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オリバー・ストーンの告発 語られなかったアメリカ史1(書籍) |
2022 | ||
2021 | ||
2020 | ||
2019 | ||
2018 | ||
2017 | ||
2016 | スノーデン 監督・製作 | |
2015 | ||
2014 | ハリウッドがひれ伏した銀行マン 出演 | |
2013 | ||
2012 | 野蛮なやつら SAVAGES 監督・脚本 | |
GATE 出演 | ||
2011 | ||
2010 | ウォール・ストリート 監督・原案 | |
2009 | ||
2008 | ブッシュ 監督 | |
2007 | ||
2006 | ワールド・トレード・センター 監督・製作 | |
2005 | ||
2004 | アレキサンダー 監督・製作・脚本 | |
ジョニー・デップ 反骨のハリウッド・スター 出演 | ||
2003 | コマンダンテ 監督・製作・出演 | |
2002 | ||
2001 | レーガン/大統領暗殺未遂事件 製作総指揮 | |
2000 | ||
1999 | エニイ・ギブン・サンデー 監督・製作総指揮・脚本 | |
1998 | セイヴィア 製作 | |
1997 | Uターン 監督 | |
コールド・ハート 製作総指揮 | ||
1996 | ラリー・フリント 製作 | |
エビータ 脚本 | ||
連鎖犯罪/逃げられない女 製作総指揮 | ||
1995 | ニクソン 監督・製作・脚本 | |
誘導尋問 製作 | ||
KILLER/第一級殺人 製作総指揮 | ||
1994 | ナチュラル・ボーン・キラーズ 監督・脚本 | |
1993 | 天と地 監督・製作・脚本 | |
ワイルド・パームス/第1章〜第3章 製作総指揮 | ||
ジョイ・ラック・クラブ 製作総指揮 | ||
デーヴ 出演 | ||
1992 | ゼブラヘッド 製作 | |
サウス・セントラル 製作総指揮 | ||
1991 | ドアーズ 監督・脚本 | |
JFK 監督・脚本 | ||
アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想 製作総指揮 | ||
1990 | ブルースチール 製作 | |
運命の逆転 製作 | ||
1989 | 7月4日に生まれて 監督・製作・脚本 | |
1988 | トーク・レディオ 監督・脚本 | |
1987 | ウォール街 監督・脚本 | |
1986 | プラトーン 監督・脚本 | |
800万の死にざま 脚本 | ||
サルバドル 遥かなる日々 監督・製作・脚本 | ||
1985 | イヤー・オブ・ザ・ドラゴン 脚本 | |
1984 | ||
1983 | スカーフェイス 脚本 | |
1982 | コナン・ザ・グレート 脚本 | |
1981 | キラーハンド 監督・脚本 | |
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ミッドナイト・エクスプレス 脚本 | |
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | 邪悪の女王 監督・脚本 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
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1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | 9'15 ニューヨーク州ニューヨークで誕生 |
スノーデン 2016 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2013年6月。イギリスのガーディアン誌に、エドワード・スノーデンゴードン=レヴィット)という人物からCIAの秘密を明かすという連絡があった。身を隠すために香港で会見するというスノーデンの言葉に、ドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラス(レオ)、ガーディアン紙の記者グレン・グリーンウォルド(クイント)が現地に向かい、無事スノーデンと接触を果たした。そしてインタビューを開始するのだが、その内容は恐るべきものだった。 リベラル監督として名高いオリヴァー・ストーン監督が、ほんの数年前に起こった国際社会におけるアメリカのスキャンダラスな事件を題材に取った作品。 一見して、監督らしさに溢れた作品とは思える。多分これは今投入されることが望ましい作品だと監督も判断したのだろう。 だけど、映画として面白いか?と言われるとかなり微妙なところでもある。 その理由は簡単で、現時点でこれを映画にするには時間が足りなすぎるという一点に尽きる。 歴史上のスキャンダラスな事件を追った映画はたくさんある。基本的に世を騒がせた人物を題材にすると、スキャンダルを追うことになるから。監督自身もこれまで何作ものスキャンダル事件を起こした人物を題材にして監督やら制作やらしてきている。 だが、そう言った事件を追った場合、時間の経過というのがとても重要な意味合いをもつようになる。スキャンダル事件が出てから十年以上も経過すると、世の中の認識が高まり、一つの固定化した評価というのが出てくる。その固定化した評価に対してどう創作するかというところが映画的な面白さにつながっていく。監督自身の作品としては、やはり『JFK』や『ニクソン』など、固定観念を突き崩すように作られた作品はなかなか面白かった。成功したとは言わないけど、『アレキサンダー』も固定化したイスカンダルの姿を大きく変えようとしていた意欲は買える。一概に監督は、歴史上の固定観念を批判的に捉える作風は手慣れたものだし、作風としては手慣れたものとなる。 一方、歴史上のスキャンダラスな事件を扱うに、監督はかなりホットな話題をセミドキュメンタリーのような作風を使う事もある。その代表として『ブッシュ』があるのだが、この場合、歴史的な評価が固まってないだけに、敬意を欠く独断と偏見がいきすぎてしまった感がある。それで客観的さを失い、監督の政治的主張そのものが出てしまい、それが鼻についてしまう。 そして本作は、つい3年前の事件の話だけに、『ブッシュ』同様に偏見が強すぎるという印象を受けてしまう。 スノーデンがやったことは確かにCIAに対する告発であり、それはアメリカという国に対する批判が込められているわけだが、巨大権力としてのアメリカがどれだけ悪かろうとも、単純にその告白者だけが正義と言えるのか? スノーデンを単純に正義の人としてしまっていいのかどうか。その部分の批評が見られないのが本作を観ていて居心地の悪さを感じさせるところである。 そもそもこのようなスキャンダル事件は映画にするよりもドキュメンタリーにするなり、文で書くべきものではないだろうか。映画にするにしても、早すぎるというのが一番の問題だと思われる。 そのためにどうにもはまりきれずに終わってしまった。残念。 |
野蛮なやつら SAVAGES 2012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ウォール・ストリート 2010 | |||||||||||||||||||||||||||
2010ゴールデン・グローブ助演男優賞(ダグラス) | |||||||||||||||||||||||||||
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2008年ニューヨーク。将来を嘱望される金融マンのジェイコブ(ラブーフ)の前途は順風満帆に見えていた。だが金融バブルの崩壊と共に、ジェイコブの勤務していた投資銀行が突然破綻してしまう。他の投資銀行を守るためスケープゴートにされたことを知ったジェイコブは、それが金融界の黒幕ブレトン・ジェームズ(ブローリン)の仕業であることを突き止める。ジェームズに対する復讐をもくろむジェイコブは、恋人ウィニー(マリガン)の父であり、かつてのカリスマ投資家ゴードン・ゲッコー(ダグラス)に助力を求める… かつてダグラスが主演(と言うか、主演はシーンの方だったが、完全に喰ってしまっていた)していた『ウォール街』の、約20年ぶりになる正式な続編。 丁度日本がバブル絶頂期だった1987年にストーン監督が作り上げた『ウォール街』は、当時の投資ブームに沸く世相とも相まってヒットを記録した。私も一応は観たのだが、当時学生で金融のことなど何も知らない人間としては、多少難しくも、きちんとエンターテインメントしていたし、インサイダー取引というのが悪い事である。と言う程度の認識はきちんと教えてくれる、割とバランスの良い作品に仕上がっていたもんだ。しかし、それを何で今になって続編?とか思いつつ、それでも拝見。 この作品にはいくつか言えることがある。 一つ。この作品は今こそ作られる意味があったと言う事。前作が投資熱に沸く当時の世相に対するアンチテーゼであったならば、本作は2008年という年に起こった事実に対して、やはりアンチテーゼを叩き付けようとして作られたのだ。 2008年というのはアメリカの金融業界に激震が走った年だった。この年はサブプライムローンの破綻によって株式大暴落が起こった年で(余波を喰って私の保有する株式も大打撃を受けたものだ)、この時、アメリカの金融業界は全滅するのではないか?とさえ言われていた。ところが政府による公的基金の投入、いくつかの金融業者を破綻させた上で吸収合併すると言った裏技に近いことをやってのけ、見事に一年で金融業界は立ち直ってしまった。まともに考えたら、ここでアメリカの経済はガタガタになっていたはずなのに、何故そうはならなかった?起こってはいけない事が何故起こったのか?と言う事をこの映画で明らかにしようとしたのだろう。年は食っても相変わらずリベラリズム溢れるストーン監督らしい素材の選び方だ。 一つ。金融危機を扱った作品と言うのは、意外にもハリウッドには結構な数が作られてる。実際の金融を扱ったものは少ないかも知れないが、1929年の“暗黒の木曜日”に始まるウォール街崩壊はアメリカにもの凄い数の失業者を作り出し、その時にアメリカはどん底を経験したと言う過去がある。この時代の悲惨な生活を扱った作品はかなり数が多い。思いつくまま挙げていっても、金融危機そのものをベースにした『草原の輝き』(1961)が代表だが、他にも仕事を求めて全米を渡り歩くホーボーと呼ばれる人々はこの時代に生まれ、このホーボーを扱った作品として、『怒りの葡萄』(1940)が作られた。他にも『北国の帝王』(1973)、『二十日鼠と人間』など。そしてこの時代に起こったギャング事件として『俺たちに明日はない』(1967)、『パブリック・エネミーズ』(2009)等々。時代に残るそんな作品の一本を作ってやろう。と言うのがストーン監督の思いだったのかも知れない。客の入りはあんまり良くないみたいだが、あるいは10年後になったら見直されることもあるだろう。実際内容とすれば、もっと後になってみると腑に落ちる部分も多いはずだ。 一つ。この作品には実に多くの暗喩が含まれていると言うこと。場面場面の小ネタや、その脇に置かれてるアイテムなど、いくつも存在する。分かりやすいたとえで言えば、ブローリン演じるブレトンが自宅の家に飾っていたゴヤの“我が子を食らうサトゥルヌス”は、経済事情を実に良く言い表した絵画であり、ギリシア神話の通りジェイコブを雇った上で放逐したブレトンは、そのジェイコブによって逆に経済の表舞台から追いやられることになった。これは分かりやすい例だが、他にもオープニングとエンディングで同じ構図でシャボン玉で遊ぶこども達の姿がある。そのシャボン玉の一つをカメラは追っていき、割れそうになったところで画面から逃げていく。シャボン玉はそのままバブルであり、次々に出来ては弾けていくバブルだが、常に次のバブルは待ち受けており、それがずっと続いている、あるいは続いていくと言う事を暗示した内容になっている。他にも煙草の使い方が上手い。基本的に登場する若者達は煙草を口にしない。だけど、会社が潰れて転職のために荷物片手に葉巻を吸ってる同僚がいたり、ゲッコーも前半では結構良く煙草を吸っていた。かつての煙草はエレガントさを表すアイテムだったのが、今では負け犬を示すアイテムに替わっていることをさりげなく伝えているシーンだ。こういったアイテムの使い方は意外に多く、細かく見ていくと、とても面白いものだ。 …そんな事を考えながら観ていたら、全然退屈しなかった。メインの物語である親子の修復は陳腐な描き方しかしてないし、経済的な事情はほとんど説明無しなので分かりづらい。でもそれ以上に映画的な味わいの良さが本作にはある。なんかとても楽しい作品だった。 意外なところで映画的な面白さに溢れた作品だし、繰り返して細かく観た方が味わいは増すと思われるので、本作はDVDなどでじっくり観ることをお薦めしたいところ。映画批評家の大部分は辛口なのが少々寂しいが、少なくとも苦手意識が強いストーン監督作品の中では最高に面白いと思った作品だった。 |
ブッシュ 2008 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008ロジャー・エバートベスト 2008エドガー・ライトベスト第27位 |
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2期8年の大統領任期を終えようとしているジョージ・ブッシュ(ブローリン)は、大好きな野球場に立ち、これまでの自分の半生を振り返っていた。喧嘩や女の子とつきあうことで過ごした大学時代、何をやっても長続きせず、その度毎に父と衝突していた時代、そして父のブレーンとして大統領選を戦ってきたこと、自分自身が大統領となってなしてきたことを… 監督デビュー以来、一貫してアメリカ批判(と言うより官僚主義と軍国主義の側面)を続けてきたストーン監督。まさしくヴェトナム戦争そのものを否定してみせた『プラトーン』の成功で味をしめたか、非常に挑戦的反動的な作品を作り続けてきた。前作『ワールド・トレード・センター』で久々にエンターテイナーとしての力量を見せたと思ったのだが、次に投入された本作は、まさしく反動精神がそのまま出てきたような挑戦的な作品に仕上がってる。 本作は前アメリカ大統領に対する一種の伝記作品なのだが、このブッシュ大統領と言う人物は悪い意味で話題には事欠かない人物でもあった。大統領の当選そのものがぎりぎりで、しかも選挙集計には相当の離れ業を用いてなんとか当選。当然支持率も最初から低迷。そんな大統領生命を救ったのが皮肉にも911連続爆破テロ。すぐさまタリバーンに対し報復を決定したことで、一気に支持率が急上昇した経緯がある(マイケル・ムーア監督の『華氏911』にその辺詳しい)。だが、アフガニスタンを大々的に攻撃したはいいが、肝心の首謀者ビン・ラディンをとり逃がし、更に不確かな情報でイラクに侵攻したことで、泥沼のイラク戦争に突入させてしまった。更に国内でも政府による盗聴を合法とさせて、管理社会をますます加速させるなど、そもそも大統領の掲げる「自由国家」をことごとく逆転させてくれた。しかも一方では前大統領がようやく黒字化させた財政をあっという間に使い果たした上に、高額所得者の優遇措置を次々に乱発。持つものと持たざるものの格差をますます広げるなど、外から見る限り、本気でどうしようもない人物としか見えなかったりする(中から見ると違った評価になるのかもしれないし、官僚ではなく大統領主導で政治を動かす姿勢はそれなりに評価も受けているらしい)。 …まあこんな人物の伝記を描こうとするのだから、ストーン監督の目的は最初から明らかで、徹底的にマイナス面を強調した作品となってるのが本作。ただ、フィクションを駆使して完全に悪人として描くのではなく、ブッシュはブッシュなりに本気で国のことを憂い、大統領職の重圧に耐えつつも、良き国にしようと一生懸命働いているようには描こうとしている。決してブッシュは大統領を軽見ているわけではなく、真剣にアメリカのために働こうともしている。実際ここだけ観るならば、偏見を持って描いているようにはみえない。 しかしながら、その決定事項がことごとく裏目に出るのばかりを描写するのと、時折挿入されるパパ・ブッシュに対するひがみ根性丸だしの家庭騒乱が、この映画の方向性を形づくっているので、ストーン監督が描こうとしているブッシュ像というのは明らかにされている。ストレートに悪意を描くのではなく、ひねって普通の伝記のように描いてる辺り、ストーン監督もそろそろ大人になってきたのかも? ストーン監督の見るブッシュとは、一種のエディプスコンプレックスに凝り固まっており、父を超えようと言うルサンチマンが彼の過激な政策を裏付けていることを暗示させている。この辺が悪意の部分だろう。 物語そのものが割と淡々とした感じなので、あんまり一般受けはしそうにないが、政治や歴史に興味持ってる人にはお薦めできる作品ではあり。 ちなみに本作はかなりの中国資産が投入されているという。結論は避けるが、中国が一体何を考えてこの作品を後押ししたのかを考えてみるのも面白かろう。 |
ワールド・トレード・センター 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2001年9月11日のマンハッタン。港湾警察はいつものような朝を迎えていた。だが間もなく、世界貿易センタービルの北棟に旅客機が激突する大惨事が発生、港湾警察官たちに緊急招集がかけられる。かつてワールド・トレード・センターでの爆弾テロ騒ぎでの現場を経験した腕を買われたジョン=マクローリン巡査部長(ケイジ)以下、新人警官のウィル=ヒメノ(ペーニャ)を含む4人の警官がチームを組み、救出活動に当たったが、彼らがビルに潜入した直後、ビル全体が崩れ始めるのだった。 常に挑戦的な映画作りで知られるストーン監督の最新作。ストーン監督作品は相性が悪いのだが、何故か劇場にかかると観に行ってしまう。不思議な監督だ。 実はその挑戦ぶりがどれほどか?と言う期待もあった。その時点で一方的な被害に遭った立場のアメリカを、彼がどのような解釈で映してくれるのか? …ある意味、期待は大きく裏切られることになった。社会派監督として知られるストーン監督のこと。単に埋められているだけでなく、社会情勢から何から総動員して政府の対応を描くのかと思っていたのだが、見事なほどにそれは出てこないし、これまでのような心をえぐるかのような鋭い演出はなりを潜めている。 だがそれ以上に、改めて、ストーン監督は演出面にかけては上手い監督であることを再認識させられた。少なくともディザスター映画として見るのならば、本作はかなり上手く作られた作品だ。 ディザスター映画は普通救出される側と救出する側の二面で形作られるものだが、本作においてはほとんど救出する側が描かれていない。ひたすら救出を待つ側と、その家族のみに焦点を絞って演出されている。 主人公達は動けないのだから、当然声の演技が話のメインになるので、下手な監督が作っていたら、ただ退屈な内容になっていただろうが、ストーン監督はそれを見事に緊張感溢れるものに撮ってくれた。実際に起こった事をきちんと調査して行っているので、リアリティも強い。それだけに最後の救出劇は本当にほっとさせられる。 映画単体としてはかなり上手い作品と言えるだろう。 ただ、結局は災害に巻き込まれてしまった一市民が、ただ待つだけ。と言う内容をわざわざストーン監督が選んだ理由がよく掴めない。この人はもうちょっととんがったものを作る人じゃなかったか?しかも登場は僅かとはいえ、神がかった保守的な人間をヒーローのように扱う撮り方もらしくないよなあ。妙に保守的傾向が強いように思うのだが? ストーン監督だったら、強引に陰謀説でっち上げて、軽くでもその演出を入れて欲しかった…と言うのは酷か?(というか、私自身はそう言うのが嫌いなんだけど) ストーン監督“らしい”ものを撮ると文句を言い、“らしくない”ものを撮ると文句を言う私はやっぱり嫌な奴だな。 |
アレキサンダー 2004 | |||||||||||||||||||||||||||
2004ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低主演男優賞(ファレル)、最低主演女優賞(ジョリー)、最低監督賞(ストーン)、最低助演男優賞(キルマー)、最低脚本賞 2004ロジャー・エバートワースト第1位 |
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マケドニアを再興させた王フィリッポス(キルマー)は異国の妻オリンピアス(ジョリー)を娶り、二人の間にアレキサンダーが誕生する。夫を軽蔑するオリンピアスは幼少の頃からアレキサンダーに毒を吹き込み、フィリッポスは彼に知恵と力の使い方を伝授する。やがて何者かによってフィリッポスが暗殺されると、アレキサンダーが若干20歳にして王位を継ぐこととなった。父の意思を継ぎ、当時の世界の4/5を得ていたとされるペルシア軍に挑むアレキサンダーだったが… 史上初めて世界を統一したとされるマケドニア王アレクサンドロス3世の生涯を描いた歴史スペクタクル作。総製作費はなんと200億円という、超弩級作品。アレキサンダーを同性愛者に描いたとのことで、ギリシアでは上映禁止騒ぎまで起こったと言う問題作でもある(結局200億ドルの回収も出来なかったらしい)。 映画も数を観ていると、だんだん自分に合う監督と合わない監督というのが見えてくるものだが、合わない監督の筆頭が誰かというと、申し訳ないが、このストーン監督と言うことになる。それで不思議なことに、何故かこの監督の作品は劇場で観ることが多い。合わないんだから観なければいいはずなのだが、腹を立てながらも、何でだかほっとする自分がいる。合わないと言うことを確認することが楽しいのか?我ながらそれは歪んでるぞ。 それはそうと、本作はアメリカでは極めて不興で、製作費を取り戻すことは難しいと言われている(軒並みラジーにもノミネートもされてる)。ただ、日本人の私の目からすれば、そこまで極端にこき下ろされるような作品ではないようにも思えてしまう。確かに日本での映画評をざっと眺めてみても、「退屈」とか、「長すぎる」とかの評はよく目に付くし、私自身その点に関してはいくらでも文句を書けるくらいだが(それとアレキサンダーの描写についても)、それを置いても、そこまで悪い作品か?と言われると、別段そうも思えない。 それで思いつくのは、本作はアメリカ的な感覚に大変合わない作品なんじゃないか?と言うことだった。 ストーン監督は大変挑戦的な監督で、現体制に対し、大変批判的な目を持って作品を作っているのが特徴。一種の社会現象となり、アメリカ人のそれまでの戦争の考えを覆したという『プラトーン』や、それまで一種のタブーだったケネディ暗殺の暗部にメスを入れた『JFK』もそうだったが、現代のアメリカ人が、大多数の風潮に呑まれて何となく方向付けられている思想に「ちょっと待った」をかけるのが上手い監督だ(多分そのあからさまさが私には受け入れられないんだろう)。 それで本作で行ったこと。これはもうあきらかで、9・11に始まる現代の中東戦争におけるアメリカの立場に対するものに他ならない。フィリッポスの暗殺が9・11の連続爆破テロの暗喩であるなら、その後のペルシア戦争、その後の「マケドニアの文化を世界の中心とするため」の戦争はそのままアフガニスタン戦争から現代のイラク戦争におけるアメリカの姿と重なってしまう。監督自身は構想は相当前だと言っていたが、言葉の端々に、現代のアメリカに対する批判が次々と出てきてしまうので、それらが垣間見えてしまう。 そもそもアレキサンダーの戦いを描くんだったら、最初にプトレマイオス(ホプキンス)が出てくるくらいだから、緒戦のエジプト戦役を描いて、クライマックスでペルシアとのガウガメラ会戦を持っていくのが正しいのに、そのエジプト戦役を言葉だけで説明してしまって、前半部分でペルシア戦役を終わらしてしまってる。これは極めてバランスが悪い。結果的に中盤から泥沼のような東征になっていき、アレキサンダーは部下の信頼も失っていって、やがては自滅していく。と言う過程を描くだけになってしまった。これを現代のアメリカの戦争に置き換えることは、あまりにも容易…そらまあ、怒るのも無理ないような気がする。そう言えばアレクサンダーが妻を娶ったところって、バクトリア王国と言っていたようだが、これって現代で言えばアフガニスタンだったんじゃなかったっけ? 更にもう一つ。世紀の英雄アレキサンダーをマザー・コンプレックス及びゲイに描いてしまったのも、相当に心証を悪くしてしまった事も推測できる。日本ではあんまりアレキサンダーって馴染みがないから、「ふーん、そう」で終わらせることも出来るけど、オリエントに初めて西洋文化の素晴らしさをもたらした英雄が、そんな姿に描かれてしまうと、やっぱり西洋人には腹立つんじゃなかろうか? 以上は徒然なるままにこの映画を考えていたことの妄想。 その上で、私にとって本作はどうだったか?と言われると、やっぱり「退屈」としか言いようがない(笑)。韜晦し続ける主人公の姿を延々見せられるだけでもいい加減お腹一杯だし、久々に映画観てて途中で眠りそうになった。女だけじゃなくて男にまで嫉妬され、精神的に行き場のない思いを味わうは、母の影響からひたすら逃げるために東へ東へと向かっていくのに、結局見出して結婚した女性は母とそっくり(腕に蛇のブレスレット付けてるのまで同じ)。これは相当に鬱っぽいぞ。 心理学的に言えば、アンビバレント(引き裂かれる心)で最初から最後まで展開していくため、主人公が極めて内向的に描かれてしまい、爽快感がない。更に妙にぬめぬめした男がたくさん出てくるので引く。むしろここでは男は情けなく、女性の方が精神的には強く描かれていたため、女性陣の健闘の方にばかり目がいく。これだけ長い話なのに、ストーリーの大部分は画面ではなく、声で説明されるのも嫌だ。これは基本的に映画じゃやってはいけない事のはずだぞ。 ただ、悪いところばかりでもない。ペルシア軍との決戦であるガウガメラ会戦における派手さと時代考証の良さは特筆すべきだろう。歩兵を中心とするマケドニア軍のファランクス部隊の槍ぶすまと、それに対する馬を中心とするペルシア軍の機甲部隊の激突は、「やってくれたな!」と言う素晴らしい出来だった。このシーンだけなら観た甲斐はあると言うもの。細かいところだが、馬に鐙を一切付けてないのも気に入った。ファレルが裸馬に乗れるのも分かった。 設定のツッコミを一つだけ。最後にインドに進軍したマケドニア軍が象の存在を知らなかったように描かれていたが、画面には出てこないものの最初に戦ったエジプトは象を機甲部隊の中心としていたはずだし、ペルシア軍も使っていたはずだから、象を知らないはずはないのだが…そうそう。象の鼻を切り落とすシーンは、あれは動物擁護団体から観たら卒倒もんだろうな。きっとラジーの票のいくつかはそれで取ってたと思うぞ。 |
コマンダンテ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||
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エニイ・ギブン・サンデー 1999 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000MTVムービー・アワード ブレイクスルー演技賞(フォックス) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニクソン 1995 | |||||||||||||||||||||||||||
1995米アカデミー主演男優賞(ホプキンス)、助演女優賞(アレン)、脚本賞、音楽賞 1995 |
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『JFK』の続編のような形。ケネディに対するコンプレックスの塊のようなニクソンが描かれていく。 ニクソンが行った正しいことも合わせて描く。 |
ナチュラル・ボーン・キラーズ 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
1994ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞(ストーン)、イタリア批評家賞(ルイス) 1994ゴールデン・グローブ監督賞 |
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マロリー(ルイス)とミッキー(ハレルソン)のカップルは、マロリーに性的虐待を加えていた父親と、それを見て見ぬ振りをしていた母親を殺害して逃走。アメリカ中をひた走りながら、2人は手当たり次第に人を殺しまくる。いつのまにか、無責任なマスコミや野次馬達によってヒーローに祭り上げられていく彼ら。逮捕されてからも、2人を利用して名を売ろうとするTVキャスター(ダウニーJr)、目立ちたがりの刑務所長(ジョーンズ)が彼らを追い回す。
『パルプ・フィクション』を及び『トゥルー・ロマンス』を観て、これは新しい感性の暴力映画だと思い、タランティーノ脚本と言うことで観ることにした。ただ、私の嫌いなオリバー=ストーン監督作品だったため、映画では観る気が起きず、ビデオで。 確かにタランティーノ調の暴力逃避行だった。その中に刺激的な映像やら悪口やらを山ほどぶち込んで仕上げているのだが、根本的に疑問が残る。何となく吹っ切れていない感じがするのだ。タランティーノ映画のおもしろさは徹底したモラルの欠如にある。モラルに対し反抗するのでなく、最初からそんなものを前提としていないからこそ、どこか突き抜けたような爽快感がある。それに対し、ストーンが作ると、マロリーとミッキーの二人は「モラルの破壊者」と言う、モラルを前提とした人物として捉えられている。充分刺激的であっても、『俺たちに明日はない』をベースにした手堅い映画の作りの上にタランティーノ調のスパイスを振りかけたと言う程度の作品に仕上がっているわけだ。 決してそれが悪いと言うつもりはないが、脚本書いたタランティーノが映画の出来を観て激怒したと言う理由はよく分かる。描くものは同じでも中心が明らかにずれているんだから。タランティーノはおそらくこれを馬鹿馬鹿しさをたっぷり入れたブラックジョークにしたかったんじゃなかろうか。それに対しストーン監督は本作をアメリカの病理を前面に出した真面目な作品にしてしまった。それでも真面目なストーン監督にはこれが限界だったんだろう。 主人公クラスがしっかり実力派俳優で固められているのはさすが一流監督。こればかりは認めずにはいられまい。 ストーン監督作品の中ではおそらくこれは異端的且つ失敗作品になるんだろうけど、監督作品の中ではかなり気に入っている(と言うより他が全然面白くないと言った方が早い)。 |
天と地 1993 | |||||||||||||||||||||||||||
1993ゴールデン・グローブ音楽賞 1993日本アカデミー賞外国作品賞 |
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ヴェトナム戦争をくぐり抜けてきた実在の人物レ・リー・ヘイスリップの真実の物語。1949年、フランス領インドシナ。ベトナム中部の小さな農村村キーラに生まれたレ・リー。第二次世界大戦後、この村は南北ヴェトナムの国境付近にあったことから、村の支配が次々と変わり、彼女の運命も流転していく。サイゴンで出会った海兵隊のスティーヴ=バトラー(ジョーンズ)と結婚した彼女はあこがれの地アメリカへと行くのだが… ヴェトナム戦争を撮り続けるストーン監督の放った渾身の大作。ついに主人公はアメリカ人を離れ、ヴェトナムの、しかも一女性を主役とした物語を作り上げた。 さすがストーン。私が大っ嫌いな監督なだけはある。ここまで見事に外しきった作品に出会うことは滅多にないぞ。いっそ見事と言おう。 いくら原作があるとは言え、人の国の物語を手前勝手に解釈して「どうだ」と言わんばかりに目の前に出されても何の感慨もない。いや、感慨があるとしたら一言「こいつって、馬鹿じゃねえの?」でしかない。人の国の文化にずかずか入り込んで、勝手に悲惨な状況をエンターテイメントして見せつける。それがどれほど愚劣な行為なのか、監督は分かっているのだろうか?これをヴェトナム人に見せてみろ。多分他の凡百な(ストーン監督自身の作品も含めて)ヴェトナム戦争の映画のように、「笑いものにされた方がまだましだ」と答えるのではないか?特に前半、ヴェトナムでのシーンは冷静に観ることさえ出来なかった。ヴェトナム人がみんな英語喋ってるって事だけでもイヤ。そもそもヴェトナム人がみんな全員活き活きしたところが無く、いかにも演技してます。ってのが気にくわん。 映画で大切なのは主人公(あるいはその周囲の人物)に感情移入が出来るかどうか。そこが大切だと思うが、最初からその点放棄していたとしか思えない。いくら悲惨な映像を見せられても、主人公のティー・リーが泣こうと、ストーン監督の目で見ている限り、観客の感情移入は完全に避けられてしまっている。そもそもアメリカ人が感情移入できないヴェトナムの人々を主人公に持ってきたことで、物語の破綻は見えていたのだから… ただ、中盤でトミー・リー=ジョーンズが出たところから、物語は全く別の形を取ってきた。そこにアメリカ的価値観で判断する人物を挿入することによって、ようやく映画の体裁を整えてくれた。ストーン監督は彼に感謝しなければならないぞ。 それで後半だが、今度はドメスティックな意味での暴力映画になってしまい、これはこれで何か嫌な展開。自伝だからこう言うのもあるんだろうけど、蛇足部分が多すぎるだけにしか思えない。 観たのがテレビだったため、半分眠りながら観てしまった(私にとってはこれは珍しいことなんだけど)。時にこういう作品を観る必要はありそうだ。自分の映画の観方とその姿勢を確認するためにも。 そうそう、喜太郎の音楽は好みだったことだけは言っておこう。 |
JFK 1991 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991米アカデミー撮影賞、編集賞、作品賞、助演男優賞(ジョーンズ)、監督賞(ストーン)、脚色賞、作曲賞、録音賞 1991ゴールデン・グローブ監督賞(ストーン)、作品賞、男優賞(コスナー)、脚本賞 1992英アカデミー編集賞、音響賞、助演男優賞(ジョーンズ)、脚色賞 1992MTVムービー・アワード作品賞 1992日本アカデミー外国作品賞 1992ブルーリボン外国作品賞 1992毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞、外国映画ファン賞 |
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1963年11月22日。テキサス州ダラスで起こったケネディ大統領暗殺事件。この犯人とされリー・ハーヴィー・オズワルド(ゲイリー・オールドマン)はあっという間にダラス警察によって逮捕されたものの、そのオズワルド自身が狙撃されて命を落としてしまう。そのニュースを見ていたニューオリンズ州地方検事ジム・ギャリソン(ケヴィン・コスナー)は、一連の経過に疑問を抱いた。そこでギャリソンは調査を開始するのだが、この事件は政府を巻き込んだ巨大なものであることが徐々に明らかになっていく… 全世界に衝撃を与えた1963年のケネディ暗殺事件の顛末を描いた作品。本作は地方検事ジム=ギャリソンが、大統領暗殺は政府高官も関係した陰謀であったことを裁判で実証しようとしたという手記を元にしている。これまでアメリカではいくつもの同じ事件を扱った作品が作られているが、本作の特徴として、その事件を客観的事実によって構成するのではなく、徹底して主観的に、完全な陰謀説として描いていると言う点。言うなれば、過激なだけが売り物のペーパーバックのトンデモ説を大真面目に映画にしてみました。と言う感じ。通常ならこの手の作品は映画にするととても陳腐なものになってあいまうため、極めて低予算で作られるのが普通だろうが、これを潤沢な予算でオールスターキャストで作ったおかげで、スケールが大きく、一瞬なり、真面目に信じてしまいそうになる。 とはいえ、説そのものはかなり過激とはいえ、これを真面目に調査した人物が実在し、その人を描くことによって、「これは完全なフィクションではありません」という予防線も張られていて、この辺とても珍しく、ユニークなものに仕上げられた。 ケネディ暗殺事件には謎が多く、憶測を含め現在もなお様々な研究書が出されているので、あくまでこれは解釈の一つに過ぎない。それをあたかも唯一の真実のようにストーリー立てするのには少々鼻につくが、物語と割り切って見るなら、確かに面白い。 そもそもストーン監督は本人の意識はともかく、アクション畑の脚本家だけあって、緊張感の演出や、静から動への話の転換の演出は上手い監督。本作もポリティカル・フィクションでありながら、あたかもアクション映画のような物語展開と緊張感をもたらしてくれる。無理やりアクションシーンを持ち込むよりも、会話や新展開をテンポよく盛り込むことで見事なエンターテインメント作品として仕上げられた。 内容としても、実在の人物に対しする弾劾であったり(陰謀の陰にジョンソン副大統領と軍の首脳部がいたというモロな言及もあり)、所々あからさまに保守派に対する弾劾が入っていたりと、ストーン監督らしさも健在。少なくともこれまでの作品の中では最もバランスが良いものだと思える。少なくともここまで徹底して低評価しか与えられなかったストーン監督作品では最も評価が高くなった作品であることは確か。 ここで焦点となったのは、ケネディ大統領が一種のヒーローであり、彼に任せていればアメリカは無謀な戦争に巻き込まれることは無かった。というのが前提になっているのだが、今になって考えてみると、そんなことだけで果たして暗殺にまで発展するだろうか?という気もする。むしろ逆に自分自身が始めてしまったヴェトナム戦争が、果たして本当に拡大しないで済んだのだろうか?結局この真相が分かるのはいつになることやら。 |
7月4日に生まれて 1989 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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7月4日に生まれて | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1989米アカデミー監督賞(ストーン)、編集賞、作品賞、主演男優賞(クルーズ)、脚色賞(ストーン)、撮影賞、作曲賞、録音賞 1989ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(クルーズ)、監督賞(ストーン)、脚本賞(ストーン、コヴィック) 1989シカゴ映画批評家協会主演男優賞(クルーズ)、作品賞 |
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アメリカ独立記念日と同じ日に生まれたロニー(クルーズ)は祖国のために海兵隊に志願し、ヴェトナムに派遣された。しかし、理想に燃えていたロニーが戦場で見たものは、想像もしなかった悲劇的な世界だった。友人を誤射し、戦場に置き去りにし、自らも半身不随の重傷を負う。英雄として帰国したロニーだったが、ヴェトナム戦争は、やがて、人々から非難されるようになる。心も体も傷つき、戦場での罪の意識にさいなまれるロニー。彼は一つの決意をする。 ヴェトナム帰りの反戦活動家ロン・コーヴィックの同名小説の映画化。 ヴェトナム戦争後を扱った映画は結構多いが、こういった傷痍軍人を主題に扱ったものは珍しい。これはある意味で画期的な作品と言えよう。主演のクルーズはこの作品によって一皮むけた感じだったし(実際にロン・コヴィックに取材し、車椅子生活を体験するなど、役作りには本当に熱心だったそうだ)、個人と国家の関係という観点からきちんと作られた作品。 だけど、だけどだよ…なんて私は学習能力無いのだろう。 オリバー=ストーンとは徹底的に相性が悪いんだ。それが分かっているのに、何で映画で観るかね?しかも当時大っ嫌いだったトム=クルーズの主演と来て、拒否反応を起こさなかった当時の自分が不思議だ。ひょっとして嫌いな奴を掛けたら逆転して良い映画になることを期待したのだろうか?(単に他に観る映画無かったと言う可能性が一番高い) それで、映画の出来だが… 長いしクサいし退屈だしトム=クルーズが変なオーラ出してるしオリバー=ストーンが自虐的だしデフォーは怖いし観客寝てるし私は始まった直後から時間気にするようになったし連れにはよくもあんな下らない映画見せてくれたと文句言われるし後でストーンに呪い掛けてやろうと誓ったし… …はっ。 失礼失礼。 理由の有無は分からないのだが、私はオリバー=ストーンとは相性が無茶苦茶悪いらしく、彼の撮ったどんな映画も大嫌いだ。それなのに見事に彼の映画を劇場で観る機会が多い。未だにそれが不思議。呪いでも掛けられてるんじゃ無かろうか? 本作もその例に漏れない。傷痍軍人のセンチメンタルさにまるで気持ちが入り込んでいかなかったし、ストーリーもひたすら退屈で、最後に見せたクルーズの涙も見苦しさしか覚えない。ラストシーンも、ヴェトナム戦争のおかしさを話せるのは、英雄に祭り上げられてしまった人物だけである。という傲慢さにも見えてしまうし。 この映画を良いと言う人には本当に申し訳ない。この酷評の全ては監督と私の相性の悪さの故である。 本作は最初パチーノが主役を演りたがっていたらしいが、ユニヴァーサル側が「スター性に乏しい」として却下してしまったらしい…出来ればそっちで観てみたかった。 本作冒頭にケネディ大統領の就任演説が映し出される。有名な「国家が諸君に何をなしうるかを問うてはならない。諸君が国家に何をなしうるかを問うべきである」が聴ける。 |
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ウォール街 Wall Street |
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1987米アカデミー主演男優賞(ダグラス) 1987ゴールデン・グローブ男優賞(ダグラス) 1987ゴールデン・ラズベリー最低助演女優賞(ハンナ) |
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若き証券マンのバド=フォックス(シーン)は、一代で巨万の富を築いた成功者ゴードン・ゲッコー(ダグラス)を目標とし、いつか追い抜いてやると闘志を燃やしていた。何ヶ月も予約を入れ、ようやくゲッコーと面接することに成功した。その時バドは土産代わりに父カール(マーティン・シーン)が働く会社の経営状況に関する情報をゲッコーに流したが、それが功を奏し、バドはすっかりゴードンに気に入れられた。そしてバドはゴードンのやり方を吸収していく。それが違法のインサイダー取引であっても、成功に酔うバドだったが… 実際の投資家アイヴァン・ボウスキーの手記を元に証券業界の内実を描くと言う、極めて挑戦的な作品で、これまでこんな作品は無かったため、設定だけはいかにもストーン監督好みと言った感じの作品だった。 ただ、その挑戦的な内容は認めるにせよ、それで内容が優れていたか?と言うと、ちょっと困ってしまう。証券業界は分かりづらいので、物語を単純にしたのだろうが、その単純さがシンプルすぎて内容がすっかすかになってしまった。 単純に言えば、「悪いことをしたら謝りましょう」だからねえ。あるいは「悪銭身につかず」かな?何も言うべきところが見つからないとても道徳的な内容に仕上がった。証券業界のノウハウが出ていた訳でもないし。 シーン親子が親子役で出演していたり、ダグラスが珍しく格好良い役(?)やってたりと、俳優に関してはいくつかトピックもあるんだけど、さほど目立った訳でもないかな? |
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プラトーン Platoon |
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1986米アカデミー作品賞、監督賞(ストーン)、編集賞、録音賞、助演男優賞(ベレンジャー、デフォー)、脚本賞(ストーン)、撮影賞 1986ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ベレンジャー)、監督賞(ストーン) 1986インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、主演男優賞(デフォー) 1987キネマ旬報外国映画第2位 |
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新兵としてヴェトナムに配備されたクリス(シーン)は上官バーンズ(ベレンジャー)の厳しさに触れ、戦場における自分の役割、そして責任を知っていく。だが一方でややはぐれた感じのもう一人の上官エリアス(デフォー)とも出会う。彼のグループは麻薬を吸ったり、通常の生活では自堕落さが目立ったが、一度戦場に出れば勇敢で、数々の武勲を挙げてもいた。そんな彼を苦々しく思うは、危険な任務にかこつけ、戦場で見殺しにする。その裏事情を知った主人公は… ヴェトナム戦争下の一小隊(表題のプラトーンとは、小隊のこと)の顛末を描く。1987年全米興行成績2位。 当時、もの凄い社会的反響を呼んだ作品で、この作品のお陰でオリバー・ストーンは一流監督と認められ、ヴェトナムでの戦争の悲惨さと、戦場での倫理に誰もが息を呑んだ… …の、だろうが私ははまれなかった。ストーリーも何もない。ドキュメントと言うにはお粗末で、ヴェトコンの描き方も全然迫力がない。そもそも戦争反対のつもりで書いたのかもしれないけど、全然そう見えない。と言うか、これじゃ戦争を容認してるようにさえ見える。 主人公のチャーリー=シーンの葛藤はさらりと流されるし、上官二人の喧嘩も些細なことで殺されるのがなんとも…父親のマーティン=シーンが登場したやはりヴェトナム戦争映画『地獄の黙示録』(1979)の方が良かった。少なくとも、本作を観て、この作品が決して失敗ではなかったことを強く思った。 そして、あのオチは何?唖然としてしまった。上官をぶっ殺して置いて、ばれなかったからこれ幸いと、アメリカに帰り、戦争の悲惨さを皆に伝えよう。なんて…あれだけの長さを使って、偽善者を一人作り出しただけかい!…いや、これこそが戦争の虚しさの演出なのかも知れない…知れないんだけど、これは映画じゃない! ちなみに同年にストーン監督は『サルバドル 遥かなる日々』を監督しているのだが、この企画が通った際、ゲリラ的戦術で本作の予算を引っ張ってきたのだとか。低予算作品の本作の方がヒットしたのは皮肉と言えば皮肉な話。 |
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サルバドル 遙かなる日々 Salvador |
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1986アカデミー主演男優賞(ウッズ)、脚本賞(ストーン、リチャード=ボイル) 1986インディペンデント・スピリット主演男優賞(ウッズ)、作品賞、監督賞、主演女優賞(カリーロ)、脚本賞、撮影賞 1987キネマ旬報外国映画第8位 |
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1980年ジャーナリストのリチャード=ボイル(ウッズ)は特ダネを得るため、内戦状態にあるエルサルバドルに入国する。特ダネのためにはゲリラの砦にまで潜入する覚悟を持ったボイルだが、そこで見た光景は彼の想像を絶するものだった。 脚本はエルサルヴァドルを取材したジャーナリスト、リチャード・ボイルの実体験を元に、ストーンと共同執筆。 『プラトーン』(1986)が20年近くも前の話を描いていたのに対し、この映画が封切られた時には未だエルサルバドルの内戦は続いていた。その意味で非常にタイムリーな、そして政治的な映画だったのだが、やはりと言うか何というか、オリバー=ストーンの映画は根本的に私には合わない訳で… 事実に基づく残虐シーンが続出し、それを見るボイルが徐々に義憤に駆られる辺り、なかなか見応えがあるのだが、そう言うのを何というかというと、「大きなお世話」と言う。 大体、劇中のテレビでレーガンが大統領に選出され、強いアメリカの再興だ。とか叫んでいる辺り、「どうだ、これからアメリカはお前達助けてやるぞ。嬉しいか?」と言っているようで、とても嫌だ。 これを観て唯一私が得たものは、ジャーナリストがいかに厚顔無恥であるか、余計なことに首を突っ込むか。と言うことだった。 |
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