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2022 | ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 監督・製作総指揮・脚本 | |
2015 | ジュラシック・ワールド 監督・脚本 | |
2014 | ||
2013 | ||
2012 | 彼女はパートタイムトラベラー 監督・製作 | |
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | 9'13 カリフォルニア州サン・フランシスコで誕生 |
ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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イスラ・ヌブラル島の大噴火から4年が経過した。あの事件で恐竜を解き放ってしまったオーウェン(プラット)は同じ罪を背負ったクレア(ハワード)と、14歳になったメイジー(アチー)と3人で人里離れた地で暮らしていた。ある日、オーウェンは家の近くに住むヴェロキラプトルのブルーが子供を産んでいたことを知るのだが、その直後にブルーの子とメイジーを誘拐されてしまう。一方、巨大イナゴの大発生による農作物被害を調査していたエリー・サトラー博士(ダーン)は、バイオテクノロジー分野の巨大企業バイオシンが関係していると疑念を抱き、かつてのパートナー、アラン・グラント博士(ニール)と共に、バイオシンの嘱託教師をしているイアン・マルコム博士(ゴールドブラム)を訪ねていた。 『ジュラシック・パーク』(1993)から既に30年。ジュラシック・パークシリーズで3作。そして新たな続編『ジュラシック・ワールド』(2015)から3作の続編が作られ、合計6作目となる本作。ジュラシック・シリーズを全て包括し、完結編として作られた作品となる。 これが最後の作品、しかもパークとワールドの二つの物語の本当のラストということで、かなり期待していた。特に私は前作である『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(2018)のラストシーンがかなり好きなので、それをどう決着付けるかには大変興味があった。 それでかなり期待度が高かっただけに、出来たものの失望感が大きい。 良かった部分を言えば、パークの方のキャラ三人が全然変わってなかったところ。歳は食ったものの、サム・ニールに至っては見事なイケオジになっていて、これまでで一番格好良いと思えるようになった。『ソー:ラブ&サンダー』(2022)でなんじゃこれは?な役で出ていたので、これは結構嬉しい。ジェフ・ゴールドブラムのマルコム博士は随分丸くなったが、苛つかせることない良いキャラになってる。 この程度ではあるが、褒めるところは確かにあった。 ただし、あとは丸ごと駄目。最初からラストに至るまで見事なクズ。 まず演出面。それなりに力が入ってるし、特に街中でのバイクとラプトルのチェイスはとても見応えがあるし、全員が揃ったところで巨大恐竜に囲まれた際、『ジュラシック・パーク』を思わせる演出を用いるなどしたが、そのどれもこれもが全部どこかで観た画面の焼き直し。オリジナリティが本当に低い。見応えだけで突っ走るのは駄目な続編の典型的例。 ストーリーにおいても、やっぱり既知感溢れる描写が延々と続く上に、やってることが単に恐竜から逃げて脱出だけになってるので、全く盛り上がて見えない。これも全くオリジナリティなし。この時代にこれだけ単調な作品をよく作ったもんだ。あと、前作のキーパーソンであったメイジーの扱いもなんというか。少女のビルドゥングスロマンにするという、おそらく最もやるべきでないものを敢えて選んでしまった。彼女こそ人間と恐竜をつなぐ存在なので、話を地球規模の大きさで関わらせねばならないのに、個人的な問題だけ。前作であれだけの問題を起こしておいて、それに関して罪悪感まるで無い思春期のよくある物語にしてしまったのは、あまりにいい加減すぎる。 何より問題が設定面。恐竜と人間が突然共存してるようなしてないような中途半端な設定が全くリアリティ無し。前作で解放した恐竜とは全く違う恐竜が多数出てくるとか、インフラの危機に人間は無力なのにちゃんと発展してるとか、恐竜と人間の共存がまったくもって噴飯物。一番の売りになるべき部分をここまでないがしろにした脚本を書ける神経が分からん。 挙げ句の果てに恐竜より怖いのがイナゴだというストーリー展開はもはや笑うことさえ出来ない。そう言う作品もあるし、論理的には間違ってないかもしれない。しかし、本作はそれを敢えて無視して恐竜を出すから意味があるのだ。最も重要なはったり部分を矮小化させた脚本には失望を禁じ得ない。 『炎の王国』のラストがすごくワクワクさせられただけに、こんなゴミみたいな作品見せられた脱力感たるや。それでもダメージが軽微だったのは、スター・ウォーズの『最後のジェダイ』から『スカイウォーカーの夜明け』を先に見ていたから、まだ耐えられたというところか。いずれにせよクズみたいな作品だが。 |
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ジュラシック・ワールド 2015 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2015放送映画批評家協会視覚効果賞、アクション映画賞、アクション映画男優賞(プラット)、アクション映画女優賞(ハワード)、SF/ホラー映画賞 2016MTVムービー・アワードアクション演技賞(プラット)、作品賞、男優賞(プラット) |
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「ジュラシック・パーク」での惨劇から22年が経った。インジェン社を引き継いだ世界的企業マスラニ・グローバル社によって、パークは「ジュラシック・ワールド」として開演され、今や世界的な一大テーマパークに発展していた。そんなジュラシック・ワールドの運営責任者クレア(ハワード)の二人の甥ザックとグレイが見学にやってきたが、運営責任を統括するクレアは忙しすぎて、二人を観てやることが出来ない状態だった。そんな折、遺伝子操作で新しく作られた巨大恐竜インドミナス・レックスの檻で異変が起こったとの連絡を受け、それを調べるためにクレアはパーク管理人のオーウェンと共に向かうのだが… 映画界に巨大なショックを与えた一作目『ジュラシック・パーク』(1993)。それが映画史においてどれだけ大きかったかは、この作品以前と以後でのCGの使われ方の違いを見れば分かる。それまでパペットとクレイアニメで作られてきた空想上の生物を、コンピュータを使えばここまでリアルに再現できる!という実力を見事に見せつけてくれた。確かに早かれ遅かれCG技術は映画界に入り込んできただろうが、スピルバーグがこの作品を作ったという事実がどれだけ映画界に恩恵をもたらしたかは、今の映画を見てみればよく分かるだろう。この作品が確かに映画作りの転換点となっていたのだ。 それから2作の続編が作られてはいたものの、ファースト・インプレッションがあまりに強すぎたせいか、それは鳴かず飛ばずで、何度も続編の企画は出続けたものの、いつも流れてしまっていた。 そんな中、一作目から22年という年月が経過し、いよいよ本式に再始動が開始された。その第一作目が本作となる。 そして本作を観た結果として言える事は、本作は極めて高水準にまとめられた作品であると言うこと。ベタ褒めになってしまうが、物語としては、百点満点な出来である。これ以上にないほどに見事な物語展開と、伏線の消化、そして演出の良さと、全てが巧く噛み合っている。 ただ、それだけでは最高点はあげられない。何故なら本作には大きな欠点があるのだから。 本作の完成度の高さ。それは即ち徹底した模倣にこそある。何を模倣したかと言えば、言うまでもなく一作目の『ジュラシック・パーク』に他ならない。一通り本作を観ていくと、感心するほど一作目と同じシーンが出てくる。 本作の物語構造は二つに分かれる。 一つは子ども目線での、恐竜との遭遇の恐怖心。無知故に味わえる胸躍る探検と、ホラーをミックスさせた冒険譚である。本作ではザックとグレイという兄弟がそれに当たるわけだが、これは一作目のティムとレックスの兄妹がやっていたこととつながり、画面手前から恐竜がやってくるのを目を見開いて見つめるシーンとか、ほぼトレースしたかのようなシーンが目立つ。 もう一つが管理者としての大人の側。一作目も本作も、当初は人間の手によって恐竜はコントロールが出来ると思われていたのが、どんどんそれが破綻をしていき、最後の方はもうどうして良いやら分からないような事になっていく。 この二つの物語の軸は一作目とほぼ同じ。ただ、物語の練り方が良く、痒いところに手が届くというか、一作目でちょっと不満に思えたものをちゃんと解消させてくれたものだから、とても心地良い気分にさせてくれた。子ども側の年齢を少し上げたことによって、きっちり二人のドラマを作ることが出来たり、運営側のコントロール破綻も、最初は完璧にコントロール出来ていた分落差が大きく、それが上手く機能してる。 恐竜の使い方に関しても、新しく出たインドミナス・レックスの使い方は、一作目のヴェロキラプトルを見事に彷彿とさせてくれる。一作目の面白いところは、最強の恐竜とされていたティラノサウルスよりも、知能が高いヴェロキラプトルの方が恐ろしい存在であると言う点にあり、ティラノサウルスに襲われるよりもヴェロキが近寄ってくるシーンの方が遥かに怖いという事実がとても面白かった(この差については拙文『ジョーズ』(1975)を参考にされたし)。そのヴェロキが今度は巨大恐竜であるインドミナス・レックスに変わった。大きくて素早くてずる賢いという三拍子揃った悪人面の巨大恐竜を前に、「もう駄目かも」…と思わせておいて、実はもっと大きな恐竜がいたんだ!と言うオチに持ってくる。一作目のヴェロキがティラノサウルスに食われるシーンと全く同じや! …と言うことで、実は本作の面白さというのは、一作目の物語に見事に載っかったということから来ている。言うなれば本作は『ジュラシック・パーク』の続編と言うよりもリブートと言っても良い。 一作目の物語がそれだけきちんとしていたと言う事が一番だが、22年という歳月が経つことで、全く同じ物語でやっていても、観てる側は新鮮な思いで観られると言うこと、そして一作目でいくつかあった不満点もしっかり消化されていると言うことで、本作はとても質の高い物語に仕上がったということである。 そして本作の大ヒットによって続編が作られているらしいのだが、劇中、物語にはあまり関わってこない伏線がいくつか存在してる。 その大きな点は、このジュラシック・ワールドが、ジュラシック・パークのインジェン社ではなく、更に巨大な企業がスポンサーになってるということ。そしてそこでは、園の経営よりも、実は恐竜を生み出す遺伝子工学の方に着目していたことが挙げられる。最後にその基本データは全て引き上げられたが、劇中ヴィック・ホスキンスが恐竜を兵器化することを示唆していたように、どうやらそこに今回明らかにされてない、設定が隠されているようでもあり。続編こそが本当の新作と思って、そちらを楽しみにしていきたいものである。 |