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_(書籍) _(書籍) |
2024 | デューン 砂の惑星PART2 監督・製作・脚本 | |
2023 | ||
2022 | ハンス・ジマー 映画音楽の革命児 出演 | |
2021 | ||
2020 | DUNE デューン 砂の惑星 監督・製作・脚本 | |
2019 | ||
2018 | ||
2017 | ブレードランナー 2049 監督 | |
2016 | メッセージ 監督 | |
2015 | ボーダーライン 監督 | |
2014 | ||
2013 | 複製された男 監督 | |
プリズナーズ 監督 | ||
2012 | ||
2011 | ||
2010 | 灼熱の魂 監督・脚本 | |
2009 | 静かなる叫び 監督 | |
2008 | 華麗なる晩餐 監督 | |
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | 渦 監督・脚本 | |
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
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1988 | ||
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1986 | ||
1985 | ||
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1983 | ||
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1981 | ||
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1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
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1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | 10'8 誕生 |
デューン 砂の惑星PART2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DUNE デューン 砂の惑星 Dune: Part One |
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遥か未来。宇宙中に進出した人類は宇宙帝国の皇帝によって支配されていた。皇帝が収める星々の中でも、最も重要とされる“デューン”と呼ばれる砂の惑星アラキスは長年ハルコンネン男爵によって統治されていたが、皇帝はこの星を有力貴族のアトレイデ家に統治を任せることにした。侯爵家の息子ポール(シャラメ)は父レト、母ジェシカと共にアラキスへと向かう。そこでアトレイデ家の統治が始まるのだがほどなくしてハルコンネン家の大軍団に襲われてしまう。 フランク・ハーバートによるSF叙事詩「デューン」シリーズの第一作目を映画化。ただ、話自体が大変長いために前後編となってしまい、ここでは砂の民フレーメンの中に仲間として受け入れられるまでの話となる。 しかしなんというか、まさかである。あの「DUNE」が再映画化。なんかそれを考えるだけで脳が熱くなってくる気分になる。なんせ「DUNE」は私にとっても思い出深い作品だし、これを映画にしようと言う無謀な監督が今もいることに感慨を覚える。 「DUNE」は既に二度映画化されている。現時点で観たのはリンチ版の『砂の惑星』(1984)のみだが、この作品は一般には失敗作と言われている。ただ私はこの作品が相当に好きで、かなり高得点を入れてる。 理由は『砂の惑星』のレビューを見てもらえば分かると思う。何故あの作品が好きかは考察していたが、その後『ホドロフスキーのDUNE』(2013)を観たことで、はっきり分かった事がある。それは私自身この世界観が大好きなのだということである。「DUNE」シリーズの中でも一作目の「砂の惑星」はストーリーは結構単純なもので、悪人に家族を惨殺された貴族の子どもが復讐を遂げるまでという身も蓋もない単純さの物語である。その単純なストーリーを背景とする膨大な設定と世界観こそがこの作品の最大の魅力だと言える(二部以降はストーリーと人間関係などの複雑さの方が魅力的になっていく)。 この宇宙の設定も魅力的。普通に文明が進展していくと、科学はどんどん進み、人工頭脳によって、大変理性的な世界が始まるはず。戦いとかも大変スマートになるだろうというのが通常のSF的な考え方だが、この世界観は逆行している。もっと人間は人間らしく生きているし、技術は人間に負っているため、徒弟制度やプロの技術者は大変重宝される。貴族の子弟は剣を使っての戦闘や乗り物に習熟しなければならない。ノブレス・オブリージュを極めたまるで中世のような世界観である。偏にこれは人工頭脳の反乱が起こってしまって、人類そのものが滅ぼされかけたこともあって、人類は人工頭脳を一切使わない生き方を強いられていたことと、武器よりもバリアの方が技術が進んでしまい、ほぼどんな飛び道具の攻撃でも防げてしまうという世界観があるから。未来的SFの世界と中世が渾然一体となった独特の世界観ができたことによって作品が大変魅力的になった。人工頭脳が無ければ当然恒星間旅行なども不可能なはずなのだが、それを可能にする超能力人間と、その超能力のために不可欠なメランジ。そのメランジが唯一採掘出来るが、人間が生きるには過酷すぎる惑星アラキス…この設定を頭に思い浮かべるだけで設定マニアは恍惚となってしまう。 そんなもんで、そのような業の深い人間にとって、この映画は、世界観をどう描くのかが最大の関心事になる。失礼ながらストーリーは二の次。むしろどのような美術でこの世界を描くのかこそ注目していた。 リンチ版『砂の惑星』は、不完全ではあるがかなりそのレベルは高い。監督の歪んだ美意識が生んだ妙な世界が逆に作品にはまった。オープニングの恒星間旅行のシーンなんて、描かなくても良いところを細部にわたって描いて、リンチ版の世界観をしっかり作っていた。私がリンチ版を好む理由は監督の歪んだ世界観にこそあると今では分かる。又完成には至らなかったが、ホドロフスキーの作ろうとしていたものは、美術に徹底的に時間を掛けようとしていたことと、正直あのコンセプトアートには想像力かき立てられたし、SFというよりエキゾチックな無国籍な描写に、ひょっとして、この世界観の方が正しかったのかも?と思ったりもしていた。 では本作ヴィルヌーヴ版はどうか。 少なくとも私が思っていたのとは違う方向性だったが、これはこれで実に良い感じだ。 私のイメージとしては、統一されたデザインではなく、アトレイデ家とハルコンネン家、そして皇帝家、ベネ・ゲセリットそれぞれでデザインが違っていて、例えばアトレイデ家はシンプル、ハルコンネン家はゴテゴテした極彩色でといった具合に分かれているものだったが、本作はかなりシンプルを極めているし、全体的に統一感のあるデザインとなっていた。 そのシンプルさがヴィルヌーヴの特長だが、もう一つの特徴として、静かに空に浮かぶ巨大なオブジェは本作でも健在。何もない空間に巨大で曲線主体の宇宙船が浮かんでいるのは、見慣れてるようで違和感があるようで、その辺の感触がとても心地良い。少なくともこれまでの経緯で充分このデザインは飲めるので問題なし。ヴィルヌーヴらしさに溢れたデザインと雰囲気を堪能出来た。 アラキスのデザインは普通の砂漠のようでちょっと物足りないのと、リンチ版の口が三つに分かれるサンドウォームのイメージが強かったので、掃除機のノズルのような(?)デザインには違和感を感じたが、描写時間が短かったので、この辺は続編での描写に期待しよう。 キャラについては全く問題なし。ポール役のシャラメは、まさにイメージ通り。更に脇を固める武人がジョシュ・ブローリンであったり、ジェイソン・モモアであったりして、この二人に鍛えられたというだけで、ポールはとんでもなく強いのでは?と思わされたり。 物語自体がそんなに進んでいないし、SFではよくある貴種流離譚のコンセプトそのものにしか見えないため、ほぼ雰囲気だけの作品になってしまったが、三時間弱が全く気にならなかった。それだけで充分。 |
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ブレードランナー 2049 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2017米アカデミー撮影賞、視覚効果賞、美術賞、音響賞 2017英アカデミー撮影賞、特殊視覚効果賞、監督賞、作曲賞、プロダクションデザイン賞、編集賞、音響賞 2017LA批評家協会NHK!美術賞 |
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2049年。食糧問題を克服した人類は、汚染された地上で今も栄えていた。そんな中、過去反乱を起こした人造人間レプリカントを処分するために働く最新型レプリカントのK(ゴズリング)は、処置したレプリカントの家に埋められた死体のようなものを発見した。それを持ち帰ってラボで調査したところ、それは不可能なはずの妊娠出産を行ったレプリカントであったことを知る。社会不安を起こしかねないその事実の調査を上司ジョシ(ライト)から命じられたKだが、徐々に今まで観たこともない奇妙なビジョンに悩まされるようになっていく… いくつもの代表作を持つリドリー・スコットの排出したハイスピードSFにして、SF映画の最高峰の一本『ブレードランナー』(1982)。 低予算を逆手に取った鋭い演出で一世を風靡したこの作品。当然ながら何度も続編の声は出ていたし、何度かは企画まで通っていたはず。 だがその度ごとに頓挫してしまう。 それだけオリジナル版が偉大すぎたということだ。下手な続編を作ってしまったら酷評の嵐になる。製作側もそのリスクはなかなか犯せなかったのだろう。 わたし自身も『ブレードランナー』はマイベストムービーの大切な一本なので、続編を作ってそれを汚されたくはないと思っていた。 だが、まさかの制作完成。しかも監督はヴィルヌーヴ。ついこの前『メッセージ』観たばかりなのに。 一体どんな世界を見せてくれるんだか。正直不安の方が大きいのだが、割と前評判は高いし、悪い評判も聞かない。 ここまで手応えが無い作品も不思議な感じ。でもとにかく観てみないことにはなんとも言えない。 最初の感想は「淡々とした物語だな」という感じ。オリジナル版の、オープニングの派手さとごみごみした感じから一転。灰色の世界の中で、静かに静かに物語は進んでいく。主人公Kのやってること自体がゴミ掃除のような殺人行為で、その職務に高揚感もない。外ではレプリカントに対する差別にあい、家に帰っても合成食を食うだけの生活。唯一の心の拠り所はバーチャルパートナーのジョイの存在のみ。 最初の20分くらいの展開を観るだけで、重さをひしひしと感じるような出来だった。オリジナル版よりも遥かにサイバーパンクっぽさが出ていて、ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観にとても近い。良い感じである。 そんなしょぼくれた任務の中で、Kは希望を見つけることになる。人造人間と人間の間に生まれた子どもを探しだし、闇に葬り去るという任務。その存在は人類にとってはマイナスであり、そしてK自身の任務としては抹殺対象となる。 しかしアンドロイドとして差別を受け続けるK自身の立場としては、人類とアンドロイドの間の格差をなくす可能性をもったものとして、大きな希望でもあった。しかも調べれば調べるほど、そのハイブリッドの子どもとは自分自身ではないかという思いが強くなっていく。 この辺りの展開になると、Kによる自分探しの旅となり、ラストまでの展開が思い浮かぶようになる。 その辺で、「まあ無難な着地か」と思っていたら、又一波乱。Kのネクサス9は全員同じ記憶を持つため、その子どもの記憶はネクサス9全員が持つものという可能性が出てくる。そして捜査を推し進めた結果、Kの記憶はやはり後付けされたものだと分かる。 ここで混乱。Kがその“運命の子”でなければ本作のストーリーは破綻するのではないか?誰かが嘘を言うか、何らかの間違いで、やはりKが“運命の子”に落ち着くのか?と思うようになり、ここからかなり真剣に観ていく。 結果としてKがなしたことは、本物の“運命の子”を見つけ出し、その父親であるデッカードの命を救いつつ、親子の対面をさせるという目的へと転換されていく。 そしてラストを観て、「ああ、なるほど」と思わせる。 結果として本作の構造はオリジナルである『ブレードランナー』を踏襲したものなのだ。かつてロイがデッカードにアンドロイドの未来を託したように、Kも又デッカードと“運命の子”を託して消えていく。アンドロイドとして人間を助けるという任務を果たして。 そう言う意味で、物語として実にしっかり作られている。 …いるのだが、なんか消化出来ないモヤモヤした思いが残る。 なんでKが“運命の子”であってはいけないのか?とか、もう少しKのやるべき事が無かったのか?もっとすっきりさせられなかったのか?など。 その辺実は友人と徹底して話し込んだのだ。結果的に色々“足りなかったもの”は挙げることが出来たのだが、最終的に「こうするしかなかったのか?」というのが結論だった。 たまたま本作は友人と共に観に行き、そのご数時間にわたって語り合ったが、未だに明確に「これがフィックス」と言えるほどの理解に至ってない気がする。 |
メッセージ 2016 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016米アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、音響賞、編集賞 2016英アカデミー音響賞、作品賞、主演女優賞(アダムス)、監督賞、脚色賞、作曲賞、撮影賞、編集賞、特殊視覚効果賞 2016LA批評家協会主演女優賞(ユペール) 2016ゴールデングローブ主演女優賞(アダムス)、音楽賞 |
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ある時、世界中各地に謎の浮遊物体が突然出現した。その内側にいる生物が何かのメッセージを発していることが分かり、言語学者のルイーズ・バンクス(アダムス)と物理学者のイアン・ドネリー(レナー)が呼び集められ、空軍大佐のウェバー(ウィテカー)の指導の下、二人は“ヘプタポッド”と名付けられた生物とのコンタクトを図るのだが… テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」の映画化作品で、アカデミー賞作品賞にもノミネートされた。 ジャンルとしてはこれは古くからあるファーストコンタクトものの作品とは言えるだろう。知性の高い知的生命体が宇宙からやってきて、人類に覚醒を促すというパターンは映画でも数多く作られている。多くはインベーダーによる地球侵略ものとなり、ほぼ毎年のように作られ続けているが、そういうのではなく、メッセージ性を高めた交流を描いたものもいくつか存在する。 古くは『地球の静止する日』(1951)から『2001年宇宙の旅』(1968)、『未知との遭遇』(1977)などが代表作となるだろう。本作もそれにつながる作品として記憶に留めておくべき作品だ。 そう言う作品では、異星人は地球人にプレゼントを持ってくるが、そのプレゼントを受け取るために地球人が進歩しなければならないとするのが共通する特徴。かつてSFに夢が溢れていた時代には、人の知性が全てを解決すると見られていたので、彼らが持ってきたプレゼントは人類としての知性を高めるためのものとなっていた。 本作も又、それらのSF作品に共通するものがあるが、2010年代に作られた本作は、夢に溢れると言うよりは、「早く理性を取り戻さないと地球は本当に危ない」という危機感に溢れたものになってる感じがする。だからこそ社会派作品として、数多くの賞をいただくことができたのだろう。 本作を特徴付けるのはもう一つある。それは次元という問題である。 昔から四次元とは一体どんな世界なのだろう?という哲学じみた話がSFでは盛んに取り上げられていた(映画では8次元を扱った『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』(1984)とかいう作品もあるが)。 “点”が一次元、“線”が二次元、“立体”が三次元とすれば、四次元とは一体何なのか。その一つの解釈として、“時を制する”という概念があった。時を制することによって、三次元的思考では到達できないところに行けるというものである。 本作は、その“時を制する”という入り口に人類を運ぶのが異星人の役割であり、それに最初に気がついたのがルイーズであった。という話になっていく。物語冒頭から挿入される幻想は、あたかも過去に起こったことのように思わせながら、実は未来を見ていたと言うオチを作っているが、これこそが時を超えるための第一歩となっていくわけだ。 それによって彼女の身に起こった変化が、やがて全人類の共通した力へと変えられていく。そこに希望を見いだすのが本作の特徴と言えようか。終わり方はあっさり目だが、人類に向かっての大きな希望を描いているのが好感度高い。 |
静かなる叫び | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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