|
|
||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
ロミオ&ジュリエット(書籍) |
2022 | エルヴィス 監督・製作・脚本 | |
2016 | ||
2015 | ||
2014 | ||
2013 | ||
2012 | 華麗なるギャツビー 監督・製作・脚本 | |
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ||
2008 | オーストラリア 監督・製作・原案・脚本 | |
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ムーラン・ルージュ 監督・製作・脚本 | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ロミオ&ジュリエット 監督・製作・脚本 | |
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ダンシング・ヒーロー 監督・原作・脚本 | |
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ダークルーム・盗撮 出演 | |
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | 9'17 シドニーで誕生 |
エルヴィス Elvis |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1954年。メンフィスへとやってきた興行師のトム・パーカー(ハンクス)は、偶然レコードから流れる歌声を聴き、興味を持ってその人物に会いに行った。白人でありながら黒人音楽のブルースを見事に歌いきるその青年エルヴィス・プレスリー(バトラー)を見た瞬間、これは金になると直感を得、エルヴィスのマネージャーを買って出る。エルヴィスは仲間と共にブルースを新しい音楽ロックンロールへと昇華させ、その音楽は全米に鳴り響く。 ここ数年で大物ロックスターの伝記が次々に公開されている。その中で、ついにというか、ようやくとか、ロックンロールの始まりの人で、現代音楽はこの人から始まったという最重要人物であるエルヴィス・プレスリーの伝記が投入された。 これは本当に満を持してと言った感じで、決定版かもしれない。しかも監督がバズ・ラーマンとあっては、期待せざるを得ない。 という事で楽しみにして劇場へと向かったが、自分が期待していたものの遥か上に行っていた。高い期待度を軽々超えてこられては、最高点を差し上げざるを得ないだろう。 本作の面白さというかユニークさはいくつもある。 勿論通常のロックスターを描く映画としての及第点は充分取っているし、演出も素晴らしい。ラーマン監督はやっぱり音楽を使った演出が突出して上手いが、特にエルヴィスが新しい音楽を作り出しつつあると言うことを観客の興奮も含めてきちんと演出していた説得力に関しては格の違いを見せつけた感がある。 その素晴らしい演出を前提にして、物語も上手い。 本作の主人公はエルヴィスでは無い。冒頭からずっと、エルヴィスを見いだし、支え、騙し、全てを奪ったトム・パーカーの方だ。中心人物を俯瞰して見るために敢えて主人公を変える構成自体はいろんな映画で使われているが、本作は異様なくらいそれがはまっている。 これは基本的にエルヴィスという存在を純粋なものとして捉えた結果であろう。色々な経験をしているものの、エルヴィスは基本的には変わらない。ただひたすら歌が好きで、歌っている間の高揚感や全能感に包まれるトランス状態に依存しているだけ。 そんな変わらない、まるで妖精のような人間を描くのに、極めつきの俗物を主人公にすることで、エルヴィスの純粋さを失わせないままちゃんとドラマを構成できるようになった。 これまでのロックスターを描く作品は基本的に主人公が変わっていくことを描いていたのとは真逆にして、エルヴィスはひたすら純粋なままで描いてみせた。これによってエルヴィスはどんなキャラでも演じることが出来る。トム・ハンクスがトム・パーカーを演じたという事が最も重要な要素になる。彼がエルヴィスを操ることによって、エルヴィスは純粋な妖精のまま、大変なドラマに叩き込むことが出来た。 この点が他のロックスターを扱った作品とは全く異なる印象を与えてくれた。だいたい画一的なストーリーとなるとばかり思っていたため、こんな物語の構成の仕方があったという事実に驚かされた。 そしてもう一点。エルヴィスがロックンロールを作り上げたという歴史的な事実をはっきりと見せつけたということがある。 ロックは突然出来たのではなく、ちゃんと歴史の積み重ねの上で作られた。 それはロックとは黒人による音楽ジャンルであるブルースとゴスペルが融合した上で白人であるエルヴィスが歌ったことで完成したという事実である。 当時のアメリカの中でも、特に南部は白人と黒人の間は明確に分けられていた。全く別の文化として考えていたため、黒人の音楽は黒人だけが歌えるものと考えていた。それがどれほど素晴らしいものであったとしても、それは黒人だけが許される音楽と考えられていた。更に黒人音楽の中でも神を称えるゴスペルと、悪魔の歌と言われるブルースは完全に別なジャンルであり、これを融合させるのは絶対に避けられていた。 白人と黒人の間の分断とゴスペルとブルースの分断。この二つの分断の狭間に存在したのがエルヴィスという人物だった。エルヴィスは白人だったが、その家は黒人居住地域にあった。これはエルヴィスの父親が障がいを持っていたため、稼ぎが少なくてそこで住むしか無かったということが明かされており、幼少時のエルヴィスの友だちはみんな黒人だった。更に映画の冒頭で教会でトランス状態になったエルヴィスはゴスペルシンガーとなったが、その後ブルースに惹かれて、いつしかその二つのジャンルを融合させることになった。あらゆる意味で狭間の存在であり、更に大変な音楽の才能を持っていたエルヴィスだからこれら全てを融合させることが出来たのだという事実がはっきりと描かれていた。既成の音楽ではなく、完全に新しい音楽を作り出したという事実を見事に描き出したことで、これは歴史的な出来事である事を示すことが出来たのだ。 あと、初期のエルヴィスが何故不道徳だと言われていたかは、腰振りダンスが卑猥だからという理由も確かにあるが、むしろ黒人の音楽を白人が演奏していることに対する激しい反発があったというのも良く理解出来た。 実に色々勉強になった。 お陰で全体的に思った以上に意外性の溢れた作品になっていて、これはもう最高点以外の点数が思い浮かばない。最高の作品だった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
華麗なるギャツビー 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013米アカデミー美術賞、衣装デザイン賞 2013英アカデミープロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞 2013放送映画批評家協会美術賞、衣装デザイン賞、歌曲賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オーストラリア 2008 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008米アカデミー衣装デザイン賞 2008放送映画批評家協会若手俳優賞(ウォルターズ) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファーストチョイス役は最初ラッセル・クロウにオファーされていた。 |
ムーラン・ルージュ 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー美術賞、衣装デザイン賞、作品賞、主演女優賞(キッドマン)、撮影賞、メイクアップ賞、音響賞、編集賞 2001英アカデミー助演男優賞(ブロードベント)、作曲賞、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、音響賞、特殊視覚効果賞 2001カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2001LA批評家協会助演男優賞(ブロートベント)、美術賞 2001ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(キッドマン)、音楽賞 2001オンライン・ムービー・アワード第3位 2002MTVムービー・アワード女優賞(キッドマン)、音楽シーン賞、キス・シーン賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボヘミヤン革命に憧れる青年(マクレガー)がパリのダンスバー「ムーラン・ルージュ」で運命の人(ニコール=キッドマン)と出会う。彼女はムーラン・ルージュのトップ・ダンサーで一方青年は才能はあるが金を持たない作家だった。そんな二人が恋に落ち、仲間達の助けを借りながら舞台劇を作ろうと志す二人。だが、その劇の出資者であり、彼女にベタ惚れの伯爵がいた。何とかして彼女を自分に振り向かせようとする伯爵だが… いやはや凄い作品を観た。と言う感じ。1900年のパリを舞台としたミュージカルなのに、飛び出すナンバーはアメリカン・ポップスばかり。「サウンド・オブ・ミュージック」に始まり、シンディー=ローパー、マドンナ、ビリー=ジョエル、グロリア=エステファンと言った往年のポップス・ナンバーが次々出てくる。しかもあの踊りの動き。フレンチ・カンカンをベースとしているけど、そんなもんじゃない。動きを目で追っていったら酔いそうになる。特にお勧めは「ライク・ア・ヴァージン」だが、これは実に見応えある…というか、「やめれぇ」と思わず心でツッコミ入れてた。主人公クラスの歌のうまさも相まって、緩急取り混ぜ、動きのある映画だった。ユアン=マクレガーって、意外に歌が上手いことも発見。彼の魅力はアクションや顔の良さばかりではないようだ。勿論キッドマンの演技も凄いってか、「あんた、一体いくつや?」な若さが凄い。後はなんと言ってもブロートベントだろう。のっけからあの濃い顔のアップと、彼の歌う「ライク・ア・ヴァージン」は鬼気迫るものまで感じるぞ。 ただ、その分ストーリーはベタ。中盤にさしかかる頃にはラストまでの展開が完全に分かってしまうほどにベタベタなラブ・ストーリーが展開される。そこには意外性もなく、なるべくしてなったと言う展開があるだけ。確かに名作にはベタなストーリーが多いし、それがスタンダードな劇の魅せ方であることも確かなのだが、この作品に関しては「名作」と言えるだけの何かが足りない。 大体、考えてみれば監督のバズ=ラーマンって言えば数年前に私に言わせるなら超駄作の『ロミオ&ジュリエット』を世に出した監督であり、性懲りもなく同じ事をやっていると言えなくもない。 バッド・トリップしそうな映像が好きだとか、キッドマン、マクレガーのファンだったら間違いなく見て欲しい作品だが、それ以外の人にはさほど勧めようと言う気が起きない。これがアカデミーで映像部門とか特殊撮影部門に入るのなら大賛成だが、作品賞や監督賞に入るというなら、大反対。そう言う作品である。 <付記> 上で無茶苦茶書いてるのだが、後になってテレビ放映がされた際、何気なく観ていたら、我知らず引き込まれていた。 そうか。これを物語として観ようとするからいけないんだ。純粋に踊りや歌を観て、そのミスマッチぶりに堪能しさえすればいいのだと分かる…そう考えると、とても良い作品に思えるから不思議だ(笑) |
ロミオ&ジュリエット 1996 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1997英アカデミー監督賞、脚本賞、作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞 1997ベルリン国際映画銀熊賞、アルフレッド・バウアー賞 1997ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞 1997MTVムービー・アワード女優賞(デインズ)、作品賞、歌曲賞、男優賞、キス・シーン賞、コンビ賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメリカの一つの町を牛耳る二つの組織。一方の組織のロミオは敵役の家のパーティに大胆にも乗り込み、そこでその娘ジュリエットと出会った。激しく愛し合う二人だが、それが故にロミオはジュリエットの兄を撃ち殺してしまう。 シェイクスピアによる同名の戯曲を現代版に置き換え、更に旬のディカプリオを配すことで、観客動員を一気に増やそうとしている。あざといあざとい。 画面は結構綺麗だし、シェイクスピアの世界観を現代に持ってこようという野心は買いたいのだが、台詞の大部分がシェイクスピアの戯曲に出てくるそのものなので、違和感が出ること夥しい。特に現代が舞台となれば、それなりに融和を考えねばならないのに、それを全く無視している。ディカプリオとデーンズが真面目に演じれば演じるほど、観てる方が引く。「あなたはどうしてロミオなの」が普通に言われると、単なる痛々しいだけの描写にしか見えない。 その違和感が良いと言う人もいるだろうから、一概に失敗とは言えないが、全く感情移入できなかった。 何となく横目で見て、いつ終わるんだろう。と時計を見た。これは私にとっては駄目映画の特徴。 |