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1983 | 12'5 死去 | |||||||
1981 | カリフォルニア・ドールス 監督 | |||||||
1979 | フリスコ・キッド 監督 | |||||||
1977 | クワイヤボーイズ 監督 | |||||||
合衆国最後の日 監督 | ||||||||
1975 | ハッスル 監督・製作 | |||||||
1974 | ロンゲスト・ヤード 監督 | |||||||
1973 | 北国の帝王 監督 | |||||||
1972 | ワイルド・アパッチ 監督 | |||||||
1971 | 傷だらけの挽歌 監督・製作 | |||||||
1970 | 燃える戦場 監督・製作・原案・脚本 | |||||||
1969 | The Greatest Mother of Them All 製作 | |||||||
1968 | 女の香り 監督・製作 | |||||||
甘い抱擁 監督・製作 | ||||||||
何がアリスに起ったか? 製作 | ||||||||
1967 | 特攻大作戦 監督 | |||||||
1966 | 陰謀の屋敷 製作 | |||||||
1965 | ふるえて眠れ 監督・製作 | |||||||
飛べ!フェニックス 監督・製作 | ||||||||
1964 | ||||||||
1963 | テキサスの四人 監督・脚本・製作 | |||||||
1962 | 何がジェーンに起ったか? 監督・製作 | |||||||
1961 | ソドムとゴモラ セルジオ・レオーネと共同監督 | |||||||
ガン・ファイター 監督 | ||||||||
1959 | 地獄へ秒読み 監督・脚本 | |||||||
怒りの丘 監督 | ||||||||
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1957 | The Garment Jungle 監督 | |||||||
インディアン峠の死闘 製作 | ||||||||
1956 | 攻撃 監督・製作 | |||||||
Autumn Leaves 監督 | ||||||||
The Gamma People 脚本 | ||||||||
1955 | キッスで殺せ! 監督・製作 | |||||||
悪徳 監督・製作 | ||||||||
1954 | ヴェラクルス 監督 | |||||||
アパッチ 監督 | ||||||||
World for Ransom 製作 | ||||||||
1953 | Big Leaguer 監督 | |||||||
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1952 | The First Time 製作 | |||||||
Abbott and Costello Meet Captain Kidd 助監督 | ||||||||
ライムライト 助監督 | ||||||||
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1951 | M 助監督 | |||||||
The Prowler 助監督 | ||||||||
熱砂の戦い 助監督 | ||||||||
Of Men and Music 助監督 | ||||||||
The Big Night 出演 | ||||||||
1950 | 白銀の嶺 助監督 | |||||||
1949 | A Kiss for Corliss 助監督 | |||||||
赤い灯 助監督 | ||||||||
赤い子馬 助監督 | ||||||||
魅せられて 助監督 | ||||||||
1948 | 苦い報酬 助監督 | |||||||
No Minor Vices 助監督 | ||||||||
ムコ捜し大騒動 助監督 | ||||||||
凱旋門 助監督 | ||||||||
1947 | ボディ・アンド・ソウル 助監督 | |||||||
美貌の友 助監督 | ||||||||
1946 | 呪いの血 助監督 | |||||||
1945 | Pardon My Past 助監督 | |||||||
G・I・ジョウ 助監督 | ||||||||
南部の人 助監督 | ||||||||
1943 | Rookies in Burma 助監督 | |||||||
Gangway for Tomorrow 助監督 | ||||||||
The Adventures of a Rookie 助監督 | ||||||||
西部を駆ける恋 助監督 | ||||||||
Behind the Rising Sun 助監督 | ||||||||
ボンバー・ライダー/世紀のトップ・ガン 助監督 | ||||||||
1942 | ビッグ・ストリート/愛しき女への挽歌 助監督 | |||||||
The Falcon Takes Over 助監督 | ||||||||
パリのジャンヌ・ダーク 助監督 | ||||||||
1918 | 8'9 ロードアイランド州クランストンで誕生 |
カリフォルニア・ドールス ...All the Marbles |
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フリスコ・キッド 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
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合衆国最後の日 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アメリカ大統領が殺されるのは映画史上初の描写。 |
ハッスル 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
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タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロンゲスト・ヤード The Longest Yard |
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1974米アカデミー編集賞 1974ゴールデン・グローブ作品賞 |
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かつてプロ・フットボールの花形クォーターバックだったがすっかり身を持ち崩したポール・クルー(レイノルズ)はスポーツカー窃盗の罪でシトラス州立刑務所にぶち込まれてしまう。刑務所長のヘイゼン(アルバート)は、看守たちのセミプロ・フットボール・チームを育てようとしており、ポールを看守チームのコーチにしようとする。だが反発を繰り返しては懲罰房送りになるポールにヘイゼンは看守チームの練習台として囚人チームを作らせた。ポールは“世話役"(ハンプトン)の紹介で囚人の中に隠れた才能を持った人間が多数いることを知り、更に人種を問わずにチーム“ミーン・マシーン”を結成するのだった。チーム内の反発も多かったが、非道な行いを繰り返す看守達への復讐に燃える彼らは徐々に一丸となっていく… スポーツ映画の傑作と名高い作品で、アクの強い男臭い俳優を組み合わせ、反発しながらも徐々に仲間意識を持っていく過程は『特攻大作戦』(1967)と通じるアルドリッチ監督らしい仕上げ具合だった。 本作公開の1974年と言えば、ハリウッドをニューシネマが席巻していた時代。そんな時代に真っ向からぶつけるかのように、ストレートな根性ものを、しかも色気も全く無しで作り上げたという、その豪毅さが気に入った。ちゃんとラストも感動にまで持っていく丁寧な演出も光る。 本作の特徴として色気がないだけに、キャラの作り方は実に良く、殴り合い、貶し合い、ぶつかり合いつつ、本当のチームワークを作るまでの過程が小気味よく、そしてそこから圧力がかかってストレスを溜めておいて、最後に爆発的な試合内容を見せてくれる。作り方はスポーツものの教科書にしても良いくらい。 そしてその中をアクの強いキャラが縦横無尽に駆けめぐる。こう言うのが好きな人間にはたまらない内容。 何よりレイノルズが良い。このキャラ、当時は苛立ち続ける役が多いが、本作でもそれは健在。前半部分はイライラしっぱなしだったのが、中盤で仲間意識が芽生えてからは俄然魅力が増す。実は大学時代本当にアメフト選手だったというレイノルズが、本当に活き活きしてくる。そしてラストシーン。あの緊張感たっぷりな演出の後、振り返った時の清々しい笑顔がえも言えない魅力を発揮してる。そもそも私にとっても当時のレイノルズは大ファンだけに、ここまで魅力を引き出してくれると、それだけでも嬉しい。 集団スポーツ映画の原点とも言える作品なので、そう言うのが好きな人には自信を持ってお薦め出来る作品だし、アルドリッチファンには安心して観られる作品とも言っておこう。 |
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北国の帝王 Emperor of the North Pole |
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1929年に襲った経済危機によってアメリカは経済史上空前の不況に見舞われていた。仕事を得るために失業者はホーボーと呼ばれる浮浪者集団となり、鉄道を利用して野宿地から他の野宿地へ移動していた。そんな中、オレゴン州のウィラメット・バレーでは、冷酷無比な男19号車車掌シャック(ボーグナイン)はホーボーたちの無賃乗車は絶対に許さず、見つけ次第ハンマーで殴るのだ。殺人をも辞さないシャックに恐れるホーボー達だったが、シャックの裏をかいて、いつも19号車に乗っているホーボーがいた。彼はAナンバー・ワン(マーヴィン)と呼ばれ、ホーボーから“北国の帝王"というニックネームを贈られていた。そんなAナンバー・ワンに代わろうとする若者シガレット(キャラダイン)という若者が現れ、19号車を舞台に二人は“帝王”の座を巡って激しい攻防を行う。 かつてアメリカでベストセラーとなったリヴィングストンの自伝作品「ナンバー・ワン」を元に、かつて実在したナンバー・ワンという男を題材にしたフィクション作品。 ハリウッド映画が好んで題材に使う1930年という時代。これは1929年に起こった恐慌が多数の失業者を生んでしまったから。日本の映画が敗戦後を好んで映画化するのとどこか似ている。こういうギリギリの時代にはドラマを演出しやすいのだろう。丁度70年代にこの手の映画が多いのもヴェトナム戦争との関わりを感じさせられて特徴的だ。 ところでこの作品だが、設定が極めて馬鹿馬鹿しい。ここでマーヴィンとキャラダインが争っているものは、何の価値もない尊称であり、それが得られたからと言って金が得られる訳でも、仕事にありつける訳でもない。せいぜい無賃乗車が出来るかどうかというだけの話。掛け値無しに無意味なものに命まで賭けてるのだ。映画としてはあっけにとられるような凄い設定だ。やってる二人も完全に馬鹿。 しかし、馬鹿だからこそ燃えるというものも確かにあるのだ。 人は馬鹿をやって一人前。端から見てどれだけくだらないと言われようとも、決して妥協できず、プライドを保ち続ける心の強さ。それが心を打つ。それが本当に「格好良い!」と思える人間は、少なくともかなりの数存在するはずだ。少なくとも、高校時代にどうやったらキセル乗車できるかを友人達と熱心に話し込んでいた過去を持つ身としては… 話はちょっとずれるが、インターネットの初期にもこういうプライドをぶつけた時代というものがあった。人が来たからどうという事もないのだが、アクセスカウンターを付けて一日に何人来たのかを競い、あるいはパソコン通信で相手をぐうの音も出ないほど論破してみせる。それによって物理的に何が与えられる訳ではなくとも、自己主張を最上の価値観として見せていた。実名を簡単にばらしてもいた。ほんの数年前までそんな時代だった。今でもそんな雰囲気はどこかに残っているものの、ネットが成熟した現在では、むしろアフィリエイトで収入を得る方が主眼になっていたり、逆に主張が強すぎると叩かれる(炎上という言葉も周知されるようになった)ので、すっかりおとなしくなってしまった感じはある。ま、成熟とはそう言うものだと言われたらそれまでの話だが、そんな馬鹿をやってた時代も懐かしいものだ。 敢えてそんな素材を選び、手を抜かずに作ってしまったアルドリッチという監督の姿を本作で垣間見ることが出来るし、こういうのばっか作ってるから“男汁監督”などという尊称を与えられる事になるのだろう。少なくともここでのマーヴィンが与えられているAナンバー・ワンという称号は、映画界においてはアルドリッチが受けるべき称号なのだろう。 もちろんここに登場する俳優も言うに及ばず。よくもまあこんな濃い面々ばっか集めて作る気になったもんだ。きっと撮影中も全然息抜きできなかっただろうな。 |
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ワイルド・アパッチ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特攻大作戦 The Dirty Dozen |
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1967米アカデミー音響効果賞、助演男優賞(カサヴェテス)、音響賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1944年3月。連合軍は大陸侵攻を間近に控えていたが、その中でアメリカ軍のジョン=ライスマン少佐(マーヴィン)は、死刑あるいは長期の刑を宣告され服役中の元兵隊12人を徹底的に鍛え、ヨーロッパ大陸侵攻直前に前線背後に送りこんで攻撃するという指令を受けた。ライスマンはひと癖もふた癖もある囚人を選び出し、容赦ない訓練を施していく。やがて12人はチームとして連帯を強めていった。そしてドイツ軍将校とその家族が集うフランスの古城に彼らは入り込んでいく… アルドリッチ監督が最も得意とする群像劇を本当に上手く仕上げた作品。これは後の『ロンゲスト・ヤード』にもつながるのだが、前半部分の実力はあっても自分勝手で協調性のかけらもない個性的な人物達を集めて、それをまとめ上げる過程にこそ、本作の面白さがある。特に囚人たちは、この時代は無名でもそれぞれ個性派俳優として10年後にはハリウッドを背負うキャラばかり。これだけの人物を集めてきたと言うだけで、今から観たらほとんどオールスター映画に見えてしまう。大体囚人の面々で言っても、チャールズ・ブロンソン、ジョン・カサヴェテス、テリー・サヴァラス、ドナルド・サザーランドだよ。更にそれを率いるのがリー・マーヴィンとあっては、男の臭いでむせそうな濃い奴らばかり。個性派も極まれりだが、そんなキャラを上手く配置し、仲間意識を持たせていく過程をアルドリッチ監督は見事に仕上げてくれた。 それと、この作品で面白いのは、友情を絶対前面に押し出さないという点もある。戦場におけるパートナーの友情というのは描きやすい反面、お為ごかしになりやすいし、何よりプロの仕事を描く以上、それを出してしまっては非情さをスポイルしてしまいがち。勿論アイコンタクトなど、そう言う描写もあるはあるけど、あくまでそれはプロとして自分の与えられた仕事をこなしている人間同士の信頼感という感じに仕上げられている。戦争を叙情的に描いてたまるか!という監督の主張が見え隠れしているような感じで大変心地良い。いや、濃いキャラばかりだから、叙情的な話に持って行けないというのが実情なのかもしれないけどね。特に前半は二人以上絡んだシーンが少ないため、個々のキャラクタ性を前面に押し出しつつ、それぞれに見せ場を用意できていた。演出の巧さとも言えるだろう。更に前半部分には結構笑いの要素も多く入れられていて、ここでの凝縮度合いは凄いもの。 そして後半にはいると、物語は一転。本物のプロの戦いが描かれていく。これまで苦しい訓練を生き抜いてきた仲間も、容赦なく見捨てることが前提にあり、実際にそれで見捨てられてしまう人間もいる。これを描くためには友情というのは描けなかったわけだ。 後半の攻防戦になると、かなり凄まじい描写もありで、特に密室に避難したドイツ人(女性も多数)に爆弾を放り込むシーンなんかは、「よくここまでやってくれたな」と思わされる…今から見ても、ちょっとやり過ぎって気もするけどね。それも含めてやはり本作は一級品である。 それにしてもよくこの時代にこんな作品を作れたものだ。前年『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)によってハリウッド・コードに風穴が開けられたとはいえ(これでレーティングシステムが考えられ始めた)、ここまで残酷で非情なシーンを入れるのは、それまでのハリウッドでは考えつかなかった。時代性を考えたら、お蔵入りしても不思議はないのだが、丁度この年、ニューシネマが始まったのも追い風だったのだろう。ある意味では、ようやく時代の要求に合った作品が作れる時代が始まったことを感じさせた作品だった。 本作でレイシストの上官役を演じるはずだったジャック・パランスは、元々公民権運動の熱心な支持者だったため、怒って役を降りてしまった。 |
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飛べ!フェニックス The Flight of the Phoenix |
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1965米アカデミー助演男優賞(バネン)、編集賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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何がジェーンに起ったか? What Ever Happened to Baby Jane? |
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1962米アカデミー衣装デザイン賞、主演女優賞(デイヴィス)、助演男優賞(ブオノ)、撮影賞、録音賞 1963英アカデミー女優賞(デイヴィス、クロフォード) |
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かつてベビィ・ジェーンという名で子役スターだったジェーン=ハドソン(デイヴィス)は、やがてその名声を失い、代わりに銀幕のスターとなった姉のブランチ(クロフォード)に激しい敵意を燃やすようになった。しかし、ブランチは人気絶頂の時に負った自動車事故のため、下半身が不自由となってしまう。実はジェーンも車に同乗していたのだが、彼女はかすり傷一つ付いていなかった。年月が経ち、二人は一つの家で今も敵愾心を持ちつつ生活している。深酒のため徐々に精神の均衡を失っていくジェーンを恐れるようになったブランチ。やがてジェーンの行いは度を超していく… ヘンリー=ファレルによる小説の映画化作。 映画の中には観ていてきつい作品というのがある。ゴアな描写が売りのホラーなんかは別として、私にとって家族同士のいがみ合いが描かれる映画というのは、どうにも落ち着かない気分にさせられる。しかも、それが度を超していくと、観てるだけで苦痛に襲われる。 そう言う作品の多くはどうしても点数を高く付ける気分にならないものなのだが(私がワイラー監督やヴィスコンティ監督作品で高評価が少ないのはその点にあるだろう)、時折とんでもないものを見せつけられて、「これは参った!」と降参してしまう場合というのもある。 本作はまさにそれ。特に前半部分のデイヴィス演じるジェーンによるクロフォード演じるブランチのいじめは度を超していて、「なんで私はこんなもの観てるんだろう?」とか思わせてくれたのだが(事実デイヴィスとクロフォードは私生活でも互いに嫌い合っており、これが唯一の共演作である)、それが中盤に入った辺りになると、きつさは増しているのに、目が画面からはずせなくなってしまった。観てるだけで辛い。しかし、辛くなればなるほど、二人の演技は凄まじいものへと変化していく。話が進んでいくと、デイヴィスの鬼気迫るような演技は、単なる嫌な奴を通り越し、痛々しささえ感じられてくる。この辺『サンセット大通り』(1950)のグロリア=スワンソンに通じる部分だが、それを更に極端にグロテスクにしてしまうとは、もの凄いとしか言いようがない。そして対するクロフォードは、最初から最後まで徹底的に痛々しい。ラストでその痛々しさを身に受けることを自分の過ちのせいであることを認め、それでも微かな抵抗で生きようと足掻く。これも又女優魂ってやつだ。 なんとも凄まじいものを見せてくれたが、よくぞこの二人を選んだものだ。アルドリッチ監督の慧眼は凄いものがある(既に半引退状態のデイヴィスをどうしても引っ張り出したかったアルドリッチは直接ニューヨークに合いに出掛け、3時間の説得を行ったそうだ)。 アルドリッチ監督と言えば、どれもむしろ男臭さというのが面白い作品だった。対して本作は男はほとんど意味を持たず、二人の怪演ばかりで構成されるが、こんな作品まで作れたんだな…私に合わない素材でここまで見せてくれたのは、多分その手法の巧さがここでも遺憾なく発揮されたからではないかと思う。前半の限られた空間のみでの、まるで舞台劇のような演出がラストでの開放的な海岸に移り、最後は神の目からの俯瞰に移っていく。このカメラ・ワークの絶妙さも素晴らしい。 ほとんど精神的なホラー作品なのだが、ここまで徹底的にやられると、呆れを通り越して感動さえ覚えてくる。長丁場の作品で、終わった時は本当にほっとしたが、現実に戻るのに時間がかかってしまった。 本作も間違いなく私に“衝撃”を与えてくれた作品には違いない。 |
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ソドムとゴモラ Sodom and Gomorrah |
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指導者ロット(スチュワート・グレンジャー)に率られたヘブライ人達はヨルダン河畔にその住居を定めた。ソドムとゴモラの女王ベラ(エーメ)と友好条約を結び、町作りは順調にいったかのように思えたが、彼らに反感を持つベラの弟アスタロフ(ベイカー)は事ある毎にヘブライ人達に嫌がらせを行う。だが実はソドムとゴモラの町は砂漠に住むヘラム族に狙われており、女王ベラは弟とヘラム族の盾としてヘブライ人を用いようとしていたのだ。ロットはよくヘブライ人を指揮し、微妙な国際情勢の中、町を大きくしていくのだが… 旧約聖書に書かれているソドムとゴモラの町の命運を、大作慣れしているアルドリッチ監督がきらびやかに演出した作品。 確かにふんだんに金がかけられ、派手な所は派手にして、当時の国際情勢をもふまえて作られているのも分かるんだけど、どうにもそれぞれのキャラに魅力が感じられず、金だけかけただけの駄作にしか見えなかった所が残念な作品。 ソドムとゴモラというのは悪徳の町として知られ、sodomyなる言葉にもなった。だがその悪徳の町を描写するのに、この時代では規制が多すぎ、単に奢侈に溺れる街という描写にしかならず、その辺がちょっと不完全な感じがあり(まあ、でも表現的にはこれくらいが妥当なのかな?)。それにロットの考えというのが瞬間瞬間でコロコロ変わっていって一貫性が見られないため、その考えも今ひとつ掴めなかったし。悲惨なラストシーンも中途半端な感じ。 尚、本作はアルドリッチ監督作品ではあるが、イタリアロケの監督はレオーネが担当している。その辺が一貫性の無さだったのかも知れない。 |
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ガン・ファイター The Last Sunset |
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攻撃 Attack |
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1956ヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キッスで殺せ Kiss Me Deadly |
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1999アメリカ国立フィルム登録簿登録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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外面的には典型的なフィルム・ノワールだが、敢えて主人公を感情移入できない粗暴な人間にする。監督のフィルム・ノワールに対するアンチテーゼとも言われる。 殴り合い満載の作品で、殴りながら悲劇的結末になだれ込む。 大胆なカメラ・アングルやジャンプ・カットの手法がヌーヴェル・ヴァーグに影響を与える。 |
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ヴェラクルス Vera Cruz |
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南北戦争後、北軍に敗北してメキシコに流れててきた南軍の将校ベン=トレーン(クーパー)は、ならず者のジョー=エリン(ランカスター)と出会う。妙に気が合う二人はコンビを組んで何でも屋のような仕事を始めるが、そんな二人の前に大きな仕事が飛び込んできた。メキシコ動乱最中に、伯爵令嬢のマリーをヴェラクルスの港まで護衛すると言うもので、成功報酬は5万ドル。だが実は彼女の護送はダミーで、彼女の乗る馬車には、300万ドルもの金貨が隠されていたのだ。 ランカスターが自ら立ち上げた独立プロで製作した作品で、監督にアルドリッチ(と言ってもこの時点では無名監督だが)、主役にクーパーを呼んでの、力のこもった作品。 ここで面白いのは悪役のはずのランカスター演じるジョーの方が主演であるクーパー演じるベンを完全に食ってしまったと言う点。ランカスターはこれが悪役初挑戦だったはずだが、貫禄の演技を見せてくれる。 ランカスターというと、私の持つイメージは軍人。落ち着いた雰囲気と制服がとても似合う人物なのだが、本作品においては全く逆。野性味溢れるならず者の役をかなり楽しそうに演じていた。ランカスターの新しい面を見た気分。クーパー、ランカスター共に非常にキャラクターは立っていたと思う。 それに、自分の欲望に忠実な人間を描くことにかけてはアルドリッチ監督は名手。後に確立するアルドリッチ監督のスタンスがここからも覗える。 非常に軽快な作品で物語もさくさく進むが、ただ一面、軽快すぎて描写が浅いし、笑いも滑る。ラストに至る過程だってかなり強引だから、ストーリーで見るべき作品ではないな。 クーパー&ランカスターという、濃いキャラクター描写で楽しめる人なら充分楽しめると思う。 …そうそう。本作には無名時代のチャールズ=ブロンソンが登場してる。一瞬だけアップのところがあって、「あれ?こいつブロンソンじゃないか」と思ってネットで調べてみたら、確かにそうだった(キャスト名はチャールズ=ブチンスキーだから、最初気づかなかったけど)。 |
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アパッチ Apache |
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