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SF・ファンタジー映画の世紀(書籍) _(書籍) |
2005 | 9'14 死去 | |
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | スター・トレック 監督 | |
1978 | ||
1977 | オードリー・ローズ 監督 | |
1976 | ||
1975 | ヒンデンブルグ 監督 | |
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ふたり 監督・製作 | |
1971 | アンドロメダ… 監督 | |
1970 | ||
1969 | ||
1968 | スター! 監督 | |
1967 | ||
1966 | 砲艦サンパブロ 監督・製作・脚本 | |
1965 | サウンド・オブ・ミュージック 監督・製作 | |
1964 | ||
1963 | たたり 監督・製作 | |
1962 | すれちがいの街角 監督 | |
1961 | ウエスト・サイド物語 監督・製作 | |
1960 | ||
1959 | 拳銃の報酬 監督 | |
1958 | 私は死にたくない 監督 | |
深く静かに潜航せよ 監督 | ||
1957 | ||
1956 | 傷だらけの栄光 監督 | |
悪人への貢物 監督 | ||
1955 | トロイのヘレン 監督 | |
1954 | 重役室 監督 | |
1953 | モンゴル第一騎兵隊 監督 | |
砂漠の鼠 監督 | ||
1952 | 捕らわれの町 監督 | |
1951 | 地球の静止する日 監督 | |
1950 | 西部の二国旗 監督 | |
三人の秘密 監督 | ||
1949 | 罠 監督 | |
1948 | 月下の銃声 監督 | |
1947 | 生れながらの殺し屋 監督 | |
1946 | ||
1945 | 死体を売る男 監督 | |
恐怖の島 監督 | ||
1944 | ナチスに挑んだ女 監督 | |
キャット・ピープルの呪い 監督 | ||
アラブの陰謀 第二班監督 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | 市民ケーン 編集 | |
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | 9'10 インディアナ州ウィンチェスターで誕生 |
スター・トレック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー作曲賞、美術監督・装置賞、資格効果賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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クリンゴン帝国の領域内をパトロールしていた3隻の戦艦が雲状のエイリアンに襲われ破壊された。その通信を受けたスター・フリート司令本部では、次に地球に向かっているエイリアン迎撃を最新スター・シップ“エンタープライズ号"に下した。艦長としてカーク少将(シャトナー)、参謀としてスポック(ニモイ)、救命班隊長としてマッコイ(コリンズ)が選ばれた。雲状のエイリアンに友好信号を出しつつ進入するエンタープライズ号だったが… 3,500万ドルという当時の普通の作品の3倍以上の製作費を用いて作られた大作。1979年全米興行成績2位。ちなみに1位が『スーパーマン』(1978)で、この年はSF映画で1位、2位を独占したことになる。 TVシリーズとして、既に伝説化されたシリーズをシリーズ終了から10年後、TVシリーズの産みの親であるジーン=ロッデンベリーが製作にあたり、ロバート=ワイズ監督を迎えて製作した本作。実はこれまでにも数回劇場化の話はあったのだが、その度ごとに製作中止となってしまい、ようやく念願の劇場化となった(ちなみに本作も元々はテレビスペシャル版として企画されたもので、セットだけ先に作ってしまったが企画が倒れてしまったため、急遽劇場用に転用したという経緯がある)。 メインキャラクター全員もう結構歳食ってるとはいえ、TV版オリジナルメンバーが勢揃いで、並々ならぬ意気込みを感じることが出来た作品。 特に最初のエンタープライズ号に全員が集結するまでは充分に時間が取られており、そこで描かれる特撮的手法に酔える。何と言ってもエンタープライズ号の威圧感と、そこでの高揚感は凄いものだ…全員エンタープライズ号を見るのが初めてという設定なのに、観ている側は「懐かしい」と思えてしまうのがなんではあるが(笑) オープニング映像でのつかみは(特にトレッキー&特撮好き)にとっては、もう感涙ものなのだが、ただ、物語自体が何というか…TVシリーズを単純に拡大しただけというか、いや、むしろTV版の良いエピソードよりはむしろ落ちてるという根本的問題があるのはちょっといただけなかった。思い入れが高いのは良いんだけど、それが今ひとつ結実してくれなかった。これには一応理由があり、なんでも、本作の撮影が開始した時点で脚本はまだ半ばで、撮影中にリライトの連続だったのだそうだ。なるほどね。 既に分かっているキャラクター描写を敢えて延々とやったのも、逆にファンだからこそ、鬱陶しいと思えた部分もあるし、オチも狙ったんだろうけど、唖然とすると言うよりは、なんだよこれは?と言うイメージが強い。 ワイズ監督は私の大好きな監督だし、あんまり悪くは言いたくないけど、物語的にはちょっと外したかな?製作者の横槍でワイダがコントロールを失ってしまい、結果として特撮シーンばかりが強調されてしまった。『2001年宇宙の旅』(1968)を意識しすぎとの評あり。 一部のトレッキーとか、特撮ファン向けの作品だね。それ以上を期待すると、ちょっと外すかも。意気の高さが裏目に出たかな? 尚、スポック役のニモイは最後の最後まで出演に難色を示し、ワイズ監督自身が自宅まで行って説得したとか。 |
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オードリー・ローズ Audrey Rose |
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ヒンデンブルグ The Hindenburg |
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1975米アカデミー特殊業績賞、撮影賞、美術監督・装置賞、音響賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アンドロメダ… The Andromeda Strain |
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1971米アカデミー美術監督・装置賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1971年全米興行成績9位。 SF小説としては異例の大ベストセラーとなったクライトンの「アンドロメダ病原体」の映画化。クライトン自身も撮影現場にはよく現れ、やがて自分自身も監督となっていく。 アメリカにある実在の細菌研究施設フォート・デトリックが舞台。 |
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スター! Star! |
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1968米アカデミー助演男優賞(マッセイ)、撮影賞、ミュージカル映画賞、歌曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、音響賞 1968ゴールデン・グローブ助演男優賞(マッセイ) |
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1898年、ロンドン下町で生まれ、苦労を重ねてきたガートルード・ローレンス(アンドリュース)。芸事が好きな彼女は苦労してミス・イタリア・コンティの舞台学校に入り、そこから着実に成功の階段を上がっていった。又恋多き彼女は次々に浮き名を流すのだが、そんな彼女の学生時代からの友人で、彼女のために戯曲を書き続けてきたノエル・カワード(マッセイ)の存在があった… ブロードウェイの大女優ガートルード・ローレンスの半生を描いた作品で、『サウンド・オブ・ミュージック』の黄金コンビロバート・ワイズ監督&主演ジュリー・アンドリュースで作られた大作映画。 本作が投入された1968年と言えば、映画界には激震が走った年でもある。前年投入された『俺たちに明日はない』(1967)から『イージー・ライダー』(1969)へと映る移行期であり、インディペンデント作品が世界的な大ヒットを飛ばし、同時に『猿の惑星』(1968)や『2001年宇宙の旅』(1968)と言ったSFに対する試みもあり、全く新しい形での映画作りのチャレンジがなされた年となっていた。 そんな中で投入された本作。 時期的に考えるならば、これは製作の側からしたら、まさしくこのような作品を作らせようとしたのは分かる。自分たちの理解できない映画がもてはやされている中で、「これぞ映画だ!」というものを作ってみようとしたのだろう。 実在のエンターテイナーをモデルに、世界中を旅させて、大々的なミュージカルシーンを使う。まさにハリウッド製大作映画だった。フォックスの首脳陣が作ろうとしていたのはまさしくこれだろうし、ワイズもそれに応えてくれてはいる。まさに満を持して投入された大作感溢れる作品となった。 ただ、それでこの作品が面白いか?と言われると、首を傾げざるを得ない。私はワイズ監督作品のほとんどは大好きなんだが、本作だけは全然心動かされない。一流の役者と大好きな監督が組んだ大作が、何故こんなに面白く感じないのか、かえってそれが不思議なくらい。 その理由は?と考えると、ワイズ監督はこれまでにもいくつかのミュージカル映画を作ってきた。それこそ『ウエスト・サイド物語』であれ『サウンド・オブ・ミュージック』であれ、まさしく映画史に残る作品ばかり。これらの作品のすばらしさは映画の手堅い作りや物語ではない。それらを前提にした上で、それぞれに監督が叩きつけた挑戦によって名作となり得たのだ。そのチャレンジスピリットこそがワイズ監督の醍醐味だった。 ところが本作にはそのチャレンジが感じられない。大作予算を使って大作風の作品を作っただけと言った感じ。アンドリュースを始めとする役者陣も良いし、演出も良い。だけどパッションがなく、どうにも古臭い。当時の批評家受けはしたかもしれないけど、今観てもたいした作品には思えない。仮にこれが1968年の作品でなく、50年代の作品だとしたら?それで面白くなるか?と考えると…やっぱり薄味としか言えないか。 |
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砲艦サンパブロ The Sand Pebbles |
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1966米アカデミー作品賞、主演男優賞(マックィーン)、助演男優賞(マコ)、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、音響賞、編集賞 1966ゴールデン・グローブ助演男優賞(アッテンボロー) |
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1926年中国。楊子江沿いの長沙にアメリカ海軍の砲艦サンパブロが寄港していた。中国ににらみを利かせるという意味はあったものの、することも無く、乗組員達はだらけきっていた。ところが中国国民党と学生達の一斉蜂起が勃発してしまう。 第一次大戦後の中国を舞台にした戦記物。ただし作品に高揚感は一切なく、概ね虚しいだけの思いをさせられる作品だった。これまでにワイズ監督の作品はかなり観てきたし、概ねどれも面白かったので、結構期待して観たのだが、正直全然面白くなくて、ワイズ監督がこんなつまらんのを撮るのかと思ってた。それで長いことこれは失敗作だと思っていた。 しかしいざこのレビューを書こうと思ってネットで調べてみたら、意外なことが分かった。 この作品、ワイズ監督が何より作りたがっていた作品で、とても思い入れが強いそうだ。なんと監督が『サウンド・オブ・ミュージック』の仕事を受けたのは本作を撮りたかったからということまで分かった。あの名作がついでに作られたと言う事実に素直に驚いた。 それでは一体何が本作は良いのだろうか? 基本的にここに登場するアメリカ軍の面々は嫌な奴らが揃ってる。勿論それぞれ個性があるし、仲間内では良い奴もたくさんいるだろう。しかし中国という異国の地において彼らは完全に差別主義者になっている。正確に言えば、現地に馴れてしまっていて、現地の人間は教養の無い本能だけで生きているように思っている。中には彼らのことを思う人もいるが、そう言う人も西洋的な教育を押しつけることが一番良いと思っていたりして、無自覚な差別主義者になってしまっていた。 この前提条件が重要である。これこそアメリカ的な白人至上主義の考えが現れており、それこそがヴェトナム戦争の本質である事をここではっきりと描こうとしたようだ。 このような傲慢な考え方ではヴェトナムのことを理解もしないし、そもそも「ヴェトナムを救う」といくら勇ましいことを言ったとしても、実質的にヴェトナムには何にも関心がない。これがアメリカの実態だと言っているのだろう。 そして全く救いのないラストは、これから来るであろうアメリカの運命を語るのだし、実際本当にその通りになった。見る人が見れば、この作品は現在から未来に渡って描かれた告発の作品だと分かる。本当にここに描かれるような形でヴェトナム戦争は展開していくのだから。 そう考えると、確かに本作はすごい作品だと言える。 ただ、それは分かるけど、ここまで全く救いのない話は観ていて大変きつい。作品そのものに快感が薄すぎるため、どうしても評価できなくなってしまった。良い作品であることは頭では理解するが、どうしても評価は上がらない。 |
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サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music |
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1965米アカデミー作品賞、監督賞(ワイズ)、ミュージカル映画音楽賞(アーウィン=コスタル)、編集賞、録音賞、主演女優賞(アンドリュース)、助演女優賞(ウッド)、衣装デザイン賞 1965英アカデミー主演女優賞(アンドリュース) 1965ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(アンドリュース) 1965キネマ旬報外国映画第9位 |
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1938年オーストリア、院長の命により厳格なトラップ家へ家庭教師としてやって来た修道女マリア(アンドリュース)。彼女の温かい人柄と音楽を用いた教育法で、七人の子供たちはマリアの事が好きになるが、父親であるトラップ大佐(プラマー)とマリアの衝突は絶え間なかった。だが、次第に大佐に惹かれている事に気づき悩むマリアだが… オーストリアからアメリカへ亡命した実在のトラップ一家の物語の2回目の映画化(『菩提樹』(1956)に『続・菩提樹』(1958)を加えると3回目)。そもそもは本作は大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品で、音楽も『王様と私』(1956)のリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインの名コンビにより書かれている。そして監督は『ウエスト・サイド物語』でミュージカル映画に新風を吹き込んだロバート=ワイズという強力な布陣によって製作された。そして本作は見事な大ヒットを記録し、その年の興業収益トップ(正確には2位で、一位はなんと同じジュリー=アンドリュース主演の『メリー・ポピンズ』(1964))と作品賞オスカーの両冠を得た数少ない作品の一つとなった。 オープニングのアルプスの大自然をバックに歌われる主題歌「サウンド・オブ・ミュージック」のすばらしさは震えが来るほど素晴らしい(この時アンドリュースと風景を別撮りし、合成によって仕上げるという現代に通じる手法が用いられた)。『ウエスト・サイド物語』でのNYバックのダンスを遙かに上回る雄大さを見せつけてくれる。 この作品は私が高校時代、音楽の授業でほんのさわりを見せてもらったのだが、引き込まれてしまい、後で本編を観ることが出来たときは凄く嬉しかった記憶がある。やっぱりこれを観ることが出来たのは、それがビデオであっても嬉しいもんだ。 暗い時代背景をバックに、それでも明るく健気に、そして時として強気で、トラップ大佐の生き方は格好良い。そして最後に本当にどうしようもなくなった時、逃げれば良いと言う大切なことを教えてくれた作品でもある。(本当に逃げてしまった過去を持つけど…) ここで歌われた「エーデルワイス」(これがロジャース&ハマースタインの最後の曲となった)は暗唱したっけ。今でも歌える。 ここで主人公マリアを演じたアンドリュースはそれまでほとんど無名の役者だったそうだが、本作の大人気ぶりが前作の『メリー・ポピンズ』の評価まで押し上げ、名実共に大スターとなった。 後年になって観直してみた。 そりゃ良い作品だと思っていたけど、まさかここまでとは思ってなかった。正直、観直しでここまではまるとは自分でも思わなかったくらい。どれほど言葉を重ねてもまだ足りないと思えるくらい。見事すぎる。 |
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ウエスト・サイド物語 West Side Story |
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1961米アカデミー作品賞、助演男優賞(チャキリス)、助演女優賞(モレノ)、監督賞(ワイズ、ロビンス)、撮影賞、ミュージカル映画音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞、録音賞、脚色賞 1961NY批評家協会作品賞 1961ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(チャキリス)、助演女優賞(モレノ) 1961キネマ旬報外国映画第4位 |
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ニューヨークのウエスト・サイド。ここには白人系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団と言う不良少年団が互いにしのぎを削っていた。一触即発の中にあって、シャーク団はダンス・パーティを開くが、そこにやってきたジェット団の首領リフ(タンブリン)の親友トニー(ベイマー)はシャーク団首領ベルナルド(チャキリス)の妹マリア(ウッド)と出会い、二人は激しい恋に落ちる。この恋を成就させるためにジェット団とシャーク団を和解させようと二人は努力するが、二人の願い虚しく前面抗争に突入してしまう。目の前で親友のリフを殺され、かっとなったトニーは思わずベルナルドを刺し殺してしまう。 シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」(この作品単体で一体何作映画が作られているんだろう?)の舞台をニューヨークに移し、華麗なダンス・ナンバーと共に綴った1957年初演のブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。全世界で大ヒットを記録するが(本国アメリカでは『スパルタカス』にトップは奪われてしまったが)、特に日本の公開では何と73週に渡り続映され、この記録は未だ破られていない。しかもこれは宣伝によるものではなく、口コミによる集客というのだから恐れ入る。 先ずこの作品、特筆すべきはオープニングにある。 前奏曲に合わせて書き割りのマンハッタンのイラストの背景がカラーに変わり、マンハッタン上空からの空中撮影へと移る(この演出は『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)でパクられてる)。そして下降していったカメラはジェット団のダンスへと移り、彼らを追ってカメラは裏町へと入っていく。導入部分は本当に素晴らしい。この演出は映画史に残る名オープニングだ(ここには非常に力を入れたようで、丁度再開発のために無人となった本当のウェスト・サイドを借り切り、タイトル・デザイナーの第一人者ソウル・バスの名前は本作でとみに有名になった)。 その中で曲に合わせて無言で踊りまくる若者の群れは一種異様な空間(笑)。決してこの作品、自然な導入ではない。むしろ違和感ありまくりなのだが、結局この異様さが後の物語形成に重要な役割を果たしている。 この異様さと言うものは二つのアプローチで考えることが出来ると思う。先ず一つはこれが普通の映画であるなら、いきなり一糸乱れぬ踊りを見せながら移動するなんて事はあるはずがないと言う点。そしてもう一点は、これがミュージカルなら、何故作り物の中で踊らないのか。と言う疑問。ミュージカルというのは最初から不自然なものであるため、むしろその不自然さを増す事によって逆に自然さを強調するため、わざと狭い空間で行うのが普通だし、コーラスも入る。更に観客の目を強調するため、カメラは基本的に固定化される。しかしここでの舞台はニューヨークの下町そのものであり、カメラが動き回るし、踊りも無言のまま。つまりこの作品のオープニングは普通の映画としても、ミュージカル映画としても異様なのだ。 この辺は完全に監督の作戦だろう。むしろ最初からどう見ても不自然な部分をぶつけることによって、観客に「この映画は何か違う」と思わせる事。そしてミュージカル映画というものの常識をうち破ろうというワイズ監督の宣戦布告のようにも捉えられる(この監督のキャリアでこれだけの冒険に挑戦しようと言うのが感心できるところだ)。 事実ミュージカル映画として本作を見る限り、ミュージカルの常識をことごとく無視していると言う事に気づかされる。まずオープニングにそれらは凝縮されている。 そしてその常識破りはそのままストーリーにも適用される。この作品、笑える部分が少なすぎるのだ。元々オペラから発達したミュージカルなのだが、これが映画に入り込んでくると、娯楽一辺倒となった。基本的にミュージカルは娯楽であるから、ふんだんに笑いの要素が取り入れられ、観ている観客は気分良く劇場を出ることになる。それがミュージカル映画としての位置づけだった。だが本作はなにせシェイクスピア悲劇を元としている。笑えるはずはない。これは単純な事ではない。ミュージカルが喜劇を基調としているのは、単に相性が良いと言うだけではなく、極めてシリアスを演出しにくいからに他ならない。結果的にそれがミュージカル=コメディという風潮にあった訳だが、この作品において、それははっきりと方向転換され得る事が実証された(ただし、やはり作りは難しいらしく、以降何作かのシリアスミュージカルは作られるが、あまり成功してない)。 更に本作はアメリカ国内が舞台とはいえ、対立しているイタリア系のジェット団、プエルトリコ系のシャーク団という、移民同士の戦いとなっているのも特徴だろう。お互いマイノリティ同士だからこそ、社会に対する不満は強く、抗争も激化していく。1960年代はマイノリティが声を上げ始めた年代でもあるが、その先取りとも思える。 色々な意味で型破りな映画だったわけだ。 それでも本作は単に流れに反抗したから受けたと言うわけではない。元が元だけにストーリーもしっかりしていたし、パートパートのミュージカル・シーンも丁寧に作られていた。なにより曲が素晴らしい(バーンスタインが作曲し、スティーヴン=ソンダイムが作詞を務めたサウンドトラックアルバムは全米で54週のヒットチャートナンバー・ワンを独占し、全世界で800万枚以上を売り上げる大記録を残した)。そのしっかりした演出があってこそ、こういう冒険が出来る。 ミュージカル・シーンは名場面ばかりだけど、「トゥナイト」をデュエットで歌うシーンは圧倒的迫力(これまで知らなかったが、ナタリー=ウッドの歌は吹き替え。『マイ・フェア・レディ』(1964)、『王様と私』(1956)など、歌の吹き替えにかけては第一人者のマーニ=ニクソンが吹き替えてる)…掲示板の指摘で分かったけど、このシーン、リチャード=ベイマーも吹き替えだったとか。 ここまで色々褒めているけど、実は私はこの作品を初見では全然どこが良いのか分からなかった。確か高校時代だったかという記憶があるのだが、多分地上波テレビだったと思う。 大分後になってビデオで改めて観たわけだが、なんであの時こんな事が分からなかったのだろう?と思わせられることになる。映画を観る目が鍛えられていくと、新しい発見があるものだ。 これはゴシップだが、本来本作はウィリアム=ワイラー監督によって作られるはずだったのが、撮影途中で降りてしまい、『砲艦サンパブロ』(1966)の資金繰りに困っていたワイズ監督にお鉢が回ってきた。ミュージカルを初めて手がけることになったワイズ監督は舞台の生みの親で振り付け師のジェローム=ロビンズを呼んで、共同監督となった。だが、結果的に考え方がかみ合わないとの理由で撮影開始後降板。アカデミーでは仲良くオスカーを手にするが、舞台に上がっても感謝の言葉がでなかったそうだ。 又、本作に出演して一躍トップスターとなった俳優達はその後どうなったかというと、その大半は似たような役ばかりを演らされたあげく、不遇の俳優生活を送ることになったそうな。 一生芽が出ない役者もいれば、はまり役にぶち当たってしまったがために、残りの俳優生活が無茶苦茶になった人間もいる。俳優生活というのも楽じゃないって事だ。 |
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私は死にたくない I Want to Live! |
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1958米アカデミー主演女優賞(ヘイワード)、監督賞(ワイズ)、脚色賞、撮影賞、編集賞、録音賞 1958NY批評家協会女優賞(ヘイワード) 1958ゴールデン・グローブ女優賞(ヘイワード) 1959英アカデミー国外女優賞(ヘイワード) |
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1952年カルフォルニア州バーバンク。殺人事件で容疑者にされたバーバラ=グレアム(ヘイワード)は、ウソ発見器の使用を拒否したばかりに有罪にされてしまう。実話を元に、無実の罪で処刑される事になる女性の姿を克明に描く。 これは凄い作品。何せ物語のほとんどが狭い場所での会話だけで成立し、物語的にも決して盛り上がる話ではない。最後は完璧な悲劇で終わる。言ってしまえば『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)の後半部分を徹底的に引き延ばしたような作品なのだが、まるで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』自体がこの作品を手本にしたかのように、本作は終始モダン・ジャズが流れ、音楽が絶望感を演出しているのが最大特徴。音楽を効果的に用いる事が特徴のワイズ監督の面目躍如と言っても良い。 それにしてもここでのヘイワードの演技は凄まじいものがあり。警察側は理不尽なことばかり強いるし、それに反発しつつ、罠にどんどん落ち込んでいき、やがてその反発さえも意味が無くなっていく…その絶望に到る過程が克明に描かれるのだが、つまりはほとんどの場合が表情で演技しなければならない事を強いられる。それら全てを演じきった女優魂には頭が下がる。これだけ極限の演技を出させたならば、オスカーも当然だろうが、それを強いたワイズ監督の力量もやはり凄いものだ。特にこう言うのをアカデミーは好むものだし。ハリウッドスターの例に漏れず、これまで不幸の多かったヘイワードが、それをバネに渾身の演技を見せたとも言えるか。 |
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深く静かに潜航せよ Run Silent Run Deep |
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傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me |
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1956米アカデミー撮影賞、美術監督・装置賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ボクシングのロッキー・グラジアーノ伝記 ニューマン出世作。役作りのためロッキー本人と会い、話し方や癖を研究し、ボクシング・コーチについて完璧なボクサー体型を身につける。『ロッキー』の原点でもある アクターズ・スタジオの有力新人としてニューマンとマックィーンのどちらに主役を当てるかで、ニューマンの方となる(マックィーンは不良仲間の一人として登場) |
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トロイのヘレン Helen of Troy |
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地球の静止する日 The Day the Earth Stood Still |
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1951ゴールデン・グローブ国際賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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突如、ワシントンに1機の円盤が飛来し宇宙人が降り立った。政府に保護された宇宙人クラートゥ(レニー)は、自分が地球に来た目的は地球人の未来を懸念し、人類に核兵器の放棄を要求するためだと言う。そして宇宙の平和を訴える為に地球の代表者との会談を希望するが、為政者達の力では実現しないと知ったクラートゥは逃走し一般市民の中に紛れ込むのだった。そこで一般の地球人達の生活を目の当たりにするクラートゥ。だがやがて彼を追う政府の手により追いつめられていく… ハリー・ベイツの短編小説「来訪者」の映画化。 数々の画期的試みを盛り込んだ、映画にとってもエポック・メイクな作品である。この時代にこれだけの作品が作れたとは信じられないほど。当時赤狩りの真っ只中にあって、核による軍拡競争を否定したこと。主人公を人間ではなく宇宙人の方に取ったこと。エイリアンは地球を攻めてくるものだと言う概念を破壊したこと。何よりSF映画にこれだけの完成度を持たせたと言うこと。どれを取っても「よくぞ作った」と思わされる出来である。 ただ残念なことにこういう作り方は続かず、次はキューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)まで待たねばならず、更に真の意味でSFが認められるまでにはスピルバーグを待つことになるが、それだけに早すぎた大傑作と言えるだろう(本作と『禁断の惑星』(1956)の2作は本当に勿体ない作品だ)。直接的な平和への強いメッセージと、まるで現代そのものが不安を感じさせるような効果音の入れ方といい、本当にすごい作品だ。 宇宙人クラトゥがやってきた目的は人類に警告を発することなのだが、彼にとっての本当の目的というのはむしろ平和的に地球人を知るために来たわけであり、町にとけ込んで一般の視点から人間を見ようとしているのが特徴。むしろ彼を追う人間の方が非情であり、その中で頼れる人物や、愛すべき人物を見出していくと言うクラトゥの視線で物語が進行するのは素晴らしい。後に小説や漫画と言った媒体でこのパターンを何度か見たことがあるが、それらもこれがオリジナルなんじゃないかな?更に彼が本当の力を見せ、地球の全ての電気を止めてしまった時、「病院や今飛んでいる飛行機だけは除く」と言っている。自分を殺そうとした(事実殺されてるんだけど)人間に対するこの寛大且つ人道的な措置にはほとほと感心。よくもこんな台詞を使わせたものだ。 一方、劇中のSF的要素に目を向けると、これはこの時代だから致し方ない部分なのだろうが、特撮部分はチャチ。受け手側のイメージで補足しないと理解できない部分も多い。まあ、これもそれだけ受け手の方のレベルを信用していると言うことでもあり、小気味よし。それになんと言ってもあのゴートの存在は大きい。あの存在だけで他の全ての要素に目を瞑っても良いくらい。無機的な、圧倒的な力を表現する最もうってつけな存在だった。 この作品はビデオで観ることになったのだが、てっきり私は宇宙人によって全ての電力が止められてしまい、そこで生き残りを賭けた闘争劇が演じられるのとばかり思っていた。綺麗に、そして気持ちの良い裏切られ方をした作品。勿論最高点は当然。 それと驚かされるのは、直接的な政治的主張だった。この時代レッド・パージが吹き荒れているハリウッドにおいて、それを超えた平和への直接的な言及は、SFだからこそできたこととも言える。ワイズ監督の慧眼をここにも見ることができよう。 本作はやたらとパクられる事が多いのだが、ところでこの原題「The Day the Earth Stood Still」はTV版『エヴァンゲリオン』でパクられていて、題を見て思わず喜んでしまった記憶も… |
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“Gort! Klaatu barada nikto!” |
死体を売る男 The Body Snatcher |
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キャット・ピープルの呪い The Curse of the Cat People |
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子供の前だけに現れる“見えない友達”として幽霊を登場させ、後に児童心理学の本にも取り上げられる。製作はロートンによる 当初ドイツ人監督ガンザー=V=フリッチによって撮影が始められたが、現場に立たなかったので、困ったプロデューサーが編集として参加していたワイズを監督に抜擢する |
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