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1985 | 2'11 死去 | |
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ロンメル軍団を叩け 監督 | |
1969 | 勇気ある追跡 監督 | |
1968 | 5枚のカード 監督 | |
1967 | サハリ! 監督・製作 | |
1966 | ネバダ・スミス 監督・製作 | |
1965 | エルダー兄弟 監督 | |
1964 | サーカスの世界 監督 | |
1963 | ランページ 監督 | |
1962 | 西部開拓史 ジョン・フォードと共同監督 | |
1961 | ||
1960 | アラスカ魂 監督・製作 | |
1959 | 賭場荒し 監督 | |
愛は憎しみの彼方に 監督 | ||
1958 | 向う見ずの男 監督 | |
1957 | 失われたものゝ伝説 監督・製作 | |
1956 | 瓶の底(脱獄囚) 監督 | |
黒の誘拐 監督 | ||
1955 | ||
1954 | 炎と剣 監督 | |
悪の花園 監督 | ||
スピードに命を賭ける男 監督 | ||
1953 | ナイアガラ 監督 | |
蛮地の太陽 監督 | ||
1952 | 人生模様 監督 | |
国務省の密使 監督 | ||
1951 | 砂漠の鬼将軍 監督 | |
狙われた駅馬車 監督 | ||
1950 | 黒ばら 監督 | |
1949 | 海の男 監督 | |
1948 | 出獄 監督 | |
1947 | 死の接吻 監督 | |
鮮血の情報 監督 | ||
1946 | 闇の曲り角 監督 | |
1945 | Gメン対間諜 監督 | |
愛への旅路 監督 | ||
1944 | 勝利の園 監督 | |
ミッドウェイ囮作戦 監督 | ||
1943 | ||
1942 | チャイナガール 監督 | |
1941 | 砂丘の敵 監督 | |
丘の羊飼い 監督 | ||
1940 | ||
1939 | 暁の討伐隊 監督 | |
1938 | 北海の子 監督 | |
1937 | 海の魂 監督・製作 | |
浮気名女優 製作 | ||
1936 | 丘の一本松 監督 | |
1935 | ベンガルの槍騎兵 監督 | |
永遠に愛せよ 監督 | ||
1934 | 久遠の誓ひ 監督 | |
猫目石怪事件 監督 | ||
女装陸戦隊 監督 | ||
国境の狼群 監督 | ||
1933 | 森の男 監督 | |
燃ゆる山道 監督 | ||
幽霊牧場 監督 | ||
最後の一人まで 監督 | ||
白馬王国 監督 | ||
1932 | 砂漠の遺産 監督 | |
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | ||
1898 | 3'13 カリフォルニア州サクラメントで誕生 |
ロンメル軍団を叩け Raid on Rommel |
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勇気ある追跡 1969 | |||||||||||||||||||||||||||
1969米アカデミー主演男優賞(ウェイン)、歌曲賞 1969英アカデミー新人賞(ダービー) 1969ゴールデン・グローブ男優賞(ウェイン) |
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アーカンソー州で農場を営むロス家が雇っていた牧童の襲撃を受け、父親が殺されてしまった。残された娘のマティ(ダービー)は復讐を誓い、そのためにガンマンを雇うことにしたが、彼女の言葉を聞いてくれたのは、飲んだくれで酒代が欲しいコグバーン(ウェイン)と、正義感溢れるテキサス・レンジャーのラ・ボーフ(キャンベル)の二人。マティを加えた三人は彼女の父を殺した張本人トム(コーリー)を探し求める。 “アメリカ人の理想”とされたジョン・ウェインだが、自らのスタイルを崩すことなく徹底して娯楽作に出演し続けたため、賞とは無縁のままだったが、俳優生活40周年にして初の主演男優賞でオスカーを得たという記念碑的作品。1969年全米興行成績6位。 アカデミーの長い歴史を見てみると、その傾向が見えてくるが、1960年代までは、基本的に文芸作品を賞に挙げ、娯楽作は賞を取れないような構造を取っていた。結果として西部劇はよほどのことがないと賞を取ることが出来ず、しかもウェイン出演作は、観客を楽しませることが主眼のため、どうしても賞の壁は高かった。だが、60年代後半になるといわゆるニューシネマの台頭と時を同じくして、その傾向は少々変化を見せた。それは「文学とはこうあるべきだ」、「文芸とはこうでなければならない」という基準が崩れてきたわけだ。枷を外すことによってより広い見地で映画が評価されるようになったことになるが、それでやっとウェインにも賞を与える事が出来るようになったということにもなる。 ただ、この作品は単なる娯楽作と言うよりも、いかにウェインの魅力を引き出すかというところに主眼が置かれているため、他の西部劇とはちょっと毛色が違っていることも重要だろう。更に主人公をダービーの方に置き、ウェインがそのサポート役にしたことによって、擬似的な父親としての魅力を増したのも大きい。 実のところ、ウェインは、実のところ主人公よりも脇に回った方が魅力が増す。何故なら典型的アメリカ人のテンプレートであるウェインは、どんな年齢になってもやんちゃな性格を出さねばならず、年齢的にそれはそぐわない所が出てきた。その性格だと、話をまとめるためにメンター(指導者)的役割を果たす人物が必要になるのだが、最早それはやり尽くしてしまった。そこで基本的に駄目人間だが、やる時は命を賭けて責任を果たすという役割は、脇に回ってこそ輝く。その役割をはっきりさせたのが本作だとも言える。 本作の主演はウェインでなければならない。他の人がやったらその魅力を出すことが出来ないから(原作者のポーティスはウェインを念頭に置いて小説を書き、それをウェインに送ったところ、すっかり惚れ込んで映画化の運びとなったらしい)。 このスピーチでウェインは「もし受けると知っていたら、35年前に眼帯をかけたのに」と発言して場内を沸かせたという逸話もあり。 |
エルダー兄弟 1965 | |||||||||||||||||||||||||||
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サーカスの世界 1964 | |||||||||||||||||||||||||||
1964ゴールデン・グローブ歌曲賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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大きな小屋を持ち、アメリカ中を巡業して回っているマット(ウェイン)は、一人娘でサーカスの花形であるトニ(カルディナーレ)を育てつつ、彼らの前から姿を消した妻のリリー(ヘイワース)の消息を訊ね続けていた。そんなとき、ヨーロッパにリリーがいるという噂を聞き込んだマットは、ヨーロッパ巡業を決意する。だが船旅の途中、船が事故に遭い、サーカスの大部分を失ってしまう… 豪華メンバーを擁したスペクタクル作品。 サーカスを舞台にした作品としてもっとも有名なのはアカデミー作品賞を取った『地上最大のショウ』(1952)だろうが、アメリカにはほかにも『サーカス』(1928)とか、イーストウッドの『ブロンコ・ビリー』(1980)とかもある(サーカスを主題にしないものだったら、それこそ本当に多くの作品がある)。探してみたら結構多いようだ。“巨大な田舎”と言われたかつてのアメリカでは、サーカスは地方地方での最大のエンターテインメントであり、現在も尚巨大なサーカスがアメリカ国内を周り続けている。これも又一種のアメリカの文化とも言えるだろうか。 そしてサーカス映画は大きな強みもある。一方で表舞台に立つ花形の生の演技をエンターテインメントとして演出しつつ、裏方での実生活の辛さを描くバックステージものとして、そして苦楽を共にすることによる巨大な家族ものとして。それこそ本当に命がけの芸を出すことも出来る。アメリカ映画が好む要素をなにもかも放り込めるという強みがある。 その強味をちゃんと理解した上で作られたのが本作と言える。経営手腕に豪椀を振るいつつ、女性には弱い主人公。サーカスの芸人としては一流だが、恋多きことに悩む妻、母なしで育てられ、芸に打ち込む娘。それを取り巻く巨大な家族集団。これらの特殊事情をしっかり取り込みつつ、きちんとしたドラマに仕上げてくれている。、本作の最大の売りはやっぱり適材適所のキャスティングと言えるかもしれないな。まさしく“粗野なアメリカ人”ウェイン、“ファム・ファタル”ヘイワース、“元気印”カルディナーレ。この三人の貫禄の演技を観るだけでも本作を観る意味はある。 あんまり本編とは関係ないのだが、船が転覆するシーンはまさしくスペクタクル。後で知ったが、あれって本当に船を沈没させたのだとか。凄い事やったもんだ。 尚、ウェインは肺ガンで手術を受けた後だったが、派手な立ち回りを見せ、「ガンに打ち勝った無敵のヒーロー」とたたえられる。 |
西部開拓史 1962 | |||||||||||||||||||||||||||
1963米アカデミー脚本賞、編集賞、録音賞、作品賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 1997アメリカ国立フィルム登録簿 |
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1830年から80年代に至る50年の間に、西部に移住したプレスコット一家3代にわたって経験した西部開拓の物語。 1部:父のゼブロン(マルデン)を初めとする総勢6人が西部移住のためオハイオ川を降っていく物語で、毛皮商人のライナス(スチュワート)と娘のイーブ(ベイカー)の出会いや河賊との戦いが描かれる。 2部:それから10年後の話で、キャバレーの歌い手となったイーブの妹リリス(レイノルズ)が賭博師クリーブ・バン・ベイレンと出会い、サンフランシスコに移住するまで。 3部:南北戦争時代で、ライナスは既に戦いに赴き、戦死しており、イーブとライナスの間の二人の息子の長男ゼブ(パペード)も戦争に志願するが、そこで絶望を味わい、脱走しようと考えていたところを偶然にも近くにいたシャーマン将軍(ウェイン)を助けてしまうまで。 4部:騎兵隊員の隊長となったゼブと野牛狩りの男ジェスロ(フォンダ)との交流と絶望を描く。5部は未亡人となったリリスがサンフランシスコの邸宅を売り払い、保安官となったゼブらと共に、再び西部へと移住するまでを描く。 ライフ誌に連載された絵物語にヒントを得たジェームズ=ウェッブが195冊の歴史書をもとに脚本を書き、ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャルの3人の監督を用いて、更に出演は、キャロル・ベイカー、デビー・レイノルズ、ジェームズ・スチュワート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、ジョージ・パペード、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、カール・マルデンなど、西部劇の主人公クラスが全員登場するという、これ以上ないほどの豪華なオールスターキャストを用いて作られた西部劇の本物の大作。シネラマ劇映画第1作でもあり、1963全米興行成績は5位となっている。 監督からキャストに至るまでまさにオールスター出演と言った感じの作品で、シネラマ画面いっぱいに使った画面はたいそうな見所(と言っても、テレビで観た私にはそれを言う資格無いだろうが)。しかし、主人公クラスが目白押しと言うことで、微妙な演技というのがなく、全てが直球勝負。クライマックスシーンばかりを詰め込むことになってしまった。こういう作品に微妙なものを求めてはいけないのだろう。一種のお祭りと思って観るが良し。オムニバスにした分、一話が短くなってるのも、クライマックス連発に拍車をかけてた感じだな。その分一話毎の物語自体の構造が非常に単純になってるのと、妙に間の悪い印象を受ける。 それに価値観が今から見るともの凄く古くさい。当時のアメリカはあたかもフロンティア精神を持って無人の荒野を行く西部の男達に自分たちを模していたのではないか?かつてアメリカ大陸を征服(開拓では決してない)したように、今や世界も征服に乗り出せると考えていた時代の産物だ。最後の「新しい時代の叫びだ」という言葉は、どうにも性格の悪い私などは勘ぐってしまう。 とにかく西部劇のエキス集大成と言った感じなので、西部劇ファン用の作品として考えるならば素晴らしい作品となるだろう。多分。 |
悪の花園 Garden of Evil |
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