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1949 | 1'6 死去 | |
1948 | ジャンヌ・ダーク 監督 | |
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ジキル博士とハイド氏 監督 | |
1940 | ||
1939 | 風と共に去りぬ 監督 | |
オズの魔法使 監督 | ||
1938 | テスト・パイロット 監督 | |
1937 | 我は海の子 監督 | |
1936 | ||
1935 | 無軌道行進曲 監督 | |
運河のそよ風 監督 | ||
1934 | 宝島 監督 | |
1933 | ホワイト・シスター 監督 | |
爆弾の頬紅 監督 | ||
1932 | 紅塵 監督 | |
1931 | ダグラスの世界一周 監督・撮影 | |
1930 | 泥人形 監督 | |
反逆者 監督 | ||
1929 | 狼の唄 監督・製作 | |
ヴァージニアン 監督 | ||
1928 | アビーの白薔薇 監督 | |
目覚め 監督 | ||
1927 | 決死隊 監督 | |
フラ 監督 | ||
肉体の道 監督 | ||
1926 | 人罠 監督 | |
1925 | 卑怯者 監督 | |
狂乱の船 監督 | ||
南海の孤島 監督 | ||
絶壁に闘ふ 監督 | ||
1924 | 曠原に立ちて 監督 | |
海の掟 監督 | ||
1923 | 懐しの谿 監督 | |
最後の一人迄 監督 | ||
無法者の掟 監督 | ||
埃及の月 監督 | ||
1922 | 愛着の路 監督 | |
アンナの昇天 監督 | ||
1921 | 心嬉しさ恐ろしさ 監督 | |
愛人の許へ 監督 | ||
1920 | 臆病男 監督 | |
1919 | 暗雲晴れて 監督 | |
ダグラス大王 撮影 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | ||
1889 | 2'23 カリフォルニアで誕生 |
ジャンヌ・ダーク Joan of Arc |
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1949年全米興業7位。当時としては破格の製作費をかけた作品 むしろ娯楽作として製作される |
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風と共に去りぬ Gone with the Wind |
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1939米アカデミー作品賞、主演女優賞(リー)、助演女優賞(マクダニエル、デ・ハヴィラント)、監督賞(フレミング)、脚色賞(シドニー=ハワード)、撮影賞、室内装置賞、編集賞、主演男優賞(ゲーブル)、作曲賞、特殊効果賞、録音賞 1939NY批評家協会女優賞 |
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奴隷制度廃止を訴える北軍と制度の存続を願う南軍との間に緊張が高まる中、南軍都市アトランタでは戦争の話で持ちきりだった。その中にスカーレット・オハラ(リー)がいた。彼女は愛する男性アシュレイ(ハワード)は彼女が目もくれてなかったメラニー(デ・ハヴィランド)と結婚するという。プライドの高さから、その事実に逆上してしまい、好きでもない男と結婚してしまうが、夫は間もなく始まった戦争で戦死してしまう。そんな彼女を見つめる男がいた。彼女の人生の転機に度々現れ、彼女を救うレッド・バトラー(ゲーブル)。だが勝ち気の彼女はことごとく彼を無視し続ける。 マーガレット・ミッチェル原作によるベストセラーの映画化。 「この映画を観ることなしにハリウッドを語るなかれ」かつてそのように言われていた。これは現代でも十分通用するだろう(むしろ観ない方が“今の”ハリウッドを語る上で大切かも知れないけど)。それだけのパワーを持つ、「これぞハリウッド」と全身で言っているような作品である。アメリカ映画史に燦然と輝く傑作。 何しろその派手さ(有名な駅の炎上シーンはスタジオに残されていた『キング・コング』(1933)のセットを丸ごと焼き尽くしたという)、音楽、濃厚すぎる愛憎劇、男そのものを思わされるゲーブル、そして何よりヴィヴィアン=リー演ずるスカーレットの性格のきつさ。これらが見事に画面に収められている(何となく画面からはみ出しているかのようにも見えるが、そのことは置いておこう)。 でも、色々言われているが、この映画の一番の見所はスカーレットをリーがキチンと演じきることが出来た。と言う点にあるのではないか?彼女の周りだけ濃密な空気が澱み、長く一緒にいるだけで窒息しそうな気分になる。こんな性格を演じるのはもの凄いストレスだっただろうに。一方ゲーブルはそう言う女性を落とそうという意欲満々…猛獣遣いみたいだが、それが男の甲斐性ってやつなんだろうか。 この作品は何でも役者選びにえらく難航した上(スカーレット役を決めるため、60人もの女優にスクリーン・テストを受けさせ、そこで使用したフィルムだけで映画が一本作れるほどだったという)。結局はイギリス出身のリーに決定したが、そもそも彼女は『無敵艦隊』(1937)で競演したオリヴィエと恋仲となり(1940年に結婚)、オリヴィエを追いかけてハリウッドまで来て、そこでオハラ役に抜擢されたという逸話を持つ。 脚本は撮影終了まで何度と無く直され、しかも監督まで幾度と無く替わった。だが、それを切り貼りしてでも作り上げた製作者であるデヴィッド・O・セルズニックの並々ならぬ苦心の作である(MGMの創立者メイヤーの娘婿だったセルズニックは義父と大げんかをやらかし、MGMから独立。セルズニック・プロを設立する。その第一作作品が本作。ゲーブルをMGMから借りるため、配給はMGMとなった)。この出来を観ると何となく納得してしまうけど。製作には絶対に無茶苦茶忍耐が必要な作品だ。その甲斐あり、この年のアカデミーは総ナメの快挙となる。助演女優賞では初の黒人受賞者マクダニエルを輩出した。それと、マクダニエルと同時にノミネートされたデ・ハヴィラントはジョーン=フォンティンの実姉。その年の興業収益トップと作品賞でのオスカーを両方共に受け取った初めての例となる。 ちなみに現時点で全ての映画の中で最も収益を上げている作品でもある(ギネスブックにも載っていて、総収益は3,785,107,801ドル)。それこそリバイバル上映する度に大入りだし、この記録は今も尚継続中。多分抜かれることは無かろう(なんせ1961年のリバイバル時には全米興行成績が8位になってるくらい)。 いみじくも製作者のセルズニック自身が見事に本作を言い表している。「太陽が昇らない国があっても、『風と共に去りぬ』が上映されていない国はない」。 |
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オズの魔法使 The Wizard of Oz |
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1939米アカデミー作曲賞、歌曲賞、作品賞、撮影賞、室内装置賞、特殊効果賞 1989アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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カンザスの農場の伯父夫婦の元に住む少女ドロシー(ガーランド)は農場の人気者で毎日元気に過ごしていたが、ある日近所の意地悪なミス・グルチから愛犬トトを捨ててしまえと言われてしまう。ショックを受けたドロシーがトトと共に部屋にいたとき、突如起こった竜巻で家ごと吹き飛ばされてしまった。次にドロシーが目覚めたとき、自分が不思議な世界にいることを知る。北の仙女グリンダから、ここから出るにはエメラルド・シティに住むオズの魔法使いの力が必要と言われる。かくしてドロシーはオズの魔法使いを探し求める旅に出る。道中出会った脳をほしがっている案山子、心をほしがるブリキの人形、臆病もののライオンと共にエメラルド・シティへと向かう。 ライマン・フランク・ボームのファンタジー小説の第1巻の映画化。MGMミュージカルの代表作にして、それまで“天才子役”と呼ばれたジュディ・ガーランドを“永遠のアイドル”へと大きく飛躍させた作品で、現在も尚多くのファンを持つ名作の一本。実際は公開当初は大きな利益を上げられなかったものの、1950年代になって繰り返しクリスマス時期にTV放映されることで人気となり、「最も愛される映画」としての地位を確立したという。 本作は幻想世界映画の手本とされる作品とも言えるだろう。キャラクタの魅力、ミュージカルのスタンダード・ナンバーとなった名曲の数々、舞台装置の面白さ、ファンタジックな設定などなど、どれをとっても一級品である。まあ、今の目から観れば、舞台装置がちゃちかったり、明らかに作りものじみてはいるものの、これこそが“見立て”というもので、映画には(それ以上に特撮には)必要なものであることを逆に強く印象づけられる。画面エフェクトに工夫も多く、良い勉強になる作品だろう(端的に言えば地上はモノクロで、オズの国はカラーという対比がなされているとか)。 物語についてだが、物語そのものは軽快に流れているが、ラストでちょっと「おや?」と思う。あれだけ出会うことを熱望したオズの魔法使いがなんの力も持っていなかったのだ。結局ドロシーが家に帰れたのは最初に出会った仙女グリンダによってだった。「だったら最初っからやれよ」と言いたいところだが、実はここには重要なメッセージがある。 ここに出てくる主人公たちはそれぞれ目的があって、オズの魔法使いに出会うのは、その夢を叶えるためだったのだが、その過程で冒険を続けている内、いつの間にかそれを手に入れているのだ。 これは面白い点。彼らはそれまで望みはあっても目的がなかった。だが、目的が出来たところで否応なしに努力を強いられることとなる。結局本当に欲しいものは自分で手に入れなければならない。何かを求めているなら、、努力の過程でそれは自分のものになっているのだ。 それにたとえ違った願いを持っているとしても、仲間のために協力することで、実はそれが一番自分のためになっているのも大切な点だろう。「情けは人のためならず」とは日本でも言うが、そんなことを考える暇もなく、仲間を助けている内に、実は自分が一番助けてもらっていることに気付くのは重要である。 良質な童話はメッセージが隠されているとはよく言われるが、本作は街がいなくその“良質”さを持った作品といえよう。 ただ、本作の場合はいろいろ細かいことを言うより、物語の楽しい雰囲気を満喫するためにあるようなもので、楽しさを感じられれば、それが一番。繰り返し繰り返し観るのに最も適した作品と言えるだろう。子供は勿論大人にも充分お薦めできる。 ちなみに、本作の代名詞とも言える「虹の彼方に」だが、実は試写の時に重役達によってカットされそうになったそうである。それをプロデューサーのフリードが強硬に反対したからだそうだ。カットされなくて良かったね。 |
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