 | ジェイソンX 13日の金曜日 出演 | ||||||||||
2000 | アメリカン・ナイトメア 出演 | ||||||||||
1999 | イグジステンズ 監督・製作・脚本 | ||||||||||
short6 「camera」監督 | |||||||||||
レザレクション 出演 | |||||||||||
1998 | TABOO タブー 製作総指揮 | ||||||||||
1996 | クラッシュ 監督・製作・脚本 | ||||||||||
ダーク・ハイウェイ 出演 | |||||||||||
1994 | スキャナーズ5/ザカリアス・リターンズ 原作 | ||||||||||
1993 | エム・バタフライ 監督 | ||||||||||
スキャナーズ ニュー・エッジ/ザカリアス 原案 | |||||||||||
1991 | 裸のランチ 監督・脚本 | ||||||||||
スキャナーズ3 原案 | |||||||||||
1990 | ミディアン 出演 | ||||||||||
1988 | 戦慄の絆 監督・製作・脚本 | ||||||||||
13日の金曜日(2nd)<TV> 「Faith Healer」監督 | |||||||||||
1986 | ザ・フライ 監督・脚本・出演 | ||||||||||
1983 | デッドゾーン 監督 | ||||||||||
1982 | ビデオドローム 監督・脚本 | ||||||||||
1981 | スキャナーズ 監督・脚本 | ||||||||||
1979 | ザ・ブルード 怒りのメタファー 監督・脚本 | ||||||||||
1978 | クローネンバーグの ファイヤーボール 監督・脚本 | ||||||||||
1977 | ラビッド 監督・脚本 | ||||||||||
1975 | シーバース 監督・脚本 | ||||||||||
1970 | クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立 監督・制作・脚本・撮影 | ||||||||||
1969 | ステレオ/均衡の遺失 監督・脚本・撮影 | ||||||||||
1943 | 3'15 トロントで誕生 |
クライムズ・オブ・ザ・フューチャー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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近未来。医療技術の発達によって人類は死ににくくなった一方、痛みの感覚を失い、自らの肉体を傷つけることを芸術として考えるようになっていた。そんな中、加速進化症候群という、新しい臓器が体内に生まれ続ける新種の病気にかかったソール(モーテンセン)は、自らの肉体から臓器を摘出する手術をパートナーのカプリーヌ(セドゥ)と共に行い、芸術家として名を馳せていた。そんなソールの元を政府の役人や、新たな人類種を生まれさせることを目的としている宗教的な指導者達がソールの意見を求めてやってくる。狂信的なラング(スピードマン)という男の頼みで、母親によって殺された我が子の内臓を摘出して欲しいという願いを受け、ソールとカプリーヌは躊躇しながらその子を手術台に載せるのだが… 私らの世代の人間では、クローネンバーグという名前は一種特別なアイコンとして捉えている。『デッドゾーン』が彼の代表作と考える人もいるだろうが、多くの人は彼をホラー作家として考えているだろう。 こんなこと書くと頭おかしいと思われるかもしれないが、多分相当少数派の人間にとって、クローネンバーグはフェティシズムの極みだと考える。とにかく何もかも描写がエロチックなのだ。その極みと言えるのが内臓関係の描写である。デビュー作の『シーバース』であれ、その後の『ラビッド』、『ザ・ブルード 怒りのメタファー』に至るまで、人間に新たな臓器が出来るということで作風が一致している。更に描写の方に目が行く『スキャナーズ』にしても、人間に新しい器官がつくことで超能力を使えるようになるという設定だし、『ビデオドローム』もビデオドロームを観た人間の脳に変な器官がつくという設定となってる。それに『デッドゾーン』だって『ザ・フライ』も、人間が内部から変えられて人間以外のものになっていくという共通性もある。 つまりクローネンバーグの初期の作品は、人間の中に余計な器官が入り込んで人間が変えられてしまうと言う設定が多く、これがクローネンバーグのフェティシズムであり、また一貫した監督のテーマであったと考えられる。 しかしその後、多くの監督作品を作っていくうち、初期の作風とはだいぶ異なっていった。特に『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする』(2002)以降は作家性は高いが、あくまで一般レベルで楽しめる作品ばかり作っている。監督の興味の範疇が変わったのか、それとも職業的に合わせて変えたのか。 その辺の作品、嫌いではないのだが、むしろ極端な個性的な作品を観てみたいというのが長年の望みではあった。 そんな中、本作の存在を知った。設定を見ただけで分かった。 クローネバーグが帰ってきた。 まさしく初期の監督が作ってきた作品の特徴そのままで、それに私の大好きなフェティシズム溢れた作品が観られる。 そんなわけで喜んで観に行ったが、上映の箱が少なかったからか、やたら観客が多かったのが不思議。私自身は相当少数派だと思うが、この中には私と似た傾向の趣味を持つ人間が多いのだろうか?などと余計な事を考えつつも、画面に引き込まれる。 映画の内容は、見事に初期のクローネンバーグ作品だった。内臓に対する極端なこだわりがますますフェティッシュな描写となって、一方ではそれなりにきちんとした物語展開になるのも今のクローネンバーグだからだろう。 本作の物語は一見分かりにくいがとても単純である。 主人公のソールは自分自身の体の中で新しい臓器が生成するという特殊体質で、それを摘出するのを見世物にしていたが、実はそんな体質になった理由にも悩んでいる。だから表ではアナーキストと付き合い、裏では政府の人間ともつながりを持ちつつ、自らの体質について調べている。そんな時に、アナーキストの集団から、新人類の可能性を聞き及び興味を持って調べてみる。 と言うのがメインの物語で、最後に実は自分自身こそが最初の人類の進化形であると気づくというオチとなる。 異常な事態が自分の身に起こっていることで悩む主人公が、実は自分こそ人類の進化の形であったことに気づくと言うのが、それこそクローネンバーグの初期作品に共通するテーマで、主人公がそれを受け入れた時に人類の進化を予兆させて幕を閉じる。このパターンを何度もやっていた。 そして初期の作品と較べると格段にわかりやすい形となったが、まさしく『ラビッド』をはじめとする諸作品の結論がここにあった。 クローネンバーグ監督、本作を自分の集大成として位置づけたような気がする。これまでの半世紀に至る映画作りの結論がここにある。 |
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コズモポリス 2012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012カンヌ国際映画祭パルム・ドール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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危険なメソッド 2011 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011ゴールデン・グローブ助演男優賞(モーテンセン) 2012サターン主演女優賞(ナイトレイ) |
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イースタン・プロミス 2007 | |||||||||||||||||||||||
2007米アカデミー主演男優賞(モーテンセン) 2007英アカデミー主演男優賞(モーテンセン)、英国作品賞 2007トロント映画祭主演男優賞(モーテンセン)、監督賞、カナダ映画賞 2007ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(モーテンセン)、音楽賞 2007放送映画批評家協会主演男優賞(モーテンセン) 2007セザール外国映画賞 2007英インディペンデント映画主演男優賞(モーテンセン) 2007ピーター・トラヴァースベスト第4位 2007ゴールデン・トマト・アウォーズスリラー第4位 2008キネマ旬報外国映画第6位 2008映画館が選ぶ映画館大賞15位 2008エンパイアサスペンス作品賞 2008サターンインターナショナル作品賞、主演男優賞(モーテンセン)、主演女優賞(ワッツ)、 |
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母と気難しい伯父と暮らし、ロンドンの病院に勤めるロシア系の助産婦アンナ(ワッツ)はある日、かつぎこまれたロシア人少女の出産を助ける。母体の少女は死んでしまうのだが、彼女の生んだ赤ん坊の面倒を看ることを決意する。亡くなった彼女の遺品の日記を頼りにセミオン(ミューラー=スタール)のレストランを訪ねた彼女は、そこでセミオンの歓迎を受けるが、どこかセミオンに不気味なものを感じ取る。そして彼女の前に現れるセミオンの息子キリル(カッセル)と彼の運転手ニコライ(モーテンセン)。無口でぶっきらぼうながら、なにかと彼女を気にかけるニコライは、この件に深入りしないようにアンナに警告するのだが… かつてB級の大御所とも言われ、ホラー作家とばかり見られていたクローネンバーグ監督だが、新世紀に入ってずいぶん様変わりしてきた。そもそもホラー作家としても“異色”と言われていたものだが、クローネンバーグはホラーを作っていると言う意識は薄かったものだと思われる。むしろ作りたかったのは人間の意識下にある恐怖であり、人間の恐怖そのものを映像化するため、低い予算で作るにはホラーが一番作りやすかったからだけだったと思う。 実際映像作家として認められるようになってからは、ホラーとは異なる、しかしやはり人間の恐怖を描く作品を作るようになってきた。前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』では主人公は自分の内にある暴力衝動と、それを暴かれることに対する恐怖感と言うものを見事に映像化してくれたものだが、今回もまた素晴らしいものを作ってくれた。 では、その恐怖に絞って考えてみよう。今回の恐怖とはなんだろう? それはやはり表層に見える人間の表情を一枚めくったら、そこにある恐ろしさと言うものになるだろうか。もちろんそれは一見優しげなロシア料理店主のセミオンがロシアン・マフィアの大ボスだったと言う意外さとも言えるだろうが、もう一つ、これまた一見忠実な運転手であるニコライの隠れた姿とも言えるだろう。彼の場合、ラスト近くで明らかになるように実は潜入捜査員だったわけだが、それまで得体の知れぬ妙な不気味さが、そして正体が分かってくれば来るほど底知れぬ恐ろしさを醸すようになっていく。彼が何を考えてるのか、実は最後までよく分からない。鉄面皮の下に優しい思いがあるようで、それは打算的に、人を利用する冷たさにも思えてくる。普通の物語なら逆転が起こった時点で正義の味方としてふるまうものだが、クローネンバーグがそれを描く場合、主人公でありながらこの得体の知れなさはすごい。もう観ていくうちに、物語やなんかではなく、ニコライの一挙手一投足の方ばかり見てしまう。 これまでキャリアが長いヴィゴだが、その魅力を最も引き出したのはクローネンバーグ監督であろう。前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に続き、最もヴィゴが格好よく描けるのは、その底知れぬ恐ろしさを引き出すときであることを見事に表現してくれた。 他にも一見優しげに見えつつ、裏ではロシアン・マフィアの親分という役を演じるセミオン役のミューラー・スタールの演技も良い。冒頭にこにこした、いかにも人の良さそうな顔が、瞬時に無表情になる時の変化がうまい。それに対するカッセルは、いつもと異なるちょっと情けない役柄だが、彼ほどのヴェテランになれば難なくこなしている。 主人公アンナ役はワッツ。この人だけは表裏がない役だが、こう言う人がいるから、観ているほうも感情移入できるし、他のキャラがどこか狂気をはらんでいるのに対し、彼女だけがまともなので、そこを起点に物事を考えることが出来るようになったのも進展。かなりきつい物語ながら、良い完成度に仕上がってくれた。 ちなみにモーテンセンはそれまで全くロシア語を喋れなかったそうだが、ロシア語を勉強するために単身シベリアに行って、そこで数ヶ月放浪して過ごしていたのだとか…役者根性も良いけど、下手すりゃ身元不明の死体になってた所だぞ? |
ヒストリー・オブ・バイオレンス 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2005米アカデミー助演男優賞(ハート)、脚色賞 2005英アカデミー脚色賞 2005カンヌ国際映画祭パルム・ドール(クローネンバーグ) 2005全米批評家協会助演男優賞(ハリス)、助演女優賞(ベロ) 2005NY批評家協会助演男優賞(ハート)、助演女優賞(ベロ) 2005LA批評家協会助演男優賞(ハート) 2005シカゴ批評家協会監督賞、助演女優賞(ベロ) 2005トロント映画批評家協会作品賞、監督賞 2005ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ベロ) 2005放送映画批評家協会助演女優賞(ベロ) 2005セザール外国映画賞(クローネンバーグ) 2005ロンドン映画批評家作品賞、男優賞(モーテンセン)、女優賞(ベロ)、監督賞 2005ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞 2005ピーター・トラヴァースベスト第1位 2005ゴールデン・トマト・アウォーズスリラー 2005全米オンライン映画批評家協会作品賞、監督賞、助演女優賞(ベロ) 2005ホラー大賞第4位、監督賞、女優賞(ベロ)、男優賞(モーテンセン)、セクシー・ホラー・スター(ベロ) 2005脚本家協会脚色賞 2005AFIベスト |
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スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする 2002 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2002カンヌ国際映画祭パルム・ドール(クローネンバーグ) 2002ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞(クローネンバーグ) |
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精神病院を退院したデニス(ファインズ)は20年ぶりに故郷へ戻ってきた。社会復帰ができるまでのあいだ患者を預かってくれるウィルキンソン夫人のアパートに腰を落ち着けたデニスは子供の頃の懐かしい、そして忌まわしい想い出を追体験するために街をうろつき始める。クモの話をいつも母にせがんでいた少年時代。そしていつもパブに入り浸っていた父親。やがてその父はパブにたむろしている娼婦の一人、イヴォンヌと恋仲になって… パトリック・マグラア原作のサイコスリラー作品の映画化。 監督作品は妙に好き。子供の頃途中までテレビで観て吐き気を覚えて消した経験のある『ビデオドローム』(1982)が最初だったが(後で無事全部観られたけど)、その時受けた不思議な感覚が尾を引いたらしく、その後長じてから次々と観るようになった。 監督の作品は、フェティシズムと人間が内側から変えられていく事への恐怖感、そしてそれを受け入れた時の快楽。と言う点で共通しているように思える。そう言う表現が出しやすかったのがホラーだったが、決して監督自身はホラー作家という意識は無いだろう。好きなものを作っていたら、たまたまホラーと波長が合っただけの話。 最近の作品ではホラー色は薄れ、むしろ変態的な描写が執拗に描かれるようになって、別な意味で「気持ち悪い」作品を出しているのが特徴になってきたが(それにしてもそんなものを平気で「好き」と言える私も相当変だ)、何か本作はそれとも又違った雰囲気を持っている。 なんか割合普通の(?)サイコスリラーに監督らしいねっとりした描写やらを加えた感じの作品に仕上がっている。濡れ場も極めて普通(ちょっと変な部分もあるけど)。クリーチャーも出てこないし、変態的な描写もあんまり無し。 あと、ガブリエル・バーンに父親役をやらせたのもちょっと間違ってない?彼じゃ華がありすぎて、くたびれたお父さん役には似合わないよ。 ストーリーに関しては、最後に衝撃を持ってくると言う所で最近流行っているサイコスリラー的調になってるけど、それに至る過程がストーリー的には結構単調。ラストは「おお!」と思ったけど、これだって伏線が張られてるのか張られてないのか、分からない(伏線など無いのが監督の映画の特徴でもあるんだけど)。単体のストーリーで見る限りは可も無し不可も無し。と言ったところ。少なくともストーリーになっていると言うだけの点でも評価されて然りなのかも知れない(笑) だけど、やっぱり演出は良いわ。画面に引きずり込まれそうになるほどの執拗な演出。観ているこっちの身体の中で何か蠢いているような(まるで『ビデオドローム』そのものだ)、不思議な感覚。何かが出てこようとしているのに、それが何であるのかが分からないもどかしい思い。様々な感覚が襲いかかってくる。この皮膚感覚がたまらないんだよな。 |
イグジステンズ 1999 | |||||||||||||||||||||||
1999ベルリン国際映画祭芸術貢献賞 | |||||||||||||||||||||||
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クラッシュ 1996 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1996カンヌ国際映画祭審査員特別賞(クローネンバーグ)、パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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TVプロデューサーのジェームズ・バラード(スペイダー)と妻のキャサリン(アンガー)は倦怠期を迎え、家庭外で情事にふけっていた。そんなある日、ジェームズは自動車衝突事故を起こしてしまう。そして病院の中で事故相手のヘレン・レミントン(ハンター)と再会するのだが、お互いの顔の中に一種の共通するものを見つける。実は二人は事故の瞬間、同時に強烈な性的興奮を覚えていたのだった。再び再会した二人は自動車事故に性的快感を覚える秘密の集団“クラッシュ・マニア"の会の存在を知り、そこで教祖的存在のヴォーン(コーティアス)やガブリエル(アークェット)らと親交を持つ。キャサリンは夫が秘密を持っていることに気付くのだが、現れたヴォーンによって彼女も又… J=G=バラードの同名小説をクローネンバーグ監督が映画化。とてもエロチックな作品として売り出した。 クローネンバーグ監督はデビュー作以来一貫してジャンル作品、端的に言えばホラー作品を作り続けてきた人だが、この人の描くホラーは他のジャンル作家の描くものとはちょっと違った独特のものを感じさせる。 いくつもそれは挙げることが出来る。悲しみの演出が多いとか、見た目よりは精神に来る作品を作っているとか…それらが複合的に混じりあうことで監督独特の雰囲気を作るわけだが、私なりに一つ思うのは、クローネンバーグ監督は決してホラー作家ではないと言うことである。 監督の描こうとしているものは、恐怖そのものではなく、未知のものと出会った時の人間の心の変化なのだと思う。それは時として人間の体を乗っ取り、異物へと変えてしまう。それは確かに恐怖かもしれないが、監督の描く主人公たちは皆、最終的にそれを受け入れようとしている。当初は反発し抵抗するが、徐々に諦めが入り、やがてはそれを積極的に受け入れていく。その過程を丹念に描こうとしているのが特徴と言えよう。これこそがクローネンバーグを特異な監督に留め続けている一貫した特徴である。 だがこれは逆に考えれば、実は何もホラーを題材にする必要はないという事実にある。こう言う題材は作ろうとすれば、日常にさえ転がっている。ただ、それではこれまでは製作出来なかったから、ホラーを撮り続けていたに過ぎないのだろう。名前が売れていくにつれ、ようやくホラーから離れることが出来たのが『裸のランチ』であり、本作だったといえよう。 それでもまだホラー寄りだった『裸のランチ』とは異なり、より日常に近いそう言う意味で本作は、本来クローネンバーグ監督が撮りたかったものだったのではなかったか?と思われるのである(本作の場合もまだジャンル映画に入るんだろうけど)。 未知のものに精神を侵されていくと言うことは、非日常的なもののように思え、実は極めて日常的な出来事である。例えば幼稚園児が初めて三輪車に乗るとか、刃物を初めて使ってみる時など、道具というのは手にとって使ってみるまではあくまで未知のものにとどまっているのだから。当初危険なものを受け入れることで使いこなせるようになっていく。 実際これを描いているのはPCだが、これだって当初得体の知れないものとしてあまり近づかなかったのが、今では当たり前の技術となり、むしろ無いと時間の使い方が困るようなツールになってしまった。 いわば、本作はその行き着いた形を表しているのであり、更にそれが性的な快楽をもたらすという意味で、のめり込み度は非常に高い。 本作はエロチックな作品と言われることが多いのだが、果たしてそうなんだろうか?と言う疑問はある。見た目のエロチックさは実はそんなに高くはないのだが、精神的な意味で言っても、フェティ度が高すぎてエロとは言い難い。 これは元よりクローネンバーグ監督の狙いが普通で言うところのエロとは違ったところにあったからだろう。無機質なものに肉体を引き裂かれることを快感と取れるか、あるいは機械と融合したいと夢みる人間なら(『鉄男 TETSUO』(1989)に出てくるヤツみたいなの)、精神的な共感を持てるのではないかと思ってる…(実はちょっとその気が私にもあるので) 目から強引に脳髄に押し入ってきて、精神を浸食してくるかのようなねちっこい描写と、抵抗虚しく崩れていきそうな自分の精神を楽しみながら観るには実に良い一本。堕ちていく快感を得たければ…ただし、それを感じられる人は少なそうだが。 |
裸のランチ 1991 | |||||||||||||||||||||||
1991全米批評家協会監督賞(クローネンバーグ)、脚本賞 1991NY批評家協会助演女優賞(デイヴィス)、脚本賞 |
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戦慄の絆 1988 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988NY批評家協会作品賞男優賞(アイアンズ) 1988LA批評家協会助演女優賞(ビジョルド)、監督賞 1988シカゴ映画批評家協会主演男優賞(アイアンズ) 1989アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ、高等技術委員会賞 |
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ザ・フライ 1986 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1986米アカデミーメイクアップ賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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若き天才科学者ブランドル(ゴールドブラム)は物質瞬間転送装置(ポッド)を発明し、自らその実験台となった。理論には寸分の誤りもなく、実験は当然成功裏に終わるはずだった。ところが、転送装置から出てきたブランドルは
超人となっていた。最初はその能力に驚き、喜ぶのだが、徐々にその真相が明らかになる。 名作『蠅男の恐怖』(1958)のリメイク。 これはギリギリで私の好みに引っかかる作品。これ以上グロくなるか、悪趣味に走るかしたら途端に評価はがた落ちするはずだが、ギリギリのところでぴったりとはまった。 私はクローネンバーグのフェティッシュな世界観が好きだが、この作品はそっち方面と言うよりは、むしろグチャグチャな怪奇映画と言った風が強い。それはそれで結構嫌いじゃない。 科学的な矛盾をしっかり吟味し、しかも徐々に身体が変質していく事への恐怖が良く表現されていた。この手の怪奇映画はショッキング・シーン連発が多いが、これは淡々と、しかも徐々に恐怖が増してくると言う手法が取られ、こちらの方がはるかに「怪奇」にふさわしいと言えよう。恐怖をはねのけ、何とか順応しようと努力するブランドルの姿は涙を誘うし、それがラストのカタストロフへの重要な布石となっている。それらを通して人物の捉え方が実に良い。 ラストの蠅男の姿はひたすら哀しい。色物で見られることの多い本作だが、映画としての質は非常に高いと思う。 |
デッドゾーン 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1984アボリアッツ・ファンタスティック映画祭批評家賞、黄金のアンテナ賞、ヒッチコック・サスペンス映画賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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高校教師ジョン・スミス(ウォーケン)はある祭りの夜、婚約者のサラと共に自動車事故を起こしてしまう。そして次に目覚めた時、2年と言う年月が経過してしまったことを知らされるのだった。父は既に他界しており、サラも町の保安官バナーマンと結婚していると知らされ愕然とするスミス。だがそれ以上に彼自身に変化が起こっていた。人やものに触れた時何らかの“ビジョン”が引き起こされるのだ。すべてを失い、観たくないものを無理やり観させられることの苦痛を背負いつつ、生きていかねばならないジョンだが… それまでB級ホラーの旗手としてカルト的な人気を誇っていたクローネンバーグ監督の出世作で、初期のキング原作映画の最大の傑作。 『スタンド・バイ・ミー』(1986)の大ヒットがあるまでの初期のキングは完全にホラー作家としてしか見られておらず、その映画化作も見事なB級作品ばかりで、当時で言えば、キング=B級という図式が出来上がっていた。 そんな中で本作のアナウンスがあり。本作の場合は純粋な意味でのホラーではないのだが、なにせクローネンバーグが作るのだから、当然グッチャングッチャンなホラーに仕上げられるのだろうと思われていた。当時私は原作を読んでいなかったので、キングとクローネンバーグという二人の名前を聞いただけで、「ああ、こりゃ凄まじいグロ作品になるだろう」と思っていたもの。 ところが蓋をあけてみたら本当に意外なことにきちんとした人間ドラマに仕上げられていた(てっきり凄いホラー作品だと思ってたから、本作を観たのは大分後になって、原作を読み終えてからだった)。 そもそもホラー作家として知られてはいても、キング作品がベストセラーになったのは、実際は細やかな心情描写にこそあった。だが、ビジュアルを重要視する映画ではその部分はマイナスにしか見られず、表現だけを強調した結果B級になることが多かったが、本作の場合、みごとに本質部分をとらえて主題を主人公の心情描写にとった。その部分をすくい上げたクローネンバーグ監督の描写は見事。ホラーとしてカテゴライズされているにも係らず、ちゃんと泣けるシーンもある感動作に仕上げられている。 正直この出来の良さは驚かされるが、今になって考えてみると、やっぱりクローネンバーグらしさってのは確かにここにはある。 この時期のクローネンバーグは“変質”を物語の主題にしていたように思われる。否応なしに体が変質させられてしまい、それにあらがいつつ、徐々にその事実を受け入れていく。その過程をねちっこく描いている内にホラーっぽくなってしまうのだが、この作品の場合、主題が肉体的な変化ではなく精神的な変化なので、描写は極めて抑えられ、自分の運命を静かに受け入れる姿を、時に激しく、時に静かに描いていくことになる。 ここで描かれるジョンは傍目には狂人である。誇大妄想に取りつかれ、将来有望な政治家をテロによって暗殺した人物であり、歴史的には全く評価されるはずはない。かなり損な役割である。傍目で見えるテロリストを、それを彼自身の心情に沿うことで、彼がいかにビジョンを受け入れて行ったかを丁寧に描く。その変化の受け入れを同時に“観て”いくのが本作の醍醐味であろう。 しかし本作でのウォーケンは凄い。やや無表情なのがウォーケンの魅力でもあるが、本作はその無表情の下にある苦悩が見事に表現されている。何というか、常に悲しんで見えるのだが、その深い緑色の瞳こそが本作の最大の見せ場とも言えよう。これを観てしまうと、ウォーケン以外にこの役はできない。とまで思ってしまった(後にテレビシリーズにもなって、そこでのジョン役のホールもうまくはまってるので、思い込みだったと後に分かるが)。 本作で大統領候補役を演じたマーティン・シーンが演じているが、本来シーンは根っからの民主党主義者で、本作の役どころは苦々しかったらしい。その後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」では、本来演りたかった役を演じられたようだ。 |
ビデオドローム 1982 | |||||||||||||||||||||||
1984アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加 | |||||||||||||||||||||||
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暴力とセックスを売りものにしているテレビ局の社長マックス(ウッズ)は、自分の局で放送する刺激的で過激な番組を探していた。そんな時、海賊放送を探していた友人が偶然電波を傍受したというビデオを紹介する。その番組のタイトルは、「ビデオドローム」。拷問と殺人が延々と繰り広げられるその番組のリアルさと迫力に魅了されたマックスは、早速番組の出所を探るが… 前年『スキャナーズ』で多くのホラーファンを魅了したクローネンバーグ監督が作り上げた、不条理なホラー作品。公開と同時に物議を醸し、特にビデオ化されてから、あっという間にカルト化されたという伝説的作品。 今や一級監督として数々の映画賞の常連となったクローネンバーグ監督だが、初期に作った監督作は、そのすべてがカルト作と呼ばれるものばかりで、特にホラー映画に関しては、作風の信奉者も数多く存在する。クローネンバーグの作る作品はホラーとカテゴライズされるものが多いが、むしろ低予算特撮と言った風情。一般人にも分かるようなきちんとした作品を作るようになった現在とは隔世の感がある。 しかし、私に言わせれば、監督の作る作品は全然変わってない。初期のころからクローネンバーグは物質的なものよりも精神的なものを徹底して撮り続けているし、悪夢的世界の中から物語を紡ごうとしている姿勢は一切変化したとは思ってない。この世界に入り込むには一種の背徳感と覚悟を必要とするし、観ている間は三半規管が警告を発し、終わっても酔ったような気分になってなかなか現実世界に戻ることができない。と、悪夢映画好きにとって至福の時間が得られる。私にとって、もっとも貴重な映像作家の一人だ。 それで本作は監督の初期のころのカルト作と言われるが、それはよく理解できる。何せ何度観ても話がわからないのだ。大まかな物語は分かるとしても、話に整合性はないし、いったいなぜ主人公はそういう考えに至ったのか、過程を一切無視しているので、行動様式が理解できない。しかも一応本作はホラーと言うことになっているが、実際の話、内容で怖がらせようとしている演出は一切ない。その代わりグロテスク描写はてんこ盛りで出てくるので、一見ただ気持ちが悪いだけに思えてしまう。 しかし、少なくとも、観るべき人間にとって、本作はたまらない魅力を持った作品には違いない。 さて、それで本作の魅力とは何だろう? クローネンバーグ作品に共通しているのは、ある意味で心理的なレイプ作品と言ってもいいだろう。自分が嫌悪しきっているものに肉体が侵食され、それを快感として受け取ってしまう自分の身体。おぞましい快感をとめどなく与えられ、やがて精神がそれに屈して受け入れていく。受け入れたら受け入れたで確実な地獄が待っているのだが、それでもそうせざるを得ないという人間の精神状態というものを描こうとしているかのように思える。すべての作品においてその傾向は見られるが、本作には特にそれが強く感じる。だから、内容はぐちゃぐちゃドロドロのホラー作品にも関わらず、まるで怖さを感じない。 本作を称するなら、“変態的なホラー”作品ではなく、倒錯的な快感を描いた“変態的なポルノ”もしくは“単なる変態”作品なのではないかと思える。 本作に限ってのことではないが、本作の描写による変態性は、機械と人間が融合するところにあるかと思われる。本作の主人公ウッズはビデオドロームを観続けることで脳に腫瘍ができると説明されているが、それによって何が起こったかと言うと、ビデオデッキやコルトと体がくっついてしまう(と言うより完全融合で、機械としての機能を完全に保持しつつ、全部肉に置き換わってる)。ましてやテレビ画面とキスしてるうちに顔がめり込んでしまうとか、機械とくっついてしまう描写が特に多く、機械によって体や精神が侵されていくという、相当に変態的でフェティシズムな作品であるということになる。 機械と人間がくっつくことを性的快感として考えるなんてことは、普通考え付かないだろうけど、たとえば塚本晋也監督の『鉄男 TETSUO』(1989)なんかに観られるように、そう言ったフェティな人間だって世の中には存在するのだ…少なくともこんな作品を“ポルノ”として観てしまう人間がここに一人はいるわけだから。 …なんだこのレビュー。私の性癖暴露になってしまったじゃないか。 |
スキャナーズ 1981 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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ザ・ブルード 怒りのメタファー | |||||||||||||||||||||||||||
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ラビッド 1977 | |||||||||||||||||||||||||||
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シーバース 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
1976アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加 | |||||||||||||||||||||||||||
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スターライナー島で大学の教授が19歳の少女を開腹して殺し、自らもノドをかき切るという事件が起こった。医者のロジャー(ハンプトン)は、流行している腹痛とこの事件の関連が気になり、調査を開始するが、そこで彼が知った事実は恐ろしいものだった… クローネンバーグ監督の長編デビュー作。オープニングシーンからショックシーンが出てきて、第一作目からもはやジャンル映画に突っ走っていった感があるが、この時点で後の『ビデオドローム』(1982)や『スキャナーズ』(1981)と言った監督流の演出は既に確立しているのが凄い。確かに演出とかはかなり安っぽいものの、特に人間の皮膚の下で生物がうごめいているというシーンは、「おお、やっぱりクローネンバーグ!」と思わせ、体中にざわざわと痒みを感じてしまう。 クローネンバーグ監督作品には常に“科学と社会のあり方”というテーマが出てくるのだが、科学の進歩によって人間は変質していくということが繰り返し語られている。それは良い意味もあるが、当然同時に悪い部分も出てくる。その負の部分を乾いたタッチで描くのがクローネンバーグ流と言う奴だろう。この作品でも寄生虫に寄生される人間の姿が描かれるが、これも政府の陰謀で人の理性を失わせるという隠された目的がある。この辺の設定はそのまんま『スキャナーズ』に流用された設定に他ならないが、本作ではまだその辺は不充分ではあるものの、既に作風は確定している。 不充分になったのは、本作ではとにかくエロが多くて、そちらの方に意識の大半が持って行かれてしまったからだろう。まあ、エロって言っても、気持ち悪いだけであんまりいやらしく感じないのもクローネバーグ流だが(笑)。でもエロと恐怖の同居ってのはずっとこの監督のテーマになっている。 ちなみに最初の邦題は『人喰い生物の島』だったそうだが、別に人喰い生物は出てこない。 なんでもクローネンバーグは本作品の映画化を夢見てコーマンの元を訪れ、そこでブレイク前のジョナサン・デミと出会い(と言うか、『羊たちの沈黙』(1991)でブレイクする前はこの人B級ホラーばっか作ってたけど)、そこで意気投合して本作の撮影に至ったのだとか。だから当時デミの恋人だったバーバラ・スティールなんかがちょい役で登場してる。更に本作の製作と音楽は『ゴーストバスターズ』(1984)でブレイクする前のアイヴァン・ライトマンが行っている。地味ながら異様な豪華さが本作の信条。今から考えると、もの凄い組み合わせの作品だったのは確か。 名作とは言わないまでも、SF好きには一見の価値がある作品だろう。 |