暗黒街の弾痕
You Only Live Once |
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ウォルター・ウェンジャー(製)
ジーン・タウン
グレアム・ベイカー(脚)
ヘンリー・フォンダ
シルヴィア・シドニー
ウィリアム・ガーガン
バートン・マクレーン
ジーン・ディクソン
ジェローム・コーワン
マーガレット・ハミルトン
ウォード・ボンド
グイン・ウィリアムズ
ジャック・カーソン |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
5 |
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4 |
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軽犯罪で服役中のエディ(フォンダ)は保釈出獄を許され、早速恋仲のジョーン(シドニー)と結婚式を挙げた。幸せいっぱいの二人だったが、ほどなく前科者に対する世間の冷たい眼に苦しめられる事になる。折角就職しても嫌がらせの末に辞めることになり、徐々にエディは荒んでいく。そんな時、毒ガスを用いて銀行を襲撃し、現金を積んだトラックを奪取した強盗が出現。乗り捨てた自動車にはエディの頭文字の入った帽子が残されていた…
のっけから断定してしまうが、アメリカ人はヒーローが好きである。勿論日本人もヒーローは大好きだが、日本の場合ヒーローはあくまで架空の存在と取られることが多い。それに対しアメリカ人にとっては、ヒーローはかなり幅広い。アメリカン・ドリームを掴んだ人は例外なくヒーローとされるし、大統領を始めとする政治家も簡単にヒーロー化される(特にブッシュ政権時はそれを逆手に取った戦術が取られてるが、その辺はストーン監督の『ブッシュ』(2008)などに詳しい)。簡単に言えば、現実の人物も演出によってはヒーローとなるし、ヒーローとは周囲が作り上げることが出来る存在でもある。
この理由を、これ又勝手に考えると、ヨーロッパと較べ歴史が浅い分、ヒーローとは選ばれたものが歴史上存在した。と言うだけではなく、自分たちで作らねばならない。と言う使命感を持った人々が数多くいる事、国土が広い分、単純なキーワードで熱狂出来る人物がいると、全土が一つのキーワードでまとめ上げやすいと言う事があってのことかと思われる。
そう言う意味ではヒーローに祭り上げられた人物には事欠かないし、それに一役買ったのが映画という媒体であることも確かな話。歴史上のヒーロー達は映画によって現在の評価を得たという側面を無視することは出来ない。
そんな中、ある種のダークヒーローも又、映画によって作り出されてきた。
その典型がアル・カポネであり、ビリー・ザ・キッドであった。この二人はどちらもやくざ稼業の人間で、最後は破滅したと言う位置づけにある人物だが、自身の行状はともかく、演出されたドラマチックさによって彼らも又悪のヒーローという位置づけとされる事になる。この二人は代表格だが、他にも色々問題のあった悪人に焦点を当ててそれをヒーローっぽく描いた作品は数多く存在する。
そんな中で出てきたのがボニーとクライドの二人。映画界にとってこの二人は歓迎すべき存在だった。折しも丁度映画が盛んになってきた時期に現れた魅力ある犯罪者だったため、ほぼリアルタイムで映画化となり、その後にも定期的に本人達あるいはそのリスペクトが登場する作品が投入されていった。『俺たちに明日はない』(1967)はストレート作品としては頂点とも言えるだろうが、その後も犯罪者のロードムービーは『テルマ&ルイーズ』(1991)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)など、枚挙に暇がない。
本作の場合、ボニーとクライドが事件を起こしてほんの数年で作られた作品であり、その伝記の始まりとなった作品な訳だが、フィクション性はかなり高く、この二人を単なる犯罪者としてではなく、二人の心情に踏み込んだものになっており、大変文芸性が高くなっている。
一度犯罪を犯してしまった人間というのは、本人の思いはどうあれ、いかに他人から厄介な目で見られているのか、偏見の中で徐々に意志が崩れていくスティーヴと、そんなスティーヴを見ているしかできないジョーンの辛さ。人を信じられなくなっていく過程を丁寧に描き、物語としてはなかなか見させるものがある。
ただ、主人公がヘンリー・フォンダというのがちょっと問題だったような?この人は基本的に無表情なのに、何故か感情起伏豊かな役を演じることが多く、それらがどうにも合わないような気がするのだが、私の読み込みが甘いのか、未だに判別が付かない。 |
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