MOVIETOP

アニメーションスタッフルーム
オフィス・アカデミー

Wikipedia 元虫プロの西崎義展が「海のトリトン」を製作するために立ち上げたスタジオで、一旦解散して、西崎義展個人の事業として新会社オフィス・アカデミーを改めて設立。会社そのものは製作としてテレビスペシャルの『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』まで存続し、以降の作品は西崎義展名義で東映製作となる。
経緯
雑感
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劇場作品
テレビアニメ
海のトリトン
宇宙戦艦ヤマト
テレビアニメ

宇宙戦艦ヤマト2

宇宙戦艦ヤマト2
<A> <楽>
放映日時 1978'10'141979'4'7
Wikipedia 「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」第4作目で、テレビアニメとしては第2作目。シリーズ第3作の劇場用アニメ作品『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(以降、『さらば』)のテレビアニメ化作品であり、地球と白色彗星帝国の戦いを描く。
本作の製作が最初に報じられたのは、『さらば』の劇場公開以前の1978年6月25日に発行された「ヤマトファンクラブ本部」会報第4号である。
テレビアニメ化の理由は『さらば』の劇場公開に間に合わない関係の商品展開をバックアップする目的と云われている。また、『宇宙戦艦ヤマトの時代』では、「さらなる続編制作のため」との記述もある。
プロデューサーの西ア義展は、続編である『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』の資料本で、自身と松本が互いにヤマトに対して異なるテーマを持っており、『さらば』の結末を巡ってもめたため、『さらば』と本作を並行して製作することになったと述べている。西アは、「映画は時間的に短編小説的なところがあり、ひとつのテーマをもとに一気呵成に集約化を目指す必要があるため、『さらば』のテーマを描ききるうえで主人公が消えるという結末以外は考えられなかったが、テレビシリーズは表現にバリエーションを持たせることが可能なため、同じテーマでさえあれば結末での主人公の生死はそこまで重要ではないだろうとして、『ヤマト2』の進行を松本に任せた」という節を述べている。
第1作『宇宙戦艦ヤマト』を製作した株式会社オフィス・アカデミーは、同作終了と同時に制作スタジオを引き払っており、また劇場版『宇宙戦艦ヤマト』は総集編のため現場スタジオは設けられず、『さらば』は配給元系列の東映動画を制作現場としていたため、長らく自社スタジオを持っていなかった。そのため、本作の製作にあたり、第1作以来の自社スタジオとして「アカデミー製作」が1978年9月に設立された。
『さらば』と並行して制作されており、メインスタッフはそちらに掛かり切りだったため、『さらば』完成以前の制作初期は脚本と絵コンテの作業しか進まず、本格的な制作が始まったのは放送開始日の2か月前からと、スケジュールは第1作当時を彷彿とさせる過酷さだったという。実際にアフレコでは、第1話の時点で262カット中82カットが、画が未完成てカットの時間だけ合わせた「白味」と記された台本が残っており、第5話では『さらば』からの流用部分以外はほぼ全てのカットが未完成だったとされる。
アカデミー製作の現場にはオフィス・アカデミー、オカスタジオ、アーツプロ、ジャストの4社からスタッフが出向。さらに作画面ではタイガープロ、スタジオメイツ、アニメルーム、オカスタジオの4社の作画班によるローテーションが組まれており、合計7社のスタッフが合流して制作された。
単純に『さらば』が長編化されたわけではなく、設定の細部や結末はそれと異なったものが用意された。特に異なっているのは結末で、『さらば』では主人公の古代進とその乗艦の宇宙戦艦ヤマトは白色彗星帝国の超巨大戦艦と相討ちの形で滅び去るのに対し、本作では最終的には古代もヤマトも生き残ることになる。これにより、古代進が再登場するシリーズの後発作品は本作のストーリーを受け継ぐこととなる。
『さらば』と本作の結末が大きく異なることについては、以下の2つの見解がある。
監督の松本零士は戦争の記憶の残る時期に発表された前作において「目的を果たし、生還する」というメッセージ性を強く意識しており、『さらば』の結末については特攻を美化するとして良しとせず、「生き残って再建の苦しみを描くべき」と主張した。そのため、後に本作が製作されることになる。そして製作にあたりスタッフに「若者は死んではいけない」というメッセージを送った。この見解は、上記の西アが述べた製作経緯からも読み取れる。
ノンクレジットで本作のストーリー構成を手掛けた安彦良和によると、『さらば』がヒットした結果、製作側は「もっと続編が作りたくなっちゃって、また生き返らせろというんですよ(笑)」としている。安彦は反対したものの、結局は主要キャラクターを生存させてその後の続編にもつなげることができる本作が制作された。「死んだはずのキャラクターをどうやって生き返らせるか」の案は安彦と脚本陣の話し合いで考え出された。
視聴率的には好調で、平均視聴率は22.9パーセント、最高視聴率は第26話で27.7パーセント(ニールセン調査)及び26.7パーセント(ビデオリサーチ調査)を記録した。ちなみに、これは全シリーズ中最高視聴率である。関連玩具の売上も高くメインスポンサーである野村トーイからはアカデミー製作に放送延長の希望も出されたが、当初から全26話予定のために放送延長はなされなかった。
個人的感想
ジャンル 宇宙(SF)
原作
スタッフ
協力会社

宇宙戦艦ヤマト

宇宙戦艦ヤマト
<A> <楽>
放映日時 1974'10'61975'3'30
Wikipedia 戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長やSF的ガジェットなどの詳細な設定は、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。

当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ)、『猿の軍団』(TBS)などの影響もあって視聴率が低迷。本来の予定回数(全39話)から全26話に短縮された。

しかし、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。子供のものと思われていたアニメ作品に中・高校生から青年層までの幅広い視聴者が存在していたことを広く示すことになった。その後の『銀河鉄道999』、『機動戦士ガンダム』、『超時空要塞マクロス』、『新世紀エヴァンゲリオン』に至るアニメブームの先駆けとなった。

映画、レコード、小説、漫画、アニメ雑誌、ラジオドラマ、キャラクター商品など、アニメビジネスにおいて多くの足跡を残した。後にビデオやCD、LD、DVD、テレビゲームなどもリリースされている。続編やリメイク作品(『宇宙戦艦ヤマト2199』)も制作された。

本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない。
個人的感想
ジャンル 宇宙(SF)
原作
宇宙戦艦ヤマト <A> <楽>
松本零士 (検索) <A> <楽>
スタッフ
監督
石黒昇
松本零士
監修 山本暎一
舛田利雄
原案
西崎義展
構成
石黒昇
脚本
山本暎一
コンテ
石黒昇
作画監督
芦田豊雄
白土武
協力会社

海のトリトン

海のトリトン
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放映日時 1972'4'1〜9'30
Wikipedia 元々は連載終了後に、手塚治虫が手塚プロダクションでアニメ化する予定でパイロット版が制作された。しかし、虫プロダクションの経営悪化による混乱の中、アニメ化の権利を手塚のマネージャーだった西崎義展が取得して、テレビ局への放送の売り込みに成功した。西崎のテレビアニメ初プロデュース作品であり、富野喜幸(現・富野由悠季)の初監督作品となる。虫プロ商事のスタッフを中心に設立されたアニメーション・スタッフルームで製作されることとなった。実際に制作の中心となったスタジオは主に東映動画のテレビアニメシリーズの下請けをこなしていた朝日フィルムで、監督の富野は虫プロ系のスタッフが使えなかったと後に述べている。そのため、キャラクターデザインに東映動画出身の羽根章悦を起用したのも、虫プロではなく新しいものに挑むという基本方針の下、あえて手塚治虫調ではないキャラクターを選択したものであった。ストーリーについても、原作漫画を読んだ富野が「つまらなかった」というのを理由に、キャラクターの設定のみを生かし、一から練り上げたという。
こうした製作の経緯があったため、手塚は秋田書店版の単行本のカバー袖のコメントで「テレビまんがのトリトンは自分のつくったものではない」、講談社の手塚治虫漫画全集のあとがきで「自分は原作者の立場でしかない」、とこれまで基本的に自身も関与することがほとんどだった手塚の漫画作品が原作のアニメでは珍しく、原作の映像化を許諾したのみの作品であることを読者に断っている。これについて富野は、手塚は原作を失敗作だと考えていたのではないかと推察し、ストーリーの改変についても、かなり自由に任せてくれたとも回想していた。

アニメ版では原作にあったトリトン族と人間との関わりを冒頭部分のみとし、物語全体の鍵を握る「オリハルコンの短剣」を登場させて、圧倒的な敵・ポセイドン族を相手に戦闘が成り立つことを説明している。本作は手塚がアニメ化に直接関与していないため、『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』などとは異なり、虫プロの色である手塚治虫のスターシステムキャラクターは全く登場しなかった。

本作は富野喜幸の初監督作品として、守るべきものに追われる主人公、主人公たちが作る共同体、そうして最終話で明らかとなる「実はトリトン族こそが悪であり、ポセイドン族が善であった」という善悪逆転の衝撃のラストが後の『無敵超人ザンボット3』に繋がるとしてしばしば比較されるが、富野は後に「2クールの作品は短編を積み重ねるしかない。唐突に話を進めて決着をつけるには強烈なコンセプトが不可欠である」として、ザンボット3では巨大ロボットのイメージ払拭のため、当初から過激な最終回を予定した製作だったと明かした上で、本作はザンボット3の前哨戦だったと位置づけている。

 西崎義展が初プロデュースした作品ではあるが、実態は虫プロ商事のスタッフルームが監修を手掛け、西崎はメディアミックスを仕掛ける側に回っている。西崎は監督の富野に対し、「何とか『海のトリトン』を活劇ものにしろ」「スポ根ものにしろ」と要求し、それらを踏まえた上でアニメ版は短編を積み重ねる1話完結型となり、特撮ヒーローのように敵怪人を毎週倒す話を脚本家たちに割り振りして書かせるストーリー構成が形作られた。しかし、当時の制作状況については、監督の富野が「悪辣な条件でやらされた仕事だから、良い思い出はありません」と語るほど劣悪で、作画スタジオから一度でも外れたら制作システムが破綻するかもしれないという強迫観念に駆られた富野は、キャスティングの打ち合わせで音響監督と1度だけ顔を合わせた以外は、アフレコやダビングの現場に一切顔を出さなかった。また、西崎が劇伴担当にジャズピアニストの鈴木宏昌を、主題歌担当にブレイク前のかぐや姫を起用したことでアニメの作風と全く噛み合わず、制作現場に彼らが顔を出すことも一切なかったため、富野は単なる怪獣退治な話でなく、主題歌や劇伴が不協和音になるほどの強力なギャップものにしないといけないと確信的に考え、「原作を全部潰す!」という強い方向性を抱くようになる。その後、テレビ放送の視聴率が芳しくなく、2クールの中頃に打ち切りが決定するが、富野には「ポセイドン族の親分を倒すだけで(話が)済むのか?」という疑念が芽生え、大学時代から引きずっていた実存主義的な哲学意識も影響して、善と悪が逆転した最終回を考案するに至った。富野発案のアニメ版最終回は脚本家たちから猛反発を受け、大喧嘩へと発展したが、富野は「これ以降アニメの世界で演出の仕事をさせて貰えないだろう」と感じつつも、「テレビアニメ如きで大人の事情に縛られたら、仕事以下だろ」と腹を括り、脚本家たちの合意が得られないまま勝手を押し通したという。

本作は『宇宙戦艦ヤマト』以前に高年齢層に人気を博した作品で、アニメブームの先駆者として重要とされる作品である。日本で初めてファン主体のテレビアニメのファンクラブが作られたとも言われる作品で、とりわけ女性ファンの人気が高かった。1972年結成の『海のトリトン』ファンクラブ「TRITON」がそのファンクラブとされる。さらに録音スタジオには、トリトン役の塩屋翼を目当てに女子中高生が見学に訪れるという、後のアニメ声優ブームの先駆けとなる現象も見られた。放送終了後の1年後に、東京都文京区の文京公会堂で1000人を超えるファンクラブ主催の大会も開かれた。

富野は後に本作を振り返って、「総監督をやりながら物語をコントロールすることのハウツーを『海のトリトン』で教えってもらった」と語り、どんなに異色な組み合わせでもメディアミックスは成立するため、これ以降、どんなに不協和音な楽曲を提供されても決して恐れない自信が付いたという。そして、この経験がなければ『機動戦士ガンダム』までモチベーションが続かなかったとも述べている。また、本作でファンクラブの活動を始めた者たちが、同人誌の制作や同好会を行うようになり、後のコミックマーケットの先駆けとなったと指摘している。富野は実際に本作のファンクラブ会合に出席しており、参加者の大半は小学校の高学年から中学生の女子で占められ、彼女たちはトリトンや仲間のイルカたちが織り成すファミリー感を高く評価していたことに触れ、「家族愛に飢えている子たちが多いと思い、とても困った」と語っている。
個人的感想
ジャンル 冒険(アクション)
原作
海のトリトン <A> <楽>
手塚治虫 (検索) <A> <楽>
スタッフ
原作 手塚治虫
監督 富野由悠季
監修 舛田利雄
演出 棚橋一徳
富野由悠季
製作 西崎義展
コンテ 平田敏夫
協力会社

タイトル

タイトル
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放映日時
Wikipedia
個人的感想
ジャンル
原作
書籍名 <A> <楽>
著者名 (検索) <A> <楽>
スタッフ
協力会社