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2014 | ベイマックス 監督 | |
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2011 | くまのプーさん 監督 | |
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ベイマックス 2014 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014米アカデミー長編アニメ賞 2014英アカデミー長編アニメ賞 |
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サンフランソウキョウに住み、既に飛び級で高校も卒業している天才少年ヒロ・ハマダは目標を失ってその才能を持て余し気味。刺激を求め、非合法のロボット・ファイトで勝ち続けることを毎日繰り返していた。そんなヒロを見かねた兄のタダシは自分の大学に連れて行き、研究室の変わり者の仲間たちに引き合わせる。彼らが行なっている研究を見、この大学にはロボット工学の第一人者であるロバート・キャラハン教授がいることを知ったことで、科学の夢に目覚め、大学に飛び級入学を志す。入学のためにヒロが創りだしたマイクロボットは大好評でキャラハンのお墨付きもいただき、ついに念願の入学許可をもらうことに。しかしその夜、研究室は謎の発火現象を起こしてしまい、人命救助のために飛び込んだタダシは爆発に巻き込まれて他界してしまう。心の支えだった兄を失ったヒロは心を閉ざしてしまうのだが、そんな彼のもとにタダシが生前研究していたケアロボットが届けられる… ディズニーが送る本格ヒーロー作品。 子ども向けのカートゥーンアニメや実写ドラマを数多く作り出してきたディズニーは、これまでにもいくつものヒーロー作品を世に出してきた。それらは基本的にはディズニーオリジナルのキャラで、アメリカではそこそこヒットした作品も多いようだが、知名度はそんなに高くはない。そんなディズニーが改めて映画でストレートなヒーローものを作ろうとしたのは、2つの理由が考えられる。 一つはディズニーが吸収合併したピクサーの技術力。かつてピクサーは『Mr.インクレディブル』(2004)を作り大ヒットを出したが、以降は明確なヒーロー作品を作っていない。そんなブランクを経て丁度いい時期でもあった。 そしてもう一つが、同じく吸収合併したMARVEL・スタジオの存在。MARVELと言えば『スパイダーマン』(2002)や『X-メン』(2000)、『アベンジャーズ』(2012)と言ったヒーロー・コミック誌であり、そのスタジオは大ヒット驀進中のヒーロー映画に特化した制作会社。それを吸収したことで、ディズニー自身がおおっぴらにMARVELヒーロー作品を作れるようになったこと(ただし、契約上の問題があって、『スパイダーマン』はソニー、『X-MENN』と『ファンタスティック・フォー』は20世紀フォックスが映画化権を持っているため、ここに登場するキャラをディズニーが映画にすることは現時点では出来ない)。 そこで、ディズニーが考えだしたのが、膨大な過去のコミックの中から、比較的マイナーな作品を取り出し、それを新解釈を加えて新しいヒーローとして作るという選択だった。 本作の元ネタとなるのは「X-MEN」からスピンオフした「ビッグ・ヒーロー・シックス」という作品で、元々は日本が舞台で、ミュータントヒーロー(2人は異なるが)を主役とした作品だった。1年ほど前、ディズニーがTVアニメとして作るというニュースが流れ、それで「こんな作品もあったのか」と思ってたのだが、どうやらまずは映画で投入することとなったようだ。 そして映画化の際、原作の設定を大幅に変更した。 まず舞台を日本から架空の無国籍な町に変え(アメリカにある中華街風)、メンバーの一人で、唯一の普通の人間ヒロ・ハマダ(コミック版では姓はタカチホ)を明確な主人公とし、彼の創りだしたロボット、ベイマックスは強そうなドラゴン型から雪だるまのような柔らかい姿の医療用ロボットに変化させた。ベイマックス自体、ヒロが作ったことになっていたのを映画では兄のヒロシが作ったことにしている。 このベイマックスの姿を変えたことが本作の大きな転換点となった。 コミック版で戦闘用ロボットだったベイマックスは医療用ロボットとなり、医療用だけに人を傷つけることは決して出来ないとすることで、“優しすぎるスーパーヒーロー”という矛盾した設定をつくり上げることができた。 そしてこの矛盾こそが、本作をディズニー作品として成立させる要素にさせてもいる。 本作は基本的には悪と戦うヒーローを描いた作品であり、そのためバトルシーンが多くなってるけど、その中で、それがどんな人であれ、傷つけることが出来ないヒーローを中心にすることで、殺伐となりがちな物語がハートウォーミングな物語に仕上げることが出来た。 これは、“ヒーローとは何か?”という部分を語る上でもしっかり考えてもいることでもある。特に特撮やアニメにおけるヒーロー像は古くから、悪と戦うことが使命とされるが、同時に弱き者を助ける存在でもある。この両立がなければヒーローとしてのアイデンティティは保たれない。そのバランスをしっかり取るためにもベイマックスの立ち位置は重要になっていく。 ヒロは悪に対しての憎しみはあっても単なる復讐鬼であり、ヒーローとしての資質は足りていない。それを補完する存在としてのベイマックスと組むことでヒーローとなれたのだから。まさに“ヒーローとは何か?”ということに真正面から取り組んで、きちんとその答えを出してくれている。 その部分をきっちり描いていることから、本作はヒーロー作品としてのお手本のような物語でもあり、物語の構造としての完成度も非常に高い。 演出部分に関しても、数々のヒーロー作品をよく咀嚼しているらしくてこなれた演出が目立つ。特に日本の様々なアニメや特撮の影響は強いようで、大変楽しい。 ヒロとベイマックスが話の中心であり続けたため、他のヒーロー達は今ひとつ目立ってなかったが、それも今後の展開を目してのことだろう。本作のヒットによって、おそらくディズニーはTVシリーズ展開を本格展開させていくだろうし、劇場の続編もあり得る。 …ここでレビューを終わらせたほうが良いんだろうとは思うのだが、ここからちょっと余計なことを書かせていただく。 本作は褒めるべき部分しか見当たらないのだが、逆にその隙の無さがちょいと不満だったりするところが、特撮ファンの悪い性というか… いろんなヒーロー作品を集め、取捨選択して本質部分を抽出した結果、「いい映画を観た」という思いはあっても、「すごい作品を観た」とは思えなくなってしまった。言ってしまえば、刺激が足りない。 作品をうまく作れば作るほど、隙がなくなればなくなるほど、洗練されすぎて教科書的な物語となってしまう。観ていて軽くトラウマになるようなゴツゴツした部分を愛する気持ちが、本作では得られない。 勝手に自分自身にあてはめてしまうならば、特撮ファンが考える本当に面白い特撮番組というのは、洗練とは程遠いところにある。バランスなど無視した無茶苦茶さや、子供心に恐怖心を与えるような視覚的精神的なおどろおどろしさなど。幼少期に刷り込まれた忘れられない部分をいつしか愛するようになってしまい、作品によって心傷つけられることを望むようになってしまう歪んだ性癖を持つようになってしまう(あくまで私自身のことなので、それが一般化出来るかは分からないが)。 映画においてもそれは同じで、殊にヒーロー作品を観る時は、そういう衝撃を与えてくれないか?とどこか心の隅で思いながら観ているわけだが、その心の琴線に触れることがなかったのが残念ではあった。最後の戦いに至っては、オチまでほぼ予想通りになってたので、意外性もなかったし。 ただ、作り用によってはそれも可能だったとは思う。ベイマックスは非常に優しいが、別段感情を持っているわけではなく、そのようにプログラムされているだけなので、プログラムを変えさえすれば凶悪なロボットにも変貌可能(「あ〜る時は正義のミ・カ・タ、あ〜る時は悪魔のテ・サ・キ」なんて歌も日本の某アニメであったが)。劇中、激情したヒロによって一度実際にそれが行なわれている。ここの部分にちょっと毒素入れてれば大満足になってたけど、それは望み過ぎって奴だろうな。 |