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ジョン・カサヴェテス
John Cassavetes

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鑑賞本数 合計点 平均点
 ニューヨーク生まれ。役者だったが、映画監督になる事を夢みており、『アメリカの影』で監督デビューを果たす。それがインディペンデンス系映画の走りとなり、現在では「インディペンデント映画の父」とも言われるようになった。ニューヨーク派の中心人物。
 本人は至ってシャイで、あまり人と話したがらない人物だったという。
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
評伝
ジョン・カサヴェテスは語る
カサヴェテス・ストリームス
カサヴェテスの映したアメリカ―映画に見るアメリカ人の夢
1989 2'3 死去
1988
1987
1986 ピーター・フォークの ビッグ・トラブル 監督・製作
1985
1984
1983 ラヴ・ストリームス 監督・脚本・出演
ライク・ファーザー・アンド・サン 出演
1982 テンペスト 出演
死霊の悪夢 出演
1981 この生命誰のもの 出演
1980 グロリア 監督・脚本
1979
1978 ブラス・ターゲット 出演
フューリー 出演
オープニング・ナイト 監督・脚本・出演
1977
1976 チャイニーズ・ブッキーを殺した男 監督・脚本
マイキー&ニッキー 裏切りのメロディー 出演
パニック・イン・スタジアム 出演
1975 ビッグ・ボス 出演
1974 こわれゆく女 監督
1972 刑事コロンボ 黒のエチュード 出演
1971 ミニー&モスコウィッツ 監督・脚本・出演
1970 ハズバンズ 監督・脚本・出演
1969 火曜日ならベルギーよ 出演
俺はプロだ! 出演
明日よさらば 出演
1968 フェイシズ 監督
ローズマリーの赤ちゃん 出演
1967 特攻大作戦 出演
デビルズ・エンジェル 出演
1964 殺人者たち 出演
1963 愛の奇跡 監督
1962 よみがえるブルース 監督・製作・脚本
1959 アメリカの影 監督
1958 ヴァージン・アイランド 出演
西部の旅がらす 出演
1957 暴力波止場 出演
1956 暴力の季節 出演
1955 二十四時間の恐怖 出演
1929 12'9 ニューヨークで誕生

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グロリア 1980
1980米アカデミー主演女優賞(ローランズ)
1980
ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(カサヴェテス)
1980ゴールデン・ラズベリー最低助演男優賞(アダムス)
<A> <楽>
サム・ショウ
スティーヴン・F・ケステン(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ジーナ・ローランズ
ジョン・アダムス
バック・ヘンリー
ジュリー・カーメン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 かつてサウス・ブロンクス・マフィアのボス、トニー・タンジーニ(フランチナ)の情婦で、今は街の片隅でひっそりと住むグロリア(ローランズ)は、隣の夫婦から突然息子のフィル(アダムス)と一冊のノートを預けられる。直後大爆発が起こり、その夫婦が殺されたことを知ったグロリアはいやがるフィルを連れて逃避行を始める。だが、そのノートを巡ってトニーの手が二人に迫ってくる…
 一流の俳優ではあるが、監督としても知られるカサヴェテスは、本当に自分の作りたい作品だけを私財をなげうってでも作ると言う側面も持っていた。本人も俳優業は自分の好きな作品を作るため。と公言していたこともあり、そんな彼を慕って多くの役者がほとんど出演料無しで出演してもいるのだが、一方ではカサヴェテス監督作は
極めて観念的な作品ばかりなので、興行的には絶対に受けないという事実もあった。特にヨーロッパの批評家からは褒められたとはいえ、散々な結果に終わった『オープニング・ナイト』のお陰で監督は莫大な借金を抱えてしまった。
 ただし、それで終わらないのが一流監督と呼ばれるゆえんか、金のためと割り切って本作の制作を了承した訳だが…なんと監督の代表作とまで言われる作品に仕上がってしまった。カサヴェテスは自分の作りたいものを作らない方が立派な作品を作ることが出来ることを奇しくも本作で証明してしまった結果になった
(日本にもそんな監督がいるが)
 物語そのものはそんなに複雑なものではない。だけど、流石にこれまで観念的な映画を多数作ってきたお陰か、演出が際だって良い。大変失礼な言い方になるが、ローランズのようなおばさんが主人公では、全然華がなさそうに見えるのに、ところが本当にローランズは美しい…と言うか、とても
格好良い!男勝りの活躍を女性ならではの心情を見事に表現していた。ローランズの存在感とカサヴェテス監督の息の合ったコンビネーションのお陰に他ならない。
 特にグロリアがフィルとの関係が良い。二人は親子のようでもあり、恋人のようでもあり、相棒のようでも、そして敵同士のようなものでもある。これらの関係が刻々と変わっていくという、間の取り方が絶妙。これが仮に主人公が男であったら、かなり一方的な関係になっていたはずなのだが、それを微妙なものに留めているのが本作の最大の売りと言えるだろう。
 尚、監督の予定では子役のアダムスが中心だったそうだが、脚本を書いている内に
『子連れ狼』の影響を受けて、脚本を変え、ローランズ中心ののアクション映画に変わっていったとのこと。タランティーノもかなりの影響を受けたと言うから、海外での『子連れ狼』の評価は高いようだ。
オープニング・ナイト 1978
1978ベルリン国際映画祭女優賞(ローランズ)
<A> <楽>
アル・ルーバン
サム・ショウ(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ジーナ・ローランズ
ジョン・カサヴェテス
ベン・ギャザラ
ジョーン・ブロンデル
ゾーラ・ランパート
シーモア・カッセル
ピーター・フォーク
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 大女優マートル=ゴードン(ローランズ)が大成功の内に終わった舞台から帰る途中、彼女の大ファンの少女が車に轢かれるのを目撃してしまう。その光景が目に焼き付いてしまった彼女は以降酒量が増し、新しい舞台の準備も上手くいかなくなってしまう。共演者のモーリス(カサヴェテス)に助けを求めるも、彼はすげない態度をとり続ける。最悪の精神状態の中、ついに泥酔状態で初日舞台を迎えることになってしまうのだが…
 役者として順調にキャリアを積んだカサヴェテスだが、監督としては決して恵まれてはいない。作る作品は評論家受けし、熱烈なファンがつくものの、実際は私財を投入し、出演者も無料出演
(とは言え、彼らはカサヴェテス作品の大ファンでもあり、“カサヴェテス・ファミリー”とも言われた)という、かつかつの予算で映画制作が続けられていたそうだ。実際カサヴェテス自身も自分が映画に出演するのは次回作を作るためだと割り切っていた節があり。
 そんなギリギリの映画製作が続けられてきたが、その中でも
極めつけが本作と言われる。
 これまでの作品も「難解極まる」と言われていたものだが、本作は特に内容の難解さや上映時間の長さなどが災いし、アメリカでは公開劇場が見つからず、カサヴェテス監督は莫大な借金を負ってしまったという。事実本作が公開出来たのはヨーロッパと日本くらいで、アメリカで上映されたのは実に
10年後の1988年になって。実に不運な作品だった。
 しかし、今になって本作を観ると、難解とか何とかよりも、ローランズの圧倒的な存在感と、その不安さと言うのが見事に“
今の物語”として体現されているかのように思える。オープニングカットなんか私の大好きな『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)を先取りしたかのようだったし、物語そのものも確かにアメリカよりも日本で受け入れられる要素充分と言った感じ。説明不足で途中のダレ場がちょっときついのがあったけど、大変好みの作品だ(文句を言わせてもらえれば、後30分は落とせたぞ)
 本作でのローランズの演技はもの凄いものがあり、気怠さと不安に苛まれるシーンなんかは圧倒的迫力。そしてそれをサポートするカサヴェテス自身も良い。単なるぶっきらぼうなだけと思われていたが、最後の演技で実は最も彼女を案じていたのが彼自身だと言うことが分かる。カサヴェテスとローランズの夫婦の関係まで垣間見えたりする。
 ちなみに本作のため、巨額の借金を作ってしまったカサヴェテスは次回作として全く毛色の違う『グロリア』が作る事になるのだが、皮肉なことに、そちらの方が大ヒットを記録することになる。
チャイニーズ・ブッキーを殺した男 1976
<A> <楽>
アル・ルーバン(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ベン・ギャザラ
ティモシー・アゴリア・ケリー
シーモア・カッセル
アジジ・ジョハリ
メーダ・ロバーツ
アリス・フリードランド
アル・ルーバン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 場末のストリップクラブ“クレイジー・ホース”は今日も繁盛していた。借金の返済も終わり、気の大きくなったオーナーのコズモ=ヴィテリ(ギャザラ)は店がはねた後、高級クラブで飲んでいたが、そこでのポーカーに大負けして、マフィアに借金を作ってしまった。返済できないコズモに、マフィアは借金を帳消しにする話を持ちかけるのだが、それは暗黒街のボス、チャイニーズ=ブッキーを殺せと言うものだった…
 いわゆる“ニューヨーク派”インディペンデント映画の雄カサヴェテスは、決してインディペンデントのみの監督ではない。いやむしろ監督として有名なのは娯楽作の方。『グロリア』が有名だが、本作も監督の実力をよく示した一本といえよう。
 そもそも物語作りそのものは巧いのだ。本作だって犯罪スリラー初挑戦作品であるに係らず、手慣れた作りであり、そこに監督得意の心理描写に深く踏み込んだ物語展開を見せている。
 物語上の最大特徴としては、大きな犯罪の出来ない小悪党タイプの主人公が強いられて大犯罪に手を染めねばならないというところだが、事あるごとに主人公の小心ぶりが強調され、そんなことが出来るはずがない。ととうかいの嵐。しかしやらねばならない。というどうどうめぐりに落ち込み、どんどん精神の均衡を崩していく。この描写にかけてはカサヴェテスの右に出る者はおらずで、特にこの過程描写はうまい。
 それでガタガタブルブル震えつつ、それでも目的を果たした後、それまでには観られない自信と言うか、ふてぶてしさに変わっていく描写も良い。結局コズモは殺されてしまうことになるが、死を前にして堂々とした態度を崩さず、それまでやれなかった他者に配慮する行動まで見せる。やり遂げた人間の満足感の対比が見事に表されていた。
 難解な作品を作るカサヴェテス作品の中でもたいへんバランスに優れた作品と言えるだろうが、実は監督は編集に関わっておらず、それ故に分かりやすかったとも言われている。
こわれゆく女 1974
1974米アカデミー主演女優賞(ローランズ)、監督賞
1974
ゴールデン・グローブ女優賞(ローランズ)
1990アメリカ国立フィルム登録簿登録
<A> <楽>
サム・ショウ(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ジーナ・ローランズ
ピーター・フォーク
マシュー・カッセル
マシュー・ラボルトー
クリスティーナ・グリサンティ
ニック・カサヴェテス
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ

 市の水道工事のヴェテラン現場監督ニック(フォーク)は、夜も昼もなく電話で出勤する毎日。彼の気がかりは妻メイベル(ローランズ)の精神が徐々に均衡を崩していくこと。実はメイベルは強い愛情をコントロールできなくなってきたのだ。そんなある日、夫婦二人で過ごす時間を作るのだが、そんな時にも突発的な事故が起き、ニックは駆り出されてしまう。それをきっかけとしてついにメイベルの精神は崩壊してしまう…
 インディペンデント映画の雄カサヴェテス監督による力作。これまで特殊な家庭や生まれを題材としてきた監督が、ありふれた市井の生活の中にドラマを見つけ出した作品で、本作によってインディペンデント映画も新しい一歩を踏み出したと言われている。
 だが、ものとしては、とにかく
無茶苦茶にキツい作品だった。観終わった後、精神力をごっそり持って行かれる感じ。
 カサヴェテス監督作品は
『グロリア』を除いて緊張感を強いられない作品は無いが、本作はその中でも極めつけに緊張を強いられる。
 ローランズがとにかく上手いのが問題で、いつ爆発するか分からない状態の女性を見事に演じているのだが、その分彼女を観ていると
きつくてきつくて。見ているだけでこちらの精神の均衡が崩れそうになる。ところが一方で彼女自身は愛情に溢れた人物とされているのが更にキツイ。彼女は全く悪気がない。ただ感情をコントロール出来ないだけ。特にそう言った人間は現実に(しかも結構たくさん)存在するのが問題。
 正直な話、こんなのが目の前にいたら、気が弱い私なんぞは何とか理屈付けて逃げ出したくなるほど。
 とはいえ、まさにそのような緊張感の中で、彼女を支えようとする家族こそが本作の主眼。そんな彼女を前に、逃げずに立ち向かう夫役のフォークの姿が良い。彼は逃げようとしなかった訳ではない。むしろ仕事の忙しさにかまけて妻を放って置いたのだが、それがこのような事態を引き起こしてしまった。と言うことを知って、そこで逃げるのを止めた。彼にも様々な感情が渦巻いているのだろう。愛情と言うよりは義務感や責任感、体面を取り繕うとする気持ち…決して彼はヒーローじゃない。普通の人間だ。だけど分かる。分かるぞその気持ち。でも逃げたいぞ。
 改めて考えると、こういう事が理由で失踪したり離婚になってしまうパターンって多いんだろうね。それに立ち向かっている。と言うそれだけで敬服してしまうよ。
 ラストシーンで、これまでの狂乱の一夜が明けた途端、夫婦揃って何事もなかったようにいつもの生活に戻っていくが、それは家族愛が全てを打ち勝つ鍵であることが暗示されてるのだろうか?本作の場合、あくまでそれは「暗示」に留まっている。ある意味、更にキツイ段階に入っていく。これからもこの家族は危機が続いていくのだろう。だけど、家族を信じていく。
安易なハッピーエンドではないというところが凄いところ。
 これだけの精神病質な人間が出てきているにもかかわらず、この家族は上手くいっている。これはきっとこの映画だけじゃない。どんな家庭も多かれ少なかれ、こういった危機はあるのだろう
。危うい均衡の中で“家族”は培われていく

 実は本作は私のカサヴェテス監督作品初挑戦作。結構驚いたのは事実。俳優としては既に知っていたけど、こんな突き放したような冷徹な作品作るの?という驚きと、それまで「刑事コロンボ」でしかほとんど観たことがなかったフォークが結構渋い声してるというのを発見した。フォークのイメージが随分変わった。

 本作はインディペンデント映画に一石を投じ、特に日本では好きな人が多いが、流石に題材が題材だけに当初配給を引き受けようと言う業者が見つからず、カサヴェテス監督本人が配給も行ったとのこと。

ミニー&モスコウィッツ 1971
<A> <楽>
アル・ルーバン(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ジーナ・ローランズ
シーモア・カッセル
ジョン・カサヴェテス
ヴァル・アヴェリー
ティモシー・ケリー
キャサリン・カサヴェテス
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
フェイシズ
1968米アカデミー助演男優賞(カッセル)、助演女優賞(カーリン)、脚本賞
1968
ヴェネツィア国際映画祭男優賞(マーレイ)、イタリア批評家賞(カサヴェテス)
1968全米批評家協会助演男優賞(カッセル)、脚本賞
<A> <楽>
モーリス・マッケンドリー(製)
ジョン・カサヴェテス(脚)
ジョン・マーリー
ジーナ・ローランズ
シーモア・カッセル
リン・カーリン
フレッド・ドレイパー
ヴァル・アヴェリー
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 結婚後14年が過ぎた夫婦リチャード(マーリー)とマリア(カーリン)。夫婦仲は冷えきっており、リチャードは高級娼婦のジェニー(ローランズ)に入れあげてしまい、マリアに離婚を切り出す機会をうかがっていた。そんなある日、二人は決定的な諍いを起こしてしまい、リチャードはジェニーの元へ行ってしまう。残されたマリアは寂しさのあまり友人たちと連絡を取り、彼女を慰める目的で行ったディスコでチェット(カッセル)という青年と出会い、家につれこむのだった。

 俳優としても有名なカサヴェテスは、監督としては大変苦労した人で、ハリウッドとは一線を画した映画づくりがスポンサーにはそっぽを向かれ、監督作の大半は自己資金で作らざるを得なかった。
 本作はその典型的作品で、ここで遣われた費用はすべて監督自身が自分で稼いだもの。この製作費を捻出するため、カサヴェテスは映画に出演しまくり、昼は『特攻大作戦』(1967)『ローズマリーの赤ちゃん』に俳優として出演し、その合間にこつこつと作り続け、本作が完成するまで3年間の年月がかかったという。執念のなせる技だ。
 内容としては、さすがインディペンデント。明らかにこれは時代の最先端を突き抜けていた。ほとんど会話と表情のみで展開する物語は、明らかに人の内面を焦点にし、人によって傷つけられた心がだんだんと壊れていく過程を克明に描いていく。
 一概には言えないが、人間の心が壊れていくにはそれなりに時間がかかることが多い。言われたことがショック過ぎると、それが心にしみこむまで時間がかかり、更にそれを理解していく内に心が蝕まれていき、最終的に爆発してしまう。この時間は場合によりけり。いわゆるトラウマと呼ばれるものは何十年も経過して出てくることもある。
 ここでのマリアの場合、リチャードの言ったことを理解するまでに一晩かかった。その間平静な事をしていても、心に対する圧迫はどんどん増していき、逆に気晴らしのお陰でそれが一気に爆発してしまったとも考えられるだろう。
 その辺をねちっこく克明に描いて見せたのは、本作がパターンに陥った演技的人間関係ではなく、真実の人間の心を描きたいと思ったからなのだろう。ここまで丁寧に人間の心理をえがいた作品はこの時代のハリウッドでは本作がほぼ唯一。流石インディペンデントの父と言われるだけのことがある(日本映画にはそれなりにあるのだけどね)。
 大変素晴らしい作品であることは言うまでもないが、物語そのものが実はかなり退屈である辺りがちょっと残念なところだし、あと長い時間作っていた事もあって、演出の切り替えがかなり不自然な所もあったりして…これを一気に作っていたなら本当に素晴らしい作品になってただろうね。

 尚、本作がほぼ役者デビューとなるリン・カーリンは実は当時アルトマンの秘書であり、当時近くのオフィスで仕事をしていた関係で本作に引っ張られたのだとか。
製作年 1968
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
書籍名 <A> <楽>
著者名 (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
アメリカの影
Shadows
1960英アカデミー作品賞、新人賞(ゴルドーニ&レイ)
1993アメリカ国立フィルム登録簿登録
<A> <楽>
モーリス・マッケンドリー
シーモア・カッセル(製)
レリア・ゴルドーニ
ヒュー・ハード
ベン・カルーザス
アンソニー・レイ
デヴィッド・ポキティロウ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 マンハッタンに住む長兄ヒュー(ハード)、次兄ベン(カルーザス)、末妹レリア(ゴルドーニ)兄妹。複雑な家庭環境により、兄のヒューはアフリカ系の血を濃く受け継ぎ、ベンとレリアは白人の血を強く受け継いでいる。それぞれの歌の才能を活かして生活しているが、現実は厳しく、プライドもあってなかなか働き口が見つからない。よるべない世界で生きる兄妹の三者三様の生活を描く。

 カサヴェテスが俳優のみならず監督としての実力をまざまざと見せつけた作品で、カサヴェテス監督のデビュー作。当初はプライベート・フィルムのような形で脚本もなく、16ミリで撮影されたが、当時の映画人を始め、大きく受け入れられ、が、すぐに32ミリで作り直されたという経緯を持つ。この作品でカサヴェテスはニューヨーク・インディペンデント映画の父と呼ばれるようになった。奇しくもフランスでヌーヴェル・ヴァーグの嚆矢『勝手にしやがれ』(1959)が作られており、映画の新しい時代を告げる作品だった。
 人種のるつぼとも言われるニューヨークを舞台に、当時の若者のやるせなさをそのまま叩きつけたような作品に仕上げられている。
 インディペンデント映画を定義づけることは無理だが、製作のシステムに捕われることなく、好きなように作ることが大きな強味。職業としてより芸術家としての監督の力量が問われる作品とは言えるだろう。ハリウッドでは悪名高いハリウッド・コードなるものがあり、混血問題はそれに完全に抵触。絶対に当時のハリウッドでは作ることは出来ないものだった。
 特に本作は“生の迫力”と言うものに重点がおかれているのが特徴。世界大戦からすでに15年。戦争は遠く離れ、世界第一国として大きく躍進しているアメリカと言う国。しかしそこで住んでいる人は幸せになっただろうか?この現実を見てみろ!と言わんばかりの骨っぽい作品に仕上げられている。
 平和の中で、逆に人間関係はギスギスしたものとなり、どんどん新しいビルディングが建てられるその中で、底辺に住む者たちは余計に生活が苦しくなっている。様々な人種が住むニューヨークの中でも、やはり人種差別は色濃く残り、そのような者たちを食い物にしようとする者たちであふれている。
 それまで映画をエンターテインメントとして楽しむため、あるいは記録としてしか考えていなかった人たちにとって、この作品は驚きだっただろう。フィクションでありながら、これだけ現実に即した作品が作れるのか。特に映画人に与えた衝撃は想像して余りある。
 世界的に観るならば、それまでにもこのタイプの作品は結構作られていた。フランスではすでにヌーヴェル・ヴァーグの流れが始まっていたし、それ以前にもイタリアのネオ・リアリスモ、日本での敗戦後の生活を扱った作品など。これらは娯楽に迎合するではなく、たとえ辛くとも現実を観ようとする視点を持っていた。しかし、ハリウッドにとってはそれらは遠い海の向うの話で、ハリウッドはハリウッドで独自の作品を作っていれば良いのだ。という開き直りの風潮があった。そんな中で投入された本作は、やはりアメリカではアメリカでしか作られない作品がある。と言うことをはっきりと示して見せたのだ。ニューヨークから始まった流れはニューヨーク・インディペンデント作品の諸作品へ、そしてハリウッドにも取り入れられていくことになる。引いては世界中へと広まっていく(日本ではATGが一番その影響を受けているようだが)。世界的な映画史においても本作は大変重要な位置づけにあるわけである。

 本作の位置づけを改めて考えてみると上記のようになるのだが、ただ現代の目から見ると、やはりかなり粗削りな作品ではある。脚本なしの即興で作られていると言うだけあって、根本的に話がよく分からない。一つのシークェンスが終わると唐突に舞台が変わり、そこで新しい(しかも退屈で救われない)物語が展開するため、それを理解するまで観ている側は混乱してしまう。それにこればかりは仕方ないのだが、その当時の空気を吸っていない人間からすると、頭で分かったふりをしても、本当にこの作品のリアルさを共感できないのだから。
 その意味では、本作は資料性は高くとも、共感できるレベルには至らない。オチもなく、救いない状況に兄妹が依然として留まっているうちに唐突に物語が終わるので、どうにもすっきりしないまま。特に現代から観るならば、それなりに本作が作られた状況を知っておく必要はある。

 本作はカサヴェテスを監督として大変有名になったが、決して本作で大儲けしたわけではないし(撮影開始は1957年で、上映にこぎつけるまで2年かかった)、ほとんど報酬なしで参加した友人スタッフやキャストにも充分報いたわけではない。そもそも監督は本作の試写のあまりの好評ぶりが嫌で、わざわざ撮り直して難解にしたというエピソードもある。決して商業主義で作ったわけではなく、本当に“私はこれを作りたいんだ”という、いわば自己満足のために作られている。しかし、やがてこのスタッフやキャストはカサヴェテス・ファミリーと呼ばれるようになり、常に監督と共にあるようになる。これから製作費不足の中、それでも映画を作り続けていった監督にとって、何よりの収穫はそれらの人たちを得たことではないだろうか。
 
 ビート時代のアメリカを知る、最も資料性の高い作品だろう。
製作年 1959
製作会社 ライオン・インターナショナル
ジャンル 人生(貧困)家族(兄弟姉妹)
売り上げ
原作
歴史地域 ニューヨーク(アメリカ)
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ

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