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相米慎二―映画の断章(書籍) |
2001 | 9'9 死去 | |
2000 | 風花 kaza-hana 監督 | |
1998 | あ、春 監督 | |
ポッキー坂恋物語 かわいいひと 監督 | ||
1994 | 夏の庭 The Friends 監督 | |
1993 | お引越し 監督 | |
1990 | 東京上空いらっしゃいませ 監督 | |
1987 | 光る女 監督 | |
1985 | 雪の断章 情熱 監督 | |
台風クラブ 監督 | ||
ラブホテル 監督 | ||
1983 | 魚影の群れ 監督 | |
ションベン・ライダー 監督 | ||
1981 | セーラー服と機関銃 監督 | |
1980 | 翔んだカップル 監督デビュー | |
1979 | 太陽を盗んだ男 助監督 | |
草迷宮 助監督 | ||
1976 | キャンパス・エロチカ 熟れて開く 助監督 | |
1975 | 女高生100人 (秘)モーテル白書 助監督 | |
続・レスビアンの世界 -愛撫- 助監督 | ||
1948 | 1'23 岩手県盛岡市で誕生 |
夏の庭 The Friends 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
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お引越し 1993 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1993キネマ旬報日本映画第2位 1993毎日映画コンクール女優助演賞(桜田淳子)、スポニチグランプリ新人賞(田畑智子) 1993報知映画助演女優賞(桜田淳子) 1993報知映画助演女優賞(桜田淳子)、新人賞(田畑智子) 1993ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(田畑 智子)、第2位 |
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離婚という重大事を娘の目から観たシビアなファミリードラマ。 オーディションで選ばれ、これがデビューとなった田畑智子の自然な演技は相米作品でこそ最も光る。 |
台風クラブ 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985東京国際映画祭大賞・都知事賞 1985毎日映画コンクール日本映画優秀賞、脚本賞 1985報知映画助演男優賞(三浦友和) 1985ヨコハマ映画祭監督賞、助演男優賞(三浦友和)、最優秀新人賞(大西結花)、第2位 |
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地方都市の中学校の3年生の教室で、ある日教師の梅宮安(三浦友和)の元にその恋人の母と叔父を名乗る大人が乱入して。教室は大騒ぎとなるが、その翌日、この地方を台風が直撃する。全校生徒の下校が命じられる中、学校に閉じ込められてしまった三上恭一(三上祐一)、大町美智子(大西結花)、清水健(紅林茂)ら… 若手監督で結成されたディレクターズ・カンパニーのシナリオ募集で準入選となった加藤裕司の脚本を、審査員だった監督自らがメガフォンを取って作り上げた作品。第1回東京国際映画祭のヤングシネマ85で大賞を得る。 決して悪口ではないが、これは学生が作った8ミリ映画を丁寧に作り上げた感じの作品と言うべきだろうか。いろんな才能があっても、どこか表現しきれずにもどかしさを感じるものがある。ただ、「映画をこんなに楽しんで作ってるんだよ」的な作りは、実際大学時代映画研究会で8ミリを回していた身としてはなんだか懐かしいものを感じるものだ。 話はかなり出鱈目で、冒頭からいきなり長回しで踊りまくる映像が登場したかと思うと、何が何だか?と思ってる内に話は進行していき、狂騒と沈黙が交差している中、突然の死によって終了する。 しかし、奇妙に見えるところだが、ここにも確かに指向性がある。それはアンビバレンツというキーワードで括れる思春期特有の感情となる。本作でそれは、踊りたいけど踊れない。仲間と一緒にいたいけど一人になりたい。大人を不潔なものと見る一方、そこに確かな憧れを持つと言うこと。何より発散出来ない性欲をどうやって昇華させていくか。相反する感情に責められる中学生らしい感情の爆発を描こうとしてのこと。それは答えが出るものではない。だけど極端な話ではあるが、最後の死という選択は、一つの答えになっているのだ。 それも含めて哲学的と言うべきか、短絡的と言うべきか。なかなかに面白い内容の作品でもある。青春を哲学的に描く事をここまで衒い無くやってくれると、やはり評価はしたくなるな。 東京国際映画祭審査員のベルトルッチ監督は本作を絶賛。本作に出演した工藤夕貴がジャームッシュ監督に『ミステリー・トレイン』(1989)に起用される。 |
魚影の群れ 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1983キネマ旬報日本映画第7位 1983毎日映画コンクール男優主演賞(緒形拳) 1983報知映画主演女優賞(夏目雅子) 1983ヨコハマ映画祭第3位 |
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大間の漁師小浜房次郎(緒方拳)は、マグロ漁に文字通り命をかけて挑み続けていた。そんな房次郎に愛想をつかし、妻のアヤ(十朱幸代)はすでに家を出てしまい、現在房次郎は娘のトキ子(夏目雅子)と二人暮らしを続けていた。そんなある日トキ子は町で喫茶店を経営している依田俊一(佐藤浩市)という青年と結婚したいと言いだす。しぶしぶ会った俊一は養子となって漁師になっても良いと言う。熱心ながら無遠慮なその言い方にカチンと来た房次郎はことごとく俊一を無視する。だがその熱意に負けてマグロ漁に連れていく。だがマグロと格闘中、俊一に怪我を追わせてしまい、しかもマグロ漁の方を優先してしまう。 吉村昭原作の映画化作。著者は特に漁師を題材とした作品が絵になりやすいらしく、これまでに何作かが映画化され、本作もその一本。あたかも『老人と海』のように、こう言う風にしか生きることの出来ない頑固な海の男の生き様を描く。 軽佻浮薄が信条の80年代にあって、珍しく硬派で骨太な物語が展開。その点だけでも評価したくなる作品ではある。 だが作品そのものは極めて薄味に仕上がってしまった。これは物語そのものが持つ濃さに監督の技量がついて行かなかったのが最大の原因ではなかろうかと思われる。監督の思いが強く、「俺はこれを見せつけてやるんだ」という吹き出るようなパッションもそこにはなく、ただ淡々と原作通りの映画を作ろうとしているという職人的な思いしかこの映画では感じることが出来ない。もともと(当時の)ティーン用の内向的な作品作りを得意とする相米監督だけに、濃い物語展開に突っ込むのをためらってしまったかのようにも思える。監督の作風と物語のベクトルが違ってたんじゃないのかな。前作である「セーラー服と機関銃」が受けすぎたために製作側も勘違いしたかな? 仮にこれが相米監督ではなく、今村昌平あたりが作っていたらとてつもない傑作になっていたかもしれないのに…同程度の確立で物語が破綻して観ていられないような作品になるかもしれないか。あるいは市川崑監督だったら?同じ職人でもずいぶん様相が異なったのではなかろうか。相米監督にこれをやらせたと言う時点でこの程度になってしまうのは仕方ない話か。 そしてもう一つ。80年代に入っての悪しき風潮であるヴェテラン女優のヌードシーンが本作でもたっぷり。大体本作の最大の売りが十朱幸代の激しいセックスシーンだったというのだから、推して知るべしだろう。 |
ションベン・ライダー 1983 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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クラスメイトのいじめっ子デブナガ(鈴木吉和)が誘拐された。目の前でその誘拐劇を見せつけられた、ジョジョ(永瀬正敏)、ブルース(河合美智子)、辞書(坂上忍)のいじめられっ子の三人組は、自らに責任を課し、自分たちで独自に捜査に乗り出す。それを理解しない大人達との相剋、ヤクザとの奇妙な友情を通してのロード・ムービー。 何というか、頭を抱える出来。殆ど8mm映画の世界。主人公達の行動に一貫性は最初から無し。ヤクザの内部抗争も尻切れトンボで終わる。ただ映像の垂れ流し。と、はっきり言ってしまえば本作は一本の映画として成立さえしていない。 ただ、監督はこれを本当に楽しんで撮ったのだろうな。と言うこと。ここまでやれば爽快感があっただろう。 ただ、後年本作を改めて考えてみると、実はそれなりに本作はきちんと意味はあったことを感じさせてもくれる。 この作品は“青春もの”にカテゴライズされるのだろうが、実際はもっと主人公達は若い。少年少女に過ぎない。彼らがやってきた冒険というのは、こどもの常識とは全く異なる大人の世界とのぶつかり合いだったのだ。そう考えれば、本作はこどもが大人になっていくための、いわゆる通過儀礼として考えてみることが出来るのかも。ま、確かに出来は疑問だけどね。 監督らしい長回しは本作が最も顕著に表れていて、冒頭からラストに至るまで長回し撮影部分がやたら多いのも特徴か。 ちなみにこの映画は押井守監督の『うる星やつら オンリー・ユー』の併映で、自分を抑えに抑えて作った押井監督がこれを見せつけられて、映画は何をやっても良いのだ。とリスペクトされ、名作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)が生まれたらしい。押井ファンとしてはある意味感謝しなければならない作品なのだろう。 |
セーラー服と機関銃 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1982ヨコハマ映画祭第10位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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たった一人の肉親の父親を亡くした高校生の泉。彼女は突然弱小ヤクザ組織「目高組」の組長にされてしまう。嫌々ながら杯を受けてしまった彼女だったが、目高組はヘロインを巡る争奪戦に巻き込まれて数少ない組員たちは次々に犠牲となってしまう。 赤川次郎の人気小説の映画化作品で、角川の擁する薬師丸ひろ子を投入。大々的な宣伝とキャンペーンのお陰も手伝い、配給収入23億円の大ヒット。角川映画の最大のヒット作となった。 1982年邦画興行成績1位。出来そのものは並以下としか思えないのだが、数々の名台詞(特に「カ・イ・カ・ン」は当時ものすごく流行った)や、それまで子役として有名だった薬師丸ひろ子が大人っぽい演技を見せているのが話題になった。セーラー服がフェティシズム溢れるアイテムと化したのも本作の影響が多分にあるのではないかと思ってる。 だけど私にとって、この作品は徹底的に合わなかった。テレビでさえ、全編観るのに多分の忍耐を要したほど。 私は特に80年代の邦画が実は一番嫌いだった。基本的にアイドル映画が嫌いだが、本作はその最たるもの。へぼい演技や臭い台詞。思わせぶりな性的描写など、蟻走感が背中を走り続けた。身体がざわざわしてきてしまって正視に耐えない…それで観てるんだから世話無いが、私にとって、これを観たのは忍耐力を試されていた。 それ以前に、私にとっては「なんで?」の意識が大きい。この映画、長らく邦画興行成績のベスト2を不動のものにしていたんだが(ちなみにトップはこの2年後に公開された『南極物語』(1983)。『もののけ姫』(1997)が登場するまで、10年以上にわたって2位は揺るがず)、こんな嫌いな映画がそれだけ受けたと言う事実そのものが受け入れがたかった。それで、長らく私は「私の映画を観る目が悪いんじゃない。邦画そのものが悪いんだ!」と断定し、邦画から離れていった。 こんな映画を作ってくれた角川には未だに恨みを抱いている。一番影響を受ける年代に、この国の映画に絶望してしまったのは本当に勿体ない話だった。今になってみると、秀作も多いことが分かっているので、この年代の邦画が観られなかったことをむしろ悲しんでる。今になってかえって恨みが増してるな。 |
翔んだカップル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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九州から上京して高校に入学した田代勇介(尾美としのり)は晴れて叔父の家で下宿生活を送ることとなった。ところが同居人として下宿にやってきたのは、クラスメイトの山葉圭(薬師丸ひろ子)だった。慌てる二人だが、圭が新しい下宿を見つけるまでと言う期限を切って一つ屋根の下で暮らすことになった。 それまでアダルト作品での下積み助監督を続けてきた相米慎二の監督デビュー作。薬師丸ひろ子の主演第一作で石原真理子も女優デビュー作と、80年代の映画界を牽引するキャストとスタッフがここから始まった記念碑的な作品でもある。 私がこれを観たのは公開からだいぶ後になってからだが、前半のシーンに見覚えがあったため、恐らく昔テレビで放映したのを観たことがあったのだろう。だから観たのは二回目になるはず。 監督の諸作品を観た後になって本作を観てみると、非常に面白いことに気づく。 後のヒットメーカーとなって作った作品と同じ手法が本作でも採られている。それは男女のバストショットの一発撮りや、監督の個性とも言われる独特なワンショット長回しの撮影とかのこだわりである。 監督が下積み時代に「俺だったらこう撮ってやる」という、相当強い思いを持っていたんだろうな。一作目から監督の個性が出まくってる。 それと、何故この作品最初に観た記憶がないのかというのもよく分かった。 単純な話だが、かなり恥ずかしい。「初々しい」とも言える薬師丸ひろ子や石原真理子の演技も、その当時は凄く痛々しく感じてしまって、観続けられなかったんだろうと思う。あれを余裕もって観るだけの目が当時は無かった。 今となっては普通に見られるようになってるけど、その当時の思春期の自分自身についても思いを馳せる。決して羨ましくはない。ただアニメーションだったらスルーできる描写が実写だとこんなに恥ずかしいものなのかという思いが凄く強かったように思える。 今観てみると、自分自身の思春期時代が透けてくるので、別な意味で恥ずかしい気になるけど。 |
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